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いつの間に通信 ログ2


週刊 天下統一 Vol.12

  • 【週刊 天下統一】Vol.12
    • 上画面画像
週刊天下統一ロゴ>信玄>>謙信、氏康>旗>秀吉、家康>信長の看板立体視
秀吉、信長は奥義カットイン、家康は3基本CG
謙信、信玄、氏康はよくわからない(撮りおろし?)
今週もやってまいりました!
「週刊 天下統一」第12号です!

今回は、追加シナリオ「関東三傑対天下
三傑」をお届けいたします!
魔王・織田信長に対する、戦国時代を代
表する関東の英傑たち。
それぞれの天下を懸けた大決戦が、今こ
こに開幕します!

さて、関東で覇を競い合った武田信玄、
上杉謙信、北条氏康は、いずれも天下統
一を成し遂げてもおかしくない傑物だっ
たと言われます。
彼らの不運は、同時代の同地域に、拮抗
する力と才能を持ったライバルたちが存
在したことでしょう。
駿河の今川義元を含め、当時の関東は非
常に有力な大名たちの下、危ういバラン
スで成り立っていたと言えます。

この均衡が破れたのが、桶狭間における
織田軍の勝利でした。
義元の死によって今川家の勢力が衰えた
ことを皮切りに、武田、北条、今川間で
結ばれていた、甲相駿三国同盟は崩壊し
関東は再び戦乱の渦に巻き込まれます。

その混乱に乗じ、勢力を伸ばした信長で
すが、将軍・足利義明と対立したことに
よって、信玄や謙信と敵対し、「三方ヶ
原の戦い」や、「手取川の戦い」におい
て大敗してしまいます。
しかし、信長にとっては幸運なことに、
この頃になると、氏康、信玄、謙信とい
った大名たちが次々に病に倒れ、この世
を去ってしまいます。
これにより、信長は以降も勢力を拡大し
続け、天下統一直前までたどり着くこと
となります。

破竹の勢いで天下統一を進めたかのよう
な信長ですが、その背景には関東の英傑
たちの不運と、時代に恵まれた幸運が欠
かせなかったと言えます。

それでは、続いて「今週の出来事」のコ
ーナーです。

【今週の出来事】

1579年6月13日
羽柴秀吉の中国攻めの最中、病に倒れた
竹中半兵衛が陣中にて死去しました。
享年36歳。

短命ながらも、その活躍は後世に数多く
残され、戦国時代を代表する天才軍師と
して人気を博しています。

1582年6月13日
「山崎の戦い」で敗れた明智光秀が、落
ち武者狩りに遭い、刺し殺されたと伝え
られています。
「本能寺の変」から、わずか11日後の
ことでした。

しかし、光秀のものとして差し出された
首級は、判別が付かないほど損傷してい
ました。
そのため光秀は無事に落ち延び、南光坊
天海として徳川幕府を支えた、という俗
説も生まれています。

1571年6月14日
一代にして中国の覇者となった、毛利元
就が死去しました。
「人生50年」とも唄われた当時におい
ては非常に長寿で、75歳まで生存して
いました。

輝かしい経歴を持つ元就の、唯一の不運
は嫡子・隆元を早くに亡くしてしまった
ったことだと言われています。
関ヶ原の戦いにおいて西軍の総大将を務
めたのは、元就の孫・輝元ですが、毛利
家中は東軍派、西軍派に分かれ身動きが
取れない状態だったようです。
もし隆元が生存し、元就の死後も毛利家
を束ねていたら、歴史は変わっていたの
かもしれませんね。

辞世の句
「友を得て なおぞうれしき 桜花 昨日に
かはる 今日のいろ香は」


それでは最後に『戦国無双 Chronicle』
をお楽しみに皆様に、重要なお知らせで
す。
長らく続けてきました、追加シナリオの
配信は、残念ながら今回を持ちまして最
後とさせていただきます。

ただし!「週刊 天下統一」は今後も配
信を続けていきます!
以降は、すれちがいデータの配信や、ゲ
ームの攻略情報、戦国時代にちなんだ逸
話などをメインにお送りしていきますの
で、変わらぬご愛顧をよろしくお願いい
たします。

それでは、今週はこの辺で……
次回、第13号をお楽しみに!
(「足利義明と対立~」と「~を亡くしてしまった(改行)った~」と「~をお楽しみに皆様に、~」は原文まま)

週刊 天下統一 Vol.13

  • 【週刊 天下統一】Vol.13
    • 上画面画像
前回と同じ
おまたせしました!
「週刊 天下統一」13号の配信です!

今回は、配信中のシナリオ「関東三傑対
天下三傑」で活躍する、関東三傑の武器
をセットした、すれちがいデータの配信
です!

さらに今号では、要望の多かった、追加
シナリオのミッションリストを公開しま
す!
「有岡城の戦い」、「ガラシャの乱」、
「京洛歌舞伎の乱」の3シナリオに関し
て公開しますので、まだ発生したことの
ないミッションがあったら、これを機に
探してみてくださいね!

【有岡城の戦い】
・前線砦襲撃
・鉄砲隊護衛・壱
・鉄砲隊護衛・弐
・加茂砦防衛
・官兵衛の危機
・以心伝心
・村重撤退阻止
・有岡城開城
・凶弾
・両兵衛大暴れ

【ガラシャの乱】
・愛のために
・真っ直ぐな男
・風神のねぐら
・面倒くさい男
・上等な婿殿
・愛の字のもとに
・とんでもないお願い
・奥州の竜現る!
・嫉妬の炎
・父の愛
・荒れ狂う独占欲

【京洛歌舞伎の乱】
・盗人退治
・絡み酒
・歌劇団結成!
・絆
・秀吉蹴鞠団
・新入団員・壱
・新入団員・弐
・家臣はつらいよ
・いざ本陣へ
・教育係
・蹴鞠対歌劇

いかがでしたか?
すべてのミッションを見つけることがで
きたでしょうか?
次回は、残りの3シナリオを公開したい
と思います。

それでは最後に「今週の出来事」のコー
ナーです。

【今週の出来事】

1562年6月24日
「賤ヶ岳七本槍」として知られた、加藤
清正が尾張国にて誕生しました。

清正の母親が、秀吉の生母と親戚関係に
あったことから、近江の長浜城主となっ
たばかりの秀吉に、小姓として取り立て
られました。
将来を期待され、秀吉とねねから多大な
愛情を注がれた清正は、その期待に応え
生涯忠義を尽くし続けました。

1611年6月24日
奇しくも誕生と同日に、加藤清正が病没
しました。
二条城において徳川家康と豊臣秀頼の和
睦を実現させた後、帰国途中の船内で発
病し、熊本で死去しました。

合戦で武功を挙げ肥後の大名となった清
正ですが、大名となった後は数々の名城
の築城や、治水などの土木技術、商業政
策など、多方面でその才能を発揮しまし
た。
その偉業は数多く伝えられており、熊本
では史跡や祭りの題材として、現在にお
いても高い人気を得ています。


……それでは、今週はこの辺で。
次号の配信をお楽しみに!
(「京洛歌舞伎の乱」は原文まま)

週刊 天下統一 バックナンバー掲載のおしらせ

  • 『戦国無双 Chronicle』からのおしらせ
    • 上画面画像
立体視なしの攻略本表紙画像
「週刊 天下統一」バックナンバー掲載
のおしらせ

「週刊 天下統一」のバックナンバーを
『戦国無双 Chronicle』公式サイト(ht
tp://www.gamecity.ne.jp/sengoku/
3ds/)にて掲載中です。
見逃した号がある方は、ぜひご覧になっ
てくださいね!

また、今まで「週刊 天下統一」で配信
してきた攻略情報よりも、さらに詳しい
情報が分かる攻略本が発売中です!

全シナリオの詳細なマップ解説とミッシ
ョン情報を完全掲載しています。
さらに、武器の強化やキャラクターの成
長もわかりやすく解説した、プレイヤー
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定価:1,890円

各書店で発売中

週刊 天下統一 Vol.14

  • 【週刊 天下統一】Vol.14
    • 上画面画像
Vol.12・13と同じ
今週もやってまいりました!
「週刊 天下統一」14号です!

今回は、「関東三傑対天下三傑」で敵勢
力として登場する、天下三傑の武器をセ
ットした、すれちがいデータを配信しま
す!

さらに前号に引き続き、追加シナリオの
ミッションリストを公開します!
今回は「毛利元就の変」、「東西無双決
戦(西軍)」、「関東三傑対天下三傑」
の3シナリオに関しての公開です。

【毛利元就の変】
・北の将
・織田四天王
・魔王の子ら
・お蘭の同期
・龍虎年くらべ
・花の命は…
・甲斐のオヤジ
・獅子の小僧たち
・稲の旦那
・真田年代史
・毛利の家
・又兵衛の関ヶ原
・終末を呼ぶ鐘
・三河武士の鑑
・先鋒争い
・名槍・日本号
・名槍・御手杵
・一途な男

【東西無双決戦(西軍)】
・天
・高所確保は戦術の基本
・荒ぶる独眼竜
・熊急襲
・退却劇
・どさくさに紛れて…
・下
・競争
・無
・本陣奇襲
・武の極み
・双!

【関東三傑対天下三傑】
・急襲
・電撃戦
・後門の虎
・越えられぬ壁
・家康に過ぎたるもの
・智は力なり
・死地からの脱出
・二俣城
・狸狩り
・二傑
・三英傑

いかがでしたか?
以上が、追加シナリオで発生する全ミッ
ションとなります。

戦国クイズとも言える「毛利元就の変」
では、多くの難問が立ちはだかります。
ただし、「戦国事典」モードでヒントを
得られる問題もありますので、関連した
キーワードを探してみてください!
また、プレイするたびに問題が変わるこ
とがありますので、すべてのミッション
を見たい方は、何度もプレイしてみてく
ださいね!


それでは、「今週の出来事」のコーナー
です。

【今週の出来事】

1570年6月28日
「金ヶ崎撤退戦」で敗れた織田・徳川連
合軍が、その報復戦として琵琶湖周辺の
姉川で浅井・朝倉連合軍と対峙した「姉
川の戦い」が行われました。

兵力の劣る、浅井・朝倉連合軍でしたが
織田軍と交戦した浅井軍は、一時は織田
本陣に迫る勢いで攻め込みました。
しかし、士気の低い朝倉軍を撃破した徳
川軍の増援を受け、総崩れとなり敗退し
てしまいました。

その後、次第に弱体化していった浅井・
朝倉両氏は、大局的な戦略に方針を変更
し、武田信玄や本願寺顕如などの有力者
らと共に信長包囲網を形成していくこと
となります。


……それでは、今週はこの辺で。
次号の配信をお楽しみに!

週刊 天下統一 Vol.15

  • 【週刊 天下統一】Vol.15
    • 上画面画像
週刊天下統一ロゴ>ムービー「風雲桶狭間」の濃姫
お待たせしました!
今週も「週刊 天下統一」を配信いたし
ます!

今回は、織田信長の天下布武を陰から支
えた、濃姫と森蘭丸の武器をセットした
すれちがいデータの配信です!
この武器を使って、彼女たちが活躍する
「本能寺の変」をプレイしてみてくださ
いね!

さて、今回の表紙にもなっている濃姫で
すが、名を「帰蝶」と言い、実父は「美
濃の蝮」の異名を持つ斎藤道三です。
斎藤、織田両氏の政略結婚により、当時
の当主・織田信秀の嫡男である信長に嫁
ぎました。
その際に、父・道三から懐刀を手渡され
「信長が評判通りのうつけ者であるなら
ば、この刀で刺して来い」と命じられた
のに対し、「承知しました。ですがこの
刀は、父上を刺すものになるかもしれま
せん」と答えた…というエピソードは、
有名な逸話です。

しかし、それ以降の濃姫の生涯に関して
は残存する資料が少なく、諸説分かれる
ところです。
一般的に知られるのは、「本能寺の変」
の際に、信長とともに戦い自害したとさ
れる説です。
しかし、「信長公記」において信長は、
滞在していた女性たちを避難させた後に
一人で自害したと記されており、これは
後世の創作であると見なされています。
また、信長の元に嫁いだ後、程なくして
病死したとされる説や、道三の死後に離
縁され美濃に帰された、「安土殿」「御
局」などと呼ばれ、1612年まで長生
きした…など、諸説様々です。

いずれが真実か確かなところは分かりま
せんが、正室として信長との間に世継ぎ
が得られなかったながらも、後継者問題
が皆無であったことや、信長が家庭にお
ける妻の大切さを部下に説いていたこと
などから、濃姫は信長にとって無くては
ならない存在だったのではないか、と考
えられます。

戦国乱世において、女性に関する記録は
少なく、軽視される傾向にありました。
しかしそれでも、大名を陰から支える妻
の逸話は数多く残されています。
やはり時代に関わらず、女性の功績は大
きかったのではないでしょうか。


それでは「今週の出来事」のコーナーで
す。

【今週の出来事】

1590年7月5日
「小田原征伐」により、北条氏政、氏直
親子が豊臣秀吉に降伏し、小田原城が開
城しました。

小田原城は、氏康の時代には上杉謙信、
武田信玄といった、当時最強と名高い軍
勢の進行を防ぎきり、難攻不落の城とし
て謳われていました。
しかし、すでに関東以外をほぼ手中にし
ていた秀吉は、圧倒的な兵力、物資をも
って、忍城をはじめとする支城を各個撃
破していくことで、北条氏の士気を挫き
三ヶ月に渡る篭城戦の末、ほとんど無血
で小田原城を開城させることに成功しま
した。

これにより、秀吉の天下統一が完成する
ことになります。


……それでは、今週はこの辺で。
次号の配信をお楽しみに!

週刊 天下統一 Vol.16

  • 【週刊 天下統一】Vol.16
    • 上画面画像
週刊天下統一ロゴ>ムービー「強襲川中島」の綾御前
お待たせしました!
「週刊 天下統一」、第16号の配信で
す!

今回は、綾御前、柴田勝家、前田利家の
武器をセットしたすれちがいデータを配
信します。
上杉家、また織田家を支え、本編、外伝
ともに大いに活躍してくれている3人。
ぜひ彼らの武器を使って、すべての合戦
をプレイしてみてくださいね!

ここで、今回の表紙になっている綾御前
についてのお話です。

綾御前はご存知の通り、上杉謙信の姉で
あり、一般には「仙桃院(仙洞院)」と
いう名が有名です。
綾御前は長尾政景に嫁ぎ二男二女をもう
けました。
しかし1564年、夫・長尾政景は謎の
溺死を遂げ、この世を去ります。
また、長男・義景もわずか10歳の若さ
で早世しました。
これを受け、綾御前は次男・景勝を謙信
の養子とし、自らも春日山城へと移りま
す。

謙信の死後も、綾御前は上杉家とともに
波乱の生涯を送りました。
外伝の合戦にも登場する、謙信の死後に
起こった家督争い「御館の乱」。
このとき綾御前は、娘婿である景虎側に
身を寄せますが、乱の後は春日山城の景
勝のもとへと戻ります。
ここには、景勝と景虎、双方を思い支え
ようとした綾御前の意思と愛が見て取れ
るのではないでしょうか。

この後も、綾御前は1609年にその生
涯を終えるまで、長く上杉家を支え続け
ました。
一説には、直江兼続を景勝の近習にと推
挙したのも綾御前であったと言われてい
ます。

戦乱の中、数々の哀しみに直面しながら
も、上杉家を導き強く生き続けた、綾御
前。
女性ではありますが、謙信や景勝と同様
立派な将の1人であったといえるのでは
ないでしょうか?


それでは「今週の出来事」のコーナーで
す。

【今週の出来事】

1624年7月13日
「賤ヶ岳七本槍」として知られる豊臣秀
吉子飼いの猛将、福島正則が病没しまし
た。

一般に「猪武者」として有名な正則です
が、意外にも領地においては善政を敷い
ていたそうです。
農民に検地の結果を公開し公正な徴税を
実施した他、キリスト教などの宗教にも
寛容でした。

また、家臣の世話見も良かったようで、
「関ヶ原の戦い」の後、福島家が改易さ
れた際には、自害を申し出る家臣が多く
いたといいます。
その噂を聞いた他家の大名は福島旧臣を
競って召し抱え、正則の家臣で浪人する
者はほとんどいなかったそうです。

戦国を生きた将たちには皆、一言では尽
くせない魅力があり、ドラマがあります
ね。
ゲーム本編でも、ぜひ体感してみてくだ
さい!

……それでは、今週はこの辺で。
次号の配信をお楽しみに!

週刊 天下統一 Vol.17

  • 【週刊 天下統一】Vol.17
    • 上画面画像
週刊天下統一ロゴ>3収録ムービー「優しい国」のお市と長政の立体視
お待たせいたしました、「週刊 天下統
一」第17号です!
今回は、お市と長政の武器をセットした
すれ違いデータを配信します!

ドラマやゲームなど、多くの題材として
取り上げられている2人ですが、非業の
運命を遂げた夫婦として有名です。

周りが羨むほど仲睦まじかった2人です
が、長政は義兄・織田信長によって攻め
滅ぼされ、自害してしまいます。
その信長の死後、柴田勝家のもとに嫁い
だお市もまた、羽柴秀吉の攻撃を受け、
北ノ庄城にて自害するのです。

お市は、長政との間にもうけた3人の娘
茶々、初、江を深く愛していたといいま
す。
北ノ庄落城の際には、自らの死後、秀吉
の庇護を受けることになった娘達の身を
案じ、幾度も秀吉に書状を送っていたそ
うです。
こうしたお市の母としての愛情の中には
夫である長政との強い絆も感じることが
できるでしょう。

長女である茶々(後の淀殿)は、父・長
政の十七回忌、母・市の七回忌に菩提を
弔うため、肖像画を描かせています。
それらは現在も残されており、お市の画
は「戦国一の美人画」として広く名高い
ものとなっています。

3人の娘達もまた、両親同様数奇な運命
をたどりました。

長女・茶々は、秀吉の側室となって秀頼
を生み、秀吉の死後もその後見となって
「関ヶ原の戦い」「大坂の陣」の決戦を
見届けます。
そして、母・お市の生き方をまっとうす
るかのように、豊臣政権の滅亡とともに
世を去ります。
次女・初は、浅井家の主筋である名門・
京極家に、三女・江は徳川二代将軍・秀
忠のもとに嫁ぎ、秀吉の死後は互いの家
が敵同士となってしまいます。
しかし、姉妹の絆は両親の絆同様、変わ
らず固く結ばれていたそうです。

娘達によって作られ、時を経た今も残る
お市と長政の肖像画。
戦乱の世に消して絶えることのなかった
彼らの絆と生き様は、この先も人々の胸
を打ち、広く後世へと伝えられていくこ
とでしょう。


それでは、「今週の出来事」のコーナー
です。

1585年7月16日
羽柴秀吉が四国を平定しました。
四国統一を果たしていた長宗我部家元親
は、この戦いで秀吉に降伏し、領土を土
佐一国に封じられます。
そして秀吉は、これを天下統一のさらな
る足掛かりとし、九州平定を進めていき
ます。

1600年7月17日
細川忠興夫人・細川ガラシャが死没しま
した。享年38歳でした。
ガラシャもまた、非業の死を遂げた女性
として有名です。
「関ヶ原の戦い」の直前、東軍側につい
た夫・忠興が不在の隙に、石田三成によ
り人質として捕らわれそうになります。
ですが、ガラシャはそれを拒み、家臣に
その身を部屋の外から討たせ、命を絶ち
ます。
ガラシャはキリスト教徒であったため、
自害が禁じられていたのです。

このガラシャの逸話は、戯曲として広く
ヨーロッパまで伝えられ、マリア・テレ
ジアや、マリー・アントワネットといっ
たハプスブルク家の女性達がその生き方
に深く感銘を受けたといわれています。

辞世の句
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花
も花なれ 人も人なれ」

1573年7月18日
織田信長によって足利義昭が京都から追
放され、約240年間続いた室町幕府が
滅亡しました。

義昭自身は1597年まで存命し、後年
は秀吉の御伽衆の1人に加えられ、良き
相談相手でもあったそうです。


一人の将の生き様が、国や時代を超えて
語り継がれる。
戦国とは、歴史とは本当に数奇なもので
すね。

……それでは、今週はこの辺で。
次号の配信をお楽しみに!

週刊 天下統一 Vol.18

  • 【週刊 天下統一】Vol.18
    • 上画面画像
週刊天下統一ロゴ>3収録ムービー「日本一の兵」の稲姫と幸村の立体視
今週もやってまいりました、「週刊 天
下統一」第18号の配信です!
今回は、稲姫、左近、政宗の武器をセッ
トしたすれ違いデータを配信します。

この3人は、戦国後期に活躍した武将と
して有名ですね。
本作『戦国無双 Chronicle』の最終章
「乱世終結」では、天下の命運をかけて
華々しいドラマを見せてくれます。
稲姫と幸村が対峙している今週の表紙は
そんな最終章のクライマックスである
「大坂の陣」での一幕です。

稲姫は一般に「小松姫」の名で知られて
おり、本作でも描かれている通り、幸村
の実家である真田家に嫁いだ女性です。
非常に芯の強い女性だったそうで、第二
次上田合戦中、沼田城において敵となっ
た真田軍を撃退した逸話は有名です。
表紙の様子からも、そんな稲姫の気迫と
それを受ける幸村の思いが伝わってくる
ようです。

では、ここでそんな彼ら2人の絆をつな
ぎ支えた、戦国後期のもう1人の名将を
紹介しましょう。
それは、稲姫の夫であり幸村の実兄でも
ある、真田信之(信幸)です。

信之は、戦国きっての智将として名高い
真田昌幸の長子として生まれます。
長く人質になっていた弟・幸村とは異な
り、信之は早くから父を支え、真田家の
後継として、父親譲りの才気を身に付け
ていきました。
その信之の資質をいち早く見抜いたのが
後の天下人・徳川家康でした。
家康は、第一次上田合戦における信之の
采配を敵ながら高く評価し、和睦が成立
した後、重臣・本多忠勝の娘、稲姫を信
之に嫁がせ、徳川の家臣とします。

このように早くから才覚を示していた信
之ですが、後世にこそ、その真価が発揮
されていきます。
関ヶ原の決戦に際し、徳川の縁者として
東軍についた信之は、西軍についた父・
昌幸と弟・幸村と対峙することになりま
す。
信之は家康の嫡男・秀忠とともに上田に
出陣しますが、昌幸の巧みな戦術によっ
て苦渋を強いられ、関ヶ原に大きく遅参
することになりました。

終戦後、敗軍の将であり秀忠の権威を大
きく失墜させた、昌幸と幸村の死罪は免
れないものとなっていました。
しかし、信之は家康に対し、自らの戦功
や領地を投げ出す覚悟で2人の助命を願
い出ます。
徳川への義を貫きながら肉親をも思いや
るその姿は、忠勝ら多くの将の心を得て
昌幸、幸村は助命を許され九度山への流
罪となりました。
なお、信之の名の表記は、このときそれ
までの「信幸」から一般に知られている
「信之」に改めたものです。
それは「幸」の一字を改めることで、昌
幸との決別を示すためだったと言われて
います。

その後も、信之は献身的に徳川に忠義を
尽くし続けました。
徳川の世にあって、豊臣の臣として威光
を残した真田家を守ることはたやすいこ
とではありませんでした。
しかし信之は、妻・稲姫とともにどんな
逆境にあっても義と倹約を貫き、真田家
の基盤をしっかりと築いていきました。
その良政の末、真田家は明治まで爵位を
持ち、存続し続けたのです。

信之は、生涯真田のために最善を尽くし
ながら、93歳という長寿を全うしまし
た。
晩年においては、戦国時代を体験した数
少ない人物として、万人の尊敬を集めて
いたそうです。

信之は、父と弟、また家康や忠勝ら、と
もに歩んだ将皆の志を背負いながら、熱
き義と才覚とともに強く歩み続け、今日
に続く未来を築き上げました。
父・昌幸、弟・幸村と並び、信之もまさ
に、歴史をつむぎ導いた稀代の名将であ
ったといえるでしょう。

多くの将の絆を得て、未来へとつないで
いったゲーム中の主人公、つまり皆さん
自身もまた、きっと信之のような名将で
あったに違いありません。


最後に、『戦国無双 Chronicle』をお楽
しみの皆さんにお知らせです。

「週刊 天下統一」で配信中の、すれち
がいデータを受信したまま、すれちがい
合戦を行わずにいると、受信した追加シ
ナリオがゲーム中で表示されない、とい
う症状が発生することがあります。
この症状が発生した場合、「通信」モー
ドから「合戦」を選び「週刊天下統一」
とすれちがい合戦を行ってください。


……それでは、今週はこの辺で。
次号の配信をお楽しみに!

週刊 天下統一 Vol.19

  • 【週刊 天下統一】Vol.19
    • 上画面画像
週刊天下統一ロゴ>3収録ムービー「忍び凧」の風魔小太郎の立体視
お待たせしました、「週刊 天下統一」
第19号です!
今回は、風魔小太郎、服部半蔵、ねねの
武器をセットしたすれ違いデータの配信
です!

この3人の本ゲームでの共通点といえば
ご存知、忍者ですね。
小説や映画等、後世の創作の影響から、
現代では超人的な身体能力と術を駆使し
て戦うヒーローとしてのイメージが強い
忍者ですが、史実における忍者は領主に
仕え、主に諜報活動や破壊行動を行う、
現在でいう情報工作員のような存在だっ
たようです。
忍者という呼び名も近年の著作によって
つけられたもので、江戸期までは統一し
た呼称はなく、「乱破(らっぱ)」「素
破(すっぱ、“スッパ抜き”という報道に
おける俗語の語源)」「草」など、様々
な呼ばれ方をしていたそうです。

忍者は一般に集団で生活しました。伊賀
や甲賀が特に有名ですね。
忍者にも武将と同様身分の差があり、普
段は上級の忍びが地主となって下級の忍
びを使い、農耕作で収入を得ることもあ
ったそうです。

代表的な忍者としては、伊賀忍では服部
半蔵、百地三太夫などがあげられます。
百地三太夫は外伝シナリオ「天正伊賀の
乱」にも登場していますね。
甲賀忍では、伝説上の人物ではあります
が猿飛佐助などがあげられます(諸説あ
り。出身は甲賀だが甲賀忍術を学んでい
ないとされる)。
また、風魔小太郎も有名な忍者の1人で
す。
小太郎は関東の相模に拠点を持った風魔
一党の頭領として知られています。
その他、学説によっては雑賀孫市率いる
雑賀衆も有力な忍びの一派であったとさ
れています。火薬等を用い集団生活を行
っていた点から、そのような見方をされ
ているそうです。

江戸期においては、忍者たちは隠密や同
心といった現在でいう警察のような役割
を果たすようになりました。
今も都内に残る半蔵門の名は、服部半蔵
の一族が警固した門であることに由来す
るといわれており、その歴史の一角を物
語っています。

また興味深い話として、かの有名な俳諧
師・松尾芭蕉が幕府の隠密であったとい
う説があります。
その根拠として、芭蕉が三重県伊賀市に
あたる出身であったこと、また一介の俳
人が幕藩体制の中、日本全土を行脚して
いた不自然さ(芭蕉の著書「奥の細道」
の記録どおりに旅行したとすると、一日
数十キロ歩かなくてはいけない計算にな
り、年齢的に厳しいはず)などがあげら
れているようです。
芭蕉のほか、なんと浮世絵師・葛飾北斎
も忍者であったとする説などもあるそう
です。

こうした数々の逸話や伝説で、現在でも
なお国の内外を越え人々を魅了してくれ
る忍者たち。
きっと戦国時代においても、謎に満ちた
存在として、一般の人々の想像力を掻き
立てたに違いありません。
そんな彼らの活躍を思い浮かべながらゲ
ームをプレイしてみてくださいね!


それでは、「今週の出来事」のコーナー
です。


【今週の出来事】

1567年8月3日
伊達政宗が、出羽国米沢城にて誕生しま
した。

政宗は「独眼竜」の名で親しまれていま
すが、この異名はもともと中国唐代の李
克用という将のものであったそうです。
李克用も政宗同様片目が不自由だったそ
うですが、それにも関わらず勇名を馳せ
た将でした。
一説によると、幼少期に李克用の存在を
知った政宗は、彼の逸話にたいへん励ま
されていたといいます。


……それでは、今週はこの辺で。
次号の配信をお楽しみに!


※追加シナリオが表示されない症状に関
して

「週刊 天下統一」で配信中の、すれち
がいデータを受信したまま、すれちがい
合戦を行わずにいると、受信した追加シ
ナリオがゲーム中で表示されない、とい
う症状が発生することがあります。
この症状が発生した場合、「通信」モー
ドから「合戦」を選び「週刊天下統一」
とすれちがい合戦を行ってください。

週刊 天下統一 Vol.20

  • 【週刊 天下統一】Vol.20
    • 上画面画像
週刊天下統一ロゴ>クロニクルOPムービーのお膳返し ねね・三成・清正・正則の立体視
お待たせしました、「週刊 天下統一」
第20号です!
今回は、石田三成、加藤清正、福島正則
の武器をセットしたすれ違いデータの配
信です!

この3人といえば、ゲーム内ではお馴染
み、秀吉子飼いの将ですね。
秀吉とねねのもと、様々な活躍とドラマ
とを見せてくれています。
史実においても、秀吉は彼ら子飼い将や
近習者を厚遇し、取り立てていました。
一説によると、それは秀吉が譜代の有力
な家臣を持たなかったためであったと言
われています。
秀吉は、まず信頼ある近習者らに力をつ
けさせ、他家の古参の将らに引けをとら
ない人材に育て上げようとしたのです。

たとえば、清正、正則は、「賤ヶ岳七本
槍」として有名ですが、この異名につい
ても、秀吉が彼らの力量を評価すると同
時に、それを他家へと大々的に宣伝する
ためにつけたものであったと言われてい
ます。
実際にこの戦いでは、彼ら七本槍のみで
はなく、三成ら他の多くの近習者の活躍
も伝えられています。
その効果あってか、彼らはその後豊臣政
権を支える柱として成長していきます。

三成や清正、正則の活躍に関してはゲー
ムで語られる通りですが、子飼い三将と
同様、幼い頃から秀吉に仕えていた大谷
吉継も戦国を代表する名将として知られ
ています。
彼もまた若くして頭角を現し、秀吉をし
て「吉継に100万の軍勢を与えて、自
由に指揮させてみたい」と言わしめたほ
どの才能の持ち主でした。

また、吉継と三成とは同年代で、無二の
友でもありました。
吉継は後年病を患いますが、変わらぬ才
覚と義の志で、三成を支え続けたといい
ます。
とくに「関ヶ原の戦い」においては、病
のため輿に乗って出陣しながらも、藤堂
高虎、京極高知の大軍を封じた話は有名
な逸話となっています。

三成、清正、正則、そして吉継。
秀吉の子飼い将たちの多くが、豊かな個
性と胸を打つ活躍とで、現在も世にその
名を残しています。
豊臣家の存続はなりませんでしたが、彼
らは秀吉の願い通り、名家の将らに並ん
で恥じない無双の将へと成長したといえ
るでしょう。
そして彼らの輝きの裏には、彼らの主君
であると同時に父親代わりでもあった、
秀吉自身の大きな愛情が感じ取れるので
はないでしょうか。


……それでは、今週はこの辺で。
次号の配信をお楽しみに!
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