ロリータのディティールについて

「ロリータのディティールについて」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

ロリータのディティールについて」(2017/01/02 (月) 03:13:42) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

参考テキスト 新潮文庫版ロリータ 大久保康雄訳 335p 本文 ローは肩をすくめて消えてしまったのだ。立ちどまった。「見かけませんでしたか…?」と入り口付近の床を掃いていたせむしの男にたずねた。その好色じじいは、見かけましたよ、と答えた。友達と出会って急いで出ていったようだというのだ。私も急いで外へ出た。立ちどまったーしかし彼女は、どこにも立ち止まらなかった。私は再び急いであるきだし、再び立ち止まった。おそれていたことが、ついに事実となってあらわれたようだ。彼女は永久に去ったのだ。 考察 肩をすくめて、のような、表情、態度、感情をあらわすような言葉が、簡素な行動描写のなかにしばしばはさまれるが、言葉の選び方が一般的な型をやや外れて、かつ奇をてらわず、シンプルで、的確で、効果的である。この場合の、肩をすくめてとは、付き合ってはいられないというような感情表現だろうか。ハンバートは、焦り、何が何でも探し出して連れ戻してやろうという気持ちではなく、失踪をほとんど確信しているような、あきらめが混ざっているような態度をみせている。せむしの男、という悪意の混ざった特徴の抜き出し、そして、好色じじい、という何の根拠も提示されない色情的な連想、この場面にしろどの場面にしろ、そういった皮肉とユーモアは場面の緊張感とは関係なしにつねにさしはさまれる。友達という言葉は、ハンバートの妄想と読者の連想のなかで、キルティにも、ディックにも、あるいはモナダールにも、見知らぬ男にも、トラップにも変化しそうな言葉だ。しかし、想像力の自由を許し、混沌の印象を残すために、想像の着地点は見出だされずに終わることが多い。というよりも、そのためにたくさんの描写の熱量がついやされている。立ち止まる、という行為が二度にわたって強調される。まるで少し前のロリータの影が、ハンバートには目視されているかのように、しかし彼女は立ち止まらなかった、と対比されている。ハンバートの心情とロリータの心情のギャップは、何度も、滑稽に、残酷に、悲哀をもって描写されている。この段階で、ロリータが永久に去ったことを確信するにはまだ早すぎるにも関わらず、ハンバートは一人早合点をし、それに浸ってもいる。それは小説全体にもいえることで、心情が潜在的であるうちは事実が暗示的に未来を示唆し、心情が高まっていくと先走り、ナボコフ的な肩すかしは何度か繰り返されるのだが、結局は事実が心情を後追いすることになる。という意味で、どこまでも心象風景的な描写、かつストーリーである。
参考テキスト 新潮文庫版ロリータ 大久保康雄訳

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。