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481年…全フランク人はメロヴィング家の
クローヴィスによって統一
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クローヴィスは正統派のアタナシウス派に改宗
(他のゲルマン人の多くはアリウス派)
6世紀なかば,ブルグンド王国などを
滅ぼしガリア統一
このころイスラーム勢力がフランク王国にせまる
が、宮宰カール=マルテルが732年の
トゥール・ポワティエ間の戦いで相手を撃退。
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カールの子ピピンは、751年王位につき
カロリング朝を開いた
ローマ=カトリック教会の成長
西ヨーロッパ世界形成はフランク王国のほか
ローマ=カトリック教会も貢献した
ローマ帝政末期、五本山というキリスト教会が重要
(五本山とは…ローマ・コンスタンティノープル・
アンティオキア・イェルサレム・アレクサンドリアの5教会)
最有力はローマ教会とコンスタンティノープル教会
ローマ教会はゲルマン人への布教を行う
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6世紀、修道院運動で民衆の教化に貢献
ローマ教会は西ヨーロッパに勢力拡大し
ローマの司教は教皇(法王)として権威高まる
聖像をめぐる対立もあった
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726年ビザンツ皇帝レオン3世、
聖像禁止令を発布
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聖像を必要としたローマ教会は反発
東西で対立&分裂を強めた
最終更新:2010年11月14日 01:38