『地獄』について(短編)


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248 名前: ◆N/wTSkX0q6 [sage] 投稿日:2010/09/29(水) 02:47:26 0
【未完の王国】


セシリア=エクステリアが地獄に不時着したのは、彼女にとって予期し得ない事態であり不運の賜物だった。
SPINはあくまで人類の開発した転移の術式であり、人智を超越した世界間の跳躍は想定外でしかない。
後になって『魔の流出』そのものが地獄への接触による産物であることが発覚して、ようやく彼女は合点がいった。

世界と世界を隔てる不可視にして不可侵の壁。
同じ才を持つ者は向こう千年生まれないだろうと揶揄された魔導師アルテミシアさえも生涯で一度しか開き得なかった壁。
『魔の流出』は、両世界間の内圧差を減じることでこの『壁』を穿ちやすくする為の手段だったのだ。

かくしてその恩恵を最悪の形で享受し通常装備のまま『地獄』へと放り出されたセシリアにまず襲いかかったのは、
大気の代わりに地獄を満たす瘴気だった。吸い込めば肺を侵し、触れれば皮膚を糜爛させる不可視の毒。
火山地帯用に装備されていた大気保護結界が発動していなければ骨も残らず腐液と成り果てていただろう。

(現在地を調べなきゃ)

己の命さえも瀬戸際にある中で、セシリアは冷静に任務の遂行だけを考え、それ以外を頭から閉め出すことで恐怖を押さえ込んだ。
あれこれ考えれば考えるだけ無駄だと朧気に理解していたし、何より彼女にとって『地獄』という認識はまだ浅い。
どこか異国の、毒性の大気に覆われた大陸なのだとその時のセシリアは結論付けた。

空は異常なまでに赤く、暗く、そしてなにより低かった。
土は乾ききって草の一本も生えず、しかし触れた掌に砂埃が付いてこない。時間が止まったように硬化している。
セシリアが転移した場所は小高い丘の上だったが、崖の上から見た分には地平線の向こうまで荒野が続いていた。

遠くに黒く蠢く何かを見た。
望遠鏡を引っ張り出して覗いて見ると、それは一匹の獣だった。
黒い体毛に覆われ、骨が筋張る程に痩せこけ、しかし胴体の貧相さとは裏腹に眼窩からは大きな眼球が張り出している。

望遠水晶の中で、獣と眼が合った。
五里以上は離れているだろうセシリアの視線に気付いたのか、首を曲げてこちらを見て、そして。
確かに『笑った』。

あまりの不気味さにセシリアは総毛立って望遠鏡から顔を離した。
肉眼で遠い黒点を見れば、そこから動いた形跡はない。ずっとこちらを凝視している。
動悸が止まらない。血液は加熱し、灼熱感が血管を伝って体中を熱くする。呼吸がうまくできなくて、指先が震えた。

(あ、あ、あの獣……獣なのに、獣なのに!)

黒の獣には牙がなかった。つり上がった口角から見えたのは紛れもなく『人間の歯』だった。
その異常なまでにせり出た眼球も、それを支える眼窩の形状も、よくよく見れば人間のそれである。

当時十二歳の彼女でなくとも、帝国全土のどこを探したってあんな生物が存在しないことを知っている。
魔物にしたってもっと分かりやすい生態をしている。獣の身体に人間の眼と歯など、そもそもの用途からして噛み合わない。
『存在し得ない生物』なのではない。順当な進化を辿るならば『存在してはいけない』生物なのだ。

この時点で、セシリアの脳裏にこの場所が元居た所ではない別の世界なのではないかという思考が芽生え始める。
地平線までの距離が異常に短い。大地の丸みが急傾斜になっているということは、大地そのものの規模が小さいのだ。
父から直々に地学を学んでいたセシリアは、おおまかな大地の傾斜を知っている。これだけ見晴らしが良ければ測量も容易だ。

(わたし達の世界に比べて極めて小規模、かつ独自の生態系を築き、瘴気によって通常方法での生存は不可……)

まるで『地獄』だ、と思った。
お伽話に出てくる、大魔導師によって封印された魔族の生息地。
単なる伝説ではなく、数百年前に本当にあった史実であり、考古学者の研究の的となっている異世界。

とにかく地平線がある以上、荒野だけの世界というわけでもないだろう。
水場がないのが気にかかったが、何れにせよこの世界の食べ物は瘴気で駄目になっているだろうから、糧食だけが頼りだ。

249 名前: ◆N/wTSkX0q6 [sage] 投稿日:2010/09/29(水) 02:49:01 0
あくまで任務は『生還』ではなく『調査』。逆説、生きて帰るだけならば然程困難というわけでもない。
SPINの誤作動でここに出た以上は、この世界でも転移術式は使えるということだ。従って、小規模なSPINを組み直せば良い。
それでもとの世界に戻れるかは賭けになるが、『魔の流出』が続いているうちは高確率で帰還できるだろう。

セシリアはこの世界を『地獄』と仮定し、地質や規模などの詳しいデータをとる為に留まろうと決めた。
一秒だってこんな所には居たくなかったが、知的好奇心が優先し、何より結果を上げて父に褒められるのを期待していたのだった。

硬く乾いた荒野を行く。
とにかく前へ。この世界には太陽が存在しなく、空全体を覆う薄雲が発光して明るさを保っていたが、いつ夜になるかも知れない。
そもそも朝とか夜とかがあるのかも怪しいが、暗くなる前に身の安全を確保できる場所をみつけるべきだろう。

黒の獣は、まだ遠くでこちらを見ていた。最悪なことに、どれだけ歩いても距離が拡がることはなかった。
ピタリと併走してきているのだ。正確に、付かず離れずの距離を保ちながら。

『箒』を持ってこなかったことを後悔するのに一刻とかからなかった。
歩けども歩けども行先は荒野と低い空。本でも読みながら歩いたって転びもしないだろう。
水も糧食も圧縮術式で山ほどもって来たが、常に口の中は乾いている気がした。

変わらない景色に身体よりも精神のほうが先に参ってしまいそうになる頃、ようやく辟易する景色に変化が兆す。
地平線の向こうに背の低い建造物が見えた。それも一つではなく、群れをなして存在している。

村だ。
セシリアは無意識のうちに駆け出していた。初めこそ蜃気楼を疑ったが、薄ら寒い気候がそれを否定してくれる。
後ろでは黒の獣も同じように駆けていたが、既にその存在は彼女の脳裏から追いやられていた。

一刻二刻と走ったり歩いたりを繰り返して、ようやく村へとたどり着いた。
人の気配のない、閑散とした寒村だったが、村を築けるということは荒野よりかは安全な場所であるはずだ。
『今安全かどうか』を問われればセシリアとて首を振らざるを得ないが、12才の彼女にとって変化のない景色は多大なストレスだったのだ。

あまり大きくない村の隅から隅まで、知識欲が満足するまで調べつくしたところ、喜ばしい発見が一つあった。

人がいたのだ。
村の中央に建つ一軒家で、老人が一人暮らしていた。
他の家は全て空き家で、放棄されてから相当な年月が経っていることを窺わせた。

「こんにちは」

老人はセシリアの顔を認めると、『あまりにも平然と』彼女を迎え入れた。
どこから来たのかとか、どうしてここにいるのかとか、まず出てくるべき疑問の全てを放棄して、ただセシリアを迎えた。

逆にセシリアは老人を質問攻めにした。
回答を統合すると、やはりここは地獄で、老人は大昔に地獄へ取り残された人類の子孫ということだった。

「どうして瘴気の中で生きられるのですか」

「生きられる者だけが生き残ったんだ」

瘴気への耐性を持たぬ者は淘汰されるか、瘴気の薄い土地へと移っていった。
この村も以前は瘴気に侵されていなかったが、今はご覧の通り。老人が一人だけで、他の村民は瘴気に追われて出て行ったのだと。

「魔物は入って来ないですか?あの黒い不気味な獣とか……」

「獣?」

「荒野にいたんです。痩せこけて、目玉の飛び出た、人間の歯を持つ獣」

老人は暫くセシリアの述べた特徴を反芻すると、ようやく合点がいったという顔で、

「この世界は現世と因果律が異なる。瘴気がそうさせているのかは知らないが、地獄では眼に見えない概念が具体化するんだ。
 しばしば獣や鳥の姿をとったりするが――現世でも神の使いとして獣が出てくる神話があるだろう」

250 名前: ◆N/wTSkX0q6 [sage] 投稿日:2010/09/29(水) 02:51:15 0
「それじゃ、あの獣は何の概念が形を持ったものなんです」

「あれは――君に訪れる『死』の具体化だ。獣との距離は死との距離に等しい。遠くにいるうちはいいが、注意することだ」

泊まるあてがないならここに宿を用意しよう。
老人はそう言って、セシリアに寝具のある客間を割り当てた。

「夜が来る前に、面白いものを見せてやろう」

老人が誘ったのは村の端にある谷の上だった。谷は広く、そして大気が澄んでいる。吹き抜ける風が瘴気を払うのだと老人が説明した。
そして谷底にはもう一つ、建造物の群れがあった。先程の村とは比べ物にならない規模の巨大な街。そして行き交う人々が小さく見える。

「瘴気に追われた連中だ。この谷に瘴気が溜まらないことを発見し、新たに街を作っているんだ。もうすぐ完成する。
 この谷なら作物も育つし、天然の要塞は魔物をも阻む。優秀な指導者がいてな。彼を王に据えた国が出来るのも夢じゃない」

老人が一人で村に残っているのは、他の村から地獄を旅してきた者をここに迎え入れる関所の役目を果たす為だ。
瘴気に耐性を持つ老人がその役を買い、街から作物を貰ってここで生活しているのだった。

「現世に帰りたいとは思わないんですか?」

「全員が残らず帰ることができるならそうしたいがな。我々はもう家族と故郷を持ってしまった。この『王国』に」

空を覆っていた薄雲が光を放つのを止めて、夜が来た。
割り当てられた客間の寝具は寝心地こそ悪かったが、歩き通しの疲れもあってセシリアは深く昏睡した。

翌朝、薄雲が再び発し始めた光でセシリアは目覚めた。
軽くストレッチして、バックパックから水を出して洗顔。軽く朝食を摂ると、調査を再開すべく部屋を出た。
老人は朝からどこかへ出かけたのか家にはいなかった。街の方に行ったのかと戸口から顔を出すと、

黒の獣と目が合った。
セシリアの目の前に、正しく鼻先に立っていた。
濃厚な死臭に、彼女は思わずえずきながら後ずさる。

(『死』……!こんな近くまで、そんな、わたし、死んじゃうの……?)

獣の大きな瞳の中で絶望に染まりゆく自分の顔が映る。
人間の歯を剥き出しにした、見るだけで鳥肌が立つ笑顔を獣は静かに見せる。

ゆっくりと近付いて来た。

足が動かない。腰が抜けている。情けないと思うよりも、絶望感と焦燥感が勝る。
あのときすぐに帰っておけばよかった。どこで間違ったのか。死に近づくような真似をした覚えがあったか。

獣がギョロリと目を回した。死臭が色濃くなり、瞳に写りこんだセシリアの泣きそうな顔が一層歪む。
瞳の中の自分と目が合った。小さなセシリアは、怯えきった目でこちらに縋るように視線を送る。

(え……)

その頭の上に、鋭利な刃物が映っていた。
判断は一瞬。両手で床を叩き、どうにか身体を反転させる。数瞬前まで彼女の頭があった場所を、重い一撃が穿った。
凶器は爪。そしてそれを振るったのは、いつの間にか家の中に入り込んでいた剛力種によく似た魔物。

振り向けば、黒の獣が30歩ほど遠くにいた。離れたのだ。

(『死』の獣……さっきまで近かったのは魔物に殺されそうになってたから?)

死が近づけば近づくほど獣との距離も近くなる。
逆説、健康体なのに獣が近寄るということは別の死因がどこかにあるということなのだ。

(――そう、丁度今魔物に襲撃されたように!)

251 名前: ◆N/wTSkX0q6 [sage] 投稿日:2010/09/29(水) 02:56:55 0
魔物は再び剛腕を振るい、セシリア目がけて思い切り薙ぎ払った。
バックステップで躱す。代わりに家の柱が粉砕された。戦闘能力を持たないセシリアにとって一撃でも喰らえば即死である。
即刻逃げ出した。最早なりふり構っていられない。転移の簡易術式は既に組んであったが、それより先にすべきことがある。

(『王国』の人たちに伝えなきゃ……魔物が来たって!)

村の中を駆ける。魔物が追ってくるのを感じながら、セシリアは全速力で走った。
そう広くない村の中を縦断し、谷の入り口に辿り着く。谷底へ降りるには迂回しなければならないが、そんな余裕はない。

だから跳んだ。

空中へ踏み出すと同時、飛翔術を小規模に展開。怪我するギリギリの速度を保ちながら谷底へ落下する。
半里はあろうかという深さを十数秒で下りきると、綺麗に着地して思い切り息を吸った。
魔物が来たから避難しろ、迎え撃て、そんな言葉を叫ぼうと思って、しかし喉で止まる。

誰もいない。
早朝だからではない。そもそもこの谷底の街には、人の息吹と言うか、生活感というものが微塵も漂っていなかった。
傍の一軒家の戸を開ける。鍵がかかっていない。中を覗き込むと、埃だらけの居間で、何かが散らばっていた。

人の骨だった。
一世帯分が襤褸切れになった絨毯の上に並んでいた。

「そ、んな……昨日は確かに、人が作業していたのに。人が動いているのをこの目で見たのに!」

頭のどこかで、何かが繋がった感触があった。
家を出て、昨日老人が建造途中だと言っていた一画を見る。
端折れた木材が、積み上げられた石が、打ちっぱなしの煉瓦が、作業途中のまま風化していた。もう何十年も触った形跡がなかった。

「ああ、あああ……」

何故あの老人には『死』の獣が見えていなかったのか。
あの老人は、食事すら採っていなかった。セシリアを泊めている間も一切何も口にしていなかった。
そして何より彼はセシリアについて深く追求せず、ただ街を見せただけで踏み込んでこなかった。

『この世界では、眼に見えないものも見えるようになる』

この街は、街全体が瘴気に土地を追われた者達の『希望』が具体化したものなのだ。
所詮は『よくできた幻』でしかないのに、人々は希望に縋りつくが故にここに安住を決め、そして瘴気に侵され死んでいった。

人々が夢に見た街は、理想の王国は、もう何十年何百年もの間――おそらくは永遠に、完成しない。
未完成のまま、死に絶えた者達の亡骸を抱えて時を経つづけるのだ。

あの老人はかつて人々がここに遺した最後の知識と、セシリアの知識欲とが合わさって生まれた都合の良い案内人。
そして誰かが願った『忘れ去られたくない』という想いが形をとったものなのだろう。

酷い世界だと思った。
垣間見た希望を叶える幻を見せて、ゆっくりと殺していく捕食の摂理。
意地の悪いシステムを、一体誰が作ったのだろうか。アルテミシアか?一体なんの為に。

きっとそれは、力ある魔族を適当に満足させて大人しくさせるための苦肉の策なのだろう。
降魔術という外法が流行るように、もしかしたら現世の人間にも、幸福な幻を見たまま死にゆくことを望む者がいるのかもしれない。


後に帰還したセシリア=エクステリアが管理局に提出した報告書は、冒頭に一文が添えてあった。


――『未完の王国にて』