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カナンの地というのは、いわゆるユダヤ人の約束の地です。
神がユダヤ人に与えると契約し、出エジプト後ユダヤ人が武力で奪い取った地です。
ダビデ王が建国し、ソロモン王の栄華があったとされる地です。
古代イスラエル王国はその後分裂し、アッシリア、バビロニアに相次いで滅ぼされ、住民はバビロン捕囚として連れ去られたといいます。
その後、解放されたユダヤ人が戻ってきたときには、すっかり荒れ果ててしまっていたことが旧約聖書に書かれています。
従来、ここは現在のイスラエルがあるパレスチナの地であると考えられてきました。
ところが、最近の考古学成果によると、上記のような事跡を証明する遺跡は全く出てこないようです。
『ユダヤ人の起源』では、上記の話は後世の文学的想像であろうとあっさり切り捨てています。
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『聖書アラビア起源説』ではこれに対し、旧約聖書の物語の舞台はパレスチナではなくアラビア半島西部のアシール地方だったことを主張します。
アシール地方というのは、紅海に面し、メッカよりは南寄り、イエメンの北側になります。
古代この地は貿易通商路にあり栄えたが、情勢の変化で交易路から外れ見る影もなく衰亡してしまった。
ユダヤ人はバビロン捕囚の後、一度はこの地に戻ったが、復興を諦め去っていった。
やがてかつての植民地と思われるパレスチナの地に集まり、ユダヤ王国を築くに至るが、聖書に記述のないこの間の事情は忘れてしまい、ここがかつての王国の故地であると信じるようになってしまった。
というのが、主な主張です。
膨大な論証があり、近年考古学成果も多くあるようです。
欧米でもミリオンセラーになったようです。
私もこの本の主張は正しいように思いますが、であるならば、現在のイスラエル建国は「神の約束の地」に帰ることを目指したものであったので、実はその地を取り違えていたという話になってしまい、政治的に問題がありすぎます。
それはさておき、アシール地方がイスラム教の発祥地メッカに隣接するのが、興味深く思えます。
イスラム教がユダヤ教から分岐したことは著名なことですが、なぜあの地でそれが行われたのかという疑問はありました。
この説に従えば、まさにユダヤ教の故地の近傍に当たるわけで、古来の伝統が濃厚に伝わっていて何の不思議もありません。
当時のユダヤ教よりも、またその分岐のキリスト教よりも、マホメットは自分の信仰が正統である自信があったのではないでしょうか。
また、『ユダヤ人の起源』では、イエメンの地にローマ時代後期に存在したユダヤ教王国についての言及があります。
これも、一見妙な感じがしますが、アシール地方がユダヤ人の故地であるのならば、イエメンでもその影響が強く残っていて当然です。
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さらにもう一点、明らかに飛躍しすぎとは思うのですが、どうしても気になる事実があります。
エホバは元来アシール地方の火山神と目されています。
アシール地方の紅海を挟んだ対岸は、エレイン・モーガンのアクア説(『人は海辺で進化した』)によると、まさに人類発祥の地に当たります。
アフリカとアラビア半島から地殻変動で切り離された孤島(やがて干上がってアフリカの一部になる)で、人類は猿から進化したという説ですが、そこでの旺盛な火山活動に関しても言及があります。
年代的には膨大な隔たりがあるのですが、人類の古い記憶が発祥の地の近くにはなんらかの形で伝承されてきたのではないか。
これは、私の妄想でしかないと思います。
でもどうしても、自分の中で否定しきれないのです。
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