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ユダヤ教は、「選ばれた民」ユダヤ人の民族宗教であると、普通には思われているようです。
ユダヤ人は血統を重視し、外部にほとんど布教することをしません。
でも、有史以来そうであったかというと、実はそういうわけでもありません。


ローマ帝国時代にはユダヤ教コミュニティが各地に見られ、この多くはユダヤ人以外の改宗者と目されています。
初期キリスト教が発展する上での母体ともなりました。
キリスト教が覇権を取って以後は、ユダヤ教は布教を禁じられてしまうのですが、それ以前や、キリスト教覇権の外部では、結構普遍宗教として拡大をしていたようです。

『ユダヤ教の起源』では、3つの大きな例が挙げられています。
ローマ帝国時代後期のイエメンのユダヤ教国家。
北アフリカのベルベル人の改宗。
中央アジアのハザール帝国。

ベルベル人の改宗者は、イスラムがイベリア半島に攻め込んだときについて行き、スペイン系のユダヤ人の祖になったようです。
この系統は、レコンキスタ後ネーデルラントやイングランドに渡り、資本主義の発達に大きな影響を与えました。


ハザールは、遊牧民が黒海からカスピ海の北方にかけて作った帝国で、イスラム帝国、ビザンツ(東ローマ)帝国に隣接し、イスラム教・キリスト教の影響から逃れるためにユダヤ教に改宗したとされています。
ハザール滅亡後、この系統はロシア・東欧からドイツに移住し、現在のユダヤ人の90%を占めるといわれています。
(アーサー・ケストラーの『ユダヤ人とは誰か』に詳しい。)

こうした人々にとっては、現在のイスラエル建国は、父祖の地でも何でもないわけで、正統的な根拠がここでも揺らいできます。

逆に、ローマ時代のユダヤ国家滅亡後、ユダヤ民衆の大半は現地に残り、イスラム時代にそこに同化していったとも考えられます。
イスラエル建国でパレスチナから追い出された人々は、実は正当なユダヤ人の子孫なのかも知れません。

それはさておき、ユダヤ人の活動の後を追いかけていくと、ローマ帝国領のみならず、バビロン捕囚以降もバビロンの地に一大中心地を保ち(タルムードの編纂はここで行われた)、中央アジアから中国、インドまで足跡を伸ばしています。
商業民族の面目躍如というところでしょうか。

というか、西方でキリスト教に取って代わられ、東方でイスラム教に取って代わられてしまったけれど、それ以前は唯一の一神教として普遍宗教として成功しかけていたのではないでしょうか。

日本の古代豪族秦氏はユダヤ人で、神道の成立期に大きな影響を与えた(鳥居や御輿など)という説がありますが、世界的なユダヤ人の足跡の広がりを考えると、あながちあり得ないことではないでしょう。

かつてのユダヤ人は世界の東西にまたがり広範に活動したのですが、東方ではイスラム商人に完全に取って代わられたようです。
西方ではキリスト教に迫害されながらも、世界の裏面史で活躍を続けます。

現在のインターナショナリズムやグローバリズムの思想には、有形無形にユダヤ人の影響が色濃く入っているようです。

現在のユダヤ教の民族宗教としての外貌は、普遍成分を別の思想潮流に委ねてしまった後のだしがらなのかも知れません。




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