余つたを不足へ足して人は出来
誹風柳多留百二篇・28
古事記の国産みのパロディとも言うべき句。
伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の二柱の神は、淤能碁呂島(オノコロジマ、もしくはオノゴロジマ)に降り立ち国造りを始めるのだが、その時にこんなやり取りをしている。
「汝が身は如何に成れる。」とのりたまへば、答へて曰りたまひけらく、「吾が身は成り成りて、成り合はざる処一処あり。」とまをしたまひき。爾、伊邪那岐命、詔りたまひけらく、「我が身は成り成りて成り余れる処一処あり。故、此の吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を生みなさむと為ふは奈何。」
と、まあ神々しい国産みのシーンなのだけど、これを人の営みに当てはめてしまうと一気に下品になり下がってしまう落差が可笑しい。
最終更新:2010年12月23日 23:45