来歴


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目次



幼少期

  • 子役活動をする前はお花屋さんになることが夢だった。母親の気まぐれで小学校1年生(7歳)の時から学校と両立で子役活動をすることになる。人がものづくりに徹している姿勢をまじかで見た結果、本気で女優になりたいと思う気持ちより、照明・音声等の裏方の仕事に回ってみたいと思い始める。この頃は女優というよりは芸能界に興味をもっていた。
  • 小学校のときは手話クラブに入ったり、老人介護施設に行って歌ったりするなどボランティア活動をしていた。
  • 子役デビュー作はドラマ『ひよこたちの天使』。注射をされるシーンがあったが、ほぼまるまるカットされるという苦いデビューでもある。
  • 小学校3年生の時のドラマ『D×D』では、仲間由紀恵の幼少時代の役をする。その撮影で気温14度の山梨の山中湖に飛び込むシーンをやったが、あらかじめ「お母さんはこの現場を見ないでください」といわれており親は離されていた。後で保険金も掛けられていたことを知る。しかし、大島は撮影が好きだったため辛さは感じていなかった。
  • 小学校中学年ぐらいのとき、テレビバラエティ『嗚呼!バラ色の珍生!!』。通称『バラ珍』の再現VTRに度々出演。
    「いじめられっこの役が多かった。いじめられっこのイメージって暗くて大人しいから、セリフも少ないんです。悲しい顔や、思い詰める表情とか表現力が要るんですよ。今思えば、あのお仕事で演技力が身に付いたんだなって。私のお芝居の原点は間違いなく『バラ珍』ですね」(オトナファミ 2011年9月号)
  • 小学校6年生の時に栃木に引っ越す。その直後に両親が離婚し、以来父子家庭で育つ。離婚当初は「お母さんは逃げた」と思っており、そういうふうに思っている自分も嫌だった。引っ越してすぐの離婚だったため相談できる友達もそばにおらず、初めて生理が来たときどうしようか悩んだが、親子関係が良くなるかもしれないと思い、思い切って父親に打ち明ける。結果、父親がパニックになり「おばあちゃん!おばあちゃん!」と祖母に助けを求め、祖母にあれこれやってもらった。それがきっかけで父親には何でも話せるようになった。今では父親が一番のファン(しかし推しは結構変わっているらしい)。

Doll's Vox(ジュニアアイドル)・高校生時代

  • 仕事も増えずなにより、栃木の高校を通いながら東京にも通っていたため、金銭的にも無理があると子供ながらに思い、高校に入った時に芸能活動を辞めようと思っていた。高校2年生の時に学校の先生から進路を考えなくてはいけないと言われ、小学校からやっていた手話を活かして手話通訳士になるため、社会福祉系の学校に進もうとも考える。
  • 高校1年生の時、フジテレビの『SDM発i』という番組のタカミープロジェクト「Doll's Vox」に参加。これはTHE ALFEEの高見沢俊彦がプロデューサーとなり、新時代のアイドルユニット結成を目指すプロジェクトで、コンセプトは「業界初、50人組のアイドルオーケストラ」。その後プロジェクトはCSの『CS発!美少女箱』に移動し、メンバー25人で2005年にCD「夢見るオモチャ箱〜恋するdancing Doll」をリリースしたが、それを最後に活動は終了。「これは期待のグループだ!」と本人は思っていただけに、活動が終了したときは相当に気オチした。所属事務所も活動終了と同時に辞めるが、事務所の人に「AKB48のオーディションがあるよ。辞めちゃうのはもったいないから受けてみたら」と言われた。どうしても捨て切れなかった部分が残っていたため、これが本当に最後のチャンスだと思いアイドルグループAKB48の2期オーディションを受け、2006年2月26日、『第二期AKB48追加メンバーオーディション』に合格した。(応募者1万1千892名)

AKB48時代

2006年(初代チームK)

  • 急遽「東京でレッスンだ!」と言われ、受かった3日目後ぐらいから毎日のように一カ月間ずっと、学校が終わり、夕方にレッスンのために東京に行き、夜間にまた栃木に戻るという生活をくり返していた。夜10時過ぎになると終電がないため、レッスンが終わってからは、ダッシュで駅まで走るのは毎度のこと。駅からの送迎や弁当作りは父親によるものであった。くり返すうちに夢中になっていった大島はまた芸能界で生きていきたいと思うようになる。
  • チームKはかなりの体育会系であり、最初の一カ月のレッスンは特にバトル感が高まっていた。とにかくライバルであまり口も聞かなかった。前にでなきゃいけない、振りも覚えたもん勝ち、とりあえずできることをやったもん勝ち、みたいなのがみんな空気で分かるほどピリピリした状況だった。AKBの振付を担当していた、夏まゆみからは「Kチームはまとまりがない。Aチームに負けない気持ちでやっていかなきゃ」と言われ、さらにスタッフからは「Aチームがいるから、おまえたちはいらない存在なんだよ」と言われていた。
  • この頃の大島は、真面目な優等生キャラだった。秋元康からは「お前、つまらない」「お前のその真面目なキャラどうにかしろ。」「もっと、くだけていいんだ」と言われていた。特に2期生は個性派ぞろいであったため余計に目立たなかった。子役時代から、2番目が定位置だった大島。オーディションでは、大勢の中から数名選ばれる時は合格できるのに、徐々に絞られる時は、最終選考で悔しい思いを何度もしてきた。そしてAKB48でも、優等生であるがゆえの苦悩があった。
  • 当時、スタッフからは「芸能活動が長いから、もう伸びないだろう。だから他の子に注目していく」と言われていた。AKBはコンセプトの1つに、成長の過程を見せるというのがあるが、大島はすでに伸びしろはないと思われていた。それが凄く悔しかった。
  • 劇場初公演の前日、小野恵令奈奥真奈美が歌詞カードにらくがきをしていた。それを秋元才加が怒ったが、当時、10歳の奥と12歳の小野にはきつい言い方だったためか二人して大泣きしはじめた。その現場をみた大堀恵が秋元を怒り、胸ぐらをつかむまでの喧嘩に発展。終いには秋元も泣きだした。
  • 4月1日、2期生で結成されたチームKのメンバーとして劇場初公演をおこなう。それまでにステージ経験はあったが、それほど人前で歌うことはなかったため、緊張で顔が引きつっていた。ステージ上は、すべてが真っ白な世界で、アッという間に終わった。でも自分では出し切れたと納得したわけではないが「こんなに楽しいんだ」と素直に感じた。初日こそ満員となったが、3日目には入場者が半減した。2軍といわれ、チームAと比較される日々でチームKのメンバーは、どうすれば良いかみんなで毎回話し合うようになった。「Kにしか見せられないことをやろう」、「振り付けは大きく全力投球」、「ステージに感謝しよう」、「死ぬ気で踊る」。夏まゆみから言われたこと、皆で決めたことをボードに書いた。食事もなかば強制的に一緒に円になって食べるようにした。言いたいことがあったら喧嘩になってもいいからぶつかりあった。チームKがチームAに唯一勝てること、それはチームワークだった。
  • 公演の前に夏まゆみから、メンバー全員にコメントが書かれた本を貰う。大島には「いつか本物になってください」とコメントされていた。最初は意味が分からなかったが、スタッフの話などを聞いていくうちに、自分の実力が認められてセンターを任されたのではなく、「伸びないだろう」とは言われつつも、芸能界での経験があるからという理由でチームKのセンターを任されていたのだと知る。大島がセンターだったのは、事実上スタッフから支持されていたからという訳ではなかった。「作られていた、立てられていた。立てられていたじゃなくて、自分で立つ。それが本物になるってことなんだ」そう気づいた時、もっともっとチームKの一員として、大島優子というポジションを確立しなきゃいけないと強く思うようになる。
  • チームKの1st公演<PARTYが始まるよ>はチームAの1st公演のリバイバルで、演目が同じであった。チームAで「スカート、ひらり」を歌っていたメンバー(高橋みなみ前田敦子小嶋陽菜大島麻衣、成田梨紗)は周りからみとめられていたメンバーたちだったため、チームKで「スカート、ひらり」をやる時には「そこに自分も入りたい!」と思っていた。そんな時、ペアでダンスレッスンをする機会があり、ダンスができる子と一緒になる様に努力した。そのダンスができる子が梅田彩佳であり、兎に角必死だった大島は、梅田のダンス技術を盗んでやろうと頑張った。そのかいあってか念願の「スカート、ひらり」というユニット曲の5人(秋元才加、梅田彩佳、大島優子小林香菜宮澤佐江)に選ばれた。あまりにも嬉しかった大島は凄い喜んで親に連絡をした。その後、梅田とは一時期一緒に住んでいた事もある。
  • 5月4日、初日のお試し満員ではなく、チームKの力で初めて劇場の席が満員になった。
  • 5月25日、板野友美のアンダーとして、チームAの公演に出演。チームAの楽屋にいる時は、何を話していいのか分からず借りてきた猫状態だった。KのメンバーがAの公演に出演したのは初。
  • 10月25日、AKB48メジャーデビュー・シングル「会いたかった」の選抜に選ばれる。そのころの選抜メンバーは全員の前で発表されており、選ばれた時はすごく嬉しいが、選ばれていないメンバーもその場にいたので、まだ自分の心の中にとっておいて別室に行ってから喜び合うようにしていた。
  • 2nd公演<青春ガールズ>(7月~11月)では、チームAのリバイバルではない、チームKのオリジナル曲をもらう。チームKのための新しい曲、新しい振り付け、メンバーみんなが一喜一憂し、結束力は高まった。・・・と思われていたが、大島だけはまだメンバーを完全に信用してはいなかった。女の子の社会、集団を怖いものだという先入観があり、なにより子役で1人でやってきたことで他のメンバーより芸歴が長いためか「自分の隙を見せないように、いつ足を引っ掛けられるかわからない。」という気持ちが強かったからだ。
  • ある日の話し合いでは「私、みんなのこと信用してないから」とぼそっと言ってしまったことがあった。その発言のあとシーンっとなり「え?仲間・・・・・・じゃないの!?」っとメンバーに言われ気まずい空気になったことがある。
  • 11月4日、ファーストコンサート終了後に1期生と2期生のシャフルされた「ばら組」、「ゆり組」で公演をすることを発表。大島はゆり組であったがこの公演はなくなった。

2007年(初代チームK)

  • AKBに入った当初は歌とダンス、MCの方に一生懸命になっていたが、3rdシングル「軽蔑していた愛情」のPV撮影で、久しぶりに演技をする事になる。このPVでは屋上から飛び降りる直前で踏みとどまって、泣き崩れてしまう役を担当。最初は全く泣くことができなかったが、高橋栄樹監督に「悲しいことを思い浮かべろ」とアドバイスをうけ、AKBではなく個人的に悲しいこと、辛かったことを思い出して、そういう辛いことがあるから、私はいま自殺しようとしているんだっていう思いに繋げて演技をした。この役で本気で女優になろうと決意する。
    後に高橋栄樹監督はインタビューでこう語った。「軽蔑していた愛情」のセンターは高橋みなみさんなんですけど、MVの主役は大島優子さんなんですよね。秋元康さんからも「歌のメインはいるけれども、ドラマは撮影してみて良かったかものから選んでもらっていい」と言われていたので、とにかく画面から来るオーラのようなもので選んでいったんです。それが大島さんだった。(1)
  • 3rd公演<脳内パラダイス>(2006年12月~2007年6月)では、「泣きながら微笑んで」というソロ曲を歌う(AKB48の公演曲で初めてのソロ曲)。秋元康からは「これは大島のために作って、歌詞を書いたお前にプレゼントする曲なんだよ」と言われたが、そのありがたみも歌っている当初はわからなかった。それほどプレッシャーの方が強く押しつぶされそうだった。さらにショックだったのは、「泣きながら微笑んで」を歌う時になると寝ているお客がいたことである。元々歌に自信がなかったこともあり、公演はずっと毎日のように泣いていた。どういう気持ちで歌えばいいか分からない、アイドルをしながら女優を志すなんて無理。悩んだ大島はそのことを秋元康に相談する。秋元からは、「お前は女優になりたいんだろ?だったら、女優としてアイドルを演じてるつもりでやれ」と言われた。また、この時のメンバーの支えは大きく、「大丈夫だよ」と励ましてくれていた。「泣きながら微笑んで」のアンダーである増田有華は、舞台袖で出番前に大島の手を握り締めながら歌ってくれ、その音程を確認してから毎回ステージに出るようになった。公演が終盤になるにつれ、信用していなかったメンバーはいつしか「切っても切れない縁、家族のようなもの」に変わっていた。有華との練習、メンバーの支えもあり、だんだん寝る人が少なくなり、最後には誰も寝なくなった。
  • 3月、高校を卒業し、東京で一人暮らしをはじめる。また母親とは高校生の時に再会しており、高校を卒業して1人暮らしをするようになってからはメールをしたり、会ったりする機会も増えた。今では母親を尊敬している。母には「絶対に天狗になるな。いつも謙虚でいなさい。」と常々言われている。
  • 1月14日、アニメOVAシリーズ『ICE-アイス-』のアフレコが都内のスタジオで行われた。大島にとってこれが声優初挑戦
    「初挑戦ということで、最初はドキマギして何をどう手をつけていいか全然分からない状態でしたが、いろいろ教えていただきました。やってみるとすごく楽しいので、みんなで楽しんでやっています。“リンネ”はサバサバしている男っぽい性格なので、そういう部分が自分と似ていると感じました。「ICE」は、今までに見たことのないような物語になっています。女の戦いが多そうな内容になっていて楽しみです。」(1)
  • 2007年7月~2008年4月、「ばら組」、「ゆり組」公演はなくなったが、今度は1期生と2期生がシャフルされた「ひまわり組」公演が行われることになる。
  • 7月、前田敦子、小野恵令奈とともに、太田プロダクションに移籍。
  • 12月31日、『第58回NHK紅白歌合戦』に初出場。1グループでの紅白出場としては当時最多となる43人が出演。

2008年(初代チームK)

  • 1月21日~24日、SHIBUYA-AXで『リクエストアワーセットリストベスト100 2008』が開催。大島のソロ曲である「泣きながら微笑んで」が11位でソロ曲1位となった。
  • 4月5日、ラジオ「AKB48 今夜は帰らない…」の3代目パーソナリティに就任。梅田彩佳、戸島花と共にMCを務める。
  • 10月、10thシングル「大声ダイヤモンド」が発売。急に入ってきたSKE48の松井珠理奈がセンターになり、正直「コイツはなんだ!?」と思った。大島は選抜メンバーの20名には選ばれたが、フロントメンバーからは外された。同期の秋元才加も同時にフロントから外され、2人で「とうとう来たよ、世代交代!」と話していた。しかし、ここで負けてはいられないと思い、どんなに端にいようが、狂ったように踊ってやるぞと逆に松井の存在が大島に火をつけた。
  • 11月28日、夜までは通常通り仕事をこなしていたが、就寝後に下腹部に激痛を覚え、29日の朝に自力で病院へ直行。そこで急性虫垂炎と診断され即入院し、手術を受けた。術前は痛みで言葉も発せない状態だった。

2009年(初代チームK)

  • 週刊AKBの特典DVDの質問で、「AKBの中ではパフォーマーとしては絶対に負けません。」と答えている。キャッチフレーズも以前は「変幻自在のパフォーマー」を名乗るほどパフォーマンスには自信があった。しかし、AKB48のコンサートでは毎回1人のMVPが選ばれているが、これまで大島がMVPとして表彰されることはなかった。大島がMVPになれない理由について秋元康は「大島は個人競技では1位。ある種完璧でもある。でも完璧であるが故に、なかなか評価に繋がらない。わざわざMVPをあげる必要がない」とした。
  • 1月18日~21日、SHIBUYA-AXで『リクエストアワーセットリストベスト100 2009』が開催。大島のソロ曲である「泣きながら微笑んで」が22位で昨年に引き続きソロ曲1位で2連覇達成。
  • 1月31日、AKB48とアイドリング!!!のコラボユニット「AKBアイドリング!!!」を結成。
  • AKBの公演が激しくなり、そのせいもあってどんどん声が枯れていった。4月11日の『AKB48 チームK 5th Stage「逆上がり」』公演の初日に喉の手術をすることを発表。手術の前日はチームKの劇場公演のことばかりを考えていた。13日に手術を終え、20日に退院。ハスキーな声が良いと言われていたりもしたため、手術後の違った声で離れていくファンの人もいるかもしれないと不安でしょうがなかったが、前は出なかった高音が出るようになり手術して本当に良かったと思っている。25日・26日にNHKホールで開催されたコンサート『「神公演予定」* 諸般の事情により、神公演にならない場合もありますので、ご了承ください。』に、MCのみではあるが手術後初めて公の場に姿を見せた。この公演で同期の早野薫が卒業するにあたり、公演に来られなかった梅田彩佳のぶんまで泣きながらも卒業を祝った。
  • 6、7月、『AKB48 13thシングル 選抜総選挙』が開催。
  • 8月22・23日、日本武道館2DAYSコンサート『AKB104選抜メンバー組閣祭り』で組閣(チームシャッフル)を発表。
  • 9月15日、Amebaにて大島優子オフィシャルブログ「ゆうらり ゆうこ」を開設。同じ事務所の前田敦子、小野恵令奈は既にブログをやっていたため、大島は何故ブログをやらないのかという質問も多かった。ブログを続けられる自信がなかったが、「もっと多くの人に私のことを知って欲しい」という気持ちから、2人に遅れての開設となった。

2010年(初代チームK~秋元チームK)

  • 1月21日~24日、SHIBUYA-AXで『リクエストアワーセットリストベスト100 2010』が開催。対象楽曲はAKB48・SKE48・SDN48関連の全255曲。大島のソロ曲である「泣きながら微笑んで」が11位で昨年に引き続きソロ曲1位で3連覇達成。
  • 2月21日、チームK 5th Stage「逆上がり」公演の千秋楽で旧チームKが解散。さらにこの千秋楽では、一番の親友である野呂佳代が卒業することになる。
  • 3月12日、チームK 6th Stage「RESET」から新チームKが始動。新チームから秋元才加がリーダーに就任。(旧チームにはリーダーはいなかった)
  • 3月25日、『AKB48 17thシングル 選抜総選挙』の開催が発表。
  • 5月25日、K6th「RESET」公演のアンコールでは、メンバー1人が公演の感想を語るコーナーがあり、キャプテン秋元がこの日に指名したのは内田眞由美だった。その内田は、センターに立つ大島優子を見ながら「今日の公演をやって、今までよりも自分らしさを出せていると思ったんですよ。だから、私も、やっぱりセンターに立ちたいと思うんだ。逆転したいんだ!ということで、これから"逆転眞由美様"(ユニット曲「逆転王子様」のパロ)ということで、がんばりたいと思います」と発言。チームK公演でセンターを務めている大島優子に向けて、下克上とも言える発言だった。その発言に対して大島は、「なんやとー!?!?!?負けへんで私かて、譲らないんだから。戦争勃発間近!・・・とは言うものの、こおゆう意識ってすっごい大切だよね。それぞれに与えられたポジションはあれど、意気込み、魅せ方の違いで、今後変わることだってあるだろうし。私たちは、ただの仲良しグループじゃない。お互いをライバルだ、と認識して切磋琢磨することが、このグループを強くさせる要素ですよね。久々にピリリと来たぜ!!!!!!!!うっちー、お主やりおるなー」とコメント。この日は「AKB48 17thシングル 選抜総選挙」が開催される日でもあった。
  • 5月25日、『AKB48 17thシングル 選抜総選挙』が開催。6月9日、順位発表。そこで大島は1位になった。その夜、大島は父親に短いメールを送る。「初めて1位になれました。やっと誇れる娘になれたかな・・・・・・」。そのメールに対して、「今までも十分、誇れる娘だよ」。そう呟きながら、父は栃木で泣いたという。
  • 5月、「チームドラゴン from AKB48」を結成。監督はマイケル・アリアス。PV撮影の時、マイケル監督に「大島さんは、一番運動神経が良いってことでひとつチャレンジしてもらいます」と言われ、挑戦したのがワイヤーアクションでの宙返り。ワイヤーアクション自体が初めてなのに宙返りなんて出来るのかと思ったが、実際やってみたら楽しめて、ワイヤーアクションの指導者からは「素質あるよ」と言われた。
  • 9月21日、『AKB48 19thシングル 選抜じゃんけん大会』が開催。大島は一回戦で敗退。AKBに入って初めて選抜から外れることになった。このじゃんけん選抜でセンターになったのは、大島にセンターになると宣戦布告した内田眞由美だった。その内田に向けて「私にセンター取るって言って有限実行出来たじゃん」っと労うコメントを残した。
  • 10月7日、親知らずによる歯ぐきの炎症で急遽公演を休む。
  • 10月9日、10日、葛西臨海公園で行われたライブイベント『AKB48 東京秋祭り』を開催。1日目(9日)の「ゆるゆるカラオケ大会」で小嶋陽菜とデュエットでメロディーズを歌う。まだ頬が腫れた状態であったが、1曲だけでもと思い急遽参加した。

2011年(秋元チームK)

  • 1月20日~23日、SHIBUYA-AXで『リクエストアワーセットリストベスト100 2011』が開催。対象楽曲は、AKB48・SKE48・SDN48関連の全384曲と昨年よりも129曲多い。「泣きながら微笑んで」が自身最高の8位で昨年に引き続きソロ曲1位で4連覇達成。初センターを務めた「ヘビーローテーション」も1位となり2冠達成。ブログでは「初めてセンターになれた曲が、一位になったってゆうのは、すごく嬉しかったです(´;_;`)優子がセンターだからって選んだわけじゃないしって思ってる人だっているだろうけど。すいません、喜ばせてください(´TдT`)」とコメントした。ソロ曲1位、初センター曲も全体で1位、それでも大島がMVPに選ばれることはなかった。1日目の公演アンコールで、「チームZ」結成を発表。「恋のお縄」を初披露した。また、2日目の公演アンコールでは、北原里英指原莉乃横山由依とユニット「Not yet」結成を発表。
  • 2月16日、ドキュメンタリー映画「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る」の大ヒット御礼舞台あいさつに登場した。大島は、選抜総選挙後の舞台裏で号泣するシーンについて問われると「舞台裏で足の小指を壁にぶつけて痛かったときの様子ですね」と弁解。「どういう気持ちだったかは察していただきたい」と照れながら話したが、篠田は「悔しい気持ちもあるし、ライバルであり仲間。優子はあまり表に出さず秘めているものがある」と代弁していた。(1)(2)
  • 2月24日、AKB48オフィシャルショップ香港にて『大島優子フェスティバル』開催。
  • 2月24日、smart 2011年4月号より大島が好きなモノを紹介する『好きなモノって、こう優子と!』が連載開始。
  • 5月13日、「AKB48 大島優子のオールナイトニッポンモバイル」第9回放送で、尾てい骨にひびが入っており、治療中だと発言。
  • 5月、6月、『AKB48 22ndシングル 選抜総選挙』が開催。
  • 6月17日、「大島優子1stフォトブック 優子」が発売。
  • 8月1日、ウェスティン都ホテル京都にて、大島優子が初めてプロデュースした振袖の発表イベントが行われた(1)(2)。大島プロデュースの、西善商事の新ブランド「Oshima Uco」は2011年12月より全国の貸衣装店、呉服店、結婚式場、写真スタジオ等で販売、レンタルされる(1)(2)
  • 9月20日、『AKB48 24thシングル 選抜じゃんけん大会』が開催。大島は昨年と同じく一回戦で敗退。
  • 10月6日、約1年前と同じで親知らずが生えてくる。
  • 10月14日、「FINAL FANTASY XIII-2」の開発にあたり、大島が公式テストプレイヤーに就任。新CMにも起用された(1)(2)
  • 10月15日、「FINAL FANTASY XIII-2」の魅力を伝えるためのキャンペーンサイト“JUDGE13”を開設(1)。公式テストプレイヤーは大島を含め13人おり、大島はJUDGE13(ジャッジ13)を取り仕切るリーダー。
  • 10月19日、世界のスターの等身大フィギュアが展示された施設『マダム・タッソー東京』に、大島フィギュアがこの日から登場することとなった。7月上旬、クリエイティブ・チームの採寸担当者が東京の大島本人を訪ね、150カ所から200カ所にわたる体の採寸が行われた。その後、すべての製作作業はロンドンで行われ、総勢60人を越えるクリエイティブ・チームのうち、15人から20人が当作品に携わり、費用は約1900万円、期間は約3カ月をも要している。2011年9月30日から2012年1月4日までの期間限定公開。(1)(2)
  • 10月、11月、「スケバンGirls」を結成。
  • 12月8日、AKB48デビュー6周年の新プロジェクトとしてGoogle+に参加(1)。大島はブログで「明日から7年目に突入するわけですが、遠いと感じていた10周年が見えてきました。この感覚味わうと思わなかった。。。改めて気を引き締めてAKB48を作っていきたいと思います!!!!!!まだまだ前に進みますょ~」と前進することを意気込んでいる(1)
  • 12月8日、テレビ放送の調査・測定を行うニホンモニター社が、今年1月から11月のCM出稿状況を基にした「2011年 タレントCM起用社数ランキング」を発表。大島が史上最多の19社で男女を通じて年間単独1位となり“新CMクイーン”の座を手中に収めた(1)(2)(3)(4)(5)。大島は大堀恵からのメールで気づいたらしい。
    また、月9ドラマ「私が恋愛できない理由」も順調で高視聴率をキープ。12月19日に放送された最終回は視聴率18.4%で2011年に放送された同枠ドラマでは最高の最終回視聴率となった(1)
    「AKBメンバーの中で大島優子は、ダンスから、演技、トークまで、何でもこなせる優等生といっていい存在ですからね。最近ではこうしたことに加えて“数字を持っている”という評価も高まっています」(芸能関係者)(1)
  • 12月15日、ビッグカメラ有楽町店で「FINAL FANTASY XIII-2」発売カウントダウンイベントが行われた。大島は自身がデザインしたコスプレ衣装姿で登場。テーマは「露出と防御」。この衣装は「JUDGE13」で10万以上の「いいね!」を集め、イベントでの着用が実現した。いつも元気印の大島だが、「今は24時間テレビみたいな感じで、ちょうどさっきまでドラマの撮影でした。全然寝ていないです。裏では(眠くて)半目でしたよ」とコメントし、会場を笑わせた(1)
  • 12月20日、TOKYO DOME CITY HALLで『第1回 AKB48紅白対抗歌合戦』が開催。AKB48だけでなく姉妹グループのSKE48、NMB48、HKT48も参加し総勢139人が紅組、白組に分かれて歌合戦を繰り広げた。司会は堺正章と千野志麻アナ。審査員は三田佳子、神田うの、森永卓郎氏、叶恭子・美香姉妹、野村克也氏が務めるなど本家さながらの豪華演出で行われた(1)
    投票前に両キャプテンのアピールコメントとして白組キャプテンの大島は「今日は本当に年末の締めとして、皆さんに楽しんでいただけたら良いなと思っていたんですけれども、なにぶん自分達が楽しんだっていうのが本当に一番だなと思いました。皆のやったことのない曲とかをやっている姿をみて本当にキラキラ輝いてたし、あっこういう一面あるんだなと自分達も知ったし、皆さんにも知っていただけた本当に良い機会になったと思うので、新しい自分達をもっともっとつくっていけるなと思いました。」とコメント。
    また、大島は白組のキャプテンとしてトリで「愛しさのアクセル」を熱唱。オリジナルの愛しさのアクセルと同じものをやってもファンの人は喜ばないと思い、別物にするためスタッフには「自分で考えます」と断言。しかし、全然思いつかずそのまま当日を迎えてしまい、本番では本能のまま音楽に乗って即興でダンスを踊った。衣装は自前。
    結果は白組がキャプテン高橋みなみ率いる紅組に圧勝した。審査員の代表として野村克也氏から優勝旗を贈呈され「時間のない中で皆一生懸命にやっていて、良いところをお互いに沢山みせ合えたイベントだったと思います。紅組のステージも本当に凄いって驚かされるものばかりで、こんなにAKB48のためにダンサーさんも来てくださったりとか、審査員の方もそして司会に堺さん千野志麻アナも来てくださったり、もうこんなに愛されてるんだなとまた改めて年末にすごく感じました。本当に嬉しいです。でも、これは白組だけじゃなく紅組の皆の努力、そして頑張りもあってということで(優勝旗を掲げる)なんか今日は・・・ありがとう御座いました!」とコメントした。
  • 12月21日、大島優子「君は、僕のもの」Blu-rayTM版が発売。



2012年(秋元チームK~大島チームK)

  • 1月11日、東京ビッグサイトで「第23回 日本ジュエリーベストドレッサー賞」の表彰式が行われた。20代部門で受賞した大島は、「まさか選ばれると思っていなかったのでビックリしました。こんな輝かしい賞をいただけたのも、昨年レコード大賞をいただけたのも、支えがあったから。みなさんに支えられながら前を向いて頑張りたい。」と気持ちを新たにしていた。また、「普段はジュエリーとかを身につけることがないんですけれども、こうやって着けると重みを感じるというか、この賞に恥じないようにこれからもやっていこうと本当に身が引き締まります。」と満面の笑みを浮かべた。(1)(2)
  • 1月16日、2011年12月28日~2012年1月11日まで開催された「第1回センター争奪バトルイベント」の結果が発表された。これは「GREE」にて配信しているソーシャルゲーム『AKB48ステージファイター』のイベントで、初代センターは大島になった。(1) 
  • 1月19日~22日、TDCホールで『リクエストアワーセットリストベスト100 2012』が開催。対象楽曲は、AKB48・SKE48・SDN48・NMB48関連の全421曲と昨年より37曲多い(今回はAKB48の派生ユニット・ソロ曲は投票対象外)。大島が初センターとなった「ヘビーローテーション」は昨年に引き続き1位となり2連覇。大島のソロ曲である「泣きながら微笑んで」が9位で昨年に引き続きソロ曲1位で5連覇達成。また、昨年に引き続きシングル曲1位とソロ曲1位の2冠となった。
  • 2月 8日、2011年最も注目されたブログに贈られる「BLOG of the year 2011」を発表。女性部門で大島優子が受賞。また、「Ameba」で展開する約1万人の芸能人・有名人ブログの中で、2011年の1年間でランキングを大きく伸ばしたブログとして「2011年急上昇ランキング」を発表。こちらも大島が1位にランクインしダブル受賞となった。
  • 5月、6月、『AKB48 27thシングル 選抜総選挙』が開催。
  • 11月1日、新チーム体制(大島チームK)での初公演(ウェイティング公演)をむかえる。
  • 12月17日、TOKYO DOME CITY HALLで『第2回 AKB48紅白対抗歌合戦』が開催。


2013年(大島チームK)

  • 1月21日、東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズにて2月1日に全国公開される、AKB48の新作ドキュメンタリー映画「DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?」の完成披露プレミア試写会および舞台挨拶が行われた。大島は「こんなに人がいると思いませんでした。アイドルの映画っていうとなかなか足を運びにくいと思うんですけど、今日はありがとうございます」とファンに挨拶。また前田の卒業後、AKB48のセンターに立つ機会が多い大島は「センターがその場所に存在するというよりは、例えば前田敦子には前田敦子のポジション、大島優子には大島優子のポジションがあって、当てられたスポットライトがたまたま大島を指したというか。だからセンター自体も動いていて、そのスポットが当てられた場所がセンターなのかなと思います」と、自身の考えを説明した。(1)
  • 1月23日、『AKB48ユニット祭り2013』が開催。
  • 3月27日、AKB48オフィシャルブログにて、AKB48 32ndシングル 選抜総選挙開催が発表された。開票は6月8日に横浜・日産スタジアムで実施される。今年の総選挙は、初めて「立候補制」を採用。大島は4月6日の8:35に立候補受付。
  • 7月30日~8月13日、『AKB48ステージファイター』において、「第3回センター争奪バトルイベント」が開催された。これまでに開催された第1回、第2回では、大島が2回連続で1位となり、オリジナル楽曲とCMでのセンターポジションの座を獲得。3回目となる今回のイベントでも1位。
  • 12月31日、NHK紅白歌合戦で電撃卒業発表。リハーサルでは、曲紹介をしていたが、本番では曲紹介前に卒業を発表。
    「2013年も応援ありがとうございました。この場をお借りして言いたいことがあります。私、大島優子はAKB48を卒業します。こうして紅白歌合戦に出演させていただくのもこれが最後になりました。感謝の気持ちを込めて歌わせていただきます。そして来る2014年も48グループの応援をよろしくお願いします。AKB48、2013年、歌い納めです。紅組、盛り上がっていきましょう!『ヘビーローテーション』」。というわけではなくてAKB48を私は卒業させていただきます。これからはソロで、大島優子として活動していきます」
    歌い終えて「すみません急な発表で。(みんな知ってたの?の質問のあと)言ってないです。(芸能界を引退?)というわけではなくてAKB48を私は卒業させていただきます。これからはソロで、大島優子として活動していきます」とコメント。

2014年(大島チームK)