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プロローグ 三嶋の日記   いつもと同じ一日を過ごす。日の当たらない場所で一日中身体を椅子に預けていると、血管が萎縮してしまうような感覚がいつもやってくる。動いてもいないのに肩は凝る。足は浮腫む。  頭だけがいつも働き続け、かつて行っていた現実での教師としての活動よりも、もっと疲労が溜まるような気がした。子どものため、生徒のためと言われるシステムは、やがて子どもが成長して大人になったときのことなど、考えてもいないのだろう。  時間が短縮されようが、彼らの自由が広がろうが、結局は状況は変わった様子は感じられない。  私だって、子どものときは優秀でもなく、授業中に寝たり、内職をしていたのは変わらない。だが、こうして逆の立場になってみると、恐ろしいほどに、私の中の何かが変わってしまった気がした。未だに手を出したことはないが、異常なほどの、胸にふつふつと湧く何かは、その規模を広げ続けていた。  毎日のように、親御さんに文句を言われ、生徒に舐められる。同僚の教師は、現実で、ナイフで切りつけられたという噂も聞いた。もはや、そこに上下関係など存在しない。システム内部は常に、まるで子どもが脳そのままに成長したような腐った連中構成された県教委に見張られ、生徒に手を出そうならば、タダでは済まない。首を切られるならまだマシな方だ。その後、暴力人間というレッテルは、再就職にまで広く影響していく。情報社会に生きる人間は、もはや社会というシステムに管理される、ひとつのCPUに過ぎないのか。  ただ、文科省の最近の発言は、それよりも危険なものではないかと考える。教育を受けることは国に準ずるための使命であるだの、勉強は他人との戦いに勝るためのものであるなど、危険な思想を漂わせている。  そもそも、この日本が独立を行ってから数年間の間に、何かが狂い始めていた。子どもが大人を見下し、キレるのも無理はないだろう。独立をしたからと言って何が変わったわけでもなく、アメリカにおびえ、中国に敵対し、EUに睨まれる。戦争はいつ起きても仕方のない状況下で、何が教育だろうか。総理大臣は偉ぶり、軍人は情けのない政治家のために、疑問すら感じずに働いている。そんなやつらに、誰もが蹴りをいれたくて仕方ないのは間違いない。言論の自由は弾圧され、教育現場で教える内容は、もはや真実とはかけ離れたものにすらなってきている。  もし私に、今を変える唯一のチャンスがあったのならば、間違いなく命を投げ出す覚悟はある。国のためでもなく、教師であるからでもなく、未来の大人のために。私たちのような、無力な大人を生み出さないために。  

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