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「言峰士郎の聖杯戦争――1」(2013/02/04 (月) 01:52:18) の最新版変更点
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あの日の事は、よく覚えている。
赤く濁った空と、真っ黒な太陽。原初の記憶と言ってもいい。何よりも鮮明に思い出すことのできる、地獄の光景。
瓦礫の下に埋まっていたのは誰だったのか。燃えさかる炎に焼かれていたのは誰だったのか。怨嗟の声をあげていたのは誰だったのか。今でも偶に、あの日の光景が夢に顕れる。
見捨てたことを悔いたことは無い。
振り払ったことを悔いたことは無い。
逃げだしたことを悔いたことは無い。
眼を背けたことを悔いたことは無い。
諦めたことを悔いたことは無い。
拒絶したことを悔いたことは無い。
――――だって、どうしようもなかったのだから。
彼の夢を見た日は、決まって少年は体調を崩した。数日にわたる高熱で意識は混濁し、生死の境を何度も彷徨った。
そしてそんな中で見た夢は、あの日の地獄の焼き回しだった。
あの日と同じように、燃えさかる炎の街を一人歩く。息苦しさも、痛覚も、疲弊も、何もかもがあの日の記憶の中でただ歩き回る。
誰もいない。生きている者は、誰もいない。この地獄に自分以外の生者は、誰もいない。
赤く濁った空。
黒い太陽。
止むことの無い怨嗟の声。
当てもなく彷徨ううちに、太陽は消え去り、炎が勢いを弱め、曇天が空を覆い、疲弊と痛みに体が倒れる。見上げた空へ吐息を零し、震える声で最期の言葉を紡げば、どこからか問いが発せられる。
――――?
――――。
靄がかかったかのように、その時の言葉を少年は思い出すことが出来ない。
気がつけば自室で眼が覚めた。太陽は黒くなく、空は濁らず、息苦しさとは無縁の世界。
いつから、あの夢を見なくなったのだろう。
――――否。いつから、あの夢を見ても平気でいられるようになったのだろうか。
■
最終電車が駅に着いたのは、既に日付も変わった後だった。
疎らな人影に紛れるように、黒いコートに身を包んだ少年が改札口を通り抜けた。同世代よりも身長は高めだろう。錆びついたような赤銅色の髪の毛。寝不足なのか、目の下には隈が出来ている。
中心街とはいえ時刻が時刻なため、往来する人の数は然程も無い。すれ違う通行人にわざわざ意識を割くはずもなく、僅かな人波は散り散りに帰路へとつく。
無論、少年もその一人。
決して軽快とは言い難い足取りで、近くのタクシー乗り場まで歩を進める。
「冬木教会まで」
バブル期ならまだしも、このご時世のこんな時間帯に好んでタクシーを使う人間は限られている。先頭の一台に行き先を告げると、二つ返事で了承の意が返ってきた。相手が未成年と言えど、出すモノさえ出してくれれば問題は無いらしい。
後部座席に腰を下ろすと、ほどなくしてタクシーは出発した。響く駆動音と振動に、心地よい微睡みが身体を襲う。運転手もそれとなく察しているのか話しかけてくる事は無く、それが余計に眠気を募らせた。
瞼は、ほとんど閉じかけている。
とはいえ、ここで無防備な姿を晒すほど少年は日本のタクシー業界を信用しているわけではない。海外のそれとは比べるまでもない安全性を誇れど、それでも用心しておくに越したことは無い。薄くではあるが、意識が落ちることだけは耐えていた。
『此度の冬木の聖杯戦争の指揮。その全権を貴方に一任致します』
黒の修道着姿。感情を感じさせない機械的な口調。
口頭での報告。
『主の名において、公平な裁断を。無辜なる民へ安息を』
気がつけば、あれほどに煩く映ったネオンの灯りは消えていた。周りの風景は閑静な住宅街へと移っている。
『此度で最良の結末が迎えられますよう、その身を尽くしなさい』
程なくすれば目的地に到着するだろう。見慣れた景色から、目的地までの距離を概算する。
『私からは以上です』
『はい』
『決して、前回のような大惨事を引き起こす事の無いように』
『承知いたしました』
『――――それでは』
「……お客さん?」
訝しげな運転手の声に、思考に耽っていた頭が回帰する。
辺りを見回せば、既にそこは指定した場所。
慌てて財布から万札を一枚取り出し、御釣りを受け取る。結構な金額ではあったが、どうせ必要経費扱いになるのだから構う事はない。走り去るタクシーを見送り、そのまま何をする事も無く空を見上げた。
――――黄色い、満月
「……ってーな」
額に手を当て、呻くように少年は言葉を漏らした。
脳の奥から響くように痛む鈍痛は、この時期になると毎年恒例のように襲ってくる。今日に始まった事では無いものの、慣れたかと言えば答えは否。苦虫を何匹も噛み潰したような顔のまま、懐に手を入れた。
取り出したのは、開封済みの煙草の紙パッケージ。
慣れた手つきでソレを口に咥え、火を点ける。肺に流れ込む香りに、少しばかり頭痛が和らいだ気がした。
尚、余談ではあるが。
この教会の正式名称は冬木教会なのだが、長らくとある家系の長が歴任しているため、市民は専ら教会のことを冬木教会ではなく、姓と掛け合わせて『言峰教会』と呼ぶ。
一年ほど前に先代でもある言峰綺礼が急病により他界。現在は息子が後任を継いで、妹と共に切り盛りしている。
長の名は、言峰士郎。
錆びついたような赤銅色の髪の毛が特徴的な、穂群原学園に在籍する少年である。
■
ヨウケン、ハ、サンケン、デス。
ピーッ、
『もしもし、言峰君。担任の藤村です。用事で休むのは構わないけど、ちゃんと私にも連絡しておくこと。理事長に通しておけばいいだろうなんて甘い考えは許しません。罰として――――』
ピッ
『もしもし。僕だよ、慎二だ。色々と会って話したい事があるから、帰ってきたら教えてくれ。じゃ』
ピッ
『……あー、士郎? 喚んだから。以上』
ピッ
「……また随分と簡潔な」
無事に帰って来たというのに、まだ当分は休息をとれそうにない。
留守電を聞き流し、報告書を読み流し。疲れたように少年――言峰士郎は息を吐いた。
「だりぃ……」
今の自身の心情を限りなく完璧に代弁した一言。厄介事を終えて帰って来てみれば、別の厄介事が手招きをして待っていたのだから、本人からすれば悪夢以外の何物でもない。
机の上に無造作に置いた報告書を眺めつつ、もう一度、今度は盛大に溜息を吐いた。
「朝、だろうなぁ……」
空けた二週間の間に、これでもかと溜まった報告書。これでいて本格的な開戦には至らない、まだ小競り合いの時点での報告の量なのだから笑えない。
本当ならばこのまま寝てしまいたいのだが、それを許してくれるほど今の冬木市は甘くない。不慮の呼び出しがあったとは言え、それを理由に休むことが出来るならば、そもそも『監督役』などという存在は必要ないのだ。
期間無休、不眠不休の24時間体制であらゆる問題を迅速丁寧に処理致します。
くだらないフレーズが脳内に浮かぶが、もはや笑い飛ばす気力も起きない。
気分転換にコーヒーでも飲もう。生気の見られない疲れ切った表情のまま、力なく身を起こす。
――――ちらりと、視線を左手に向ける。
蚯蚓腫れのような痛々しい痕があった。焼き鏝を押されたような醜い痕があった。
今朝方出発前に、突如として現れたソレを眺めながら、士郎は口を開いた。
「……なんで」
苦虫を噛み潰したような――そんな表現を三倍増しにした表情。
アインツベルン、マキリ、トオサカの三家。魔術協会から一人。正体不明ではあるが、霊器盤にはさらにもう二組分のサーヴァントの存在が確認されている。現時点で数えて六組。枠は、確かにまだ一つだけ空いている。
何故自分なのか?
他に誰かいなかったのか?
何故選んだのか?
何をさせたいのか?
何故今頃になって顕れたのか?
頭の中では様々な疑問が浮かんでは消えずに溢れ返っていたが、意外にも最初に口をついて出てきた言葉が核心を突いていた。
「……叶うのか?」
白一色の病室。
横たわる養父。
最後の団欒。
交わした会話。
告げられた言葉。
一年越しの意味。
かつての光景が、鮮明に脳裏に蘇る。
『喜べ、士郎。お前の願いは――――』
「……馬鹿らしい」
呆れたように首を振った。打ち消すように言葉に出した。
泡末の光景は、すぐに薄暗いリビングへと姿を変える。ひらひらと左手を振ると、痛みの残滓は嘘のように消え去った。
くだらない。ああ、くだらない。
舌打ちと共に今度こそ起き上がる。今の自分には他にやらなければならない事が山積みで存在している。与えられた優先参加権に想いを馳せるのは、全てが片付いた後でも十分だ。
「――――っ」
幾分か騒がしい心臓を抑えつけるように、左手に力を込める。
温もりが欲しい、なんて。そんな柄にもないことを、想った。
あの日の事は、よく覚えている。
赤く濁った空と、真っ黒な太陽。原初の記憶と言ってもいい。何よりも鮮明に思い出すことのできる、地獄の光景。
瓦礫の下に埋まっていたのは誰だったのか。燃えさかる炎に焼かれていたのは誰だったのか。怨嗟の声をあげていたのは誰だったのか。今でも偶に、あの日の光景が夢に顕れる。
見捨てたことを悔いたことは無い。
振り払ったことを悔いたことは無い。
逃げだしたことを悔いたことは無い。
眼を背けたことを悔いたことは無い。
諦めたことを悔いたことは無い。
拒絶したことを悔いたことは無い。
――――だって、どうしようもなかったのだから。
彼の夢を見た日は、決まって少年は体調を崩した。数日にわたる高熱で意識は混濁し、生死の境を何度も彷徨った。
そしてそんな中で見た夢は、あの日の地獄の焼き回しだった。
あの日と同じように、燃えさかる炎の街を一人歩く。息苦しさも、痛覚も、疲弊も、何もかもがあの日の記憶の中でただ歩き回る。
誰もいない。生きている者は、誰もいない。この地獄に自分以外の生者は、誰もいない。
赤く濁った空。
黒い太陽。
止むことの無い怨嗟の声。
当てもなく彷徨ううちに、太陽は消え去り、炎が勢いを弱め、曇天が空を覆い、疲弊と痛みに体が倒れる。見上げた空へ吐息を零し、震える声で最期の言葉を紡げば、どこからか問いが発せられる。
――――?
――――。
靄がかかったかのように、その時の言葉を少年は思い出すことが出来ない。
気がつけば自室で眼が覚めた。太陽は黒くなく、空は濁らず、息苦しさとは無縁の世界。
いつから、あの夢を見なくなったのだろう。
――――否。いつから、あの夢を見ても平気でいられるようになったのだろうか。
■
最終電車が駅に着いたのは、既に日付も変わった後だった。
疎らな人影に紛れるように、黒いコートに身を包んだ少年が改札口を通り抜けた。同世代よりも身長は高めだろう。錆びついたような赤銅色の髪の毛。寝不足なのか、目の下には隈が出来ている。
中心街とはいえ時刻が時刻なため、往来する人の数は然程も無い。すれ違う通行人にわざわざ意識を割くはずもなく、僅かな人波は散り散りに帰路へとつく。
無論、少年もその一人。
決して軽快とは言い難い足取りで、近くのタクシー乗り場まで歩を進める。
「冬木教会まで」
バブル期ならまだしも、このご時世のこんな時間帯に好んでタクシーを使う人間は限られている。先頭の一台に行き先を告げると、二つ返事で了承の意が返ってきた。相手が未成年と言えど、出すモノさえ出してくれれば問題は無いらしい。
後部座席に腰を下ろすと、ほどなくしてタクシーは出発した。響く駆動音と振動に、心地よい微睡みが身体を襲う。運転手もそれとなく察しているのか話しかけてくる事は無く、それが余計に眠気を募らせた。
瞼は、ほとんど閉じかけている。
とはいえ、ここで無防備な姿を晒すほど少年は日本のタクシー業界を信用しているわけではない。海外のそれとは比べるまでもない安全性を誇れど、それでも用心しておくに越したことは無い。薄くではあるが、意識が落ちることだけは耐えていた。
『此度の冬木の聖杯戦争の指揮。その全権を貴方に一任致します』
黒の修道着姿。感情を感じさせない機械的な口調。
口頭での報告。
『主の名において、公平な裁断を。無辜なる民へ安息を』
気がつけば、あれほどに煩く映ったネオンの灯りは消えていた。周りの風景は閑静な住宅街へと移っている。
『此度で最良の結末が迎えられますよう、その身を尽くしなさい』
程なくすれば目的地に到着するだろう。見慣れた景色から、目的地までの距離を概算する。
『私からは以上です』
『はい』
『決して、前回のような大惨事を引き起こす事の無いように』
『承知いたしました』
『――――それでは』
「……お客さん?」
訝しげな運転手の声に、思考に耽っていた頭が回帰する。
辺りを見回せば、既にそこは指定した場所。
慌てて財布から万札を一枚取り出し、御釣りを受け取る。結構な金額ではあったが、どうせ必要経費扱いになるのだから構う事はない。走り去るタクシーを見送り、そのまま何をする事も無く空を見上げた。
――――黄色い、満月
「……ってーな」
額に手を当て、呻くように少年は言葉を漏らした。
脳の奥から響くように痛む鈍痛は、この時期になると毎年恒例のように襲ってくる。今日に始まった事では無いものの、慣れたかと言えば答えは否。苦虫を何匹も噛み潰したような顔のまま、懐に手を入れた。
取り出したのは、開封済みの煙草の紙パッケージ。
慣れた手つきでソレを口に咥え、火を点ける。肺に流れ込む香りに、少しばかり頭痛が和らいだ気がした。
尚、余談ではあるが。
この教会の正式名称は冬木教会なのだが、長らくとある家系の長が歴任しているため、市民は専ら教会のことを冬木教会ではなく、姓と掛け合わせて『言峰教会』と呼ぶ。
一年ほど前に先代でもある言峰綺礼が急病により他界。現在は息子が後任を継いで、妹と共に切り盛りしている。
長の名は、言峰士郎。
錆びついたような赤銅色の髪の毛が特徴的な、穂群原学園に在籍する少年である。
■
ヨウケン、ハ、サンケン、デス。
ピーッ、
『もしもし、言峰君。担任の藤村です。用事で休むのは構わないけど、ちゃんと私にも連絡しておくこと。理事長に通しておけばいいだろうなんて甘い考えは許しません。罰として――――』
ピッ
『もしもし。僕だよ、慎二だ。色々と会って話したい事があるから、帰ってきたら教えてくれ。じゃ』
ピッ
『……あー、士郎? 喚んだから。以上』
ピッ
「……また随分と簡潔な」
無事に帰って来たというのに、まだ当分は休息をとれそうにない。
留守電を聞き流し、報告書を読み流し。疲れたように少年――言峰士郎は息を吐いた。
「だりぃ……」
今の自身の心情を限りなく完璧に代弁した一言。厄介事を終えて帰って来てみれば、別の厄介事が手招きをして待っていたのだから、本人からすれば悪夢以外の何物でもない。
机の上に無造作に置いた報告書を眺めつつ、もう一度、今度は盛大に溜息を吐いた。
「朝、だろうなぁ……」
空けた二週間の間に、これでもかと溜まった報告書。これでいて本格的な開戦には至らない、まだ小競り合いの時点での報告の量なのだから笑えない。
本当ならばこのまま寝てしまいたいのだが、それを許してくれるほど今の冬木市は甘くない。不慮の呼び出しがあったとは言え、それを理由に休むことが出来るならば、そもそも『監督役』などという存在は必要ないのだ。
期間無休、不眠不休の24時間体制であらゆる問題を迅速丁寧に処理致します。
くだらないフレーズが脳内に浮かぶが、もはや笑い飛ばす気力も起きない。
気分転換にコーヒーでも飲もう。生気の見られない疲れ切った表情のまま、力なく身を起こす。
――――ちらりと、視線を左手に向ける。
蚯蚓腫れのような痛々しい痕があった。焼き鏝を押されたような醜い痕があった。
今朝方出発前に、突如として現れたソレを眺めながら、士郎は口を開いた。
「……なんで」
苦虫を噛み潰したような――そんな表現を三倍増しにした表情。
アインツベルン、マキリ、トオサカの三家。魔術協会から一人。正体不明ではあるが、霊器盤にはさらにもう二組分のサーヴァントの存在が確認されている。現時点で数えて六組。枠は、確かにまだ一つだけ空いている。
何故自分なのか?
他に誰かいなかったのか?
何故選んだのか?
何をさせたいのか?
何故今頃になって顕れたのか?
頭の中では様々な疑問が浮かんでは消えずに溢れ返っていたが、意外にも最初に口をついて出てきた言葉が核心を突いていた。
「……叶うのか?」
白一色の病室。
横たわる養父。
最後の団欒。
交わした会話。
告げられた言葉。
一年越しの意味。
かつての光景が、鮮明に脳裏に蘇る。
『喜べ、士郎。お前の願いは――――』
「……馬鹿らしい」
呆れたように首を振った。打ち消すように言葉に出した。
泡末の光景は、すぐに薄暗いリビングへと姿を変える。ひらひらと左手を振ると、痛みの残滓は嘘のように消え去った。
くだらない。ああ、くだらない。
舌打ちと共に今度こそ起き上がる。今の自分には他にやらなければならない事が山積みで存在している。与えられた優先参加権に想いを馳せるのは、全てが片付いた後でも十分だ。
「――――っ」
幾分か騒がしい心臓を抑えつけるように、左手に力を込める。
温もりが欲しい、なんて。そんな柄にもないことを、何故か想った。