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 目が覚めたら、アイツがいた。
 だから殴った。側に転がっていた椅子で殴った。動かなくなるまで殴った。殺す気で殴った。



 そうして漸く――――落ち着いた。










 暗闇に慣れた目には、蛍光灯の光がやたら眩しく感じられた。
 手で傘を作り、目を細める。橘京介の眼が明かりに慣れるには、たっぷり十秒もの時間を必要とした。

「……現実、だよな」

 飛び散った血痕。転がる骸。失った右腕。血だまり。肉片。武器として使用した椅子と、撲殺した異常者。
 悪い夢でないのは、痛みを訴える身体が証明してくれた。

「……くそっ」

 傍に転がっていた椅子に腰を降ろす。肉片が付着していたが、そんなことを気にする余裕はなかった。
 左手で顔を覆い、先ずは落ち着くことから始める。焦りは禁物。数日前に読んだ漫画の内容を思い返し実践できるくらいには落ち着いているのかなぁ、と。得体もないことに思考を飛ばしつつ、深呼吸を繰り返した。
 だが、落ち着きを取り戻そうとすればするほど、頭の中では疑問が湧いて出てくる。
 アレは何だったのか?
 まだ仲間はいるのか?
 他の所も同じ状態なのか?
 他に生きている人はいるのか?
 失った右腕はどうする?
 そこまで考えて、京介は考えを打ち切った。元より意味の無い思考であった。
 京介は生物学者でなければ、病理学者でも医者でも警察でもない。大学受験を目前にした、ただの高校最終学年生である。その手の思考と結論は、専門家に導き出してもらうのが適切だ。
 ならば、京介が出来ることなど限られている。

「まずは……警察だよな」

 救急病院に連絡を取ろうとも考えたが、生存者が確認できない現状では適切とは言い難い。ここは警察の方が選択肢としては正しいだろう。
 だが――――

「……チッ」

 応対したのは、機械音。それも時間を置いてかけ直してくださいときた。
 現在時刻は午後六時を回ったところ。少し考えれば気がつくことだ。気絶前と変わらぬ現状が、何を意味する事くらい。
 だがそれは、予想出来る限り最悪の現状、ということでもある。

「……」

 一瞬躊躇い、通話履歴から実家に連絡を取る。なるべくなら予想が当たってほしく無いと祈りながら。
 しかし、此方も応対したのは機械音。普段ならば誰かしら家にいる曜日と時間帯なだけに、いやな予感が拭えない。どういう状況にせよ、京介には喜ばしく無い結果だった。

「……しっかりしろ」

 暫し呆けていた身を、頬を叩くことで気合いを入れ直す。最悪を受け入れるには、まだ早い。
 何れの状況にせよ、今はまだ京介自身の出来る事を進めて行くしか手は無い。己の手が届かぬ領域について心配しても、此方が得るものは皆無に等しい。

「はぁ……何処に行こうか……」

 普通に考えれば、病院なり警察署なりに向かうのが適当である。……のだが、この状況でそれらが正常に機能している事を期待できるほど、京介は楽天家では無い。 
 だが、時間が残されていないのもまた事実だった。失った右腕からの出血は止まっているが、失った量は少ないとは言い難い。気絶していた時間を鑑みれば、今こうやって動いていられることは奇跡ともいえた。

「保健室、だな」

 寧ろ其処しかないだろう、この状況では。消毒液や包帯、清潔な衣類。今早急に必要とする物の殆どが、保健室には揃っている。
 ならば、善は急げだ。
 転がっていた金属バットを武器の代わりに構え、二三振ってみる。慣れない左腕では心許ないが、無いよりはマシだ。

「さて、それじゃあ――――」



 ――――バンッ



 突如として響いた打撃音に、京介は思わず振り返った。振り返ってしまった。
 其処には人がいた。良く知る顔だ。何せ、毎日のように顔を合わせていたのだから。

「慎二……?」

 幽鬼のような佇まいで、友人は其処にいた。半分に頭を割られた筈の友人が、其処にいた。
 生きているのか。自分以外の生存者、それも良く知る人物の存在に、京介は少なからず安堵した。

「良かった、生きてたのか」

 だが、慎二は京介のことなど意に介さず、覚束ない足取りで出口へと向かう。まるで此方の声など聞こえていないかのような反応だった。
 疑問に思いつつも、混乱しているのだろうと自己解決する。今は其処に疑問を持つべき場合ではない。少なからず存在している安堵感が、それ以上の思考を打ち切った結果だった。
 と、何かを拾い上げるように、慎二がしゃがみ込んだ。

「女の子?」

 立ち上がった慎二は、女の子を一人持ち上げていた。赤く染まっているが、身につけている制服はこの学園の小等部のものである。
 何故、こんな所に? 
 当然の疑問が浮かんだが、それ以上を考察できるほどの時間はなかった。

「っ! 何してんだ、おいっ!」

 突如として少女を振り回し始める友人。
 奇行でしかない行動に一瞬呆けるが、声を荒げて制止しようと駆けよる。だが止めるよりも早く、少女は京介に向けて投げ飛ばされた。

「っ!」

 幸いにも、飛んできたのは真正面。どうにか胸で受け止め、左腕で支える。
 浅い呼吸を繰り返しているところから、彼女も生きている事は分かった。自分たち以外の生存者の存在。他に目立った外傷が無いことを確認し、京介は前を向いた。

「おいっ、おま……」

 抗議の声は、途中で止めざるを得なかった。
 縦に半分に分かれた顔。ぶら下がる脳髄。白く濁った瞳。漏れ出る唸り声。
 そのどれもが、慎二が生存者でないことを示していた。

「慎二……」

 一歩、下がる。応ずるように慎二は一歩近づいた。
 一歩、下がる。応ずるように慎二は一歩近づいた。
 一歩、下がる。応ずるように慎二は一歩近づいた。
 一歩、下がる。応ずるように慎二は一歩近づいた。
 一歩、下がる。背が壁に当たった。これ以上は下がれない。慎二は一歩近づく。
 何故、歩ける。何故、動ける。何故――――生きている?
 様々な疑問が生じるも、明確な答えも、其処に至るまでの時間も京介には与えられなかった。
 腕が、振り上げられる。

「う、おおおおおぉぉああぁぁああああああ!!!」

 雄たけびとも叫び声ともつかない声を上げながら、京介は一歩を踏み込んだ。前に向かって踏み込んだ。
 腕が振り下ろされる寸前、渾身の体当たりを慎二に食らわす。然程の抵抗もなく倒れこんだ慎二に目をくれる事もなく、そのまま出口に向かって突っ走る。唸り声が追ってきたが、後ろを振り返る余裕は無かった。

 ウオオオオオオオォォォォォ――――

 死体を飛び越え、階段を飛ばして、廊下を全力疾走する。
 背後からだけでは無い。
 呻き声は校舎内全方位から響いていた。

 ――――何故。何故、何故、何故、何故っ!?

 次から次へと増える疑問が、寧ろ京介の体を動かしていた。
 止まれば死ぬ。思考も、足も。
 疑問に答えが無くとも。進む先に出口が見えなくとも。
 止まれば、死ぬのだ。

「あ、ああ、ああああ、ああああああ――――」

 駆ける。駆ける、駆ける、駆ける。
 非常灯が照らす校舎内を、かつての陸上部短距離部門所属部活生が駆け抜ける。右腕は無い&左腕は少女を抱えている体勢では走り難いことこの上ないが、文句を言う余裕も相手もいない。悲鳴とも叫び声ともつかない声を漏らしながら、ただただ駆ける。

「ほ、保健室は――――」

 現在京介たちがいる場所は、校舎の四階部分に相当する。ここから最短距離で向かえる保健室は、中等部一階か高等部別館の二つが挙げられる。
 当然、後退することが不可能な以上、中等部一階を目指すしかない。速度もそのままに、京介の足は中等部校舎連絡通路へと踏み込み――――

「なんだよ、これ……」

 足を、止める。目の前には、下ろされた防火シャッター。
 持ち上げようとするが、片手でどうにかできるほど柔な造りはしていない。

「どうすればいいんだよ……」

 高等部校舎と中等部校舎を繋ぐ通路は、何も一つだけでは無い。それこそ一階を除く全階に設けられている。
 だが他の通路を使用するということは、今来た道を戻らなければならない。
 故に、自問する。――――行けるか?
 故に、自答する。――――無理だ。

 ウオオオオオオオォォォォォ――――

 唸り声が聞こえる。
 這いずる音が響く。
 姿こそ見えねど、音は遠くはない。
 戻る余裕は、無い。

(……どうする?)

 窓を開け、外に身を乗り出す。暗闇に落ちた外界は、まるで奈落の底のような不気味さを湛えていた。記憶では、確か下はコンクリートだったので、飛び降りたら無事では済まない。……そうでなくとも、今は飛び降りたいとは思わないが。
 対して、上はガラス張りの屋根が続く。自分ら二人が乗っても、割れることはないだろう。……其処に至る為の『手』が文字通り無いことを除けば、良案である。

 ――――ベチャッ

 何か、水っぽい物が潰れるような音。断続的に続くその音に、思わず視線が向かい――――すぐに、後悔した。

 ウオオオオオオオォォォォォ――――

 白く濁った眼。だらしなく開いた口。明らかに致命傷と思われる傷。
 ずるずると。耳障りな音と呻き声を上げながら、奴らは京介の視界に映った。
 その数は――――数えることすら嫌になるほどに。

「う、ああ、あ……」

 逃げ場が無い。
 前はナニカの集団。後ろは降り切った防火シャッター。左右は空中。
 此処で、この場所で橘京介の運命は潰える。それは、疑いようの無い事実だった。

「……ははっ、マジか」

 人間、諦めもつくと笑えるらしい。込み上げてくる感情を抑えながら、ゆっくりと京介は息を吐いた。
 打開策が無い。一体や二体ならまだしも、数えられないほどの数がいては何も出来ない。集団は、それだけで力だ。
 抱えている少女を見やる。何を思って高等部校舎まで来たのかは分からないが、その努力が報われる事は無くなった。未だに気を失っているのが、せめてもの救いか。

「……おいおい」

 ――――何が、救いだ。
 突出してきた先頭の一体を蹴り飛ばす。然したる抵抗もなく、ナニカは倒れこんだ。
 諦めるには、まだ早い。少なくとも、この子は。

「まだだ」

 開けたままの窓から身を乗り出す。此処にいれば死ぬだけだが、ここから飛び下りればまだ分からない。
 それに――一つ、思いだしたことが有る。三階部分の連絡通路は二種類あり、一つが迂回するような形をとって二階部分へと繋がっている。月明かりすらも隠れた暗闇でも、目を凝らせば非常灯の灯りでその場所を確認できた。

「じゃあな、クソども」

 恐怖はある。が、躊躇いは無い。
 ナニカが触れようとする、その寸前。助走も無しに京介は飛んだ。
 少女を守るように、しっかりと抱きかかえて。