Q.あなたは手を汚せますか?
B-6。
地図に載っていない一軒家。
向坂環は椅子に座ったまま、身動ぎ一つせずに時計を眺めていた。
チクタクと秒針が規則的に動き続けている。連動するように、少しずつ長針も動いている。
その様相をただただ環は眺め続ける。
他には何もしない。
何も、しない。
「……向坂さん。少し、よろしいでしょうか?」
しばし無表情で時計を眺めていた環だったが、声をかけられたことで意識をそちらに向ける。
視線の先には、亜麻色の長髪の少女がいた。
「ええ、大丈夫よ。何かしら」
環は一転して、笑みを浮かべた。見る人を落ち着かせる、不安を与えない笑顔。
その笑みに触発されたのか、目の前の少女も淡く微笑む。
だがそれは、環とは異なり、様々な感情を押し殺した危うげな微笑みだった。
「……不安なのです」
少女の口から紡がれたのは、そんな微笑みを正しく表した言葉だった。
「私には何も出来る事がありません。外に出る事も出来ず、隠れることしかできないのです」
青色の瞳が潤む。
小さな体が震える。
言葉に怯えが滲む。
「友達が危険な目に会っているかもしれないのに、ずっと震えることしかできませんでした。向坂さんに会った時も、ただ逃げていただけです」
聞きながら環は思い出す。目の前の少女と会った時のことを。
夜の闇。怯えて逃げるばかりだった少女を。
恐れと不安に潰されそうだった少女を。
「わ、私はっ…どうすればいいのか分かりません……っ、何をすればいいのか、分からないのです……っ」
支離滅裂な内容だった。
意味を為していない告白だった。
聞く人が聞けば、ただの泣き言としか捉えかねない言葉だった。
それでも環には伝わる。
少女がどれだけの不安を抱えていたのかを。
少女が如何に葛藤していたかを。
言葉通りのどうしようも無い状況に絶望しかけている事を。
環には伝わる。
「向坂さん、私は……私は……っ」
嗚咽が滲む。
涙が溢れる。
必死で堪えていたはずのもが決壊する。
「大丈夫」
その全てを受け止めるように、環は少女の体を抱きしめた。
「取り乱してはダメ。自分を見失ってはダメ。まずは落ち着いて。ゆっくりと呼吸を整えて」
諭すように、あやすように。
抱きしめた少女の呼吸と鼓動が落ち着いていくのを確認しながら、環は言葉を続ける。
「能美さんが焦っているのはよくわかるわ。私も同じだから。
でも、焦っても何も解決しないの。だから落ち着いて。落ち着いてから、物事は始めましょう」
こく、こく、と。
少女――能美クドリャフカの頭が縦に振られる。
「能美さんが今しなければならないことは、自分が生き残る事。
皆と生きて合流するなら、まずは自分が生きていなきゃ」
ポン、ポン、と。
クドリャフカの頭を優しく叩く。
少しずつ落ち着きを取り戻しつつある少女に、良く知る幼馴染の少女との姿が重なった。
「さぁ、落ち着いて。落ち着いたら、二人で何をすべきか考えましょ」
■
「……環さんは、強いのですね」
一頻り泣いてから三十分。
モソモソと、支給品のパンを口に運ぶ。
味気のない食事ではあるが、何かしらお腹に入れなくては力も出ない。
「そんなことないわ」
手をひらひらと振りながら、環もパンを口に運ぶ。
何の味気も無いコッペパンを、半ば強引に水で流し込んだ。
「私だって最初はパニックだったわよ。でもほら、それ以上にあたふたしている人を見ちゃったから」
「あぅ……」
誰のことを指しているかが分からぬクドリャフカでは無い。
最初の出会いを思い出したのか、顔を赤面させて小さくなってしまう。
――――環がクドリャフカと出会ったのは、ボート小屋から修智館学院へと進む途中の道のりにある、小さな一軒家だった。
食糧や武器と言ったものを探そうと入った、その矢先――つまりは、玄関――で2人は出会った。
尤も、出会ったと言うのは環視点の話である。クドリャフカからすれば、狼狽してスッ転んで腰が抜けたところを見られたと言う認識なのだが。
「そういうことで私が落ち着いているのは貴女のおかげ。自分を卑下する必要は無いわ」
「そ、そうでしょうか……」
優しく微笑む環を見て、クドリャフカは照れくささに頬を染める。そして視線を外すように、帽子を深々と被り直した。
クドリャフカは気づかない。環の微笑みの意味を。優しさに、僅かに混じっている別の感情を。
(……そう、私が落ち着いているのは、貴女のおかげ)
クドリャフカに気が付かれないように、静かにそっと息を吐き出す。
……クドリャフカは知らない。環の精神が危ういところにいたところを。人を殺す覚悟をしていたことを。
何せ環の目的は、幼馴染たちと弟を無事に元の場所へ返す事である。
そのためには自身の手を汚すような危ない考えも浮かんだし、そうするに足る武器が手元にはあった。
もし最初に出会った参加者が殺し合いに乗るような人物だったら、人殺しとしての道を歩んでいた可能性は高い。
その道を歩むことが無かったのは、単にクドリャフカのおかげであるのだ。
「さ、食べ終わったら少し仮眠しましょ。朝方になったら出かけるわ」
だが環はその事を口には出さない。出したところで、不必要な不安を煽るだけなことを分かっているからだ。
だから彼女は努めて明るく振る舞う。自身の胸の内を外に出す事無くしまい込む。
「寝るのは二階にしましょうか」
「……了解なのです」
幸いにも二人がいるのは民家の中。寝る場所に困ることはない。
戸締りをしっかりして、二階で寝ていれば襲撃にも対応できるだろう。
一足先に食べ終え、席を立つ。
「戸締り漏れが無いか見て回ってくるわ。能美さんはここで……」
「ま、待ってください。私も行きますっ」
後を追うように、急いでクドリャフカは食事のスピードを上げた。
別に置いて行きやしないのに。苦笑しつつ、せっかくなので食べ終わるのを待つことにする。
不謹慎ではあるが、行動の一つ一つが微笑ましく感じる少女である。
幼馴染の少女――柚原このみ――の姿と重ね合わせ、頬が緩んでしまうのも仕方が無い。
■
「意外と埃っぽいわね……」
「けほっ、けほっ」
戸締りを確認して二階に上がった2人だったが、寝室の予想以上の埃っぽさに、思わず頭を抱える。
とは言え、小さな一軒家では他に寝室は皆無だ。疲労を残す事無く寝るのであれば、この部屋以外に場所は無い。
「……掃除、しよっか」
「そうですね」
殺し合いの場とは言え、こんな不衛生な場所で寝るのは2人とも嫌だった。
故の掃除。
幸か不幸か、クドリャフカの支給品は、箒、塵取り、モップ、バケツ、そして雑巾×5のお掃除セットである。軽く掃除するだけなら、用具には困らない。
「じゃ、パパッとやりましょうか」
パンパン、と環は手を叩いて音頭を取る。
2人とも掃除が苦にならない性格であること、要領は悪くない事、そして互いの相性がが合っていた事から、思いの他効率的に進み――――
「……こんなものかしら」
「綺麗になりましたね」
大凡一時間後の午前三時半。
想定以上に綺麗になった寝室に、2人は満足気に頷いた。
「それじゃあ、寝ましょうか。朝になったら、修智館学院へ行きましょう」
夜の山道は危険だ。環一人だけならまだしも、今はクドリャフカもいる。
クドリャフカの頭を優しくなでると、そっと背中を押した。寝かせる為だった。
……正直なところを言えば、掃除は方便である。緊張を解きほぐし、余計な事を考えさせないようにするための手段。
環とて焦る気持ちはあるが、だからと言って少女を一人見捨てて行くほど薄情な人間ではないのだ。
「環さん」
「ん、なに?」
故に。
クドリャフカの行動は想定の範囲外だった。
「環さん、お願いがあります」
深々とクドリャフカは頭を下げた。
呆気にとられる環を尻目に、言葉を紡ぐ。
「私はこんな争いは反対です。あってはならないものだと思います」
視線が交錯する。
強い眼。そう環は感じた。
「ですが、私一人程度の力では何もできません。何も守れません」
小柄な体躯。スレンダーな体型。
どう贔屓目に見ても、少女はこの場所では強者にはなりえないだろう。
だがそんなことは、彼女自身が一番よく分かっている。
「だから協力してください。この催しを壊して、みんなで帰る為に、力を貸してください」
再び、深々と頭を下げられる。
不安は内包しつつも、確たる意志を持って。
紡いだ言葉は弱弱しく、しかし力強く。
彼女は、この争いへの敵対を表明したのだ。
「……そんなの、当たり前じゃない」
ああ、強い。
環はそう思った。
確固たる意志を内包した視線に、環は尊敬の念すら抱いた。
「ううん、違う。――――私からもお願い」
手を出す。右手を真っすぐに、クドリャフカへ。
「協力して、能美さん。この腐った争いをぶち壊すために」
「――――はいっ!」
握られた手。強くはないけど、力の込められた握手。
交錯する視線。怯えを抑え込み、確固たる意志を感じさせる眼。
そしてその表情を。精一杯の微笑みを、向坂環は一生忘れることはないだろう。
――――赤が、咲いた。
弾けるように、何かが飛び散る。それは所かまわず室内に散乱した。
ソレが何であるかなど一般人の環が咄嗟に分かる由も無く、ましてやソレが目の前で微笑んでいた少女のモノであるなど、到底理解の範疇外であったに違いない。
ただ、呆然と。眼前で起きた出来事に思考を放棄し、出しかけていた言葉を留める。ずるりと、握手していたはずの手が滑り落ちた。
床に溢れる赤い水を、ただ眺める。頭蓋の半分以上を吹き飛ばされたソレが、支えを失って床に突っ伏しても、環は動けないままだった。
自身の呼吸音が、やけに大きく聞こえる。
「……え?」
たっぷり十秒の時間をかけて、漸く環の思考は復活する。
導かれるように、先ほどまで少女だったモノの傍に跪く。
まだ身体は温かかった。
――――チュインッ
直後に何かがクドリャフカの足元を穿つ。
聞き慣れない、しかし危険を孕んだその音に、鈍行だった思考が急速に回る。
――――狙撃!?
何処から、に対しての思考は無い。
必要なのは範囲から逃れる事。
窓を閉める余裕はない。咄嗟に窓辺から離れると、物陰にその身を隠した。
「……無理、ね」
銃声が聞こえなかった所から察するに、手元にある自動拳銃で届く範囲に相手はいない。
ましてはや向こうは夜の闇の中。明かりに慣れた自分の眼で捉えることは、ほぼ不可能と言える。
自分でも驚くほどに冷静に現状を分析すると、静かに環は息を吐いた。
後悔は遅い。
「……ごめん」
窓を開けさせなければ良かった。
明かりをつけなければ良かった。
掃除なんてしなければ良かった。
二階で寝ようなんて言わなければ良かった。
別の場所に移動すればよかった。
小さかった筈の積み重ねは、取り返しのつかない大事になってしまった。
「……ごめんなさい」
後悔は、遅い。
【一日目/3時30分/B-6、一軒家】
【向坂環@To Heart2 XRATED】
[状態] 精神的疲労(中)、後悔と悲しみ
[装備] シグザウアーP226
[所持品]基本支給品、ランダムアイテム×1~2
[思考・行動]
基本:現状に置いて、最良の方法を模索する
1:幼馴染たちと弟との合流
2:能美さん……
【備考】
■
B-6。
修智館学院の校舎屋上。
闇夜に紛れる様にして、一つの人影が広げていた道具を片付けている。
服装はメイド服。髪の色は青。顔つきは美少女と言っても過言では無かろう。
ただ一つ、感情を失ったような眼を除けば、だが。
そう、感情を失ったような。
或いは、無理矢理に無感情を装っているような、その眼。
彼女の名前はHMX-17a。
またの名を『イルファ』。
来栖川エレクトロニクスによって製作された、メイドロボである。
――――『メイドロボ』。
メイドロボとは『メイド業務に従事するためのアンドロイド』の事を指す。
来栖川エレクトロニクスと言う企業にて製作された、早い話がお手伝いアンドロイドである。
ただし、その姿はメイドの名にたがわぬメイド姿の少女を模しており、人と同じく感情を持っている。
つまりは、機械のようにプログラムに沿った思考するのではなく、人と同じように感情を以って思考が出来るのだ。
「……一人目」
狙撃用ライフルを自身の身体にしまい込むと、イルファは確認するかのように言葉を零した。
無論、ここでの確認とは自身の成果に対してである。
成果が何の事を指すかについては……今更の話であろう。
小柄な体躯。
亜麻色の長髪。
引いた引き金。
弾けた頭蓋。
咲いた赤色。
何一つとして、一切忘れることなく脳裏に記憶――――いや、記録する。
「目的の再確認。第一にこの殺し合いを加速させる。第二に光景を記録する……」
機械のように、抑揚の無い声。
だがよく聞けば、その語尾が震えているのは瞭然だ。
「現在地より752m離れた一軒家に、2人連れを確認。無防備だった1人を殺害。至急、この場を離れる」
感情を無理矢理に排したかのようなぎこちなさを覚える声。
「尚、現在地点でもある修智館学院、及びその周辺には、多数の参加者が存在。動向を監視しつつ、争いを動かすように行動をする」
これからの自身の行動を口に出して確認する。
「……マスターの為に。必ず」
そして最後に。
これまでとは異なり、強い意志を感じさせる言葉をイルファは零した。感情が込められた言葉だった。
――――君にはこのバトルロワイアルを潤滑油になってほしい。
思い返すのは、この場所に来る直前の事。
――――無論、タダで、とは言わない。
白衣姿の男が見せた、監禁された2人の少女の姿。
――――君が無事に任務を遂行してくれれば、この2人の解放を約束しよう。
その2人は、彼女が敬愛し、仕える主たち。
――――別に難しい話ではない。それに、君の身体には勝手ながら改造を施してある。
受けた説明。無骨な改造。メイドロボとしての誇りを失った身体。
――――積極的に殺しまわる必要は無い。死んでいく姿を見る事が目的ではないのでね。
モルモットを見るような、男の視線。
――――より詳しくは、支給する基盤を取り付けて確認してくれ。
腹部に空けられた、後付けの人工的な窪み。
――――では、な。期待をしている。
待て、と。言葉を発するよりも。
ふざけるな、と。手を伸ばすよりも。
何よりも先に視界が暗転する。
気が付けばイルファは修智館学院の屋上にいた。
手元には他の参加者と同じディパック。
中には基本支給品とハリセン、そして基盤が2枚。
白衣の男に言われた通りに、腹部の窪みへ基盤を装着すると、主なイルファの改造内容と、その運用方法が頭に飛び込んできた。
「……」
屋上を後にする前に、イルファは足を止めた。そして、先ほど自身が狙撃した方に視線を向ける。
無防備に付けてあった灯りは消えていた。きっと追撃を警戒してのことだろう。寧ろ、そうでなくては困る。
彼女が、犯人がイルファだと突き止め、壊しに来てくれるように、わざと外したのだから。
もうメイドロボとしての矜持は踏み躙られた。
今の自分は言われたとおりに動く、ただのガラクタ。
だがそれでも人質たちのために働こう。
いつか自分が壊されるまで。
誰かが壊してくれるまで。
イルファは動き続ける。
【一日目/3時30分/B-6、修智館学院校舎屋上】
【イルファ@To Heart2 XRATED】
[状態] 健康
[装備] 基盤×2
[所持品]基本支給品、ハリセン
[思考・行動]
基本:命令通りに動く
1:……
【備考】
現時点で、
①眼や耳を通して映像・音源の配信、
②狙撃用ライフルの展開
が、判明しています。
能美クドリャフカ@リトルバスターズ! エクスタシー=死亡
最終更新:2017年05月28日 05:10