対馬の狼煙場跡を踏査して

「対馬の狼煙場跡を踏査して」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

対馬の狼煙場跡を踏査して」(2019/07/01 (月) 15:11:27) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

2016/11/19(土) 午前 10:01 日記 長崎県        踏査の成果は一カ所のみ  「国界の島・対馬」には古代より外寇に備えて狼煙台などが      整備されたと史書は記しています。無線やスマホが無い時代に島が 外国から急襲されたら島内で狼煙をリレーし大宰府に知らせていたのです。  そんな狼煙場の跡を見てみたいという野次馬根性が起きて彼方此方の山に 登り山頂付近を探索したもんです。ところが山は広くて険しく山道も 分からない余所者には冷淡で、下手をすれば迷子になります。     狼煙場を探す手法としては「文献資料」「地名」「口承・伝説」などを 頼りに絞りこみます。ただ、『津島紀事』などの史料に狼煙場の 記述があっても「地図」はありません。地元住民には不用です。     これまでに踏査した山を北から順に記述します。まず上県町佐護の 千俵蒔山(井口嶽)です。昔は茅場で樹木が少ないので探すのは 楽ですが遺構は不明です。ただ山頂に狼煙場は不適でしょう。  そこで目星をつけたのが南側に位置する柑子(こうじ)嶽でした。 友谷から二人で登り山頂西方の尾根に巨石を組んだ場所を 発見。狼煙場の待機所かと思いましたが確証はなし。        次は御嶽です。山頂には何度も登り祀られている蔵王権現様を拝みました。  六人で主に北側の山中を探索したものの手掛かりナシ。そこで後日、 単独で南側斜面を踏査、すると屋敷跡のような謎の石垣を発見。        さらに、峰町青海で火立隈(ほたてのくま)の地名を見つけ二人で 探検に向かいました。まず、住民に尋ねても、チンプンカンプンで空振り。  山中を徘徊したものの穴とか大石などは見つかるものの正体は藪の中です。  それならと美津島町大山の浅茅山(大山嶽)に三回ほど登ります。国道から 登山道もあり容易に登れる山ですが砲台が築かれたこともあり頂付近は荒れてます。  かなり前、西側斜面の雑木がパルプとして伐採されたので一人で登り、稜線に石垣を発見。  ある日、管内図を見ていたら小船越に 火立隈(ほたてのくま) を発見。さっそく住民に 問い合わせました。すると、「殿様の船が着くと火立隈で狼煙を上げていた」と教えてもらう。 そこで国道から旧道の山道を駆け上り、遺構を発見。煙を上げた石積みが残っていました。    洲藻と箕形間の遠見嶽には難儀しました。箕形の住民は遠見嶽で狼煙を上げたことを昨日の ことのように話します。そこで友人の県職員二人と北側からアタックしたのですが道が途切れて リタイヤ。そこで洲藻の住民に案内を依頼して再アタックしたものの遺構は見つからず。残念。  かつて須藻のT家では遠見嶽に登り祠に参拝、特別の供物を奉納していたと聞き再々アタックを 計画。友人二人を誘い登るのですが山道を忘れ山頂に着いた時は息絶え絶えの状態でした。 そこで同メンバーでリベンジ登山をしますが更なる難コースとなり探索は諦めました。    これらの狼煙場跡の踏査から分かったことがあります。近場に連絡する狼煙台は山頂に 設置していた、ということです。小船越の火立隈は東西の海が見えて沖の船からでも 視認できます。島を縦断して壱岐、大宰府に連絡する場合は山南斜面に設置します。    その理由は山頂は風が強く煙は流されます。さらに煙の色と雲の色が同色の場合も 考えられます。南斜面だと風の影響も少なく緑色を背景に煙は目立つはずです。 結論は、山は樹木が繁茂し行動は制限されるので住民の協力が不可欠です。                      ただ、狼煙台跡の調査は、あと一ヶ所残っています。ヒラクチ(へび)が冬眠する 冬場に挑戦し石積みを確認しようと願ってます。中世の遺跡のはずです。         狼煙場伝説に彩られた 遠見嶽 https://blogs.yahoo.co.jp/taisyuu_torayama/14623485.html
2016/11/19(土) 午前 10:01 日記 長崎県        踏査の成果は一カ所のみ  「国界の島・対馬」には古代より外寇に備えて狼煙台などが      整備されたと史書は記しています。無線やスマホが無い時代に島が 外国から急襲されたら島内で狼煙をリレーし大宰府に知らせていたのです。  そんな狼煙場の跡を見てみたいという野次馬根性が起きて彼方此方の山に 登り山頂付近を探索したもんです。ところが山は広くて険しく山道も 分からない余所者には冷淡で、下手をすれば迷子になります。     狼煙場を探す手法としては「文献資料」「地名」「口承・伝説」などを 頼りに絞りこみます。ただ、『津島紀事』などの史料に狼煙場の 記述があっても「地図」はありません。地元住民には不用です。     これまでに踏査した山を北から順に記述します。まず上県町佐護の 千俵蒔山(井口嶽)です。昔は茅場で樹木が少ないので探すのは 楽ですが遺構は不明です。ただ山頂に狼煙場は不適でしょう。  そこで目星をつけたのが南側に位置する柑子(こうじ)嶽でした。 友谷から二人で登り山頂西方の尾根に巨石を組んだ場所を 発見。狼煙場の待機所かと思いましたが確証はなし。        次は御嶽です。山頂には何度も登り祀られている蔵王権現様を拝みました。  六人で主に北側の山中を探索したものの手掛かりナシ。そこで後日、 単独で南側斜面を踏査、すると屋敷跡のような謎の石垣を発見。        さらに、峰町青海で火立隈(ほたてのくま)の地名を見つけ二人で 探検に向かいました。まず、住民に尋ねても、チンプンカンプンで空振り。  山中を徘徊したものの穴とか大石などは見つかるものの正体は藪の中です。  それならと美津島町大山の浅茅山(大山嶽)に三回ほど登ります。国道から 登山道もあり容易に登れる山ですが砲台が築かれたこともあり頂付近は荒れてます。  かなり前、西側斜面の雑木がパルプとして伐採されたので一人で登り、稜線に石垣を発見。  ある日、管内図を見ていたら小船越に 火立隈(ほたてのくま) を発見。さっそく住民に 問い合わせました。すると、「殿様の船が着くと火立隈で狼煙を上げていた」と教えてもらう。 そこで国道から旧道の山道を駆け上り、遺構を発見。煙を上げた石積みが残っていました。    洲藻と箕形間の遠見嶽には難儀しました。箕形の住民は遠見嶽で狼煙を上げたことを昨日の ことのように話します。そこで友人の県職員二人と北側からアタックしたのですが道が途切れて リタイヤ。そこで洲藻の住民に案内を依頼して再アタックしたものの遺構は見つからず。残念。  かつて須藻のT家では遠見嶽に登り祠に参拝、特別の供物を奉納していたと聞き再々アタックを 計画。友人二人を誘い登るのですが山道を忘れ山頂に着いた時は息絶え絶えの状態でした。 そこで同メンバーでリベンジ登山をしますが更なる難コースとなり探索は諦めました。    これらの狼煙場跡の踏査から分かったことがあります。近場に連絡する狼煙台は山頂に 設置していた、ということです。小船越の火立隈は東西の海が見えて沖の船からでも 視認できます。島を縦断して壱岐、大宰府に連絡する場合は山南斜面に設置します。    その理由は山頂は風が強く煙は流されます。さらに煙の色と雲の色が同色の場合も 考えられます。南斜面だと風の影響も少なく緑色を背景に煙は目立つはずです。 結論は、山は樹木が繁茂し行動は制限されるので住民の協力が不可欠です。                      ただ、狼煙台跡の調査は、あと一ヶ所残っています。ヒラクチ(へび)が冬眠する 冬場に挑戦し石積みを確認しようと願ってます。中世の遺跡のはずです。         狼煙場伝説に彩られた 遠見嶽 [[https://blogs.yahoo.co.jp/taisyuu_torayama/14623485.html>>https://blogs.yahoo.co.jp/taisyuu_torayama/14623485.html]]

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。