<サンプル>01(この記述は2011年2月から3月の期間のものです。その他のサンプルも希望)
1971年(昭和46年)
・04月頃:1971年度テキストとして、下記の図書が決まった。
①西山卯三編著「現代日本の都市問題」汐文社(卯の文字は後日修正予定)
②松下圭一著 「シビル・ミニマムの思想」東京大学出版会
当時もむずかしくて、発言もよくできませんでした。
以上の著書は、2011年現在も未消化だとおもいます。
内容の把握が終了しないまま、現在に到っています。
◎(雄造先生は、回答は本人が出すべしと考え、見守る姿勢にあったと思っています。)
・09月頃:磯村英一学長が工学部で講演をした。これは雄造先生の招聘だったと当時も考えられた。
・11月頃:図書閲覧室のホワイトボードに「C.Alexander」の文字あり、小生調子にのって、
これを読めばいいのでしょうか?と発言したら、しかられました。
「軽々しく発言するもんじゃない」の意味だったと思います。
確かにその時は、関連図書は読んでいなかったのです。
◎(以上、きれいごとを記述しましたが就職・卒業に必死の状態、いまでも追試験の夢をみます)
(これらの思い出のなかから、「教育活動欄」にふさわしいものが、でてくるかしら。)
(12月中に就職先から内定をもらい、以後卒論と卒業設計に集中。その合間に遊ぶ)
◎(後日、03月20日頃の進級判定会議で卒業と決まった旨、雄造先生から聞かされました)
(1972年03月の卒業式には出席しないで研究室で過ごしていました。)
(検索機械タナックの操作や、世間ばなしで、式には背をむけたつもり。)
◎(後日、両親からは、学費を送金した者のことも考えるべし、のコメントもらう)
(1971年度の出来事は、少しづつ思い出してきました。SN記)
1972年(昭和47年)
・02月頃:(札幌冬季オリンピック)
・03月 :やっと卒業。雄造先生にはご挨拶したが卒業式は欠席、前田研究室で終了を待ちました。
・04月 :(年度が変わり)就職先の生活が始まりました。
新しい空気に溶け込むため、かなり夢中でした。
◎(就職のご挨拶の電話の後連絡が中断しました、約20年間位でした。SN記)
・・・・・・・・(約20年間の経過)・・・・
1992年(平成4年?)
・08月 :雄造先生と再会、不思議なことが起こったのです。
これはなにかの縁だと思いました。
◎その時思ったことは、連絡は何度でもすればいい、でした。
一度、二度、三度、・・・・n度、と続くと思いました。
2004年(平成16年)
・10月 :新潟県中越地震 発生。旧山古志村の惨状も広く報道された。
内田雄造研究室での取り組みも連絡があった。
そして「山古志復興」がテーマとなった。
◎(1885年頃の調査研究事案を除き、県内事案の縁はほとんどなかった。)
(取り組みの内容などから、注目の調査研究事案であった)
2005年(平成17年)
・09月 :大学紹介プロジェクトなどで、「山古志復興物語」計画などが紹介された。
2006年(平成18年)
・08月頃:雄造先生がたびたび長岡市にも来られるようになった。
たまに運転手などしたが、この運転がおもしろかった。
◎(車内で聞く、先生のお話がおもしろい)
(先生の近くで勉強することを発想、センター経由で調査研究を申し出る)
2007年(平成19年)
・09月 :研究室OB会の山古志視察見学会あり。
:多分月末だったが、センターの聞取り調査に参加。
◎(筆者も参加、見学+記述の必要を痛感、時間が不足)
(年度末に集中して調査を試行した)
2008年(平成20年)
・06月 :山古志現地研究合宿。
◎(筆者は、農家民宿に泊まってみた)
(この時点でも筆者の方向性は、いまだ不明確)
2009年(平成21年)
・08月 :山古志現地研究合宿
◎(「からむし」,「かぐらなんばん」,観光・交流,に気づく)
(この間、雄造先生はジッと待っておられた印象)
2010年(平成22年)
・08月 :山古志合宿は期間短縮で参加、個人的事情の為。
◎(相手方に対し、先生のツボを押さえた聞き取りに感心。)
(感心だけではマズイので類似質問試行するが、かわされることも多々あった。)
● 先生への思い出は多々ありますが、最大のものは筆者の場合「がっちりレシーブ」がありました。
それに対して当方のリアクションが不足していましたが、その回答をジッと待つ姿勢が、
強く印象されます。なかなか回答できない日常ですが、早いにこしたことはないのですが、
遅い回答に対しても、その内容によっては、聞く耳を持たれていました。
これは、非常にありがたいことでした。
● 不勉強等を脇において記述すれば、想像ですが旧制高等学校には名物教授がいたそうです。
そういうことを想起する先生でした。
● 筆者の場合、ここまでとしますが、ほかの方の参加も希望します。
媒体の性質から、ここまでがやっとでした。これ以上については、いわゆる私家版メモで
個人的に整理したいとおもっています。やく1ヶ月半書き込みを休みましたが、
2011年3月20日に一気に後半を進めました。読んだ方おつかれさまです。
● 追記:1991年に「日本建築学発達史復刻版」を入手していましたが、その後先生には、
1992年に再会でした。「庶民住宅」の部分はその時点で読んでいました。
印刷プレビューで80%縮尺で、A4・2ページに納める為、修正しました。
これだけはここにも記述したいポイントです。(ではしつれいします。SN記)
最終更新:2011年03月20日 17:17