京介「俺の妹がこんなに可愛いわけがない  8?」

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3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 19:01:26.20 ID:bXAtVviK0 [2/10] 主人公は丁寧にりんこの服を脱がせ、たっぷりと時間をかけて愛撫する。 耳を甘噛みし、瞼、鼻先、頬にキスをして、最後にりんこの薔薇色の唇に、自分のそれを合わせた。 『ん……んむっ………』 舌先を入れると、りんこは一瞬だけ身体を強張らせたが、 すぐに主人公の舌を受け入れ、熱く濡れた自分の舌を絡ませてきた。 室内に妖艶な水音が響く。 りんこは唇と唇を繋ぐ銀色の糸を指で断ち切りながら、 『……兄貴……アタシたち……すごくエッチなことしてるね……』 熱く怒張した主人公の愚息に、そっと手を伸ばす。 『兄貴の……すごく苦しそう……しても、いいんだよ……アタシは平気だから』 それがりんこの強がりだと知りながら、 主人公は固く閉じたりんこの秘所に、唾液で濡らした指を這わす……。 「…………なあ、Hシーン終わるまでスキップしねえか?」 「な、なんで?」 上擦った声で聞き返してくる桐乃。 なんでって、気まずいからに決まってんだろうが! 妹に見られながらHシーン(しかも近親相姦)鑑賞するとかどんな羞恥プレイもとい拷問だよ! 4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 19:08:24.04 ID:bXAtVviK0 [3/10] 「あっ、あんたが意識しなけりゃいいだけじゃん。  あたしみたいに、もっと純粋にりんこりんを愛でることができないワケぇ?」 桐乃はひょいと俺の肩から顔を出し、視線を下に向けると、みるみるうちに顔を紅潮させて、 「うわ……勃ってるし……キモぉ」 うっせ。これは男として当然の生理的反応だっつうの。 目の前にこんなエロっちいCGとテキスト示されて反応しないヤツは、不能者か聖人くらいだろうよ。 それに、 「お前もなんだかんだ言って、こういうシーン見ながら――」 「こういうシーン見ながら、なに?」 「なんでもねえよ」 危ねえ危ねえ。こういうことは冗談でも言ったら殺される。 結局その後、桐乃からスキップのお許しは出ず、 俺はクリックを連打しつつCGから目を逸らしつつエロボイスに耳を塞ぎつつ、Hシーンを完走した。 自分で言うのもなんだが、報奨モンだよ。 誰も誉めちゃくれねーけどさ。 初Hを終えた主人公とりんこは、この関係を周囲に隠したまま生きていくことを誓い合う。 季節は巡り、春。 大学生になった主人公は、大学近くの安普請のアパートに引っ越すことになった。 調度に乏しい、殺風景な部屋を眺めて、主人公は溜息を吐く。 みやびやりんこと一緒に暮らしていた日々が懐かしい……。 『なぁ~にしょぼくれてんの?バカ兄貴』 そんな主人公の背中を、りんこは後ろからぎゅっと抱きしめてくれる。 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 19:22:52.77 ID:bXAtVviK0 [4/10] りんこは主人公の大学に程近い高校に入学した。 理由はもちろん、主人公と同棲するためだ。 『アタシがいるから……寂しくないでしょ?』 そうだな。主人公は窓外に視線を転じ、 高く澄んだ蒼穹を舞い散る桜の花びらに、新しい季節の到来を予感する。 きっとみやびも空の上から、主人公とりんこの新たな門出を祝ってくれているに違いない。 『ずっと……ずっとずっと、一緒だからね……』 りんこの言葉に、主人公は強く頷いた。 暗転する画面。 表示される『Happy End』の文字。 「終わったな……」 「終わったね……」 ほう、と俺たちはそろって息を吐く。 しすしすプレイ中、突っ込みどころは至る所にあったし、 三行に要約できるような薄っぺらいストーリーだったが……なかなかどうして、感慨に耽っている俺だった。 おっかしーな、急に画面の解像度が低下しやがった。 「ぷくくっ、何ちょっと涙ぐんでんの、あんた」 うるせえ。お前も初プレイ時には大泣きしたんだろうが。 11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 19:44:15.75 ID:bXAtVviK0 [5/10] 桐乃は腹の立つクスクス笑いを響かせながらも、ティッシュを箱ごと渡してくれる。 ふん、気が利くじゃねえか。でも、なんで箱ごと? 「いいからいいから。持っときなって」 桐乃の意味深な言葉の意味が分かったのは、スタッフロールが流れ出してからだ。 妹と兄の切ない擦れ違いを歌った曲をBGMに、 りんこと主人公の写真が、スライドショーで映し出される。 くそっ、こんなの反則だろうが! 最初は主人公に対して険しい表情しか見せていなかったりんこが、 徐々に主人公に心を開いていく過程を改めて見せつけるなんてよ……。 そして最後に表示される、ブランコに乗った幼いりんこが、同じく幼い主人公に背中を押されている一枚。 幼いりんこは義理の兄がどんな人か知るために、 慣れないバスを乗り継いで、主人公の住む街にやってきた。 そして、偶然公園で主人公を見つけ、一緒に遊んでもらった記憶を、ずっと胸の中で大切に温め続けていたのだった……。 『fin』の文字を見て、今度こそ本当に、りんこりんルートが終わってしまったことを理解する。 「これ、ファンディスクとかねえの?」 無意識のうちに訊いていたよ。 「今年の冬に発売だって。  ライターさん忙しいらしくてさぁ、なかなか執筆の時間取れないみたい。  にしても、よく一回もBADエンド見ずにクリアできたね?」 選択肢は特に何も考えず、直感的に選んでたんだがな。 「あんたやっぱさぁ、エロゲの才能あるんじゃない?」 いらねーよそんな才能。 18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 20:52:24.41 ID:bXAtVviK0 [6/10] 時計を見ると、二時を少し回っていた。 ウィンドウを閉じて、パソコンの電源を落とす。 「あっ、電源つけたままで良かったのに」 「まだネットサーフィンするつもりだったのかよ。  夜更かしは肌の大敵だぜ。モデルが体調管理怠ってどうするよ」 「そーいう心配は十代のあたしには関係ないしィ」 「そうかい」 桐乃は椅子を回転させ、俺と向き合う形になって言った。 「エロゲが終わったら、その次は感想タイムだから。  りんこルート……あんた的には、どうだった?」 神だの最高だのと奉られようが所詮はお涙頂戴の三文ストーリーだった、と言いたいところだが、 「不覚にも涙ぐんじまったよ。つーか、お前も見てたじゃねえか」 「あんたが泣くのは最初から分かってたし。初見で泣かないのは人の皮被った悪魔だし。  あたしが訊いてるのは、そういう全体を通してのは感想じゃなくて……。  ……ッ、りんこりんルートのエピソードに、ひとつくらい共感したのは無かったワケ?」 20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 21:16:41.41 ID:bXAtVviK0 [7/10] 俺は頬をポリポリ掻きつつ、 「共感ってなあ……お前、義理の双子姉妹がいない俺にどこでどう共感しろってんだよ?」 「本当に、何も無かったんだ?」 膝を抱えて、拗ねたような顔になる桐乃。 そうだな、強いて言うなら、 「物語途中までのりんこの性格は、お前そっくりだったかな?」 「…………ッ」 あれ、もしかして今地雷踏んだ? 恐る恐る反応を伺うと、桐乃は寂しげな微笑を浮かべて、消え入るような声で呟いた。 「覚えてるわけ、ないよね」 エロゲと違って、現実に明確な選択肢は現れない。 共感できないものは共感できないと言うほかないし、覚えていないことには覚えていないと言うしかない。 だから俺はその代わりにと、桐乃の頭に右手を乗せた。 なんで、と桐乃の微かに湿った目が訴えかけてくる。 「撫でたくなったから、撫でてるだけだ」 そうだ。兄貴が妹の頭を撫でるのに、特別な理由なんて要らない。 桐乃は午睡しようか迷っている猫のように目を細め、そっと身体を近づけてきた。 「兄貴……あたしさ……兄貴に、ずっと言おうと思ってたことがあって……。  ホントは海外に行く前の夜に言うつもりだったんだけど、その時は、勇気が出せなくて……」 23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 21:51:27.86 ID:bXAtVviK0 [8/10] そこでいったん言葉を切り、苦しそうな顔で見上げてくる。 胸中に去来した感覚は、以前、一度味わったものだった。 ――桐乃さんは、お兄さんに、気づいて欲しかったんですよね? 御鏡の言葉を勢いよく否定した桐乃は、じゃあ何だよ、と尋ねた俺に、これとまったく同じ顔をして見せたのだ。 自慢じゃないが、俺の直感は往々にして正しい。 だから、これが何度も先延ばしにされた分水嶺で、 ここを通過してしまえば――このまま桐乃の言葉に耳を傾けてしまえば、取り返しの付かないことになると思った。 「桐乃」 「な、なに?」 「……俺もお前に、話しておかなくちゃならないことがあるんだ。先に聞いてくれるか?」 コクリ、と頷く桐乃。 透き通った碧眼には、不安と期待、両方の色が浮かんでいた。 先に謝らせてくれ。 ごめんな、桐乃。 俺が今から言う言葉は、お前を傷つけるかもしれない。 一年と半年前から、ずっと温め直してきたお前との関係を、また振り出しに戻してしまうことになるかもしれない。 でも俺は――俺は誰よりも最初に、お前に話しておきたいんだ。 「黒猫と、付き合うことにした」 33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 23:01:18.61 ID:bXAtVviK0 [9/10] 草木も眠る丑三つ時。 お互いの息遣いだけが、痛いほどの静寂を乱す。 桐乃は目を瞠ったまま、夢現で言葉を紡いだ。 「嘘……嘘だよね……?  一昨日は、黒猫の告白を断ったって……」 「誰もそんなことは言ってないだろ。一日、待ってもらってただけだ」 「なんで……」 「その場の勢いで答えたら、後悔することになると思ったんだよ」 「いつ……黒いのに返事したの……」 「昨日、黒猫を駅まで送ったときに言った」 桐乃はきゅっと下唇を噛み締め、俯く。 前髪が表情の半分を覆い隠してしまう。 が……ひとつ、またひとつとシーツの上に描かれる水玉模様が、 今桐乃が何を思い、何を感じているのか、如実に物語っていた。 「あんた……黒いののこと、好きだったんだ……?」 「……ああ」 「ふぅーん……、じゃあ、両思いだったんだ……サイッコーに幸せだね……」 「……ああ、そうだな」 48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 23:50:39.08 ID:bXAtVviK0 [10/10] 「あはっ……馬鹿みたいだね、あたし……。  ……あんたにはもう、本当の彼女がいたのに……あんたの彼女のフリなんかしてさ……」 桐乃は涙で濡れた顔を、精一杯の笑顔に変えて、 「……笑っていいよ?あたしのこと……。  今度、あんたに買ってもらった服のお金、ちゃんと返すから」 「桐乃」 「あっ、服も持ってく?  黒いのにプレゼントしたら喜ぶんじゃない?  なんならあのイヤリングも一緒に――」 「桐乃、それは"俺"が"お前"にあげたモンだ」 「そっか。そう、だよね。  あたしのお古なんて、新しい彼女に渡せないよね……」 桐乃が言葉を重ねるたび、罪悪感が肥大していく。 もういいだろ、桐乃。それ以上自分を虐めるな。 俺は妹の戦慄く肩に、そっと手を伸ばした。 否、伸ばそうとした。 「触んなっ……そういうの、もうやめてくんない?……マジでウザいし、キモいから」 53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 00:33:04.44 ID:KU/Wy8bd0 [1/13] 「桐乃……お前……」  「いい年して妹相手に馴れ馴れしくすんなっつうの。  ちょっと優しくしただけで勘違いするとか非モテの典型じゃん。  従順な妹の演技するのもそろそろ我慢の限界ってゆーかァ、  さっき頭撫でられたときも、吐き気我慢するの超大変だったしィ」 「…………」 「てか、妹の友達に手出すとかマジ有り得ないんですケドぉ。  あんた、自分が最低なコトしてるって自覚ある?  あるワケないよね~、どうせ黒いのと、え、Hするコトしか頭に無かったんでしょ?」 「…………」 「あんたみたいなキモ男に告白するとか、黒いのも相当な好き者だよねー。  あんたが彼氏とか、罰ゲーム以外の何物でもないっしょ?」 「…………」 「ッ……なんで……?」 「…………」 「おかしいよ……なんでここまで言われて怒んないの?」 俺は黙って桐乃の頬に手を伸ばし、止め処無く溢れ出す涙の筋を、親指の腹で拭ってやる。 お前は『モデル』にはなれても『女優』にはなれそうにないな。 「そういうコト、するから……そうやって誰にでも優しくするから……勘違いしちゃうんでしょ……」 61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 01:27:48.19 ID:KU/Wy8bd0 [2/13] 桐乃は俺の手の上に自分の手を重ねて、 数秒目を閉じた後で、ゆっくり俺の手を払い除けた。 「……出てって」 首を横に振る。 こんな状態のお前を残して、部屋に戻れるわけがねえだろうが。 「出てってって、言ってるじゃん……!」 なおも首を横に振ると、ウサギのぬいぐるみが飛んできた。 タコのぬいぐるみ、トラのぬいぐるみ、クマのぬいぐるみと続き、 最後に投げつけられたハートのクッションだけが俺の顔面を逸れて、箪笥の上の写真立てを倒した。 飾られていたのは、沙織と黒猫と桐乃の三人が初めて秋葉でオフ会した時の写真だ。 まるでこれからの未来を暗示してるみたいだな、と一瞬でもそう思っちまった自分が嫌になる。 「お願いだから……一人にしてよ……」 このまま居座っても、桐乃を宥めることはできそうにない。 「……おやすみ」 返事をもらえないまま、ドアを閉めた。 その後、自分の部屋に戻った俺は、壁越しに妹の気配を感じながら、眠れない夜を過ごした。 94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 18:26:06.06 ID:KU/Wy8bd0 [4/13] 駅前の駐輪場に自転車を止めた俺は、 いつものクセで額を拭い、ちっとも手の甲が濡れていないことに気が付いた。 今日は過ごしやすい一日となるでしょう、という天気予報士のお告げは正しかったようだ。 空には薄い雲が斑模様に広がっていて、盛夏の日差しを和らげてくれている。 風は少し強いくらいで、駅から流れ出てくる人々は、 一様に目を瞬かせ、髪型の乱れを気にする素振りを見せる。 「早く着きすぎちまったかな」 俺は腕時計から駅前に視線を転じ、やがて小さな人だかりの隙間に、待ち人の姿を見た。 つば広帽子に、真っ白なワンピース。 腰まで届く艶やかな黒髪が、整った顔立ちを縁取っている。 和風美人という言葉がぴったりのその少女は、 しかしその容姿を見られまいとするかのように、体を縮こまらせていた。 「せ……せんぱ……」 俺の姿を認めた黒猫は、今にも泣きそうな声でそう言った。 俺は黒猫を囲んでいた野郎どもをぐるりと見渡し、 「こいつらお前の知り合いか?」 「違うわ」 「だよな」 黒猫の手を引いて歩き出す。 取り巻き連中の一人が何か言ってきたが、全部無視して歩き続けた。 98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 19:08:17.81 ID:KU/Wy8bd0 [5/13] どれくらい歩いただろう。 「はぁ……はぁっ……追っては、こないみたいよ……っ……」 「そっか、……って、急ぎ足で引っ張っちまって悪かったな。大丈夫か?」 黒猫は胸に手を当てて乱れた息を整え、 「問題ないわ。あなたは、わたしを助けようとしてくれたのでしょう?」 優しく笑んで、上目遣いに見つめてくる。 か、可愛すぎる。これ、狙ってやってんなら反則だからな? 俺は頬をカリカリ掻きつつ、 「まあ、それはそうだけどよ……つーか、お前さあ、待ち合わせの時間分かってるか?  十時だぜ、十時。早く来すぎだっつうの」 「それはあなたが偉そうに言える台詞ではないでしょう?」 分かってねえなあ、コイツ。 「お前は俺を待たせる側なの」 「とんだフェミニストね」 「バーカ。俺よりも早く来てナンパされてたら世話ねえだろうが」 107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 20:04:35.36 ID:KU/Wy8bd0 [6/13] 「……あなたは重大な勘違いをしているわ。  わたしは千葉の堕天聖黒猫。  人間風情が束になってかかってきたところで、闇の眷属たるわたしに敵うわけがない。  もしも『頻闇の帳(ブラインドフィールド)』を展開していれば、  彼らはわたしを傷つけるどころか、わたしを認識することすらできない愚図に成り下がっていたでしょうね」 嘘こけ。 俺が駆けつけた時は思いっきり泣きそうだったじゃねえか。 ついでに言っとけば、 「今日のお前は黒猫じゃなくて、白猫だろ」 「またこの前と同じことを言うのね……白猫だったら何だと言うの?」 「電波発言は控えめにしとけってこと。  私服姿のお前がそういう台詞口にしても、全然似合わねえから」 「フン。わたしの知ったことではないわ」 黒猫は拗ねるように唇を尖らせ、胸を反らせる。 真っ白なワンピースの上で、陽光を弾き銀色に輝くロザリオ。 この前のコミケで、俺が黒猫に買ってやったものだ。 「着けてきてくれたんだな」 113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 20:36:37.80 ID:KU/Wy8bd0 [7/13] 「あ、当たり前でしょう?」 黒猫は赤くなった顔を隠すように俯くと、 「これはあなたがわたしにくれた……初めてのプレゼントなのよ」 愛おしげに、指先でロザリオを撫でる。 その仕草は妙に扇情的で、俺はカッと顔が熱くなるのを感じた。 おいおい、ここで照れ隠しするのがいつもの黒猫だろ? 「『今日のわたしは黒猫ではなく白猫だ』と言ったのは、あなたじゃない」 繋いだ手に力が籠もる。 「ねえ……もしも……もしもあなたが望むなら……。  わたしはあなたの前でだけ、ずっと白猫のままでいてもいいわ」 ちょ、ちょっと待った! 落ち着け白猫――じゃない、黒猫! お前最初から飛ばしすぎだよ。デート開始からまだ20分しか経ってないんだぜ? クスリ。黒猫は妖艶に笑み、 「ふふっ、本当に騙されやすい雄ね。  わたしが自分のアイデンティティをそう簡単に捨てられるわけがないじゃない」 で、ですよねー。ほっと胸を撫で下ろしたよ。 残念な気がしなかったと言えば、嘘になるけどさ。 122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 21:09:38.01 ID:KU/Wy8bd0 [9/13] 「でも……呼び方を変えることは可能よ」 視線を俺の唇に注ぎ、意味深な呟きを漏らす黒猫。 「じゃあ、これからは白猫って呼んでもいいのか?」 と真顔で訊くと、 「…………ッ」 軽蔑の眼差しが飛んできた。 えっ?俺何か間違ったこと言った? 呼び方を変えてもいいって、そういうことだったんじゃないの? 黒猫は苛立たしげに目を眇め、 「わたしたちの関係に、もっと相応しい呼び方があるでしょう?  あなたは既に知っているはずよ。  わたしの真名ではないほうの……人間に擬態しているときの、仮の名前を」 「あっ……」 ここまで言われなくちゃ分からない自分に、ほとほと嫌気がさしてくるね。 「五更……瑠璃……」 「長すぎるわ」 ここで名字を選ぶほど、俺の脳味噌は終わっちゃいない。 「瑠璃」 127 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 21:31:55.20 ID:KU/Wy8bd0 [10/13] 「そう、それでいいのよ」 黒猫は――瑠璃は満足げに頷くと、 「このままでは不公平だから……わたしも、あなたの呼び方を変えるわ」 顔を完熟した林檎みたいに真っ赤にして、 「京介」 『兄さん』でも『先輩』でもない、俺の名前を呼んでくれた。 顔面の筋肉に力が入らない。 鏡が無いので分からないが、俺の顔は緩みに緩み、鑑賞に堪えないものに成り果てているに違いなかった。 元々見るに堪えない顔だって?ほっとけや。 「瑠璃……瑠璃……」 語感を確かめるように、何度も繰り返し、黒猫の本当の名前を口にする。 ああ、瑠璃にとっては『黒猫』が本当の名前なんだったっけ。 「は、恥ずかしいから無意味に連呼しないで頂戴」 「別にいいだろ、減るモンでもないしよ」 138 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 21:54:32.84 ID:KU/Wy8bd0 [11/13] 手を繋ぎ、お互いの本当の名前を呼び合う――。 ただそれだけで、瑠璃と恋人同士になったことを強く実感した。 ともすれば幸福感に酔い痴れそうになる理性を奮い立たせ、 俺は彼女に喜んでもらえそうな、午前中のデートプランを提案する。 147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 22:41:47.10 ID:KU/Wy8bd0 [12/13] 所変わって中央公園。 「ベルフェゴールの好きそうな場所ね。倦怠と堕落の香りがするわ」 敷地内に足を踏み入れた瑠璃は、開口一番、小馬鹿にするような笑みを浮かべてそう言った。 倦怠と堕落の香りって何だよ。さっぱり分からん。 「飯の時間までは、ここでのんびりしてようぜ」 俺は瑠璃の手を引いて、池に臨んだ遊歩道を歩いて行く。 何度も言うが、ここは初見で感じるほど退屈な場所じゃない。 木漏れ日が織りなす幾何学模様や湖面で弾ける陽光が目を楽しませてくれるし、 草いきれを孕んだ涼風は、現代社会に生きることで摩耗した心を優しく撫でてくれる……って、完璧思考がジジイだわ。 無難な選択をしたつもりだったけど、退屈させてねえかな? 恐る恐る瑠璃の様子を伺うと……。 「綺麗なところね」 穏やかな表情で、そう言ってくれたよ。 言葉少なに散歩を続けていると、やがて右手に、あのベンチが見えてきた。 自然と歩みが遅くなる。 つい昨日の出来事なのに、瞼の裏に蘇る光景が、 随分と昔のことのように色褪せて見えるのはなんでだろうな。 「……あのベンチが気になるの?」 「なんでもない。行こうぜ、あっちに花畑があるんだ」 訝しげな視線から逃げるように顔を背けて、歩調を早めた。 167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 00:21:25.60 ID:PCIUKWNi0 [1/8] 遊歩道の果て、池の一辺の延長線に沿うように作られた植え込みに近づくにつれて、甘い薫りが強くなる。 白、ピンク、赤、黄色、橙――色取り取りに咲き誇る花の中で、名前を知っているものはほんの数えるほどしかない。 それでも、大事なのは花を愛でる気持ちであって、たとえ名前を呼ばれなくても、 見られて綺麗と思ってもらえれば、それがお花にとって最高の幸せだと思う――とは麻奈実の弁。 「ここの花壇は、いったい誰が世話をしているのかしら」 「さあな。市の職員じゃないか」 「大変な作業でしょうね…………あら」 瑠璃は花壇の一角に屈み込み、何かを拾い上げた。 「何を拾ったんだ?」 「これよ」 瑠璃の手のひらの上に乗っていたのは、黄色いハイビスカスだった。 まだ落ちて間もないのだろう、踏まれた痕もなく、花びらはどれも瑞々しさを保っている。 「可哀想に。何かの拍子に落ちてしまったのね」 「貸してくれ」 「構わないけど、何に使うつもりなの?」 「いいから」 首を傾げながらも、瑠璃は俺の手のひらの上に、そっとハイビスカスを乗せてくれる。 俺はその付け根を指でつまみ、黒猫のつば広帽子の編みが粗い部分に差し込んだ。うん、いい感じだ。 「もう……」 瑠璃は一瞬、俺の勝手な装飾に文句をつけかけ、 「似合っているかしら?変ではない?」 170 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 00:48:03.05 ID:PCIUKWNi0 [2/8] 「よく似合ってるよ。マジで」 いよいよ夏の青春映画に出てくるヒロインじみてきた、とは言わないでおく。 「でも水に挿してあげなければ、すぐにでも凋萎してしまうのではなくて?」 なんだ、そんな心配してたのかよ。 「ハイビスカスはよく首飾りに使われてるだろ?  あれって、摘んでもなかなか萎れないからなんだ」 「そう。物知りなのね……きょ、京介は」 「………」 悪いな瑠璃、堪えきれそうにねえわ。 俺は吹き出した。 「な、何が可笑しいの?」 「慣れないうちは、無理して名前で呼ぼうとしなくてもいいんだぜ」 「呼ばなければいつまで経っても慣れることがないじゃない」 矛盾を突き付けられ、それもそうか、と思い直す。 てことは、これからしばらくは、ぎこちない『京介』を聞かされることになるんだな。 瑠璃はぷいと顔を背けて、さっき俺がしていたように、俺の名前を繰り返し唱える。 「京介……京介……」 なんだか背中がむず痒くなってきやがった。 おい瑠璃、本人の前で練習するのはやめろ。 176 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 01:28:01.56 ID:PCIUKWNi0 [3/8] 駅前の喫茶店で軽い昼食を取った俺たちは、電車を乗り継いで、 沙織の住む高級住宅街からそう遠くない、海辺の町にやってきた。 仄かに漂う磯の香りや爽籟の音に、いやがうえにも気分が高揚してくる……のだが、暑い。とにかく暑い。 空を薄く覆っていた斑雲はいつの間にか風に流され、 満面の笑みを浮かべた太陽は、まるで午前中の鬱憤を晴らすかのように眩い陽光を降り注がせている。 電車を降りてから数分、俺のTシャツは早くも汗でべとべとだ。 だというのに、 「瑠璃は汗一つかいてねえな」 透き通るように白い肌の上には、汗の玉どころか、しっとり濡れている様子さえ見受けられない。 マジで妖気の膜を張ってるとは思えないし、生まれつき汗腺が少ないんだろう。 「体調が悪くなったら、すぐに言うんだぞ」 「わたしの心配をする前に、自分の心配をしたらどう?  そんなに汗をかいていては、到着する前に脱水症状を起こしてしまうのではないかしら?」 空のペットボトルを見せる。 「あら、もう飲み干してしまったの?」 瑠璃は呆れたように瞬きし、しかし次の瞬間には、 はい、と自分の半分ほど中身が残っているペットボトルを差し出してきた。 いや、そういうつもりで見せたわけじゃ……嘘です、ちょっと期待してました。 「いいのか?」 「遠慮しないで呑んで頂戴。  わたしは喉が渇いていないし、あっちにも自販機の一つや二つ、置いてあるでしょう?」 223 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 22:47:15.94 ID:PCIUKWNi0 [6/8] 瑠璃の言葉に甘えて、蓋を開ける。 一口だけにしておくつもりが、我に返ってみれば、綺麗に飲み干していた。 一部始終を見ていた瑠璃は、 「子供みたいよ、あなた」 クスッと笑みを零す。 わ、悪い。飲み始めたら止まらなくってさ。 「謝ることはないわ。  遠慮しないで呑んでいいと、最初に言ったでしょう?」 「……そっか」 セスナ機の低く間延びしたエンジン音が、上空を横切っていく。 坂道の峠に差し掛かった折、瑠璃は出し抜けに言った。 「間接キスね?」 おま……、分かってても言わねーだろ、普通さあ。 「何を照れているの?小中学生じゃあるまいし」 俺をからかう瑠璃は心底楽しそうで、しかし人のことを笑えないくらい、顔を上気させていた。 「この程度のことを恥じらっているようでは、先が思い遣られるわね……きゃっ、何をするの?前が見えないじゃない!」 「不意打ちした罰だ。海に着くまでそうしてろ」 帽子のつばを目一杯下ろした――正確には下ろされた――瑠璃は泣きそうな声で、 「この状態でどうやって歩けと言うの?」 228 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 23:24:33.90 ID:PCIUKWNi0 [7/8] 「手を繋いでるから問題ないだろ」 「あなた、本気で言ってるの?」 「……冗談だよ」 帽子のつばを上げてやる。 微かに潤んだ双眸が現れ、非難するような視線を寄越してきた。 お、怒るなよ。落ち着いて俺の名前呼んでみ? 「きょ……京介」 ぷっ。 「わ、笑わないで頂戴。  それ以上笑えば、『緘黙の僕(サイレントスレイブ)』をかけざるをえなくなるわ」 「そいつはいったいどんな魔法なんだ?」 「72時間一言も口が利けなくなる恐ろしい呪いよ。無理に発声しようとすれば全身から血を吹き出して死ぬわ」 嫌な死に方ランキングがあれば余裕で上位を狙えそうな死に方だな。 俺は片手で口を塞ぎ、込み上げてくる笑いを噛み殺した。 立ち入り禁止のテープをくぐって、陽光に灼けた砂浜を踏む。 ざあ……ざあ……と響く潮騒が、耳に心地よい。 水平線では海原のエメラルドグリーンと夏空のセルリアンブルーが融け合い、その境界を曖昧にしていた。 俺と瑠璃の他に人影はなく、まるで世界に二人だけになってしまったかのような錯覚に陥る。 無骨な重機にさえ目を瞑れば、夏の海を楽しむには最高のビーチだった。 「どうやってこんな場所を見つけたの?」 「夏休みに入る少し前に、沙織が教えてくれたんだ」 232 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 23:51:22.16 ID:PCIUKWNi0 [8/8] 「沙織が?」 「ああ。瑠璃が夏コミに参加して俺たちがそれを手伝うことにならなけりゃ、  適当に都合の良い日見つけて、全員で来る腹積もりだったんじゃねえかな?」 この穴場で出来上がるまでの過程を要約すると、以下のようになる。 とある大企業が輸出業に飽きたらず観光リゾートの開発に着手、 着工からまもなく急激な円高化で企業成績は悪化、事業は縮小を余儀なくされ、 後には立ち入り禁止の看板と、乗り手のない重機だけが残された、というわけ。 「ふうん」 瑠璃は遠い目になり、 「本当に……綺麗な海ね……」 ぺたぺたと砂場に足跡をつけながら波打ち際に寄り、パンプスを脱いで素足を浸した。 抜けるような快晴のもと、瑠璃の波との戯れは、そのまま一枚の絵になるくらいに、色めいた光景だった。 絵心のない俺はその代わりにと、携帯カメラのフレームに彼女を収めた。 つば広帽子が瑠璃の精緻な顔に陰影を落とす。 海風が瑠璃のワンピースをふわっと膨らませる。 時折寄せる強い波が、瑠璃を慌てふためかせる。 242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 00:48:15.55 ID:N/7hYphP0 [1/11] 「いつまでそこで惚けているつもり?」 「すぐ行くよ」 靴を脱ぎ、携帯をその上に乗せる。 ジーンズの裾を捲り上げて波打ち際に歩み寄ると、ひんやりとした感触がくるぶしまでを包み込みんだ。 気持ちよさに身震いしたそのとき、 「うおっ……何しやがる!?」 「ふふっ、水も滴るいい男になったじゃない?」 両手で海水をすくい、第二波の準備を完了した瑠璃が言う。 あのなあ、一つだけ言っとくぜ。 俺は巷のバカップルみてえに、砂浜でキャッキャウフフ水を掛け合ったり、追いかけっこするつもりは―― 「ぶはっ」 思いっきり顔面を狙って来やがった! 口の中いっぱいに塩気が広がる。 「お前なあっ……!」 瑠璃は悪びれたふうもなく口角を上げて、 「悔しかったらやり返してみなさいな?」 248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 01:10:57.71 ID:N/7hYphP0 [2/11] 「おう、やってやるよ!」 俺は五秒前の発言を忘れて、両手の指を海水に浸す。 瑠璃のワンピースをびしょ濡れにしないほどの加減は弁えているつもりだ。 「おらっ」 「きゃっ……痛い……水滴が目に入ってしまったわ」 「だ、大丈夫か?」 慌てて近寄ろうとした俺を、 「フッ、愚かな雄ね。こうも簡単に騙されてくれると、張り合いが抜けてしまうじゃないの」 瑠璃は両手いっぱいの海水で迎撃する。 びしゃり。……久しぶりにキレちまったよ。覚悟しろや。 「待てコラ」 瑠璃はワンピースの裾を持ち上げて走り出す。 「人間風情がこのわたしに追いつけると本気で思っていて?」 甘いな。甘いぜ瑠璃。お前の弱点はその慢心にある。 ワンピースを濡らさないように注意を払っているが故の緩慢な逃げ足は、 既に首から上を海水に濡らし、Tシャツを汗みずくにした俺にとってはあまりに遅く、 「捕まえた」 「やっ……」 羽交い締めにされた瑠璃は、まるで触られることに慣れていない野良猫のように身を捩らせる。 254 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 01:26:35.94 ID:N/7hYphP0 [3/11] 瑠璃が抵抗の力を強めれば強めるほど、 俺は瑠璃を拘束する力を強め……いつしか、俺は瑠璃を後ろからきつく抱きしめる格好になっていた。 「……………」 「……………」 柔肌の感触や、髪から漂う甘い香りを意識した時には、もう遅かった。 胸郭を叩く心臓の鼓動が、瑠璃の背中から伝わるそれと、ぴったり重なっているように感じる。 どれほどそうしていただろう。 「あなたの妹には、もう、伝えたの?」 潮風に掻き消されてしまいそうなほど小さな声が聞こえた。 俺は黒猫の肩に顎を乗せて、 「ああ」 と頷く。 289 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 20:01:01.97 ID:N/7hYphP0 [5/11] 「ごめんなさい。嫌な役を押しつけてしまって」 「気にすんな。あいつからお前に、何か連絡は?」 「いいえ……何度かわたしの方から連絡を取ろうとしたのだけれど、  今のところは、すべて無視されているわ」 瑠璃はしんみりと言った。 「わたしとあなたの妹は、もしかしたら、もう元の関係には戻れないのかもしれない」 「弱気なこと言ってんじゃねえよ。  お前とあいつ――桐乃――は友達だろ」 「わたしはあの女と幾度となく喧嘩して、幾度となく仲直りしてきたわ。  でも、今回は違うのよ」 数拍の沈黙があって、 「わたしたちは……少なくともわたしには……妥協点を見つけることができそうにない」 いつか黒猫が言った言葉を思い出す。 『わたしにとってもっとも望ましい結果がもたらされるようにわたしなりの全力を尽くす』 その結果が現在ならば、黒猫は――瑠璃はなんとしても現状を維持しようとするだろう。 たとえその行動が、友達を失うことに繋がるとしても。 292 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 20:43:38.76 ID:N/7hYphP0 [6/11] 「勘違いしないで頂戴ね。  あの女はわたしが宵闇の加護を受けてから、初めてわたしに好敵手と認めさせた人間よ。  その関係を繋ぎ止めるためなら、わたしはどんな犠牲を捧げることも厭わない。  ただ一人、"あなた"を除いて―――」 瑠璃は俺から体を離し、 「――そこだけは、どうしても譲れないの」 どこまでも青い空を仰いで、 「あなたも、同じでしょう?」 「……ああ」 鷹揚に頷いて見せた俺を、瑠璃は一瞬、泣きそうな目で見つめ――、 次の瞬間には、強く吹き付けた海風が瑠璃の髪を攫い、その表情を覆い隠していた。 日が沈む少し前にビーチを引き上げた俺たちは、 そこから半時間ほど歩いたところにある、海鮮料理の美味しいお店にやってきた。 黒を基調としたシックな内装は、穏やかな暖色の照明に照らされて、上品な雰囲気を醸している。 294 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 21:16:43.00 ID:N/7hYphP0 [7/11] 案内に従って二人用のテーブルに着く。 瑠璃は周囲を見渡し、 「なんだか酷く場違いな気がするわ。  わたしはもっと庶民的なお店で良かったのに……」 そわそわと落ち着かない様子だ。 確かにここのメニューはどれも割高、主な客層は懐に余裕のある社会人で、 付き合い立ての学生カップルが訪れるような場所じゃないかもしれない。 でもさ、そんなことは気にするだけ無駄なんだよ。 代金さえ払えば、誰にだって美味い飯を食う権利はある。 さて、ここで問題です。 「どうして俺がこの店を選んだと思う?」 「分からないわ」 ギブアップ早っ。お前、最初から考える気なかっただろ。 「分からないものは分からないのよ。早く答えを言いなさいな」 本当は自分で気づいて欲しかったんだけど……仕方ねえか。 「瑠璃の好物は魚だろ」 「えっ」 予想外の反応に、ひやりとした不安が胸に滑り込んでくる。 あれ?違ったの? 298 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 21:56:46.59 ID:N/7hYphP0 [8/11] 瑠璃はフリフリと首を横に動かし、 「違わないわ。わたしは魚が好き……でも、どうしてそれをあなたが知っているの?」 言った覚えはないのだけれど、と不思議そうな面持ちで呟く。 まあ、忘れてても無理ないか。 「俺とお前が初めて会った日のこと、覚えてるか?」 コミュニティ『オタクっ娘あつまれー』のオフ会で、 黒猫と桐乃は他のメンバー同士の会話から見事にあぶれてしまっていた。 オフ会終了後、コミュニティの管理人である沙織の気配りによって、 俺、桐乃、黒猫、沙織の四人だけでの二次会が開かれ、互いに自己紹介をすることになったのだが、 黒猫の番、黒猫は自分の名前以上に多くを語ろうとしなかった。 そこで俺は「好きな食べ物は?」と尋ねた。 すると黒猫はいやいや義務を果たすように、しかし逡巡なく「魚」と即答してくれたのだった。 「思い出したわ」 瑠璃は頬を赤く染め、目線をあちこちに泳がせて言った。 「あなたはあの問答の内容を、ずっと覚えていてくれたのね」 ああ、と頷く。 「あの日のことは、多分一生忘れないと思うぜ」 オタクへの偏見が変わった日。 妹が自分の趣味を理解してくれる友達を手に入れた日……。 301 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 22:26:06.24 ID:N/7hYphP0 [9/11] 「ありがとう……とても嬉しいわ」 真っ直ぐなお礼の言葉が照れ臭い。 「そういうのは料理を腹一杯食った後で聞かせてくれ」 「それもそうね」 瑠璃は緩んだ表情を見られまいとするかのように顔を背けて、 「京介がこのお店に来るのは、これが初めてではないのでしょう?」 と訊いてきた。 「どうしてそう思うんだ?」 「お店に入るときに、ここは海鮮料理の美味しいお店だと、あなたが言ったのよ。  おかしな人ね。昔々のことは覚えているのに、ついさっきのことは忘れてしまうなんて」 俺だってド忘れくらいするさ。 クスクスと喉を鳴らしていた瑠璃は、ふいに思い悩むように視線を下ろし、唇を舌で湿らせると、 「……誰と一緒に来たのか、聞いてもかまわないかしら?」 304 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 23:04:39.18 ID:N/7hYphP0 [10/11] 女心の機微を"誤解"することにかけては天才的な俺の脳味噌でも分かったよ。 心の隅で縮こまっていた嗜虐欲が、ムクムクと首をもたげてくる。 海ではさんざ水を掛けられたことだし、ちょっとくらい虐め返しても罰は当たらねえよな? 「誰だっていいだろ。いちいち詮索してんじゃねえよ」 わざとぶっきらぼうに言う。 瑠璃はショックを受けたように目を見開いて、 「そ、そんなつもりで訊いたのではないのよ」 「じゃあ何のつもりで訊いたんだよ?」 「ッ、それはっ……あなたが……あなたの交友関係が気になって……」 しどろもどろに言葉を紡ぎ、湿り気を帯びた双眸で俺を見上げ、 「ごめんなさい……気分を害してしまったなら謝るわ」 やべえ。罪悪感が半端ねえ。 後で悔やむと書いて『後悔』だが、まさにそうだ。 彼女にこんな仕打ちをして楽しむつもりでいた30秒前の自分をブチ殺したくなってくるね。あやせじゃねえけど。 俺は慌てて弁明する。 「フェイトさんだよ」 瑠璃は茫然とした様子で言った。 「フェイトとはあの、伊織・フェイト・刹那のことを言っているの?」 313 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 23:42:27.97 ID:N/7hYphP0 [11/11] 「ああ、そのフェイトさんで合ってるよ」 ここで彼女のことを忘れた人のために簡単に解説していおくと、 伊織・フェイト・刹那、通称フェイトさんは、 二十代中盤のクォーターにして、スーツ姿がよく似合う理知的な美人――という華々しい外面はさておき、 内面は他人の創作物を剽窃するわ、中学生から借りた金を全額FXで溶かすわ、 収入のない高校生に飯を奢らせるわのダメダメ人間である。 盗作騒ぎで小説家への道を閉ざされた上派遣切りに遭い、 食い扶持を繋ぐことさえ困難な状況に陥っていた彼女だが、 今年の夏コミでは有名絵師の作品を一冊の本に纏めて売り捌くことに成功し、同人ゴロとしての第一歩を踏み出した。 「いったいどんな経緯で、彼女と食事することになったの?」 317 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 00:49:11.73 ID:6bruxdXk0 [1/25] 「瑠璃がゲー研の自主制作してた頃に、フェイトさんに呼び出されたことがあってさ。  その時に全然金持ってないって言われて、あんまりにも可哀想だったから、飯を奢ってあげたんだ」 「あなた、自分が相当なお人好しだという自覚はある?」 瑠璃は憐れむように目を細める。 いや、マジで可哀想だったんだって! 定職ナシ貯金ナシ身寄りナシの三重苦に陥ったフェイトさん目の当たりにしてみ? 自然と涙出てくるから。 「苦境はあの女が自分で招いたものよ。同情には値しないわ」 瑠璃、フェイトさんにはホント容赦ねえなあ。 無言で先を促され、俺は話を続けた。 「実は、この前コミケでフェイトさんに会ったときに、  もしも今回の同人誌販売で大もうけできたら、その時はいつかの恩返しをするから、ってこっそり言われててさ」 フェイトさん借金あるし、金遣い荒いし、全然期待はしてなかった、 というか約束自体すっかり忘れていたのだが、 「予想以上に儲かったらしくて、ついこの前呼び出されて、連れてこられたのがここってわけ」 「同人ゴロはあの女にとっての天職だったようね」 そうみたいだな。 「調子に乗って訴えられないといいけど」 320 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 01:17:19.30 ID:6bruxdXk0 [2/25] その心配はない……とも言い切れないのがフェイトさんがフェイトさんたる所以だ。 実際、この前一緒にご飯食べた時も、 『派遣が何よ。中途採用試験が何よ。  同人で一発当てたらそんなのどうでもよくなるわ。  京介くん、今のわたし輝いてる?わたしって勝ち組よね?ねっ?』 とベロベロに酔っ払って絡んできたしな。 同人ゴロの儲けに味を占め、やり口が年々エスカレート、槍玉に挙げられる未来が垣間見えたよ。 「お、来たみたいだぜ」 話が一段落したところを見計らったかのように、注文していた料理が運ばれてきた。 お腹はもうペコペコだ。 俺たちは早口で「いただきます」を唱え、箸を取った。 瑠璃は上品な箸使いで白身魚の焼き漬けを取り分け、小さな口に運ぶ。 もぐもぐ。一心不乱に噛んでいるところが可愛い。 まるで小動物の食事風景を見ているみたいだよ。 答えが分かっていても、尋ねずにはいられない。 「どうだ?美味いか?」 瑠璃は相好を崩して頷いた。 325 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 02:11:10.80 ID:6bruxdXk0 [3/25] ------------ トイレから戻ってくると、瑠璃は食事中の輝く笑顔はどこへやら、虚ろな目で空になった皿を見つめていた。 「何浮かない顔してるんだ」 食べ過ぎて腹痛でも起こしたか? 俺のからかいを綺麗にスルーし、 「とても、言いにくいことがあるのだけれど」 「うん?」 瑠璃はきまり悪げに俯いて告白した。 「わたしが食べた分の代金を、しばらく、立て替えておいてもらえないかしら。  食べるのに夢中になって、今日どれだけお金を持ってきていたのか、忘れてしまっていたの」 はぁ~。俺は大袈裟に溜息をついて見せる。瑠璃はおろおろとした様子で、 「ほ、本当にごめんなさい。月の終わりには、アルバイトの給料が貰えるから、必ず返すと約束するわ」 「落ち着け。あのな、いったいどうしてそういう発想が出てくるんだ?  今日は俺の奢りだよ。つーか、飯代くらい払わせろって」 さすがに交通費まで面倒見る気はないけどさ。 「そういうわけにはいかないわ。とりあえず、今お財布の中にあるお金だけでも……」 「だから、いらないっての」 なおも食い下がる彼女に、俺は止めの一言を刺してやる。 「トイレいくついでに会計済ましてきたから」 346 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 11:47:56.93 ID:6bruxdXk0 [5/25] 「なっ……卑怯よ」 なんとでも言え。 ちなみにこの方法は親父殿から伝授してもらったもので、 『一緒に誰かと飯食ってて、奢られるのを嫌がられた時はどうすりゃいい?』 『用を足すついでに払っておけばよかろう』 そんな遣り取りが昨日の夜にあったのだ。 割烹店で女に財布を出させることに羞恥心をくすぐられるのも、たぶん親父の影響なんだろうなあと思う。 店を出ると、むわっとした熱気が肌を包み込んだ。 辺りにはすっかり夜の帳が下りていて、八月が終わりに近づくにつれて、日が短くなっていることを実感する。 どちらからともなく手を絡め、歩き出した。 「ごちそうさま。とても、美味しかったわ」 「おう。気に入ってもらえて良かったよ」 「…………」 それきり会話が途絶える。 察しの良いこいつのことだ、俺が無理して見栄を張っていることにはとっくに気づいているんだろうな。 夏コミや二度にわたる偽装デートなどで今月の出費は嵩みに嵩み、 今朝財布に詰めてきた諭吉と樋口さんはさっきの会計で天に召され、今では野口英世が三人残っているのみである。 小遣い日は月初めだし、しゃーねえ、明日にでも年玉貯金崩しに行くか、 高校一年、二年の暇な時期にバイトでもしときゃ良かったな……と過去の怠慢を悔いていると、 「京介」 349 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 12:26:02.50 ID:6bruxdXk0 [6/25] 瑠璃がにわかに手を強く握りしめる。 俺は何気なく横を向いた。 「……んっ……」 かつ、と前歯が何かにぶつかる音がして、次の瞬間には、 ふっくらと柔らかい、まるで薔薇の花びらのような何かが唇に押し当てられていた。 とっさに身を引かなかったのは、本能がその感触を、その行為を求めていたからだと思う。 緩慢な時の流れ。 目と鼻の先にある瑠璃の顔は息が詰まるほど綺麗で、 俺はしばしその光景に見惚れ、……唐突に、『瑠璃にキスされている』ことを理解した。 どれくらいそうしていただろう。 瑠璃が背伸びをやめるのと同時に、唇を覆っていた心地よい感触も離れていく。 強い口寂しさに襲われた俺は、瑠璃の体を引き寄せようとして、 「ダメ……これ以上はいけないわ」 胸に手をつかれる。 「えっ」 その時の俺は、おあずけを食らった犬みたいな間抜け面をさらしていたに違いなかった。 「だ、誰かに見られたらどうするの。まったく、破廉恥な雄ね」 い、いきなりキスしてきて、その言い草はないだろ。 瑠璃は暗闇の中でも分かるほど、顔を耳まで真っ赤にして、 「……今のは"解呪"よ。  よかったわね。これであなたにかかっていた呪いは、新たな呪いに上書きされたわ」 359 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 13:53:41.91 ID:6bruxdXk0 [7/25] 「……っふ」と邪悪な笑みを浮かべる。 校舎裏に呼び出されたとき、俺は"解呪"の方法としてキスを想像し、 心を読まれて叱られたが……やっぱ、それで合ってたんじゃねえか。 「いかに宵闇の加護を受けたわたしとて、  呪いをかけるには、直接相手に触れなければならない。  そして最上級の呪いをかけるときは、経口が一番有効な手段だと古来から言い伝えられているのよ」 早口で捲し立てる瑠璃。 ならその古来からの言い伝えに感謝しなくちゃな。 甘い空気は電波発言で綺麗さっぱり霧散しちまったけれども。 「……帰るか」 「ええ、そうね」 「一回目の呪いが解呪されたからには、もう俺がヘタレても、死ぬことはないんだよな?」 「ふふっ、何を悠長なことを言っているの?  呪いは上書きされたのよ。制約を侵せば、あなたは全身から血を噴き出し、のたうちまわりながら息絶えるわ。  いえ、この呪いはもっと強力だから、想像を絶する苦しみがあなたを襲い、  それが何時間も続いた後でようやく死が訪れるのでしょうね」 怖ええ。 「ええ、本当に恐ろしい呪いよ」 瑠璃は悪戯っぽく笑んで、再び背伸びし、今度は俺の耳許に口を近づけて言った。 「だから精々、わたしを離さないことね」 364 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 14:14:47.61 ID:6bruxdXk0 [8/25] 家に帰ると、お袋はテーブルの椅子に座ってTVを眺め、 親父は一人掛のソファに座って新聞を読んでいた。 一見それは高坂家九時台の珍しくともなんともない光景のようで、 しかし同じ家に住む俺には、部屋に漂うピリピリとした緊張感が感じ取れた。 「ただいま」 「あら、お帰り、京介」 「………うむ」 挨拶を交わし、冷蔵庫へ。 常時備蓄されているはずの麦茶はどこにも見当たらず、 「麦茶、切れてんの?」 「買ってくるの忘れてたわ。今日は我慢して」 俺は仕方なしにコップに水道水を注いで喉を潤す。 ごく……ごく……。横目で伺った二人の様子は、明らかに普段と違っていた。 お袋はTVを見ているようで、ちらちらと壁時計を見ては溜息をついているし、 親父もさっきからずっと、新聞の同じページを読み続けていて、、 頭の中では全然別のことを考えていることがバレバレだった。 俺は三人掛のソファに腰掛け、あくまで顔はTVの方を向けたまま、 「桐乃は?」 親父の巌のような体が反応する。 「……知らん」 強い酒精の芳香が、つんと鼻の奥を刺した。 こりゃ相当飲んでんな。いや、お袋が飲ませたのか。 366 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 14:37:14.53 ID:6bruxdXk0 [9/25] 「あの子、今どこにいるか分からないのよ」 その一言に、この部屋に漂う嫌な空気の原因が凝縮されていた。 桐乃は見た目こそ派手だが、基本的に夜遊びはしない。 たまに帰りが遅くなるときは、必ず、今どこにいるのか・いつ帰るのか連絡して、お袋と親父を安心させていた。 「電話には出ないしメールも返さないし……どうしちゃったのかしら。  京介、あんた、桐乃の行き先に心当たりある?」 「いいや」 「そ。あんたたち最近、仲が良いみたいだったから、桐乃に何か聞いてるかと思ったんだけどね」 悄然と息を吐くお袋。なんだか一気に歳を取ったみたいだ。 そんなお袋の姿が見ていられなくて、 「桐乃の友達に電話してみるよ」 俺はリビングを出て、階段に腰掛け、携帯のフラップを開いた。 メモリからあやせを選び、通話ボタンを押す。 着拒されてませんように着拒されてませんように……! 神への祈りは通じたようで、 「……もしもし?」 よかったぁ~。 声色は依然とツンツンしているが、出てくれただけでも重畳だよ。 371 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 15:05:12.42 ID:6bruxdXk0 [10/25] 「あやせは今どこにいるんだ?」 「どこって……自分の部屋、ですけど……」 「そっか。じゃあ今あやせの隣に、桐乃いたりしねえかな?」 「いません」 ガクッ。これで望みの半分以上が断たれちまった。 あとは沙織に聞いて、それでダメだったら――。 「でも、少し前までは一緒でした」 「えっ!マジで!?」 「ちょっ……声が大きいです、お兄さん。今何時だと思ってるんですか?」 「す、すまん」 それから、何か言葉を選ぶような、言うのを躊躇うような微妙な間があって、 「……今日はお昼から撮影があって、  帰りに一緒に買い物をして、わたしの家で晩ご飯を食べて、  その後は、ずっとわたしの部屋でお喋りしてたんです」 はあぁぁぁ。なんだよ。フツーに友達と遊んでただけかよ。 あー、心配して損した。早くお袋と親父に話して安心させてやらねえと。 「で、今桐乃はこっちに帰ってきてるのか?」 「はい。夜道は危ないから、お母さんが車を出してくれて……」 タイミング良く、家の前に車が止まる気配がする。 「ちょうど着いたみたいだ」 373 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 15:23:24.99 ID:6bruxdXk0 [11/25] 「そうですか」 「こんな時間に電話して悪かったな」 「いえ……」 「じゃあ、切るぜ」 名残惜しいが、もうあと十秒もしないうちに、桐乃が玄関の扉を開く。 あやせは無言で通話からフェードアウトするかと思いきや、焦燥を滲ませた声で、 「………待って下さい」 「なんだよ。おやすみの挨拶か?」 「ち、違いますっ!変な期待はしないで下さいと前に言ったじゃないですか。  永遠の眠りに就かせますよ?」 ええぇぇ。なんで「おやすみ」を言ってもらえると思ったくらいで永眠させられなくちゃならねえの!? 仲の良い友達同士ならごく当たり前の遣り取りですよね? 「わ、わたしはお兄さんと仲良くなった覚えはありませんから。  あのですね……わたしがお兄さんに言いたかったのは……その……桐乃に……」 「はあ?」 声が小さすぎて聞き取れねえよ。 「もっと……、優しく――」 そのとき玄関の扉が開いて、桐乃が姿を現した。 すまんあやせ、また今度聞くからよ。 心の中で謝り、携帯を折りたたんでポケットに入れる。 俺は階段から腰を上げて、のろのろと靴を脱いでいる桐乃に言ってやった。 「おかえり」 374 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 15:47:52.61 ID:6bruxdXk0 [12/25] 桐乃は無言で俺の前にやってくると、光彩の失せた瞳で俺を見つめ、 「"こんなところで何してんの?"」 「何って、お前が帰ってくるのを待ってたんだよ」 「ふぅん、そう。……"待ってたんだ"……」 独り言のように呟き、 「邪魔。どいて」 そのまま隣を通り過ぎようとする。 「おい、待てよ」 手を掴んだら、 「気安く触んないでよ!」 もの凄い剣幕で振り払われた。 でも、退かねえ。掴み直して、振り向かせる。 「お袋や親父に心配かけて、ごめんなさいの一言もねえのかよ」 「………ッ」 桐乃は憎悪を宿した目で俺を睨み付け、 「分かったから、手、離して」 大人しくリビングに向かう。俺は特に深く考えずに、その後に付いていった。 377 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 15:56:34.82 ID:6bruxdXk0 [13/25] 今から思えば、俺の第六感は予感していたのかもしれない。 その時の桐乃がお袋や親父に会えばマズイなことになる、と。 事実、俺はリビングに通ずるドアを開けて間もなく、 なぜ階段で桐乃と別れてからすぐに自室に籠もり、 ヘッドホンを装着して大音量の音楽を流さなかったのかと後悔することになった。 390 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 17:35:07.84 ID:6bruxdXk0 [14/25] 「心配かけて、ごめんなさい」 第一声、桐乃は素直に謝った。 娘の姿を認めるやいなや、お袋は曇らせていた顔をパッと明るくして、 「もう、どこに行ってたのよ?連絡もしないで」 「あやせのところ。連絡しなかったのは……忘れてただけ」 「携帯に電話したのは知ってる?」 「電池切れちゃってて、見てない」 どうして新垣さんのお家の電話を借りなかったのか、とか、 四六時中携帯を弄ってる桐乃が電池切れを放置しておくわけがない、とか、 色々言いたかったことはあるだろうに、お袋はうん、うんと頷いて、 「お腹はどう?空いてる?」 「ううん。晩ご飯食べさせてもらったから」 「そう……」 途切れる会話。俯く桐乃。気まずいってもんじゃねえ。 それまでアクションを起こさなかった親父が、静かに新聞を畳み、ガラステーブルの上に置いた。 お袋は場を和ませようとするかのように、乾いた笑い声を上げて、 「あ、そうそう。桐乃聞いて?  あと一時間経っても帰ってこなかったら、  お父さん、自分の職場に娘の捜索願出すトコだったのよ?」 395 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 17:59:42.46 ID:6bruxdXk0 [15/25] 「あはっ……おかしいね、それ……」 ぎこちなく応じる桐乃。 「マジかよ、親父……恥ずかしすぎんだろ……」 茶番だと理解しながら、俺もそれに乗っかる。 でも親父の目は、ちっとも笑っちゃいなかった。 自分をネタにされて怒ってるわけじゃない。 ただ、娘の不可解な行動のワケを、うやむやにする気がないだけで。 「桐乃」 地底から響くような声がした。 「な、なに?」 「なぜこんな時間まで、誰にも連絡を入れず遊び回っていた?」 「だ、だから……それは……ただ、忘れててただけで……携帯も電池切れちゃってたし」 とお袋に言った言葉をリピートする桐乃。 「嘘を言うな」 「……ッ、勝手に決めつけないでよ!」 「決めつけているのではない」 親父はよくできた酒豪だ。 自分が酩酊する酒量を知っていて、それ以上は決して呑もうとしないし、 事実、俺はこの人が会話もままならないほど泥酔したところを見たことがない。 つまり何が言いたいかというと、……いくら親父の体にアルコールが回ろうが、 犯罪者相手に培われた洞察眼は健在で、桐乃が真実を吐かされるのは時間の問題だってことだ。 398 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 18:29:15.05 ID:6bruxdXk0 [16/25] 「さっき、新垣さんの家にいた、と言ったな。ご両親は家にいたのか」 「……いたケド……それが何?」 「お前は晩ご飯をご馳走になる前に、その旨を自宅に連絡するよう言われなかったのか?」 親父の言うことはもっともだ。 桐乃は下唇を噛み、スカートの前で絡めた両手をぎゅっと握りしめて、 「き、聞かれなかった」 「……そうか」 親父は眼鏡のレンズ越しに、鋭い眼光を桐乃に向けて言った。 「ならば新垣さんのご両親に、桐乃がご馳走になったお礼を兼ねて、  今お前が言った言葉が真実かどうか尋ねても問題はないな」 終わった。 桐乃の狼狽ぶりを見れば、桐乃が嘘を吐いていることは明らかだった。 コイツはあやせの両親に「お母さんとお父さんは揃って家を空けているんです」とかなんとか言って、 家に連絡する必要はないと思わせたに違いない。 親父はお袋に、電話の子機を取るように言った。 長年連れ添ったお袋は、こうなった親父がテコでも折れないことを知っている。 でも俺は、コイツが……桐乃が一方的に言い負かされて、言いたくないことを無理矢理吐かされるところなんて見たくなかった。 そりゃ俺だって気になるよ。 『なんで人に心配をかけるようなことをした?』 『こうしてこっぴどく叱られることは、分かってたはずだよな?』 問い詰められるモンなら、問い詰めてやりてえ。 でもさ、こんな顔してる桐乃に……今にも泣きそうになってる可愛い妹に、そんな真似できるワケねえだろうが。 「もういいじゃねえか、親父」 404 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 18:57:45.67 ID:6bruxdXk0 [17/25] 気づけば、お袋の手から子機をもぎとっていたよ。 親父の極道ヅラが俺を見据える。 正直言って、チビりそうになったね。昔の俺、スゲェよ。 こんな化けモン相手に、よく胸ぐら掴んで説教かまそうなんて気になれたな。 「京介、これはお前が口を挟むことではない」 「桐乃が無事に帰ってきたんだ。今日のところは、それでいいだろ」 笑いそうになる膝に力を込めて、親父の前に立ちはだかる。 今の俺は知っている。 ありえねえくらい頑固で、ありえねえくらい堅物の親父だけどさ、 必死に訴えかけりゃあ、伝わるモンはあるんだ。 「電話を寄越せ」 「嫌だね」 これがあの日の再現に近いことは、あんたも分かってるはずだよな。 いいか、俺は折れねえぞ――と固く子機を握りしめたのも束の間、 親父は一切無駄のない挙止で俺の服を引き寄せ、ソファの上に引き倒した。 さすが、柔道有段者。勝てねえ。 ガラステーブルや床を避けてくれたのは、親父のささやかな優しさの表れか、と天井を見つめながら思う。 414 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 19:34:34.65 ID:6bruxdXk0 [20/25] 親父の手が、俺の子機を握りしめている方の手に伸びる。 渡してたまるかよ。 指が全部剥がされる前に、俺はもう片方の手で、親父の胸ぐらを引き寄せた。 「何、ムキになってんだよ」 「………なんだと?」 「どうして桐乃のことを信じてやれねえんだよ」 「なっ」 親父の鬼の形相が、ふっと真顔に戻り――。 「もうっ、やめてよっ!」 耳をつんざくような桐乃の絶叫が、部屋に響き渡った。 パサリと垂れた前髪の内から、透明の雫が落ちる。 「なんであたしのことで、兄貴とお父さんが喧嘩してんの……馬鹿じゃん……?  あたし、もう十五だよ……?あたしがどこに出かけようが、いつ家に帰ってこようが、あたしの勝手でしょっ……!」 リビングを飛び出す桐乃。 「待ちなさい!」 慌ててその背中を追うお袋。 「…………」 「…………」 後に残された俺と親父は、至近距離でお互いの顔を見つめ合い、同時に顔を逸らす。 ソファに仰向けになって、眼を瞑った。火照っていた頭が、急速に冷めていくのが分かる。 422 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 20:02:27.23 ID:6bruxdXk0 [21/25] どっかと一人掛のソファに座り込んだ親父に、もはやあやせ家に電話する気は残っていないようだった。 静まり返った室内に、壁時計が時を刻む音が、やけに大きく響く。 「…………………………すまなかった」 へ?親父、今なんつった? あー、分かった。幻聴か。 最近寝不足だったところに、体引っ繰り返されて脳味噌揺らされりゃ、幻聴がしてもおかしくねえわ。 「だから、すまなかったと言っている。  さっきは、桐乃を前後不覚に叱りつけた俺に非があった」 飛び起きたね。え……何……親父、ガチで俺に謝ってんの? これ、夢じゃねえよな?現実だよな? 何も言わず独酌する親父。 哀愁漂うその姿を見ていると、急激に申し訳なさが募ってきて、 「俺も……さっきは、偉そうな口利いて悪かったよ」 「本当だ、このバカ息子が。  次に楯突いたときは、公妨で鑑別所送りにしてやる」 「それはマジで勘弁してください」 俺は言葉を選んで、親父に語りかけた。 「桐乃のことが心配な親父の気持ちは……よく分かるよ」 あいつが日本に帰ってきて、内心喜んでいた矢先に、 あいつが彼氏を連れてきて……まあ、結局それは無かったことになったんだけど…… 親父に娘を失う恐怖を植え付けるには、十分すぎる出来事で。 娘の交友関係に必要以上に敏感になるのも、無理はねえと思う。 430 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 20:37:43.73 ID:6bruxdXk0 [22/25] でもさ。御鏡が家に来たときの話を蒸し返すつもりはねえけど、 「あいつは俺や親父が思ってるより、ずっと大人なだよ。  あいつが何も言わずにこんな時間まで遊びに出てたことには、  きちんとした理由があって、それを親父に言えなかったのにも、それなりの理由があって……。  その理由をハナからやましいことだと決めつけて、頭ごなしに叱るのはどうかと思うんだよ」 「では、もしも桐乃が嘘をついた理由が、男との逢い引きを隠すためだったとしたら、どうするのだ?  都合よく騙され、手をこまねいて見ていろと言うのか?」 「そうだよ」 「なっ……そんな馬鹿な話があるか!」 カッと両眼を見開き、怒りを露わにする親父。 そんなに怖さを感じなくなったのは、耐性が出来てきたからかもしれねえな。 「もしも桐乃に、マジで好きな男が出来たらさ、ぜってぇ家に連れてくるよ。  この前みてえにさ……。親父もあいつの性格知ってるだろ?  最初は隠せてても、そのうち我慢できなくなるに決まってんだ。  んでもって俺たちの役目は……、その時に桐乃の彼氏がどんな奴か、  桐乃を本当に幸せにできるのか、見極めてやることだと思うんだよ」 親父は水面に顔を出したカバみたいに、むふぅ、と荒い鼻息を吐いて、 「………ふっ」 笑った?親父が? おいおいおいおい、今日の親父はどうしちまったんだよ。 手近にカメラが無いのが悔やまれるね。 親父の純朴な笑顔なんて、ガキの頃に見た以来だよ。 434 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 20:55:00.97 ID:6bruxdXk0 [23/25] 「お前はよくできたバカ息子だな」 誉められてるのか貶されてるのか分からねえよ、それじゃ。 逸らしていた視線を戻すと、親父の顔は元の仏頂面に戻っていた。 俺は腰を上げて、部屋に戻ることにする。 「勉強してくる」 リビングのドアに手を掛けたその時、背中に声がかかった。 「待て、京介」 「……?」 「俺には、最近、桐乃の考えていることが分からん」 今までは分かっていたような口ぶりだな、と言えば顔面に鉄拳が飛んでくるのは自明の理、 「へえ」 と無難に相づちを打つ。 「桐乃に歳が近いお前の方が、桐乃の機微を理解してやれることも多いだろう」 「さあ、どうだろうな」 「………任せたぞ」 任されても困るっつうの。 俺は今度こそリビングを出かけて、言い忘れていたことを思い出した。 438 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 21:14:27.67 ID:6bruxdXk0 [24/25] 「親父」 「なんだ?」 「彼女が出来たんだ。また今度紹介する」 親父はぽかんと口を開けていたが、 やがて色んな感情を綯い交ぜにしたような顔になり、くいっと酒を煽ると、 「……そうか」 と呟いた。え、反応それだけ? 「自室で勉強するのだろう?早く行け」 すげない言葉に背中を押され、リビングを出る。 ま、こんなモンだよな。 可愛がってる桐乃と違って、出来の悪い長男に彼女が出来ようが出来まいが、親父の関心事にはなり得ないんだろうよ……。 親父が詮索してこなかった理由は他にあるって? 分かってるさ、それくらい。 511 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 00:31:00.71 ID:GQjBgs+10 [1/16] 駅から出ると、電車に乗っているときは本降りだった雨が、小止みになっていた。 一応黒の折り畳み傘をショルダーバッグから取りだし、いつでもさせるようにしておく。 もう片方の手で携帯を弄り、BeegleMapという地図検索サイトにアクセス、 住所を入力すると、ものの数秒で駅から目的地までの最短ルートが表示される。 良い時代になったもんだよな。 雨に濡れたアスファルトを歩くこと十分。 俺は古式蒼然とした平屋の前で足を止めた。表札には『五更』の文字。 インターホンを押すと、 「どちら様ですか?」 普段より高いトーンの声で瑠璃が答えた。 「俺だよ」 「………少し待っていて」 516 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 00:58:42.60 ID:GQjBgs+10 [2/16] 俺はインターホンから顔を離し、改めて平屋――瑠璃の家――を眺めた。 壁の漆喰はところどころ剥がれ、屋根板は赤銅色に褪せていて、 素人目にも、かなり古い建物であることが分かる。 キコキコという甲高い音が聞こえて、視線を下ろすと、瑠璃が小さな鉄門の閂を外しているところだった。 「さ、入って頂戴」 「あ、ああ……でも、その前にひとつ聞いていいか?」 俺は瑠璃が着ている、白のラインが入った臙脂色の服を見つめて、 「なんでジャージ?」 しかもしれ、市販の奴じゃなくて中学校の指定ジャージだよな。 瑠璃はむっと頬を膨らませ、 「こ、これは部屋着よ。  機能性に富み着用者の運動を妨げない、最高の衣類だと思わない?」 まあ、確かにその通りだけどよ……。   「あっ、それ」 俺は瑠璃の胸元で笑う黒猫のワッペンを指さし、 「瑠璃が自分で着けたのか?」 「よく気づいたわね。でも、勘違いしないで頂戴。  これは決して繊維の解れを隠すためのものではなくて、  わたしが闇の眷属であることを証明するのと同時に顕界への影響を抑えるための封印具だから」 ああそう。 522 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 01:39:09.23 ID:GQjBgs+10 [3/16] 瑠璃は「分かればいいのよ」と満足げに頷き、俺を家に請じ入れてくれた。 さて、今更ながら、俺が瑠璃の家にやってきた理由を説明しておこう。 初デートから二日が経ち、俺は二回目のデートを提案したのだが、その時に瑠璃が宣った台詞がコレである。 『明日は……家に親がいないの……それで、あなたさえよければ……わたしの家に来てもらえないかしら?』 クラリとしたね。 お前マジで言ってんの?いくらなんでもそれは早すぎじゃね?俺にも心の準備ってモンが……。 『母さんが一日仕事に出ていて、妹の面倒を見なければならないのよ』 脳髄を沸騰させていた自分が恥ずかしくなったよ。 でもさあ、あんな言い方されたらエッチな想像しちゃうよね? ガラガラと引き戸を閉め、土間で靴を脱ぐ瑠璃。 「お邪魔します」と挨拶して、その後に続く。 俺が歩くと盛大に軋む床板の上を、瑠璃は足音ひとつ立てずに進み、やがて右手の障子を開けた。 するとそこにいたのは── 558 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 11:27:56.79 ID:GQjBgs+10 [5/16] 五更家の次女と三女……でいいんだよな? 身長と顔つきから判断するに、 やや茶色がかったセミロングの髪をツインテールにしてるのが次女で、 真っ黒な髪を肩口で切りそろえ、おかっぱにしているのが三女だろう。 「こ、こんちわ~」 なるたけ愛想の良い笑みを浮かべてみたが、 二人ともぽかーんと口を開けて、突然の闖入者に驚きを隠せない様子だ。 おい瑠璃、俺が来ることは話してなかったのかよ! 「ル、ルリ姉……この人がもしかして……?」 次女が酸欠に陥った金魚みたいに口をパクパクさせて、姉に問いかける。 瑠璃は軽く頬を朱に染めながら、尊大に頷き、 「ええ、そうよ。この人の名前は高坂京介。わたしの、か、彼氏よ」 「ホントにいたんだ!……えーウッソー、すっごぉい。絶対またルリ姉の見栄っ張りだと思ってたのに!」 次女はととと、と俺の近くに寄ってくると、矯めつ眇めつ俺の顔面を眺め、 「へぇ~、これがルリ姉の彼氏かぁ~。  あ……自己紹介遅れてすみません。あたし、ルリ姉の妹の――」 瑠璃、という長女の名前から想像はついていたが、小難しい漢字の名前だな。 565 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 12:02:58.79 ID:GQjBgs+10 [6/16] 「よろしくお願いしますね!」 「おう、よろしく」 人懐っこい笑みを浮かべる次女。 瑠璃の妹とは思えない社交性の高さだな。 つーかこの次女のテンション、誰かのと似てねえ? 俺が正体不明の既視感に頭を悩ませていると、 「しっこく!」 舌足らずな声が居間に響き渡った。 見れば、それまで固まっていた三女がピッと俺を指さして顔を強張らせていた。 あれ……もしかして俺、怖がられてる?あと『しっこく』って何だ? 最近流行りの悪口か何かか? 「しっこくがいます、姉さま!」 瑠璃は困ったように溜息を吐いて、 「あ、あれはただのコスプレ……変装よ。  彼は魔導資質を持たないただの人間。魔法は使えないわ」 ああ、電波ワードで分かったよ。 なるほど、三女は同人誌のコスプレ写真を見て、俺の顔を知っていたんだな。 『MASCHERA~堕天した獣の慟哭~』に登場するキャラクター『漆黒(しっこく)』として。 568 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 12:32:33.75 ID:GQjBgs+10 [8/16] 「この人はルリ姉の彼氏。さっき聞いたでしょー?」 三女は可愛らしく小首を傾げて、 「かれし……とはなんですか、姉さま?」 純真無垢な質問に、うぐ、と声を詰まらせる次女。 「それは、えっとねえ……友達よりも、もっと仲良くなったのが、彼氏、かなぁ……?」 うまい! 三女は納得したようにパァッと顔を輝かせると、おもむろに俺の顔を見つめて、 「姉さまのかれしは、兄さまですか?」 なんでそうなる!?今論理に大きな飛躍があったぞ! 「まあ、長い目で見ればそうかもねえ」 次女もさり気なく同意してんじゃねえ! あやせに桐乃の兄という意味で『お兄さん』と呼ばれるのと、 瑠璃の妹にそのままの意味で『兄さま』と呼ばれるのでは、全然意味が違ってくる。 俺が『兄さま』って呼ばれることを、コイツはどう思ってんのかな……と隣を見ると、 「お、お茶を用意するから、適当に座って待っていて頂戴」 瑠璃は居間と直接繋がっている台所に行ってしまった。 どうしたもんかね、と突っ立っていると、「どうぞ」と次女が座布団を敷いてくれた。 574 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 13:14:29.35 ID:GQjBgs+10 [10/16] 腰を下ろし、部屋をぐるりと見渡してみる。 居間は畳八枚の不祝儀敷き、中央に方形のちゃぶ台、その正面には小さなブラウン管型テレビ、 部屋の角には木製の収納棚が二つあって、その隣に渋い色の座布団が数枚積み重なっている。 麻奈実家の居間と似ているが、どことなく暗い感じがするのはどうしてだろうな。 首を傾げつつ視線を右下に転じると、畳の上に、画用紙が何枚か散っていた。 これは……見たままに言うなら、ピンク色の人……か? 俺はさらにその横で、創作活動に励んでいる三女に問いかけた。 「何を描いているんだ?」 「メルル!」 おお、言われてみれば確かにメルルだ。 ピンクのバリアジャケットにピンクのツインテール……。 「そっくりじゃねえか」 にぱー、と笑顔を咲かせる三女。 「メルルが好きなのか?」 「はいー!」 俺の妹と気が合いそうだな。 「兄さまも、メルル好きです?」 577 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 13:37:58.44 ID:GQjBgs+10 [11/16] 「あんなガキ向けのアニメ好きでも嫌いでもねーよ」と本音を漏らすワケにもいかず、 「俺の家族の一人が大好きなんだ。だから、少しならメルルのことが分かるぜ」 「じゃあ、これは誰ですか?」 画用紙を手渡される。 黒のバリアジャケットに黄色のツインテール、か。 「アルファ・オメガだ」 「正解です。じゃあ……これは分かりますか?」 二枚目。 人型を作る枠線の中身は肌色で塗りつぶされ、 背中には一対の黒の翼が描かれている。少し悩んだが……。 「ダークウィッチ『タナトスエロス』EXモードだ」 「すごいです!」 注がれる尊敬の眼差し。 背中から別の視線を感じて振り返ると、次女が複雑な面持ちで俺と三女の遣り取りを見つめていた。 ち、違う!俺は断じてメルルの『大きなお友達』じゃねえ! 613 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 19:24:22.59 ID:GQjBgs+10 [12/16] 「あっ、別に隠さなくてもいいですよー。  ルリ姉があんなふうだから、京介さんもそんな感じなんだろうなあって思ってましたし」 「いや隠してねえから!」 エロゲのプレイ歴があったりアニメの話にそこそこついていけたりと、 一般人の域は超えているかもしれねえが……俺はまだグレーゾーンにいる。 うん、いるはずだ。 だからそのちょっと憐れむような視線をやめてもらえませんかね? 「そういえば」 と次女はポンと手を打って、話題を変える準備をした。 あーあ、こりゃ絶対誤解されたまんまだよ。 「ルリ姉とはどうやって知り合ったんですか?」 「話せば長くなるんだが……『オタクっ娘集まれ~』ってオタクの女の子限定のコミュニティがあってさ、  そこの管理人が去年の春頃にオフ会を開いて……」 「そこに京介さんも参加したんですか?男なのに?」 してねえ。なんで俺が参加したっていう発想がナチュラルに出てくるんだ。 「俺は遠目で見てただけ。参加したのは俺の妹だよ。  たぶん、瑠璃が持ってる写真で見たことあるんじゃねえかな?  髪の毛を明るい茶色に染めて、ピアスしてるんだけど」 「あぁ~、分かりました。ルリ姉の親友ですね」 親友、か。 「俺はそいつの兄貴。  オフ会をきっかけにウチの妹と瑠璃が連むようになって、その流れで俺と瑠璃も……」 616 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 19:44:45.47 ID:GQjBgs+10 [13/16] 「何の話をしているの?」 台所から戻ってきた瑠璃が、ちゃぶ台の上に人数分のお茶と、お茶請けを乗せていく。 「ルリ姉と彼氏さんの馴れ初め聞いてたところ。  でも京介さん、終盤のほう端折りすぎ。もっと詳しく聞きたいなぁ~……痛ッ!」 デコピンが炸裂し、次女は両手で額を押さえる。マジで痛そうだ。 「余計なことは聞かなくてもいいのよ」 「えぇ~、こういうコト聞かないと、ルリ姉が彼氏連れてきた意味がないじゃん」 「わ、わたしは何もあなたたちに見せびらかすために、この人を家に呼んだわけではないわ」 「じゃあ、何のため?」 瑠璃は困ったような顔になって、口を噤む。 救難信号を察知した俺は言ってやった。 「妹二人を家に残して遊びに出かけるのが不安だから、俺を家に呼んだんだよな?」 妹想いの良いお姉ちゃんだよ。 うんうん、と頷いて顔を上げると、次女は懸命に笑いを堪え、 瑠璃は顔を赤くし、怒気を孕んだ横目で俺を睨み付けていた。 あ、あっれぇ~、俺何か失言しちゃったかなぁ~? 621 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 20:23:08.42 ID:GQjBgs+10 [14/16] 一人事情が飲み込めていない俺のために、次女が解説してくれた。 「ウチはお母さんがほとんど毎日仕事に出かけてて、  子供だけで留守番させられるのなんて、日常茶飯事なんです」 お絵描きに夢中になっている三女を見て、 「さすがにこの子一人だけ残すことはないですけど、  あたしとこの子だけでお留守番するのは、これまでにも何度もあったことでぇ……ぷくくっ」 次女は止めの一言を刺した。 「妹をダシに彼氏を家に呼び込むとか、ルリ姉も考えることがコスいよねえ」 「…………」 わなわなと肩を震わせる瑠璃。 あー、瑠璃? 嘘をつかれたことに関しては、俺は全然怒ってねえし、 むしろそうまでして呼びたかった瑠璃の気持ちが知れて嬉しかったっつーか……。 瑠璃はキッと次女を睨み付け、 「わたしの部屋に行きましょう」 すっくと立ち上がり、障子に手を掛ける。 「えぇー、もう行っちゃうの?  もうちょっとここでゆっくりしていきなよー。jこのお茶、どうするの?」 「あなたが三人分呑めばいいでしょう。  あと、その子がお昼寝するまで、傍から離れることを禁ずるわ」 632 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 20:58:14.80 ID:GQjBgs+10 [15/16] 「様子を見に行くのもダメ?」 「もしも覗いているところを見つけたら、  その瞬間に『紅蓮地獄(セブンス・ヘル)』に『強制転送(トランスポート)』するわよ」 「はいはい。心配しなくていいよ、あたしはずっとここでテレビ見てるからさ」 さすが瑠璃の妹、電波受信した姉の扱いも手慣れてんなあ。 俺が立ち上がると、おもむろに三女が顔を上げて、 「兄さま」 どうした? 「ごゆっくり」 「お、おう……」 言いたいことは言ったとばかりに、黒のクレヨンを握り直し、お絵描きを再開する。 今三女の手元にある画用紙は、散らばっているそれらよりも幾分大きめで、 それに伴って絵も巨大化し、現時点では何のキャラクターを描いているのかさっぱり見当がつかなかった。 「何をぐずぐずしているの?」 瑠璃に急かされ、廊下に出る。 「不躾な妹たちでごめんなさいね」 「いい妹じゃんか。瑠璃の趣味も認めてくれてるみたいだしよ」 662 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 00:13:34.49 ID:BzHnjpPT0 [1/21] 「あれは認めているとは言わないわ。  意見の相違を理解した上で、衝突しないように議論を避けているのよ」 「どっちが?」 「妹の方が、に決まっているじゃない」 本当かなあ? 「下の妹はどうなんだ?」 「闇の加護を受けるに相応しい魔力資質の持ち主よ。  いまのところ、わたしが与えた魔導具は、全て完璧に使いこなしているわ。  唯一心配なのは、上の妹の影響を受けて、俗に染まってしまうことね。  それだけは何としても止めるつもりだけど」 いやそこは俗に染まらせてやれよ、という言葉を呑み込み、代わりに溜息を吐いた。 しばらく歩くと、裏手の縁側に出た。 庭には瑠璃の親の趣味なのか、盆栽がいくつか置いてあって、小雨に体を濡らしている。 「こっちよ」 瑠璃は縁側の最奥で足を止めた。 右手の障子を開けば、多分、そこが瑠璃の部屋なんだろう。 ゴクリ。唾を飲み込む音がやけに大きく頭の中に響く。 き、緊張すんなあ。 同じ女の子の部屋でも、麻奈実の部屋に入るときは全然意識しねえのに。 「入って頂戴」 俺の葛藤を余所に、瑠璃はあっさりと障子を開けた。 そろりと足を踏み入れ、部屋を見渡す。 668 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 01:01:09.26 ID:BzHnjpPT0 [2/21] 床は居間と同じような畳敷きで、四方のほとんどが障子と襖という純和風な造りだが、 畳の上に敷かれた薄緑色のカーペットや、茶色の文机やノートパソコンなど、 洋風な調度が多いせいで、全体としては和洋折衷の趣を醸している。 中でも特に浮いているのがパイプ椅子で、 文机とセットになっていたはずの椅子はどこに消えたのかと首を傾げずにはいられない。 「これに座って」 振り返ると、別のパイプ椅子が展開されていた。 瑠璃は無言で文机に着き、俺に背を向けてノートパソコンを立ち上げる。 なぜにパソコン?まさか俺を放置してネットサーフィンするつもりなの? 不安に駆られて瑠璃の表情を伺うと、頬がかすかに上気していて、 平静を装っている裏で、俺と同じように緊張していることが分かった。 女の子の扱いに慣れた男なら、ここで場を和ませる冗談でも飛ばせるんだろうが、 悲しいかな、俺にそんなトークテクニックの持ち合わせはない。 早く何か言わねえと――焦れば焦るほど言葉は出てこなくて、 適当に視線を彷徨わせていると、やがて文机の上に、面白いものが乗っていることに気が付いた。 「マトリョーシカ……しかも黒猫の……お前、本当に猫が好きなのな」 671 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 01:41:31.76 ID:BzHnjpPT0 [3/21] 瑠璃は五匹いる猫のうち、一番小さいものを手に取って、 「猫はやはり黒猫に限るわ。  これは……これはね、母さんにもらったものなの」 ふにゃりと表情を崩す。 「思い入れがあるモノなのか?」 「昔々……わたしがとても辛くて寂しい思いをしていたときに、  このマトリョーシカが元気づけてくれたの。幼心とは単純なものね。  入れ子を取り出して並べるだけで、寂しさを紛らわせることができるのだから」 辛くて寂しい思い出なんて、わざわざ思い出したくもねえし、話したくもねえだろう。 俺はマトリョーシカの話題から離れるために、今この家にいない人物について尋ねることにした。 「そういや瑠璃のお母さんは、どんな仕事をしている人なんだ?」 「駅の近くで飲食店を経営しているわ」 「へぇー、すごいじゃん」 「自営業と言えば聞こえはいいけれど、維持するのが精一杯の、本当に小さなお店よ。  人手が足りないときは、わたしもホール仕事を手伝わされているの」 「もしかしてアルバイトって、そのことを言ってたのか?」 こくん、と頷く瑠璃。 なるほどな、親の店の手伝いをしてたなら納得だよ。 前々から不思議に思ってたんだ。 労働基準法に抵触せずに、中学生の頃の瑠璃にも出来たアルバイトっていったい何なんだろう、ってさ。 708 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 10:28:49.39 ID:BzHnjpPT0 [4/21] じゃあお父さんは――と尋ねようとした時、丁度パソコンが立ち上がった。 壁紙はもちろんマスケラで、『漆黒』と『夜魔の女王』が背中合わせになって夜空を見上げている。 線が緻密なうえ、色使いも巧みで、素人目にもレベルの高い絵だということが分かった。 一見すると公式絵にしか見えない。 「有名なイラストレーターが、趣味で画像投稿サイトに投稿したものよ」 噂に聞くプロの仕業ってヤツか。 「今のわたしには、どれだけ時間を費やしても、これに匹敵する絵を描くことができないわ。  アマチュアが本気になっても描けない絵を、プロは片手間に描けてしまう。  悔しいけれど、それが現実よ」 自分に言い聞かせるようにそう言って、 瑠璃は滑らかなマウス捌きでランチャーからフォルダを選択し、そこからさらに深い階層に潜っていく。 途中、中身が何もないフォルダに行き着き、ここで終わりかとおもいきや、 瑠璃がフォルダオプションを弄るとそれまで見えなかった隠しフォルダが表れて、溜息が出た。 カチ、カチ、カチ――。 小気味良いクリック音に眠気さえ感じてきたころ、ようやく瑠璃の手が止まる。 画面に表示されているフォルダの名前は……『創作』。 711 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 10:56:00.93 ID:BzHnjpPT0 [5/21] 「近くに来て頂戴。ええ、そうよ。椅子ごとね」 文机の下の右半分はキャスター付きの収納箱が占めていて、 左半分のスペースに足を差し入れようとすると、必然的に瑠璃と密着する形になってしまう。 「せ、狭くねえ?」 「あなたが体を小さくすれば無問題よ」 瑠璃は実に淡々としている。 まあ、この前のデートであれだけ"恋人らしいこと"をすれば、 肩が触れあうくらいのことで、恥ずかしがったりはしねえよな……。 つうか、この『一つのノートパソコンの前に二人で寄り合う』シチュエーション、 なーんか懐かしい感じがすると思ったら、 桐乃が海外に行っちまう前の晩に、あいつの部屋で体験してたんだった。 「これからあなたに見せるのは……」 瑠璃は数秒言い淀み、 「わたしが、去年から書きためていた小説よ」 『創作』フォルダをダブルクリックする。 中に置かれていたのは、ワードファイルが一つと、画像ファイルがいくつか。 715 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 11:34:05.41 ID:BzHnjpPT0 [6/21] マウスの使用権をもらい、ワードファイルを開いて最初に思ったことは……。 スクロールバー短けえ! 40文字×34行の書式で軽く100枚はありそうだなオイ! これ、今から全部読むの? 俺文章読むの遅えし、読み終わる頃には日が暮れてんじゃねえかな? しかし一度ファイルを開いちまった手前、 『また今度ゆっくり読むわ』 と言えるわけもなくて、半ば諦めの境地で、最初の一行に目を通した。 ちなみに適当に読み流そうなんて考えは、ハナから無かったよ。 闇の眷属たる"私"が、"此方の世界"へと移行(シフト)したのは、春の匂いを色濃く残す五月のことだった――。 冒頭を読んだ時点で嫌な予感がしたね。 こりゃまた難解用語がポンポン出てきて、読者を置いてきぼりにするパターンかな? じいっ、と横頬を刺す瑠璃の視線を意識しないようにしつつ、先を読み進める。 別世界で幾千もの天使を殲滅し、生きとし生けるもの全ての頂点に君臨していた闇の女王は、 信頼を置いていた部下に裏切られて肉体を失う一刹那前、 辛うじて精神体を転移させ、別世界の人間に憑依することに成功する。 718 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 12:34:23.26 ID:BzHnjpPT0 [7/21] 憑依した人間は、"此方の世界"の住人にしてはそこそこ魔力資質に恵まれている15才の少女。 "彼方の世界"の自分と似通っている、雪色の肌と闇色の髪を姿見で認め、闇の女王は深い溜息を吐く。 誰よりも魔術の深淵に通暁している彼女だが、 借り物の体では、"彼方の世界"の百分の一ほどの力も発揮できない。 しかもこうしているうちにも、かつての部下や天使どもが、 続々と"此方の世界"に転移し、今度こそ完全に彼女の息を止めるべく暗躍しているに違いないのだ――。 存外、スイスイと導入部を読み終えることができた。 小難しい漢字や表現が多いのは相変わらずだが、 注釈が必要なオリジナルワードは今のところ出てきていないし、 主人公も最強から最弱になってしまったという、成長の余地を大きく残している設定で、 また主人公の命を狙う刺客の存在が、ストーリーに微妙な緊張感を与えている。 闇の女王は少女としての生活を営みながら、元の世界に帰還する方法を探すことにした。 方法には二種類ある。"此方の世界"のどこかに存在する『世界を繋ぐ者(コネクター)』を発見するか、 日々借り物の体で生み出される微々たる魔力を蓄積し、『転送魔法』を使うか。 前者を達成できる確率はゼロに等しく、後者は現実的だが、達成するのに数年もの時間を要してしまう。 "此方の世界"で魔力を譲渡してくれる協力者が見つかればいいのだが……。 自分と同じように、"彼方の世界"の刺客が"此方の世界"の住人に憑依している可能性を考えると、 安易に他人と接触するのは、とても愚かしい行為だと言えた。 そうして、闇の女王は孤独でいることを選択した。 闇の女王の考えは分かるけどなぁー……。 それでぼっちになった宿主の少女があんまりにも不憫じゃね? いつか憑依が解けたとき、自分がコミュニケーション不全のレッテル貼られてると知ったら絶望するしかねえわ。 721 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 13:26:56.84 ID:BzHnjpPT0 [8/21] それからしばらくしたある日のこと、 闇の女王は、自分の考えがあまりに甘かったことを思い知る。 眼前の輝かしい容貌を持つ少女が"熾天使(ウリエル)"の成り変わりであることは明白だった。 正規の手続きを踏んで『転移』した天使は、その魔力を失わない。 弱り切った私の息の根を止めることなど児戯にも等しいはず――。 スクロールすると、挿絵が表れた。 視線を交わす『闇の女王』と『熾天使』。 誰がモデルかは言わずもがなだが、表情の描き分けがスゲー上手い。 瑠璃――じゃなくて闇の女王の歯軋りしている口元とか、桐乃――じゃなくて熾天使の見下すような目とかさ。 絶体絶命の状況。 しかし熾天使は威圧するような態度を崩すと、害意が無いことを伝えてきた。 なぜ殺さないの?と訝しむ闇の女王に、熾天使は自嘲の笑いを漏らして告白した。 熾天使は"彼方の世界"で偶然、闇の女王の部下と天界の神による『恐ろしい策謀』を知ってしまった。 そのせいで殺されかけたが、精神体だけを"此方の世界"に転移させることで、生き延びた。 つまり熾天使は闇の女王と同じく、魔力をほとんど失ってしまっていたのだ。 へぇ、意外な展開だな。 俺は黙々とスクロールする。 730 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 14:29:58.87 ID:BzHnjpPT0 [9/21] 恐ろしい策謀の内容はこうだ。 闇の女王の部下は、闇の女王亡き後は自分が地上を支配し、 それを邪魔されないことを条件に、天界の神に女王の弱点を教えることを提案した。 闇の女王に脅威を感じていた天界の神々は渋々その条件を呑むことにしたが、 それを認めない上級天使が何人か存在した。 神々は熟考の末、彼らを犠牲にすることを決めた。 闇の女王が肉体を失い、別世界に逃亡したことが判明すると、 神々はその上級天使たちに、すぐさま女王の後を追い、始末するよう命じた。 次々と正規ゲートから『転移』する上級天使たち。 しかし今やそのゲートは閉ざされ、仮に精神体だけ『転移』させて戻ってくることができたとしても、 元の魔力は失われ、最下級の天使に憑依するのが精一杯の状態になっていることだろう。 そう、不意打ちによって闇の女王の体が滅し、その精神体を逃がすことは最初から予定通りだったのだ……。 挿絵二枚目。闇の女王の部下が神々と交渉しているシーン。 丸っこい顔に邪悪な笑顔を浮かべた眼鏡っ娘は、これまた誰をモデルにしているのか一目瞭然だった。 なんで麻奈実なんだ?こればっかりは配役間違ってるだろ。 闇の女王は『世界を繋ぐ者(コネクター)』を探し出せる特殊な広域検索魔法を知っているが魔力が無い。 対して熾天使の憑依した人間は、魔力生成資質に富み、 数日経てば広域検索魔法を一度発動するだけの魔力が溜まる。 二人は一刻も早く"彼方の世界"に戻るため、停戦協定を結ぶことにした。 熾天使が味方になれば、怖いものナシじゃね?と思ったが、安心するのはまだ早かった。 始末命令を受けた上級天使は、自分たちが神々から切り捨てられたことを知らない。 襲い来る上級天使に必死で真実を説明しようとするも、逆に裏切り者扱いされる熾天使。 734 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 14:52:29.01 ID:BzHnjpPT0 [10/21] 時に啀み合い、時に助け合いながら逃避行を続けるうちに、 闇の女王は熾天使に情を移しつつある自分に気が付いていた。 闇の眷属と光の使者の友情など前代未聞だ。 そんな女王の葛藤とは無関係に、熾天使の魔力は溜まり、広域検索魔法を発動する時がやってきた。 熾天使と自分の両手を合わせ、魔力を譲渡してもらう。 どんなに多く見積もっても、この弓状列島に『世界を繋ぐ者(コネクター)』が存在する確率は千分の一以下。 しかし奇跡は起きた。 なんと熾天使が憑依した少女の兄が『世界を繋ぐ者(コネクター)』だったのである。 なんつうご都合主義。 てかそんなにすぐ近くにいるならもっと早く気づけよ――という突っ込みは呑み込んで、スクロールを続ける。 挿絵に描かれていた『少女の兄』を見てももう驚かなかったね。 どう見ても俺です本当にありがとうございました。 744 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 15:50:14.43 ID:BzHnjpPT0 [11/21] 『世界を繋ぐ者(コネクター)』の能力は、夢を介することで、 ある世界の住人の意識を、別の世界に『転送』することができるというものである。 しかもその際、転送先の世界の『事象記録(イデア)』を読み出し、 その住人の肉体を復元できるというチート性能で、 つまり闇の女王と熾天使は、"彼方の世界"で失った肉体も一緒に取り戻すことができる。 しかし能力には制限が付き物で、一度に『転送』できる意識体はひとつまで。 しかも一度転送が成功すれば、強い脳への負荷によって、術者は能力を失ってしまう。 強い脳への負荷って……大丈夫なのかよ。 植物状態になったりしねえよな。 長い話し合いの末に、闇の女王と熾天使は、『世界を繋ぐ者』に選択を委ねることにした。 結局は、『世界を繋ぐ者』がどちらの夢を見るかで、どちらが転送されるかが決まるのだ。 そして、夜。 簡易魔術で転送先である"彼方の世界"の光景を『世界を繋ぐ者』の意識にすり込んだ後、 闇の女王と熾天使は、同じベッドに横になり、同じ天井を見つめていた。 闇の女王は約束する。もしも自分が"彼方の世界"に戻ることができたら、 一度だけ闇の眷属の掟を破り、熾天使の肉体を復活させると。 熾天使は約束する。もしも自分が"彼方の世界"に戻ることができたら、 一度だけ光の使者の掟を破り、闇の女王の肉体を復活させると。 748 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 16:33:50.73 ID:BzHnjpPT0 [12/21] 気づくと、闇の女王は一糸まとわぬ姿で、暗い闇の底に横たわっていた。 全身には活力が漲り、魔力も元に戻っている。 ――『世界を繋ぐ者』は私を選択したのだ。 辺りには噎ぶような腐臭と血の匂いが立ち込めていた。 恐らく私の死体は、散々弄ばれた後でこの掃き溜めに打ち捨てられたに違いない。 怒りがふつふつと沸き上がってきたが、 今は自分を不意打ちした天使や、かつての部下への復讐を忘れて、復活の儀を執り行う。 なぜ膨大な魔力の三分の一を消費してまで、自分の天敵である熾天使を復活させるのか? 答えはひとつ――友達と約束したからだ。 儀式が終わると、自分と同じく、胎児のように手足を折りたたんだ熾天使の裸体が顕現した。 『転移魔法』を発動し、"彼方の世界"で待っている熾天使の意識体を、"此方の世界"に引き寄せ、肉体に定着させる。 瞼が震え、熾天使が目を開ける。 お互いを認めると、自然に笑みが零れた。 本当なら殺し合って然るべき関係。でも今は……今はまだ……。 熾天使は純白の翼を、闇の女王は漆黒の翼を広げ、しばし同じ空を飛んで、別れた。 熾天使が今回の策謀を『最高神』に訴えれば、計画に荷担した神々は罰せられ、 上級天使たちは"彼方の世界"から"此方の世界"に、力を失わずに戻ってくることができるだろう。 そして私はこれから、私の玉座に我が物顔で座っている裏切り者の体に、深い後悔を刻みつけに行く。 その後、数千年にわたる天界と下界の抗争が、 当代の闇の女王と熾天使が橋渡しとなって終息することを、その時の私は知る由も無かった。 終わりかと思いきや、物語にはまだ続きがあった。 憑依されていた間の記憶を失った少女は、 しかし『世界を繋ぐ者(コネクター)』と触れたことで、 自分が数多の世界に鏡写しのように偏在し、"女王"であり"騎士"であり、そして"黒き獣"であることを知る。 752 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 16:51:53.07 ID:BzHnjpPT0 [13/21] 春の匂いを色濃く残す五月。 少女は"女王"を模した黒い衣装を手作りし、身に纏う。 彼女が熾天使に憑依されていた憐れな少女と、 その兄――かつての『世界を繋ぐ者』――と再び出会うのは、それから少し先の話である。 了 お、終わった。俺は今モーレツに感動している。 ストーリーに、じゃねえ。厨二成分が濃縮されたこの物語を一息で読み終えた自分に、だ。 766 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 17:58:17.08 ID:BzHnjpPT0 [15/21] 瑠璃と瀬菜がノベルゲー『強欲の迷宮』を作る過程で テスターとして、延々鬱になる文章を読まされたときは、 まだ……なんつーか、こう……作業感みたいなものがあったんだが、 今回は一つの完成作品を精読したわけで、読後の疲労感がまるで違う。 「感想を聞かせてもらってもいいかしら」 「ちょっと待ってくれ。頭の中でまとめてるから」 俺は眉間をもみつつ、 「文章は、読みやすくなってると思う。  専門用語や辞書引かなきゃ分からんねえ漢字は……、  まあ、あるっちゃあるけど、昔に比べりゃ随分少ないし」 768 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 18:28:11.62 ID:BzHnjpPT0 [16/21] ちなみに比較対象に挙げてる作品は、 去年の冬、瑠璃がメディアスキー・ワークスに持ち込んだマスケラの二次創作だ。 「話の内容は、王道から逸れてていいんじゃねえかな。  簡単にまとめりゃ、魔法の世界から、こっちの世界にやってきた闇の女王が、  本当は宿敵の天使と協力して、元の世界に帰るために頑張る話で……。  最後は……ハッピーエンド……なんだよな?」 自信がなく疑問符をつけてしまったが、瑠璃は何も言わず、 「それで?」とでも言いたげな目で俺を見上げてくる。 「登場人物は………もうちっとオリジナリティのあるキャラクター使った方が良くね?  挿絵の登場人物とか、一目でモデルが誰か丸わかりだしよ……。  あっ、絵はかなり上手くなってたな!」 これは読後に絶対誉めてやろうと思っていたことだった。 安易な萌えに走らない、人物の特徴を捉えた写実性重視の挿絵は、 物語の描写とぴったりマッチしていた。……あ、女王の家来役の麻奈実は例外な。 パソコンのすぐ後ろに視点をずらせば、 絵や文章のかきかたに関する本がずらりと並んでいて、 瑠璃の画力と筆力は日々の努力の賜なんだな、と再確認する。 「話の大筋はこのまま、要所要所を分かりやすい描写に変えてさ、  あと、登場人物の心理描写を若干増やせば……」 「もういいわ」 772 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 18:53:13.81 ID:BzHnjpPT0 [17/21] 瑠璃はそう呟くと、パソコンの電源を落とした。 は、はぁ? 俺は、お前が感想を聞かせてくれって言うから――。 「わたしはアドバイスが聞きたいと言ったわけではないの。  物語を読んで、純粋に思ったこと、感じたことが聞きたかったのよ」 瑠璃が言わんとしていることが分からない。 たぶん俺の理解力が足りてないんじゃなくて、 誰が聞いても同じように理解できないんじゃねえかと思う。 批評者として失格の烙印を押されたような気分になった俺は、悔し紛れに言った。 「瑠璃はこの作品を、このまま応募するつもりなのかよ?  はっきり言って今のままじゃ、この前と同じような感想書かれて突っ返されると思うぜ」 去年の冬、メディアスキー・ワークス編集部の熊谷さんは、 瑠璃の持ち込んだ長大な二次創作作品と、それと同じくらい分厚い設定資料に全て目を通した上で、 あの作品に不足していたもの、過剰だったものを、それぞれ丁寧に解説してくれたよな。 その解説が、この作品には全然生きてねえ。 絵が上手くなってるのは認める。 でも文章は、『強欲の迷宮』の方がまだ読みやすかったよ。 776 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 19:22:40.46 ID:BzHnjpPT0 [18/21] 瑠璃は穏やかに言う。 「あなたに言われた改善点は、きちんと承知しているわ。  ストーリーの概要は王道から逸れて失敗した典型的例だし、  文章は一文一文が長ったらしくて修飾過剰。  登場人物の容姿や性格は知り合いからの流用で新鮮味に欠けていて、  物語の終わりにあるべきカタルシスもない……。  商業的観点から見れば、唾棄すべきクズ作品よ」   る……瑠璃さん? 何もそこまで卑下する必要はないんじゃないスか……? 瑠璃は優しい微笑を浮かべて、 「でもね、これはどこかに応募するために書いた作品ではないの。  自分のため……あくまで自分のために書いた作品なのよ」 782 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 21:10:34.36 ID:BzHnjpPT0 [19/21] 「じゃあ、書き始めたときは、誰かに見せるつもりはなかったのか?」 「ええ。これでも、あなたに見せるためにかなり添削したんだから」 マジかよ。 今読んだのが改変版なら、原本はいったいどんな厨二具合なんだ? 「残念だけれど、見せることはできないわ。常人が読めば発狂しかねない酷さよ。  幾分耐性が出来ているあなたでも、三日三晩は寝込むことになるでしょうね」 もはや呪いの書じゃねえか。 瑠璃はノートパソコンの天板を閉じて、寂しげな微笑を浮かべた。 『覚えてるわけ、ないよね』 誰かの声が耳許でリフレインした。 あのときと同じだ。瑠璃はあのときの桐乃と同じ顔をしている。 そしてあのときと同じように、俺には瑠璃が、どんな言葉を欲しているのか分からない。 785 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 21:47:56.33 ID:BzHnjpPT0 [20/21] その言葉が、今し方読まされた作品に関係していることは分かる。 しかし俺の記憶では、瑠璃に出会ったのはあのオフ会の日が初めてで、 間違っても俺が『世界を繋ぐ者』で、 瑠璃にその昔取り憑いていたという闇の女王を魔法の世界に送り返した、なんてトンデモ話は有り得ねえ。 何かのメタファーという可能性もないではなかったが、 俺のポンコツな脳味噌に行間を読むなんて芸当は望むべくもなかった。 それから俺は瑠璃にラフ絵を見せてもらったり、 コミケで販売した同人誌の写真コーナーを見直したりして楽しんだ。 最後まで桃色の空気にならなかったのは、小説の件が尾を引いていたのと、 今日の瑠璃が、黒猫寄りの雰囲気を纏っていたからだと思う。 「お楽しみは終わったぁ~?」 居間に戻ると、開口一番、次女が顔をニヨニヨさせて言った。 こいつ、意味分かって言ってんのかね? 瑠璃は次女の発言を華麗にスルーし、台所に向かう。 「何してんだ?」 「何って……これから夕食の準備をするのよ」 振り返った瑠璃は、真っ白な割烹着を装着していた。 うわぁ……どっからどう見ても昭和のお母さんだよコレ。 コスプレに私服にジャージに割烹着に……着るモンひとつ変えても全然印象が違うなあ。 824 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 00:20:54.38 ID:u4wVIxT00 [1/13] 瑠璃はゴムで後ろ髪を纏めながら言う。 「あなたも食べていくのでしょう?」 「ああ、そうさせてもらうよ」 と言うと、次女と三女は揃って顔を輝かせ、 「やった。ご飯は一緒に食べる人が多いほど美味しいもんねっ」 「今日は、夜まで兄さまと一緒です?」 「そうだよぉ。もしかしたら泊まってくんじゃないかなぁ~?」 「兄さまはどの部屋で眠りますか?」 「そりゃやっぱルリ姉の部屋で……ごめ、ごめん、冗談だって!  ほら、ルリ姉は早くご飯作ってきてよ~。あたしたちお腹空いているんだからさぁー」 じゃれあう三姉妹を見ていると、自然と笑みが零れてくる。 俺はそっと廊下に出て、携帯を取りだした。 「もしもし?高坂ですけど」 「あ、お袋?俺俺」 断っておくが、別にオレオレ詐欺を意識しているわけじゃない。 自然とこの言葉が出てくるんだよな。 お袋は声のトーンを普段のそれに戻して、 「京介ぇ?あんた今どこにいるの?」 「今赤城と街に出てる」 「あら、そうなの?晩ご飯はどうする?食べてくる?」 「そうするよ。あ、それが言いたかっただけだから」 「そう。あんまり遅くならないようにしなさいよ~」 電話を切ると、ささやかな罪悪感が胸に去来した。 正直に言ってもよかったかもな。 『彼女の家で晩飯をご馳走になる』ってさ。 832 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 00:40:40.55 ID:u4wVIxT00 [2/13] 居間に戻ると、瑠璃は本格的に晩飯の支度に取りかかっていた。 にしても、マジで割烹着似合ってるな。 ベストジーンズ賞ならぬベスト割烹着賞があれば、十代の部で優勝狙えるレベルだよ。 「兄さま」 座布団の上に座ると、三女が後ろ手に何かを持ってやってきた。 が、三女の体よりもその何か――画用紙――が大きいせいで、バレバレだ。 「ん、またメルルのキャラクターか?」 三女はニコーっと笑い、画用紙を差し出す。 そこに描かれていたのは、白い仮面を持った黒ずくめの男。 メルルには基本的に大人の男性が登場しない。ということは……分かったぜ。 「漆黒か」 「いいえー」 えっ、違うの!? かなり自信あったんだけどなぁ。 「ほんとうのほんとうに分かりませんか?」 「……降参。誰なんだ?教えてくれ」 「兄さまです」 ああ、なるほどね。……って、分かんねーよ! 841 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 01:00:38.05 ID:u4wVIxT00 [3/13] 俺は日常的にこんな黒い服着てねえし! 「それは兄さまにあげます」 しかもくれるんだ!? 兄さまの部屋狭くて飾るトコねえし、 スケッチブックに保管しといてくんねえかな? 「あげます」 押し強えわ、この子。はい、謹んで拝領致します。 「あははっ、京介さんよかったねぇ~」 遣り取りを見ていた次女がケタケタと笑う。 「この雨の中どうやってこの画用紙を折らずに持って帰るか一緒に考えてくれよ」 「今日のところはルリ姉の部屋に置いといて、  また晴れた日に持って帰ればいいんじゃないかな」 「そうさせてもらう」 「あ、全然話は変わるけど」 次女は三女が教育テレビに興味を移したのを確認すると、台所に届かない程度の小声で、 「ルリ姉の部屋で何してたの?どこまでいった?」 あー、こういう子のことなんて言うんだっけ。 ……思い出した。マセガキだ。 しかも完全に敬語忘れてやがるしな。 いや、この方が俺も気楽に話せていいんだけどよ。 845 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 01:17:00.34 ID:u4wVIxT00 [4/13] 「お前が期待してるようなことは何もしてねえ」 「えぇーっ、チューもしてないの?」 沈黙を勝手に肯定と受け取った次女は、 「彼氏家に呼んどいて何もしないとかルリ姉も強気なのか奥手なのかわっかんないよねぇー。  あと、京介さんは自信持ってルリ姉のこと押し倒せばいいと思うよっ」 頼む、誰かこのガキを黙らせてくれ。 そんな祈りが通じたのか、台所から瑠璃が次女の名を呼び、 「暇にしているなら、こっちに来て手伝って頂戴」 「あたし今ねえ、京介さんとお喋りするので超忙しいから無理」 「それを暇にしていると言うのよ。  お腹が空いているのでしょう?手伝った分、早く出来上がるわ」 「しょーがないなー。京介さん、この子の相手頼むねっ」 次女は立ち上がり、ツインテールをぴこぴこ揺らして台所に向かう。 919 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 12:18:43.65 ID:u4wVIxT00 [5/13] 夕食が完成したのは七時ちょっと前で、 調理を手伝えなかった俺は、せめてもと配膳係に志願した。 四人分の椀や皿を、台所から居間のちゃぶ台に運んでいく。 箸立には暖色の箸が三膳入っていて、それを適当に並べていると、 「あ、その子はスプーンとフォークです。練習中なんだよねぇ」 「はいー!」 ああ、じゃあこれは瑠璃と次女と、今は仕事に出てるお母さんの分か。 んで俺は割り箸、と。 四人全員がちゃぶ台の周りに座り、合掌する。 「いただきます」 メニューはご飯に味噌汁、鰯の塩焼きに冷や奴、キュウリの漬け物の計五品で、まさに日本料理といった感じ。 満遍なく箸をつける。 料理番組のコメンテーターのように豊富なボキャブラリーを持たない俺は、こう言うしかない。 「うまい。マジでうまいよ」 それまで横目で俺の反応を伺っていた瑠璃は、ほう、と息を吐いて、 「そ、そう?気に入ってもらえたなら、嬉しいわ。  ……味加減はどうかしら?」 少し薄味だけど、たぶんそれは妹のため、わざとそうしているんだろう。 「ちょうどいい。ウチと似てる」 「よかったね、ルリ姉。これでいつでも嫁げるねぇ~……痛ッ」 927 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 12:55:57.32 ID:u4wVIxT00 [6/13] 額を押さえて呻く次女。 デコピンされると分かっていただろうに。口を衝いて出てしまうんだろうか。 「姉さま、ふりかけはどこですか?」 「ここにあるわ」 瑠璃はふりかけの封を切って、三女のご飯の上に振りかけてやる。 「零さないようにして食べるのよ」 「はいー」 思わず笑っちまったよ。 「何が可笑しいの?」 「いや、なんか姉妹っていうより、母娘って感じだと思ってさ」 「お母さんがいないときはルリ姉がその代わりだもんねぇ~」 その遣り取りを見ていた三女は、訊きたくてウズウズしていたんだろう、 口の中のご飯を大急ぎで呑み込むと、 「姉さまがお母さまなら、兄さまはお父さまですか?」 「うぅ~ん、それはちょっと違うかなぁ~?」 俺と瑠璃は顔を見合わせて、苦笑する。 本当に三女と次女が娘で、瑠璃が奥さんなら、さぞかし家に帰るのが楽しいだろうな。 938 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 13:21:31.09 ID:u4wVIxT00 [7/13] そんな妄想を見透かされたのか、はたまた最初から同じことを考えていたのか、 みるみるうちに瑠璃は顔を朱に染め、俯く。 普段下ろしている髪は、今は後ろでまとめられていて、 透き通るような白さの項が妙に色っぽい……って、食事中になんてこと考えてんだ俺は。 瑠璃は微妙な雰囲気を払拭するかのように、 「お、お代わりはいる?」 俺の椀の底も見ないで言ってきた。 まだ少しご飯は残っちゃいるが……。 「ああ、頼む……つうか、自分で行ってくるよ。炊飯器の場所分かってるしさ」 「いいのよ、あなたは動かなくて。ご飯はたくさん?それとも少し?」 ここは好意に甘えるとするか。 「少しでいいよ。ありがとな」 椀を手渡してから気づく。 この会話、どっかで聞いたことあると思ったらまんま親父とお袋のそれだよ。 それからしばらくして帰ってきたお椀には、白米がなみなみとよそわれていた。 こいつ完璧に上の空で聞いてやがったな。 まあ、漬け物がスゲー美味いからいくらでも食べられますけどね。 948 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 13:54:04.29 ID:u4wVIxT00 [8/13] 食事が終わり、「食器洗いくらいは」と申し出てみたものの、 瑠璃は「妹たちの面倒を見ていて頂戴」の一点張りで、 結局今日、俺は一度も五更家の台所に立たせてもらえなかった。 まったく、「男子厨房に入らず」なんて言葉が箴言たり得たのは昭和までだろうがよ。 「ルリ姉~あたしお風呂入れてくる~」 次女が行ってしまい、今俺は三女と一緒にクイズ番組を見ている。 単純な知識量や計算力ではなく、直感力や想像力を試す、 要するに右脳を働かせて答えるタイプのクイズなので、幼い三女にも問題なく楽しめている。 テレビ画面には騙し絵が映っていて、 「兄さま、この絵には何匹のお馬が隠れていますか?」 「一、二、三……四匹じゃないか?」 「わたしには六匹見えます」 制限時間が終わり、正解が発表される。おっ、七匹もいたのか。 「惜しかったな」 「はいー……」 悔しそうに、ぎゅうと丸っこいウサギのぬいぐるみを抱きしめる三女。 「それ、手作りか?」 「はいー。姉さまが作ってくれた『まどーぐ』です」 ま、まどーぐ? 数秒考えて、それが『魔道具(まどうぐ)』と書くことに思い当たる。 961 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 14:17:36.76 ID:u4wVIxT00 [9/13] そういやさっき瑠璃が、『三女は私の与えた魔道具は全て完璧に使いこなしている』と言ってたっけ。 でもこれ、どう見ても魔道具じゃねえよな。こんな可愛らしい魔道具があってたまるか。 普通にぬいぐるみとして渡してやれよ。 「たっだいまー」 次女が帰ってくる。 「順番どうする?京介さんから入る?」 「は?」 「だからぁ、お風呂。モチロン入ってくんでしょ~?」 いやいや待て待て。 「さすがに風呂は遠慮しとく」 「えぇ~っ、なんで?ルリ姉と一緒に入りなよぉー」 あのなあ。 「馬鹿な発言は慎みなさい。  この家のお風呂のどこに人二人が入れるスペースがあるというの」 洗い物が終わったのか、瑠璃が手の水気をミニタオルで拭きながらやってくる。 「じゃあお風呂場が広かったら、京介さんと一緒に入ってもいいんだ?」 「なっ、そ、そういう意味ではなくて……」 972 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 14:52:09.41 ID:u4wVIxT00 [11/13] 俺は瑠璃に加勢する。 「ほら、俺下着の替えとか持ってないしさ」 「近くにコンビニあるから、買ってくればいいんじゃないかなぁ?  なんならあたしがひとっ走りしてこよっか?」 結構です。 小さな女の子が一人で男物のパンツ買おうとしたら絶対コンビニ店員怪しむよ! 「と、とにかく。今日は帰る。好意だけもらっとくわ」 「ちぇ、つまんない」 それまでクイズ番組に夢中になっていた三女が、ふぁ、と小さな欠伸をする。 「もうおねむの時間?今日は早いねぇ。あんまりお昼寝しなかったからかなぁ?」 おいで、と次女が手招きすると、三女は次女の膝に頭を乗せて目を瞑った。 「お風呂できたら起こすからね」 「…………」 次女がテレビの音量を小さくすると、すぅ……すぅ……穏やかな寝息が聞こえてきた。 瑠璃が思わせぶりな視線を、俺、時計の順に移す。 もう八時過ぎか。腰を上げると、瑠璃もそれに続いた。 「あっ、あたしも見送りたい……けど動けないし」 次女は膝の上の三女を見ると、表情に諦めの色を浮かべ、 「あたしはここで。またいつでも来てくださいねー、京介さん」 983 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 15:24:21.84 ID:u4wVIxT00 [12/13] 瑠璃が引き戸を開けると、外では依然として霧状の雨が降っていた。 「傘は持ってきているの?」 「ああ」 黒の折り畳み傘を開いて見せる。 瑠璃は傘立てにあった赤い傘を開くと、俺の一歩先を歩いて、来たときと同じように門の閂を外してくれた。 「今日は……呼んでくれてありがとな。  瑠璃の妹たちに会えて良かったし、  美味い飯もご馳走になって……楽しかったよ」 「妹たちには懐かれて大変だったのではなくて?」 「避けられるよりずっとマシだろ」 瑠璃はやんわりと笑んで、 「京介は小さな子供の扱いに慣れているのね。  下の妹は内気な性格なのだけれど、あなたに対しては人見知りしなかったみたい」 「似姿も描いてもらったしな。あれ、今のところは瑠璃の部屋に置いといてもらってもいいかな」 「構わないわ。  それと晩ご飯は……、質素な献立でごめんなさい。  正直、物足りなかったでしょう?  本当はもっと凝ったものを作るつもりだったのだけれど、  し、失敗するのが怖くて、一番作り慣れているもので妥協してしまったの」   997 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 16:18:52.87 ID:u4wVIxT00 [13/13] 失敗するのが怖くて――、か。 本音を隠さずに教えてくれたことは嬉しいよ。 でもあれが妥協の結果だなんて、言われなきゃ全然分からなかったぜ。 質素な献立?関係ねえよ。 「俺はああいう純和風な料理が好きなんだ。  それに、普通で無難な料理ほど、料理人の腕が反映されやすいだろ?  お前の料理、スゲー美味かったよ。  また今度何か食わせてくれな」 「ほ、ホメ殺さないで頂戴」 瑠璃は傘で顔を隠してしまう。 ざあ、とにわかに雨脚が強まり、街灯の明かりが鈍くなる。 俺は傘のへりを指で持ち上げ、その中の唇に、自分の唇を合わせた。 「…………っ……ん……」 微かに身動ぎした後で、大人しくなる。
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 19:08:24.04 ID:bXAtVviK0 [3/10] 「あっ、あんたが意識しなけりゃいいだけじゃん。  あたしみたいに、もっと純粋にりんこりんを愛でることができないワケぇ?」 桐乃はひょいと俺の肩から顔を出し、視線を下に向けると、みるみるうちに顔を紅潮させて、 「うわ……勃ってるし……キモぉ」 うっせ。これは男として当然の生理的反応だっつうの。 目の前にこんなエロっちいCGとテキスト示されて反応しないヤツは、不能者か聖人くらいだろうよ。 それに、 「お前もなんだかんだ言って、こういうシーン見ながら――」 「こういうシーン見ながら、なに?」 「なんでもねえよ」 危ねえ危ねえ。こういうことは冗談でも言ったら殺される。 結局その後、桐乃からスキップのお許しは出ず、 俺はクリックを連打しつつCGから目を逸らしつつエロボイスに耳を塞ぎつつ、Hシーンを完走した。 自分で言うのもなんだが、報奨モンだよ。 誰も誉めちゃくれねーけどさ。 初Hを終えた主人公とりんこは、この関係を周囲に隠したまま生きていくことを誓い合う。 季節は巡り、春。 大学生になった主人公は、大学近くの安普請のアパートに引っ越すことになった。 調度に乏しい、殺風景な部屋を眺めて、主人公は溜息を吐く。 みやびやりんこと一緒に暮らしていた日々が懐かしい……。 『なぁ~にしょぼくれてんの?バカ兄貴』 そんな主人公の背中を、りんこは後ろからぎゅっと抱きしめてくれる。 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 19:22:52.77 ID:bXAtVviK0 [4/10] りんこは主人公の大学に程近い高校に入学した。 理由はもちろん、主人公と同棲するためだ。 『アタシがいるから……寂しくないでしょ?』 そうだな。主人公は窓外に視線を転じ、 高く澄んだ蒼穹を舞い散る桜の花びらに、新しい季節の到来を予感する。 きっとみやびも空の上から、主人公とりんこの新たな門出を祝ってくれているに違いない。 『ずっと……ずっとずっと、一緒だからね……』 りんこの言葉に、主人公は強く頷いた。 暗転する画面。 表示される『Happy End』の文字。 「終わったな……」 「終わったね……」 ほう、と俺たちはそろって息を吐く。 しすしすプレイ中、突っ込みどころは至る所にあったし、 三行に要約できるような薄っぺらいストーリーだったが……なかなかどうして、感慨に耽っている俺だった。 おっかしーな、急に画面の解像度が低下しやがった。 「ぷくくっ、何ちょっと涙ぐんでんの、あんた」 うるせえ。お前も初プレイ時には大泣きしたんだろうが。 11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 19:44:15.75 ID:bXAtVviK0 [5/10] 桐乃は腹の立つクスクス笑いを響かせながらも、ティッシュを箱ごと渡してくれる。 ふん、気が利くじゃねえか。でも、なんで箱ごと? 「いいからいいから。持っときなって」 桐乃の意味深な言葉の意味が分かったのは、スタッフロールが流れ出してからだ。 妹と兄の切ない擦れ違いを歌った曲をBGMに、 りんこと主人公の写真が、スライドショーで映し出される。 くそっ、こんなの反則だろうが! 最初は主人公に対して険しい表情しか見せていなかったりんこが、 徐々に主人公に心を開いていく過程を改めて見せつけるなんてよ……。 そして最後に表示される、ブランコに乗った幼いりんこが、同じく幼い主人公に背中を押されている一枚。 幼いりんこは義理の兄がどんな人か知るために、 慣れないバスを乗り継いで、主人公の住む街にやってきた。 そして、偶然公園で主人公を見つけ、一緒に遊んでもらった記憶を、ずっと胸の中で大切に温め続けていたのだった……。 『fin』の文字を見て、今度こそ本当に、りんこりんルートが終わってしまったことを理解する。 「これ、ファンディスクとかねえの?」 無意識のうちに訊いていたよ。 「今年の冬に発売だって。  ライターさん忙しいらしくてさぁ、なかなか執筆の時間取れないみたい。  にしても、よく一回もBADエンド見ずにクリアできたね?」 選択肢は特に何も考えず、直感的に選んでたんだがな。 「あんたやっぱさぁ、エロゲの才能あるんじゃない?」 いらねーよそんな才能。 18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 20:52:24.41 ID:bXAtVviK0 [6/10] 時計を見ると、二時を少し回っていた。 ウィンドウを閉じて、パソコンの電源を落とす。 「あっ、電源つけたままで良かったのに」 「まだネットサーフィンするつもりだったのかよ。  夜更かしは肌の大敵だぜ。モデルが体調管理怠ってどうするよ」 「そーいう心配は十代のあたしには関係ないしィ」 「そうかい」 桐乃は椅子を回転させ、俺と向き合う形になって言った。 「エロゲが終わったら、その次は感想タイムだから。  りんこルート……あんた的には、どうだった?」 神だの最高だのと奉られようが所詮はお涙頂戴の三文ストーリーだった、と言いたいところだが、 「不覚にも涙ぐんじまったよ。つーか、お前も見てたじゃねえか」 「あんたが泣くのは最初から分かってたし。初見で泣かないのは人の皮被った悪魔だし。  あたしが訊いてるのは、そういう全体を通してのは感想じゃなくて……。  ……ッ、りんこりんルートのエピソードに、ひとつくらい共感したのは無かったワケ?」 20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 21:16:41.41 ID:bXAtVviK0 [7/10] 俺は頬をポリポリ掻きつつ、 「共感ってなあ……お前、義理の双子姉妹がいない俺にどこでどう共感しろってんだよ?」 「本当に、何も無かったんだ?」 膝を抱えて、拗ねたような顔になる桐乃。 そうだな、強いて言うなら、 「物語途中までのりんこの性格は、お前そっくりだったかな?」 「…………ッ」 あれ、もしかして今地雷踏んだ? 恐る恐る反応を伺うと、桐乃は寂しげな微笑を浮かべて、消え入るような声で呟いた。 「覚えてるわけ、ないよね」 エロゲと違って、現実に明確な選択肢は現れない。 共感できないものは共感できないと言うほかないし、覚えていないことには覚えていないと言うしかない。 だから俺はその代わりにと、桐乃の頭に右手を乗せた。 なんで、と桐乃の微かに湿った目が訴えかけてくる。 「撫でたくなったから、撫でてるだけだ」 そうだ。兄貴が妹の頭を撫でるのに、特別な理由なんて要らない。 桐乃は午睡しようか迷っている猫のように目を細め、そっと身体を近づけてきた。 「兄貴……あたしさ……兄貴に、ずっと言おうと思ってたことがあって……。  ホントは海外に行く前の夜に言うつもりだったんだけど、その時は、勇気が出せなくて……」 23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 21:51:27.86 ID:bXAtVviK0 [8/10] そこでいったん言葉を切り、苦しそうな顔で見上げてくる。 胸中に去来した感覚は、以前、一度味わったものだった。 ――桐乃さんは、お兄さんに、気づいて欲しかったんですよね? 御鏡の言葉を勢いよく否定した桐乃は、じゃあ何だよ、と尋ねた俺に、これとまったく同じ顔をして見せたのだ。 自慢じゃないが、俺の直感は往々にして正しい。 だから、これが何度も先延ばしにされた分水嶺で、 ここを通過してしまえば――このまま桐乃の言葉に耳を傾けてしまえば、取り返しの付かないことになると思った。 「桐乃」 「な、なに?」 「……俺もお前に、話しておかなくちゃならないことがあるんだ。先に聞いてくれるか?」 コクリ、と頷く桐乃。 透き通った碧眼には、不安と期待、両方の色が浮かんでいた。 先に謝らせてくれ。 ごめんな、桐乃。 俺が今から言う言葉は、お前を傷つけるかもしれない。 一年と半年前から、ずっと温め直してきたお前との関係を、また振り出しに戻してしまうことになるかもしれない。 でも俺は――俺は誰よりも最初に、お前に話しておきたいんだ。 「黒猫と、付き合うことにした」 33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 23:01:18.61 ID:bXAtVviK0 [9/10] 草木も眠る丑三つ時。 お互いの息遣いだけが、痛いほどの静寂を乱す。 桐乃は目を瞠ったまま、夢現で言葉を紡いだ。 「嘘……嘘だよね……?  一昨日は、黒猫の告白を断ったって……」 「誰もそんなことは言ってないだろ。一日、待ってもらってただけだ」 「なんで……」 「その場の勢いで答えたら、後悔することになると思ったんだよ」 「いつ……黒いのに返事したの……」 「昨日、黒猫を駅まで送ったときに言った」 桐乃はきゅっと下唇を噛み締め、俯く。 前髪が表情の半分を覆い隠してしまう。 が……ひとつ、またひとつとシーツの上に描かれる水玉模様が、 今桐乃が何を思い、何を感じているのか、如実に物語っていた。 「あんた……黒いののこと、好きだったんだ……?」 「……ああ」 「ふぅーん……、じゃあ、両思いだったんだ……サイッコーに幸せだね……」 「……ああ、そうだな」 48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/19(日) 23:50:39.08 ID:bXAtVviK0 [10/10] 「あはっ……馬鹿みたいだね、あたし……。  ……あんたにはもう、本当の彼女がいたのに……あんたの彼女のフリなんかしてさ……」 桐乃は涙で濡れた顔を、精一杯の笑顔に変えて、 「……笑っていいよ?あたしのこと……。  今度、あんたに買ってもらった服のお金、ちゃんと返すから」 「桐乃」 「あっ、服も持ってく?  黒いのにプレゼントしたら喜ぶんじゃない?  なんならあのイヤリングも一緒に――」 「桐乃、それは"俺"が"お前"にあげたモンだ」 「そっか。そう、だよね。  あたしのお古なんて、新しい彼女に渡せないよね……」 桐乃が言葉を重ねるたび、罪悪感が肥大していく。 もういいだろ、桐乃。それ以上自分を虐めるな。 俺は妹の戦慄く肩に、そっと手を伸ばした。 否、伸ばそうとした。 「触んなっ……そういうの、もうやめてくんない?……マジでウザいし、キモいから」 53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 00:33:04.44 ID:KU/Wy8bd0 [1/13] 「桐乃……お前……」  「いい年して妹相手に馴れ馴れしくすんなっつうの。  ちょっと優しくしただけで勘違いするとか非モテの典型じゃん。  従順な妹の演技するのもそろそろ我慢の限界ってゆーかァ、  さっき頭撫でられたときも、吐き気我慢するの超大変だったしィ」 「…………」 「てか、妹の友達に手出すとかマジ有り得ないんですケドぉ。  あんた、自分が最低なコトしてるって自覚ある?  あるワケないよね~、どうせ黒いのと、え、Hするコトしか頭に無かったんでしょ?」 「…………」 「あんたみたいなキモ男に告白するとか、黒いのも相当な好き者だよねー。  あんたが彼氏とか、罰ゲーム以外の何物でもないっしょ?」 「…………」 「ッ……なんで……?」 「…………」 「おかしいよ……なんでここまで言われて怒んないの?」 俺は黙って桐乃の頬に手を伸ばし、止め処無く溢れ出す涙の筋を、親指の腹で拭ってやる。 お前は『モデル』にはなれても『女優』にはなれそうにないな。 「そういうコト、するから……そうやって誰にでも優しくするから……勘違いしちゃうんでしょ……」 61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 01:27:48.19 ID:KU/Wy8bd0 [2/13] 桐乃は俺の手の上に自分の手を重ねて、 数秒目を閉じた後で、ゆっくり俺の手を払い除けた。 「……出てって」 首を横に振る。 こんな状態のお前を残して、部屋に戻れるわけがねえだろうが。 「出てってって、言ってるじゃん……!」 なおも首を横に振ると、ウサギのぬいぐるみが飛んできた。 タコのぬいぐるみ、トラのぬいぐるみ、クマのぬいぐるみと続き、 最後に投げつけられたハートのクッションだけが俺の顔面を逸れて、箪笥の上の写真立てを倒した。 飾られていたのは、沙織と黒猫と桐乃の三人が初めて秋葉でオフ会した時の写真だ。 まるでこれからの未来を暗示してるみたいだな、と一瞬でもそう思っちまった自分が嫌になる。 「お願いだから……一人にしてよ……」 このまま居座っても、桐乃を宥めることはできそうにない。 「……おやすみ」 返事をもらえないまま、ドアを閉めた。 その後、自分の部屋に戻った俺は、壁越しに妹の気配を感じながら、眠れない夜を過ごした。 94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 18:26:06.06 ID:KU/Wy8bd0 [4/13] 駅前の駐輪場に自転車を止めた俺は、 いつものクセで額を拭い、ちっとも手の甲が濡れていないことに気が付いた。 今日は過ごしやすい一日となるでしょう、という天気予報士のお告げは正しかったようだ。 空には薄い雲が斑模様に広がっていて、盛夏の日差しを和らげてくれている。 風は少し強いくらいで、駅から流れ出てくる人々は、 一様に目を瞬かせ、髪型の乱れを気にする素振りを見せる。 「早く着きすぎちまったかな」 俺は腕時計から駅前に視線を転じ、やがて小さな人だかりの隙間に、待ち人の姿を見た。 つば広帽子に、真っ白なワンピース。 腰まで届く艶やかな黒髪が、整った顔立ちを縁取っている。 和風美人という言葉がぴったりのその少女は、 しかしその容姿を見られまいとするかのように、体を縮こまらせていた。 「せ……せんぱ……」 俺の姿を認めた黒猫は、今にも泣きそうな声でそう言った。 俺は黒猫を囲んでいた野郎どもをぐるりと見渡し、 「こいつらお前の知り合いか?」 「違うわ」 「だよな」 黒猫の手を引いて歩き出す。 取り巻き連中の一人が何か言ってきたが、全部無視して歩き続けた。 98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 19:08:17.81 ID:KU/Wy8bd0 [5/13] どれくらい歩いただろう。 「はぁ……はぁっ……追っては、こないみたいよ……っ……」 「そっか、……って、急ぎ足で引っ張っちまって悪かったな。大丈夫か?」 黒猫は胸に手を当てて乱れた息を整え、 「問題ないわ。あなたは、わたしを助けようとしてくれたのでしょう?」 優しく笑んで、上目遣いに見つめてくる。 か、可愛すぎる。これ、狙ってやってんなら反則だからな? 俺は頬をカリカリ掻きつつ、 「まあ、それはそうだけどよ……つーか、お前さあ、待ち合わせの時間分かってるか?  十時だぜ、十時。早く来すぎだっつうの」 「それはあなたが偉そうに言える台詞ではないでしょう?」 分かってねえなあ、コイツ。 「お前は俺を待たせる側なの」 「とんだフェミニストね」 「バーカ。俺よりも早く来てナンパされてたら世話ねえだろうが」 107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 20:04:35.36 ID:KU/Wy8bd0 [6/13] 「……あなたは重大な勘違いをしているわ。  わたしは千葉の堕天聖黒猫。  人間風情が束になってかかってきたところで、闇の眷属たるわたしに敵うわけがない。  もしも『頻闇の帳(ブラインドフィールド)』を展開していれば、  彼らはわたしを傷つけるどころか、わたしを認識することすらできない愚図に成り下がっていたでしょうね」 嘘こけ。 俺が駆けつけた時は思いっきり泣きそうだったじゃねえか。 ついでに言っとけば、 「今日のお前は黒猫じゃなくて、白猫だろ」 「またこの前と同じことを言うのね……白猫だったら何だと言うの?」 「電波発言は控えめにしとけってこと。  私服姿のお前がそういう台詞口にしても、全然似合わねえから」 「フン。わたしの知ったことではないわ」 黒猫は拗ねるように唇を尖らせ、胸を反らせる。 真っ白なワンピースの上で、陽光を弾き銀色に輝くロザリオ。 この前のコミケで、俺が黒猫に買ってやったものだ。 「着けてきてくれたんだな」 113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 20:36:37.80 ID:KU/Wy8bd0 [7/13] 「あ、当たり前でしょう?」 黒猫は赤くなった顔を隠すように俯くと、 「これはあなたがわたしにくれた……初めてのプレゼントなのよ」 愛おしげに、指先でロザリオを撫でる。 その仕草は妙に扇情的で、俺はカッと顔が熱くなるのを感じた。 おいおい、ここで照れ隠しするのがいつもの黒猫だろ? 「『今日のわたしは黒猫ではなく白猫だ』と言ったのは、あなたじゃない」 繋いだ手に力が籠もる。 「ねえ……もしも……もしもあなたが望むなら……。  わたしはあなたの前でだけ、ずっと白猫のままでいてもいいわ」 ちょ、ちょっと待った! 落ち着け白猫――じゃない、黒猫! お前最初から飛ばしすぎだよ。デート開始からまだ20分しか経ってないんだぜ? クスリ。黒猫は妖艶に笑み、 「ふふっ、本当に騙されやすい雄ね。  わたしが自分のアイデンティティをそう簡単に捨てられるわけがないじゃない」 で、ですよねー。ほっと胸を撫で下ろしたよ。 残念な気がしなかったと言えば、嘘になるけどさ。 122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 21:09:38.01 ID:KU/Wy8bd0 [9/13] 「でも……呼び方を変えることは可能よ」 視線を俺の唇に注ぎ、意味深な呟きを漏らす黒猫。 「じゃあ、これからは白猫って呼んでもいいのか?」 と真顔で訊くと、 「…………ッ」 軽蔑の眼差しが飛んできた。 えっ?俺何か間違ったこと言った? 呼び方を変えてもいいって、そういうことだったんじゃないの? 黒猫は苛立たしげに目を眇め、 「わたしたちの関係に、もっと相応しい呼び方があるでしょう?  あなたは既に知っているはずよ。  わたしの真名ではないほうの……人間に擬態しているときの、仮の名前を」 「あっ……」 ここまで言われなくちゃ分からない自分に、ほとほと嫌気がさしてくるね。 「五更……瑠璃……」 「長すぎるわ」 ここで名字を選ぶほど、俺の脳味噌は終わっちゃいない。 「瑠璃」 127 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 21:31:55.20 ID:KU/Wy8bd0 [10/13] 「そう、それでいいのよ」 黒猫は――瑠璃は満足げに頷くと、 「このままでは不公平だから……わたしも、あなたの呼び方を変えるわ」 顔を完熟した林檎みたいに真っ赤にして、 「京介」 『兄さん』でも『先輩』でもない、俺の名前を呼んでくれた。 顔面の筋肉に力が入らない。 鏡が無いので分からないが、俺の顔は緩みに緩み、鑑賞に堪えないものに成り果てているに違いなかった。 元々見るに堪えない顔だって?ほっとけや。 「瑠璃……瑠璃……」 語感を確かめるように、何度も繰り返し、黒猫の本当の名前を口にする。 ああ、瑠璃にとっては『黒猫』が本当の名前なんだったっけ。 「は、恥ずかしいから無意味に連呼しないで頂戴」 「別にいいだろ、減るモンでもないしよ」 138 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 21:54:32.84 ID:KU/Wy8bd0 [11/13] 手を繋ぎ、お互いの本当の名前を呼び合う――。 ただそれだけで、瑠璃と恋人同士になったことを強く実感した。 ともすれば幸福感に酔い痴れそうになる理性を奮い立たせ、 俺は彼女に喜んでもらえそうな、午前中のデートプランを提案する。 147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/20(月) 22:41:47.10 ID:KU/Wy8bd0 [12/13] 所変わって中央公園。 「ベルフェゴールの好きそうな場所ね。倦怠と堕落の香りがするわ」 敷地内に足を踏み入れた瑠璃は、開口一番、小馬鹿にするような笑みを浮かべてそう言った。 倦怠と堕落の香りって何だよ。さっぱり分からん。 「飯の時間までは、ここでのんびりしてようぜ」 俺は瑠璃の手を引いて、池に臨んだ遊歩道を歩いて行く。 何度も言うが、ここは初見で感じるほど退屈な場所じゃない。 木漏れ日が織りなす幾何学模様や湖面で弾ける陽光が目を楽しませてくれるし、 草いきれを孕んだ涼風は、現代社会に生きることで摩耗した心を優しく撫でてくれる……って、完璧思考がジジイだわ。 無難な選択をしたつもりだったけど、退屈させてねえかな? 恐る恐る瑠璃の様子を伺うと……。 「綺麗なところね」 穏やかな表情で、そう言ってくれたよ。 言葉少なに散歩を続けていると、やがて右手に、あのベンチが見えてきた。 自然と歩みが遅くなる。 つい昨日の出来事なのに、瞼の裏に蘇る光景が、 随分と昔のことのように色褪せて見えるのはなんでだろうな。 「……あのベンチが気になるの?」 「なんでもない。行こうぜ、あっちに花畑があるんだ」 訝しげな視線から逃げるように顔を背けて、歩調を早めた。 167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 00:21:25.60 ID:PCIUKWNi0 [1/8] 遊歩道の果て、池の一辺の延長線に沿うように作られた植え込みに近づくにつれて、甘い薫りが強くなる。 白、ピンク、赤、黄色、橙――色取り取りに咲き誇る花の中で、名前を知っているものはほんの数えるほどしかない。 それでも、大事なのは花を愛でる気持ちであって、たとえ名前を呼ばれなくても、 見られて綺麗と思ってもらえれば、それがお花にとって最高の幸せだと思う――とは麻奈実の弁。 「ここの花壇は、いったい誰が世話をしているのかしら」 「さあな。市の職員じゃないか」 「大変な作業でしょうね…………あら」 瑠璃は花壇の一角に屈み込み、何かを拾い上げた。 「何を拾ったんだ?」 「これよ」 瑠璃の手のひらの上に乗っていたのは、黄色いハイビスカスだった。 まだ落ちて間もないのだろう、踏まれた痕もなく、花びらはどれも瑞々しさを保っている。 「可哀想に。何かの拍子に落ちてしまったのね」 「貸してくれ」 「構わないけど、何に使うつもりなの?」 「いいから」 首を傾げながらも、瑠璃は俺の手のひらの上に、そっとハイビスカスを乗せてくれる。 俺はその付け根を指でつまみ、黒猫のつば広帽子の編みが粗い部分に差し込んだ。うん、いい感じだ。 「もう……」 瑠璃は一瞬、俺の勝手な装飾に文句をつけかけ、 「似合っているかしら?変ではない?」 170 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 00:48:03.05 ID:PCIUKWNi0 [2/8] 「よく似合ってるよ。マジで」 いよいよ夏の青春映画に出てくるヒロインじみてきた、とは言わないでおく。 「でも水に挿してあげなければ、すぐにでも凋萎してしまうのではなくて?」 なんだ、そんな心配してたのかよ。 「ハイビスカスはよく首飾りに使われてるだろ?  あれって、摘んでもなかなか萎れないからなんだ」 「そう。物知りなのね……きょ、京介は」 「………」 悪いな瑠璃、堪えきれそうにねえわ。 俺は吹き出した。 「な、何が可笑しいの?」 「慣れないうちは、無理して名前で呼ぼうとしなくてもいいんだぜ」 「呼ばなければいつまで経っても慣れることがないじゃない」 矛盾を突き付けられ、それもそうか、と思い直す。 てことは、これからしばらくは、ぎこちない『京介』を聞かされることになるんだな。 瑠璃はぷいと顔を背けて、さっき俺がしていたように、俺の名前を繰り返し唱える。 「京介……京介……」 なんだか背中がむず痒くなってきやがった。 おい瑠璃、本人の前で練習するのはやめろ。 176 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 01:28:01.56 ID:PCIUKWNi0 [3/8] 駅前の喫茶店で軽い昼食を取った俺たちは、電車を乗り継いで、 沙織の住む高級住宅街からそう遠くない、海辺の町にやってきた。 仄かに漂う磯の香りや爽籟の音に、いやがうえにも気分が高揚してくる……のだが、暑い。とにかく暑い。 空を薄く覆っていた斑雲はいつの間にか風に流され、 満面の笑みを浮かべた太陽は、まるで午前中の鬱憤を晴らすかのように眩い陽光を降り注がせている。 電車を降りてから数分、俺のTシャツは早くも汗でべとべとだ。 だというのに、 「瑠璃は汗一つかいてねえな」 透き通るように白い肌の上には、汗の玉どころか、しっとり濡れている様子さえ見受けられない。 マジで妖気の膜を張ってるとは思えないし、生まれつき汗腺が少ないんだろう。 「体調が悪くなったら、すぐに言うんだぞ」 「わたしの心配をする前に、自分の心配をしたらどう?  そんなに汗をかいていては、到着する前に脱水症状を起こしてしまうのではないかしら?」 空のペットボトルを見せる。 「あら、もう飲み干してしまったの?」 瑠璃は呆れたように瞬きし、しかし次の瞬間には、 はい、と自分の半分ほど中身が残っているペットボトルを差し出してきた。 いや、そういうつもりで見せたわけじゃ……嘘です、ちょっと期待してました。 「いいのか?」 「遠慮しないで呑んで頂戴。  わたしは喉が渇いていないし、あっちにも自販機の一つや二つ、置いてあるでしょう?」 223 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 22:47:15.94 ID:PCIUKWNi0 [6/8] 瑠璃の言葉に甘えて、蓋を開ける。 一口だけにしておくつもりが、我に返ってみれば、綺麗に飲み干していた。 一部始終を見ていた瑠璃は、 「子供みたいよ、あなた」 クスッと笑みを零す。 わ、悪い。飲み始めたら止まらなくってさ。 「謝ることはないわ。  遠慮しないで呑んでいいと、最初に言ったでしょう?」 「……そっか」 セスナ機の低く間延びしたエンジン音が、上空を横切っていく。 坂道の峠に差し掛かった折、瑠璃は出し抜けに言った。 「間接キスね?」 おま……、分かってても言わねーだろ、普通さあ。 「何を照れているの?小中学生じゃあるまいし」 俺をからかう瑠璃は心底楽しそうで、しかし人のことを笑えないくらい、顔を上気させていた。 「この程度のことを恥じらっているようでは、先が思い遣られるわね……きゃっ、何をするの?前が見えないじゃない!」 「不意打ちした罰だ。海に着くまでそうしてろ」 帽子のつばを目一杯下ろした――正確には下ろされた――瑠璃は泣きそうな声で、 「この状態でどうやって歩けと言うの?」 228 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 23:24:33.90 ID:PCIUKWNi0 [7/8] 「手を繋いでるから問題ないだろ」 「あなた、本気で言ってるの?」 「……冗談だよ」 帽子のつばを上げてやる。 微かに潤んだ双眸が現れ、非難するような視線を寄越してきた。 お、怒るなよ。落ち着いて俺の名前呼んでみ? 「きょ……京介」 ぷっ。 「わ、笑わないで頂戴。  それ以上笑えば、『緘黙の僕(サイレントスレイブ)』をかけざるをえなくなるわ」 「そいつはいったいどんな魔法なんだ?」 「72時間一言も口が利けなくなる恐ろしい呪いよ。無理に発声しようとすれば全身から血を吹き出して死ぬわ」 嫌な死に方ランキングがあれば余裕で上位を狙えそうな死に方だな。 俺は片手で口を塞ぎ、込み上げてくる笑いを噛み殺した。 立ち入り禁止のテープをくぐって、陽光に灼けた砂浜を踏む。 ざあ……ざあ……と響く潮騒が、耳に心地よい。 水平線では海原のエメラルドグリーンと夏空のセルリアンブルーが融け合い、その境界を曖昧にしていた。 俺と瑠璃の他に人影はなく、まるで世界に二人だけになってしまったかのような錯覚に陥る。 無骨な重機にさえ目を瞑れば、夏の海を楽しむには最高のビーチだった。 「どうやってこんな場所を見つけたの?」 「夏休みに入る少し前に、沙織が教えてくれたんだ」 232 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/21(火) 23:51:22.16 ID:PCIUKWNi0 [8/8] 「沙織が?」 「ああ。瑠璃が夏コミに参加して俺たちがそれを手伝うことにならなけりゃ、  適当に都合の良い日見つけて、全員で来る腹積もりだったんじゃねえかな?」 この穴場で出来上がるまでの過程を要約すると、以下のようになる。 とある大企業が輸出業に飽きたらず観光リゾートの開発に着手、 着工からまもなく急激な円高化で企業成績は悪化、事業は縮小を余儀なくされ、 後には立ち入り禁止の看板と、乗り手のない重機だけが残された、というわけ。 「ふうん」 瑠璃は遠い目になり、 「本当に……綺麗な海ね……」 ぺたぺたと砂場に足跡をつけながら波打ち際に寄り、パンプスを脱いで素足を浸した。 抜けるような快晴のもと、瑠璃の波との戯れは、そのまま一枚の絵になるくらいに、色めいた光景だった。 絵心のない俺はその代わりにと、携帯カメラのフレームに彼女を収めた。 つば広帽子が瑠璃の精緻な顔に陰影を落とす。 海風が瑠璃のワンピースをふわっと膨らませる。 時折寄せる強い波が、瑠璃を慌てふためかせる。 242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 00:48:15.55 ID:N/7hYphP0 [1/11] 「いつまでそこで惚けているつもり?」 「すぐ行くよ」 靴を脱ぎ、携帯をその上に乗せる。 ジーンズの裾を捲り上げて波打ち際に歩み寄ると、ひんやりとした感触がくるぶしまでを包み込みんだ。 気持ちよさに身震いしたそのとき、 「うおっ……何しやがる!?」 「ふふっ、水も滴るいい男になったじゃない?」 両手で海水をすくい、第二波の準備を完了した瑠璃が言う。 あのなあ、一つだけ言っとくぜ。 俺は巷のバカップルみてえに、砂浜でキャッキャウフフ水を掛け合ったり、追いかけっこするつもりは―― 「ぶはっ」 思いっきり顔面を狙って来やがった! 口の中いっぱいに塩気が広がる。 「お前なあっ……!」 瑠璃は悪びれたふうもなく口角を上げて、 「悔しかったらやり返してみなさいな?」 248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 01:10:57.71 ID:N/7hYphP0 [2/11] 「おう、やってやるよ!」 俺は五秒前の発言を忘れて、両手の指を海水に浸す。 瑠璃のワンピースをびしょ濡れにしないほどの加減は弁えているつもりだ。 「おらっ」 「きゃっ……痛い……水滴が目に入ってしまったわ」 「だ、大丈夫か?」 慌てて近寄ろうとした俺を、 「フッ、愚かな雄ね。こうも簡単に騙されてくれると、張り合いが抜けてしまうじゃないの」 瑠璃は両手いっぱいの海水で迎撃する。 びしゃり。……久しぶりにキレちまったよ。覚悟しろや。 「待てコラ」 瑠璃はワンピースの裾を持ち上げて走り出す。 「人間風情がこのわたしに追いつけると本気で思っていて?」 甘いな。甘いぜ瑠璃。お前の弱点はその慢心にある。 ワンピースを濡らさないように注意を払っているが故の緩慢な逃げ足は、 既に首から上を海水に濡らし、Tシャツを汗みずくにした俺にとってはあまりに遅く、 「捕まえた」 「やっ……」 羽交い締めにされた瑠璃は、まるで触られることに慣れていない野良猫のように身を捩らせる。 254 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 01:26:35.94 ID:N/7hYphP0 [3/11] 瑠璃が抵抗の力を強めれば強めるほど、 俺は瑠璃を拘束する力を強め……いつしか、俺は瑠璃を後ろからきつく抱きしめる格好になっていた。 「……………」 「……………」 柔肌の感触や、髪から漂う甘い香りを意識した時には、もう遅かった。 胸郭を叩く心臓の鼓動が、瑠璃の背中から伝わるそれと、ぴったり重なっているように感じる。 どれほどそうしていただろう。 「あなたの妹には、もう、伝えたの?」 潮風に掻き消されてしまいそうなほど小さな声が聞こえた。 俺は黒猫の肩に顎を乗せて、 「ああ」 と頷く。 289 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 20:01:01.97 ID:N/7hYphP0 [5/11] 「ごめんなさい。嫌な役を押しつけてしまって」 「気にすんな。あいつからお前に、何か連絡は?」 「いいえ……何度かわたしの方から連絡を取ろうとしたのだけれど、  今のところは、すべて無視されているわ」 瑠璃はしんみりと言った。 「わたしとあなたの妹は、もしかしたら、もう元の関係には戻れないのかもしれない」 「弱気なこと言ってんじゃねえよ。  お前とあいつ――桐乃――は友達だろ」 「わたしはあの女と幾度となく喧嘩して、幾度となく仲直りしてきたわ。  でも、今回は違うのよ」 数拍の沈黙があって、 「わたしたちは……少なくともわたしには……妥協点を見つけることができそうにない」 いつか黒猫が言った言葉を思い出す。 『わたしにとってもっとも望ましい結果がもたらされるようにわたしなりの全力を尽くす』 その結果が現在ならば、黒猫は――瑠璃はなんとしても現状を維持しようとするだろう。 たとえその行動が、友達を失うことに繋がるとしても。 292 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 20:43:38.76 ID:N/7hYphP0 [6/11] 「勘違いしないで頂戴ね。  あの女はわたしが宵闇の加護を受けてから、初めてわたしに好敵手と認めさせた人間よ。  その関係を繋ぎ止めるためなら、わたしはどんな犠牲を捧げることも厭わない。  ただ一人、"あなた"を除いて―――」 瑠璃は俺から体を離し、 「――そこだけは、どうしても譲れないの」 どこまでも青い空を仰いで、 「あなたも、同じでしょう?」 「……ああ」 鷹揚に頷いて見せた俺を、瑠璃は一瞬、泣きそうな目で見つめ――、 次の瞬間には、強く吹き付けた海風が瑠璃の髪を攫い、その表情を覆い隠していた。 日が沈む少し前にビーチを引き上げた俺たちは、 そこから半時間ほど歩いたところにある、海鮮料理の美味しいお店にやってきた。 黒を基調としたシックな内装は、穏やかな暖色の照明に照らされて、上品な雰囲気を醸している。 294 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 21:16:43.00 ID:N/7hYphP0 [7/11] 案内に従って二人用のテーブルに着く。 瑠璃は周囲を見渡し、 「なんだか酷く場違いな気がするわ。  わたしはもっと庶民的なお店で良かったのに……」 そわそわと落ち着かない様子だ。 確かにここのメニューはどれも割高、主な客層は懐に余裕のある社会人で、 付き合い立ての学生カップルが訪れるような場所じゃないかもしれない。 でもさ、そんなことは気にするだけ無駄なんだよ。 代金さえ払えば、誰にだって美味い飯を食う権利はある。 さて、ここで問題です。 「どうして俺がこの店を選んだと思う?」 「分からないわ」 ギブアップ早っ。お前、最初から考える気なかっただろ。 「分からないものは分からないのよ。早く答えを言いなさいな」 本当は自分で気づいて欲しかったんだけど……仕方ねえか。 「瑠璃の好物は魚だろ」 「えっ」 予想外の反応に、ひやりとした不安が胸に滑り込んでくる。 あれ?違ったの? 298 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 21:56:46.59 ID:N/7hYphP0 [8/11] 瑠璃はフリフリと首を横に動かし、 「違わないわ。わたしは魚が好き……でも、どうしてそれをあなたが知っているの?」 言った覚えはないのだけれど、と不思議そうな面持ちで呟く。 まあ、忘れてても無理ないか。 「俺とお前が初めて会った日のこと、覚えてるか?」 コミュニティ『オタクっ娘あつまれー』のオフ会で、 黒猫と桐乃は他のメンバー同士の会話から見事にあぶれてしまっていた。 オフ会終了後、コミュニティの管理人である沙織の気配りによって、 俺、桐乃、黒猫、沙織の四人だけでの二次会が開かれ、互いに自己紹介をすることになったのだが、 黒猫の番、黒猫は自分の名前以上に多くを語ろうとしなかった。 そこで俺は「好きな食べ物は?」と尋ねた。 すると黒猫はいやいや義務を果たすように、しかし逡巡なく「魚」と即答してくれたのだった。 「思い出したわ」 瑠璃は頬を赤く染め、目線をあちこちに泳がせて言った。 「あなたはあの問答の内容を、ずっと覚えていてくれたのね」 ああ、と頷く。 「あの日のことは、多分一生忘れないと思うぜ」 オタクへの偏見が変わった日。 妹が自分の趣味を理解してくれる友達を手に入れた日……。 301 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 22:26:06.24 ID:N/7hYphP0 [9/11] 「ありがとう……とても嬉しいわ」 真っ直ぐなお礼の言葉が照れ臭い。 「そういうのは料理を腹一杯食った後で聞かせてくれ」 「それもそうね」 瑠璃は緩んだ表情を見られまいとするかのように顔を背けて、 「京介がこのお店に来るのは、これが初めてではないのでしょう?」 と訊いてきた。 「どうしてそう思うんだ?」 「お店に入るときに、ここは海鮮料理の美味しいお店だと、あなたが言ったのよ。  おかしな人ね。昔々のことは覚えているのに、ついさっきのことは忘れてしまうなんて」 俺だってド忘れくらいするさ。 クスクスと喉を鳴らしていた瑠璃は、ふいに思い悩むように視線を下ろし、唇を舌で湿らせると、 「……誰と一緒に来たのか、聞いてもかまわないかしら?」 304 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 23:04:39.18 ID:N/7hYphP0 [10/11] 女心の機微を"誤解"することにかけては天才的な俺の脳味噌でも分かったよ。 心の隅で縮こまっていた嗜虐欲が、ムクムクと首をもたげてくる。 海ではさんざ水を掛けられたことだし、ちょっとくらい虐め返しても罰は当たらねえよな? 「誰だっていいだろ。いちいち詮索してんじゃねえよ」 わざとぶっきらぼうに言う。 瑠璃はショックを受けたように目を見開いて、 「そ、そんなつもりで訊いたのではないのよ」 「じゃあ何のつもりで訊いたんだよ?」 「ッ、それはっ……あなたが……あなたの交友関係が気になって……」 しどろもどろに言葉を紡ぎ、湿り気を帯びた双眸で俺を見上げ、 「ごめんなさい……気分を害してしまったなら謝るわ」 やべえ。罪悪感が半端ねえ。 後で悔やむと書いて『後悔』だが、まさにそうだ。 彼女にこんな仕打ちをして楽しむつもりでいた30秒前の自分をブチ殺したくなってくるね。あやせじゃねえけど。 俺は慌てて弁明する。 「フェイトさんだよ」 瑠璃は茫然とした様子で言った。 「フェイトとはあの、伊織・フェイト・刹那のことを言っているの?」 313 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/22(水) 23:42:27.97 ID:N/7hYphP0 [11/11] 「ああ、そのフェイトさんで合ってるよ」 ここで彼女のことを忘れた人のために簡単に解説していおくと、 伊織・フェイト・刹那、通称フェイトさんは、 二十代中盤のクォーターにして、スーツ姿がよく似合う理知的な美人――という華々しい外面はさておき、 内面は他人の創作物を剽窃するわ、中学生から借りた金を全額FXで溶かすわ、 収入のない高校生に飯を奢らせるわのダメダメ人間である。 盗作騒ぎで小説家への道を閉ざされた上派遣切りに遭い、 食い扶持を繋ぐことさえ困難な状況に陥っていた彼女だが、 今年の夏コミでは有名絵師の作品を一冊の本に纏めて売り捌くことに成功し、同人ゴロとしての第一歩を踏み出した。 「いったいどんな経緯で、彼女と食事することになったの?」 317 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 00:49:11.73 ID:6bruxdXk0 [1/25] 「瑠璃がゲー研の自主制作してた頃に、フェイトさんに呼び出されたことがあってさ。  その時に全然金持ってないって言われて、あんまりにも可哀想だったから、飯を奢ってあげたんだ」 「あなた、自分が相当なお人好しだという自覚はある?」 瑠璃は憐れむように目を細める。 いや、マジで可哀想だったんだって! 定職ナシ貯金ナシ身寄りナシの三重苦に陥ったフェイトさん目の当たりにしてみ? 自然と涙出てくるから。 「苦境はあの女が自分で招いたものよ。同情には値しないわ」 瑠璃、フェイトさんにはホント容赦ねえなあ。 無言で先を促され、俺は話を続けた。 「実は、この前コミケでフェイトさんに会ったときに、  もしも今回の同人誌販売で大もうけできたら、その時はいつかの恩返しをするから、ってこっそり言われててさ」 フェイトさん借金あるし、金遣い荒いし、全然期待はしてなかった、 というか約束自体すっかり忘れていたのだが、 「予想以上に儲かったらしくて、ついこの前呼び出されて、連れてこられたのがここってわけ」 「同人ゴロはあの女にとっての天職だったようね」 そうみたいだな。 「調子に乗って訴えられないといいけど」 320 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 01:17:19.30 ID:6bruxdXk0 [2/25] その心配はない……とも言い切れないのがフェイトさんがフェイトさんたる所以だ。 実際、この前一緒にご飯食べた時も、 『派遣が何よ。中途採用試験が何よ。  同人で一発当てたらそんなのどうでもよくなるわ。  京介くん、今のわたし輝いてる?わたしって勝ち組よね?ねっ?』 とベロベロに酔っ払って絡んできたしな。 同人ゴロの儲けに味を占め、やり口が年々エスカレート、槍玉に挙げられる未来が垣間見えたよ。 「お、来たみたいだぜ」 話が一段落したところを見計らったかのように、注文していた料理が運ばれてきた。 お腹はもうペコペコだ。 俺たちは早口で「いただきます」を唱え、箸を取った。 瑠璃は上品な箸使いで白身魚の焼き漬けを取り分け、小さな口に運ぶ。 もぐもぐ。一心不乱に噛んでいるところが可愛い。 まるで小動物の食事風景を見ているみたいだよ。 答えが分かっていても、尋ねずにはいられない。 「どうだ?美味いか?」 瑠璃は相好を崩して頷いた。 325 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 02:11:10.80 ID:6bruxdXk0 [3/25] ------------ トイレから戻ってくると、瑠璃は食事中の輝く笑顔はどこへやら、虚ろな目で空になった皿を見つめていた。 「何浮かない顔してるんだ」 食べ過ぎて腹痛でも起こしたか? 俺のからかいを綺麗にスルーし、 「とても、言いにくいことがあるのだけれど」 「うん?」 瑠璃はきまり悪げに俯いて告白した。 「わたしが食べた分の代金を、しばらく、立て替えておいてもらえないかしら。  食べるのに夢中になって、今日どれだけお金を持ってきていたのか、忘れてしまっていたの」 はぁ~。俺は大袈裟に溜息をついて見せる。瑠璃はおろおろとした様子で、 「ほ、本当にごめんなさい。月の終わりには、アルバイトの給料が貰えるから、必ず返すと約束するわ」 「落ち着け。あのな、いったいどうしてそういう発想が出てくるんだ?  今日は俺の奢りだよ。つーか、飯代くらい払わせろって」 さすがに交通費まで面倒見る気はないけどさ。 「そういうわけにはいかないわ。とりあえず、今お財布の中にあるお金だけでも……」 「だから、いらないっての」 なおも食い下がる彼女に、俺は止めの一言を刺してやる。 「トイレいくついでに会計済ましてきたから」 346 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 11:47:56.93 ID:6bruxdXk0 [5/25] 「なっ……卑怯よ」 なんとでも言え。 ちなみにこの方法は親父殿から伝授してもらったもので、 『一緒に誰かと飯食ってて、奢られるのを嫌がられた時はどうすりゃいい?』 『用を足すついでに払っておけばよかろう』 そんな遣り取りが昨日の夜にあったのだ。 割烹店で女に財布を出させることに羞恥心をくすぐられるのも、たぶん親父の影響なんだろうなあと思う。 店を出ると、むわっとした熱気が肌を包み込んだ。 辺りにはすっかり夜の帳が下りていて、八月が終わりに近づくにつれて、日が短くなっていることを実感する。 どちらからともなく手を絡め、歩き出した。 「ごちそうさま。とても、美味しかったわ」 「おう。気に入ってもらえて良かったよ」 「…………」 それきり会話が途絶える。 察しの良いこいつのことだ、俺が無理して見栄を張っていることにはとっくに気づいているんだろうな。 夏コミや二度にわたる偽装デートなどで今月の出費は嵩みに嵩み、 今朝財布に詰めてきた諭吉と樋口さんはさっきの会計で天に召され、今では野口英世が三人残っているのみである。 小遣い日は月初めだし、しゃーねえ、明日にでも年玉貯金崩しに行くか、 高校一年、二年の暇な時期にバイトでもしときゃ良かったな……と過去の怠慢を悔いていると、 「京介」 349 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 12:26:02.50 ID:6bruxdXk0 [6/25] 瑠璃がにわかに手を強く握りしめる。 俺は何気なく横を向いた。 「……んっ……」 かつ、と前歯が何かにぶつかる音がして、次の瞬間には、 ふっくらと柔らかい、まるで薔薇の花びらのような何かが唇に押し当てられていた。 とっさに身を引かなかったのは、本能がその感触を、その行為を求めていたからだと思う。 緩慢な時の流れ。 目と鼻の先にある瑠璃の顔は息が詰まるほど綺麗で、 俺はしばしその光景に見惚れ、……唐突に、『瑠璃にキスされている』ことを理解した。 どれくらいそうしていただろう。 瑠璃が背伸びをやめるのと同時に、唇を覆っていた心地よい感触も離れていく。 強い口寂しさに襲われた俺は、瑠璃の体を引き寄せようとして、 「ダメ……これ以上はいけないわ」 胸に手をつかれる。 「えっ」 その時の俺は、おあずけを食らった犬みたいな間抜け面をさらしていたに違いなかった。 「だ、誰かに見られたらどうするの。まったく、破廉恥な雄ね」 い、いきなりキスしてきて、その言い草はないだろ。 瑠璃は暗闇の中でも分かるほど、顔を耳まで真っ赤にして、 「……今のは"解呪"よ。  よかったわね。これであなたにかかっていた呪いは、新たな呪いに上書きされたわ」 359 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 13:53:41.91 ID:6bruxdXk0 [7/25] 「……っふ」と邪悪な笑みを浮かべる。 校舎裏に呼び出されたとき、俺は"解呪"の方法としてキスを想像し、 心を読まれて叱られたが……やっぱ、それで合ってたんじゃねえか。 「いかに宵闇の加護を受けたわたしとて、  呪いをかけるには、直接相手に触れなければならない。  そして最上級の呪いをかけるときは、経口が一番有効な手段だと古来から言い伝えられているのよ」 早口で捲し立てる瑠璃。 ならその古来からの言い伝えに感謝しなくちゃな。 甘い空気は電波発言で綺麗さっぱり霧散しちまったけれども。 「……帰るか」 「ええ、そうね」 「一回目の呪いが解呪されたからには、もう俺がヘタレても、死ぬことはないんだよな?」 「ふふっ、何を悠長なことを言っているの?  呪いは上書きされたのよ。制約を侵せば、あなたは全身から血を噴き出し、のたうちまわりながら息絶えるわ。  いえ、この呪いはもっと強力だから、想像を絶する苦しみがあなたを襲い、  それが何時間も続いた後でようやく死が訪れるのでしょうね」 怖ええ。 「ええ、本当に恐ろしい呪いよ」 瑠璃は悪戯っぽく笑んで、再び背伸びし、今度は俺の耳許に口を近づけて言った。 「だから精々、わたしを離さないことね」 364 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 14:14:47.61 ID:6bruxdXk0 [8/25] 家に帰ると、お袋はテーブルの椅子に座ってTVを眺め、 親父は一人掛のソファに座って新聞を読んでいた。 一見それは高坂家九時台の珍しくともなんともない光景のようで、 しかし同じ家に住む俺には、部屋に漂うピリピリとした緊張感が感じ取れた。 「ただいま」 「あら、お帰り、京介」 「………うむ」 挨拶を交わし、冷蔵庫へ。 常時備蓄されているはずの麦茶はどこにも見当たらず、 「麦茶、切れてんの?」 「買ってくるの忘れてたわ。今日は我慢して」 俺は仕方なしにコップに水道水を注いで喉を潤す。 ごく……ごく……。横目で伺った二人の様子は、明らかに普段と違っていた。 お袋はTVを見ているようで、ちらちらと壁時計を見ては溜息をついているし、 親父もさっきからずっと、新聞の同じページを読み続けていて、、 頭の中では全然別のことを考えていることがバレバレだった。 俺は三人掛のソファに腰掛け、あくまで顔はTVの方を向けたまま、 「桐乃は?」 親父の巌のような体が反応する。 「……知らん」 強い酒精の芳香が、つんと鼻の奥を刺した。 こりゃ相当飲んでんな。いや、お袋が飲ませたのか。 366 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 14:37:14.53 ID:6bruxdXk0 [9/25] 「あの子、今どこにいるか分からないのよ」 その一言に、この部屋に漂う嫌な空気の原因が凝縮されていた。 桐乃は見た目こそ派手だが、基本的に夜遊びはしない。 たまに帰りが遅くなるときは、必ず、今どこにいるのか・いつ帰るのか連絡して、お袋と親父を安心させていた。 「電話には出ないしメールも返さないし……どうしちゃったのかしら。  京介、あんた、桐乃の行き先に心当たりある?」 「いいや」 「そ。あんたたち最近、仲が良いみたいだったから、桐乃に何か聞いてるかと思ったんだけどね」 悄然と息を吐くお袋。なんだか一気に歳を取ったみたいだ。 そんなお袋の姿が見ていられなくて、 「桐乃の友達に電話してみるよ」 俺はリビングを出て、階段に腰掛け、携帯のフラップを開いた。 メモリからあやせを選び、通話ボタンを押す。 着拒されてませんように着拒されてませんように……! 神への祈りは通じたようで、 「……もしもし?」 よかったぁ~。 声色は依然とツンツンしているが、出てくれただけでも重畳だよ。 371 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 15:05:12.42 ID:6bruxdXk0 [10/25] 「あやせは今どこにいるんだ?」 「どこって……自分の部屋、ですけど……」 「そっか。じゃあ今あやせの隣に、桐乃いたりしねえかな?」 「いません」 ガクッ。これで望みの半分以上が断たれちまった。 あとは沙織に聞いて、それでダメだったら――。 「でも、少し前までは一緒でした」 「えっ!マジで!?」 「ちょっ……声が大きいです、お兄さん。今何時だと思ってるんですか?」 「す、すまん」 それから、何か言葉を選ぶような、言うのを躊躇うような微妙な間があって、 「……今日はお昼から撮影があって、  帰りに一緒に買い物をして、わたしの家で晩ご飯を食べて、  その後は、ずっとわたしの部屋でお喋りしてたんです」 はあぁぁぁ。なんだよ。フツーに友達と遊んでただけかよ。 あー、心配して損した。早くお袋と親父に話して安心させてやらねえと。 「で、今桐乃はこっちに帰ってきてるのか?」 「はい。夜道は危ないから、お母さんが車を出してくれて……」 タイミング良く、家の前に車が止まる気配がする。 「ちょうど着いたみたいだ」 373 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 15:23:24.99 ID:6bruxdXk0 [11/25] 「そうですか」 「こんな時間に電話して悪かったな」 「いえ……」 「じゃあ、切るぜ」 名残惜しいが、もうあと十秒もしないうちに、桐乃が玄関の扉を開く。 あやせは無言で通話からフェードアウトするかと思いきや、焦燥を滲ませた声で、 「………待って下さい」 「なんだよ。おやすみの挨拶か?」 「ち、違いますっ!変な期待はしないで下さいと前に言ったじゃないですか。  永遠の眠りに就かせますよ?」 ええぇぇ。なんで「おやすみ」を言ってもらえると思ったくらいで永眠させられなくちゃならねえの!? 仲の良い友達同士ならごく当たり前の遣り取りですよね? 「わ、わたしはお兄さんと仲良くなった覚えはありませんから。  あのですね……わたしがお兄さんに言いたかったのは……その……桐乃に……」 「はあ?」 声が小さすぎて聞き取れねえよ。 「もっと……、優しく――」 そのとき玄関の扉が開いて、桐乃が姿を現した。 すまんあやせ、また今度聞くからよ。 心の中で謝り、携帯を折りたたんでポケットに入れる。 俺は階段から腰を上げて、のろのろと靴を脱いでいる桐乃に言ってやった。 「おかえり」 374 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 15:47:52.61 ID:6bruxdXk0 [12/25] 桐乃は無言で俺の前にやってくると、光彩の失せた瞳で俺を見つめ、 「"こんなところで何してんの?"」 「何って、お前が帰ってくるのを待ってたんだよ」 「ふぅん、そう。……"待ってたんだ"……」 独り言のように呟き、 「邪魔。どいて」 そのまま隣を通り過ぎようとする。 「おい、待てよ」 手を掴んだら、 「気安く触んないでよ!」 もの凄い剣幕で振り払われた。 でも、退かねえ。掴み直して、振り向かせる。 「お袋や親父に心配かけて、ごめんなさいの一言もねえのかよ」 「………ッ」 桐乃は憎悪を宿した目で俺を睨み付け、 「分かったから、手、離して」 大人しくリビングに向かう。俺は特に深く考えずに、その後に付いていった。 377 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 15:56:34.82 ID:6bruxdXk0 [13/25] 今から思えば、俺の第六感は予感していたのかもしれない。 その時の桐乃がお袋や親父に会えばマズイなことになる、と。 事実、俺はリビングに通ずるドアを開けて間もなく、 なぜ階段で桐乃と別れてからすぐに自室に籠もり、 ヘッドホンを装着して大音量の音楽を流さなかったのかと後悔することになった。 390 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 17:35:07.84 ID:6bruxdXk0 [14/25] 「心配かけて、ごめんなさい」 第一声、桐乃は素直に謝った。 娘の姿を認めるやいなや、お袋は曇らせていた顔をパッと明るくして、 「もう、どこに行ってたのよ?連絡もしないで」 「あやせのところ。連絡しなかったのは……忘れてただけ」 「携帯に電話したのは知ってる?」 「電池切れちゃってて、見てない」 どうして新垣さんのお家の電話を借りなかったのか、とか、 四六時中携帯を弄ってる桐乃が電池切れを放置しておくわけがない、とか、 色々言いたかったことはあるだろうに、お袋はうん、うんと頷いて、 「お腹はどう?空いてる?」 「ううん。晩ご飯食べさせてもらったから」 「そう……」 途切れる会話。俯く桐乃。気まずいってもんじゃねえ。 それまでアクションを起こさなかった親父が、静かに新聞を畳み、ガラステーブルの上に置いた。 お袋は場を和ませようとするかのように、乾いた笑い声を上げて、 「あ、そうそう。桐乃聞いて?  あと一時間経っても帰ってこなかったら、  お父さん、自分の職場に娘の捜索願出すトコだったのよ?」 395 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 17:59:42.46 ID:6bruxdXk0 [15/25] 「あはっ……おかしいね、それ……」 ぎこちなく応じる桐乃。 「マジかよ、親父……恥ずかしすぎんだろ……」 茶番だと理解しながら、俺もそれに乗っかる。 でも親父の目は、ちっとも笑っちゃいなかった。 自分をネタにされて怒ってるわけじゃない。 ただ、娘の不可解な行動のワケを、うやむやにする気がないだけで。 「桐乃」 地底から響くような声がした。 「な、なに?」 「なぜこんな時間まで、誰にも連絡を入れず遊び回っていた?」 「だ、だから……それは……ただ、忘れててただけで……携帯も電池切れちゃってたし」 とお袋に言った言葉をリピートする桐乃。 「嘘を言うな」 「……ッ、勝手に決めつけないでよ!」 「決めつけているのではない」 親父はよくできた酒豪だ。 自分が酩酊する酒量を知っていて、それ以上は決して呑もうとしないし、 事実、俺はこの人が会話もままならないほど泥酔したところを見たことがない。 つまり何が言いたいかというと、……いくら親父の体にアルコールが回ろうが、 犯罪者相手に培われた洞察眼は健在で、桐乃が真実を吐かされるのは時間の問題だってことだ。 398 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 18:29:15.05 ID:6bruxdXk0 [16/25] 「さっき、新垣さんの家にいた、と言ったな。ご両親は家にいたのか」 「……いたケド……それが何?」 「お前は晩ご飯をご馳走になる前に、その旨を自宅に連絡するよう言われなかったのか?」 親父の言うことはもっともだ。 桐乃は下唇を噛み、スカートの前で絡めた両手をぎゅっと握りしめて、 「き、聞かれなかった」 「……そうか」 親父は眼鏡のレンズ越しに、鋭い眼光を桐乃に向けて言った。 「ならば新垣さんのご両親に、桐乃がご馳走になったお礼を兼ねて、  今お前が言った言葉が真実かどうか尋ねても問題はないな」 終わった。 桐乃の狼狽ぶりを見れば、桐乃が嘘を吐いていることは明らかだった。 コイツはあやせの両親に「お母さんとお父さんは揃って家を空けているんです」とかなんとか言って、 家に連絡する必要はないと思わせたに違いない。 親父はお袋に、電話の子機を取るように言った。 長年連れ添ったお袋は、こうなった親父がテコでも折れないことを知っている。 でも俺は、コイツが……桐乃が一方的に言い負かされて、言いたくないことを無理矢理吐かされるところなんて見たくなかった。 そりゃ俺だって気になるよ。 『なんで人に心配をかけるようなことをした?』 『こうしてこっぴどく叱られることは、分かってたはずだよな?』 問い詰められるモンなら、問い詰めてやりてえ。 でもさ、こんな顔してる桐乃に……今にも泣きそうになってる可愛い妹に、そんな真似できるワケねえだろうが。 「もういいじゃねえか、親父」 404 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 18:57:45.67 ID:6bruxdXk0 [17/25] 気づけば、お袋の手から子機をもぎとっていたよ。 親父の極道ヅラが俺を見据える。 正直言って、チビりそうになったね。昔の俺、スゲェよ。 こんな化けモン相手に、よく胸ぐら掴んで説教かまそうなんて気になれたな。 「京介、これはお前が口を挟むことではない」 「桐乃が無事に帰ってきたんだ。今日のところは、それでいいだろ」 笑いそうになる膝に力を込めて、親父の前に立ちはだかる。 今の俺は知っている。 ありえねえくらい頑固で、ありえねえくらい堅物の親父だけどさ、 必死に訴えかけりゃあ、伝わるモンはあるんだ。 「電話を寄越せ」 「嫌だね」 これがあの日の再現に近いことは、あんたも分かってるはずだよな。 いいか、俺は折れねえぞ――と固く子機を握りしめたのも束の間、 親父は一切無駄のない挙止で俺の服を引き寄せ、ソファの上に引き倒した。 さすが、柔道有段者。勝てねえ。 ガラステーブルや床を避けてくれたのは、親父のささやかな優しさの表れか、と天井を見つめながら思う。 414 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 19:34:34.65 ID:6bruxdXk0 [20/25] 親父の手が、俺の子機を握りしめている方の手に伸びる。 渡してたまるかよ。 指が全部剥がされる前に、俺はもう片方の手で、親父の胸ぐらを引き寄せた。 「何、ムキになってんだよ」 「………なんだと?」 「どうして桐乃のことを信じてやれねえんだよ」 「なっ」 親父の鬼の形相が、ふっと真顔に戻り――。 「もうっ、やめてよっ!」 耳をつんざくような桐乃の絶叫が、部屋に響き渡った。 パサリと垂れた前髪の内から、透明の雫が落ちる。 「なんであたしのことで、兄貴とお父さんが喧嘩してんの……馬鹿じゃん……?  あたし、もう十五だよ……?あたしがどこに出かけようが、いつ家に帰ってこようが、あたしの勝手でしょっ……!」 リビングを飛び出す桐乃。 「待ちなさい!」 慌ててその背中を追うお袋。 「…………」 「…………」 後に残された俺と親父は、至近距離でお互いの顔を見つめ合い、同時に顔を逸らす。 ソファに仰向けになって、眼を瞑った。火照っていた頭が、急速に冷めていくのが分かる。 422 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 20:02:27.23 ID:6bruxdXk0 [21/25] どっかと一人掛のソファに座り込んだ親父に、もはやあやせ家に電話する気は残っていないようだった。 静まり返った室内に、壁時計が時を刻む音が、やけに大きく響く。 「…………………………すまなかった」 へ?親父、今なんつった? あー、分かった。幻聴か。 最近寝不足だったところに、体引っ繰り返されて脳味噌揺らされりゃ、幻聴がしてもおかしくねえわ。 「だから、すまなかったと言っている。  さっきは、桐乃を前後不覚に叱りつけた俺に非があった」 飛び起きたね。え……何……親父、ガチで俺に謝ってんの? これ、夢じゃねえよな?現実だよな? 何も言わず独酌する親父。 哀愁漂うその姿を見ていると、急激に申し訳なさが募ってきて、 「俺も……さっきは、偉そうな口利いて悪かったよ」 「本当だ、このバカ息子が。  次に楯突いたときは、公妨で鑑別所送りにしてやる」 「それはマジで勘弁してください」 俺は言葉を選んで、親父に語りかけた。 「桐乃のことが心配な親父の気持ちは……よく分かるよ」 あいつが日本に帰ってきて、内心喜んでいた矢先に、 あいつが彼氏を連れてきて……まあ、結局それは無かったことになったんだけど…… 親父に娘を失う恐怖を植え付けるには、十分すぎる出来事で。 娘の交友関係に必要以上に敏感になるのも、無理はねえと思う。 430 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 20:37:43.73 ID:6bruxdXk0 [22/25] でもさ。御鏡が家に来たときの話を蒸し返すつもりはねえけど、 「あいつは俺や親父が思ってるより、ずっと大人なだよ。  あいつが何も言わずにこんな時間まで遊びに出てたことには、  きちんとした理由があって、それを親父に言えなかったのにも、それなりの理由があって……。  その理由をハナからやましいことだと決めつけて、頭ごなしに叱るのはどうかと思うんだよ」 「では、もしも桐乃が嘘をついた理由が、男との逢い引きを隠すためだったとしたら、どうするのだ?  都合よく騙され、手をこまねいて見ていろと言うのか?」 「そうだよ」 「なっ……そんな馬鹿な話があるか!」 カッと両眼を見開き、怒りを露わにする親父。 そんなに怖さを感じなくなったのは、耐性が出来てきたからかもしれねえな。 「もしも桐乃に、マジで好きな男が出来たらさ、ぜってぇ家に連れてくるよ。  この前みてえにさ……。親父もあいつの性格知ってるだろ?  最初は隠せてても、そのうち我慢できなくなるに決まってんだ。  んでもって俺たちの役目は……、その時に桐乃の彼氏がどんな奴か、  桐乃を本当に幸せにできるのか、見極めてやることだと思うんだよ」 親父は水面に顔を出したカバみたいに、むふぅ、と荒い鼻息を吐いて、 「………ふっ」 笑った?親父が? おいおいおいおい、今日の親父はどうしちまったんだよ。 手近にカメラが無いのが悔やまれるね。 親父の純朴な笑顔なんて、ガキの頃に見た以来だよ。 434 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 20:55:00.97 ID:6bruxdXk0 [23/25] 「お前はよくできたバカ息子だな」 誉められてるのか貶されてるのか分からねえよ、それじゃ。 逸らしていた視線を戻すと、親父の顔は元の仏頂面に戻っていた。 俺は腰を上げて、部屋に戻ることにする。 「勉強してくる」 リビングのドアに手を掛けたその時、背中に声がかかった。 「待て、京介」 「……?」 「俺には、最近、桐乃の考えていることが分からん」 今までは分かっていたような口ぶりだな、と言えば顔面に鉄拳が飛んでくるのは自明の理、 「へえ」 と無難に相づちを打つ。 「桐乃に歳が近いお前の方が、桐乃の機微を理解してやれることも多いだろう」 「さあ、どうだろうな」 「………任せたぞ」 任されても困るっつうの。 俺は今度こそリビングを出かけて、言い忘れていたことを思い出した。 438 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/23(木) 21:14:27.67 ID:6bruxdXk0 [24/25] 「親父」 「なんだ?」 「彼女が出来たんだ。また今度紹介する」 親父はぽかんと口を開けていたが、 やがて色んな感情を綯い交ぜにしたような顔になり、くいっと酒を煽ると、 「……そうか」 と呟いた。え、反応それだけ? 「自室で勉強するのだろう?早く行け」 すげない言葉に背中を押され、リビングを出る。 ま、こんなモンだよな。 可愛がってる桐乃と違って、出来の悪い長男に彼女が出来ようが出来まいが、親父の関心事にはなり得ないんだろうよ……。 親父が詮索してこなかった理由は他にあるって? 分かってるさ、それくらい。 511 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 00:31:00.71 ID:GQjBgs+10 [1/16] 駅から出ると、電車に乗っているときは本降りだった雨が、小止みになっていた。 一応黒の折り畳み傘をショルダーバッグから取りだし、いつでもさせるようにしておく。 もう片方の手で携帯を弄り、BeegleMapという地図検索サイトにアクセス、 住所を入力すると、ものの数秒で駅から目的地までの最短ルートが表示される。 良い時代になったもんだよな。 雨に濡れたアスファルトを歩くこと十分。 俺は古式蒼然とした平屋の前で足を止めた。表札には『五更』の文字。 インターホンを押すと、 「どちら様ですか?」 普段より高いトーンの声で瑠璃が答えた。 「俺だよ」 「………少し待っていて」 516 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 00:58:42.60 ID:GQjBgs+10 [2/16] 俺はインターホンから顔を離し、改めて平屋――瑠璃の家――を眺めた。 壁の漆喰はところどころ剥がれ、屋根板は赤銅色に褪せていて、 素人目にも、かなり古い建物であることが分かる。 キコキコという甲高い音が聞こえて、視線を下ろすと、瑠璃が小さな鉄門の閂を外しているところだった。 「さ、入って頂戴」 「あ、ああ……でも、その前にひとつ聞いていいか?」 俺は瑠璃が着ている、白のラインが入った臙脂色の服を見つめて、 「なんでジャージ?」 しかもしれ、市販の奴じゃなくて中学校の指定ジャージだよな。 瑠璃はむっと頬を膨らませ、 「こ、これは部屋着よ。  機能性に富み着用者の運動を妨げない、最高の衣類だと思わない?」 まあ、確かにその通りだけどよ……。   「あっ、それ」 俺は瑠璃の胸元で笑う黒猫のワッペンを指さし、 「瑠璃が自分で着けたのか?」 「よく気づいたわね。でも、勘違いしないで頂戴。  これは決して繊維の解れを隠すためのものではなくて、  わたしが闇の眷属であることを証明するのと同時に顕界への影響を抑えるための封印具だから」 ああそう。 522 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 01:39:09.23 ID:GQjBgs+10 [3/16] 瑠璃は「分かればいいのよ」と満足げに頷き、俺を家に請じ入れてくれた。 さて、今更ながら、俺が瑠璃の家にやってきた理由を説明しておこう。 初デートから二日が経ち、俺は二回目のデートを提案したのだが、その時に瑠璃が宣った台詞がコレである。 『明日は……家に親がいないの……それで、あなたさえよければ……わたしの家に来てもらえないかしら?』 クラリとしたね。 お前マジで言ってんの?いくらなんでもそれは早すぎじゃね?俺にも心の準備ってモンが……。 『母さんが一日仕事に出ていて、妹の面倒を見なければならないのよ』 脳髄を沸騰させていた自分が恥ずかしくなったよ。 でもさあ、あんな言い方されたらエッチな想像しちゃうよね? ガラガラと引き戸を閉め、土間で靴を脱ぐ瑠璃。 「お邪魔します」と挨拶して、その後に続く。 俺が歩くと盛大に軋む床板の上を、瑠璃は足音ひとつ立てずに進み、やがて右手の障子を開けた。 するとそこにいたのは── 558 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 11:27:56.79 ID:GQjBgs+10 [5/16] 五更家の次女と三女……でいいんだよな? 身長と顔つきから判断するに、 やや茶色がかったセミロングの髪をツインテールにしてるのが次女で、 真っ黒な髪を肩口で切りそろえ、おかっぱにしているのが三女だろう。 「こ、こんちわ~」 なるたけ愛想の良い笑みを浮かべてみたが、 二人ともぽかーんと口を開けて、突然の闖入者に驚きを隠せない様子だ。 おい瑠璃、俺が来ることは話してなかったのかよ! 「ル、ルリ姉……この人がもしかして……?」 次女が酸欠に陥った金魚みたいに口をパクパクさせて、姉に問いかける。 瑠璃は軽く頬を朱に染めながら、尊大に頷き、 「ええ、そうよ。この人の名前は高坂京介。わたしの、か、彼氏よ」 「ホントにいたんだ!……えーウッソー、すっごぉい。絶対またルリ姉の見栄っ張りだと思ってたのに!」 次女はととと、と俺の近くに寄ってくると、矯めつ眇めつ俺の顔面を眺め、 「へぇ~、これがルリ姉の彼氏かぁ~。  あ……自己紹介遅れてすみません。あたし、ルリ姉の妹の――」 瑠璃、という長女の名前から想像はついていたが、小難しい漢字の名前だな。 565 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 12:02:58.79 ID:GQjBgs+10 [6/16] 「よろしくお願いしますね!」 「おう、よろしく」 人懐っこい笑みを浮かべる次女。 瑠璃の妹とは思えない社交性の高さだな。 つーかこの次女のテンション、誰かのと似てねえ? 俺が正体不明の既視感に頭を悩ませていると、 「しっこく!」 舌足らずな声が居間に響き渡った。 見れば、それまで固まっていた三女がピッと俺を指さして顔を強張らせていた。 あれ……もしかして俺、怖がられてる?あと『しっこく』って何だ? 最近流行りの悪口か何かか? 「しっこくがいます、姉さま!」 瑠璃は困ったように溜息を吐いて、 「あ、あれはただのコスプレ……変装よ。  彼は魔導資質を持たないただの人間。魔法は使えないわ」 ああ、電波ワードで分かったよ。 なるほど、三女は同人誌のコスプレ写真を見て、俺の顔を知っていたんだな。 『MASCHERA~堕天した獣の慟哭~』に登場するキャラクター『漆黒(しっこく)』として。 568 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 12:32:33.75 ID:GQjBgs+10 [8/16] 「この人はルリ姉の彼氏。さっき聞いたでしょー?」 三女は可愛らしく小首を傾げて、 「かれし……とはなんですか、姉さま?」 純真無垢な質問に、うぐ、と声を詰まらせる次女。 「それは、えっとねえ……友達よりも、もっと仲良くなったのが、彼氏、かなぁ……?」 うまい! 三女は納得したようにパァッと顔を輝かせると、おもむろに俺の顔を見つめて、 「姉さまのかれしは、兄さまですか?」 なんでそうなる!?今論理に大きな飛躍があったぞ! 「まあ、長い目で見ればそうかもねえ」 次女もさり気なく同意してんじゃねえ! あやせに桐乃の兄という意味で『お兄さん』と呼ばれるのと、 瑠璃の妹にそのままの意味で『兄さま』と呼ばれるのでは、全然意味が違ってくる。 俺が『兄さま』って呼ばれることを、コイツはどう思ってんのかな……と隣を見ると、 「お、お茶を用意するから、適当に座って待っていて頂戴」 瑠璃は居間と直接繋がっている台所に行ってしまった。 どうしたもんかね、と突っ立っていると、「どうぞ」と次女が座布団を敷いてくれた。 574 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 13:14:29.35 ID:GQjBgs+10 [10/16] 腰を下ろし、部屋をぐるりと見渡してみる。 居間は畳八枚の不祝儀敷き、中央に方形のちゃぶ台、その正面には小さなブラウン管型テレビ、 部屋の角には木製の収納棚が二つあって、その隣に渋い色の座布団が数枚積み重なっている。 麻奈実家の居間と似ているが、どことなく暗い感じがするのはどうしてだろうな。 首を傾げつつ視線を右下に転じると、畳の上に、画用紙が何枚か散っていた。 これは……見たままに言うなら、ピンク色の人……か? 俺はさらにその横で、創作活動に励んでいる三女に問いかけた。 「何を描いているんだ?」 「メルル!」 おお、言われてみれば確かにメルルだ。 ピンクのバリアジャケットにピンクのツインテール……。 「そっくりじゃねえか」 にぱー、と笑顔を咲かせる三女。 「メルルが好きなのか?」 「はいー!」 俺の妹と気が合いそうだな。 「兄さまも、メルル好きです?」 577 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 13:37:58.44 ID:GQjBgs+10 [11/16] 「あんなガキ向けのアニメ好きでも嫌いでもねーよ」と本音を漏らすワケにもいかず、 「俺の家族の一人が大好きなんだ。だから、少しならメルルのことが分かるぜ」 「じゃあ、これは誰ですか?」 画用紙を手渡される。 黒のバリアジャケットに黄色のツインテール、か。 「アルファ・オメガだ」 「正解です。じゃあ……これは分かりますか?」 二枚目。 人型を作る枠線の中身は肌色で塗りつぶされ、 背中には一対の黒の翼が描かれている。少し悩んだが……。 「ダークウィッチ『タナトスエロス』EXモードだ」 「すごいです!」 注がれる尊敬の眼差し。 背中から別の視線を感じて振り返ると、次女が複雑な面持ちで俺と三女の遣り取りを見つめていた。 ち、違う!俺は断じてメルルの『大きなお友達』じゃねえ! 613 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 19:24:22.59 ID:GQjBgs+10 [12/16] 「あっ、別に隠さなくてもいいですよー。  ルリ姉があんなふうだから、京介さんもそんな感じなんだろうなあって思ってましたし」 「いや隠してねえから!」 エロゲのプレイ歴があったりアニメの話にそこそこついていけたりと、 一般人の域は超えているかもしれねえが……俺はまだグレーゾーンにいる。 うん、いるはずだ。 だからそのちょっと憐れむような視線をやめてもらえませんかね? 「そういえば」 と次女はポンと手を打って、話題を変える準備をした。 あーあ、こりゃ絶対誤解されたまんまだよ。 「ルリ姉とはどうやって知り合ったんですか?」 「話せば長くなるんだが……『オタクっ娘集まれ~』ってオタクの女の子限定のコミュニティがあってさ、  そこの管理人が去年の春頃にオフ会を開いて……」 「そこに京介さんも参加したんですか?男なのに?」 してねえ。なんで俺が参加したっていう発想がナチュラルに出てくるんだ。 「俺は遠目で見てただけ。参加したのは俺の妹だよ。  たぶん、瑠璃が持ってる写真で見たことあるんじゃねえかな?  髪の毛を明るい茶色に染めて、ピアスしてるんだけど」 「あぁ~、分かりました。ルリ姉の親友ですね」 親友、か。 「俺はそいつの兄貴。  オフ会をきっかけにウチの妹と瑠璃が連むようになって、その流れで俺と瑠璃も……」 616 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 19:44:45.47 ID:GQjBgs+10 [13/16] 「何の話をしているの?」 台所から戻ってきた瑠璃が、ちゃぶ台の上に人数分のお茶と、お茶請けを乗せていく。 「ルリ姉と彼氏さんの馴れ初め聞いてたところ。  でも京介さん、終盤のほう端折りすぎ。もっと詳しく聞きたいなぁ~……痛ッ!」 デコピンが炸裂し、次女は両手で額を押さえる。マジで痛そうだ。 「余計なことは聞かなくてもいいのよ」 「えぇ~、こういうコト聞かないと、ルリ姉が彼氏連れてきた意味がないじゃん」 「わ、わたしは何もあなたたちに見せびらかすために、この人を家に呼んだわけではないわ」 「じゃあ、何のため?」 瑠璃は困ったような顔になって、口を噤む。 救難信号を察知した俺は言ってやった。 「妹二人を家に残して遊びに出かけるのが不安だから、俺を家に呼んだんだよな?」 妹想いの良いお姉ちゃんだよ。 うんうん、と頷いて顔を上げると、次女は懸命に笑いを堪え、 瑠璃は顔を赤くし、怒気を孕んだ横目で俺を睨み付けていた。 あ、あっれぇ~、俺何か失言しちゃったかなぁ~? 621 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 20:23:08.42 ID:GQjBgs+10 [14/16] 一人事情が飲み込めていない俺のために、次女が解説してくれた。 「ウチはお母さんがほとんど毎日仕事に出かけてて、  子供だけで留守番させられるのなんて、日常茶飯事なんです」 お絵描きに夢中になっている三女を見て、 「さすがにこの子一人だけ残すことはないですけど、  あたしとこの子だけでお留守番するのは、これまでにも何度もあったことでぇ……ぷくくっ」 次女は止めの一言を刺した。 「妹をダシに彼氏を家に呼び込むとか、ルリ姉も考えることがコスいよねえ」 「…………」 わなわなと肩を震わせる瑠璃。 あー、瑠璃? 嘘をつかれたことに関しては、俺は全然怒ってねえし、 むしろそうまでして呼びたかった瑠璃の気持ちが知れて嬉しかったっつーか……。 瑠璃はキッと次女を睨み付け、 「わたしの部屋に行きましょう」 すっくと立ち上がり、障子に手を掛ける。 「えぇー、もう行っちゃうの?  もうちょっとここでゆっくりしていきなよー。jこのお茶、どうするの?」 「あなたが三人分呑めばいいでしょう。  あと、その子がお昼寝するまで、傍から離れることを禁ずるわ」 632 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/24(金) 20:58:14.80 ID:GQjBgs+10 [15/16] 「様子を見に行くのもダメ?」 「もしも覗いているところを見つけたら、  その瞬間に『紅蓮地獄(セブンス・ヘル)』に『強制転送(トランスポート)』するわよ」 「はいはい。心配しなくていいよ、あたしはずっとここでテレビ見てるからさ」 さすが瑠璃の妹、電波受信した姉の扱いも手慣れてんなあ。 俺が立ち上がると、おもむろに三女が顔を上げて、 「兄さま」 どうした? 「ごゆっくり」 「お、おう……」 言いたいことは言ったとばかりに、黒のクレヨンを握り直し、お絵描きを再開する。 今三女の手元にある画用紙は、散らばっているそれらよりも幾分大きめで、 それに伴って絵も巨大化し、現時点では何のキャラクターを描いているのかさっぱり見当がつかなかった。 「何をぐずぐずしているの?」 瑠璃に急かされ、廊下に出る。 「不躾な妹たちでごめんなさいね」 「いい妹じゃんか。瑠璃の趣味も認めてくれてるみたいだしよ」 662 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 00:13:34.49 ID:BzHnjpPT0 [1/21] 「あれは認めているとは言わないわ。  意見の相違を理解した上で、衝突しないように議論を避けているのよ」 「どっちが?」 「妹の方が、に決まっているじゃない」 本当かなあ? 「下の妹はどうなんだ?」 「闇の加護を受けるに相応しい魔力資質の持ち主よ。  いまのところ、わたしが与えた魔導具は、全て完璧に使いこなしているわ。  唯一心配なのは、上の妹の影響を受けて、俗に染まってしまうことね。  それだけは何としても止めるつもりだけど」 いやそこは俗に染まらせてやれよ、という言葉を呑み込み、代わりに溜息を吐いた。 しばらく歩くと、裏手の縁側に出た。 庭には瑠璃の親の趣味なのか、盆栽がいくつか置いてあって、小雨に体を濡らしている。 「こっちよ」 瑠璃は縁側の最奥で足を止めた。 右手の障子を開けば、多分、そこが瑠璃の部屋なんだろう。 ゴクリ。唾を飲み込む音がやけに大きく頭の中に響く。 き、緊張すんなあ。 同じ女の子の部屋でも、麻奈実の部屋に入るときは全然意識しねえのに。 「入って頂戴」 俺の葛藤を余所に、瑠璃はあっさりと障子を開けた。 そろりと足を踏み入れ、部屋を見渡す。 668 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 01:01:09.26 ID:BzHnjpPT0 [2/21] 床は居間と同じような畳敷きで、四方のほとんどが障子と襖という純和風な造りだが、 畳の上に敷かれた薄緑色のカーペットや、茶色の文机やノートパソコンなど、 洋風な調度が多いせいで、全体としては和洋折衷の趣を醸している。 中でも特に浮いているのがパイプ椅子で、 文机とセットになっていたはずの椅子はどこに消えたのかと首を傾げずにはいられない。 「これに座って」 振り返ると、別のパイプ椅子が展開されていた。 瑠璃は無言で文机に着き、俺に背を向けてノートパソコンを立ち上げる。 なぜにパソコン?まさか俺を放置してネットサーフィンするつもりなの? 不安に駆られて瑠璃の表情を伺うと、頬がかすかに上気していて、 平静を装っている裏で、俺と同じように緊張していることが分かった。 女の子の扱いに慣れた男なら、ここで場を和ませる冗談でも飛ばせるんだろうが、 悲しいかな、俺にそんなトークテクニックの持ち合わせはない。 早く何か言わねえと――焦れば焦るほど言葉は出てこなくて、 適当に視線を彷徨わせていると、やがて文机の上に、面白いものが乗っていることに気が付いた。 「マトリョーシカ……しかも黒猫の……お前、本当に猫が好きなのな」 671 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 01:41:31.76 ID:BzHnjpPT0 [3/21] 瑠璃は五匹いる猫のうち、一番小さいものを手に取って、 「猫はやはり黒猫に限るわ。  これは……これはね、母さんにもらったものなの」 ふにゃりと表情を崩す。 「思い入れがあるモノなのか?」 「昔々……わたしがとても辛くて寂しい思いをしていたときに、  このマトリョーシカが元気づけてくれたの。幼心とは単純なものね。  入れ子を取り出して並べるだけで、寂しさを紛らわせることができるのだから」 辛くて寂しい思い出なんて、わざわざ思い出したくもねえし、話したくもねえだろう。 俺はマトリョーシカの話題から離れるために、今この家にいない人物について尋ねることにした。 「そういや瑠璃のお母さんは、どんな仕事をしている人なんだ?」 「駅の近くで飲食店を経営しているわ」 「へぇー、すごいじゃん」 「自営業と言えば聞こえはいいけれど、維持するのが精一杯の、本当に小さなお店よ。  人手が足りないときは、わたしもホール仕事を手伝わされているの」 「もしかしてアルバイトって、そのことを言ってたのか?」 こくん、と頷く瑠璃。 なるほどな、親の店の手伝いをしてたなら納得だよ。 前々から不思議に思ってたんだ。 労働基準法に抵触せずに、中学生の頃の瑠璃にも出来たアルバイトっていったい何なんだろう、ってさ。 708 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 10:28:49.39 ID:BzHnjpPT0 [4/21] じゃあお父さんは――と尋ねようとした時、丁度パソコンが立ち上がった。 壁紙はもちろんマスケラで、『漆黒』と『夜魔の女王』が背中合わせになって夜空を見上げている。 線が緻密なうえ、色使いも巧みで、素人目にもレベルの高い絵だということが分かった。 一見すると公式絵にしか見えない。 「有名なイラストレーターが、趣味で画像投稿サイトに投稿したものよ」 噂に聞くプロの仕業ってヤツか。 「今のわたしには、どれだけ時間を費やしても、これに匹敵する絵を描くことができないわ。  アマチュアが本気になっても描けない絵を、プロは片手間に描けてしまう。  悔しいけれど、それが現実よ」 自分に言い聞かせるようにそう言って、 瑠璃は滑らかなマウス捌きでランチャーからフォルダを選択し、そこからさらに深い階層に潜っていく。 途中、中身が何もないフォルダに行き着き、ここで終わりかとおもいきや、 瑠璃がフォルダオプションを弄るとそれまで見えなかった隠しフォルダが表れて、溜息が出た。 カチ、カチ、カチ――。 小気味良いクリック音に眠気さえ感じてきたころ、ようやく瑠璃の手が止まる。 画面に表示されているフォルダの名前は……『創作』。 711 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 10:56:00.93 ID:BzHnjpPT0 [5/21] 「近くに来て頂戴。ええ、そうよ。椅子ごとね」 文机の下の右半分はキャスター付きの収納箱が占めていて、 左半分のスペースに足を差し入れようとすると、必然的に瑠璃と密着する形になってしまう。 「せ、狭くねえ?」 「あなたが体を小さくすれば無問題よ」 瑠璃は実に淡々としている。 まあ、この前のデートであれだけ"恋人らしいこと"をすれば、 肩が触れあうくらいのことで、恥ずかしがったりはしねえよな……。 つうか、この『一つのノートパソコンの前に二人で寄り合う』シチュエーション、 なーんか懐かしい感じがすると思ったら、 桐乃が海外に行っちまう前の晩に、あいつの部屋で体験してたんだった。 「これからあなたに見せるのは……」 瑠璃は数秒言い淀み、 「わたしが、去年から書きためていた小説よ」 『創作』フォルダをダブルクリックする。 中に置かれていたのは、ワードファイルが一つと、画像ファイルがいくつか。 715 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 11:34:05.41 ID:BzHnjpPT0 [6/21] マウスの使用権をもらい、ワードファイルを開いて最初に思ったことは……。 スクロールバー短けえ! 40文字×34行の書式で軽く100枚はありそうだなオイ! これ、今から全部読むの? 俺文章読むの遅えし、読み終わる頃には日が暮れてんじゃねえかな? しかし一度ファイルを開いちまった手前、 『また今度ゆっくり読むわ』 と言えるわけもなくて、半ば諦めの境地で、最初の一行に目を通した。 ちなみに適当に読み流そうなんて考えは、ハナから無かったよ。 闇の眷属たる"私"が、"此方の世界"へと移行(シフト)したのは、春の匂いを色濃く残す五月のことだった――。 冒頭を読んだ時点で嫌な予感がしたね。 こりゃまた難解用語がポンポン出てきて、読者を置いてきぼりにするパターンかな? じいっ、と横頬を刺す瑠璃の視線を意識しないようにしつつ、先を読み進める。 別世界で幾千もの天使を殲滅し、生きとし生けるもの全ての頂点に君臨していた闇の女王は、 信頼を置いていた部下に裏切られて肉体を失う一刹那前、 辛うじて精神体を転移させ、別世界の人間に憑依することに成功する。 718 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 12:34:23.26 ID:BzHnjpPT0 [7/21] 憑依した人間は、"此方の世界"の住人にしてはそこそこ魔力資質に恵まれている15才の少女。 "彼方の世界"の自分と似通っている、雪色の肌と闇色の髪を姿見で認め、闇の女王は深い溜息を吐く。 誰よりも魔術の深淵に通暁している彼女だが、 借り物の体では、"彼方の世界"の百分の一ほどの力も発揮できない。 しかもこうしているうちにも、かつての部下や天使どもが、 続々と"此方の世界"に転移し、今度こそ完全に彼女の息を止めるべく暗躍しているに違いないのだ――。 存外、スイスイと導入部を読み終えることができた。 小難しい漢字や表現が多いのは相変わらずだが、 注釈が必要なオリジナルワードは今のところ出てきていないし、 主人公も最強から最弱になってしまったという、成長の余地を大きく残している設定で、 また主人公の命を狙う刺客の存在が、ストーリーに微妙な緊張感を与えている。 闇の女王は少女としての生活を営みながら、元の世界に帰還する方法を探すことにした。 方法には二種類ある。"此方の世界"のどこかに存在する『世界を繋ぐ者(コネクター)』を発見するか、 日々借り物の体で生み出される微々たる魔力を蓄積し、『転送魔法』を使うか。 前者を達成できる確率はゼロに等しく、後者は現実的だが、達成するのに数年もの時間を要してしまう。 "此方の世界"で魔力を譲渡してくれる協力者が見つかればいいのだが……。 自分と同じように、"彼方の世界"の刺客が"此方の世界"の住人に憑依している可能性を考えると、 安易に他人と接触するのは、とても愚かしい行為だと言えた。 そうして、闇の女王は孤独でいることを選択した。 闇の女王の考えは分かるけどなぁー……。 それでぼっちになった宿主の少女があんまりにも不憫じゃね? いつか憑依が解けたとき、自分がコミュニケーション不全のレッテル貼られてると知ったら絶望するしかねえわ。 721 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 13:26:56.84 ID:BzHnjpPT0 [8/21] それからしばらくしたある日のこと、 闇の女王は、自分の考えがあまりに甘かったことを思い知る。 眼前の輝かしい容貌を持つ少女が"熾天使(ウリエル)"の成り変わりであることは明白だった。 正規の手続きを踏んで『転移』した天使は、その魔力を失わない。 弱り切った私の息の根を止めることなど児戯にも等しいはず――。 スクロールすると、挿絵が表れた。 視線を交わす『闇の女王』と『熾天使』。 誰がモデルかは言わずもがなだが、表情の描き分けがスゲー上手い。 瑠璃――じゃなくて闇の女王の歯軋りしている口元とか、桐乃――じゃなくて熾天使の見下すような目とかさ。 絶体絶命の状況。 しかし熾天使は威圧するような態度を崩すと、害意が無いことを伝えてきた。 なぜ殺さないの?と訝しむ闇の女王に、熾天使は自嘲の笑いを漏らして告白した。 熾天使は"彼方の世界"で偶然、闇の女王の部下と天界の神による『恐ろしい策謀』を知ってしまった。 そのせいで殺されかけたが、精神体だけを"此方の世界"に転移させることで、生き延びた。 つまり熾天使は闇の女王と同じく、魔力をほとんど失ってしまっていたのだ。 へぇ、意外な展開だな。 俺は黙々とスクロールする。 730 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 14:29:58.87 ID:BzHnjpPT0 [9/21] 恐ろしい策謀の内容はこうだ。 闇の女王の部下は、闇の女王亡き後は自分が地上を支配し、 それを邪魔されないことを条件に、天界の神に女王の弱点を教えることを提案した。 闇の女王に脅威を感じていた天界の神々は渋々その条件を呑むことにしたが、 それを認めない上級天使が何人か存在した。 神々は熟考の末、彼らを犠牲にすることを決めた。 闇の女王が肉体を失い、別世界に逃亡したことが判明すると、 神々はその上級天使たちに、すぐさま女王の後を追い、始末するよう命じた。 次々と正規ゲートから『転移』する上級天使たち。 しかし今やそのゲートは閉ざされ、仮に精神体だけ『転移』させて戻ってくることができたとしても、 元の魔力は失われ、最下級の天使に憑依するのが精一杯の状態になっていることだろう。 そう、不意打ちによって闇の女王の体が滅し、その精神体を逃がすことは最初から予定通りだったのだ……。 挿絵二枚目。闇の女王の部下が神々と交渉しているシーン。 丸っこい顔に邪悪な笑顔を浮かべた眼鏡っ娘は、これまた誰をモデルにしているのか一目瞭然だった。 なんで麻奈実なんだ?こればっかりは配役間違ってるだろ。 闇の女王は『世界を繋ぐ者(コネクター)』を探し出せる特殊な広域検索魔法を知っているが魔力が無い。 対して熾天使の憑依した人間は、魔力生成資質に富み、 数日経てば広域検索魔法を一度発動するだけの魔力が溜まる。 二人は一刻も早く"彼方の世界"に戻るため、停戦協定を結ぶことにした。 熾天使が味方になれば、怖いものナシじゃね?と思ったが、安心するのはまだ早かった。 始末命令を受けた上級天使は、自分たちが神々から切り捨てられたことを知らない。 襲い来る上級天使に必死で真実を説明しようとするも、逆に裏切り者扱いされる熾天使。 734 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 14:52:29.01 ID:BzHnjpPT0 [10/21] 時に啀み合い、時に助け合いながら逃避行を続けるうちに、 闇の女王は熾天使に情を移しつつある自分に気が付いていた。 闇の眷属と光の使者の友情など前代未聞だ。 そんな女王の葛藤とは無関係に、熾天使の魔力は溜まり、広域検索魔法を発動する時がやってきた。 熾天使と自分の両手を合わせ、魔力を譲渡してもらう。 どんなに多く見積もっても、この弓状列島に『世界を繋ぐ者(コネクター)』が存在する確率は千分の一以下。 しかし奇跡は起きた。 なんと熾天使が憑依した少女の兄が『世界を繋ぐ者(コネクター)』だったのである。 なんつうご都合主義。 てかそんなにすぐ近くにいるならもっと早く気づけよ――という突っ込みは呑み込んで、スクロールを続ける。 挿絵に描かれていた『少女の兄』を見てももう驚かなかったね。 どう見ても俺です本当にありがとうございました。 744 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 15:50:14.43 ID:BzHnjpPT0 [11/21] 『世界を繋ぐ者(コネクター)』の能力は、夢を介することで、 ある世界の住人の意識を、別の世界に『転送』することができるというものである。 しかもその際、転送先の世界の『事象記録(イデア)』を読み出し、 その住人の肉体を復元できるというチート性能で、 つまり闇の女王と熾天使は、"彼方の世界"で失った肉体も一緒に取り戻すことができる。 しかし能力には制限が付き物で、一度に『転送』できる意識体はひとつまで。 しかも一度転送が成功すれば、強い脳への負荷によって、術者は能力を失ってしまう。 強い脳への負荷って……大丈夫なのかよ。 植物状態になったりしねえよな。 長い話し合いの末に、闇の女王と熾天使は、『世界を繋ぐ者』に選択を委ねることにした。 結局は、『世界を繋ぐ者』がどちらの夢を見るかで、どちらが転送されるかが決まるのだ。 そして、夜。 簡易魔術で転送先である"彼方の世界"の光景を『世界を繋ぐ者』の意識にすり込んだ後、 闇の女王と熾天使は、同じベッドに横になり、同じ天井を見つめていた。 闇の女王は約束する。もしも自分が"彼方の世界"に戻ることができたら、 一度だけ闇の眷属の掟を破り、熾天使の肉体を復活させると。 熾天使は約束する。もしも自分が"彼方の世界"に戻ることができたら、 一度だけ光の使者の掟を破り、闇の女王の肉体を復活させると。 748 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 16:33:50.73 ID:BzHnjpPT0 [12/21] 気づくと、闇の女王は一糸まとわぬ姿で、暗い闇の底に横たわっていた。 全身には活力が漲り、魔力も元に戻っている。 ――『世界を繋ぐ者』は私を選択したのだ。 辺りには噎ぶような腐臭と血の匂いが立ち込めていた。 恐らく私の死体は、散々弄ばれた後でこの掃き溜めに打ち捨てられたに違いない。 怒りがふつふつと沸き上がってきたが、 今は自分を不意打ちした天使や、かつての部下への復讐を忘れて、復活の儀を執り行う。 なぜ膨大な魔力の三分の一を消費してまで、自分の天敵である熾天使を復活させるのか? 答えはひとつ――友達と約束したからだ。 儀式が終わると、自分と同じく、胎児のように手足を折りたたんだ熾天使の裸体が顕現した。 『転移魔法』を発動し、"彼方の世界"で待っている熾天使の意識体を、"此方の世界"に引き寄せ、肉体に定着させる。 瞼が震え、熾天使が目を開ける。 お互いを認めると、自然に笑みが零れた。 本当なら殺し合って然るべき関係。でも今は……今はまだ……。 熾天使は純白の翼を、闇の女王は漆黒の翼を広げ、しばし同じ空を飛んで、別れた。 熾天使が今回の策謀を『最高神』に訴えれば、計画に荷担した神々は罰せられ、 上級天使たちは"彼方の世界"から"此方の世界"に、力を失わずに戻ってくることができるだろう。 そして私はこれから、私の玉座に我が物顔で座っている裏切り者の体に、深い後悔を刻みつけに行く。 その後、数千年にわたる天界と下界の抗争が、 当代の闇の女王と熾天使が橋渡しとなって終息することを、その時の私は知る由も無かった。 終わりかと思いきや、物語にはまだ続きがあった。 憑依されていた間の記憶を失った少女は、 しかし『世界を繋ぐ者(コネクター)』と触れたことで、 自分が数多の世界に鏡写しのように偏在し、"女王"であり"騎士"であり、そして"黒き獣"であることを知る。 752 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 16:51:53.07 ID:BzHnjpPT0 [13/21] 春の匂いを色濃く残す五月。 少女は"女王"を模した黒い衣装を手作りし、身に纏う。 彼女が熾天使に憑依されていた憐れな少女と、 その兄――かつての『世界を繋ぐ者』――と再び出会うのは、それから少し先の話である。 了 お、終わった。俺は今モーレツに感動している。 ストーリーに、じゃねえ。厨二成分が濃縮されたこの物語を一息で読み終えた自分に、だ。 766 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 17:58:17.08 ID:BzHnjpPT0 [15/21] 瑠璃と瀬菜がノベルゲー『強欲の迷宮』を作る過程で テスターとして、延々鬱になる文章を読まされたときは、 まだ……なんつーか、こう……作業感みたいなものがあったんだが、 今回は一つの完成作品を精読したわけで、読後の疲労感がまるで違う。 「感想を聞かせてもらってもいいかしら」 「ちょっと待ってくれ。頭の中でまとめてるから」 俺は眉間をもみつつ、 「文章は、読みやすくなってると思う。  専門用語や辞書引かなきゃ分からんねえ漢字は……、  まあ、あるっちゃあるけど、昔に比べりゃ随分少ないし」 768 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 18:28:11.62 ID:BzHnjpPT0 [16/21] ちなみに比較対象に挙げてる作品は、 去年の冬、瑠璃がメディアスキー・ワークスに持ち込んだマスケラの二次創作だ。 「話の内容は、王道から逸れてていいんじゃねえかな。  簡単にまとめりゃ、魔法の世界から、こっちの世界にやってきた闇の女王が、  本当は宿敵の天使と協力して、元の世界に帰るために頑張る話で……。  最後は……ハッピーエンド……なんだよな?」 自信がなく疑問符をつけてしまったが、瑠璃は何も言わず、 「それで?」とでも言いたげな目で俺を見上げてくる。 「登場人物は………もうちっとオリジナリティのあるキャラクター使った方が良くね?  挿絵の登場人物とか、一目でモデルが誰か丸わかりだしよ……。  あっ、絵はかなり上手くなってたな!」 これは読後に絶対誉めてやろうと思っていたことだった。 安易な萌えに走らない、人物の特徴を捉えた写実性重視の挿絵は、 物語の描写とぴったりマッチしていた。……あ、女王の家来役の麻奈実は例外な。 パソコンのすぐ後ろに視点をずらせば、 絵や文章のかきかたに関する本がずらりと並んでいて、 瑠璃の画力と筆力は日々の努力の賜なんだな、と再確認する。 「話の大筋はこのまま、要所要所を分かりやすい描写に変えてさ、  あと、登場人物の心理描写を若干増やせば……」 「もういいわ」 772 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 18:53:13.81 ID:BzHnjpPT0 [17/21] 瑠璃はそう呟くと、パソコンの電源を落とした。 は、はぁ? 俺は、お前が感想を聞かせてくれって言うから――。 「わたしはアドバイスが聞きたいと言ったわけではないの。  物語を読んで、純粋に思ったこと、感じたことが聞きたかったのよ」 瑠璃が言わんとしていることが分からない。 たぶん俺の理解力が足りてないんじゃなくて、 誰が聞いても同じように理解できないんじゃねえかと思う。 批評者として失格の烙印を押されたような気分になった俺は、悔し紛れに言った。 「瑠璃はこの作品を、このまま応募するつもりなのかよ?  はっきり言って今のままじゃ、この前と同じような感想書かれて突っ返されると思うぜ」 去年の冬、メディアスキー・ワークス編集部の熊谷さんは、 瑠璃の持ち込んだ長大な二次創作作品と、それと同じくらい分厚い設定資料に全て目を通した上で、 あの作品に不足していたもの、過剰だったものを、それぞれ丁寧に解説してくれたよな。 その解説が、この作品には全然生きてねえ。 絵が上手くなってるのは認める。 でも文章は、『強欲の迷宮』の方がまだ読みやすかったよ。 776 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 19:22:40.46 ID:BzHnjpPT0 [18/21] 瑠璃は穏やかに言う。 「あなたに言われた改善点は、きちんと承知しているわ。  ストーリーの概要は王道から逸れて失敗した典型的例だし、  文章は一文一文が長ったらしくて修飾過剰。  登場人物の容姿や性格は知り合いからの流用で新鮮味に欠けていて、  物語の終わりにあるべきカタルシスもない……。  商業的観点から見れば、唾棄すべきクズ作品よ」   る……瑠璃さん? 何もそこまで卑下する必要はないんじゃないスか……? 瑠璃は優しい微笑を浮かべて、 「でもね、これはどこかに応募するために書いた作品ではないの。  自分のため……あくまで自分のために書いた作品なのよ」 782 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 21:10:34.36 ID:BzHnjpPT0 [19/21] 「じゃあ、書き始めたときは、誰かに見せるつもりはなかったのか?」 「ええ。これでも、あなたに見せるためにかなり添削したんだから」 マジかよ。 今読んだのが改変版なら、原本はいったいどんな厨二具合なんだ? 「残念だけれど、見せることはできないわ。常人が読めば発狂しかねない酷さよ。  幾分耐性が出来ているあなたでも、三日三晩は寝込むことになるでしょうね」 もはや呪いの書じゃねえか。 瑠璃はノートパソコンの天板を閉じて、寂しげな微笑を浮かべた。 『覚えてるわけ、ないよね』 誰かの声が耳許でリフレインした。 あのときと同じだ。瑠璃はあのときの桐乃と同じ顔をしている。 そしてあのときと同じように、俺には瑠璃が、どんな言葉を欲しているのか分からない。 785 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/25(土) 21:47:56.33 ID:BzHnjpPT0 [20/21] その言葉が、今し方読まされた作品に関係していることは分かる。 しかし俺の記憶では、瑠璃に出会ったのはあのオフ会の日が初めてで、 間違っても俺が『世界を繋ぐ者』で、 瑠璃にその昔取り憑いていたという闇の女王を魔法の世界に送り返した、なんてトンデモ話は有り得ねえ。 何かのメタファーという可能性もないではなかったが、 俺のポンコツな脳味噌に行間を読むなんて芸当は望むべくもなかった。 それから俺は瑠璃にラフ絵を見せてもらったり、 コミケで販売した同人誌の写真コーナーを見直したりして楽しんだ。 最後まで桃色の空気にならなかったのは、小説の件が尾を引いていたのと、 今日の瑠璃が、黒猫寄りの雰囲気を纏っていたからだと思う。 「お楽しみは終わったぁ~?」 居間に戻ると、開口一番、次女が顔をニヨニヨさせて言った。 こいつ、意味分かって言ってんのかね? 瑠璃は次女の発言を華麗にスルーし、台所に向かう。 「何してんだ?」 「何って……これから夕食の準備をするのよ」 振り返った瑠璃は、真っ白な割烹着を装着していた。 うわぁ……どっからどう見ても昭和のお母さんだよコレ。 コスプレに私服にジャージに割烹着に……着るモンひとつ変えても全然印象が違うなあ。 824 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 00:20:54.38 ID:u4wVIxT00 [1/13] 瑠璃はゴムで後ろ髪を纏めながら言う。 「あなたも食べていくのでしょう?」 「ああ、そうさせてもらうよ」 と言うと、次女と三女は揃って顔を輝かせ、 「やった。ご飯は一緒に食べる人が多いほど美味しいもんねっ」 「今日は、夜まで兄さまと一緒です?」 「そうだよぉ。もしかしたら泊まってくんじゃないかなぁ~?」 「兄さまはどの部屋で眠りますか?」 「そりゃやっぱルリ姉の部屋で……ごめ、ごめん、冗談だって!  ほら、ルリ姉は早くご飯作ってきてよ~。あたしたちお腹空いているんだからさぁー」 じゃれあう三姉妹を見ていると、自然と笑みが零れてくる。 俺はそっと廊下に出て、携帯を取りだした。 「もしもし?高坂ですけど」 「あ、お袋?俺俺」 断っておくが、別にオレオレ詐欺を意識しているわけじゃない。 自然とこの言葉が出てくるんだよな。 お袋は声のトーンを普段のそれに戻して、 「京介ぇ?あんた今どこにいるの?」 「今赤城と街に出てる」 「あら、そうなの?晩ご飯はどうする?食べてくる?」 「そうするよ。あ、それが言いたかっただけだから」 「そう。あんまり遅くならないようにしなさいよ~」 電話を切ると、ささやかな罪悪感が胸に去来した。 正直に言ってもよかったかもな。 『彼女の家で晩飯をご馳走になる』ってさ。 832 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 00:40:40.55 ID:u4wVIxT00 [2/13] 居間に戻ると、瑠璃は本格的に晩飯の支度に取りかかっていた。 にしても、マジで割烹着似合ってるな。 ベストジーンズ賞ならぬベスト割烹着賞があれば、十代の部で優勝狙えるレベルだよ。 「兄さま」 座布団の上に座ると、三女が後ろ手に何かを持ってやってきた。 が、三女の体よりもその何か――画用紙――が大きいせいで、バレバレだ。 「ん、またメルルのキャラクターか?」 三女はニコーっと笑い、画用紙を差し出す。 そこに描かれていたのは、白い仮面を持った黒ずくめの男。 メルルには基本的に大人の男性が登場しない。ということは……分かったぜ。 「漆黒か」 「いいえー」 えっ、違うの!? かなり自信あったんだけどなぁ。 「ほんとうのほんとうに分かりませんか?」 「……降参。誰なんだ?教えてくれ」 「兄さまです」 ああ、なるほどね。……って、分かんねーよ! 841 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 01:00:38.05 ID:u4wVIxT00 [3/13] 俺は日常的にこんな黒い服着てねえし! 「それは兄さまにあげます」 しかもくれるんだ!? 兄さまの部屋狭くて飾るトコねえし、 スケッチブックに保管しといてくんねえかな? 「あげます」 押し強えわ、この子。はい、謹んで拝領致します。 「あははっ、京介さんよかったねぇ~」 遣り取りを見ていた次女がケタケタと笑う。 「この雨の中どうやってこの画用紙を折らずに持って帰るか一緒に考えてくれよ」 「今日のところはルリ姉の部屋に置いといて、  また晴れた日に持って帰ればいいんじゃないかな」 「そうさせてもらう」 「あ、全然話は変わるけど」 次女は三女が教育テレビに興味を移したのを確認すると、台所に届かない程度の小声で、 「ルリ姉の部屋で何してたの?どこまでいった?」 あー、こういう子のことなんて言うんだっけ。 ……思い出した。マセガキだ。 しかも完全に敬語忘れてやがるしな。 いや、この方が俺も気楽に話せていいんだけどよ。 845 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 01:17:00.34 ID:u4wVIxT00 [4/13] 「お前が期待してるようなことは何もしてねえ」 「えぇーっ、チューもしてないの?」 沈黙を勝手に肯定と受け取った次女は、 「彼氏家に呼んどいて何もしないとかルリ姉も強気なのか奥手なのかわっかんないよねぇー。  あと、京介さんは自信持ってルリ姉のこと押し倒せばいいと思うよっ」 頼む、誰かこのガキを黙らせてくれ。 そんな祈りが通じたのか、台所から瑠璃が次女の名を呼び、 「暇にしているなら、こっちに来て手伝って頂戴」 「あたし今ねえ、京介さんとお喋りするので超忙しいから無理」 「それを暇にしていると言うのよ。  お腹が空いているのでしょう?手伝った分、早く出来上がるわ」 「しょーがないなー。京介さん、この子の相手頼むねっ」 次女は立ち上がり、ツインテールをぴこぴこ揺らして台所に向かう。 919 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 12:18:43.65 ID:u4wVIxT00 [5/13] 夕食が完成したのは七時ちょっと前で、 調理を手伝えなかった俺は、せめてもと配膳係に志願した。 四人分の椀や皿を、台所から居間のちゃぶ台に運んでいく。 箸立には暖色の箸が三膳入っていて、それを適当に並べていると、 「あ、その子はスプーンとフォークです。練習中なんだよねぇ」 「はいー!」 ああ、じゃあこれは瑠璃と次女と、今は仕事に出てるお母さんの分か。 んで俺は割り箸、と。 四人全員がちゃぶ台の周りに座り、合掌する。 「いただきます」 メニューはご飯に味噌汁、鰯の塩焼きに冷や奴、キュウリの漬け物の計五品で、まさに日本料理といった感じ。 満遍なく箸をつける。 料理番組のコメンテーターのように豊富なボキャブラリーを持たない俺は、こう言うしかない。 「うまい。マジでうまいよ」 それまで横目で俺の反応を伺っていた瑠璃は、ほう、と息を吐いて、 「そ、そう?気に入ってもらえたなら、嬉しいわ。  ……味加減はどうかしら?」 少し薄味だけど、たぶんそれは妹のため、わざとそうしているんだろう。 「ちょうどいい。ウチと似てる」 「よかったね、ルリ姉。これでいつでも嫁げるねぇ~……痛ッ」 927 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 12:55:57.32 ID:u4wVIxT00 [6/13] 額を押さえて呻く次女。 デコピンされると分かっていただろうに。口を衝いて出てしまうんだろうか。 「姉さま、ふりかけはどこですか?」 「ここにあるわ」 瑠璃はふりかけの封を切って、三女のご飯の上に振りかけてやる。 「零さないようにして食べるのよ」 「はいー」 思わず笑っちまったよ。 「何が可笑しいの?」 「いや、なんか姉妹っていうより、母娘って感じだと思ってさ」 「お母さんがいないときはルリ姉がその代わりだもんねぇ~」 その遣り取りを見ていた三女は、訊きたくてウズウズしていたんだろう、 口の中のご飯を大急ぎで呑み込むと、 「姉さまがお母さまなら、兄さまはお父さまですか?」 「うぅ~ん、それはちょっと違うかなぁ~?」 俺と瑠璃は顔を見合わせて、苦笑する。 本当に三女と次女が娘で、瑠璃が奥さんなら、さぞかし家に帰るのが楽しいだろうな。 938 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 13:21:31.09 ID:u4wVIxT00 [7/13] そんな妄想を見透かされたのか、はたまた最初から同じことを考えていたのか、 みるみるうちに瑠璃は顔を朱に染め、俯く。 普段下ろしている髪は、今は後ろでまとめられていて、 透き通るような白さの項が妙に色っぽい……って、食事中になんてこと考えてんだ俺は。 瑠璃は微妙な雰囲気を払拭するかのように、 「お、お代わりはいる?」 俺の椀の底も見ないで言ってきた。 まだ少しご飯は残っちゃいるが……。 「ああ、頼む……つうか、自分で行ってくるよ。炊飯器の場所分かってるしさ」 「いいのよ、あなたは動かなくて。ご飯はたくさん?それとも少し?」 ここは好意に甘えるとするか。 「少しでいいよ。ありがとな」 椀を手渡してから気づく。 この会話、どっかで聞いたことあると思ったらまんま親父とお袋のそれだよ。 それからしばらくして帰ってきたお椀には、白米がなみなみとよそわれていた。 こいつ完璧に上の空で聞いてやがったな。 まあ、漬け物がスゲー美味いからいくらでも食べられますけどね。 948 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 13:54:04.29 ID:u4wVIxT00 [8/13] 食事が終わり、「食器洗いくらいは」と申し出てみたものの、 瑠璃は「妹たちの面倒を見ていて頂戴」の一点張りで、 結局今日、俺は一度も五更家の台所に立たせてもらえなかった。 まったく、「男子厨房に入らず」なんて言葉が箴言たり得たのは昭和までだろうがよ。 「ルリ姉~あたしお風呂入れてくる~」 次女が行ってしまい、今俺は三女と一緒にクイズ番組を見ている。 単純な知識量や計算力ではなく、直感力や想像力を試す、 要するに右脳を働かせて答えるタイプのクイズなので、幼い三女にも問題なく楽しめている。 テレビ画面には騙し絵が映っていて、 「兄さま、この絵には何匹のお馬が隠れていますか?」 「一、二、三……四匹じゃないか?」 「わたしには六匹見えます」 制限時間が終わり、正解が発表される。おっ、七匹もいたのか。 「惜しかったな」 「はいー……」 悔しそうに、ぎゅうと丸っこいウサギのぬいぐるみを抱きしめる三女。 「それ、手作りか?」 「はいー。姉さまが作ってくれた『まどーぐ』です」 ま、まどーぐ? 数秒考えて、それが『魔道具(まどうぐ)』と書くことに思い当たる。 961 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 14:17:36.76 ID:u4wVIxT00 [9/13] そういやさっき瑠璃が、『三女は私の与えた魔道具は全て完璧に使いこなしている』と言ってたっけ。 でもこれ、どう見ても魔道具じゃねえよな。こんな可愛らしい魔道具があってたまるか。 普通にぬいぐるみとして渡してやれよ。 「たっだいまー」 次女が帰ってくる。 「順番どうする?京介さんから入る?」 「は?」 「だからぁ、お風呂。モチロン入ってくんでしょ~?」 いやいや待て待て。 「さすがに風呂は遠慮しとく」 「えぇ~っ、なんで?ルリ姉と一緒に入りなよぉー」 あのなあ。 「馬鹿な発言は慎みなさい。  この家のお風呂のどこに人二人が入れるスペースがあるというの」 洗い物が終わったのか、瑠璃が手の水気をミニタオルで拭きながらやってくる。 「じゃあお風呂場が広かったら、京介さんと一緒に入ってもいいんだ?」 「なっ、そ、そういう意味ではなくて……」 972 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 14:52:09.41 ID:u4wVIxT00 [11/13] 俺は瑠璃に加勢する。 「ほら、俺下着の替えとか持ってないしさ」 「近くにコンビニあるから、買ってくればいいんじゃないかなぁ?  なんならあたしがひとっ走りしてこよっか?」 結構です。 小さな女の子が一人で男物のパンツ買おうとしたら絶対コンビニ店員怪しむよ! 「と、とにかく。今日は帰る。好意だけもらっとくわ」 「ちぇ、つまんない」 それまでクイズ番組に夢中になっていた三女が、ふぁ、と小さな欠伸をする。 「もうおねむの時間?今日は早いねぇ。あんまりお昼寝しなかったからかなぁ?」 おいで、と次女が手招きすると、三女は次女の膝に頭を乗せて目を瞑った。 「お風呂できたら起こすからね」 「…………」 次女がテレビの音量を小さくすると、すぅ……すぅ……穏やかな寝息が聞こえてきた。 瑠璃が思わせぶりな視線を、俺、時計の順に移す。 もう八時過ぎか。腰を上げると、瑠璃もそれに続いた。 「あっ、あたしも見送りたい……けど動けないし」 次女は膝の上の三女を見ると、表情に諦めの色を浮かべ、 「あたしはここで。またいつでも来てくださいねー、京介さん」 983 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 15:24:21.84 ID:u4wVIxT00 [12/13] 瑠璃が引き戸を開けると、外では依然として霧状の雨が降っていた。 「傘は持ってきているの?」 「ああ」 黒の折り畳み傘を開いて見せる。 瑠璃は傘立てにあった赤い傘を開くと、俺の一歩先を歩いて、来たときと同じように門の閂を外してくれた。 「今日は……呼んでくれてありがとな。  瑠璃の妹たちに会えて良かったし、  美味い飯もご馳走になって……楽しかったよ」 「妹たちには懐かれて大変だったのではなくて?」 「避けられるよりずっとマシだろ」 瑠璃はやんわりと笑んで、 「京介は小さな子供の扱いに慣れているのね。  下の妹は内気な性格なのだけれど、あなたに対しては人見知りしなかったみたい」 「似姿も描いてもらったしな。あれ、今のところは瑠璃の部屋に置いといてもらってもいいかな」 「構わないわ。  それと晩ご飯は……、質素な献立でごめんなさい。  正直、物足りなかったでしょう?  本当はもっと凝ったものを作るつもりだったのだけれど、  し、失敗するのが怖くて、一番作り慣れているもので妥協してしまったの」   997 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/12/26(日) 16:18:52.87 ID:u4wVIxT00 [13/13] 失敗するのが怖くて――、か。 本音を隠さずに教えてくれたことは嬉しいよ。 でもあれが妥協の結果だなんて、言われなきゃ全然分からなかったぜ。 質素な献立?関係ねえよ。 「俺はああいう純和風な料理が好きなんだ。  それに、普通で無難な料理ほど、料理人の腕が反映されやすいだろ?  お前の料理、スゲー美味かったよ。  また今度何か食わせてくれな」 「ほ、ホメ殺さないで頂戴」 瑠璃は傘で顔を隠してしまう。 ざあ、とにわかに雨脚が強まり、街灯の明かりが鈍くなる。 俺は傘のへりを指で持ち上げ、その中の唇に、自分の唇を合わせた。 「…………っ……ん……」 微かに身動ぎした後で、大人しくなる。

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