無題:8スレ目256

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256 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage saga] 投稿日:2011/03/07(月) 19:02:44.35 ID:sILZgNDlo [4/8] 人工光に彩られながらも、どこか品の良さを感じさせる街――――銀座。 そんな俺には似合わない街を、一人で歩いていた。 時刻はもうすぐ23:00。明日も仕事があるのに、なぜかまだ帰る気にはなれない。まったく、思春期のガキかよ。 そんな自分自身に溜息を吐き、ボーっと視線を上げたとき、とあるビルの名前が俺の目に入ってきた。 確か、会社の先輩が言ってたな。「このビルの地下に、美味いバーがある」と。 普段ならバーなどと言う小洒落た空間には行かないのだが、その時の俺はどうかしていたのだろう。 まるで街灯に群がる虫のように、ふらふらとそのビルに入っていってしまった。 どこか重苦しさを感じさせる木製のドアを開けると、これまた木製のカウンターと椅子があった。 カウンターの向こうには白いシャツの上に落ち着いた色のベストを纏い、蝶ネクタイを締めた若い男性が立っていた。 いわゆる、バーテンダーと言うヤツだ。 「いらっしゃいませ」 穏やかな笑顔を浮かべ、客に挨拶をするバーテンダー。サービス業に従事している人間だからだろうか、髪は短く切られており、清潔感がある。 ほかに客は居ないようなので、俺は適当に席に着いた。それと同時におしぼりが差し出される。 「ご注文は?」 おしぼりを受け取り、それで手を拭いている俺に、バーテンダーが尋ねてきた。 だが、「バー」と言うものに来たことがない俺には何を注文していいのかわからない。仕方が無いので、ここはプロにお任せしよう。 「あの……こういう店にはあまり来たことが無いので、何を頼んでいいのか……」 「そうですか。普段はどのようなお酒を?」 「もっぱらビールですね。ここに来る前も、居酒屋で飲んでましたから。強い酒もそれなりには飲めます」 「そうですか……。では、『ジントニック』はいかがでしょう?」 「じゃ、それで」 「かしこまりました」 ジントニックか。それなら俺も知ってる。 まだビールが得意じゃなかったころ、居酒屋ではもっぱらカクテルを飲んでたからな。 バーテンダーさんはグラスを一つ、自分の目の前に置き、カットされたライムの果肉にフォークとスプーンが合わさったような長い金属棒を押し込む。 そこから溢れ出る果汁をグラスに入れると、搾ったライムもグラスの中に入れた。そこに、大き目の氷を二個入れ、ジンを注ぐ。 今度はトニックウォーターが入った瓶を手に取り、グラスに注いでいく。満たされたグラスの中を一度だけ混ぜ、最後にライムの皮を軽く絞る。 「『ジントニック』です」 コースターに乗せたグラスを俺の前に移動させる。 店内の雰囲気のせいか、このジントニックがひどく高級なものに見えた。 少し気圧されながらも俺はグラスを手に取り、それを口に運んだ。 「!」 う、美味い! なんちゃってカクテルには無いキレやコクが、俺の口内を駆け巡る。そしてこのスッキリとした味わい、爽やかなライムの香り……。 ジントニックって、こんなに美味かったんだ。これがプロのテクってヤツか。 「お客様。トニックウォーターの苦味はどこから来ているか、ご存知ですか?」 「い、いや。知らないッス」 「元々は"キナ"というインカの熱病の薬が入っていたから、この苦味が生まれたそうです。このキナと言う薬、スペイン総督夫人のマラリアを治療したことがきっかけで、ヨーロッパに広まりました」 「へぇ~。じゃ、トニックウォーターって薬なんすか」 「そうとも言えますね。ですが、日本で市販されているトニックウォーターに、キナは入っていません。それなのに、TONIC(元気づける)という言葉だけは残っています」 元気づける、か。たしかに、どことなく元気が出そうな味だな。 でもさ、一杯目にこれを出したってことは、そんなに元気無さそうに見えたのかな? 情けないな……。アイツの前では、そんな顔にならないよう気をつけねえと。 俺は自分の弱気を吹き飛ばそうと、ジントニックを一気に飲み干した。 「次は、なににされますか?」 「えっ……と、『マティーニ』ってカクテルですよね?」 「はい。ジンベースのカクテルです」 「じゃあ、それを」 「かしこまりました」 バーテンダーさんはビーカーみたいな容器に氷を入れ、その中にベルモット、ジンを入れた。 さっきも使ってたフォークとスプーンが合わさったような金属棒、多分酒を混ぜるときに使う専用の器具なんだろうな、それでジンとベルモットを混ぜていく。 混ぜ終わると、ビーカーに蓋みたいなものを被せ、カクテル・グラスに注いでいき、最後にレモンの皮を軽く絞った。 「『マティーニ』です」 たった今作られたマティーニを受け取り、口に運ぶ。 これも美味い……けど、流石はジンベースのカクテル。少し強いな。 「美味しいですね。でも、俺には少し強いかな」 「そうですか。それでは、少し失礼をして……」 257 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage saga] 投稿日:2011/03/07(月) 19:03:57.84 ID:sILZgNDlo [5/8] そう言うと、バーテンダーさんはグラスを奪い、大きな氷を入れたロックグラスにマティーニを入れた。 新しいグラスに入れられたマティーニを受け取り、改めて口に運ぶ。 「あれ?さっきより飲みやすい……」 「氷があることで加水され、アルコール度数が下がります。また、温度が下がることで口当たりが良くなり、自分のペースで飲むことが出来ます」 そういうもんなのか。酒って、付き合いと、酔いたいときにだけ使う代物だと思ってたけど、こうやって色んな味を楽しめるんだな。 と言っても、このマティーニは俺にはまだ少し強い。氷がもう少し溶けてから飲むとしよう。 俺は少し時間を潰すために、懐に入れてあるシガレットケースを取り出す。 そこで気付いたんだが、俺がケースを取り出し終わる頃には灰皿が俺の前にあった。さっきは無かったのに……。 俺の動作だけで喫煙することに気付いて、灰皿を出したのか。すげえな、バーテンダーって。こんなにサービスが行き届いてるのかよ。 俺は煙草に火をつけ、紫煙を燻らせながらマティーニをゆっくり飲んだ。 この間、俺とバーテンダーさんとの間に会話は無い。普通なら、何か話しかけようとするだろ?でもさ、しないんだよ。まったくさ。 普通は気まずい雰囲気になるんだろうけど、今の俺にはそれがありがたかった。耳に心地いい音楽だけが、店内に流れていた。 酒が美味くて、少し薄暗くて、細かな気遣いが嬉しくて……。だからかな、俺は親しい人間にすら話したことの無いことを、このバーテンダーさんに話しちまったんだよ。 「バーテンダーさん。俺ね、もうじき結婚するんだ」 「それはそれは。おめでとうございます」 「ありがとう。でね、情けない話なんだけどさ。俺、今絶賛マリッジブルー中なんだよね」 今日会ったばかりの人に、なんつー情けない話をしてるんだよ。 本当、今日の俺はどうかしてる。酔いすぎだ、馬鹿野郎。 「男にもマリッジブルーがあるって話は、聞いたことあったけどさ。自分がそうなるなんて思わなかったよ」 「アイツのことは好きだ。だから結婚するんだ。でもさ……不安なんだよ。"ちゃんと幸せに出来るのか?"ってね」 「今まで、不安なんてほとんど無かった。有っても些細なことばかりだった。でも、人一人の人生を抱え込むってなったとき、スゲー不安になったよ」 「こう言っちゃなんだけど、俺の恋人は出来た女でね。俺にはもったいないくらいのいい娘だ」 「だからかもな。いざ、結婚!ってなったときに、"俺より良い男がいるんじゃないか?" "もっといい生き方があるんじゃないか?"そんな風に思っちまった」 「ホント、なっさけねーよな」 俺は一息に喋った。自分の中の不安を全部ぶちまけるように。 なんだよ、コレ。からみ酒もいいとこじゃねーか。恥ずかしいし、情けねーし、今すぐ消えちまいたい。 腕時計を見ると、もうすぐ日付が変わる時間だった。いい加減、帰らないと。俺は煙草をもみ消し、席を立とうとした。 そこに、今まで無口だったバーテンダーさんが話し掛けてきたんだ。 「"恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる。"」 「へ?」 さっきまで無口だったのに、口を開いたらコレだ。俺がマヌケな声を出しても、仕方ないだろ? そんな俺をよそに、バーテンダーさんは笑顔を浮かべながら言葉を続ける。 「ドイツの科学者、ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルクの言葉です。彼は優秀な科学者であり、風刺家でした。学生時代から亡くなる直前まで、ノートに様々なことを書いたそうです」 「そのノートにはリヒテンベルクが感銘を受けた引用、読んだ書名、自伝的描写、様々な考察が書かれており、様々な格言を残しました」 恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる。 なるほどな。言い得て妙とはこういうことか。俺のこの不安も、結婚を前にして視力が戻った結果なのかも知れない。 「お客様。お帰りになる前に、もう一杯いかがですか?コレは私からのサービスですので、お代は結構です」 「え、いいんですか?それなら……」 バーテンダーさんはシャンパングラスと三つの瓶を取り出すと、混ぜ棒のスプーン部分を利用して、三つの酒を順に注いでいく。 グラスの下から、赤、緑、白の酒が綺麗に層を重ねている。 「プースカフェ・スタイルのこのカクテル。名前は『ビジュー』、フランス語で『宝石』という意味です」 「へぇ~。たしかに、宝石のように綺麗ですね」 「ベルモットの赤がルビー、シャルトリューズのグリーンがエメラルド、ジンの白がダイヤを表しています。ですが、この三つを混ぜ合わせると、もう一つ宝石が現れます」 「もう一つ?」 バーテンダーさんはシャンパングラスを手に取り、その中身を氷を入れたビーカーみたいな容器に入れ、混ぜ棒で混ぜていった。 ああ、せっかくの綺麗な色なのに。 258 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage saga] 投稿日:2011/03/07(月) 19:04:36.84 ID:sILZgNDlo [6/8] 「この三つを混ぜ合わせたカクテル。名前は『アンバー・ドリーム(琥珀の夢)』」 ベルモット、シャルトリューズ、ジンを混ぜ合わせると、琥珀色の鮮やかな液体が出来上がった。バーテンダーさんはカクテル・グラスを取り出し、中身を注いでいく。 「琥珀とは、木の樹脂(ヤニ)が地中に埋没し、数万年という長い年月により固化した宝石です」 「これが、もう一つの宝石ですか」 差し出されたカクテル・グラスを手に取り、口をつける。 美しい色合いに合った、洒落た味が舌に広がっていく。 「美味しい……」 「"男と女が結婚したときには、彼らの小説は終わりを告げ、彼らの歴史が始まるだろう。"ロミュビリュズという人物の言葉です」 ここでバーテンダーさんが、またどこかの誰かさんが残した名言を言い放った。 この人、名言好き?薀蓄を披露したいだけの人なの?違うとは思うけどね。 「結婚式のスピーチなどでもよく使われる言葉ですが、人によってはネガティブな印象を受けるかもしれませんね」 「どうしてですか?」 「小説というのは、全てではありませんが、大抵幸せな結末が用意されているものです。恋愛をテーマとしているものは特に」 「ですが、歴史は違う。学校で習う歴史でも、悲劇をちゃんと記している。だから"結婚というのは、夢から覚めることなんだよ"と言われている気がしないでもない」 そういう考えも、確かにできるな。 小説はフィクションだが、歴史は事実を記したもの。嬉しいことも、悲しいことも全てひっくるめて"歴史"なのだ。 「長い時間を共にすれば、苦難にも直面するでしょう。でも、その時間を共に歩み続け、嬉しいことや悲しいことも全て含めて、"いい人生だった"と言える」 「時を経て、改めて振り返ったとき、その輝きに、大切さに気付ける。そんな琥珀のような最期を、迎えられたら良いですよね」 ああ、そういうことか。 そうだよな。不安になるのは当然だよ。 でも、まだ何も起こってないうちから不安になって、足踏みしてても仕方のないことじゃねえか。 失敗やすれ違いも起きるかもしれない。それを回避するための努力はするさ。けど、もしそんな事態になったとしても、一緒に解決していけばいい。 これからは俺一人じゃない。アイツもいるんだ。助けを求めれば、周りの人たちも協力してくれるだろうしな。 そうやって一緒に生きていって、最期を迎える。そして最後に言うんだ。「いい人生だった」って。 ただの松ヤニが、数万年かけて宝石とは違う輝きを持つように。人々を惹き付ける琥珀のように。そんな歴史に、自分達でしていくんだ。 「ありがとう。なんか、色々とスッキリしました」 「いえ、差し出がましい真似をして、申し訳ありませんでした」 俺が礼を言うと、バーテンダーさんは頭を下げて謝ってきた。 たしかに、お節介なバーテンダーさんだよ。でも、そのお節介のおかげで、俺は救われたんだ。だから、謝らないでくれよ。 ま、俺は何も言わなかったけどな。 「俺、高坂って言います。バーテンダーさんの名前は?」 「佐々倉。佐々倉溜と申します」 会計のときに、俺は名刺を取り出し、バーテンダーさんに渡した。 バーテンダーさんは「頂戴します」と言って受け取り、自分の名刺を差し出してきた。 佐々倉溜、か。 「今日はここに来れてよかった。また来ます。今度は"妻"と一緒に」 「お待ちしております」 佐々倉さんが頭を下げて見送る中、俺はドアを開けて夜風が吹く銀座の街に戻っていった。 259 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage saga] 投稿日:2011/03/07(月) 19:05:06.92 ID:sILZgNDlo [7/8] それから二ヵ月後――――。 ボクは今日も昼過ぎに出勤する。 バーの開店時間は夜、それまでに準備を終えないとね。 お店に来てまずやる事は、この店に来た郵便物のチェックだ。ま、大したものはあんまり来ないけどね。 今日もダイレクトメールやチラシが何個か入ってる。お仕事熱心なのは良いけど、ちょっと邪魔臭いよね。 そんなチラシ達の中に、ハガキが一通混じっていた。宛名は店名ではなく、ボク個人になっている。 裏を見ると、「この度、私達は結婚いたしました。」というメッセージと共に写真がプリントされていた。 純白のタキシードに身を包んだ男性と、同じく純白のドレスを纏った美しい女性が笑顔で写っている。以前、ご来店されたことのあるお客様だ。 ハガキの下の方に、お二人の名前が記されていた。高坂京介様と――――。 お二人は本当に幸せそうな笑顔をされており、こっちまで幸せな気分になってくる。 でも、お二人とも頬が赤いから、夫婦というより付き合いたてのカップルみたいに見えるけどね。 それにしても、本当にお美しい方だ。こんな女性と結婚できるなんて、とても羨ましい。ボクも夢見ちゃうよ。こんな女性と結婚したいな、って。 バーテンダーに相応しい服装に身を包んだボクは、グラスを拭いている。もう開店時間は過ぎている。 今日はどのようなお客様がご来店されるだろうか?ボクのグラスでお客様を癒せるだろうか? 思い上がった考え方だが、それでもこの店に来てくださったお客様すべてが、この店を出るときには幸せな気持ちでいてほしい。ボクはそう思っている。 そして今日も、重苦しさを感じさせる木製のドアが開かれる。 「いらっしゃいませ。『バー・イーデンホール』へようこそ」 おわり

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