「願い」序

「「願い」序」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

「願い」序」(2012/01/04 (水) 12:01:30) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

12月18日(日) 高坂家リビング <<桐乃side>> 日曜日のお昼前というのは、どこの家でも家族の団欒の時間だろう。 我が家も日曜日ということで、リビングでは非常にまったりとした時間が流れている。 そして私は家族用に紅茶の茶葉をティーポットで蒸らし、 ゆったりと紅い色がお湯に広がるのを待っている。 「ん…こんなとこかな」 紅茶の色が十分濃くなったことを確認し、 紅茶の入ったカップをリビングのテーブルに並べていく。 なぜか私の家では麦茶は安物のパックなのに、 紅茶はお母さんがわざわざ専門のお店からいい茶葉を取り寄せている。 せっかくいい素材があるのだからと、 自分が満足できる味を出せるように紅茶の淹れ方を練習してきた。 その努力の成果として、今カップからは鼻孔をくすぐる甘い香りが漂ってくる。 リビングには私を含めて4人。みんなが私の入れた紅茶を飲んでホッと一息をつく。 「…ん。すげーうまいな。桐乃ちゃんってこういうのもできるんだな。」 「は……はぁ?」 「あ、すまん。別に悪い意味じゃないぞ。  ただ桐乃ちゃんってかわいいし、服のセンスも良くておしゃれだろ?  それに紅茶を入れるのもうまいから多才だなって思ってな。」 紅茶を一口飲むとそいつが突然意味不明なことをのたまってきたので、つい条件反射で聞き返す。 それを私が機嫌を悪くしたと勘違いしたのか、手を左右にふって謝ってくる。 ……だけならまだしも、あまつさえそいつは私のことを、 恥ずかしいくらいどストレートに褒めちぎってくる。 「かわっ!----ばっ、ばかじゃん!?  こんなのただお湯にいれるだけなんだから、誰でもできるっての!」 「あはは、そんなことないぞ。  俺も味とかはよく知らねーけど、こういうのを上手く入れるのって結構難しいんだろ?」 か…か…かわいいとか急に何言い出すのよっ!ありえないんですけど!? そんな私の心の叫びもつゆ知らず、そいつはムカつくぐらい朗らかな笑みをこぼしながら、 紅茶を味わっている。 むぅ~っと目を細めて睨みつけても、そんなものどこ吹く風とばかりに 涼しい顔をして受け流される。 そう、何を隠そうこいつは私の兄貴、超シスコンでど変態の高坂京介その人だ。 こいつがシスコンで、私のことを死ぬほど好きなのはよーーーく知っている。 でも、いつもなら私が少し睨んだだけで怯むくせに、今に限っては全く動じた様子もなく、 おいしいおいしいと連発してくる。 『ほんっっと……調子狂うな。』 私は京介のあまりの変わりように頭に軽い痛みを感じて、はぁとため息をつく。 えっと……なんでこんなことになったんだっけ。 ことの始まり何だっただろう…… そうだ――全ては2日前のあの言葉から始まったんだ。 私の中で2日前の出来事が色鮮やかに蘇ってくる。 金曜日 高坂家リビング PM6:00 「明日でかけるから。」 ソファに横たわってファッション雑誌に目を落としながら、学校から帰ってきた兄貴へと話かける。 冷蔵庫から麦茶パックを取りだそうとしていた兄貴は、 突然声をかけられて少し驚いたように振り返る。 「はぁ?なんだよいきなり?  別に俺に言わなくても勝手に出かけりゃいいだろう。」 「あんた、本気で言ってんの?  もちろんあんたも一緒に出かけるに決まってんでしょ。」 「俺もかよっ!?  ……あのなぁ、俺ももうすぐ受験なんだぞ? 土日くらいじっくり勉強させてくれよ。  それに一緒に遊ぶなら黒猫かあやせとで行けばいいじゃねーか。」 ソファの上に座り直しふふんっとばかりに答えると、兄貴も負けじと言い返してくる。 だけど、甘い甘い。あんたの反論なんか最初から予測してるに決まってんでしょ? 「はぁ?ばかじゃん?  そんなの毎日しっかり勉強してたら1日くらい余裕でしょ?  それにみんなにはあんたを誘う前に聞いてみたに決まってんじゃん。  みんな予定があるから、仕方なくあんたを誘ってやってんのよ。  なに?こんなかわいい妹が付き合ってやるっていってるんだから、断る理由なんてなくない?」 「お前はなんでいつもそんな上からなんだよ……。  たくっ仕方ねーな。わかったよ!明日1日だけだからな!」 はい、完全論破達成☆ 一応弁明しておいてやると、兄貴は見た目は地味だけど、そこまで頭が悪いわけではない。 勉強はそこそこできるし、最近だと夜遅くまで机に向かっている日が多くなってる。 それに前回の模試の結果でもA判定をもらっていたってお母さんも上機嫌に言ってたしね。 実際1日勉強をせずにリフレッシュしたほうが、兄貴にとっていいストレス発散になるだろう。 「で、どこにいくんだよ? 」 「…ん?んっとね、今回は秋葉原でおもしろいイベントがあるんだ。」 「おもしろいイベントねー。一体どんなのだ?」 「ふっふ~ん。それは明日着いてからのお楽しみにとっときなさい。」 「へえへえ。わかりましたよ。んじゃ明日は……。」 その後のやり取りはどちらも馴れたものだ。 明日の時間を決めたり、兄貴の服を私好みの物に指定したりして、 金曜の夜はあっという間に過ぎて行った。 12月17日(土)秋葉原電気街口 空はぶ厚い雲に覆われており、全体的に秋葉原には薄暗い雰囲気が作り出されている。 天気予報では夜から雨が降るという予報だったが、 今にも泣き出しそうな空は私の気分も憂鬱なものにさせる。 この時期にしては寒さも相当なもので、私の吐く白い息が風に流され空に小さな軌跡を残していく。 そんな寒さの中、さすがにあんた達薄着すぎるでしょって格好をしたメイドさんたちが、 駅から出てくる人達にお店のチラシを配っている。 周りにはそんな寒さなんて関係ないとばかりに、 オタクから外国人まで本当に多種多様の人達で溢れ返り、駅前には特有の熱気で包まれている。 そんな秋葉原ではお馴染みの光景を見やりながら 「………遅い。」 私はどうしようもないくらいにイラついていた。 今日の出で立ちは膝上まである黒いブーツを履き、 明るめの茶色いコートの胸元からは白いシャツと青色のインナーが見え隠れしている。 まさにファッション誌から飛び出してきたモデルような雰囲気(実際に読者モデルなのだが)で、 通り過ぎる人たちがちらちらと桐乃のほうを窺う。 そんな秋葉原では珍しい服装をした美少女が『私すっごく不機嫌ですよ』といった顔で、 どす黒いオーラを辺りに撒き散らしている。 何人か声をかけようと近づく猛者もいたが、そのオーラに怖気づいてあっさりと立ち去るか、 遠くから眺めるだけとなっている。なんともシュールな光景である。 「ちっ。」 私はイライラを隠すことは一切せず、舌打ちをしながら腕時計に目を移す。 AM9:30 腕時計はさっき見た時から2分程進んだ時間を伝えてくる。 時計を見た回数なんてもう忘れてしまったが、駅に到着してから長針はすでに半回転はしている。 『女の子を寒空の下で30分も待たせるなんて、何考えてんのあのバカ兄貴は!? わざわざ待ち合わせにしてやったんだから、男の方が先に待ち合わせ場所に居るのがマナーでしょ!マナー!!』 私は怒りに燃える心の中で、兄貴へとありったけの罵声を浴びせなんとか理性を保っていた。 ……もし、桐乃の腕時計に意志があるならば、こうツッこんでいただろう。 「さすがに待ち合わせ1時間前に到着するご主人様の方が悪いっすよ」と。 そんな時計の主への気持ち(?)も知らず、桐乃の理不尽な文句はまだ続く。 『ていうか読モの私が地味なあいつに似合う服をわざわざ選んでやったのよ? それに感謝して待ち合わせ2時間前に来るのが男として、いやヒトとしての常識でしょ! そんな常識がなくて大学に行けると思ってんの!?3年くらい勉強し直してこいっつーの!!』 イライラを発散させるために頭の中で兄貴に即死コンボを何度も何度も叩き込む。 兄貴(イメージ)がボロボロになり頭上に死兆星が輝きだしたころ、 改札からかわいらしいメイドの服装をした2人組の女の子が、 黄色い声ではしゃぎながらこちらに歩いてくる。 「ねえ。さっきの男の子、結構かっこよくなかった?」 「あ~私も思った!雑誌のモデルさんっぽかったよね?」 「だよねー。いいなー。誰かと待ち合わせしてるのかな?」 「ちょっと~、仕事前にナンパとかしないでよぉ~?」 「そんなことしないわよ!もう!………ねぇ、今から仕事ってキャンセルできるかな?」 「……本気?」 メイドさん二人組が冗談(?)を交わしながら私の横を通り過ぎてゆく。 ちょうど兄貴(イメージ)に百烈拳をぶち込んでスッキリしたこともあり、 その二人の会話が耳に入ってくる。 『ふ~ん?』 仕事として読モをしているから、そういった服装やお洒落といった単語はやっぱり気になってしまう。 ようやく腕時計から改札の方へと目を移す。 すると図ったかのように改札の向こうからあの馬鹿兄貴が歩いてくる姿が見えた。 兄貴は少し辺りを見回して、私を見つけると片手を上げながら私の方に近づいてくる。 「おう、桐乃。待ったか?」 今日の兄貴は、下は細身のジーパンで、上は真っ黒なロングTシャツの上に、 厚地で藍色のカーディガン、そして雪のようにまっ白なダウンジャケットを羽織っている。 もちろん地味なこいつがこんなおしゃれな服を自分で買うわけはない。 この前、渋谷で兄貴を買い物に付き合わせたときに私がブランド店で選んでやったものだ。 「待ったに決まってんでしょ!あんた、今何時だと思ってるわけ?」 「え?今は……まだ9時半だよな。  ……お前、もしかしてずっと前から待ってたのか?」 「は…はぁ?何都合のいいこと言ってんのよ。  私はただ今日のイベントに間に合わないか心配してただけだし。」 「ほんとか~?」 時計を見て時間を確認した兄貴にあっさりと図星を突かれて、 思わず適当な言い訳を並べてしまう。 その反応を見て、兄貴はニヤニヤ笑いながら顔を近づけてくる。 くそぅ、したり顔でニヤけんな!ていうか顔が近いっつーの!! 「もう!いいからさっさと会場にいくよ!?  本当に遅れたらあんたのせいだからね!」 「へーへー。わかったよ。  って、俺まだ何のイベントか全く教えてもらってねーんだけど?」 「ん。今日はね、星野くららさんのサイン会があるんだ。」 「へぇ、サン会か。星野きららってメルルの声優だよな?」 「そうそう。それでね、今回はあのシスカリにメルちゃんが参戦する特別版、  『シス×メル』の体験版配布があるの!  その記念ってことでくららさんのサイン会もあるんだ。」    シスカリというのは、正式名称『真妹大殲 シスカリプス』。 これは「ありす+」制作の妹もの3D対戦型格闘ゲームで、 黒猫や兄貴と遊ぶ時には必需品となっている。 前からシスカリでメルちゃんを使えたらいいなぁ~って思っていたから、 今回のイベントはずっと前から目をつけていたのだ。 「なるほどな。それじゃあ俺もそのサイン会に並べばいいのか? 」 「はぁ?そんなわけないじゃん?  あんたにはちゃんとやってもらうことがあるんだから。  はい、これ。」 「……はい?」 私がそう言うと、事情を知らない兄貴の頭の上には?マークが飛び出す。 そんな兄貴に家から持ってきたカメラをちょっと強引に手渡す。 「それじゃあよろしくね。兄貴♪」 <<京介side>> ……なるほどな 。 俺は桐乃から渡されたカメラを片手に持ち、思わずため息をつく。 到着した店の前には、メルルの立て札がデカデカと設置されており、 今回のイベントの規模の大きさを表している。店の中はいわゆる、 大きなお友達でごった返しの状態になっており、 声優のサイン会に並ぶ列が店の奥のイベントスペースから入り口近くまで長々と伸びていた。 コミケとかで慣れてきたとはいえ、こういうイベントのときのオタクの方々のパワーには本当に恐れ入る。 だって、外から見ただけで店内の熱気がすさまじいのがわかるんだぜ? 我が妹も先程、 「あーー!やっぱりすっごい並んでるじゃない。あんたが遅れてきたからだかんね。  責任としてお昼ごはんはあんたのおごりね!」 と理不尽な言葉を言い残すや、俺の答えも聞かずに猛ダッシュで列の中に向かっていった。 そして、俺は俺で自身に与えられたミッションを達成するために戦場に目を向ける。 サイン会の列の横には、もう一つのイベントスペースがあり、 これまた多くのオタク達で山ができている。 その近くには、「日本の科学力は世界一ィィィ!星くずうぃっちが3Dに!!」と大きく書かれた垂れ幕がかけられている。 そして、オタク達の野太い歓声とシャッターの音が様々な場所から響き渡っている。 今の俺にとっちゃ最高のシュチエーションだよ、ほんと。 今このオタクの輪の中心でポーズをとり笑顔を振りまいているのは、俺もよく知る二人だった。 星くずウィッチメルルのメルルこと桐乃の表の友達の加奈子と、 アルこと金髪幼女でイギリス人のブリジットだ。 この2人とは以前にあやせからの頼みで、マネージャーとして一緒に仕事をした関係である。 桐乃から聞いた話では、2度のイベントが大成功を収めたため、 2人は事務所からの評価も鰻登りで、その後も様々なイベントに引っ張りだこ状態らしい。 そう、そして桐乃からのミッションは、この2人の撮影会に参加してカメラに収めてくることだった。 なんでも、 「加奈子に自分のことはバレたくない、けど2人の写真は死ぬほど欲しい。 だからあんたが代わりに加奈子とブリジットの写真を撮ってこい! 」 ってことらしい。 確かに納得できる内容なんだが、俺のことがバレることは桐乃にとっては全く問題無いらしい。 「メルルちゃんこっち!こっち! 」 「アルちゃーーん!萌ーー!こっち向いて―!?」 「は~~い ♪」「はいっ!」 おっきいお友達の催促にかわいらしい笑顔で答えるメルルこと加奈子。 ブリジットもお客さんの声に1つ1つ健気に答え、愛用の剣を使って様々なポーズをとっている。 それにしてもこんな寒い季節に露出の高い服、というかほとんど紐といってもいいものを着てるのに、 寒そうな顔一つせず笑顔を振り撒くこいつらは改めてすげえと思うよ。 この2人の仕事に対する意思が非常に強いことは、マネージャーとして関わってわかったことだ。 ただ、加奈子の素を見たらここにいる全員が崖から身投げをするんじゃねーかな……。 いざミッションに立ち向かう頃には、俺は正直自分のことがバレることは無いだろうと半分開き直っていた。 加奈子にはマネージャーの時と桐乃との偽デートの時に顔を見られているが、 まぁなんとかなるだろう。 だってあいつバカな娘だし。(笑) 30分後、ようやく人混みを掻き分けて、円上のステージに近いところに陣取ることに成功する。 通勤時間の満員電車に負けず劣らずの人混みだったが、俺もそこらの素人じゃない。 コミケのあの地獄絵図に比べれば、こっちはまだまだ統率がとれているから初心者レベルだな! ……はぁ、さっさとミッションを終わらせちまうか。 自慢にもならないスキルを身につけてしまっていることに溜息をつきつつ、カメラを構える。 「こっちにも一枚たのむ!」 「はぁ~~…い?」 周りの歓声に負けないように大きめの声で呼びかける。 加奈子がその声に反応して営業スマイルをこちらに向けた瞬間、顔が一瞬だが固まった気がした。 だが、すぐにいつもの営業スマイルに戻りポーズをとる加奈子に、 気のせいかと思いカメラのレンズを向ける。 パシャパシャっ! 「よっし!ミッションコンプリートと。」 その後、10枚ほど2人の写真をデジタルカメラに収めた俺は、 再び人混みを掻き分けて店の外に出る。 「うん。どれも結構よく撮れているんじゃないかな。」 そして、念のため自分の撮影結果を確認して、ある程度の出来であることを確認する。 特に加奈子が写っている写真はどんなポーズでも目線が全てこちらに合っているから、 なかなか臨場感のあるものが撮れたと思う。 これならうちの依頼主の桐乃様も満足するだろう。 「さて、問題の桐乃はと……。」 先ほど店の中から「大ファンなんです!がんばってください!」と、 桐乃の大きな声がここまで聞こえたからもうすぐ来るだろう。 『へ。あいつも変わんねーな。』 俺は桐乃の趣味への想いや態度が変わっていないことにどこか安心して、 頬が緩むのを隠せずにいた。 <<桐乃side>> 「あー!超よかった!やっぱりくららさんはかわぃいなー!! それにこんなイイモノももらっちゃったし、最高だわ~♪」 戦利品であるサイン入りの体験版ケースと、私の身長の半分くらいあるメルちゃんのぬいぐるみを胸に抱き、 私すっごく満足しました!と声を上げる。 このメルちゃん人形はサインをもらって会場から離れる時に、 なんでも100人目のお客ということでスタッフからゲットしたものだ。 やっぱ日頃の行いがいい人には運がついてくるのよね~♪ 「よかったな。ほら、こっちもバッチリ撮れたぞ。」 「サンキュー 。どれどれ~? …あぁメルちゃんもやっぱかわゆいなぁ/// ハァハァ。」 兄貴が撮った写真を見て、その出来の良さに思わず頬が緩む。 くふふー。やっぱ加奈子もブリジットちゃんもかぁわいーなぁ。 そう言えば加奈子がまた秋葉原でイベントをやるって言ってたし、 今度は変装して生メルルを見にいかなきゃね~♪ 「はは。興奮しすぎだっつの。 それより、どっかで昼飯でも食べようぜ?思いっきり動いたから腹減ったよ。」 「ん。そだね。 それじゃこれ持って。いいお店知ってるから案内したげる。」 「……やっぱ荷物持ちは俺なんですね。そういうとこも全く変わらねーのな。」 お昼ごはんに行こうという兄貴に賛同し、持っている荷物とメルちゃんを兄貴に手渡す。 ちゃんと荷物を受け取りつつも、どこか不満めいたことを言ってくる。 「何言ってんのよ。こういうとき、女の子の荷物を持ってあげるってのは当然じゃん?  女の子を疲れさせないっていうのもエスコートする側のマナーでしょ。」 「へいへい、わかりましたよ。桐乃様。」 「ん。わかればよろしい。  んじゃ行こ?」 そんなどこにでもいる兄妹の会話をしながら、兄貴を従えて歩き出す。 駅から1つ通りを離れた店に向かうため、赤信号が変わるのを2人して待つ。 「……ありがとな、桐乃。」 「ど、どうしたの、急に?」 兄貴が何か思い出したかのように、感謝の言葉を述べてくる。 兄貴から感謝される覚えは山ほどあるけど、突然そんな言葉を向けられたことに、 思わず動揺して口ごもってしまう。 「今日のことだよ 。  なんだかんだ言って楽しいし、ストレス発散にもなっているからな 。  それにお前も高校受験が近くて追い込みで大変な時期なのに、  わざわざ俺のために時間を作ってくれたんだろ?」 「……キモ、考えすぎじゃん?」 「いいんだよ、俺がありがたいって思ってるんだからそれで。  ……ま、また2人で一緒に遊びにいくのもいいかもな 。  大学に入ったら遊ぶ時間なんていくらでもできるだろうしさ。」 不意打ち。これこそ本当に不意打ちだ! 確かに今回は兄貴のことを想って連れ出したわけだけど、 ここまではっきりと感謝の言葉を真正面から言われるとは思っていなかった。 そ、それにこれってどう聞いてもデートのお誘いじゃん! 兄貴からのデートの誘いにカァっと顔が一気に赤くなり、鼓動が速くなるのが自分でもわかる。 『や、やば!?あたし、もしかして顔真っ赤!?』 そう思うと同時に信号が赤から青へと変わる。 兄貴に赤くなっている顔を見られることが恥ずかしくて、早足で横断歩道を渡り始める 「ど、どうしてもっていうなら付き合ってやってもいいけどぉ~?」 心の中で深呼吸を繰り返し、横断歩道の真ん中でなんとか落ち着きを取り戻す。 それでもまだ赤いであろう顔を見られないように、前を向きつつ照れ隠しの言葉を投げかける。 「まぁ、あんたみたいなシスコンと遊んであげられるのは私ぐらいなもん……「っ桐乃!!」」 そう言葉を続けようとしたところに、突然後ろから名前を叫ばれる。 今まで聞いたことがないほどの大きな声に驚いて声の方に振り返ると、 兄貴がひどく焦った顔でこちらに走ってくる。 そして、私の視界にもう1つのものが入ってくる。 赤信号にも関わらず、スピードを落とさずに真っ直ぐこちらに突っ込んでくる車だ。 「え……?」 予想外のことに体が金縛りのように強張り、意味の無い言葉が口からこぼれ落ちる。 あまりの恐怖に目をつぶると、脳裏に子供のころの記憶が突然蘇る。 まだ私の足が遅く、かけっこで兄貴に追いつけず泣いている子供のころの思い出がだ。 『うえぇぇぇええん!お兄ちゃん待ってよー!?』 『へっへーん、桐乃は足遅すぎなんだよー!』 『ぞんなごどい゛わな゛いでよーー。うぇえええん!』 これが所謂走馬灯というものなんだな、とどこか冷静に感じる自分。 そしてそれ以上に兄貴と別れなくてはいけないことに心が絶望し、 黒い色に染め上げられるのを感じ、心からの想いが口に出る。 「助けてっ……お兄ちゃん。」 「っうぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」 鬼気迫る叫び声に思わず目を開くと、そこにな大好きな人の大きな手が広がっていた。 ドンッッ!!!! 強い衝撃と衝撃音。 自分の体が宙に跳ね飛ばされるのを感じ、直後に激しく地面に叩き付けられる。 背中から地面に強く打ち、そこから体が地面の上でもみくちゃに転がり一瞬息が止まる。 頭を地面に打つ度に意識が手から離れそうになるが、 衝撃が予測していたものよりも遥かに軽いためか、気を失うこともなく転がっていく。 ある程度吹き飛ばされ、体が地面の上でようやく静止するとと、 周りのつんざくような悲鳴や叫び声が耳鳴りのように響いてくる。 「う……っぐ。」 「――――ぶ!?」 あまりの痛みに身を丸め、痛みをこらえていると、 すぐに誰かが私の体を支える感触と薄ぼんやりと何かしら問いかける雰囲気が伝わってくる。 兄貴……? しこたまコンクリートの道路に打ち付けた全身に強い痛みが走るが、 それを今まで培ってきた精神力でなんとかねじ伏せて、目を開ける。 薄っすら開いた目には、不安そうにこちらを見つめている女性が映る。 「あ、気がついた!あなた、大丈夫だった!?」 まだぼんやりとした意識の中で、ようやく周りを多くの人に取り囲まれていることをなんとか把握する。 頭が痛みと衝撃で混乱して何がおこったかわからなかったが、 自分に声をかけてきている人物が兄貴ではないことを認識すると、一気に意識が覚醒する。 「――――兄貴はっ!?」 痛みが全身に走るが、それを全て無視して無理やりに体を跳ね上げる。 最後に見た兄貴の手。自分が車に轢かれそうになって、 それを兄貴が身を挺して助けようとしたのを思い出す。 「ねぇ!兄貴はっ!!?」 「っ……。」 助け起こしてくれた女性に、ほとんど掴みかかる勢いで兄貴の様子を尋ねる。 そんな私に、その女性は息を詰まらせつつ、視線をもうひとつの人だかりの方に移す。 ―――見るな。 そんな警笛が自分の心の中に響くが、それでもゆっくりとそちらの方に目を向ける。 ―――――見るな! 先ほどまで自分が立っていた場所には大量のガラスの破片と 何か赤い液体が飛び散っている。 そしてまっ白な羽のようものがある種幻想的に、宙に散らばまれている。 地面に落ちたそれの1部は赤い液体を吸い取り、生理的に吐き気を催すほどどす黒く変色していっている。 後で思い返せば、それは彼のダウンジャケットの羽毛だったんだろう。 その赤い液体はところどころ途切れつつも10mほど先まで続いており、 大きな人だかりの中に延々と伸びている。 うそ…… 私を支えてくれている女性の制止の声を無視し、自身の中で鳴り響く警笛を振り払い、 ゆっくりと私は、赤い液体に沿うようにもう一つの人だかりの方へと這い寄って行く。 うそ……うそ……うそだ……そんな…… 頭が割れるように痛む。 それが事故によるものなのか、自分の中で一気に膨れ上がるある1つの可能性を信じたくないからなのかはわからない。 私が人だかりに近づくと、野次馬たちは何か察したかのようにサッと左右に別れ、 人混みの中心まで一気に見渡せるようになる。 そして、 その中心には、大量の血の水溜りの中でうつぶせに倒れ伏せる京介がいた。 ―――――いやぁぁああああぁぁあああああああああ!!!!!!!!! 絶望に色塗られた絶叫が秋葉原の空を突き抜ける。                【序】完
12月18日(日) 高坂家リビング <<桐乃side>> 日曜日のお昼前というのは、どこの家でも家族の団欒の時間だろう。 我が家も日曜日ということで、リビングでは非常にまったりとした時間が流れている。 そして私は家族用に紅茶の茶葉をティーポットで蒸らし、 ゆったりと紅い色がお湯に広がるのを待っている。 「ん…こんなとこかな」 紅茶の色が十分濃くなったことを確認し、 紅茶の入ったカップをリビングのテーブルに並べていく。 なぜか私の家では麦茶は安物のパックなのに、 紅茶はお母さんがわざわざ専門のお店からいい茶葉を取り寄せている。 せっかくいい素材があるのだからと、 自分が満足できる味を出せるように紅茶の淹れ方を練習してきた。 その努力の成果として、今カップからは鼻孔をくすぐる甘い香りが漂ってくる。 リビングには私を含めて4人。みんなが私の入れた紅茶を飲んでホッと一息をつく。 「…ん。すげーうまいな。桐乃ちゃんってこういうのもできるんだな。」 「は……はぁ?」 「あ、すまん。別に悪い意味じゃないぞ。  ただ桐乃ちゃんってかわいいし、服のセンスも良くておしゃれだろ?  それに紅茶を入れるのもうまいから多才だなって思ってな。」 紅茶を一口飲むとそいつが突然意味不明なことをのたまってきたので、つい条件反射で聞き返す。 それを私が機嫌を悪くしたと勘違いしたのか、手を左右にふって謝ってくる。 ……だけならまだしも、あまつさえそいつは私のことを、 恥ずかしいくらいどストレートに褒めちぎってくる。 「かわっ!----ばっ、ばかじゃん!?  こんなのただお湯にいれるだけなんだから、誰でもできるっての!」 「あはは、そんなことないぞ。  俺も味とかはよく知らねーけど、こういうのを上手く入れるのって結構難しいんだろ?」 か…か…かわいいとか急に何言い出すのよっ!ありえないんですけど!? そんな私の心の叫びもつゆ知らず、そいつはムカつくぐらい朗らかな笑みをこぼしながら、 紅茶を味わっている。 むぅ~っと目を細めて睨みつけても、そんなものどこ吹く風とばかりに 涼しい顔をして受け流される。 そう、何を隠そうこいつは私の兄貴、超シスコンでど変態の高坂京介その人だ。 こいつがシスコンで、私のことを死ぬほど好きなのはよーーーく知っている。 でも、いつもなら私が少し睨んだだけで怯むくせに、今に限っては全く動じた様子もなく、 おいしいおいしいと連発してくる。 『ほんっっと……調子狂うな。』 私は京介のあまりの変わりように頭に軽い痛みを感じて、はぁとため息をつく。 えっと……なんでこんなことになったんだっけ。 ことの始まり何だっただろう…… そうだ――全ては2日前のあの言葉から始まったんだ。 私の中で2日前の出来事が色鮮やかに蘇ってくる。 金曜日 高坂家リビング PM6:00 「明日でかけるから。」 ソファに横たわってファッション雑誌に目を落としながら、学校から帰ってきた兄貴へと話かける。 冷蔵庫から麦茶パックを取りだそうとしていた兄貴は、 突然声をかけられて少し驚いたように振り返る。 「はぁ?なんだよいきなり?  別に俺に言わなくても勝手に出かけりゃいいだろう。」 「あんた、本気で言ってんの?  もちろんあんたも一緒に出かけるに決まってんでしょ。」 「俺もかよっ!?  ……あのなぁ、俺ももうすぐ受験なんだぞ? 土日くらいじっくり勉強させてくれよ。  それに一緒に遊ぶなら黒猫かあやせとで行けばいいじゃねーか。」 ソファの上に座り直しふふんっとばかりに答えると、兄貴も負けじと言い返してくる。 だけど、甘い甘い。あんたの反論なんか最初から予測してるに決まってんでしょ? 「はぁ?ばかじゃん?  そんなの毎日しっかり勉強してたら1日くらい余裕でしょ?  それにみんなにはあんたを誘う前に聞いてみたに決まってんじゃん。  みんな予定があるから、仕方なくあんたを誘ってやってんのよ。  なに?こんなかわいい妹が付き合ってやるっていってるんだから、断る理由なんてなくない?」 「お前はなんでいつもそんな上からなんだよ……。  たくっ仕方ねーな。わかったよ!明日1日だけだからな!」 はい、完全論破達成☆ 一応弁明しておいてやると、兄貴は見た目は地味だけど、そこまで頭が悪いわけではない。 勉強はそこそこできるし、最近だと夜遅くまで机に向かっている日が多くなってる。 それに前回の模試の結果でもA判定をもらっていたってお母さんも上機嫌に言ってたしね。 実際1日勉強をせずにリフレッシュしたほうが、兄貴にとっていいストレス発散になるだろう。 「で、どこにいくんだよ? 」 「…ん?んっとね、今回は秋葉原でおもしろいイベントがあるんだ。」 「おもしろいイベントねー。一体どんなのだ?」 「ふっふ~ん。それは明日着いてからのお楽しみにとっときなさい。」 「へえへえ。わかりましたよ。んじゃ明日は……。」 その後のやり取りはどちらも馴れたものだ。 明日の時間を決めたり、兄貴の服を私好みの物に指定したりして、 金曜の夜はあっという間に過ぎて行った。 12月17日(土)秋葉原電気街口 空はぶ厚い雲に覆われており、全体的に秋葉原には薄暗い雰囲気が作り出されている。 天気予報では夜から雨が降るという予報だったが、 今にも泣き出しそうな空は私の気分も憂鬱なものにさせる。 この時期にしては寒さも相当なもので、私の吐く白い息が風に流され空に小さな軌跡を残していく。 そんな寒さの中、さすがにあんた達薄着すぎるでしょって格好をしたメイドさんたちが、 駅から出てくる人達にお店のチラシを配っている。 周りにはそんな寒さなんて関係ないとばかりに、 オタクから外国人まで本当に多種多様の人達で溢れ返り、駅前には特有の熱気で包まれている。 そんな秋葉原ではお馴染みの光景を見やりながら 「………遅い。」 私はどうしようもないくらいにイラついていた。 今日の出で立ちは膝上まである黒いブーツを履き、 明るめの茶色いコートの胸元からは白いシャツと青色のインナーが見え隠れしている。 まさにファッション誌から飛び出してきたモデルような雰囲気(実際に読者モデルなのだが)で、 通り過ぎる人たちがちらちらと桐乃のほうを窺う。 そんな秋葉原では珍しい服装をした美少女が『私すっごく不機嫌ですよ』といった顔で、 どす黒いオーラを辺りに撒き散らしている。 何人か声をかけようと近づく猛者もいたが、そのオーラに怖気づいてあっさりと立ち去るか、 遠くから眺めるだけとなっている。なんともシュールな光景である。 「ちっ。」 私はイライラを隠すことは一切せず、舌打ちをしながら腕時計に目を移す。 AM9:30 腕時計はさっき見た時から2分程進んだ時間を伝えてくる。 時計を見た回数なんてもう忘れてしまったが、駅に到着してから長針はすでに半回転はしている。 『女の子を寒空の下で30分も待たせるなんて、何考えてんのあのバカ兄貴は!? わざわざ待ち合わせにしてやったんだから、男の方が先に待ち合わせ場所に居るのがマナーでしょ!マナー!!』 私は怒りに燃える心の中で、兄貴へとありったけの罵声を浴びせなんとか理性を保っていた。 ……もし、桐乃の腕時計に意志があるならば、こうツッこんでいただろう。 「さすがに待ち合わせ1時間前に到着するご主人様の方が悪いっすよ」と。 そんな時計の主への気持ち(?)も知らず、桐乃の理不尽な文句はまだ続く。 『ていうか読モの私が地味なあいつに似合う服をわざわざ選んでやったのよ? それに感謝して待ち合わせ2時間前に来るのが男として、いやヒトとしての常識でしょ! そんな常識がなくて大学に行けると思ってんの!?3年くらい勉強し直してこいっつーの!!』 イライラを発散させるために頭の中で兄貴に即死コンボを何度も何度も叩き込む。 兄貴(イメージ)がボロボロになり頭上に死兆星が輝きだしたころ、 改札からかわいらしいメイドの服装をした2人組の女の子が、 黄色い声ではしゃぎながらこちらに歩いてくる。 「ねえ。さっきの男の子、結構かっこよくなかった?」 「あ~私も思った!雑誌のモデルさんっぽかったよね?」 「だよねー。いいなー。誰かと待ち合わせしてるのかな?」 「ちょっと~、仕事前にナンパとかしないでよぉ~?」 「そんなことしないわよ!もう!………ねぇ、今から仕事ってキャンセルできるかな?」 「……本気?」 メイドさん二人組が冗談(?)を交わしながら私の横を通り過ぎてゆく。 ちょうど兄貴(イメージ)に百烈拳をぶち込んでスッキリしたこともあり、 その二人の会話が耳に入ってくる。 『ふ~ん?』 仕事として読モをしているから、そういった服装やお洒落といった単語はやっぱり気になってしまう。 ようやく腕時計から改札の方へと目を移す。 すると図ったかのように改札の向こうからあの馬鹿兄貴が歩いてくる姿が見えた。 兄貴は少し辺りを見回して、私を見つけると片手を上げながら私の方に近づいてくる。 「おう、桐乃。待ったか?」 今日の兄貴は、下は細身のジーパンで、上は真っ黒なロングTシャツの上に、 厚地で藍色のカーディガン、そして雪のようにまっ白なダウンジャケットを羽織っている。 もちろん地味なこいつがこんなおしゃれな服を自分で買うわけはない。 この前、渋谷で兄貴を買い物に付き合わせたときに私がブランド店で選んでやったものだ。 「待ったに決まってんでしょ!あんた、今何時だと思ってるわけ?」 「え?今は……まだ9時半だよな。  ……お前、もしかしてずっと前から待ってたのか?」 「は…はぁ?何都合のいいこと言ってんのよ。  私はただ今日のイベントに間に合わないか心配してただけだし。」 「ほんとか~?」 時計を見て時間を確認した兄貴にあっさりと図星を突かれて、 思わず適当な言い訳を並べてしまう。 その反応を見て、兄貴はニヤニヤ笑いながら顔を近づけてくる。 くそぅ、したり顔でニヤけんな!ていうか顔が近いっつーの!! 「もう!いいからさっさと会場にいくよ!?  本当に遅れたらあんたのせいだからね!」 「へーへー。わかったよ。  って、俺まだ何のイベントか全く教えてもらってねーんだけど?」 「ん。今日はね、星野くららさんのサイン会があるんだ。」 「へぇ、サン会か。星野きららってメルルの声優だよな?」 「そうそう。それでね、今回はあのシスカリにメルちゃんが参戦する特別版、  『シス×メル』の体験版配布があるの!  その記念ってことでくららさんのサイン会もあるんだ。」    シスカリというのは、正式名称『真妹大殲 シスカリプス』。 これは「ありす+」制作の妹もの3D対戦型格闘ゲームで、 黒猫や兄貴と遊ぶ時には必需品となっている。 前からシスカリでメルちゃんを使えたらいいなぁ~って思っていたから、 今回のイベントはずっと前から目をつけていたのだ。 「なるほどな。それじゃあ俺もそのサイン会に並べばいいのか? 」 「はぁ?そんなわけないじゃん?  あんたにはちゃんとやってもらうことがあるんだから。  はい、これ。」 「……はい?」 私がそう言うと、事情を知らない兄貴の頭の上には?マークが飛び出す。 そんな兄貴に家から持ってきたカメラをちょっと強引に手渡す。 「それじゃあよろしくね。兄貴♪」 <<京介side>> ……なるほどな 。 俺は桐乃から渡されたカメラを片手に持ち、思わずため息をつく。 到着した店の前には、メルルの立て札がデカデカと設置されており、 今回のイベントの規模の大きさを表している。店の中はいわゆる、 大きなお友達でごった返しの状態になっており、 声優のサイン会に並ぶ列が店の奥のイベントスペースから入り口近くまで長々と伸びていた。 コミケとかで慣れてきたとはいえ、こういうイベントのときのオタクの方々のパワーには本当に恐れ入る。 だって、外から見ただけで店内の熱気がすさまじいのがわかるんだぜ? 我が妹も先程、 「あーー!やっぱりすっごい並んでるじゃない。あんたが遅れてきたからだかんね。  責任としてお昼ごはんはあんたのおごりね!」 と理不尽な言葉を言い残すや、俺の答えも聞かずに猛ダッシュで列の中に向かっていった。 そして、俺は俺で自身に与えられたミッションを達成するために戦場に目を向ける。 サイン会の列の横には、もう一つのイベントスペースがあり、 これまた多くのオタク達で山ができている。 その近くには、「日本の科学力は世界一ィィィ!星くずうぃっちが3Dに!!」と大きく書かれた垂れ幕がかけられている。 そして、オタク達の野太い歓声とシャッターの音が様々な場所から響き渡っている。 今の俺にとっちゃ最高のシュチエーションだよ、ほんと。 今このオタクの輪の中心でポーズをとり笑顔を振りまいているのは、俺もよく知る二人だった。 星くずウィッチメルルのメルルこと桐乃の表の友達の加奈子と、 アルこと金髪幼女でイギリス人のブリジットだ。 この2人とは以前にあやせからの頼みで、マネージャーとして一緒に仕事をした関係である。 桐乃から聞いた話では、2度のイベントが大成功を収めたため、 2人は事務所からの評価も鰻登りで、その後も様々なイベントに引っ張りだこ状態らしい。 そう、そして桐乃からのミッションは、この2人の撮影会に参加してカメラに収めてくることだった。 なんでも、 「加奈子に自分のことはバレたくない、けど2人の写真は死ぬほど欲しい。 だからあんたが代わりに加奈子とブリジットの写真を撮ってこい! 」 ってことらしい。 確かに納得できる内容なんだが、俺のことがバレることは桐乃にとっては全く問題無いらしい。 「メルルちゃんこっち!こっち! 」 「アルちゃーーん!萌ーー!こっち向いて―!?」 「は~~い ♪」「はいっ!」 おっきいお友達の催促にかわいらしい笑顔で答えるメルルこと加奈子。 ブリジットもお客さんの声に1つ1つ健気に答え、愛用の剣を使って様々なポーズをとっている。 それにしてもこんな寒い季節に露出の高い服、というかほとんど紐といってもいいものを着てるのに、 寒そうな顔一つせず笑顔を振り撒くこいつらは改めてすげえと思うよ。 この2人の仕事に対する意思が非常に強いことは、マネージャーとして関わってわかったことだ。 ただ、加奈子の素を見たらここにいる全員が崖から身投げをするんじゃねーかな……。 いざミッションに立ち向かう頃には、俺は正直自分のことがバレることは無いだろうと半分開き直っていた。 加奈子にはマネージャーの時と桐乃との偽デートの時に顔を見られているが、 まぁなんとかなるだろう。 だってあいつバカな娘だし。(笑) 30分後、ようやく人混みを掻き分けて、円上のステージに近いところに陣取ることに成功する。 通勤時間の満員電車に負けず劣らずの人混みだったが、俺もそこらの素人じゃない。 コミケのあの地獄絵図に比べれば、こっちはまだまだ統率がとれているから初心者レベルだな! ……はぁ、さっさとミッションを終わらせちまうか。 自慢にもならないスキルを身につけてしまっていることに溜息をつきつつ、カメラを構える。 「こっちにも一枚たのむ!」 「はぁ~~…い?」 周りの歓声に負けないように大きめの声で呼びかける。 加奈子がその声に反応して営業スマイルをこちらに向けた瞬間、顔が一瞬だが固まった気がした。 だが、すぐにいつもの営業スマイルに戻りポーズをとる加奈子に、 気のせいかと思いカメラのレンズを向ける。 パシャパシャっ! 「よっし!ミッションコンプリートと。」 その後、10枚ほど2人の写真をデジタルカメラに収めた俺は、 再び人混みを掻き分けて店の外に出る。 「うん。どれも結構よく撮れているんじゃないかな。」 そして、念のため自分の撮影結果を確認して、ある程度の出来であることを確認する。 特に加奈子が写っている写真はどんなポーズでも目線が全てこちらに合っているから、 なかなか臨場感のあるものが撮れたと思う。 これならうちの依頼主の桐乃様も満足するだろう。 「さて、問題の桐乃はと……。」 先ほど店の中から「大ファンなんです!がんばってください!」と、 桐乃の大きな声がここまで聞こえたからもうすぐ来るだろう。 『へ。あいつも変わんねーな。』 俺は桐乃の趣味への想いや態度が変わっていないことにどこか安心して、 頬が緩むのを隠せずにいた。 <<桐乃side>> 「あー!超よかった!やっぱりくららさんはかわぃいなー!! それにこんなイイモノももらっちゃったし、最高だわ~♪」 戦利品であるサイン入りの体験版ケースと、私の身長の半分くらいあるメルちゃんのぬいぐるみを胸に抱き、 私すっごく満足しました!と声を上げる。 このメルちゃん人形はサインをもらって会場から離れる時に、 なんでも100人目のお客ということでスタッフからゲットしたものだ。 やっぱ日頃の行いがいい人には運がついてくるのよね~♪ 「よかったな。ほら、こっちもバッチリ撮れたぞ。」 「サンキュー 。どれどれ~? …あぁメルちゃんもやっぱかわゆいなぁ/// ハァハァ。」 兄貴が撮った写真を見て、その出来の良さに思わず頬が緩む。 くふふー。やっぱ加奈子もブリジットちゃんもかぁわいーなぁ。 そう言えば加奈子がまた秋葉原でイベントをやるって言ってたし、 今度は変装して生メルルを見にいかなきゃね~♪ 「はは。興奮しすぎだっつの。 それより、どっかで昼飯でも食べようぜ?思いっきり動いたから腹減ったよ。」 「ん。そだね。 それじゃこれ持って。いいお店知ってるから案内したげる。」 「……やっぱ荷物持ちは俺なんですね。そういうとこも全く変わらねーのな。」 お昼ごはんに行こうという兄貴に賛同し、持っている荷物とメルちゃんを兄貴に手渡す。 ちゃんと荷物を受け取りつつも、どこか不満めいたことを言ってくる。 「何言ってんのよ。こういうとき、女の子の荷物を持ってあげるってのは当然じゃん?  女の子を疲れさせないっていうのもエスコートする側のマナーでしょ。」 「へいへい、わかりましたよ。桐乃様。」 「ん。わかればよろしい。  んじゃ行こ?」 そんなどこにでもいる兄妹の会話をしながら、兄貴を従えて歩き出す。 駅から1つ通りを離れた店に向かうため、赤信号が変わるのを2人して待つ。 「……ありがとな、桐乃。」 「ど、どうしたの、急に?」 兄貴が何か思い出したかのように、感謝の言葉を述べてくる。 兄貴から感謝される覚えは山ほどあるけど、突然そんな言葉を向けられたことに、 思わず動揺して口ごもってしまう。 「今日のことだよ 。  なんだかんだ言って楽しいし、ストレス発散にもなっているからな 。  それにお前も高校受験が近くて追い込みで大変な時期なのに、  わざわざ俺のために時間を作ってくれたんだろ?」 「……キモ、考えすぎじゃん?」 「いいんだよ、俺がありがたいって思ってるんだからそれで。  ……ま、また2人で一緒に遊びにいくのもいいかもな 。  大学に入ったら遊ぶ時間なんていくらでもできるだろうしさ。」 不意打ち。これこそ本当に不意打ちだ! 確かに今回は兄貴のことを想って連れ出したわけだけど、 ここまではっきりと感謝の言葉を真正面から言われるとは思っていなかった。 そ、それにこれってどう聞いてもデートのお誘いじゃん! 兄貴からのデートの誘いにカァっと顔が一気に赤くなり、鼓動が速くなるのが自分でもわかる。 『や、やば!?あたし、もしかして顔真っ赤!?』 そう思うと同時に信号が赤から青へと変わる。 兄貴に赤くなっている顔を見られることが恥ずかしくて、早足で横断歩道を渡り始める 「ど、どうしてもっていうなら付き合ってやってもいいけどぉ~?」 心の中で深呼吸を繰り返し、横断歩道の真ん中でなんとか落ち着きを取り戻す。 それでもまだ赤いであろう顔を見られないように、前を向きつつ照れ隠しの言葉を投げかける。 「まぁ、あんたみたいなシスコンと遊んであげられるのは私ぐらいなもん……「っ桐乃!!」」 そう言葉を続けようとしたところに、突然後ろから名前を叫ばれる。 今まで聞いたことがないほどの大きな声に驚いて声の方に振り返ると、 兄貴がひどく焦った顔でこちらに走ってくる。 そして、私の視界にもう1つのものが入ってくる。 赤信号にも関わらず、スピードを落とさずに真っ直ぐこちらに突っ込んでくる車だ。 「え……?」 予想外のことに体が金縛りのように強張り、意味の無い言葉が口からこぼれ落ちる。 あまりの恐怖に目をつぶると、脳裏に子供のころの記憶が突然蘇る。 まだ私の足が遅く、かけっこで兄貴に追いつけず泣いている子供のころの思い出がだ。 『うえぇぇぇええん!お兄ちゃん待ってよー!?』 『へっへーん、桐乃は足遅すぎなんだよー!』 『ぞんなごどい゛わな゛いでよーー。うぇえええん!』 これが所謂走馬灯というものなんだな、とどこか冷静に感じる自分。 そしてそれ以上に兄貴と別れなくてはいけないことに心が絶望し、 黒い色に染め上げられるのを感じ、心からの想いが口に出る。 「助けてっ……お兄ちゃん。」 「っうぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」 鬼気迫る叫び声に思わず目を開くと、そこにな大好きな人の大きな手が広がっていた。 ドンッッ!!!! 強い衝撃と衝撃音。 自分の体が宙に跳ね飛ばされるのを感じ、直後に激しく地面に叩き付けられる。 背中から地面に強く打ち、そこから体が地面の上でもみくちゃに転がり一瞬息が止まる。 頭を地面に打つ度に意識が手から離れそうになるが、 衝撃が予測していたものよりも遥かに軽いためか、気を失うこともなく転がっていく。 ある程度吹き飛ばされ、体が地面の上でようやく静止するとと、 周りのつんざくような悲鳴や叫び声が耳鳴りのように響いてくる。 「う……っぐ。」 「――――ぶ!?」 あまりの痛みに身を丸め、痛みをこらえていると、 すぐに誰かが私の体を支える感触と薄ぼんやりと何かしら問いかける雰囲気が伝わってくる。 兄貴……? しこたまコンクリートの道路に打ち付けた全身に強い痛みが走るが、 それを今まで培ってきた精神力でなんとかねじ伏せて、目を開ける。 薄っすら開いた目には、不安そうにこちらを見つめている女性が映る。 「あ、気がついた!あなた、大丈夫だった!?」 まだぼんやりとした意識の中で、ようやく周りを多くの人に取り囲まれていることをなんとか把握する。 頭が痛みと衝撃で混乱して何がおこったかわからなかったが、 自分に声をかけてきている人物が兄貴ではないことを認識すると、一気に意識が覚醒する。 「――――兄貴はっ!?」 痛みが全身に走るが、それを全て無視して無理やりに体を跳ね上げる。 最後に見た兄貴の手。自分が車に轢かれそうになって、 それを兄貴が身を挺して助けようとしたのを思い出す。 「ねぇ!兄貴はっ!!?」 「っ……。」 助け起こしてくれた女性に、ほとんど掴みかかる勢いで兄貴の様子を尋ねる。 そんな私に、その女性は息を詰まらせつつ、視線をもうひとつの人だかりの方に移す。 ―――見るな。 そんな警笛が自分の心の中に響くが、それでもゆっくりとそちらの方に目を向ける。 ―――――見るな! 先ほどまで自分が立っていた場所には大量のガラスの破片と 何か赤い液体が飛び散っている。 そしてまっ白な羽のようものがある種幻想的に、宙に散らばまれている。 地面に落ちたそれの1部は赤い液体を吸い取り、生理的に吐き気を催すほどどす黒く変色していっている。 後で思い返せば、それは彼のダウンジャケットの羽毛だったんだろう。 その赤い液体はところどころ途切れつつも10mほど先まで続いており、 大きな人だかりの中に延々と伸びている。 うそ…… 私を支えてくれている女性の制止の声を無視し、自身の中で鳴り響く警笛を振り払い、 ゆっくりと私は、赤い液体に沿うようにもう一つの人だかりの方へと這い寄って行く。 うそ……うそ……うそだ……そんな…… 頭が割れるように痛む。 それが事故によるものなのか、自分の中で一気に膨れ上がるある1つの可能性を信じたくないからなのかはわからない。 私が人だかりに近づくと、野次馬たちは何か察したかのようにサッと左右に別れ、 人混みの中心まで一気に見渡せるようになる。 そして、 その中心には、大量の血の水溜りの中でうつぶせに倒れ伏せる京介がいた。 ―――――いやぁぁああああぁぁあああああああああ!!!!!!!!! 絶望に色塗られた絶叫が秋葉原の空を突き抜ける。                【序】完

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。