一日遅れのWhite Day:8スレ目744

744 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:30:05.86 ID:YvXyKbmfo [2/16]

春まだ浅い三月のとある日曜日――
俺はリビングのソファに寝そべりながら、外の気配に全神経を集中していた。
日曜日にもかかわらず、今朝も親父は当然のように仕事へ出掛けて行き、
お袋も隣りの奥さんと買物に行くと言って先ほど家を出て行った。
そんな中、何で俺一人が家で留守番なんかしているのかと言えば、
先日通販で買った品物が、宅配便で今日届く予定になっているからだ。

ソファに置いてあった女性週刊誌を暇つぶしに読みながら待っていると、
ようやく家の前でトラックの止まる音が聞こえた。
俺はテーブルの上に予め用意していたハンコを持って、そそくさと玄関へ向かった。
宅配便のお兄ちゃんから品物を受け取り、伝票にハンコを押す。
生まれて初めて通販ってのを利用してみたけど、悪くねえな。
店で買うのが恥ずかしいような物でも、通販なら何の問題もねえしな。

「さてと、これで一応の準備は出来たってことだ。
 残る問題は、これをどうやってあいつに渡すかだなぁ……」

俺が通販で買った品物は、何を隠そうホワイトデーに渡すための贈り物だ。
幼馴染の麻奈実は、毎年バレンタインデーには必ず俺にチョコをくれる。
毎年もらうけど、俺から麻奈実にホワイトデーにお返しをしたことはない。
当然今回のホワイトデーだって、俺が麻奈実にお返しをすることはない。
なら、何でわざわざ通販でお取り寄せまでしたかっつーと、これにはわけがある。

「あやせも、これなら喜んで受け取ってくれっかもな。
 ……待ってろよラブリーマイエンジェルあやせたん!」

あとはホワイトデーにこれを渡しながら、俺があやせに愛を告白するだけじゃねえか。
しかし、直接電話するのは怖いんで、待ち合わせの場所と日時はメールを送って置いた。
ここまでくれば、幾らあやせだって俺の愛を受け容れるしかあんめえ?

「もしかして、俺って完璧じゃね?」

俺があやせに渡す生チョコの詰め合わせを持って階段を上る時、
思わず足がもつれてすっころんだのも愛嬌ってモンさ。

745 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:30:43.11 ID:YvXyKbmfo [3/16]

春休みを目前に控えた教室には、何となくのんびりとした空気が漂っている。
放課後になったらいつもの公園に来てくれと、あやせには既にメールしてある。
あいつからは、今日になっても一切返信はなかったけどな。
でも、そんなことを気にしてたら、あやせに惚れる資格はねえよ。
放課後までもう少しの辛抱だ。
俺は頬杖を突きながら、何の気なしに教室の窓から校庭を見渡していた。

「……なんも落ちてねえよなぁ」

チャイムの鳴る音で我に返ると、速攻で教科書やらノートを鞄に詰め込んだ。
俺が先に公園へ行って、あやせを待ってるくらいじゃないと、今回の作戦は成功しねえ。

「じゃあなっ、赤城。また明日なっ」
「高坂、そんな急いで何か用でもあんのかよ。もしかして、田村さんと――」
「麻奈実はなんも関係ねーよ。大体あいつ、今日は委員会があるって言ってたしな」

赤城のくだらない詮索を振り切り、教室を足早に出ようとすると背後から声がした。
聞き馴染みのあるその声に、俺は顔を引きつらせながらもゆっくりと振り返った。

「きょうちゃん、一緒に帰ろ~」
「……麻奈実? 今日は委員会があるからって、言ってなかったか?」
「あ~も~きょうちゃんたら。忘れちゃったのかな~?
 委員会は延期になりましたって、お昼休みに言ったでしょ~」
「いや、忘れたんじゃなくて、たぶん俺が聞いてなかっただけだ」

放課後に予定しているあやせイベントのことで頭がいっぱいなもんだから、
昼休みに麻奈実が俺に話し掛けて来たことすら記憶になかった。
赤城はこの際いいとしても、この情況で麻奈実まで振り切って帰るわけにもいかねえ。
俺は仕方なく、麻奈実と揃って教室を出ることになった。

746 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:31:11.29 ID:YvXyKbmfo [4/16]

学校からの帰り道、麻奈実が思わせ振りなことを俺に言い始めた。
今朝一緒に登校する時も、教室で声を掛けて来た時も何か様子が変だったから、
俺も何となく気にはなっていたことは確かだ。

「ねぇ、きょうちゃん、今日は何の日だったかなぁ~」
「麻奈実の誕生日だったか?」
「もう~そんなわけないでしょ~。
 きょうちゃんたら、知っててそんなこと言うんだから~。ぷんぷん」

いつもながら麻奈実の会話には擬態語が混じっちゃいるが、そんなことに構っている暇はない。
一刻も早く麻奈実を振り切って、あやせとの約束の場所へ行かなくちゃなんねえ。
それに、いきなり何の日かって聞かれても、あやせイベントの日ってことしか思い浮かばねえよ。
今日はバレンタインにチョコをもらった男共が、くれた相手にお返しを――って、まさかなっ!
まさか麻奈実のヤツ、俺からのお返しを期待してるってか?

「きょうちゃん、今日は三月十四日だよね~。……何の日だったかな~」

麻奈実からは毎年もらうばっかりで、俺も悪いとは思ってたんだが、
なにも今年に限って催促するようなことを言わなくてもいいじゃねえか。
俺は麻奈実がホワイトデーを知ってたってのも驚きだったが、
自分から催促をするような台詞を吐いたことには更に驚かされた。

「……きょっ、きょうちゃん……ほわ、ほわ、ほわ」

何をほわほわ言ってるんだか。
ホワイトデーと言いたいんだろうが、このあたりが麻奈実の限界だろう。
元来地味で控えめなヤツだし、俺にバレンタインデーのチョコを渡す時だって、
毎年のことなのに思いっきり恥ずかしがってたもんな。

「麻奈実、それを言うならホワイトデーだろ」
「もう~きょうちゃんたら、知ってるくせに……ほんとに意地悪なんだから~」
「で、今日がホワイトデーだからって何かあんのか?」
「えっ………………」

麻奈実は口をぽかんと開けたまま固まった。

747 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:31:45.77 ID:YvXyKbmfo [5/16]

俺はちょっとからかうつもりで、麻奈実の後頭部に軽くチョップを入れてやった。
すると麻奈実の掛けている眼鏡が、思い切りずり落ちた。

「だから今日がホワイトデーだからって、何かあんのかって」

慌てて眼鏡を掛け直しながら、麻奈実は不思議そうな顔をして俺に聞いた。

「……きょうちゃんこの前、ホワイトデーにはどんな物を贈るんだって、
 わたしに聞いたよね。……あれって?」
「………………」

忘れてた。俺はすっかり忘れてたよ。
俺はあやせからチョコをもらったことですっかり有頂天になっちまって、
すぐにあやせへのお返しが頭に浮かんじまった。
だけど、実際にお返しなんてしたことないから、思わず麻奈実に聞いちまったんだ。
当然あやせからもらったってことは伏せたけどな。
それにしても、まずいことになった。
いま俺の学生鞄の中には、あやせに渡す予定の生チョコの詰め合わせが入っている。
わざわざ通販でお取り寄せまでしたのに、これを麻奈実にやるわけにもいかねえしな。

その時、俺の頭に閃くものがあった。

「ほらっ麻奈実、これやるよ」

俺は鞄を開けると、ある物を麻奈実に手渡した。

「えっ、えっ、きょうちゃん、ありがと――って、これ……何?」
「何って、見りゃ分かるだろ。クッキー……の、ような物だ」

麻奈実は俺が渡した物をまじまじと見てから、ぼそっと呟いた。

「わたし、これ見たことある。……かろりーめいとって言うんだよね。
 弟のいわおがこの前食べてたもん」
「麻奈実、これだってクッキー……の、ような物に違いはねえだろ?」
「……そうだよね、きょうちゃん。……これもくっきーだよね。……ありが……うっ」

麻奈実の眼鏡がたちまち曇ってくるのが分かった。まずいっ! やり過ぎちまった。

748 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:32:14.69 ID:YvXyKbmfo [6/16]

麻奈実は気落ちした様子で俯くと、カロリーメイトを持った手に徐々に力を込めていった。
無駄な抵抗をすることもなく、少しずつ変形してゆくカロリーメイトの外箱。
俺は麻奈実とはガキの頃からの付き合いだが、
麻奈実がこれほど怒りを露わにしたことなんて、今だかつてなかった。

「まっ、麻奈実さん? ……もしかして怒った、のか?」
「………………」

俺の問い掛けにも、麻奈実は無言でカロリーメイトの箱を握り潰してゆく。
この事態を乗り切る方法はひとつしかねえ。
俺は泣く泣く学生鞄からあやせ用に買った生チョコの詰め合わせを取り出すと、
麻奈実の目の前にそっと差し出し、彼女に詫びた。

「麻奈実、すまねえ。……ちょっとからかうつもりだったんだけど、
 まさかおまえが泣いちまうなんて、俺……」
「……きょうちゃん、それ……わたしに?」
「当たり前じゃねーか。麻奈実以外の誰に、俺がこんなもん買うと思ってんだよ」

麻奈実は眼鏡の隙間に人差し指を突っ込み、涙を拭いながら笑った。

「でも、本当はそれ……わたしのために買ったんじゃなくて、
 あやせちゃんとかにあげるために買ったんじゃないの?」
「それは麻奈実の思い過ごしだっつーの。
 あやせがバレンタインに、俺にチョコなんてくれるわけがねえだろ。
 俺、あやせからめちゃくちゃ嫌われてるじゃねえか」
「そんなことないよぉ~。
 あやせちゃんはきょうちゃんのこと、きっと気になってると思うよ~。
 もし、本当にきょうちゃんがそう思っているのなら、
 それはきょうちゃんが気付いてないだけだと思うな~」

あやせが俺のことをどう思っているかは知らんが、
この生チョコの詰め合わせは、あやせに渡すために買ったってのは間違いねえ。
俺は女の感ってヤツがこれほど鋭いものだと、改めて思い知らされた。

749 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:32:48.68 ID:YvXyKbmfo [7/16]

しかし、今ここで女の感を云々している猶予は一刻もねえ。
俺は麻奈実の両肩をいきなり掴むと、前後に激しく揺さぶりながら一気に捲くし立てた。

「麻奈実は俺の幼馴染を何年やってるんだ? なっ、そうだろ?
 あやせは桐乃の親友であって、俺とは単なる顔馴染みってだけじゃねえか。
 万が一あやせが俺の嫁になるようなことがあったとしても、
 麻奈実の幼馴染としての実績が今更揺らぐもんじゃねえだろ?
 それに、あやせがどんなに麻奈実の幼馴染席を欲しがったところで、
 俺の嫁であるあやせには決してその席は手に入るもんじゃねえ。
 言うなればおまえは、野球に例えりゃ不動の四番打者みたいなもんなんだよっ」

麻奈実は頭を前後にぐわんぐわん揺すられながらも、
顔から半分ずれた眼鏡の奥にある瞳は、何か喜びに溢れているようだった。

「そっ、そっ、そうだよね~。
 きょっ、きょうちゃん、わたしにもあやせちゃんに負けないものがあったんだね。
 幼馴染って野球に例えると四番打者なんだねっ」
「麻奈実もようやく、俺の言いたいことが分かってくれたかぁ? 
 そうさ、俺がひとつ年を取ると、麻奈実もひとつ年を取る。
 麻奈実が将来おばあちゃんになれば、俺も一緒におじいちゃんになるんだ。
 そうして俺と麻奈実との幼馴染の関係は、永遠(とわ)に続くんだ」
「きょうちゃ~ん。何だか永遠って言葉……良く分からないけど素敵だよね。
 わたし、きょうちゃんと幼馴染で本当によかったと思うよ~」
「俺だって麻奈実と同じ気持ちさ。
 おまえとこれからも幼馴染でいられるかと思うと、何だか照れちまうけど……
 これからもよろしくなっ、麻奈実」

俺の迷台詞を真に受けて、麻奈実は鼻をふんふん鳴らしながら喜んで家に帰って行った。
それにしても、何とかこの場は麻奈実を誤魔化せたのはいいんだが、
あやせにやろうと思って通販で買った生チョコは、もう俺の手にはない。
今からコンビニまで走って、新しく買って来るほどの時間はねえし……。

750 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:33:19.52 ID:YvXyKbmfo [8/16]

いや待てよ、あやせならこんなモンでも喜んでくれっかもしれねえよな。
あやせって根はいいヤツだし、友達に対する思い遣りも人一倍あるだろ。
例えばこの箱の潰れたカロリーメイトを、俺が申し訳なさそうな顔して渡すとだなぁ……

『わぁ~、お兄さん、カロリーメイトじゃないですか。
 これって、いま女の子に大人気の超有名なバランス栄養食なんですよ。
 それに、これ(ポテト味)が手に入るなんて、超ラッキーだと思います。
 前からこのポテト味、一度は食べてみたいと思っていたんです。
 ……それが、お兄さんからもらえるなんて思ってもみませんでした』

なーんてことは、間違ってもあのあやせが言うわけねえよな。

俺があれこれと言い訳を考えながら、重い足取りで公園に到着すると、
あやせは既に来ていてベンチに腰を下ろしていた。
俺は取りあえず木の陰に隠れて、あやせの様子を窺うことにした。
このままじゃ俺の方から呼び出したくせに、あやせに会わせる顔がねえだろ。
仕方ねえから今日のところは適当に誤魔化して、後日改めて渡そうかとも思ったんだ。

それにしてもあやせのヤツ、眉間にしわを寄せてさっきから一体何やってんだ?

あやせは憮然とした表情で両腕を組んでいたかと思うと、
いきなりニッコリ笑って両手を前に差し出した。
かと思いきや右手の拳で自分の頭をポンと軽く叩き、最後に肩をすくめ、ペロッと舌を出した。
その動作を二度三度と繰り返した後、学生鞄から文庫本を取り出しページを開いた。

俺は背中に冷たいものが流れるのを、はっきりと感じたよ。
あやせのヤツ、何で俺が公園へ呼び出したのか感付いてやがる。
そりゃそうだよな。
バレンタインにチョコを渡した相手から今日呼び出されたとなりゃ、誰だって気付くよな。
俺がどうしたもんかと逡巡していると、あやせは腕時計をチラリと見てから文庫本を脇へ置き、
再び先ほどの動作を繰り返した。

751 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:33:58.77 ID:YvXyKbmfo [9/16]

これじゃあ俺が出て行くタイミングが掴めねえじゃねえかっ。
俺は足元にあった小石を拾い上げると、あやせの後ろにある木の植え込みに向かって投げた。
しかし、小石が小さ過ぎたのか、あやせは一向に気付いた様子を見せない。
俺は再び小石を拾い上げ、植え込みに向かって投げる。
手を出したり引っ込めたりしながら自分の頭を叩き、舌を出す超絶美少女中学生と、
そんな女子中学生に向かって小石を投げ付ける地味顔の男子高校生。
こんな所を知らないヤツに見られたら、即通報もんだね。

そうこうするうち、あやせもようやく物音に気付いた様子で、
驚いてベンチから立ち上がると、辺りをキョロキョロと見回した。
俺がこのタイミングを逃すわけにはいかねえ。
あやせに気付かれない様に、俺は公園のフェンスを一気に飛び越え一旦外へ出ると、
猛然とダッシュして公園の入り口へ向かって駆け出した。
再び公園の入り口に立つと、何食わぬ顔で平静を装いあやせに声を掛ける。

「すまねえ、あやせ。遅くなっちまったかな?」
「あっ、お兄さん、そ、そんなことないです。……わたしもさっき来たばかりですから」
「そっか、ならいいんだけど。いや、帰り際に赤城に捉まっちまってよ……
 赤城ってのは同じクラスのヤツなんだけど……ま、どうでもいいよなこんな話……」
「そうですね。……ところでお兄さん、わたしに何か用でもあるんですか?
 わたし、こう見えてもけっこう忙しいんですけど」

つんと澄ました顔で言う割には、あやせさん? 何だか顔が赤いんじゃないんですか?
あやせがベンチで何やってたんだか、俺は全部言ってもいいんだけどね。
言ったら恥を掻くのはおまえの方じゃないんですかっての。
俺が何も知らないと思ってか、あやせは口調を強めて俺を責めた。

「それに、自分からわたしを呼び出しておいて、呼び出したお兄さんの方が遅いと言うのは
 一体どういうわけですか? 申し開きがあるのならお聞きしますけど」

どういうわけですかって聞かれてもなぁ、あやせがあんな妙な動きをしてるから、
俺が出て行くタイミングを失っちまったんじゃねえかっ!
それに、俺は約束の時間よりも前に公園に着いたってのに、おまえはいつからいたんだよ。

752 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:34:31.20 ID:YvXyKbmfo [10/16]

「だっ、だからさ、遅くなっちまったのはさっきも言ったように赤城のヤツが……
 いやぁ、これじゃ只の言い訳だよな……あやせ、本当に申し訳ないっ」
「……まあ、今日のところはその赤城さんという方に免じて許してあげますけど。
 それではさっそく頂く物を――じゃなくて……何の用でしたっけ!?」

最近俺は、あやせについて気付いたというか感じたことがあるんだ。
俺があやせに惚れているのを好いことに、あやせって段々と厚かましくなって来てねえか?
それにしても美人で可愛いヤツってのは、ホント得だよな。
性格が多少アレでも、言われたこっちが悪いみたいで何となく許しちまうもんな。

「あっ、ああ、そうだった。
 今日来てもらったのは……俺、あやせからバレンタインにチョコもらったじゃないか。
 ……そのお返しというか何というか」
「えっ……そんなお返しなんて……あまり気を使わないでください。
 わたし、お兄さんのその優しい気持ちだけで十分ですよ」
「いや、あやせからもらっといて、何もしないなんて出来ねえだろ?」
「そ、そうですか? まあ、お兄さんがそこまで言うのなら……」

そう言いながら、あやせはニッコリと笑って両手を前に差し出した。
俺がさっき見た光景そのまんまじゃねえか。
このあと本来なら、俺があやせに生チョコの詰め合わせを渡すはずだったんだよな。
そうすっと、あやせは右手の拳で自分の頭をポンと軽く叩いて、
可愛い顔して肩をすくめてから、ペロッと舌を出すはずだったんだろ?
とてもじゃねえが、手ぶらで来ましたなんて言えねえ……よな?

「あっ、あやせ、すまねえ。俺、今日は見ての通り何も持って来てねえんだ。
 ……でっ、でも、ちゃんとバレンタインのお返しはすっから、なっ」

あやせの顔からすっと表情が消え、肩をすくめるどころか、両肩がガックリと落ちた。

「……お兄さん? まさか、手ぶらで来たわけじゃありませんよね?」

俺、あやせに殴られるのか? バレンタインのお返し持って来なかったから、俺、殴られんの?
でも、あやせ言ったよなっ、さっきたしかに言ったよな!

「いや、たしかにあやせの言う通りだけど、さっきあやせも気持ちだけで十分だって……」

753 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:34:59.50 ID:YvXyKbmfo [11/16]

冷め切った無表情の顔を俺に向けたまま、あやせは一歩、また一歩と俺に詰め寄って来た。
俺の脳みそ程度じゃ、この場を切り抜けるための最善策が思い浮かばねえ。
あやせを呼び出したのは俺の方だし、この際殴られても仕方ねえよな。
俺は目を瞑り歯を食い縛ると、両手の拳を握り締め、あやせからの衝撃に備えた。

「おっ、お兄さん、何もそこまでしなくても……
 わたしがあまりにも酷い女みたいじゃないですか。
 わたし、いつもいつもお兄さんのこと殴ってるわけじゃないですよ」
「す、すまねえ、あやせ。つい習慣と言うか、俺の習性と言うか……」

あやせは何が可笑しいのか、ニコニコと笑いながら俺の顔を見ていた。

「お兄さんが今日手ぶらで来たのには、何かわけがあるんじゃないですか?
 どんなわけがあったのか、わたしは聞きませんから安心してください。
 お兄さんは、冗談でわたしを呼び出すなんてこと、するような人じゃないですもの」

俺はあやせに正直に話して、本当に良かったと思ったよ。
下手に誤魔化そうとして箱の潰れたカロリーメイトなんか渡してたら、
今頃俺は地面に横たわっていたんだろうな。

「あやせにそう言ってもらえると、俺、何て言ったらいいのか……」
「わたしは、お兄さんのそういう優しい気持ちだけで十分です。
 でも、お兄さんとしては、それじゃ気が済みませんよねぇ?」
「………………ど、どういう意味だ?」

俺は鼓動が高鳴り、全身に鳥肌が立つのが分かった。怖い――今の俺の正直な実感だった。
あやせは口元に笑みを浮かべると、俺の右腕を掴み、少し背伸びをしながら俺の耳元で囁いた。

「お兄さん、もしかしたら東京ディズニーシーへ行きたいと思っていませんか?
 わたしはお兄さんの気持ちだけで十分なんですが、お兄さんがどうしてもと言うのなら、
 一緒に行ってあげてもいいですよ。……今週の土曜日にでも」
「……す、すまねえな。……行き先まで決めてもらっちまって」

その後は、俺がどうしても東京ディズニーシーへ行きたいとの前提で話は進み、
当日の待ち合わせ場所を決めたり、小突かれたり蹴られたりしながら、
陽の沈むまで他愛もない話をしてその日は別れた。

754 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:35:34.96 ID:YvXyKbmfo [12/16]

あと二、三週間も経てば桜の季節だというのに、まだまだ夜は冷え込む。
俺は受験勉強の手を一旦休め、壁に掛かったカレンダーを見て深い溜息を吐いた。
昨日はあいつらのお蔭で、散々なホワイトデーになっちまった。
やむを得なかったとはいえ、麻奈実に生チョコの詰め合わせをやったのは失敗だった。
この先あいつ、絶対勘違いすんだろ。
そうは言っても麻奈実には日頃から世話になってるし、
こういう時でもなければ、俺があいつに何かしてやるなんてこと滅多にねえしな。
まあそれはそれで、いいんだけどさ。

麻奈実はともかくとして、忌々しいのはあやせだ。
まんまと俺を嵌めやがって、何が東京ディズニーシーだよ。
そりゃ、あやせとデート出来るのは嬉しいけどさぁ、二人で幾ら掛かると思ってるんだよ。

「今月は通販の支払いとあやせとのデート代で、俺の小遣いはすべて消えるな」

俺は改めて大きな溜息を吐くと、気を取り直し時計を確認してから部屋を出た。
今夜は寝る前に、やって置かなくちゃならねえことがあるんだ。

俺は桐乃の部屋の前に立つと、軽くドアをノックしてから声を掛けた。

「桐乃っ、いねえだろ。……勝手に入るぞ」

桐乃はアメリカへ留学しちまって、もうこの家にはいない。
それでも俺が声を掛けたのは、兄妹でもそれが礼儀ってやつだと思うからさ。
逆に中から返事があったら怖ぇけどな。
桐乃が色々と身の回りの物を留学先へ持っていったってのもあるし、
お袋が小まめに掃除をしていることもあって、部屋の中は小ざっぱりとしている。
以前のように鼻を衝くような、甘ったるい化粧品の残り香も殆ど消えかけている。

「お袋のヤツ……」

俺は桐乃の机の前に行き、少しためらってから椅子を引いて、そこに座った。

755 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:36:04.91 ID:YvXyKbmfo [13/16]

俺が桐乃の部屋に無断で入るのは、これで二度目だ。
一度目はあいつがアメリカへ留学したと聞いて、何となく桐乃の部屋のドアを開けた。
あの時はきれいに片付けられた部屋を見ても、なんだあいつくらいにしか思わなかったけどな。
そして、今夜が二度目ってわけだ。

この部屋で桐乃から“人生相談”と称して、妹のオタク趣味を知ったあの時の衝撃が思い出される。
それはつい昨日の事のような、それでいてずっと昔の出来事だったような不思議な感覚だった。
椅子に座ったまま壁に眼を向けると、そこには『星くず☆うぃっちメルル』のポスターが貼ってある。
お袋も掃除の際に気付いたはずなのに、剥がさずに残して置いたようだ。

「相変わらず目と髪がピンクだな」

俺は自分でも可笑しいとは思ったんだけど、ポスターのメルルに向かって話し掛けていた。
何となく、桐乃に話し掛けるようにな。

「あやせのヤツ、以前からおかしいとは思っちゃいたけど、益々おかしくなってるぜ。
 俺のこと嫌ってるとばかり思ってたんだがな。
 バレンタインのチョコをくれた時だって、何だか嫌そうな顔してたくせによ。
 ……でも、桐乃のことは凄く心配してたよ」

あやせは公園で俺との別れ際、随分と迷った挙句、不安そうな顔で俺に聞いてきた。

756 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:36:37.96 ID:YvXyKbmfo [14/16]

「桐乃から、何か連絡はありましたか? わたし、何度かメールしたんですけど……」
「いいや、あいつからはなーんの連絡もねえよ。案外薄情なやつだったりして、なっ」
「お兄さんっ! お兄さんが冗談で言ってることくらいわかりますから、
 わたし、何も言いませんけど……もし、本気で言っているのなら……」

あやせの気持ちも考えずに、俺は軽率なことを言っちまったと反省した。

「すまねえ。俺の言い方が悪かったな。
 ……今んところ、桐乃からは何の連絡もねえ」

俺の言葉にあやせは、ふっと寂しげな表情を見せた。
でも、直ぐにいつもの笑顔に戻って、俺の目を真っ直ぐに見据えながら言った。

「きっと、まだ留学したばかりだから、いろいろと忙しいんですよ。
 わたしなんかと違って、本当にしっかりした子なんですから。
 ……落ち着いたら必ず連絡してくれると思います」

あやせは胸の前で、両手で小さくガッツポーズを作ると、

「だから、お兄さんも心配しなくて大丈夫です!」
「心配してんのは俺じゃなくて、あやせ――」

その時、あやせの瞳に光るものを見つけちまった俺は、それ以上何も言えなかった。
桐乃は親友のあやせは無論のこと、黒猫や沙織にも何も告げずに留学しちまった。
俺には桐乃が何を考えているのか、さっぱり分からない。
いや違うな。俺はあいつが生まれた時からずっと一緒に暮らしていながら、
あいつのことを何も分かっていなかったってことだろうな。

「お兄さん、桐乃から何か連絡があったら、必ずわたしにも教えてくださいね」
「桐乃が連絡するとしたら、俺なんかよりもあやせの方じゃねえのか?」
「うふふっ。本当に鈍いんですね。……でも、連絡があったら教えてください」
「ああ、あやせにはすぐに知らせてやっから」
「ありがとうございます。……それと、今度の土曜日、わたし楽しみにしています」

あやせは笑顔で俺に手を振りながら、公園を後にした。
土曜日の件は、どうしても俺があやせと一緒に出掛けたいっていう前提じゃねえのかよ。
まあ、あやせが喜んでくれりゃ、俺はそれでいいんだけどよ。

757 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:37:12.37 ID:YvXyKbmfo [15/16]

桐乃がまだ日本にいた頃、あやせが桐乃の部屋に遊びに来たことが何度かあった。
俺は隣りの自室にいても、壁越しに聞こえてくるあいつらの声は本当に楽しげだった。
桐乃が何も言わずに留学しちまって、あやせはどんなに寂しがってるんだろうな。
昨日だってあやせのヤツ、俺と桐乃のことをもっと話したかっただろうに。
なあ、桐乃、俺なんかじゃおまえの代わりは出来ねえけどさ、
今度の土曜日は、あいつの我がままくらい大目に見てやってくれよな。

俺は椅子の背もたれに身体を預け、クルリと椅子を一回転させてみた。

「それにしても、本当にきれいに片付けてから行ったんだな」

押入れの前にある本棚の一方は空っぽで、もう片方とて半分くらいしか本が入っていない。
桐乃はいまどきの女の子にしちゃ、部屋を飾り立てるような性格じゃなかったけど、
こうして改めて見ると、何だか殺風景な感じすらする。
唯一、壁に貼られたままの『星くず☆うぃっちメルル』のポスターが、
桐乃のオタク趣味を物語っているようだった。

「おまえは中学生にもなって、美少女アニメなんかに嵌まってっけどさぁ、
 俺がアニメなんか見てたのは、小学生のガキの頃だけだっつーの」

見ていたといっても『ドラえもん』や『ドラゴンボール』くらいだけどな。
あの頃はドラえもんの四次元ポケットから出て来る道具が、すっげー欲しくてよ。
もし今、俺にドラえもんがいてくれたら、何を出してもらうかなぁ。

「……そうだな“どこでもドア”がいいかもな。
 そうすりゃ桐乃っ、いつでも俺に会いに来られるじゃねえか、だろ?」

俺の方から桐乃に会いになんか、絶対に行かねえ。
兄貴に一言もなく行っちまった妹なんか、意地でも会いになんか行ってやんねえよ。
留学するならするって、一言くらい言う時間は幾らでもあったじゃねえか。
それなのに、何も言わずに、ある日いきなり行っちまうなんてよっ。

758 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/20(日) 15:38:01.06 ID:YvXyKbmfo [16/16]

いや、そうじゃなかったよな。
おまえは俺に、たった一言だけ言ってからアメリカへ旅立ったんだよな。

『――じゃあね、兄貴』

あれは桐乃にしてみれば、俺への精一杯の思い遣りだったんだろうな。
もしもあの時、桐乃が俺に正直に話していたら、俺はきっと妹を引き止めたに違いねえ。
桐乃に嫌われて、二度と口を利いてくれなくなったとしてもだ。

「桐乃っ、悪りぃけど、やっぱ“どこでもドア”はナシだ」

そんなもんがあったら、俺は毎日おまえの顔を見に行っちまいそうだ。
桐乃が自分で決めて、遠く離れたアメリカで一人で頑張ってるっていうのに。
それなのに兄貴の俺が、頑張ってる可愛い妹の足を引っ張るわけにはいかねえもんな。
すまねえな、情けない兄貴でよ……。
『星くず☆うぃっちメルル』のポスターが、やけに滲んで見えやがる。
早いとこ用件を済ませて、この部屋から退散した方が賢明かもな。

俺は机の上のメルルの置時計を見ながら、桐乃のいるロサンゼルスが、いま何時頃か計算した。

「えーっと、日本が夜の十一時だから……桐乃のところは……
 十四日の朝七時ってことか。……あいつ、もう起きてっかなぁ?
 ……なあ、これ、桐乃に届けてやってくんねえか?」

俺は、桐乃の空っぽになった机の引出しをそっと開けた。
そしてキャンディーの入った小箱にメッセージカードを添えて中に置くと、静かに閉じた。
我が家のドラえもんは、タイムマシンで過去へ行くのか未来へ行くのか俺には分からねえ。
それでも、出来ることなら未来の桐乃へ届けてやってくれと、俺は心の中で願っていた。

部屋を出る時、俺はドアノブに手を掛けたまま何気なく振り返り、桐乃の机に向かって声を掛けた。

「――じゃあな、桐乃……気が向いたら、また来てやっから」

桐乃がそこに座っているような気がしたんだ。
兄貴の顔を見て無邪気に微笑む、世界中で一番可愛い俺の妹がな。




(完)

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最終更新:2011年03月20日 16:12
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