388 名前: ◆5yGS6snSLSFg[sage saga] 投稿日:2011/03/02(水) 05:28:52.09 ID:rZgOZofOo [1/8]
こんこんと手の甲でノックを二回。
「沙織ー、ちょっといいか?」
あれから――沙織の受験のことを忘れていたと白状してから三日が過ぎた。
あれから沙織は、怒るようなこともなくいつも通りに過ごしていた。
本来なら失態を穏便に解消できたと喜ぶべきなのだが、ただ一つ気にかかることがあった。あれ以来、沙織は明らかに俺との会話を避けている。
もちろん、話しかけても無視されるとかそんな露骨に避けられてるわけじゃない。
ただ、沙織から話しかけてくれることがほとんどなくなった。
たった三日で何を言っているんだと思うかもしれないが、俺にとっては非常事態である。
だってあの沙織だぜ? ことあるごとに、お兄様お兄様と騒がしかったあの沙織がだ。
そんなわけで、今俺は兄妹間のわだかまりを解消するため沙織の部屋へとやって来た所ってわけだ。
「なんでしょうか、お兄様」
「今ちょっといいかな、話がしたいんだけど」
「ええ、構いませんわ。私の部屋でよろしいんですか?」
意外とすんなり受け入れてくれる沙織。
あれ? そんなあっさりでいいの? せっかく気合入れてきたってのに、なんだか拍子抜けしちまうな。
沙織の部屋に入ると、そこには辺り一面にプラモが飾られていた。
「すげえな、どんどん増えてくな」
一年程前は押し入れに入る分だけだったってのにな。
「これもお兄様のおかげです」
「俺? 俺はなんもしてねえよ」
「そんなことありませんわ」
そう言うと沙織は俺の手を取り、なんとも幸せそうな笑顔で俺を見つめてくる。
沙織につられてこっちまで笑顔になってしまう。
しかし、同時に妙に気恥ずかしくもなってしまい、すぐに沙織から顔をそらした。
そして別の話題を探そうと辺りを見回してみて、あることに気が付いた。
「あれ? あのプラモ、ガンダムのじゃないよな。あんなガンプラ見たことないし」
389 名前: ◆5yGS6snSLSFg[sage saga] 投稿日:2011/03/02(水) 05:30:38.27 ID:rZgOZofOo [2/8]
俺の目に留まったのは、緑の羽が生えた白いプラモデルと赤い羽根が生えた赤いプラモデルだった。
白い方はいかにも主人公が乗ってそうな、ヒロイックな感じが印象的だ。
一方、赤い方は左手に対して右手が異様に大きく、いかにも悪役といった異形さである。
「ああ、これですか。これはコードギアスというアニメにでてくるロボットのプラモデルなんです」
「コードギアス?」
これまた初めて聞く名前だな。
「実はこの間、黒猫さんにお勧めアニメとして教えていただきまして。確かここにお借りしたDVDが……」
ごそごそと押し入れを漁りだす沙織。
「ありましたわ――あうっ!?」
DVDを見つけた拍子に、押し入れの棚板にごちんと頭をぶつけてしまったようだ。
「うう……」
「おいおい、大丈夫か?」
そりゃ、そんな狭いスペースに収納したらおまえのでかさなら頭の一つや二つはぶつけちまうだろ。
妹のドジっぷりに少し呆れながらも、頭をさすってやる。
「も、もうお兄様! 私ももう子供ではないんですよ?」
「はは、すまんすまん」
いつものように会話ができている。いつもの沙織、いつもの俺たちの関係だ。
どういうことだ? 実はわだかまりなんてのは最初から存在してなくて、ずっと俺の独り相撲だったってことか?
「はいっ、これですわ。お兄様」
一人悩む俺に向かって、沙織が一つのDVDを差し出した。
そのパッケージを見て、一目でピンときた。
「ああ……いかにも黒猫が好きそうな感じ」
そこに写っていたのは、細身の、仮面をつけた主人公と思しき人物だった。
合わせて黒いマントも羽織っており、どことなくマスケラの主人公と同じ雰囲気を感じさせる。
390 名前: ◆5yGS6snSLSFg[sage saga] 投稿日:2011/03/02(水) 05:36:22.64 ID:rZgOZofOo [3/8]
「これがですね、なんと主人公がお兄様そっくりなんです!」
「はあ?」
し、しまった! 沙織があんまり突拍子もないこと言い出すから、つい冷たい返事をしちまった!
「あ、もちろん外見の話ではありませんわ」
……そりゃそうでしょうとも。わざわざ言われなくてもわかってるよ。
だが、中身が俺に似た主人公? 自分で言うのもあれだけど、そんなへたれに主人公が務まるのだろうか。すごい不安だ。
このアニメ、アニメとしてちゃんと成立してるの?
「具体的にどんなところが似てるんだ?」
少しでも沙織との会話を弾ませるため、いつも聞かないようなところまで掘り下げる。
俺が感じたわだかまりが、俺の気のせいだと確定したわけじゃないからな。
「重度のシスコンなところです」
「主人公として一番似てはいけないところが似ちゃった!」
一体どんなアニメなんだよ!? 逆に興味が湧いてきたわ!
そのオサレっぽい主人公が重度のシスコンなの!?
「ああ、ちなみに先ほどのプラモですが、ガンプラと同じくバンダイが出しているので組み立ての手軽さも安定してますし、大量生産のため値段の方もお求めやすくなっております。ですが、コトブキヤがギアスのプラモを展開していれば今頃はきっとガウェインや蜃気楼のプラモも……。ROBOT魂も悪くはありませんが、やはり自分の手で組み立ててこそっ! 望むだけ無駄とはわかっておりますが……くっ、残念でなりません。そもそも、バンダイとコトブキヤのキットの大きな違いは――」
うんうん、この感じ。やっぱり沙織のプラモ講座はこうでないとな。誰か通訳を寄越してくれ。
プラモについて熱く語る沙織を、俺は終始にこやかな顔で見ていたのだが、突然沙織が自力で我に返った。
「はっ!?」
「あれ? どうした? 用事でも思い出したのか?」
「…………そうですわ……すっかり忘れておりました。ですからお兄様ももうお休みになられては?」
「え……沙織?」
先ほどまでののんびりとした空気が一変する。沙織は何か切羽詰まった表情をしている。
いやむしろ、何かを決意した表情と言った方がしっくりくるかもしれない。
結局俺は大した抵抗もできず、そのままぐいぐいと部屋の外まで押し出されてしまった。
「さ、沙織。ちょっと待てって」
「おやすみなさい、お兄様」
沙織の部屋の扉が閉じられる。
俺たち兄妹の間に存在するわだかまりがはっきりと見えた気がした。
391 名前: ◆5yGS6snSLSFg[sage saga] 投稿日:2011/03/02(水) 05:38:43.84 ID:rZgOZofOo [4/8]
「黒猫、実は相談があるんだ」
「……わざわざ言わなくてもだいたい想像がついてしまうわね」
そう言って黒猫は目を細め、はあ、とため息を一つ。
ちなみに、俺たちは近所の公園に来ている。あやせと会ったあの公園だ。
「へえ、それも邪眼の力ってやつか?」
会ってそうそうのため息にちょっとムッとしてしまい、少しからかうような言い方をしてしまう。
しかし黒猫はそんなことを全く意に関せず、
「違うわ」
はっきりとそれを否定。
「わざわざ力を使うまでもないわ。あなたのことだからどうせ沙織がらみでしょう? ねえ、兄さん?」
黒猫は紅い瞳で俺を見据えている。その瞳はいつも以上に紅い。
この瞳を見ていると、全てを見透かされているような錯覚に陥る。まるで本当に闇の力が宿っているかのように。
「……なんでわかる?」
「あなた、この間、意味不明のメール送ってきたでしょう?」
黒猫がいうメールとは、この間俺が送った沙織の受験に関する相談のメールのことだろう。
でも、そんなに意味不明だったか?
「あんなメールの後ではね……。兄さんの性格から考えたら沙織関連しかありえないでしょう?」
「はは……」
それもそうか。
「……あんなメールを送ってきたってことは、大方沙織と喧嘩でもして本人に聞けなくなったってところでしょう?」
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだが……」
俺のはっきりしない態度に、黒猫は頭上に?マークを浮かべている。
392 名前: ◆5yGS6snSLSFg[sage saga] 投稿日:2011/03/02(水) 05:39:47.03 ID:rZgOZofOo [5/8]
「実はな……」
それから俺は、
・受験のことを忘れていたのに沙織が全然怒らなかったこと
・プラモ講座を自ら中断し、追い出すように部屋から閉め出したこと
を黒猫に告げた。
「おかしいと思わねえか? あの沙織が。……ひょっとしてあいつブラコンじゃなくなったのか? 黒猫、おまえなんか知ら――」
ここまで言って、黒猫の顔を見た瞬間俺は言葉を続けることができなかった。
黒猫は眉間にしわを寄せ、その大きい瞳をを目一杯細め、俺を睨みつけている。
丸みを帯びた頬は若干――いや、かなり引きつっている。
「く、黒猫?」
「……兄さんのシスコンがここまで重症だったなんて。完全に沙織以外見えてないわね」
黒猫は、じり……とそのまま半歩後ろへ下がる。完全にドン引きである。
「おいおい、失礼なこと言うなよ。誰が沙織のことしか見えてないって? 確かにシスコンなのは認めるが――」
「私の年齢を言ってみなさい」
黒猫はぴしゃりと俺の言葉を遮った。
おまえのとし? そんなもん言ってどうするんだ。言えって言うなら言うけどさ。
「そりゃ、沙織と同い年なんだから――」
ここまで言ってようやく気付いた。
続く言葉は一向に出てこない。発することができない。
ゆっくり、本当にゆっくりと黒猫と視線を合わせる。
首の骨がぎぎぎ、と軋む。
「私の年齢を言ってみろ」
黒猫は傲岸不遜な態度で腕を組み、虫を見るような目で俺を見ている。
おまえはどこのジャギ様だ――とはさすがに言えなかった。
もはや今の俺は秘孔を突かれたモヒカンも同然だ。あとは「ひでぶ!」なり、「たわば!」なりの断末魔をあげるだけである。
俺はもう死んでいる。
393 名前: ◆5yGS6snSLSFg[sage saga] 投稿日:2011/03/02(水) 05:41:38.99 ID:rZgOZofOo [6/8]
「……すまん」
他にどうすることもできず、ただ謝るしかなかった。俺は確かに沙織しか見えていなかったのだから。
妹のことが心配なあまり、友人の受験の合否は全く無視。気にもかけていない。
あまつさえ、その友人に沙織の受験から派生した問題のことで相談を持ちかける。
我ながら、これはあんまりだ。
「ふん。……別にいいわ。相手が沙織では、私では勝負にならないのはわかっているから。あの女ならまだしもね……こちらももう手遅れかもしれないけれど」
「えっ?」
脈絡のない言葉に、脳がついていかない。
勝負? あの女? 沙織となんか勝負でもしてんのか?
なんでいつも含みのある言い方っつうか、遠回しな言い方をするんだこいつは。言いたいことの半分もわからない。
だが、なにはともあれ黒猫は俺を許してくれるらしい。
「で、沙織が怒らなくて? ブラコンじゃなくなってしまったのではないか、嫌われたのではないかと心配だと?」
「お、おう。そういうことだ」
嫌われたってのは少し飛躍しすぎだと思うが、大まかなところは外れていないから問題はない。
すると、黒猫は再び眉間にしわを寄せ、露骨に怪訝そうな顔をする。
あ、あれ? 許してくれたんじゃなかったの?
「あなた、この間は沙織のブラコンをなんとかしたいと相談してきていなかった?」
………………そうだった。完全に忘れていた。
そもそも俺は、沙織のブラコンをなんとかしなくては――そう思っていたはずだった。
なんでいつのまにか逆の立場になってるんだ?
「シスコンなのもいいけれど、大概にしておきなさいな。沙織はもう自分の考えを持って生きているし、あなたにいつまでも頼っているような子ではないの。あなたこそ早く妹離れしたらどうかしら」
黒猫の怒りをはらんだ強い言葉に、思わず気圧されてしまう。
「でないと……沙織も、あの女も可哀想だわ。そして私は惨めなだけ」
そのまま踵を返し、帰ろうとする黒猫。
「ま、まっ……」
結局、待ってくれという俺の心の声は言葉にはならず、黒猫の後ろ姿をただ見つめることしかできなかった。
第十四話おわり
最終更新:2011年03月22日 19:33