無題:9スレ目51


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51 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:01:59.41 ID:VzcOF4WKo [3/14]
春と訪れと共に始まった俺のマネージャー生活も、早いもので五ヶ月が経った。
俺の担当である来栖加奈子は順調に知名度を上げ、タレントとして着実に成果を上げている。
そう、何もかも順風満帆。誰もがそう思っていた。……俺を除いては。

「……またか」

俺はたった今まで読んでいた紙束をデスクの上に投げ捨て、天井を仰いで目頭を揉んだ。
ここ最近、同じような内容の文書ばかり読んでいたため、正直辟易している。
デスクの上にブチ撒けられたものもそうだ。その内容は――――。

「ブリジットとセットでオファー……これで何件目だ?」

二ヶ月前に出演したバラエティ番組をきっかけに、加奈子たちへの取材や出演オファーが激増した。
芸能事務所としては、そのことについて何かを言うつもりは無い。
だが、俺は不安だった。
一時の人気で、加奈子たちが食い潰されるかもしれない。
仮に人気が続いても、ずっとブリジットとセットで扱われるかもしれない。
それでは駄目なのだ。それでは、加奈子の夢を「本当の形」で実現できないと思った。
加奈子は努力してきた。アイドルになるために、何年も努力し続けてきたんだ。それが無駄に終わるなんて、俺には耐えられない。
努力しても、才能があっても、それが必ずしも報われるなどという保証は無い。そんなことはわかってる。
高校時代、俺はそういう連中を何人か見た。
黒猫やフェイトさんにとっての桐乃、桐乃にとってのリアがそうだった。
だからって、このまま手をこまねいているだけなんて耐えられない。
俺は加奈子のマネージャーなんだ。アイツの才能を、努力を生かしてやらなければならない場所に立っているんだ。
なんとか、なんとかしてやりたい。……けど、

「俺に……何ができるんだろう……」

有効な打開策は思いつかなかった。まったく、自分の無能さに嫌気が差すぜ。

「一息、入れるか……」

淹れてから全く手をつけていなかったため、コーヒーはすでに冷めてしまっている。俺はコーヒーカップを手に取り、喫煙所へ向かった。

52 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:02:45.75 ID:VzcOF4WKo [4/14]
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ファッション誌のモデルほど、季節感が狂う職業は無い。俺はそう思っている。
まだ夏も終わりきっていないというのに、冬物の衣装を纏って、撮影を行うんだからな。
今日の仕事はそういうものだ。スタジオで、秋に出版する雑誌に載せる写真の撮影。衣装は冬物だ。
世間でいくら猛暑だの暖冬だのと声高に叫ぼうが、日本から四季が消えてしまわない限り、この不可思議現象は無くならないだろう。
カメラを見つめる彼女達の姿は華々しく、慣れていない者にとっては眩しく見える。
けれど、俺の目はそこには向かず、心はここに無く、思考は別のことに使われていた。

「高坂さん?」
「うおっ!?」

突然掛けられた声に、思わず大きな声をあげてしまった。
目の前には美しく着飾った加奈子の姿があり、俺を驚いた表情で見上げていた。

「す、すみません!大きな声を出して……」
「い、いえ。私の方こそごめんなさい……」

お互いに謝り、そのまま沈黙。……むぅ、気まずい。
と、とりあえず!この空気を何とかしなければ!

「「あの……」」

ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……。気まずさアップ!
もうやめて!俺のライフは0よ!

「あの、どうかしましたか……?」

気まずさの海からなんとか生還し、俺は言葉を発した。

「いえ、休憩に入ったんで声を掛けただけなんですが……」
「あ!す、すみません!ボーっとしちゃってて!」

休憩に入ったことすら気付かないとは、業務中に何をやってるんだろうね。
俺は慌てて、先程コンビニに行って買ってきたものを取り出そうと、袋の中をまさぐった。
あれ?無い、無いッ、無いッッ!いつも買っている加奈子のお気に入りが入ってないッ!
いくら中を検めても、いつものカフェスイーツは見つからなかった。代わりに俺のお気に入りである、チルドカップに入ったエスプレッソが二つ。
まさか……買い忘れた、のか?本当に、俺は何をやっているんだ……。

「すみません!いつもの買い忘れたんで、急いで買ってきます!」
「あ、待って!」

スタジオを出ようと走り出した俺の腕を、加奈子は少し強引に掴まえた。

「そんなに気にしなくても大丈夫ですから……」

53 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:03:22.37 ID:VzcOF4WKo [5/14]




俺たちは今、スタジオの脇に設けられた休憩スペースで、並んでエスプレッソを飲んでいる。
撮影の方は、どうやら機材関係でトラブルがあったらしく、今はスタッフが全力で復旧作業中。その間、モデルたちは長めの休憩となった。

「本当にすみませんでした」
「あの、そんなに謝らないでください。それにコレ、美味しいですよ。私もこういうの、色々試してみようかなぁ」

仕事中に別のことを考えて、いつも出来ていることでミスをして、その上慰められている。
はは……、本当に、今日の俺はダメダメだなぁ……。ここまで来ると、自己嫌悪を通り越して笑いが出てくるぜ。
今日はいつもより苦く感じるなぁ、このエスプレッソ。

「高坂さん、どうかされたんですか?」
「へ?」
「その、元気が無さそうに見えたので。私の思い違いなら良いんですけど……」

どうやら、顔や態度に出てしまっていたらしい。いや、女の勘というヤツか?
どちらにせよ、加奈子に話すべきことではない。ここは誤魔化さないと……。

「ええ。プライベートなことで少し悩んでまして。すみません、変に心配させてしまったみたいですね」
「そうですか。私で良ければ、相談に乗りますけど……」
「大丈夫です。大したことじゃないですから」

心配そうに見つめる加奈子に、俺は笑顔で答えた。
嘘を吐いたことは心苦しいが、これは俺の仕事なのだ。俺が四苦八苦する場面であり、彼女に要らぬ心配をかけてはいけない。
ごめんな、加奈子。
俺は心の中で、加奈子に詫びた。

「お待たせしましたー!五分後に撮影を再開しますので、モデルの皆さんは準備をお願いしまーす!」

機材のトラブルが解決したらしく、スタッフがスタジオ全体に聞こえるよう声を張り上げた。
俺はエスプレッソを飲み干し、席を立つ。

「高坂さん」

そこで、俺の背後から加奈子が声を掛けてきたので、首だけ動かして振り向いた。

「あの、あまり無理をしないでくださいね」

加奈子は、未だに心配そうな表情で俺を見ていた。まるで、俺の悩みを知っているかのようだ。
つくづく思う。女というのは、どうして誰も彼も勘がいいのだろうか、と。

「ありがとうございます。でも、大丈夫ですから」

けれど、今の俺に言えるのはそれだけだった。

54 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:03:52.48 ID:VzcOF4WKo [6/14]
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それから俺は、時間の合間を見つけてはテレビ局の人間を中心に直接会い、加奈子やブリジットの単独出演について交渉した。
どうしても会いに行けない時は、電話やメールでその旨を伝えた。
営業の人間や、事務所内で対外交渉を行う後輩たちにも協力を仰いだ。もちろん、加奈子には秘密にするよう言い聞かせてな。
休日も潰し、残業時間も増やして、俺は色んな人間と交渉を繰り返した。その結果は……、

「はい。はい。そうですか。いえ、無理を言って申し訳ありませんでした。はい。今後とも、よろしくお願いいたします」

とあるテレビ局の番組制作ディレクターとの電話を終え、俺は大きく息を吐いた。

「また駄目だったな……」

衰退の激しいこの業界は、勢いのあるモノについては積極的に利用する。これは、いつの時代でも同じことだった。
この場合、「加奈子とブリジット」という二人が当てはまるが、個人についてはそうではないようだ。
商業価値の低い、もしくは無いモノに関しては、その扱いは手厳しい。道理である。
出演を断られたのは、先の電話を含めると、もう三十件を超えていた。これだけ断られると、妹様の無理を散々叶えてきた俺も気が滅入ってくる。
首を回し、凝り固まった筋肉をほぐす。首の骨がゴキゴキと鳴った。

「無理があるのか……?加奈子には価値が無いとでも言うのかよ、ちくしょう……」

もちろん、そんなことは無い事などわかっている。
加奈子は女性に人気のあるファッション雑誌で、モデルを務めている娘だ。彼女単体の人気も、その雑誌の読者である女性からは当然高い。
けど、それはテレビ局の人間には通じなかった。
このままブリジットと共に知名度を上げていけば、二人でアイドルデビューも出来るかもしれない。
だがそれは、本当に加奈子の望んだ結果なのだろうか?
時流に乗り、一時の金儲けに付き合わされ、価値が無くなればそれまで。それを前提でやる仕事など、俺は彼女にさせたくなかった。
実力もあり、努力もしてきた彼女に、そんな刹那的なことはさせたくなかった。
だが、現実はいつでも厳しいものだ。俺のような凡庸極まりない人間には、時代の流れを変えることなどできはしない。

「まだだ。諦めるには、まだ早い……」

俺は自身を鼓舞する意味も込めて、そう口にした。
スクリーンセーバーが起動しているディスプレイを切り替え、息抜きがてらネットの海に潜る。
一応言っておくが、サボってるわけじゃないぞ。これも立派な仕事だ。最新のトレンドを把握するためのな。
ニュースサイトを巡回していると、一つの記事が目に入った。俺はその記事をクリックし、詳細を読み始めた。

「これは……」

それは、俺にとって天啓だったのかも知れない。

55 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:04:20.64 ID:VzcOF4WKo [7/14]
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「オーディション……ですか?」

翌日、俺は事務所の会議室を借りて、加奈子と一対一の打ち合わせを行った。
前日に作った資料を加奈子に手渡し、内容を説明する。

「ええ。アマチュアの人たちを対象としたものが多いですが、芸能プロや事務所に所属している人でも受けられるものって、結構あるんですよ」

そう、俺が考えた策は「オーディションを受ける」ことだった。
芸能プロ主催のタレントオーディションなどは、一般人でも知るところだろう。
今回加奈子に出場を提案したのは、すでに芸暦のある人間でも受けられる、歌手のオーディションだ。
合格すれば、著名な音楽プロデューサーの支援を受けてCDデビューも果たせる。加奈子の夢である「アイドル」の第一歩を踏み出せる可能性があった。

「うまくいけばCDデビューも出来ますし、審査員に実力を示せば、そこからアイドル活動を始めるきっかけにもなると思いまして……」

俺の説明を聞きながら、加奈子は資料に目を通していた。
オーディションへの出場は、本人の了解が無いと出来ないことだが……。感触は上々と言えよう。

「ここで来栖さんに新たな価値を付加すれば、今後の活動にもプラスになります。どうですか?」
「そう、ですね。良いと思います。元々、私はアイドルを目指していましたから……」

資料に目を通し終えた加奈子は、俺の顔を真っ直ぐ見つめてきた。

「最近お忙しそうだったのは、これを調べるために?」
「そうですね。来栖さんの実力は理解してますし、これを機に単独でのテレビ出演も出来るようになるのではと思いまして……」
「あの……。それ、どういう意味ですか?」
「え?」

加奈子の質問の意味が理解できず、俺は間抜けな声を上げてしまった。
その加奈子はと言うと、席を立ち、俺を見つめていた。だが、その瞳の色は冷たい。

「オーディションのお話はわかりました。けれど、単独出演というのは、どういう意図を持っておっしゃったんですか?」
「いや……あの……」
「はっきり言いなさいっ!!」
「はいぃぃぃっ!」

加奈子の剣幕に圧され、俺は今回の話を持ってきた経緯を全て話した。三つも年下の女の子に負ける俺、マジカッコワルイ。
加奈子はその話を黙って聞き、全てを話し終えた後、ふぅ、と息を吐いた。

「高坂さんが元気が無かった理由って、こういうことだったんですね」
「黙っていたことは謝ります。ですが、これは俺の仕事です。来栖さんに話して、無用な心配をかけるのは……」

パァンッ!

会議室に、乾いた音が響いた。
左の頬が熱い。口の中に鉄の味が広がる。
唇を指でなぞると、ヌルッとした赤い液体が付着した。そこで俺は、加奈子に頬を叩かれたのだと理解した。

「……けんな……」

左頬を押さえ、加奈子の顔を見た。
彼女は歯を食いしばり、憤怒の形相をしていた。こんなに怒っている加奈子の姿を見たのは初めてだ。
そして目には、大粒の涙が浮かんでいた。

「っざけんなっ!なにが心配かけたくねえだっ!加奈子のこと馬鹿にすんのも大概にしろっ!!」

加奈子は昔の口調で、声を荒げて、俺を罵倒した。
俺はただ黙って、それを見ていることしか出来なかった。

「糞マネ、言ってたよな。加奈子たちはパートナーだってよ。そのパートナーに黙って、一人で勝手に動いてよぉ。それで上手くいって、加奈子が喜ぶとでも思ったのかよ?」
「お、俺は……」
「っせえ、しゃべんな!」

目から涙が溢れ、メイクが流れ落ちる。
美しく飾った顔のことなど気にせず、加奈子は続けた。

「パートナーってのは、お互いに信頼してないといけないんじゃねえのかよ。それとも何か?そう思ってたのは加奈子だけで、お前は加奈子のこと信頼してなかったのかよ!」
「違う!俺は……!」
「違わねえだろうがっ!加奈子に隠れてコソコソして、心配しても気にも留めねえ!これで『信頼してる』なんて言われても、信じられるわきゃねえだろうがっ!!」

加奈子はハンカチを取り出し、涙を拭いた。
白いハンカチは、マスカラごと目元を拭ってしまったので、黒く汚れてしまった。

「……少し、外します」

加奈子はそれだけ告げると、顔を隠しながら会議室を出て行った。

56 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:04:52.99 ID:VzcOF4WKo [8/14]



十数分後、加奈子は会議室に戻ってきた。
崩れてしまったメイクは直され、可愛らしい顔立ちを大人っぽく演出している。ただ、目は赤いままだった。

「すみません。急に大きな声を出して……」
「いえ、俺も配慮が足りませんでした。申し訳ありません」
「高坂さんが私のことを思って、いろいろしてくれたのはわかってます。それなのに、私……」

お互いに自分の非を詫び、黙り込んでしまった。
こんなにつらい沈黙は、親父と向き合ったとき以来だ。この空気をなんとかしたいが、今の俺が何を言っても、すべて嘘に聞こえるような気がした。
五秒……十秒……。実際にはそれほど経っていないのだろうが、俺にはずいぶんと長く感じられた。
その沈黙を破ったのは、俯いたままこちらを見ない加奈子だった。

「私、受けようと思います。オーディション」
「え?」

意外だった。断られると思っていた。
加奈子のことを無視して進めた事だ。彼女が拒否しても、おかしくないと思っていた。
加奈子は顔を上げ、俺の顔をまっすぐ見つめる。瞳に怒りの色は無く、穏やかな笑顔を浮かべていた。

「アイドルは私の夢です。そのための努力もしてきました。だから、受けようと思います。いえ、受けたいんです」
「そう……ですか」
「だから、高坂さん……」

そこで加奈子は、歯を見せて笑った。普段はあまり見せない、イヒヒと笑うあの顔だ。

「サポート、しっかり頼むぜ」

57 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:05:23.05 ID:VzcOF4WKo [9/14]
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俺は今、とある会場の喫煙スペースで煙草を吹かしている。
あれから俺たちは、オーディションに向けて動き出した。日程を調整し、普段の芸能活動に支障を来たさないようにした。
ボイトレのトレーナーに頼み込み、送付用の歌唱データを録音した。
一次審査を通過し、全国七箇所で行われた予選大会を勝ち抜き、そして今日、最終審査を兼ねた決勝大会の日を迎えた。
6,000組を超える応募者の中から勝ち抜いた10組が、6人の審査員と2,500人の観客が身守る中、今日この場で雌雄を決する。
俺に出来ることはもう無い。あとは加奈子が、決勝ステージで自分の力をフルに発揮してくれることを祈るばかりだ。
そろそろ決勝が行われるホールに戻ろうとした矢先、胸ポケットに仕舞っているケータイが震えた。
ディスプレイには『メール着信 1件』と表示されていた。送信者は、今はファイナリスト用の控え室にいるはずの加奈子だ。

『今すぐ、控え室前に来てください』

本文にはそれだけしか書かれていなかった。
何かあったのだろうか?俺はケータイを仕舞うと、急いで加奈子のところに向かった。




「すみません。突然、お呼び立てして」
「いえ。それより、なにかあったんですか?」

スタッフに無理を言って裏に通してもらい、俺は控え室前までやってきた。
加奈子はすでにそこにいて、壁に寄りかかって俺を待っていた。

「高坂さん。あの、少しの間だけ……目を瞑っててくれませんか?」
「はい?」

なにか火急の用があるのかと思いきや、いきなりこれである。はっきり言おう。ワケわからん。
加奈子はそれだけ言うと、俯いてしまった。なにやらもじもじしているが、緊張しているのだろうか。意図はわからんが、俺は素直に従った。

「これでいいですか?」
「はい。まだ開けちゃ駄目ですよ。ちゃんと目を瞑っててくださいね」

俺の視界は、未だ暗闇の中だ。いや、何かチカチカしてるな。ああ、瞼の裏かコレ。
さて、ここからどうするのだろうか。そんなことを考えていると、甘いコロンの香りと、温かく柔らかな感触を感じた。

「あの、来栖さん?」
「まだ!まだ開けちゃ駄目です!」

加奈子が大きな声で俺の動きを制す。
俺の胸から、温かさが伝わってくる。柔らかな感触は、俺の脇を伝い、背中にも感じられた。
甘い香りと心地よい圧迫感。目を瞑っていても、加奈子が何をしているのかはわかった。
自分の心臓の音がはっきり聞こえた。うるさいくらいだ。
どのくらいそうしていただろう。おそらく十数秒ほどだ。衣が擦れる音と共に、俺の体を支配していた感触が消えた。

「も、もういいですよ」

目を開けると、加奈子が立っていた。さっきよりも、俺との距離が近い……気がする。
加奈子は頬を赤らめ、俺を見上げていた。お互い声が出せず、しばらく見つめ合う。
すると、加奈子がイヒヒと笑った。

「もう大丈夫。大丈夫です」

口調はいつもの丁寧なものだ。表情だけが昔のまま。
何のためにあんなことをしたのかはわからない。けど、加奈子の表情を見て、俺は安心できた。
さあ、もうすぐ時間だ。俺はホールに戻るため、加奈子から離れた。

「おーい、糞マネ」

背後から声を掛けられ、首だけで後ろを振り返る。
加奈子はまだイヒヒと笑って、こちらを見つめていた。

「煙草、少しは控えろよ」

昔の口調で放った言葉は、およそ今の状況とは関係ないものだった。

58 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:06:03.43 ID:VzcOF4WKo [10/14]
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ホールでは今、四組目のファイナリストの講評が行われていた。
ここで、この決勝大会の流れを説明しておこう。
出場者の出演順は、事前に行われたくじ引きですでに決められている。
決勝大会では歌を二曲披露する時間と、三分のアピールタイムが与えられ、その総合点が最も高い者が優勝となる。
アピールタイムとは、要は歌以外で何が出来るのかを審査員に示すのだ。
楽器でも、モノマネでも、ガンプラ組立でも何でもいい。ちなみに今言った諸々は、これまでの出場者がアピールしていった特技だ。
加奈子はダンスを披露することになっている。
これまでの出場者を見ていると、歌に関しては特徴が異なるものの、歌唱力に関しては拮抗しているように思う。つまり、みんな上手いのだ。
こうなってくると、アピールタイムでどれだけ審査員の心を掴めるかが、勝負のカギとなるだろう。さて、どうなることやら。
そんなことを考えている間に、講評が終わった。次は加奈子の出番だ。

「エントリーナンバー3,018番、来栖加奈子さんです。どうぞー!」

女性司会者の快活な紹介を受け、加奈子がステージ上に現れた。
ここで見る限り、過度に緊張しているということはなさそうだった。これなら彼女は、自分の実力を遺憾なく発揮できるだろう。

「来栖加奈子です。よろしくお願いします」

簡単な自己紹介を終え、お辞儀をする加奈子に拍手が送られた。最初は歌の披露だ。

一曲目は、某人気ガールズバンドの曲。ノリの良いロックナンバーだ。
加奈子は、その可愛らしい容貌からは想像できない、陳腐な表現をすれば「カッコ良い」声で、その曲を見事に歌い上げた。
観客からは拍手と共に指笛などが、ステージ上の加奈子に送られた。

二曲目は雰囲気をがらりと変え、女性シンガーのラブソング。少しマイナーな曲のようで、俺はアーティスト名を聞いてもピンと来なかった。
静かなピアノ伴奏が流れ始め、加奈子の声がそれに乗った。
女性視点で書かれた独白のような歌詞が、切ないメロディとマッチしていた。
その歌詞の中のあるフレーズが、なぜか引っ掛かった。

『貴方がいる それだけで もう世界が変ってしまう
 モノトーンの景色が ほら 鮮やかに映る』

なぜこのフレーズが気になったのか、それはわからない。
わからないが、言葉が、メロディが、加奈子の歌が胸に沁みる。気付けば、俺の目から涙が流れていた。

「ははっ。すげえな、加奈子」

お前の歌、俺の心に響いたぜ。思わず涙が出るくらいにな。
大丈夫だ。お前の歌のスゴさ、きっと審査員連中にも伝わるよ。
二曲目を歌い終わると、会場がシンと静まった。
その中、俺の拍手だけが響き渡る。それに触発され、あちこちから拍手が鳴り、それは大きなうねりとなった。
さあ、今度はダンスアピールだな。

59 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:06:31.67 ID:VzcOF4WKo [11/14]
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「惜しかったですね」

決勝大会が終わり、俺と加奈子は駅に向かって歩いていた。
時刻は夜の7:00。街灯やビルの明かりが、闇夜に抗い、街を照らしている。
素晴らしいパフォーマンスをした加奈子だったが、残念ながら優勝は逃してしまった。優勝したのは、どこの事務所にも所属していないアマチュアの女の子だった。
彼女の歌は、他の参加者と比べても頭ひとつ抜けており、アピールタイムで見せた新体操の技も圧巻だった。
でもさ、俺は加奈子の方が劣っていたとは思ってないぜ。加奈子は凄かった。ただ、今回はあのアマチュアの娘の方が審査員の心を掴んだ。それだけだと思う。
優勝は逃したものの、加奈子は審査員特別賞を受賞した。加奈子のパフォーマンスは、俺以外の心にも響いたということだ。

「そうですね。でも、こんなことで諦めません。また挑戦します」
「その意気ですよ。来栖さんなら大丈夫です」

加奈子も、優勝できなかったことは悔しかっただろうが、表情は晴れやかだった。すでに次の機会を見据えている。
目算は外れたが、この調子なら、加奈子自身が注目される日もそう遠くないだろう。今はそれで満足だ。
さて、次はどうしようか。そんなことを考えていると、胸ポケットに入っているケータイが震えた。表示されているナンバーは、事務所の電話番号だ。

「はい、高坂です。はい。はい。え、本当ですか!?はい、はい!本人も隣にいます!はい、ちゃんと伝えておきます!ありがとうございます!」

通話を終え、ケータイをポケットに仕舞い、隣にいる加奈子に向き直った。
何があったのか把握出来ていない加奈子は、不思議そうな顔で俺を見上げていた。

「来栖さん、喜んでください。今日、審査員の一人だった方から連絡があって……」
「は、はあ?」
「来栖さんさえ良ければ、プロデュースさせてほしいとの事です!」
「え!?」

流石の加奈子も、これには驚いたらしい。
俺がガッツポーズ全開で喜んでいる間、呆然と突っ立ってたからな。周囲の歩行者から奇異の視線を送られたが、構うもんか。
だってよ!俺は今、最高に「ハイ!」ってやつだァァァァからなッ!!

「あの……本当ですか?」
「はいっ!詳しい話は、後日事務所で行うようです。もちろん、来栖さんにも同席してもらいますから!」

俺がガキみたいに喜んでいる中、加奈子はうなだれ、静かに涙を流した。

60 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:07:11.89 ID:VzcOF4WKo [12/14]
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あれから一ヶ月が経った。
事務所に連絡してきたのは、大手レコード会社に勤めるA&R(アーティスト・アンド・レパートリー)担当の男性だ。
その方の話では、いきなりCDデビューというわけではなく、まずは一曲だけ着うたなどでネット配信し、そこで好評を得れば正式に契約、ということだった。
利益を生み出さなければならない立場にいる人なので、これは仕方ないと思った。だが、チャンスをもらえたことは事実である。
次へと繋げるためには、俺や、宣伝・広報の人間が尽力しなければならない。これについては、望むところだと言わせてもらおう。
そして今日は、レコーディング初日だ。
予定通りにいけば、三週間後には加奈子の歌が配信される。少々密なスケジュールだが、加奈子から文句は出てこなかった。


本日のレコーディングは無事終了、時刻は夜の8:30。
スタジオを後にした俺たちは、車で事務所に戻っていた。時間も時間なので、残っている人間は数えるほどしかいない。

「今日はお疲れ様でした」
「はい、お疲れ様でした。明日もよろしくお願いします」

明日も午後からレコーディングだ。明日の予定を確認し終え、これで本当に本日の業務は終了である。
帰り支度をしている加奈子に、俺は包みを持って近付く。

「来栖さん」
「はい?」

ショルダーバッグを担いだ状態で、加奈子は俺に向き直った。
その加奈子に、俺は手に持った小さな包みを差し出す。俺の行動の意味がわかってないのだろう。加奈子は小首をかしげている。

「遅くなりましたが、アーティスト・来栖加奈子誕生のお祝いです。受け取ってください」
「え?あ、あの……」
「受け取ってもらえないと、俺が困るんですが……」
「す、すみません。ありがとうございます」

加奈子は戸惑いながらも、俺からのプレゼントを受け取った。
しばらく包みを見ていたが、そのあと上目遣いで俺を見つめてくる。「開けてもいいですか?」と目で訴えていた。
俺は笑顔で頷く。それを見た加奈子は、綺麗に包装を剥がし始めた。黒色の細長いケースの蓋を開ける。

「綺麗……。ブレスレット、ですか?」
「ええ。お気に召すかどうかはわからないですけど」

俺がプレゼントしたのは、とあるブランドのプラチナブレスレットだ。二連チェーンのシンプルなもので、加奈子ぐらいの年齢の娘じゃ、少し物足りないかもしれない。
けど、加奈子に似合うと思うんだよな。派手じゃないけどエレガントさがあるし、こういうのも良いと思うんだ。
結構なお値段だったが、今回はお祝いだ。小さいことは言わないでおこう。
加奈子は早速ブレスレットを手首に巻き、色んな角度からそれを眺めている。

「似合ってますよ」
「そ、そうですか?私には少し、大人っぽ過ぎるんじゃないかなぁ」
「そんなことないですよ。普段の来栖さんに比べると少しクールに見えますけど、俺は良いと思います」
「あ、ありがとうございます。……その、大切にしますね」

うしっ!気に入ってもらえたようで何よりだ。俺のセンスも、この業界に入ったことで少しは磨かれたのかも知れんな。
さて、帰るか。俺が自分の鞄を手に持つと、目の前に細長い包みがあった。

61 名前:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 22:07:40.39 ID:VzcOF4WKo [13/14]

「あの、私も高坂さんにプレゼントを。その、いつもお世話になっているお礼です」
「え?いや、そんなに気を使わなくても……」
「わ、私も!受け取ってもらえないと困ります!」
「ありがとうございます!!」

ここまで言われたら、受け取らんわけにはいかんでしょうよ!け、決して加奈子の剣幕に圧されたわけじゃないんだからねっ!ホントだよ?
俺は受け取った包みを眺める。なんか、さっきとは逆だな。
加奈子は俺の様子をまじまじと見つめている。声には出さないが、「早く開けてください」という念がひしひしと伝わってくる。ぐっ……!なんだこれ?
俺は丁寧に包装を剥がし、中に入っていた箱を開けた。

「ネクタイ、ですか」
「はい。その、気に入らなかったですか……?」
「い、いえ!決してそのようなことは!スッゲー嬉しいっす!ありがとうございます!!」

加奈子さん、そんな捨てられた子犬のような目で俺を見ないでください。
けど、嬉しかったのは本当だ。加奈子から送られたネクタイは、華美なものではない。青を基調としたシンプルなものだ。これなら、普段使いにも適しているだろう。

「本当にありがとうございます。早速、明日着けてみますね」
「はい!」

ネクタイを鞄に仕舞い、俺たちは揃って事務所を出た。駅までは一緒なので、二人並んで歩いていく。
いや、これは「並んで歩く」と言っていいのかね?だって加奈子のヤツ、スゲー自然に腕を絡めてきたんだよ。

「あの、来栖さん?」
「いいだろー、別に」

あ、こりゃ駄目だ。だって昔の口調なんだもん。
こういうときの加奈子って、普段と違ってスッゲー我侭なんだ。俺が「離してくれ」って言っても聞かないね、うん。

「あのさ……」
「ん?」

俺が心の中だけで溜息を吐いてると、加奈子が声を掛けてきた。さて、次はどんな我侭が来るのかね。

「その……、これからもよろしくな」
「え?いや、その……」
「きょ、京介は加奈子のマネージャーなんだからよぉ!これからも加奈子さまのために働けよ!」

な、なんて理不尽なんだ……。我が家の妹もかくやと言うレベルの理不尽さ。パートナー云々に関して説教したかなかなちゃんは、一体どこに行ったんでしょうか?
そして、何故呼び捨てなんでしょうか?
でも、なんだ。そんなことはさ、今さら言われるまでも無えっての。だって、俺は加奈子のマネージャーなんだからよ。
仕事モードの加奈子なら、我侭を聞いてやらんでもない。

「当たり前だろ。今さらだな、それ」
「うっせー。オメーは加奈子さまの言う事聞いてりゃいいんだよ」

返事をしたら、なぜかそっぽを向かれてしまったでござる。何が悪かった?口調か?口調なのか?お前に合わせたのにそりゃ無えよ……。
ま、何を言われても、俺はこいつのために働くけどな。やれやれ、我侭なタレントの担当はつらいねぇ。おまけに有望なタレントだから始末が悪いぜ。
こりゃ、これからも忙しくなりそうだな。だからと言って、辞める気は無いけどよ。
俺のマネージャー生活は、まだまだ波乱が起きそうだ。そう思ったよ。





おわり
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