「願い」Q3

                  【Q】 3章 

高坂家 リビング
PM12:40

<<京介side>>

季節は冬。
家の外には木枯らしが吹き、窓はカタカタと小さく音を立てている。
部屋の中は暖房で過ごしやすい温度に整えられて、
暖房の稼動する音と微かな寝息だけが部屋を支配している。

「んん…。」

その静寂の中で小さな呻き声が上がり、瞼がゆっくりと開かれていく。
開いた眼にはまずリビングの天井が入ってきた。

「…………。」

寝起きで頭がボーッとして、思考能力が正常に戻るのに刹那の時間がかかった。
そうだ。朝御飯を食べて桐乃を見送った後、
酷い睡魔に襲われた俺はリビングのソファに横になったんだ。
どうやらそのまま浅い眠りについてしまったようだ。
母さんが気を利かせてくれたのか、一枚の毛布が体にかけられていた。

「ちょっとは眠れたかな…。」

結局昨日は、あのまま朝方まで寝付くことができなかった。
朝の強烈な眠気もそれが原因なのは間違いないだろう。

「んんーーっ。」

ソファの上で大きな伸びを一つしてから、
変な体勢で寝ていたせいで凝り固まった肩をゴキゴキと鳴らして周囲を見渡す。
キッチンには母さんの姿はなく、俺以外に人の気配は感じられない。

リビングの机の上には俺の携帯と一枚のメモが置かれている。
メモは母さんが書き残していったものだろう。
寝ぼけ眼を擦りながら、それを手にとって軽く読み流す。



「京介へ

 ちょっとご近所の方のところへ行ってきます
 お昼には戻るから、ご飯は待っててね

 母より                        」

ふむ、どうやら母さんは井戸端会議に出席しているようだな。
読み終えたメモをクシャリと丸めて投げ捨た後、壁に掛けられた時計を見上げる。

12:42

どう見てもとっくにお昼の時間は過ぎているよな…。
ぐぅううーと腹の虫も時間を思い出したかのように、体の中で喚き始める。

「腹減った…。
 どうせ喋るのに夢中になって時間を忘れてるんだろうなぁ。」

この調子では昼御飯を食べ損ねると判断した俺は、早々に1人で生きる道を選択する。

「けど、勝手のわからん台所で料理をするのも危ないか?
 しゃーない、カップラーメンぐらいならあるだろ。」

自炊を諦めてインスタントで済ますことに決めた俺は、ソファからスッと立ち上がる。
その際に、チカチカと着信を示して光り続けている携帯を手に取る。

まだこの携帯には桐乃のアドレスしか登録されてない。
恐らく着信も桐乃からだろうと当たりをつけてディスプレイを起動させると、
予想通り新しいメールの受信画面が表示されたのだが…

「うおっ?」

その画面を見た俺は、思わず驚きの声をあげてしまった。
朝は空だったはずの受信フォルダが、たった数時間で20を越えるメールで埋め尽くされていた。
送信者は全て桐乃からのものだ。

「まさか桐乃の身に何かあったのか!?」

在らぬ不安に駆られて、顔を少し蒼褪めながら一番最初のメールを開く。

from 桐乃
題名
本文 学校着いたよ~(*゚ー゚)v




――なんだこりゃ?
桐乃から送られてきたメールは予想に反して、拍子抜けする程他愛のないものだった。
他のメールも開けてみるが、どれもこれも内容に大差はない。


授業つまんな~い(# ̄З ̄)
今日掃除当番なの忘れてた↓↓
数学のテスト100点だったv(。・ω・。)
加奈子がすっごい機嫌悪い…
今日は結構暖かいね(*´∇`*)
もうすぐお昼だよ~


どんだけメールが好きなんだ、あの子は…。
1文だけの非常に短いメールばかりなのだが、全てデコメや絵文字で可愛く装飾されている。
中には明らかに授業中に送られてきたと見受けられるものもある。

「記憶を無くす前も、俺は桐乃とこんなにメールしてたのか?
 恋人同士でもこんなにやらないだろ…。」

そう思うと、昨日から気になっていた疑問が湧いてくる。
俺と桐乃との関係って一体何なんだろう、と。

もちろん俺達は血の繋がった兄妹だ。
それ自体は当たり前のことだし、絶対に変わることのない事実だ。
ただ、今の俺はその当たり前の関係に微妙な違和感を感じていた。

記憶を無くしてから昨日一日過ごしただけだが、
俺と桐乃が非常に仲のいい兄妹だということはよくわかった。
いろいろと世話を焼いてくれるのも、記憶を無くしたことに責任を感じているからだろう。

しかし、それだけではどうしても腑に落ちない部分がある。
俺の幼馴染みの女の子の話が出た途端、異常な程の敵意を剥き出しにしたり、
街中では人目を憚らずにベタベタした態度を取るのに、常に俺の反応を気にしていた桐乃。
これをただ〝仲が良いから〟という言葉だけで安直に片付けてしまっていいのだろうか?

桐乃から好きという感情を寄せられていること自体は昨日の早い内から気付いていた。
正直あそこまで素直な感情を向けられたら、どれだけ鈍感でバカな奴でもすぐわかるだろう。

ただその好意も、ちょっとした家族愛のようなものだろうと俺は思っていた。
だが、桐乃の俺への態度やこのメールに関しても、
桐乃の感情は家族としての〝好き〟から少し逸脱している気がしてならない。


あまりにも荒唐無稽過ぎて口にするのも億劫なのだが、
もしかして桐乃は俺を異性として意識している……?

桐乃の気持ちを考えていると、
自分の思考がありえない方向へと跳びかけていることに気付いてハッとする。

「―――っいや。無い!それは無いって!?
 ドラマかマンガの読みすぎだろ、俺!
 妹が実の兄のことを好きで、その兄も――ってことなんて…。」

そのバカげた発想を否定しようとするとするのだが、
頭で否定すればするほど、そこから更に思考は深みに嵌まっていく。
有り得もしない妄想で一杯になっていく自分の頭が正直怖くなってきた。

「ぐわーーっ!何考えてんだ馬鹿野郎っ!
 そんなの変態じゃねーか!?
 変に意識するなって!!」

あまりの妄想の恥ずかしさに顔を真っ赤にした俺は、
ガッデムっ!と叫びながらリビングで大きく身を捩らせ始めた。

リリリリン…リリリリン…!

「うおっ!?」

そんなところで突然、家の電話がけたたましく鳴り始めて心臓が飛び出るほど驚いてしまう。
家への電話なので、出るべきかどうか少し悩んだが、
家に居るのにとらないのも悪い気がして恐る恐る受話器を手に取った

「…もしもし?」

「あ、もしもし。高坂さんのお宅ですか? 
 私、桐乃の同級生の新垣と申します。」

「…はあ。」

電話の主は若い女の子のようで、畏まった口調で新垣と名乗ってきた。

『桐乃の友達がこんな真っ昼間に何の用だ?』

学校にいるはずの桐乃の友達と名乗る電話口の女に、俺の警戒心は自然と高まっていく。
言葉遣いは非常に丁寧なのだが、それが却って相手の胡散臭さを強める要因となっていた。


「すいませんが、京介さんは今日どうされてますか?」

『―――俺?』

電話口の女から思わぬ質問が飛んできた。
桐乃の友達だと言うからには、何かしら桐乃に関しての用件だと警戒していたので、
意表を突かれた形となる。

「あ、えっと…俺が京介ですけど?」

「―――えっ!?
 お兄さん!!?」

「お、おにいさん?」

おずおずと自分が京介だと答えると、電話口の相手が大きく驚く様子がこちらまで伝わってきた。
そして俺は俺で記憶にない女の子から、突然お兄さん呼ばわりされて混乱が更に深まっていく。

「なんでこんな時間に家にいるんですかっ!
 学校はどうしたんですか!?」

先程までの丁寧な話し方から一転して、相手の声は興奮した大きな声へと豹変した。
なんで、どうして、と矢継ぎ早に俺へと詰問を投げ掛けてきた。
そのあまりの変わり様に腰が引けつつも、なんとか事情を説明しようとする。

「あ、いや。それはな…。」

「携帯の方に出なかったのも、そういうやましいことがあったからですね!
 朝から何度も電話を掛けてたんですよ!?
 それに、桐乃がお兄さんのことを京介って呼んでたのはどういうことですか!?
 私言いましたよね?桐乃に手を出したらどうなるかって――。」

な、なんなんだ、こいつは!?
俺の話は1つも聞かずに、質問を被せてきやがった!

喋りだしたら止まらないとは正にこの事だ。
ヒステリを起こしたかのような甲高い声で、
そいつは電話口でギャーギャーと叫び声をあげてヒートアップし続けている。
最後には、なぜか桐乃が俺のことを「京介」と呼んだだけで、
俺が妹を襲ったと勝手に決めつけられてしまった。

「ちょっと待て!
 何の話か全然…っ」


「言い訳ならいつもの公園で聞かせてもらいます。
 学校が終わってすぐの3時半に来てください。
 そこでお兄さんの罪状を言い渡しますから。」

「……公園?」

何とか言い返そうとするが、無碍も無くピシャリと俺の言葉は断ち切られて、
更にはいつもの公園にこいと命令してきやがった。
〝いつもの〟と言われても記憶の無い俺にはさっぱりわからないので、
鸚鵡返しのように聞き直してしまった。

「またふざけてるんですか!?
 すぐ側に交番がある公園ですよ。
 3時半ですからねっ?
 少しでも遅れたらぶち殺しますからっ!」

ガチャッ!!ツーツーツー……

「こ、怖ぇええーーー!?
 なんなんだこいつは!
 悪戯電話にしても質が悪すぎるだろ!!
 キチガイか?キチガイなのか!?」

『遅れたら殺す』と物騒な言葉を残して、そいつからの電話は一方的に切られてしまった。
あまりにも理不尽過ぎる状況にやり場の無い怒りが込み上げてきて、
受話器を握ったまま叫び声をあげる。
その時、玄関のドアをガチャリと開けて母さんがようやく帰宅する。

「ただいまー。ごめんねぇ京介、遅くなって。
 あら、そんなとこで何してるの?」

「あ、ああ。
 なんか桐乃の友達っていう新垣って子から電話があったんだけどさ…。」

「あら、あやせちゃんから?
 何の電話だったの?」

帰ってきた母さんに事情を説明しようとすると、新垣という名前を聞いただけで、
母さんはすぐにあやせという名前を出してきた。
どうやら母さんはあのキチガイ女を知っているようで、
桐乃の同級生というのも一応は本当のことらしい。


「俺もよくわからん。
 名乗ったら急に怒られて、公園に来いって命令されてすぐに切られちまった。」

うーむ、改めて説明すると自分でも本当に意味がわからん。

「公園に?…あんた、あやせちゃんに何したわけ?」

「何もしてねーよっ!?
 って言っても記憶がないから覚えてないけどさ…。」

「それもそうね。なら、ちゃんと行って謝ってきなさいよ?」

「…………。」

あ、あれれー?なぜか俺が謝りに行くって決定してるぞ?
どうやら母さんの中では、俺が悪いことは確定事項のようだ。
あんなキチガイより評価の低い俺って…。
母さんからの信頼の無さを知って、半分涙目になりながら渋々頷くのだった。



通学路近辺
15:25


俺は携帯のマップを頼りに、見知らぬ住宅街をキョロキョロと見回しながら進んでいた。
ちょうど学校が終わった時間のようで、周りにはチラホラと家路を急ぐ生徒の姿が目に入ってくる。

正直、ギリギリまで公園に行くかどうか迷ったのだが、
そのキチガイは俺と桐乃の共通の知人らしいので、俺たちの関係についても、
何かしらの情報を得られると思ったのだった。
今日の朝、桐乃から放課後すぐに帰るから家に居るように言われていたが、
掃除当番だから帰りが遅くなるとメールでもあったし、桐乃が家に帰るまでに戻ればいいだろう、
という気持ちになっていた。
あ、ちなみに桐乃のメールには一応全部返信しといたけどな?

「お、あれかな?」

そんなことを考えていると、住宅地から道の開けた眼前にお目当ての公園を見つける。
あの〝あやせ〟とかいう女の言葉通り、公園のすぐ側には小さな交番も見受けられた。
チラッと中を窺うが、パトロール中なのか警官の姿は見当たらない。
最悪、危なくなったらこの交番に逃げ込めばいいと思っていたのだが、
どうやらそうはいかないらしい。


その交番の脇を抜けて、俺は壁に隠れるようにして公園を見渡す。
この公園はアスレチックなどはあるにはあるのだが、想像以上に寂れており、
加えてこんな刺すような寒さの中では人の数も非常に疎らだ。
そして公園の交番に近い方のベンチにセーラー服を着た女の子が1人、
俺に背を向ける形でポツンと座っていた。
後ろ姿を見る限り、至って普通の、どちらかと言えば華奢そうな女の子で、
特段怪しいところは見当たらない。
一先ず悪戯とかの類いでは無さそうなのでホッと胸を撫で下ろす。

『いや、外見が普通だからった油断するなっ。
 振り向いたら化け物みたいな奴かもしれん!』

先程の電話のせいで、相手の印象は最悪のものになっていた。
いつ襲い掛かってこられても大丈夫なように警戒しつつ、
後ろからこっそりとその女に近づいていく。

「あ、あやせ…ちゃん?」

手の届きそうなところまで近づいて、恐る恐る声をかける。
声が少し裏返ったのはビビってるからじゃないんだからね!?

俺の問い掛けに女の子は一瞬ビクッと肩を震わせた後、ゆっくりこちらへと振り向いた。
そして俺はその顔をみて、思わず自分の目を疑っていた。
なぜなら…

―――――そこには天使が座っていた。




                   【Q】 3章  完

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最終更新:2012年01月03日 23:05
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