【Q】 4章
千葉市 児童公園
PM3:30
この児童公園には遮蔽物のようなものは殆ど無く、空はスッキリと晴れているのだが、
強い風のせいで気温以上に肌寒く感じられる。
辺りにはこの厳しい寒さにも負けることなく放課後を満喫している小学生がチラホラと見えるだけだ。
「あ、あやせちゃん…?」
そんな公園の隅で、俺はベンチに座る一人の女の子に後ろから声をかけた。
一応言っておくと、俺がへっぴり腰になってるなんてのはあんたらの見間違いだからな?
そんな俺の呼び掛けに、その子はビクッと一瞬肩を震わせた後、
ギギギと壊れたブリキ玩具のような音を立てながらゆっくりと立ち上がり、こちらへと振り返った。
その瞬間、俺はまるで時が静止したかのような錯覚に陥った。
なぜって?そりゃ俺の目の前に天使がいたからだ。
艶やかなストレートの黒髪は肩口まで伸び、髪の根本から先端まで乱れ一つ無い。
何故か眉を顰めているのだが、それでも美しさが全く損なわれることの無い美貌。
そして冬の制服の上からでもわかる引き締まって魅力的なプロポーション。
その佇まいは凛として、寂れた公園に咲く一輪の華のように輝きを放っている。
「お兄さん…今なんて仰いました…?」
振り返った女の子は腕を胸の下で組んで身構えつつ、少し震えた声で応えてきた。
しかし、その格好が小さくない胸をより強調しているだけだということには気付いていないようだ。
心の中でテンションがどんどんと上がっていく。
「あやせちゃんって呼んだだけだけど…?」
「あやせちゃ…!?///
な、何を企んでいるんですか!?」
高鳴る心臓を強引に抑えつけながら答ええたのだが、どうやらその呼び方が問題らしく、
あやせちゃんはとても可愛らしい形相で俺を睨んできた。
あまりに強い警戒心を向けられたせいで、逆にこっちの方が冷静になることができた。
「いや、本当に何も企んでないって。
実は言うと、俺の方があやせちゃんから事情を聞きたいくらいなんだ。」
「……どういうことでしょうか?」
できるだけ刺激しないようにやんわりとした口調で説明したおかげで、
あやせちゃんもどうやら俺の話を聞く気になってくれたようだ。
正直電話のようにヒステリを起こされたらどうしようかと心配していたので、
心の中で秘かに胸を撫で下ろす。
というか、目の前の女の子があの電話口のキチガイと全く結び付かないんだが、
どうしたらあんなに発狂するんだよ…。
「実はな、俺、記憶が無くなってるんだ。
覚えているのは自分の名前だけで、あやせちゃんのことも正直何も覚えていない。
事情が聞きたいってのはそういうことなんだよ。」
「記憶を……?
――嘘っ!お兄さん、また私をおちょくっているんですね!
桐乃はそんなこと一つも言ってませんでしたよ!?」
記憶が無いことを説明すると、あやせちゃんは一瞬ポカンと呆気にとられたようだったが、
すぐにハッとして疑いの言葉をはさんできた。
「信じられんことかもしれんが、本当のことなんだ。
ここに来たのも本当は、桐乃の友達のあやせちゃんから話を聞きたかったのが理由なんだ。
だから一先ず俺から事情を説明させてくれないか?」
「――――わかりましたっ。
まずはお兄さんの話を聞かせて頂きます。
その話が真実かどうかは聞いた後で判断させてもらいますから。」
「ありがとう。
それなら、どこから説明すればいいのかな――。」
まだ疑念を抱いているあやせちゃんの眼を真正面から見据えて、話を聞いて欲しいと頭を下げる。
その真摯な気持ちが伝わったのか、あやせちゃんは一瞬眼を逸らした後、
俺の方に向き直って話を聞く態勢になってくれた。
俺はあやせちゃんに、自身が知る限りの事情を一つ一つ思い出しながら説明していった。
土曜日に桐乃と一緒に秋葉原へ遊びに行ったこと。
交通事故に遭いかけた桐乃を庇って俺が車に轢かれたこと。
それが原因で俺は名前以外の記憶を失ってしまったこと。
携帯が壊れて買い換えたため、あやせちゃんからの電話に出れなかったこと。
学校を休んでるのも安静をとるためだということを順序立ててゆっくりと説明していった。
話が進むにつれて、あやせちゃんは顔を青くしたり、口に手を当てて驚いたりと、
目まぐるし表情が変わっていったが、途中口を挟むことなく最後まで黙って聞いてくれた。
俺の話が終わると、自分の中で話を消化しようと顎に手を当ててブツブツと何かを呟き始めた。
それから数分経って、あやせちゃんはスッと顔をあげて俺の方へ笑顔を向けてくれた。
「――事情は理解しました。
嘘にしては話が良くできてますし、お兄さんの態度からも本当のことだと思って大丈夫でしょう。
疑ったりして本当にすいませんでした。」
「俺自身信じられないようなことだから構わないさ。
わかってくれて助かるよ。」
俺の拙い説明でもなんとか信じてくれたようで、
あやせちゃんは先程の態度から一変して俺に頭を下げて謝罪してくる。
そのことに苦笑しつつ、俺はあやせちゃんに顔をあげてくれと声を掛ける。
「………ええ。
よーーーーくわかりました。」
――――ゾクッ!!!
そう笑顔で応えてくるあやせちゃんの瞳が怪しい輝きをを放った気がした。
天使の背中から黒い翼が生える幻覚も見えて、
背筋に氷の棒を突きたてられたような寒気を感じてしまった。
心の奥底、本能の部分で危険を訴える警笛がけたたましく鳴り響き始める。
「……どうしました、お兄さん?」
「え?あ、いや、なんでもない…。」
―――気のせいか?
思わず眼を擦ってみるが、あやせちゃんの様子はどこも変わらない。
いや、どちらかといえば先程よりも柔らかい雰囲気を帯びている気がする。
そんな俺の行動を奇特に感じたのだろう。
それでも極上の笑みで首を傾げるあやせちゃんは正に天使そのものじゃないか。
そう思うと先程の幻覚も何かの見間違いだと考え、未だ鳴り止まない警笛を無視する。
「お兄さんの記憶が無くなってしまったことは理解しました。
それで、先程私から話を聞きたいということでしたけれど、一体どんな話なんですか?」
「あ、ああ。それはな……。」
いよいよ本題ということで、あやせちゃんの方から俺に話を振ってきた。
それで俺も口を開きかけたが、改めてこんな話を本当にすべきか思い悩んでしまい、
ついには言い淀んでしまった。
よくよく考えてみると、桐乃の友達に俺と桐乃の関係を聞くってのは非常に小っ恥ずかしい。
しかも、桐乃が俺のことを男として意識してるか聞くなんて何の羞恥プレーだよっ。
どう考えても変態です。本当に(ry
それに、そんな事を喋ってしまえば俺はまだしも、同じ学校に通う桐乃に迷惑が掛かるのでは、
変な噂が立ちはしないかと不安に駆られる。
すると、そんな俺の不安を汲み取ったのか、あやせちゃんはニコッと見惚れるくらいの笑顔を創った。
「安心してください。
お兄さんの話はこの場の、私とお兄さん二人だけの秘密にします。
どんな話であろうと絶対に桐乃には話しませんから。」
その吸い込まれそうな甘い声と笑顔を向けられて、
俺の不安や警戒心といったものは即座に形を失っていった。
この子なら真剣に聞いてくれる、そんな気分にさせてくれる雰囲気があった。
気付けば、俺は目の前の天使(悪魔)に話をし始めていた。
「その…もしかしたらあやせちゃんにとっては気持ち悪い話かもしれないんだけどな…。
桐乃と俺って普通の兄妹だったのか?」
「―――普通の、とはどういうことですか?」
「あー、えっと、何て言うかな。
兄妹だから仲が良いのは当たり前かも知れないんだけど、
どうも桐乃の態度がその域を越えてるような気がしてるんだ。
その、兄妹じゃなくて異性として意識されてる…なんてな……。」
最後の方は殆ど消え入りそうな呟きになってしまった。
だが、話の内容も年下の、まだ中学3年生の女の子に話すようなものでは到底無い。
そう思うと、一気に自己嫌悪の感情が膨れ上がっていった。
しかし、綾瀬ちゃんの方は俺の話から何かを思案するように、顎に手を当てて顔を伏せていただが、
一つ頷いて顔を上げると先程と同じ笑顔のまま答えてくれた。
「…確かにお兄さんと桐乃は私から見ても、とても仲のいい兄妹でした。
傍から見て嫉妬しちゃうくらいに、です。
けど、安心してください。お兄さんが心配してるようなことは絶対にありませんから。」
「そっか。やっぱりそうだよな…。」
あやせちゃんは、桐乃が俺を男として意識することはありえないとキッパリ断言してくれた。
桐乃の親友が言うのだから、事実その通りなのだろう。
そのことに俺はホッと安堵の溜息を漏らす。
しかし、心の中では少し、ほんの少しだけだが残念な感情が混ざっている気がした。
「当たり前じゃないですか。
お兄さんはすごく誠実な方でしたからね。
そんな、実の妹と〝穢らわしい関係〟になるわけありませんよ。」
「そ、そりゃそうだよな。」
「そうですよー。
それに私達、付き合ってたじゃないですか。
もし、万が一そんなことになればぶち殺しちゃいますよ?」
「そりゃそ……………え?」
穢らわしい、という言葉が強調され、少し複雑な気持ちになる。
そして、そのまま流れであやせちゃんの言葉に同意しかけたが、
その内容の重大さに気付いた俺は思わず聞き返した。
……この子は今何て言った?
「あー、すまん。
ちょっと途中の方がよく聞こえなかったから、もう一度言ってくれないか?」
「もうっ。女の子にこんな恥ずかしいことを何度も言わせる気ですか?
それならもう一回だけですからね?
…お付き合いさせてもらってます♪」
「誰と誰が…?」
「お兄さんと私が、です♪」
俺のお願いにあやせちゃんは頬を朱色に染めながらも、最高の笑顔でサラッと答えてくれた。
言葉の意味を掴みきれずに頭の中がグルグルと激しく混乱していく。
え?なに?どういうこと?
俺とあやせちゃんが付き合ってるってことは、目の前の天使が俺の彼女というわけで……。
「な、なんだってぇえーーーー!!??」
心の許容範囲を軽くオーバーしたその衝撃の事実に、
俺は公衆の面前ということも忘れて叫び声をあげてしまった。
『あり得ねぇ!
今目の前にいる女の子が俺の天使(マイエンジェル)だと?
ドッキリか!ドッキリなんだろ!?
どうせそっちの茂みに看板を持った奴がいるんだろっ!?』
そんな俺の考えが読めたのか、あやせちゃんはむぅと頬を膨らませて抗議の声を放ってくる。
「なんですか?
お兄さんは私と付き合っていることがそんなに嫌だったんですか?」
「あ、すまん。別に嫌とかそんなんじゃないんだ。
ただ余りに突然のことだったから、ちょっとビックリしただけで…。」
「ふふふ。それなら安心しました。
お兄さんはどんなときでも優しいんですね。」
ご機嫌を損ねてしまったあやせちゃんに、あたふたと慌てながら何とか釈明をする。
その様子が可笑しかったのか、直ぐに笑顔に戻ったあやせちゃんは、
俺の服の裾をキュッと掴んできて、甘えるような声で褒めてきた。
その仕草は本当に彼女が彼氏に甘えているときのものに感じた。
「…っていうことは何だ。
もう一度確認させて欲しいんだが、俺とあやせちゃんは付き合っていると?」
「はい、そうですよ♪」
バクバクと早撃ちを始めた心臓を宥めながら質問すると、
あやせちゃんは一目惚れしてしまいそうな笑顔で即答してきた。
…ヤバい、なんかクラッときた。
無性に目の前の女の子を抱き締めたい衝動に駆られるが、
残り少ない理性を総動員してその欲望を抑え込む。
「そういえばお兄さんは誠実なんですけど、私の前ではすごく変態で助平だったんですよ。」
「え………?」
俺の本能と理性が争っていると、あやせちゃんはちょっとした思い出話をするかのように、
サラリと聞き捨てならない事を口にした。
へ、変態?すけべい?
以前の俺はこの子に一体何をしでかしたんだ…?
頭の中で様々な妄想が浮かんでは消えていく。
「この前私の家に来た時なんて、突然手錠をかけて欲しいってお願いしてきたじゃないですか。
だから念のため今日も持ってきたんですよ?」
予想の遥か上に突き抜けちゃったよーーー!!?
手錠って何だよ?っていうかそいつは一体どんなシチュエーションなんだ!?
あやせちゃんが開いた鞄から銀色の〝何か〟がチラリと視界に入ってしまい、
その生々しさから以前の自分の性癖に本気で恐怖を覚え始める。
「――あ、あやせちゃん?
せっかく以前の話をしてくれてるのはすごく嬉しいんだけど、
ちょっと今の俺には内容がヘビー過ぎな気がするんだが……。」
彼女に手錠を嵌められて喜ぶ変態を想像してしまい、
俺のテンションは一気にマイナスまで振り切れた。
精神ゲージに赤ランプが点り始めた俺は、
自分の心の平穏を守るために話を止めてと遠回しに頼み込む。
「本当に全部忘れてしまってるんですね。
……それじゃあ、あの事も忘れちゃったんですか?」
「……あの事?」
すると、あやせちゃんはモジモジと照れながらも、非常に意味深な言葉を投げつけてきた。
この態度を見れば、その内容がとんでもないことなのは一目瞭然だろう。
しかし、だからこそ無性に気になってしまい、ついつい話の先を促してしまった。
『大丈夫だ!
とんでもない話なんざさっきからポンポンと、鶏の卵並みに飛び出てきているだろ。
鉄の如く鍛え上げられた俺の魂(ハート)なら、どんな事実でも受け止められるっ!』
バッチこいっと心の中で気合いを溜めて、あやせちゃんの言葉を待つ。
「―――お兄さんが…私にプロポーズしてくれたことですよ。/////」
「………………。」
それは正しく今日一番の衝撃だった。
俺の鉄の心はそのあまりに衝撃的な内容を受け止めるどころか、脳味噌共々凍りついてしまった。
今までの話はただのボディーブローにしか過ぎず、
最後に世界レベルの右ストレートが俺の心に叩き込まれた。
「な、なにぃぃいいいいいーーーー!!??」
ようやくフリーズから立ち直った俺は、これまた今日一番の絶叫を上げるのだった。
【Q】 4章 完
最終更新:2012年01月03日 23:07