「願い」Q5


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                   【Q】 5章 

千葉市 児童公園
PM3:50


あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

「おれは 知らない女の子に出会ったと
 思ったらいつのまにか結婚していた」

な…何を言ってるのか わからねーと思うが
おれも 何をされたのか(ry


「…って、いやいや!ち、ちょ、ちょっと待ってくれっ。
ぷ、プロポーズ!?って夫婦になるってことだぞ!?
わかってるのか?」

「…………(コクッ)/////」

「―――――。」

完全に狼狽しきった俺の問い掛けに、あやせちゃんは頬を染めながらも、
しっかりと頭を縦に振って肯定の意思を示す。
そうなるともう、詰みだ。
俺は陸に打ち上げられた魚のようにパクパクと口を動かすことしかできなかった。


「もう、またそんな顔するっ。
 どうせ信じてくれないと思って証拠も持ってきてるんですよ。」

俺の反応が気に食わなかったのか、あやせちゃんは頬を膨らませながらそう言うと、
ゴソゴソと自分の鞄を漁り始めた。
そして直ぐに、携帯を少し小さくしたような銀色の機械を取り出した。

よくよく見ると、それは小型のレコーダーのようだ。
あやせちゃんはそれを俺の眼前に掲げると、徐(おもむろ)に再生ボタンを押した。





―――ザ、ザザッ…

『……その、責任を取るって、具体的に何をすればいいんでしょう?』
『結婚してくれ。』

プツッ―――


……た、確かに俺の声だ。
音質も悪く、非常に短い録音データたが、確実にそれはプロポーズの言葉だった。
っていうか、責任って一体俺はあやせちゃんに何をしでかしたんだ…?

この時少しでも冷静であったならば、なんでこんなものを録音したんだとか、
なんで今それを持っているのか、などツッコミ所が満載なことに気付けただろう。
しかし、度重なる衝撃的な話でテンパり過ぎていた俺はまともな思考能力が失われおり、
そのことに気付くことができなかった。

何より、普段であればこんな可愛い子と結婚の約束をしていたことがわかれば、
両手を上げて狂喜乱舞していたに違いない。
しかしこの時の俺は、
何とかしてこの話を断らなければならないという焦燥感で心の中が一杯だったのだ。


「いや、確かに…、けど、あの。
 ち、ちょっと待ってくれ。なっ?
 すげー突然のことだから、何て言えばいいのかわからないんだけど…。」

「…………。」

「俺もまだ学生でガキだし、あやせちゃんを養ってやる力なんて無いだろ?
 ただでさえ記憶が無くなってるから、プロポーズのことも、
 あやせちゃんとの関係もあやふやじゃないか。
 ―――それに、桐乃のこともあるから急にそんなこと言われても…。」

「――――っ!」

「…っ!あっ、いや。その、だからあやせちゃんの気持ちは嬉しいんだけど、
 今すぐ結婚とかそういうのはちょっと早いと思…。」

「…ぷっ、クスクス――。」

「…………ん?」


思いつく限りの言い訳をするが、途中自らの失言に気づいた俺は、
取り繕いつつも強引に断る方向に話を持っていこうとする。
すると途中まで黙って聞いていたあやせちゃんが、
突然顔を伏せて、笑いを噛み殺したような声を漏らし始めた。

「クスクス…。ご、ごめんなさい、お兄さん。
 今のは冗談なんです。」

「――――なっ!!??」

「私とお兄さんが付き合っていたり、お兄さんが私に本気でプロポーズするなんて、
 そんなことあるわけないじゃないですか。
 さっきの録音データも以前にお兄さんが巫山戯て言っていたのを録音したものなんです。」

「――――――。」

あやせちゃんは笑いを堪えながら謝ると、先程までのネタバラシをしてくる。
一方俺はというと、余りの予想外の事態に開いた口が塞がらなくなっていた。


え?冗談ってことは何?どういうこと?
もしかして俺……

からかわれてたーーーー!?


あやせちゃんの掌で完全に遊ばれていたことに気付いた俺は、
色々な意味で舞い上がっていた自分の振る舞いを思い出して、顔が羞恥心から真っ赤になる。
うぉおおおお!俺は年下の女の子相手に何をやってんだぁ!!?
殺してくれ!もういっそ殺してくれぇ!!!


「本当は途中で冗談だって言おうとしたんですけど、
 お兄さんの反応があんまり面白かったので止まらなくなっちゃいました。」

テヘッと自分の頭を小突きながら舌を出して謝るあやせちゃん。
こ、こいつは天使なんかじゃねえ!
天使の皮を被った悪魔じゃねえか!


「あやせ貴様ぁ!よくも……よくも俺の乙女心を弄んでくれたな!」

「…な、なんだかすごくデジャブを感じるんですが、本当に記憶無くしているんですか?
 けど、お兄さんにはいつもセクハラされてましたからね。
 今回はそのお仕置きですから、これで差引ゼロですよ。」


理不尽すぎるその仕打ちに、思わずちゃん付けも忘れて恨み事を口にすると、
あやせちゃんは若干引き攣った顔をしつつ、これで相殺だなんて戯言を抜かしてきやがった。

「けっ!言っとくが、俺はもう騙されねぇからな!
 そもそも俺がセクハラなんてするわけねぇじゃねーか。
 どうせ、手錠の話とかも冗談なんだろ?」

「あれ?私、恋人とプロポーズのこと以外は冗談だなんて一言も言ってませんよ?
 セクハラも手錠の話も本当ですし、プロポーズだってほら、実際しているじゃないですか。
 言ったでしょう?お兄さんはすごく変態でど助平だったって。
 ―――他にもお兄さんの変態な話は沢山あるんですよ?」

「なん…だと……?」

嘘とわかればこっちのものだと、俺は強気になってあやせちゃんに問い質す。
しかし、あやせちゃんは不気味に思えるぐらいの満面の笑みで、
これ以上駄々をこねるようなら全部バラしちゃいますよ?とやんわり脅してくる。


――手錠の件が事実…だと?

あの変態ストーリーが本当だとすると、京介変態説は一気に現実味を帯びてくる。
そして、それ以上の弱みをあやせちゃんが本当に握っているとしたら……。
そこまで考えると、俺の背中に冷たい汗が流れ始める。

……だが、しかし!この俺はそんな脅しには屈しない。絶対にだ!!
その不屈の精神というものを、この糞生意気な小娘にビシッと教えてやる!



「―――お願いですから、もう勘弁してやってください!!」


平伏低頭、俺は不屈の精神を持って勢いよく頭を下げた。
勘違いするなよ?
これは決してあやせちゃんに屈伏したわけじゃなくて、戦略的撤退なんだからね!?


そんな俺の狼狽した姿が余程ツボにはまったのか、あやせちゃんはお腹を抱えて笑い始めた。
笑い過ぎて、先程から目元には涙が薄っすらと浮かんでいるのが見える。
ちきしょう。こっちは違う意味で泣きそうだぞ。


「あはは…ご、ごめんなさい……。
 でも、記憶なんて無くてもお兄さんはお兄さんのままなんだとわかって安心しました。」

「へいへい、どうせ俺は手錠で繋がれて喜ぶような変態野郎ですよ。」

あやせちゃんのフォローになっていないフォローに、俺は肩を落として自虐の言葉を吐き出す。

「そんなことないですよ。私、お兄さんの優しさもよく知ってますから。
 ………それに、お兄さんの本心も聞けましたからね。」

完全に拗ねてしまった俺に、あやせちゃんはまるで子供をあやすような口調で励ましてくる。
そして、その後に小声でボソボソと何かを呟いた。

「ん?なんだって?」

「ふふっ、お兄さんは恋人と同じぐらい私にとって大切な人だって言ったんですよ。」

「……え?」

その呟きがよく聞き取れずに問い返すと、惚れてしまいそうなくらい眩しい笑顔でそう答えられて、
思わずドキッとしてしまう。

「あ、もちろん〝桐乃の次に〟ですけどね。
 だからお兄さんは二番目です♪」

「あ、さいですか…。」

ちょっぴり期待した結果がこれだよ!
桐乃の次ってことは、友達以上恋人未満っていうことだろ?

「あー、でも何だがすごくスッキリしました。
 今日は朝から桐乃の様子がいつもと違ってたのでずっとモヤモヤしてたんですけど、
 それもどこかに行っちゃいました。」

大きく伸びをしたあやせちゃんは、どこか吹っ切れたかのように晴れやかな雰囲気を纏い、
なぜか一気に大人びた様に見えた。
しかし、俺はそのこと以上に気になる点があったので思わず食い付いた。

「桐乃の様子が…?
 今日ってそんなに変だったのか?」


今朝の桐乃は昨日と一緒だった、いや、どちらかと言えば機嫌はすこぶる良かった…と思う。
記憶が無いから判断基準があんまり無いけどな。

「いえ、別に悪い意味ではないんですが…。
 何て言うんでしょうか?いつもより一層綺麗に見えた…のかな?」

「――いや、………。」

桐乃が綺麗だったと言うあやせちゃんに、もともと桐乃は綺麗だろ?と言いかけたが、
寸前で何とか思い留まることができた。
なぜか、それを言った直後にあやせちゃんからハイキックされる姿が、
嫌って程リアルにイメージ出来てしまったからだ。

「あー!今、何いってるんだこいつって思ってるでしょう!
 桐乃は本当に凄いんですよ?
 誰よりも綺麗で、スタイルも抜群で、どんなことにも真面目で全力で、常に一直線で、
 学校だけじゃなくてモデルの仕事仲間の中でも人気者で……。」

俺が言い噤んだ理由を勘違いしたあやせちゃんは、堰を切ったかのように、
桐乃がどれだけ凄いかを力説し始める。




……5分後

「―――っていうこともあったんですよ。
 桐乃って本当に凄いと思いません!?」

「……あ、ああ。そうだな。」

長い、本当に長い話の最後に同意を求めてきたので、俺は少しげんなりしつつ同意する。
あやせちゃんの話を簡単に纏めると、桐乃は周りの皆から好かれる最高に綺麗な女の子なのだが、
今日は一段と綺麗に見えたってことらしい。
っていうか、この子はどんだけ桐乃のことが大好きなんだよ。
その桐乃への想いの強さに思わず苦笑してしまう。


「それでも、桐乃は〝あの趣味〟さえ無かったら完璧なんですけど。」

「―――あの趣味?」

最後にあやせちゃんは、本当に困ったものですと頬に手を当てながら大きな溜め息をついた。

はて、桐乃にそんな困った趣味なんてあっただろうか?
昨日、今日の記憶を辿るが、思い当たる節は1つも無い。


「………お兄さん、もしかして桐乃から趣味の話は聞いてないんですか?」

「――いや、聞いてないけど。
 服とか陸上とかそういうのじゃないのか?」

「………そういうことですか。」

何の話かわからず首を傾げていると、あやせちゃんも俺の様子に気付いたようで、
意味深な質問を投げ掛けてきた。
昨日桐乃からそういった話を全く聞いていなかった俺の頭には更に大量の?マークが浮かぶ。
その様子からあやせちゃんの方は事情を理解したようで大きなため息をついた。

「はあああっ。桐乃ったら本当にお兄さんに何も言ってないんですね。
 私から話すのもおかしいかもしれませんけど、桐乃の趣味はオ――」
「――あんた達、そこで何してるわけ?」

仕方がないなぁと、あやせちゃんが桐乃の趣味を喋ろうとしたが、
それを言い終える前に、ゾッとするほど冷たい言葉が横から差し込まれた。
恐る恐る声のした方へと首を向けると、
その視線の先には仁王立ちでこちらを睨み付ける桐乃がいた。


「…何してんのって聞いてるんだけど?」

突然の事で何の反応もできずにいた俺たちに痺れを切らしたのか、
桐乃は更に冷たい口調で聞き直してきた。
無理矢理感情を抑えつけているのか、不自然な程に表情が無く、まるで能面のようだ。
しかし、俺達、というよりあやせちゃんを睨み付けてくるその瞳には、
ハッキリと憎悪の炎が顕れており、心臓を鷲掴みされるような圧迫感がある。


「――え、えっとね…桐乃。
 これには理由があって……。」

「へぇー?あたしに内緒で京介をこんなとこに呼び出した理由があるんだぁ。
 何?せっかくだから聞いといてあげるけど?」

「そ、それは……。」


何とか口を開いたあやせちゃんだが、桐乃の皮肉が混ざった威圧的な言葉に、
二の句を繋げることができず再び口篭ってしまった。
まるで蛇に睨まれた蛙のように身が竦んでしまう。

最初は俺の帰る時間が遅くて怒っているのかと思ったが、
さすがにそんなレベルで無いことを読み取った。
しかし、それなら桐乃がここまで憎悪の感情を露わにする理由がわからなくなってくる。

「桐乃っ。あやせちゃんは悪くないんだ。
 ただ桐乃の友達から記憶を無くす前の話を聞きたくてな――。」

「それならあたしに直接聞けばいいじゃん!
 なんであやせから聞こうなんて思ったの?」

「う……。」

俺は、完全に怯えきったあやせちゃんをフォローしようと口を挟むが、
少しやんわりした口調ではあるがキッパリと桐乃から異を唱えられる。
桐乃との関係が気になったと正直に答えるわけにもいかず、俺の方も口を閉ざしてしまう。

「――――どうして?」

「はあ?」

「どうして、私がお兄さんと会うことを桐乃に報告しないといけないの?」

気付けば、先程まで顔を伏せて怯えていたはずのあやせちゃんが正面を見据えていた。
そして、静かだが身体の中に重く響く声で桐乃に問い返した。
その態度が気に食わなかったのか、桐乃はキッとあやせちゃんを睨みつけるが、
あやせちゃんも負けじとやや光彩の失せた瞳で睨み返す。

「桐乃とお兄さんは〝ただの兄妹〟だよね。
 それなら、別に私とお兄さんがどこで何をしようと、
 桐乃にどうこう言われる筋合いは無いんじゃないかな?」

「あんた…それ、本気で言ってるわけ?
 一応あんたのことも心配して言ってやってるんだけど。」

「――私を?本当はそうじゃないよね?
 桐乃が心配してるのはお兄さんの方でしょう?
 ……でも、それ以上に心配なのは、自分の趣味がお兄さんに知られることなんだよね?」

「――は、はあ!?
 趣味って何のこと?ほんっとに意味わかんないんですけど!」


あやせちゃんの思わぬ口撃に、桐乃は激昂して強く否定するが、
強く否定すればする程、何かを隠していると自分で言っているようなものだ。



「…………桐乃、〝また〟嘘をつくの?」

「―――っ!!」

桐乃のその反応を見たあやせちゃんは一度顔を伏せると、
少し間を置いてから桐乃を光彩の戻った瞳で睨みつけた。

「私の時もそうだったよね。
 無理に嘘を重ねて、桐乃だけだとどうしようもなくなって。
 それで最後はお兄さんに泥を被せてまで助けてもらって!」

―――私の時。
昨日桐乃から扉越しに聞いた、あやせちゃんと喧嘩したときに、
俺が間に入って仲裁したという話をすぐに思い出した。
恐らくあやせちゃんが言っているのはその時の事だろう。

「今回もそうじゃない! お兄さんに自分の気持ちも、趣味のことも全部隠して!
 あのとき、私も趣味もどっちも好きだって、どっちも捨てられないって言ってくれたじゃない!
 なのに、今の桐乃はどうなの!?
 自分の〝好きなこと〟を全部誤魔化している桐乃なんて、私が知ってる桐乃じゃない!
 そんな桐乃がお兄さんのことで私にどうこう言う資格なんてないっっ!!」

激昂したあやせちゃんは、非常に強い口調で桐乃に訴えかけた。

俺は桐乃の趣味のことは何も覚えていない。
だがその趣味は、桐乃とあやせちゃん、そして俺の3人にとって非常に深い因縁があるようだ。
それでも、事態が呑み込めない俺には緊張感がピンと張り詰めた二人の間に口を挟む余地もなく、
ただやり取りを見守るしかない。

――だが、そんな俺にも一つだけは理解できる。
あやせちゃんの言葉は、親友に向けられた心からの〝願い〟なのだと。
あれ程桐乃のことが好きなあやせちゃんだからこそ、
本当の桐乃でいて欲しいという、桐乃を叱咤激励する強い想いが込められていた。


そんな親友からの言葉に桐乃は…





「――――で?
 言いたいことはそれだけ?」


恐ろしく平坦で、全く感情が感じられない言葉を吐きだした。
しかし、その睨み付ける瞳は断じて友達へ向けていいようなものではない。
憎悪の念が篭ったそれは、本当に視線だけで人を殺しそうな錯覚さえ覚える。

「……え?」

「黙って聞いてれば、好き勝手言ってくれんじゃん。
 逆に聞くけどさぁ、あんたの方が何様なつもりなわけ?
 正直言って〝友達でも何でも無い〟あんたなんかに、
 あたしと京介との関係に踏み込んで欲しくないんですけど。」

「なっ―――!?」

予想外の桐乃の反応にポカンとしてしまったあやせちゃんに、
桐乃は能面のような顔のまま、友達であるという前提を完全に否定した。

それは正しく破滅の呪文だった。
その言葉が出た途端に2人を包む空気が、決定的に音を立てて崩れていくのがわかる。


「後、あんたが何か勘違いしてるようだから最後に言っといてあげる。
 趣味のことは本当に意味がわかんないけど、京介はあたしにとって誰よりも大切な、
 あんたなんかと比べられないくらい大好きな人なの。
 そのことを誤魔化す?そんな気なんてあたしには全く無いから。」

「き…桐乃……?」

「ウザいから、言い訳とか言わなくていいよ。聞く気も無いし。
 ただ、これからあたしの京介に変なことを吹き込むのも、会ったり連絡するのも2度としないで。
 友達じゃないあんたなんかが、あたしの京介に手を出す資格なんて無いでしょ?
 あ、もちろんあたしにも2度と話しかけてこないで。」

「―――――――。」

桐乃は赤の他人どころか親の仇を見るような目を向けつつ、

あやせちゃんとの繋がりを完全に断つと、絶交をすることを告げた。
余りの衝撃にあやせちゃんは瞳を大きく見開いて、何も口にすることができないでいた。
その顔は最早真っ青を通り越して真っ白になっていた。



「ほら、京介!こんな奴放っといて早く帰ろ?
 今日は夕飯一緒に作る約束だったでしょ。もう帰んない間に合わなくなっちゃうよ。」

「あ、ああ」

そんなあやせちゃんの様子を全く気にせずに、桐乃は俺の手を取って、
家へ帰るよう促してくる。
拒否できるような雰囲気では無く、強い力で手を引っ張られるがままに、
俺は短く同意することしかできなかった。

茫然と立ち尽くしているあやせちゃんを置き去りにすることに後ろ髪を引かれる思いもあったが、
それ以上に俺の心は桐乃の方へ向けられていた。
何故なら…

「………いいのか、桐乃?」

「何が?
 もうあんな奴、あたしにも京介にも関係無いじゃん。」

俺の前で早足に進む桐乃にそう呼び掛けると、
桐乃は本当にどうでもよさそうな口調でそう応えてきた。



「だったら………。」

―――だったら、なんでお前がそんな泣きそうな顔してんだよ。

俺はそう言葉にしかけて、桐乃が纏う全てを拒絶する空気に負けて途中で口を噤んでしまった。

普通であれば、茫然となっているあやせちゃんと、絶交を一方的に突きつけた桐乃とを比べれば、
あやせちゃんの方が衝撃は大きいだろう。
しかし今、桐乃とあやせちゃんのどちらの方が精神的ダメージを受けているか問われれば、
俺は間違いなく桐乃だと答えるだろう。

桐乃は涙を一滴も流していないし、足取りもしっかりしている。
だが、俺にはまるで捨てられた仔犬のように、

ボロボロと大粒の涙を流し続ける桐乃の姿が幻視(みえ)ていた。

もし今、桐乃の手を振り解いてあやせちゃんの方に戻れば、
何か一生取り返しのつかないことが起こるということが心の中で確信があった。
俺はその何かが怖くて、桐乃の後に黙って付いて行くことしかできなかったのだ。


―――こうして桐乃は、1人の大切な〝親友〟を失った。


後で振り返ってみれば、この時がまだ取り返しの付く最後の分岐点だったのだ。
ここで俺が何か一言でも桐乃に言ってやることができれば、
〝あんなこと〟には決してならなかっただろう。

しかし、この時の俺にはそんなことは想像すらできず、
数日後のそれを黙って待つことしかできなかったのだ―――。






                   【Q】 5章  完
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