「あのさー」
木曜日、学校から帰宅した俺に、リビングのソファに座っていた妹様からお声が掛かった。
「あんだよ」
「今度の日曜、アキバに行くから」
そう言えば、ゲーム会社『ありす+』が妹めいかぁシリーズに関連したイベントをやるってどっかのニュースサイトで言ってたな。
言っておくが、俺が自主的にこの情報を入手したのではないという事を力の限り強調させてもらう。
ネットサーフィン中、あくまでなんとなくリンクをクリッククリックしている最中にそのページをチラ見したに過ぎない。
その時は、こういうの絶対桐乃が見落とさないだろうな、と漠然と思っていたのだが案の定だったワケだ。
「何しに行くんだ?」
分かっていながら聞いてみる。
「『ありす+』のイベント」
ビンゴ。
「そっか。ま、行ってこいや」
「はあ?」
この後に続く桐乃のセリフは容易に想像できる。
俺は、桐乃の言葉に被せるように、
「「あんたも一緒に行くに決まってるでしょ」」
ホラ見ろ。完璧にシンクロしたぜ。
桐乃はチッと舌打ちする。
「分かってるんならいいケド──」
「言っておくが俺は行けないぞ」
俺の返しには意表を突かれたらしい。
目を大きく見開いて、
「なに勝手なこと言ってるのよ、あたしが誘ってんのよ?」
「その日は先約があるんだよ」
「そんなのキャンセルしなさいよ」
相変わらず理不尽なやつだ。
「そういうわけにはいかん。前々から決まってたからな」
「じゃ、じゃあ例えばお父さんが急に倒れて病院に担ぎ込まれたとかあっても、あんたは先約の方を優先するの?」
「あのなあ……、それとこれとは事情が全然違うだろ」
「同じよ! 家族のコトなんだから!」
「……じゃあ、イベント中にでもぶっ倒れろや。そうしたら駆けつけてやっから」
どうあっても俺は一緒には行けないという事を今更ながら認識した桐乃は、急に不安そうな、心細そうな表情になる。
「ねえ、どうしてもダメ? そんなに大事な用事なの?」
俺だって桐乃の兄であると同時に、一人の人間だ。桐乃の予定に合わない事態だって起こり得る。いや、むしろ今までそういう事が無かったのが不思議なくらいだ。
まあ実際のところ先約というのは赤城だったりするわけで、ちょっと断りの電話さえ入れれば問題無いと言えば問題無いのだが。
「黒猫や沙織を誘えばいいだろ?」
「あ、あの二人は予定があるって言うから……だからあんたを誘ってんじゃん!」
「その二人と同様、俺にも予定があるんだよ。それくらい分かれよ」
こういうパターンだと、大抵桐乃は仇を見るような目付きになるのだが、今回は今にも泣き出しそうな顔になった。
さすがにちょっと可哀想になり、赤城との約束を断ろうかなと思ったのだが──
「先約って……地味子?」
「ちげーよ! 仮にそうだとしてもお前には関係ないだろ! あと、麻奈実のことを地味子と言うな!」
意地でも赤城との約束はキャンセルしてやらん!
「ゴ、ゴメン……」
あれ? なんか調子が狂うな。
俺は大きく息を吐き、桐乃の頭に手を乗せて、
「まあ、今回は悪いけど諦めてくれ。この埋め合わせはするから」
そもそも、人の予定を無視する相手に埋め合わせするのもおかしな話なんだがな。
こういう場合もいつもなら大きくかぶりを振ったりするか俺の手を払い除けたりするのだが、珍しく何の反応も示さない。
代わりに今にも消え入りそうな声で、
「本当……? 嘘吐いたら殺すから……」
殺すってあたりは桐乃らしいのだが、どうも無理に虚勢を張ってるようにも見える。
部屋に戻った俺は、黒猫と沙織に電話をかけた。
『今度の日曜? 悪いけどあなたの妹からそんな申し出なんて聞いてないわ』
『はて、可笑しいですね。きりりん氏からのお誘いは無かったでござるよ?』
なんだ、桐乃のやつ。最初から俺しか誘ってないじゃないか。
でも、いったい何のためにそんな嘘を言ったんだ?
だいたい今日の桐乃の態度は可笑しい。
麻奈実の事で怒ったら素直に謝ってくるなんて、あいつは本当に桐乃か?
俺は改めて黒猫と沙織に電話をかけ直し、二人とも日曜に用事が無いことを確認した上で、偶然その場に居合わせたように装ってアキバのイベント会場に行ってもらうよう頼んだ。
そんなこんなで翌日の金曜日だ。
通学途中、横に並んで歩いている麻奈実が俺の顔を覗き込んできた。
「あ? どうした?」
「ううん、別に。ただなんとなくだけど、きょうちゃんに何かあったような気がして」
「何かってなんだよ」
「たとえば桐乃ちゃんのこととか?」
こいつは超能力者か?
「何かあったといえばあったんだけどな」
俺は桐乃のイベントの誘いを断ったらすごく悲しそうな顔になった事、桐乃の暴言(麻奈実のことを地味子と言った事には触れずに)に対して怒ったら素直に謝ってきた事、頭に手を乗せても抵抗しなかった事、俺以外にも誘える人間はいるにも関わらず断られたと嘘を吐いて俺だけを誘ってきた事を話した。
「うーん。よく分からないんだけど、どうしてもきょうちゃんと一緒が良かったんじゃないのかなあ」
「その程度の推理くらいは俺だって出来るわ。ただ、俺じゃないといけない理由ってのが思いつかなくてな」
「理由? 簡単だよー。桐乃ちゃんはきょうちゃんとでーとしたかったんだよ。ただ直接そう言うのは恥ずかしいからいべんとを口実にしたんだと思うよ?」
「は? それこそありえねーや」
「そうかなあ?」
「だいたいな、あいつははっきりと俺のことを大嫌いだと言ったんだぜ」
俺にとっての一番は自分じゃないと嫌だと言ったことは……伏せておこう。
「ふーん。ところで、桐乃ちゃんからの誘いを断った理由は?」
「赤城との先約があったんだけど……くれぐれも他の誘いを断ってまで赤城との約束を優先させたってこと、赤城には言うなよ?」
「言われなくてもそのつもりだけど、どうして?」
「何かの弾みでそのことが赤城の妹の耳に入ったらまずいんだよ」
「なにがまずいの?」
「……腐るんだよ……」
「腐る……?」
腐女子って概念、麻奈実はわかんねーだろうなあ。
「まあ、とにかくそういうことだ」
「ふーん?」
学校が終わって帰ってくると、桐乃はリビングのソファの上で体育座りのように膝を抱えて顔を伏せていた。
「……ただいま」
俺の言葉に桐乃はゆっくりと面を上げる。
そして、か細い声で、
「あ、あのさあ……」
とここまで言って、再び黙り込み、顔を伏せる。
「どうした?」
「ん……なんでもない……。おかえり……」
おそらく日曜のイベントの事なのだろうが、ここまで塞ぎ込むなんて、麻奈実の言う通り俺とデートしたかったとか? いや、それは無い。
普段の俺ならその可能性についても考える事もあるだろうが、今回に関しては何故かデートなどでは絶対に無いと確信めいたものを感じていた。
理由はわからん。なんとなくそんな気がするだけだ。
しかし、本当に覇気が全く無いな。学校でもこんな調子だったのだろうか。
なんて考えながらリビングを出たところで、携帯にメールの着信が入った。
確認するとあやせからで『公園で待っています』とあった。
いつもなら飛んでいくところだが、多分桐乃のことだろうなと思うと気が重くなってくる。
溜息つきつつ階段を上り、自室に通学鞄を置いて、また階段を下りる。
はあ……しょうがねえな……。
公園に着くとあやせはベンチに座っていた。
俺に気付くと立ち上がって駆け寄ってくる。
「悪い、待ったか?」
「はい」
はい、と来たか。少しはオブラート包んでくれてもいいものを。
「あの、さっそくですけどお話があります。桐乃の事なんですけど」
やっぱりか。
「その前に俺からも質問させてくれ。あいつ、学校でどんな様子だった?」
俺が聞くと、あやせは唇を噛み俯いた。
「……すごく暗くて……話し掛けても相槌しか打ってくれなくて……。こんなに落ち込んでる桐乃なんて見たことありません。わたしまで泣きそうになっちゃいました……」
俺に断られたくらいで親友を泣かすなよ。
「そうか。家でも同じような感じだよ」
「いったい何があったんでしょうか……?」
「……良くは知らないけど、今度の日曜に人を誘ったけど断られた……みたいだな」
嘘は言っていません。
「そんな……。あんなに落ち込んでしまうくらい桐乃に想われてる人がわたしの他にいるなんて……。なんでわたしを誘ってくれなかったんでしょうか? 嫌われちゃったのかな……?」
ヤバい。別のベクトルであやせを傷付けてしまった。
「い、いや。あやせのことは大切だからこそ誘えなかったんだよ。オタク方面の趣味の件だからさ。逆に、あやせと共通の話題の件であやせを誘って断られても、やっぱり同じように落ち込むぞ。まあ、あやせが桐乃の誘いを断るなんて事は無いだろうからそういう事態は起こらないけどな」
必死にあやせをヨイショする俺はなんて気配りの出来る人間なのだろう。
「だとしたら桐乃の誘いを断った人、許せません! 誰か分かりますか!? 分かったら連れて来て下さい!」
急に激昂するあやせ。
「……連れて来たらどうするんだ……?」
あやせは目から光彩を消失させ、
「どうするか聞きたいですか?」
「い、いいえ!」
俺、殺される……!
「ま、まあ、桐乃は俺がなんとかするからよ」
命が懸かってるからこりゃもう必死です。
「……わかりました。いささか不本意ですけどこの件はお兄さんにお任せします」
「任せとけって。月曜までには絶対元気にさせるから」
黒猫と沙織に話は付けてあるから、既に手は打ってあるんだけどな。
この時点での俺は、桐乃がどうしても俺を誘いたかった理由がデートなどではないと感じていた事もあり、どうせ『ありす+』のイベントで妹分を補充し、さらに黒猫や沙織とアキバ散策でもすれば桐乃の機嫌も良くなるだろうとタカをくくっていた。
結論から言うと俺の予想は根本的な部分に落とし穴があったのだが、その事に俺が気付くのはもう少し後になってからである。
さて、日曜日。
俺は現在赤城との約束を優先させた事について絶賛後悔中であった。
「いやー、瀬菜ちゃんに買物頼まれてね~」
そういう事は俺を誘った時点で言っておけよ。
「いつもなら俺一人で済ますんだけどさ~」
お前は本当に勇者だよ。
「初回特典が二種類あるってゲームを頼まれたんだけど、お一人様一品限りなんだわ」
今度赤城に真壁くんを紹介してやろう。
瀬菜からの依頼なら文句言いつつツッコミ入れつつ応じてくれるはずだ。
「高坂、なにさっきからブツブツ言ってんだ?」
「別になんでもねーよ。ただ、何が悲しくて男二人で池袋の乙女ロードを歩かないといけないのだと思い悩んでいるだけだ」
「大丈夫だ。すぐに慣れる」
「一生慣れたくねえ」
そこに、沙織と黒猫からメールが入った。
『例のイベント会場できりりん氏を発見したでござる。これより接触するでござる』
『あなたの妹、目が完全に死んでるわ』
イベントを目前にして徐々に興奮状態に近付いていくだろうと思っていたのだが、予想に反して今朝見かけた桐乃は史上最高級の沈んだ表情をしていた。
「とっとと用事済ませようぜ。こんな場所からは一刻も早く退散したい」
この俺の発言の真意は桐乃を心配してではなく、乙女ロードから逃げ出したいという思いによるものであると念を押しておく。
正直、キツイ。
数分後、沙織から再びメールが入る。
『きりりん氏合流ミッション完了したでござる。拙者と黒猫氏を見るなり嬉しそうに駆け寄って来たでござる』
やっぱりあの二人に任せて正解だったな。
おっと、まだ続きがあるぞ。
えーと、
『ただ拙者の勘違いでなければ普段のきりりん氏の明るさと比較して五十%程度に見えるでござる』
…………。
俺は沙織のことを全面的に信用している。
その沙織が言うのだから、桐乃のテンションが上がりきっていないのは事実だろう。
残りの五十%はなんだ?
俺か? 俺がいないことなのか?
赤城との買物が終わったところで、今度は黒猫からメールが入った。
『あなたの妹、徐々に負の想念に押し潰されつつあるわ。心が闇に染まるのも時間の問題ね』
おいおい、いい加減にしろよ。
「高坂、用事も済んだしその辺でメシでも食おうぜ」
俺は、暗黒物質(瀬菜依頼のBLゲー)が入った袋を赤城に押し付け、
「悪い、急用が入った」
駅に向かって走り出していた。
『ありす+』イベント会場は、メルル等のアニメのイベントとは趣が全く異なっていた。
一言で言うと、展示会だ。
デモとしてゲームの体験版をモニタに映し出し、関連書籍やグッズの紹介や販売をしている、そのようなブースが発売タイトル毎に設置され、パーテーションで区切られていた。
桐乃たちは直ぐに見付かった。
遠目で見ても分かる暗い表情の桐乃、必死に元気付けようとしている沙織、難しい顔をしている黒猫。
──こりゃ重症だな。
黒猫と目が合った。
驚いた表情で目を大きく見開き、そして桐乃の肩を軽く叩いて俺を指差す。
ゆっくり面を上げ、黒猫が指し示す方向に視線を向ける桐乃。
何が起きたのか分からないと言いたげな顔になり、何度も目を瞬いて俺を見る。
徐々にその目に涙が浮かび──
「京介──ッ!!」
信じられない事態に俺の思考は完全にストップしていた。
あの桐乃が泣きながら俺の胸に飛び込んでくるなんて想定外にも程がある。
「いやー、仲良き事は美しきかな、でござるよ」
うんうんと頷く沙織。
「落ち込んでいる妹に駆けつける兄、その兄に泣きつく妹。とんだシスコンとブラコンね」
一方、黒猫は呆れていた。
混乱しつつも兄貴の習性なのだろう、俺は無意識のうちに泣きじゃくっている桐乃の頭を撫でていた。
「京介氏、きりりん氏。ここだと人目に付きますから場所を変えましょうぞ?」
「あ、ああ。桐乃、歩けるか?」
桐乃はしゃくり上げながら頷いた。
イベント会場から廊下に出て、自販機の前の長椅子に桐乃を座らせる。
自販機で適当に選んだジュースを買い、プルタブを開けて桐乃の手に握らせ、俺はその隣に座った。
「……だけどなあ、桐乃。今回はお前も悪いんだぞ。どうしても俺がいないといけなかったその理由さえ言ってくれてたら先約だってキャンセルしてたかもしれないんだぜ」
もし赤城の用件を前もって知っていたら桐乃の理由がなんであろうとキャンセルしていただろうがな。
というわけで、赤城は明日絶対殺す。
「ウン……ゴメン……」
素直に謝る桐乃。
そうか、黒猫や沙織ではダメで、やっぱり俺でないといけない“何か”があったんだな。
俺は苦笑しながら、ぽんと桐乃の頭に手を乗せた。
桐乃はしばらく大人しくしていたが、ぐしぐしと目をこすり──
バシッ。
俺の手を払い除け、顔を上げた。
さっきまでの泣き虫の面影は全く無く、不敵な視線で俺を射抜く。
「いつまで妹の頭に手を乗せてんの? シスコンキモ」
……復活しやがった。
桐乃は俺が買ってやったジュースを一気に飲み干し、空き缶をゴミ箱に投げ入れ立ち上がる。
そして、俺の手を取ると歩き出した。
「ちょっ! どこに行くんだよ!?」
「いいから黙ってついて来なさい!」
現在地、イベント会場、他のブースとは切り離された一角から少し離れた場所。
「通販とかなら年齢ごまかしたりするし、店で買うときもチェックが甘い店を選んでるんだけど、今回のイベントはそのあたりすごく厳しいの。あそこのブースは学生証とか免許証のような年齢が確認できるものが無いと入れてくれないんだって」
えっと、その、つまり?
「あたしも黒いのも沙織も全年齢版ソフトのブースしか見れないの。あんた十八でしょ」
ということは?
桐乃はバッグからイベントの告知のチラシを取り出し、財布と一緒に俺に押し付ける。
「ここに書いてあるイベント限定グッズ、買ってきて!」
いい笑顔だな、オイ!
「は、はは……」
俺に殊勝な態度を見せたり泣きついたり、そうまでして欲しかったのかよ?
「分かったよ。買ってくりゃいいんだろ。この前言ってた埋め合わせはこれでチャラな?」
「はあ? 何言ってんの? “アキバに一緒に来た訳じゃない”んだからチャラになるわけないじゃん!」
さすが理不尽大魔王だぜ。
「──ったく、ふざけるのもいい加減にしてよね!」
お前がな!
十八禁ブースから出てきた俺の手から戦利品を奪い取った桐乃は、手をシッシッと動かしながら、
「用は済んだから帰っていいよ」
このクソアマ……。
まあ、後は黒猫と沙織に任せて大丈夫だろう。
だけどなんか引っかかるんだよな。
まあ俺がシスコンなのは認めざるを得ないかも知れないが、
「黒猫、あいつの目的は見ての通りだ。桐乃に限ってブラコンというのは無いだろうよ」
しかし黒猫は笑みを浮かべていた。
「どうかしら? どうしても十八禁グッズが欲しかったら他にも手段はあったはずよ?」
「他の手段って身分証偽造とか?」
「……莫迦?」
バカとはなんだ、バカとは。
だが俺の中の『引っかかり』は十八禁グッズ入手方法に関連しているような、そんな気がする。
その引っかかりが何なのかが分かったのは、会場の外で自転車に施錠している男を見た時である。
忘れもしないその自転車、匠の手で改造を施された痛チャリ、人呼んで『しゅーてぃんぐすたー号』。
「御鏡!」
そうなんだよ、桐乃のオタク仲間には俺と同じ十八歳の御鏡がいるじゃねえか!
「あ、京介くん、奇遇だね!」
「そーだな、思いっ切り奇遇だな。ちょっとツラ貸せや」
「え? 僕、急いでて。イベントのグッズ、まだ残ってるかどうか……」
「在庫はたくさんあったよ。いいから来い」
「まだなんのイベントか言ってないけど?」
「『ありす+』だろ? とにかく来い」
俺は「え?」とか「ちょっと」とか言う御鏡を無視して、イベント会場のビルの出入り口が見える位置にある喫茶店に連行した。
「御鏡、今日のイベントの事はどこで知った?」
席に付いてウェイトレスさん(普通の喫茶店だからメイドさんじゃないぞ)にオーダーするなり詰問を開始する。
「インターネットで告知を見てだけど、どうしたの?」
「このイベントについてアレと何か話をしたか?」
言いながら窓の外を指差す。
調度ホクホク顔の桐乃が、黒猫、沙織らとビルから出てきたところだった。
「あ、桐乃さん。やっぱりチェックしてたんだね。抜け目ないなあ」
演技には見えなかった。
「今回のイベント、十八禁のブースは年齢確認できるものを持ってないと入れないってのは知ってたか?」
「もちろん知ってるよ。だからホラ」
言いながらパスポートを見せてくる。
そういやこいつ、日本と海外をしょっちゅう行ったり来たりしてるんだっけ。
「桐乃は知っての通り、まだ中学生だ。十八禁のグッズを入手する事は出来ない」
「そうだね」
「そこまで知ってて、なんでお前は桐乃を誘わなかったんだ?」
「なんでって……。じゃあ逆に聞くけど、僕が桐乃さんを誘ってたら?」
「殴る」
「それはちょっと理不尽じゃないかなあ?」
分かってる。
理屈に合わない無茶な事を言ってることは充分理解している。
「まあ桐乃さんを誘わなかったのは何故かというと、僕と同じ十八歳の京介くんがいるからなんだろうね。でもこれは後付けの理由だよ? イベントに行こうと思ったときの僕は桐乃さんのことを考える余裕も無かったから」
さすが二次元に本気で恋する男。
「じゃあ、もし桐乃から誘われたとしたらどうする?」
「多分丁重にお断りすると思うよ? 僕なんかが桐乃さんをエスコートするには荷が重過ぎるから」
「桐乃からの直々の誘いを断るとは何様のつもりだ?」
「じゃ、じゃあ御一緒するよ」
「泣かすぞコラ!?」
「どうすればいいのさ!?」
調度そこに注文したコーヒーをウェイトレスさんが持ってきたので話を中断する。
御鏡はコーヒーを一口含み、
「何かあったんだね?」
「まあな」
俺は、桐乃からの誘いを断ってから今現在に至るまでの経緯を話して聞かせた。
「……なるほどね。やっぱり桐乃さんは京介くんと一緒に来たかったんだね」
「いや、その考えはおかしい。お前がイベントのことを知ったとき桐乃の事を考える余裕が無かったのと同様、桐乃もお前の事を考える余裕が無かっただけだろう」
「でも、お兄さんである京介くんのことを考える余裕はあったってことだよね?」
「何が言いたい?」
「桐乃さんが十八禁グッズを入手する手段として僕と京介くん、選択肢は二つあった。そのうち一つは京介くんの言う通り、考える余裕が無かったのかも知れない。でも残りの一つが駄目となったら、普通なら消えていた選択肢が再浮上するはずだよ?」
俺は黙ってコーヒーを飲み、視線で続きを促す。
「桐乃さんは京介くんに断られた。だけど代替案である僕は桐乃さんの中に出てこなかった。出てきたとしても、あえてその手段は選ばなかった」
御鏡はここまで言ってから一呼吸置き、
「僕は最初から桐乃さんの眼中に無かったってことだね。本当ならこの後も京介くんと一緒にアキバ巡りしたかったんじゃないかな? 追い払うような言い方したのは黒猫さんや沙織さんがすぐ傍にいたから照れ隠しでさ。京介くんを見て泣いたって言うけどその涙の意味を考えてみてよ」
「諦めかけていた十八禁グッズが手に入るという歓喜の涙だろ?」
「京介くんが本気でそう言ってるのならちょっと見損なうな」
分かってる。
本来の桐乃ならあの場面では何も言わずにずんずんと詰め寄り頭突きの一発でも食らわし「遅えんだよ」とか言うはずだ。
「さてと、京介くん。このまま家に帰るかな? それとも──」
御鏡がここまで言ったところで、まるでタイミングを計ったかのように俺の携帯が着信を知らせた。
桐乃だ。
通話ボタンを押すと、
『いますぐアキバに荷物持ちに戻って来い』
とだけ告げ、俺の返事も待たずに切りやがった。
御鏡は笑みを浮かべながら、
「お呼びがかかったみたいだね。コーヒー代は奢るから行ってらっしゃい」
俺は盛大に舌打ちして喫茶店を後にした。
<了>
最終更新:2012年12月05日 15:17