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「SS25ずるっ、ずるっ。」(2011/02/02 (水) 16:58:39) の最新版変更点
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***SS25
ずるっ、ずるっ。
放課後の部室。ティータイムにも、練習にも当てはまらない音が聞こえてくる。
普段なら、ムギがもってきてくれる菓子の甘い香りが漂っているけれど、今日は、嗅ぐだけでお腹がすきそうな、醤油とダシの匂いが充満していた。
「嬉しいわ。私、インスタントのうどんをみんなで食べるのが、夢だったの~」
食べ慣れていないであろううどんを、上品に口に入れながらムギが言う。
ムギの菓子を断って悪いな、とは思ったけれど、意外と楽しんでいるようで、ほっとした。
「……どんな夢だよ。まったく、律が変なこと提案するから」
そんなムギに呆れながら、ぶちぶちと私に文句を言う澪。
とはいいながらも、箸が進むスピードは一番早い。だから太るんだぞ、と思ったけれど、言うと絶対殴られるので、言わないことにする。
「なんか、うどんすするだけで、今日の部活も終わりそうですね」
梓は、もう諦めたような表情で、ちびちびと食べ進めていく。
こいつも、スルー耐性が身についてきたな、と密かに感心。
そして、この企画にもっともノリノリだった、隣の相方の方を見ると、これ以上ないっていうくらいの幸せそうな笑顔で、つるつるとうどんをすすっていた。
「りっちゃん、おいしいねえ」
私の視線に気がつくと、すぐさま振り向いて、とろけるような笑みを浮かべた。
それだけでも、この企画を提案したかいがあったな、なんて。
「唯、ネギがついてんぞ」
優しいりっちゃんこと、私田井中律が、指を伸ばして、唯の唇の近くについたネギをとってやろうとした。
「ふへっ、どこどこ!?」
ちょうど私の指が唯の唇の端に触れたとき、なめとろうとしたらしい唯の舌が、ぺろりと指をすくった。
なっ、ちょっ、これは。
頭から足の爪先に至るまで、一気に熱が走った。
やばい、死ぬほど熱い。
「ばっ、なにやってんだ、ばかっ!」
「ひ、ひえ、ごめん、ペロッて食べようと思って」
子犬のように震えて、申し訳なさそうにする唯を見ていると、なんだか、顔がゆるんでしまって。
別にいいよ、と唯にいうと、唯は、ごめんねぇ、とまた謝って、食べるのを再開した。
また夢中に食べ始める唯の姿をほほえましく見ていると、三方向からの視線を感じた。
「なんだよ、ムギ」
ムギは、私の指と唯をじっと見比べて、わくわくしたように口を開いた。
「りっちゃん、別に私たちは気にせず、その指を思う存分なめて楽しんでもいいのよ?」
「なっ、何言ってんだよ、変態か!」
叱りつけると、ムギは、ふふふ、と不敵な笑いを浮かべた。恐ろしすぎるだろ。
「で、お前もなに、澪」
目を向けると、澪は、はあ、とため息をつく。
「まさか、それ狙いで、今回の企画を提案したんじゃないだろうな? 意地汚い奴め」
「はあ!? お前も何言ってんだよ、つか、意地汚いって何!?」
私の言葉に、澪はさらに深いため息をついた。
「……梓、その目はなんだ」
横目でじとりと私を見てくる梓にも声をかける。
「内心浮かれているくせに、取り繕っているのが癪にさわりますね」
「何言って、ていうか、悪口!?」
梓が、同意を求めるようにムギと澪を見やると、二人はこくりと頷いた。
なんだよ、この不利な展開!
「みんな~、どうしたの?」
優しく柔らかい唯の声が聞こえてきた。鈍感な唯も、さすがにこの不穏な空気を感じ取ったらしい。
唯のいつもの呑気な調子に、私の肩の力も、次第に抜ける。
「何でもないよ、ありがとな、唯」
「ふえ? なんでりっちゃん、お礼なんか」
唯のおかげで、何とか窮地を脱出できた。あぶねー。
ほっと息をついて、三人を見ると、頭を寄せ合って、何やら話している。
「絶対、私たちが言ったこと、図星だったよな」
「ああ、もう見ていてもどかしいです」
「そうね。でも我慢すればするだけおいしくなるわよ、うふふ」
聞こえているぞ、そこ三人。なんつー会話をしているんだ。
唯は、うどんに夢中で、聞こえていないみたいだ。
私は、唯を目の端で盗み見しながら、三人の言葉を反芻していた。
分かってるっつーの。
自分から、動きださなくちゃいけないことくらい。
一昨日のことだった。
唯と二人きりの帰り道。何気ない会話を楽しみながら、てくてくと歩いていた。
「りっちゃんと二人で帰るの、なんか新鮮。みんな用があるなんて、珍しいよね」
「あ、あっ、あっああ、そうだな」
思わずどもった私を、唯は不思議そうに見ていたが、詮索せずにまた前を向いた。
……ごめんな唯。
私にはっぱをかけようと、三人が強引にこの状況をセッティングしたなんて、口が裂けても言えない。
でも、ちょっぴり感謝している。
やっぱりふたりきり、っていうのは、特別だし。
だからこそ、ここで、思い切らなきゃ。
「えーっと、唯」
「んん?」
くるりと唯がこちらを向く。
唯と目が合うと、急に体が火照ってきて、手に汗がにじんできた。
いけ! いっちまえ、田井中律!
「私さ、えっと、」
「うん」
「私、唯が、好きな――」
んだ、と続ければよかったのに。
へたれ! 私のへたれんぼ!
「唯が、好きな――食べ物はなんだ?」
今ほど、自分の意外なチキンぶりを呪ったことはない。
「うーん、やっぱりアイス、かなぁ?」
「はは、やっぱりそうか、じゃあデザート以外では?」
「憂の手料理!」
ですよねー。憂ちゃん、一瞬悔しく思ってごめんな。
あ、でも、と唯が思いついたような声を上げた。
「憂には悪いんだけどね、インスタントのものも好きだよ」
「ああ、なんかたまに食べるとうまいよな」
「うん! インスタント麺、好き!」
「何が一番? ラーメンとか?」
「うーん、全部好きだけど、一番はうどん、かな?」
「私も、実はうどんかな」
だよねだよね、としばらくインスタントうどん談義で盛り上がって。
そういえば皆で食べたことないよね、って唯が言って、じゃあ今度の部活のときに、うどん食べるかー、って私が提案して。
なんだかんだで、二人きりの時間が終わってしまった。
軽く自分自身に失望していると、別れ際、唯が振り返って、
「あ、りっちゃんのハンバーグも好きだよ。ふふ」
という不意打ちをかましてくれやがったのだ。
それだけで、気持ちがふっと軽くなった。頬も、熱くなったけれど。
翌日、『部室でインスタントうどんを食べよう会』を提案ついでに、三人に昨日の首尾について話したら、思いっきり呆れられた。
そんなことがあって今、唯はのほほんと、私はどぎまぎと、三人はむずむずとしながらうどんを食べている。
唯とふざけあったり、楽しく話すことはいくらでもできるのに、どうしてか想いを伝えようとすると、一瞬ももたない。
分かっている。
このチキンっぷりを少しでも克服しなきゃいけないこと。
唯を見ると、あらかた麺は食べ終わっていて、箸で油揚げをつゆに沈めていた。
ちなみに、私と唯がきつねうどん、澪と梓が天ぷらうどん、ムギはカレーうどんだ。
「唯、油揚げは最後に残しておいたのか?」
聞くと、唯は得意顔で振り返った。
「そうだよ~。この、つゆがたっぷりしみ込んで、膨らんだ油揚げをぱくっと食べるのが好きなんだ~」
「はは、分かる分かる。食べたときに、つゆがじゅっと出てくるのがうまいんだよな」
「そうそう! あ、りっちゃんも油揚げ沈めてる! 気が合うねえ」
唯も、私と同じ食べ方をしていると知って、唯との距離がまた少し縮まった気がする。
やっぱり、こういう何げない会話が楽しいのって、いいな、と再確認。
焦れたような三人の視線は、ひとまず無視だ。
「ねえねえ、今ので思い出したけど、うどんのCMでこんなのあったよね」
唐突に話題を放り込んだのは、唯だった。
私も、他の奴らも、何? と唯の方を見る。
「男の人が、女の人を好きでね、」
全員が、ふんふんと頷く。
「で、男の人が女の人にちゅーして、って頼むの」
ぶっ、と口に含んだつゆを吹き出しそうになった。
ちゅー、という生々しい単語に、澪だけでなく梓も赤くなる。
ムギは……まあいいか。
「で、女の人は、じゃあ目をつぶって、っていうの」
私も思い出した。CMで見ている限りじゃ何とも思わないけど、こうして口で説明されると、やけに気恥かしいものに聞こえる。
「で、男の人は目をつむって、女の人の唇が近づいていって、」
いったん言葉を切ると、唯は箸で器用に油揚げを二つに折りたたんだ。
それを皆の前でかざす。油揚げの端が重なって、二段になっている。
「で、直前で女の人は、唇の代わりにこれを男の人の口にちゅっ、てして、何も知らない男の人は、ちゅーできたって喜んでいる、CMなんだ」
梓とムギは知らなかったらしく、唯の説明に、聞き入っていた。
澪は私と同じく思い出したそうで、「男の人、かわいそうだったよな」ってよく分からないコメントをしていた。
唯は、箸でとらえている油揚げを見ながら、首をかしげた。
「でも、いくらなんでも、唇と油揚げを間違えるかなあ?」
「いや、そこはほら、CMだからだろ」
私が至極当然の言葉を返しても、唯はまだうーん、と唸っている。
梓も、「どうなんでしょうね、見た目は似ていなくもないんですけど」と真面目に考え込む。
まさか。そんなことがあるかい。
唯は油揚げと睨めっこしながら、「んー」と唇を突き出している。
「おいおい、本当にやる気かよ。しかも、自分で」
「んー……だって気になるんだもん」
「でもそれじゃ、タイミングとか自分で分かっちゃうから、意味無いんじゃん?」
「えー、じゃあ、りっちゃんが私にやってよお」
「でえっ!?」
驚く私を尻目に、唯は、だってりっちゃんもきつねうどんだから油揚げあるし、と平気な顔で言ってのける。
しょうがない、と私が承諾すると、唯は、わーい、よろしくっ! とはしゃいでみせた。全く、もう、唯の奴。
「全然しょうがないっていう顔に見えないんだが」
「唯ちゃんの口がついた油揚げを後で楽しむ気マンマンね」
「まさに美味しいとこどりっていう感じですね」
うるせーぞ、そこの三人。
三つの囁き声を無視して、唯と同じように箸で油揚げを折りたたみ、唯の方に向ける。
唯は、うん、と頷いて、そっと目を閉じる。
ごくり、と誰かが唾を飲む音。
唯の意外に長いまつ毛が、かすかに動いている。早くしなきゃ目を開けてしまうかも。
瞼が閉じられた唯の顔は、いつもよりしおらしく、神秘的に見えた。
心臓がとくんとする。
落ち着け。CMの通りにするだけだって。大したことするわけじゃない。
油揚げをくっつけて、唯がなんやかんや感想言って、一通りはしゃいで、それで終わりだ。
いつもどおり、それで終わる。
……それで、本当にいいのか?
そう思ったとたん、不意に、体の奥が熱くなってきた。
「んー?」
いつまでたってもくっつかない油揚げに、唯が不思議そうな声を出す。
私は、油揚げをゆっくり近づけていく。
三人が、それをじっと見つめている。
私は、油揚げを挟んでいた箸を容器に下ろした。
三人ががっかりしたような気配を見せたけど、気にしない。
私は身を乗り出した。
油揚げを待っている唯のピンク色の唇に、私のそれを押しつけた。
「ん!」
唯が目をつぶったまま声を上げる。他の三人の声も聞こえた気がする。
唯、やっぱCMは現実とは違うよ。
唯の唇を、油揚げと間違えるわけがないだろ?
しっとりと柔らかい感触は惜しかったけれど、唯が目を開く前に、そっと離した。
唯が、夢から覚めたように、ゆっくりと瞼を開く。
「り、りっちゃん、すごい! やっぱり、CMは嘘じゃなかったよ! 本当に、唇みたいだった!」
「へーえ、そうなんだ、そりゃよかったな」
「うん!」
純粋な唯を、にやつきながら見つめる私に、三つの視線が刺さる。
「なななっ、へ、ヘタレ律のくせに」
「何か、ぷつんと切れちゃったんでしょうかね、キレる若者ですね」
「り、りっちゃん、あなたに教えることはもうないわ、あぁ、なんて百合うどん」
なんとなく、あいつらの鼻も明かせて、いい気分だった。
一通り落ち着くと、澪と梓は唯に近寄って、「大丈夫だったか!?」、「唯先輩、おいたわしい!」などと、口々に言っていた。
「大丈夫って、何が? そういえば、ムギちゃんぽーっとしてどうしたの?」
何も知らない唯は、ほぼ気絶しているムギの顔の前で、手をひらひらさせていた。
あのCMの女の人も、こんな気持ちだったのかな。
私は、にやにやが止められなかった。
とりあえず、ヘタレ卒業かな?
これから、覚悟してろよ。唯。
唯は、本当のことにいつ気付くだろうか。
今から、それが楽しみだった。
おまけ
結局今日の部活は、梓の予測していた通り、うどんをすすっただけで終わった。
三人がまた気を利かせて、唯と二人きりで帰らせてくれた。
澪と梓が眉をひそめていたのは、気のせいだと思いたい。こわっ。
今日のうどん、楽しかったな、ってだべりながら、軽い足取りで唯と歩いていた。
「唯、満足したか?」
「うん! みんなとうどん食べられて嬉しかったよ」
私は別な意味でも嬉しかったけどな、と心の中で呟いてみる。
すると、唯が意味ありげに見つめてきて、何? と訊いた。
「りっちゃんはいじわるだね」
「ん? 何で?」
唯は、ふふ、と笑って、ねえりっちゃん、と切り出した。
やばい、ヘタレ卒業したはずなのに、鼓動が止まらない。
「いくら私でも、油揚げと唇の違いくらいは分かったよ?」
えっ。
ま、まじですか。
急に、背筋が凍る。
じゃあ、唯に気付かれていないと思って、にやついたり、いい気分になったりした私って……思いっきりあほじゃん!!
ヘタレ、アゲイン。
やっぱり、私には無理だった。ちくしょー。
「りっちゃん」
呼ばれて、抱えていた頭をぱっと上げる。
唯が、あったかい笑みを浮かべていた。
「またしてね、油揚げちゅー」
…………え。
目を丸くすると、唯が、さらににっこりとする。
「今日は、ここら辺で帰るねっ。りっちゃん、また明日」
唯が手を振って、早足で家へと向かっていった。
私はそれを、呆然と見ながら一人ごちる。
「もう、油揚げなしでもいいだろ……?」
あの唇の感触を思い出して、頬が熱くなる。
ヘタレは、完全には卒業できなかったけど。
自分より、一枚も二枚も上手な彼女の笑顔を思い出しながら、足取り軽く帰った。
今から、明日が来るのが楽しみだった。
それから、私たちが、うどんぬきの甘い口づけを交わしたのは、また別のお話。
おわり
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