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***SS35-2 目が覚めた。 あれだけのことがあったのに、眠れるもんだな、と思った。 涙が乾いて、瞼や頬のあたりがひりひり痛い。顔、洗わなくちゃ。 ベッドの隣は、誰も来た形跡がなく、冷たいままだった。胸が、締め付けられたように苦しくなる。 「……ソファーで寝てんのかな」 ゆっくりと体を起こし、ふと時計を見ると、もう八時を回っていた。 「えっ!」 初めての寝坊だった。慌てて、リビングに向かう。 何やってんだよ、私。こんなこともできなくて、唯に文句ばっかり。 「……唯!」 中には……誰もいなかった。 ソファーの上に、毛布がたたまれて置いてある。 ちゃんと起きて、会社に行ったんだろう。玄関に置いてあったごみも、なくなっている。 遅刻しなかったことにほっとしながらも、唯が私に何も言わずに出ていったことに、強いショックを覚えていた。 『りっちゃん、いってくるね~』 『おー、しっかりな』 昨日は、こんな風に言葉を交わしていたのに。 唯も、さすがに怒ったんだ。 そりゃそうだよな。疲れて帰ってきて、急に脈絡もなくキレられて。 私に、呆れたんだ。 もし、このまま帰ってこなかったら。 その考えを打ち消すように、頭を左右に振る。 考えたくない、そんなこと。 ふと、食卓に何かが置いてあるのを見つけた。 ラップされた皿が、いくつか並んでいる。 一瞬、昨日の夕飯を置きっぱなしにしたのか、と思ったけど違った。 私がいつかの朝食に作った、卵焼き、ほうれん草のおひたし、塩鮭がそこにあった。キッチンを見ると、炊けたばかりなのか、炊飯器から水蒸気がふき出していて、コンロにはちゃんと朝食用のみそ汁が入った鍋が置いてある。 「これ……唯、が?」 よくよく見ると、私が作るものよりも不格好だったけれど、それでもきちんとできていた。 卵焼きの皿の隣に、書きおきのような紙がある。 手に取ると、見慣れた丸っこい唯の字が、走り気味に記されていた。 “りっちゃんへ” “昨日は、ごめんなさい。ううん、いっつもごめんなさい、だね” “情けないんだけどね、昨日りっちゃんに言われて気付いたんだよ、りっちゃんが、いつもどれだけ精一杯がんばってるかってこと” “家事は完璧だし、人づきあいも上手だし、何より、だらだらしてばっかりの私と、いつも一緒にいてくれる。見捨てずに、「唯、大丈夫か?」っていつも心配して、気遣ってくれる” “私にとって、りっちゃんは、大事な大事なスーパーかっこいい奥さんです” “なのに私は、怒られてばっかりで仕事もあんまりできないし、すぐだらけて寝坊してりっちゃんに迷惑かけるし……だめだめだね” “りっちゃんの優しさに甘えて、それが普通になっちゃったんだね” “だから、りっちゃんが疲れていることにも、気付けなかったんだと思う” “お皿洗いとか、朝食作りとか、やってみてどれだけりっちゃんが大変だったのかっていうことが、すごくよく分かったよ。” “りっちゃん、これからは、私もちゃんと家事をやります” “ごみ置きはもちろん、皿洗いとか、ご飯作りとか、もろもろ全部頑張るよ!” “今まで、気付かなくてごめんね。何もしてこなくて、ごめんね” “少しでも、りっちゃんの負担が減るように、がんばるから” “だから、これからも迷惑かけちゃうかもしれないけど、ずっと、私の奥さんでいてほしいです” “唯より” “P.S 書きたいことありすぎて、書いてたら食べる時間無くなっちゃったよ!” “ちゃんと、時間配分も考えなくちゃだめだね。だから、りっちゃんの朝ごはんは手つかずの新品だよう。” “それじゃ、いってきます!” 私は、書きおきをもったまま、しばらく動けなかった。 それからゆっくりとご飯やみそ汁をよそい、食卓についた。 卵焼きや塩鮭は、作ったばかりなのかまだ生温かかった。 口に運びながら、ぽたり、ぽたりと涙がこぼれて止まらなかった。 「うっ、ふあっ……ゆ、いいぃ」 とびきり美味しいわけじゃないけれど、一生懸命作ったということが伝わってくる。 朝から夜遅くまで働いて疲れているのに、皿も洗って、ろくに眠れていないだろうに、苦手な早起きまでして、慣れない朝食を作って、遅刻しないように家を出て。 すごくすごく大変だったに違いない。 唯は、これだけしてくれているのに。 私は、疲れている唯に勝手にやつあたりして、すねて眠って、自分の家事を放棄しただけだ。 「……どっちが、だめな奴なんだよ……」 しゃくりあげながら、全部をぺろりと平らげ、また書きおきを見た。 唯は、私があいつらに何言われたかとか、全く知らない。 唯がだめな奴だと言われたことも、私たちの関係が一般の夫婦と違う、異様なものだとケチをつけられたことも。 全然知らないのに、唯は、あっという間に全部解決してしまった。 なら、私もちゃんと決着をつけなきゃいけない。 私は唯の、奥さんなんだから。 ごみ置き場の前で、しばらく待っていると、あいつらがやってくるのが見えた。 あいつらも私を見つけ、「あら」と声を上げて胡散臭い笑みを向ける。 負けてたまるか、こんな奴らに。 「あら、おはようございます、今日は偉いわね」 「……何がですか」 「えーっと、平沢さん。久しぶりに見たわ、ごみ置いて行くところ。田井中さんが、しっかりとしつけておいたのかしら」 あいつらは、唯のことを、もう旦那とすら呼ばなかった。 「お生憎。ちゃーんと旦那は自分から置いて行ってくれましたけど」 「あ、あらそう。ちゃんと更生できたっていうことね」 「更生もなにも、あいつは、ちゃんとできる奴だし。もともとな」 私からの思わぬ反撃に、あいつらはわずかにたじろいだ。 「あいつさ、いいかげんでだらだらしているように見えるけど、まあ、だらだらしているときもあるけど、人のことを想って行動できる奴なんだよ」 じっと睨みつけてやると、さらにあいつらは慄く。 「私のことを、誰よりも愛してくれて、私のためにむちゃくちゃ頑張れちゃう奴なんだよ」 「で、でも、だめであることには変わりないわよ?」 「だめ? 何言ってんだよ、これが一番夫婦にとって大切なことじゃん」 「ふ、夫婦って……ふん、何言ってんの。別に夫婦でも何でも……」 まだ食い下がろうとするベテラン主婦集団に、ずい、と近寄る。 「誰が何と言おうと、私たちは夫婦だ。これからもずっと一緒にいる二人、っていう意味だったら、別に他の呼び方しても構わないけどな」 「そ、そんなのすぐに別れるに決まって」 「別れねーよ。別れるわけがないし」 「そ、そんなの」 「唯は、だらだらしているけど、でも、私にとっては、世界一の旦那なんだよ」 すっかり言い返す気力もなくなった主婦集団に、にやりとしてみせる。 「あいつ以上に、私のこと考えてくれる奴がいるんなら見てみたいよ。でもって、唯にとっても、私は、大事な奥さんなわけ」 言葉を切り、再度睨みつける。 「お前らに、唯の何が分かる。私らの何が分かるんだよ。もう、二度と関わってくるな」 一瞬、沈黙があり、主婦集団は、ぶちぶち文句をたれながらも、すごすごとその場を立ち去って行った。 言ってやった。言ってやったんだ。 これからも、受け入れられないことはあるだろうけど、それでも私たちは私たちだって、思えるから。 「近所づきあい悪くなったら、唯のせいだぞー?」 言葉とは裏腹に、私はくくく、と笑って、家に帰って行った。 唯が帰ってきたら、謝ろう。 私は、買い物に街へと繰り出しながら、そう決意していた。 やつあたりしてごめん、ちょっと嫌なことがあったんだ。でも、唯のおかげで、平気だった。こっちこそ、いつも働いてきてくれて、ありがとう。 ぽんぽんと言葉は浮かんできても、実際に言えるだろうか。 もし、唯が許してくれなかったら。 いや、それは無いと信じたい。書きおきもあったしさ。 でも、と自分のした仕打ちを考えると、どうしても不安になった。 「おや、奥さん! こんにちは! よってきなよ!」 振り向くと、肉屋のおっちゃんがにこにこしながら手招きをする。 そういえば、この人は、ずっと私のことを奥さんと呼んでくれていたな。 「今日は、何がおすすめなわけ?」 「ん! いろいろあるけど……やっぱり、ここはチキンだろうよ!」 「鶏肉? 何で? いつもみたいに牛肉じゃないの? ……まあいいや、んじゃそれで」 「あいよお! いやあ、今日は特に旦那さんに夜の方をがんばってもらわないとな! ん?」 「だーから、何で今日なんだって……」 なんか、今日あったっけ? と考えても、思い出せない。 おっちゃんは、にこにこしながら、鶏肉を詰める。 ずいぶん立派な骨付きの肉だ。どう料理しようかな。 おわびをこめて、思いっきり豪勢にしてやろうか。 「はいよ!」 「あ、サンキュ。これ、代金」 「まいど! 今日は旦那さんと仲良くな!」 「いっつも仲いいよ……あ、でも今は」 「ん? ケンカか?」 「……私が、一方的に怒っただけなんだけど。あの、さ」 ん? とおっちゃんが目を向ける。 言ってみたくなった。私を、奥さんと呼ぶ人に。 「あのさあ……うちの旦那って、女なんだよね」 「えっ」 「あ、ひくよなひくよな、ごめんなおっちゃん、何でもないから」 そそくさと立ち去ろうとすると、「そうかあ」というのんびりとしたおっちゃんの声が聞こえた。 「え、ひかないの?」 「んん、のろけられるくらいラブラブなんだったら、文句なしだろうよ」 驚いて、おっちゃんの目を見る。 「旦那さんは、奥さんにそんなに思われて幸せもんだな、っていっつも思ってたんだよ。だから奥さん、そんなケンカしちゃいけねえよ」 「う、あ、うん」 「そんだけ思っていれば、すぐに許してもらって、仲直りできるよお。ほれほれ、今日は特別な日だしな」 「だーから、何の日だっつーの……」 呆れながら、おっちゃんに軽く会釈をし、家に向かった。 こういう人もいるんだ。 それだけで、足取りは軽くなった。早く、唯に会いたくなった。 「……よし」 焼いた骨付き肉に、特製のソースをかけて、とうとう夕飯ができあがった。 ミニハンバーグとか、サラダ、他にも唯の好きな私の料理をたっぷり。 それで、謝るんだ。で、ここ最近話せなかった分、唯とたくさん話して、食べて、盛り上がって。……エロいことも、できたら、な。 時刻は七時三十分。唯は今日、早く帰ってくると言っていたから、そろそろ頃合いだと思って、間に合うように作った。 でも、ちゃんと帰ってくるかな。もしかしたら気が変って、やっぱり今日は遅く帰る、なんてことになるかもしれない。 それでも、今日はいくらでも待つつもりだった。 エプロンを外して、一息付いていると、がちゃがちゃ、という鍵が開く音がした。 なんだなんだ、と玄関先にやってくると、ドアが勢い良く開いた。 「りっちゃあああああああん!!!」 ものすごい叫び声と共に、唯が私めがけて勢いよく飛び込んできた。 私は思わず体勢を崩して、倒れそうになったけれど、すんでのところでこらえた。 唯は、私の服をつかんで、うつむいている。 「ゆ、ゆい……? あ、あのさ、私ごめ」 「ごべんねえええ!! ごべんねえ、りっちゃあああん!!」 ううう、と唸る唯の顔を見ると、ぐしゃぐしゃに泣いていた。 「と、とりあえず落ち着け」 「ぐすんっ、ひぐっ、だってえ」 唯は私からいったん離れ、涙をぬぐいながら、言葉を続ける。 「りっちゃんっ、ごべ、ごべんなさいっ……か、紙にも書いたけどっ、り、りっちゃんが疲れてること分かんなくてっ」 「……ああ、見たよ。でも、そういうことじゃなくて、私がわる」 「わ、わたし全然だめでえ……り、りっちゃんはスーパー主婦なのにっ……」 ……スーパー主婦って、なんだよ。 「り、りっちゃんただでさえ疲れてるのに、私何にもしてなくてっ……今日会社行ってても、そのことで申し訳なくって、頭がいっぱいでっ」 ……ばーか。 「りっちゃんは、私の大事な奥さんなのにっ」 その言葉に、温かいものが胸に広がる。 「大事な奥さんなのに……大事にしたいのに……全然、できてなかったっ」 唯が、パッと顔を上げる。私と目が合うと、いっそう瞳に涙が溜まっていく。 「ごめんねっ、これからは、もっと私頑張るから、だから、嫌いにならないでっ……愛想尽かさないでえ……」 思わずそれを聞いて、ぷっと吹き出してしまった。 「な、何で笑うのお……」 「ふ、ふふ……いや、なんか唯見てたら、色んな事どうでもよくなってさ」 きょとんとする唯に、ふっとほほ笑みかける。 ばかだな、もう。ばかでばかで、どうしようもない奴。 「……私の方こそ、愛想尽かされるんじゃないかって、不安だった」 「え、ええ!? な、なんで私がりっちゃんを? そんなの、ありえないよお」 「唯は、ちゃんとやってるよ。ときどき、だらけるときもあるけど。でも、頑張ってるのは私が一番よく分かってる」 「え……りっちゃん……」 唯が、まっすぐ私を見つめてくる。 私も、言わないとだめだ。自分の情けないところを。 「唯、私さ、すげーやなことがあったの。大したことじゃないかもしれないけれど、でも、すごく嫌だったんだ」 「え……ごめん」 「違う。唯と関係……あるかもしれないけど、やなことっていうのは唯のせいなんかじゃない」 「よ、よく分かんないけど」 唯は少し戸惑っているようだったけれど、唯が私を嫌な気分にさせたんじゃないってことが分かればオーケーだ。 「そのやなことっていうのが頭に残ってて……家に帰ってきた唯に、思わずさ、その、八つ当たりしちゃったんだ」 ふう、と自嘲気味に息を吐く。 「最低だよな、私。勝手に八つ当たりして、すねて、唯に余計な気使わせて。……だから、私こそごめん。唯が謝る必要なんてないんだよ。私が悪いんだ」 唯に、頭を下げた。 そんなことで、と呆れられるだろうか。怒られるだろうか。 どっちでも、受け入れるつもりだった。 すると、私の頭に唯の手がのって、そのまま撫でられた。 驚いて顔を上げると、唯が優しい笑みを浮かべている。 「……りっちゃん、やなことっていうのは、もう解消できた?」 「え、あ、うん。本当に、唯見てたら、気にならなくなった」 「そっかあ。なら、よかった」 「唯……怒って、ないのか?」 「ええ? なんで? いやあ、私がりっちゃん手伝えていないのは事実だし」 「だから、それは口が滑っただけだって。私、勝手に八つ当たりしたんだぞ、なのに」 言い募ろうとすると、そっと唇に指を当てられた。 「私とりっちゃんは、夫婦だよ? 八つ当たりだろうと、わがままだろうと、全部ぶつけていいに決まってるじゃん」 むしろ、ぶつけてください! と唯が照れ隠しに敬語でふざける。 なんか、ほんと、どうでもよくなってくる、唯を見ていると。 「……そーだよなー。唯、ごみ置きさぼってるしー」 「う、そ、それは、わがままということで」 「いや、単なるさぼり」 「そ、そんなあ」 くす、と思わず笑みが漏れる。すると、唯もつられて笑う。 この空間が好きだ、本当に。 「……唯、今朝の朝食だけど」 「え、あ、うん! りっちゃんをまねてみたんだけど」 「まず、鮭焼き過ぎ」 「あう、生焼けよりはいいと思って」 「限度があるだろ……卵焼きはカラが入ってた」 「上手く割れなくて……」 「ほうれんそう、灰汁取りきれてない」 「い、急いでて、ゆできれませんでした……」 「みそ汁は普通。ごはんだけは……ちゃんと炊けてたけど」 「えへ、りっちゃんがごはん好きだから、がんばったんだよ。1,2,3,4ごーは」 「調子に乗るな」 「いた、あ、なんか久しぶり」 笑いながら、頭を押さえる唯。お前はМか。 「総合評価は、だめだめ。早起きしてごみ置いたのも今日だけだし、やっぱり唯はいろいろだめだめ」 「うう、さっきは、ちゃんとやってるっていってくれたのに」 「本当にダメな奴だけど、私がいなきゃどうすんだって奴だけど」 「た、確かに、うん」 「でもな。私にとっては、世界で一番の旦那なんだよな」 思わず頬をかく。すると、少しの衝撃と共に、唯が私に飛びついてきた。 そのまま、苦しいくらいにぎゅうぎゅうと抱きしめられる。 「り、りっちゃんこそ、私にとって、世界一の奥さんだよっ……!」 「当たり前だろ。このりっちゃんさまだぞ? 世界一のお前の奥さんに決まってるじゃん」 「うー、否定できない……」 「ふふん。さ、世界一の奥様が作った料理があるから、早く食べるぞ」 唯から離れようとすると、唯はがっちり私をホールドしたまま、動かない。 「唯? 動けねーって……」 「ごめんね、せっかくの料理だけど、ラップしといて」 「あん? 食わないの?」 「先に、食べたいものがあるんだけど」 なに、と訊こうとすると、いっそう強く抱き寄せられた。 「ねえ、律」 唯が耳元でそっと囁く。唯の表情は、見えない。 “そういうこと”の前に、唯は私を名前で呼ぶ。つまり……。 「……触りたいな、だめ?」 ね、律、と唯が続ける。 ずるいよ、唯。 唯が私を名前で呼ぶたびに、一気に周りの空気は甘くなるんだから。 「……いいよ、私も、触られたい」 もともと、そういうつもりだったし。 私も唯も、ずっと、お互いが足りなかった。 ぎゅっとしあって、すぐに、二人の足は、寝室に向かった。 はあっ、という息とともに、私の欲が解き放たれる。 もう、六回目、ぐらいか。唯は、もう少し少ないかもしれない。 唯も、私に覆いかぶさり、ぴったりと肌をくっつけながら、はっはっと短く息を吐いていた。 汗とかいろんな水滴が混じったもので、シーツはぐっしょり濡れている。 肌をすり合わせると、ぬるっとして、体の奥が甘く痺れた。 やばい。高まりすぎ? 唯のことを「サカってる」とか馬鹿にできない。 お互いに積極的に「お・さ・か・ん」状態になって、気付けばあっという間に回数を重ねていた。 もうできない、って思うけれど、唯がふと身じろぎして、唯の胸の突起と、私のそれがこすりあった。んくっ、と突然の強い刺激に思わず声を漏らす。すると、またむくむくとやましい気持ちが立ちあがってくる。 いっつも、行為の続きを促すのは、唯の方。それに付き合ううちに、私ものってきて、っていうのがパターン。 追いつめられると、唯が促す前に、私から続きをねだることがある。 一回、死ぬほど恥ずかしい思いを我慢して声に出していったら、散々唯にからかわれたので、それ以来、無言で唯に伝えるようにしている。 私に覆いかぶさる唯の髪を、きゅっと軽く引っ張る。これが、「もう一回、して」の合図だった。 まだ、足りない。もう少し。 想いをこめて、そっと唯の髪に手を伸ばす。触れるか触れないか、というところで、急に唯が、「あっ!」と飛び起きて、裸のままベッドから下り、傍に置いていたバッグから、携帯を取り出す。 一瞬で、甘い空気が壊れた。 こっ、このやろおおおおっ!!!! 何だよ、私のこと放置かよ! つーか、この手どうすりゃいいんだよ! なけなしの勇気返せこらあッ! 散々心の中で悪態をついていると、唯が「ああっ…」と情けない声を出した。 「ど、どうしようりっちゃん」 「……あー? こっちは今不機嫌なんだよ」 「レストラン予約してたの、忘れてた……」 今キャンセルするね、と手際よくボタンを押して、耳に電話を当て、謝りながら二言三言いい、電話を切った。 レストラン? 何のことだよ? 首をかしげていると、唯はまた「あああ!」と声を上げた。 どうしたんだよ。裸で電話握りしめてるとか、シュールだな。 「ぷ、プレゼントも取ってくるの忘れた……」 「ぷ、プレゼント!?」 思わず素っ頓狂な声が出る。いや、意味が分からない。 「ごめんね、明日必ず……」 そういって、涙目で振り返る唯。 いやいや、お前はその前に、服を着ろ。変な画になってる。 「唯、私の誕生日は夏だぞ? こんな十二月とかじゃ」 「知ってるよ? え、りっちゃん、覚えてないの?」 え? いや、唯の誕生日は十一月だし……。なんだ? あっ! そうか、肉屋のおっちゃん、こういうことか。 「そうか、今日はクリスマスイブか」 納得しながら頷く私。唯は、このために早く帰ってこようとしたんだな。 唯の方を見ると、唯は、若干の苦笑いをしていた。 え、なんで? 「それもそうなんだけどね、それだけじゃないよ?」 唯は体ごと私の方に向き直り、私を見つめる。 やましい気持ちになるから、せめて前は隠してくれ。 「私たちの、記念日」 照れながら言う唯に、私は一年前の今日を思い出した。 12月24日。 カップルのご多分にもれず、私たちもイブのデートっていうのを楽しんでいた。 ほお、と息を吐いて、手を温める唯。 普通ならここで手をつなぐところだけれど、生憎人目が多いから。 でも、見ていられなくて、唯の手をつかんで、人気のないところに移動した。 さりげなく手を動かして、唯の手首に触れる。 白く、細い。これなら、大丈夫か。 「りっちゃん」 唯を見ると、手をつないでいるからか、頬を少し染めていた。 さりげなく手を離すと、唯はバッグをごそごそし始めて、包装された箱を取り出した。 「プレゼントだよ」 開けていいか、と訊くと、頷いたので、リボンを解いて箱を開ける。 中には、スワロフスキーが並んで綺麗な、カチューシャが入っていた。 ちなみに今も、毎日これをつけている。 「……サンキュ。高かったろ?」 「えへ、カチュー太が、りっちゃんのところまで連れて行って! っていうから、奮発しちゃった」 「早速名前をつけるな! ……でも嬉しいよ、ありがとな」 「いえいえ」 私も、と包みを取り出し、唯に渡す。開けてみて、といい、唯は中に入っていたものを取り出した。 「……これ、腕時計! わあ、すごい。これこそ高いんじゃ」 「いいの。社会人には必須アイテムだぞ? 使ってくれよ。……ん、似合う」 唯は手首が細いから、問題なく似合った。ちなみにこれも、唯は毎日付けて出社している。 へらへらと喜ぶ唯を見つめていると、唯が、急にはっとなり、うつむいた。 どうしたのかと思って覗きこむと、唯は目をそらし、顔を赤くして急にあわて始めた。 「ご、ごめん。ちょっと待ってね」 「? いいけど」 唯は背を向け、ふー、ふー、と深呼吸をする。そして、覚悟を決めたのか、振り返って、私にずんずんと近寄り目前にまでやってくる。 「な、なんだよ、どうした?」 「……りっちゃん」 唯の真剣な声色に、こっちも真顔になる。 「あの、もうひとつ、りっちゃんからプレゼントが欲しいんだけど」 「もうひとつ?」 こくりと頷く唯。なんだか調子が狂う。唯らしくないぞ、もじもじしちゃって。 あ、もしかして、プレゼントって、あれか? キスか……まあ、エロいこと。 そんなのいつもお構いなしにしてくるくせに、どうして今? 「プレゼントしたくなかったら、しなくていいから」 何もかも唯らしくない。 いっつも結構強引にするくせに。 つーか、……したくないわけないだろ。 「する、するって」 「……りっちゃんが考えてるのとは、違うよ、多分」 訊き返そうとすると、急に唯が抱きついてきた。 唯は私の肩にあごを乗せ、きついくらいに抱きしめてくる。私も、唯の背中に手を回す。 すごく、温かい。唯の匂いだ。 唯と一つになったような、感触を覚える。 「……どうした、唯?」 「……」 「んー?」 「……あのね」 唯が顔を上げ、キスできそうな距離で、私をじっと見つめる。 そこには、キスも、それ以上のことも、浮かんでいないと分かる表情の唯がいて。 真剣な目に、心が射抜かれそうだった。 「私、これまで、りっちゃんの人生を、時間を、少しもらってきたけど」 だいぶ頂かれているけどな。 それだけ、唯の存在はでかい。 「りっちゃんのこと、大事にするから。ずっと、大事にするから」 唯の目の中に、私が映っている。 それくらい、強く見つめ合っている。 「りっちゃんが欲しいの」 時間が止まったかと思った。 「これからの、りっちゃんの人生、私にちょうだい。これからも、ずっとりっちゃんと一緒にいたい」 心臓の鼓動が、早くなる。それって……。 「私に、りっちゃんをください」 「……ぷろ、ぼーず?」 聞くと、こくっと真っ赤な顔で頷く。 「せ、籍とかは入れられないけど、そ、それでも」 「……うん」 「……ご、めんね? あ、あは、ごめんね! 欲張りすぎたかもー。何でもないや、忘れて忘れてほらっ」 離れようとする唯を、逃がさないように抱き寄せる。 「りっちゃん……?」 「ほんと欲張りだな、唯ってば。この上さらにプレゼントってさ」 「うう……でも」 「重いぞー? このプレゼント」 お茶らけた口調で言うと、唯が少し目を丸くする。 「ちゃんと受け止められる?」 「え、……も、もちろん! ごっつあんです!」 「面倒くさいこともあるかもしれないぜ?」 「そういうところがいいの!」 「なーんだよ、それ。じゃあ……」 唯に微笑む。イルミネーションなんかより、私の心が、すごくきらきらしている。 「しょうがないな。……あげる。大事にしろよ」 「り、りっちゃ……うわああああん!」 叫んで私の肩に顔をうずめ、唯は盛大に泣きじゃくった。 あとで聞けば、断られたら、切腹してしまいそうなほどに緊張していたらしい。 他の奴から言われたら、即お断りだけど。 でも、唯から言われた時、唯と一緒にいつまでもいる場面が、するりと簡単に浮かんできたから。 私は、唯とずっと一緒にいるんだろうなって、思えたんだ。 それから、翌年の私の誕生日に、ムギの家を借りて、結婚式代わりのパーティを内輪で開いた。 交換した指輪は、安物だったけれど。でも、すごく幸せだったな。 「結婚記念日はりっちゃんの誕生日だけど、実際に二人で一緒になろう、って決めたのは今日だから、私にはこっちの方が記念日っぽくて」 唯が幸せそうな顔で、話しかけてくる。 忘れていたわけじゃない、忘れていたわけじゃない。 けれど……唯がそこまで、今日という日を大切に思ってくれていたのは、知らなかった。 「……なんか、ごめん」 「いいよお、別に。私も、いろいろ忘れちゃったし」 レストランで食事をして、プレゼントを渡して、と思っていたらしい。 「こうやって、一年りっちゃんと一緒にいることができたから。また、来年も、再来年も、ずっとよろしくっていう意味で、準備してきただけなんだけどね」 「……すごい、罪悪感がたまってきた」 「いいよ、プレゼント渡せなかったし。明日、取りに行くね」 「ところで、プレゼントって、なんだったんだ?」 聞くと、唯は少し恥ずかしがって、いったん間をおいてから答えた。 「……指輪だよ。ほら、ちゃんとしたの、まだ渡していなかったから。だから、がんばっちゃった。奮発したよ」 「も、もしかして、最近ずっと残業だったのは……」 「うん。いろいろ仕事ひきうけて、残業代稼いでたんだよ。あ、まあ、本当に叱られただけのときもあったし、指輪の下見に行ってた時もあったけど」 えへへ、と頭をかく唯に、いとおしさがこみ上げてきた。 いいかげんなようで、ちゃんと相手を想えるところ。 ……見る目あったな、私。 やっぱり、私にとって、唯は……。 「でも、残業して、こっちに色々心配かけたのはホントだからな」 「はっ、う、うん」 「……罰として、もう一個プレゼントくれ」 「もう一個?」 首をかしげる唯に、そっと近づき、抱きすくめる。 肌が擦れ合って、気持ちいい。 心臓がどくどく鳴っている。 「唯が欲しい」 はっきりと、届くように伝える。 「唯と、ずっと一緒にいたい。私に、これまでも……これからの分も、全部、唯の人生を私によこしてほしい。大事に、するから」 「……お、重いよー? あ、あと、めんどくさいかもしれないし」 「そんなん、百も承知」 言い、唯をまっすぐ見つめた。唯は、ふふ、とほほ笑み答える。 「じゃあ……もらって?」 「ああ。つーかとっくにもらってるけどさ」 二人で笑い、きつく抱いて、お互いの体温を確かめあう。 しばらくそのままでいると、唯がまた「あっ」と声を上げた。 ムードぶち壊しにするのも、ほどがあるぞ、唯。 けれど、唯はさっきのように動いたりせず、さらに私を強く抱きしめる。 「正夢だあ」 「んー?」 唯の唐突な言葉に、疑問で返す。 「正夢になったよ、ほら、いつだったか、りっちゃんに起こされたときに見ていた夢」 言われて、いつかの唯の言葉を思い出す。 『あのねえ、りっちゃんがねえ、私に裸でしがみついて、すっごく甘えてきたんだよお』 『「唯が欲しい、唯とずっと一緒にいたい」っていってねえ、もーう、すんごくかわいかったんだからあ』 「……あ」 「ね? うふふ、嬉しいなあ」 本当にうれしそうに、唯は私に頬ずりをする。くすぐったいっつの。 そういえば、今……私と唯は、その、真っ裸で抱き合ってるわけで。 今さらながらに気付いて、体中が熱をもったような気がした。 「なあ唯」 「んん?」 「夢、どこらへんで終わったんだ?」 「え? えーと、いいところまで?」 「つまり、今らへん?」 「そーう……かな?」 クエスチョンマークが浮かんでいる唯に、にやりとする。 「それで? もしもっと寝ていたら、それから夢でどうするつもりだったんだ?」 「ぐふふ。そりゃあ、りっちゃんを好きにし放題で……」 といったところで言葉を切り、私に殴られるかと思ったのか、唯は頭を抑える。 攻撃が来ないことが分かると、唯は、おそるおそる目を開けた。 「正夢なんだろ? だったら――」 そっと、唯の髪を引っ張った。 唯と私にしか分からない、秘密の合図。 「――続きも、叶うんじゃねーの?」 一拍の沈黙の後。 「ふええっ!? い、いいの?」 珍しく慌てふためく唯に、これはいいものが見れた、と得意な気分になる。 「私を、どうしたかったんだっけ?」 「……す、好きにし放題」 「……じゃあ、そうすれば?」 言うと、「りっちゃあああん! エロス!」とわけのわからないことを言って私に抱きつき、すぐさまベッドのシーツに私の体を押し付けた。 二人でくすくす笑いながら、お互いの体に触れ、さらに甘い夜に突入した。 一年たっても、相変わらず私たちは、幸せだった。 今日も唯は慌ただしく出ていったけれど、ごみは置きに行ってくれた。 最近は、ほとんど唯が行っている。ときどきあの主婦集団とすれ違うようで、「おはようございまあすっていったら、なんかたじたじになりながら挨拶を返されたよ」と唯が教えてくれた。それを聞いて、私はものすごくせいせいした。 玄関前の掃除にでる。すると、表札が目に入る。 平沢  唯 田井中 律 私は、そっと田井中の部分を左手の指で隠した。                平沢  唯                    律 なんでか、嬉しい気分になって、赤くなっているだろう頬に左手を当てる。 薬指には、イブの翌日、唯と一緒に取りに行った指輪がはめられている。 とても幸せな気持ちになって、その場で唯にはめてもらった。 少し怪訝な目で見られたけど、全然気にならなかった。 これは、ずっと付けている。ずっと、ずっと。 掃除を終えて、そうだ、とあることを思いつく。 来年のイブには、私から唯に指輪を贈ろう。 私は家に入り、今日も唯の帰りを楽しみに待つ。 おわり

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