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SS42「良いお湯だねえ、りっちゃん」」(2016/03/17 (木) 22:56:29) の最新版変更点

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***SS42 1 「良いお湯だねえ、りっちゃん」 「だな」 「景色も良いし、お部屋は綺麗だし、これはご飯も期待できそうだね」 「しょせん商店街の福引だし、もっとしょぼい宿を想像してたんだけどな」  そんなことを言っていると、ちょいちょいと肩を叩かれる。 「ねえねえ、りっちゃん――とやっ!」 「うぷっ……こら、唯!」  唯の両手が水鉄砲に早変わりして、ぱしゃりと乳白色のお湯が飛んでくる。  確か打身だったか腰痛だったかに効能があるんだったっけ。もう忘れた。 「ふふーん、油断したね、田井中君」 「温泉入るなりいきなりテンションマックスだな……」 「りっちゃんとの旅行でテンション上がらないはずがないよ!」 「……そ、そうか」  ふいうちでそんなことを言われて、思わず頬が熱くなる。  何気なく視線を下げたら揺れる水面と唯の胸元が視界に入って、慌てて顔を上げた。 「りっちゃん、どうかしたの?」 「えっ、あ、いや、なんでもない」 「……もしかして、唯の胸ちっちゃいなとか思った? りっちゃんに言われたくないよ!」 「お、思ってないから! ていうかさりげなく失礼なこと言うなっての」  まったくもう、と唯に背中を向けて、そのまま口元までお湯に浸かる。  落ち着け、落ち着け。自分に言い聞かせてお湯の中で息を吐いた。  あくまでも今日は、友達として、唯と一緒に温泉旅行に来ているんだ。  だから、こんな風に唯の裸にドキドキするってのは、本来はあっちゃいけないことなんだ。 「…………」  でもな、あたしだって生身の人間なわけだよ。  好きな人が目の前にいて、一緒にお風呂に入ることになって、どうして冷静でいられようか。  脱衣所から今まで、もうずっとドキドキとうるさいくらいに心臓が高鳴っている。  ……このままじゃ、のぼせて気失ってしまう。 「わ、りっちゃん背中綺麗だね。つつつーっと」 「ちょお!?」  ……いっそのぼせて倒れてしまった方が楽になれる気がしてきた。  唯とふたりきりの温泉旅行。きっかけは、数日間に遡る。 2 「……十枚で福引券一枚と引き換え?」 「そうなんだよ、りっちゃん」  とある日曜日。近所の商店街で偶然出会った唯に、そんなことを言われた。 「ああ、金額が福引券一枚に満たないとこれがもらえるわけか」  あたしの手元には「福引補助券」と書かれた紙切れが四枚。  薬局で店員さんがくれたそれは、どうやら十枚集めることで、いま商店街でやっている福引の引換券になるらしい。 「なるほどな。……で?」 「で? って……りっちゃん福引だよ!? 夢の大博打だよ!?」 「んな大げさな」 「なんかね、今なら大物が釣れそうな気がするんだよ、私」  そう言って唯は、持っていた福引補助券六枚をぎゅっと握りしめた。 「というわけで、あと四枚分なに買おうかなって悩んでたところなんだよ」 「まさに商店街の思うツボだな……」 「りっちゃんも何か買うよね?」 「は? なんで?」 「え、買わないの!?」 「だって福引一回引けたところでせいぜいティッシュくらいしか当たんないだろ」 「りっちゃん……夢がないよ……」  がくりとうなだれる唯に、ついつい笑ってしまったけれど、まあ唯らしいと言えば唯らしい。 「んじゃ、これ使えば?」  あたしは持っていた補助券を唯に差し出した。  あたしの四枚と、唯の六枚。合わせればちょうど一回分だ。 「え、これ……りっちゃん、いいの!?」 「あたしは別に引かないし、これ使って大物引き当ててみろよ」  ニヤニヤと笑うあたしを見て、唯がむう、と口を尖らせた。 「りっちゃん、私の予感を信じてないね……?」 「いやいや、そんなことはないですわよ」 「むう……よおし、見てて、りっちゃん。私やってみせるから!」  鼻息荒く係の人の元へ歩み寄っていく唯。  ティッシュを持って帰ってきて涙目になってる姿を想像したら……。 (可愛い……)  いやいや、何を考えてるんだ。  こほん、と咳払いをして行く末を見守ることにした。 3  結論から言えば、一等だった。  何なのこの子? どっかのラッキーな星から来た子なの?  そう思わざるを得ない運の良さに震えた。  ……もっとも自分で引き当てておいて、あたしよりももっと驚きで震えている奴が目の前にいたのだけれど。 「うー、どうすりゃいいんだよ」  商店街から帰って、自宅のベッドに寝転がって頭を抱える。  温泉旅行を見事引き当てた唯。  あたしは当然唯が憂ちゃんとでも行くものだろうと思っていたんだけれど、唯は当たり前のようにこう言ったのだ。  ――りっちゃん、温泉一緒に行こうね!  考えさせて、と答えてそのまま自宅に帰った。  唯と一緒に温泉旅行。ただの友達同士なら、そりゃ喜んで行くさ。  しかも唯とだったら、なおさら嬉しいに決まってる。  決まってるけど……それは、あたしの気持ちが唯に知られていなことが前提だ。 「…………」  実を言うと、あたしは少し前に、唯にいわゆる告白というものをしている。   ……しかも既に振られている。友達でいてね、という典型的な振られ方。  そんな状況で、そう簡単に「はい行きます!」なんてどうして言えようか。  ていうか唯も唯だ!  振った人間を温泉旅行に誘うって、一体何を考えてるんだよ! 「……はあ」  これが「友達でいよう」って言葉の意味なのか、と思う。  どんなに唯のことが好きでも、振られた以上は友達としてこれまで通り接する。  それって…………結構、キツイことだったんだな。  天井を見上げたまま、三週間前のことを思い出す。  これだけ時間が経ったのに、あの時の唯の声や顔、仕草を思い出すだけで胸がちくちくと痛んで、心が苦しくなる。  涙は出ない。というか、出さないと決めた。  あたしが泣けば唯が気にするし、下手すれば唯の笑顔を奪ってしまうことになると思ったから。  あの日、放課後の部室で……あたしは、唯が好きだと、そう伝えた。 4 「どうしたの、りっちゃん?」 「え、な、なにが?」 「なんか今日ずっとそわそわしてる」 「え、そうか? そんなのいつものことだろ」 「それはそうだけど……」  自分で言っておいてなんだけどそこはちょっと否定して欲しい。  とまあそんなことはどうでもよくて。  放課後の音楽準備室。  いつも通り授業を終えてやって来たは良いものの、ここにいるのはギタリストとドラマーのふたりだけだった。  掃除当番やら日直やらでメンバーがすぐに揃わないのはわりとよくあることなんだけど、 それでも、こんな風に唯とふたりきりになることは久しぶりかもしれない。  嬉しい半面、さっきから心臓がドキドキとうるさい。  想い人とふたりきりでいるのだから当然だと思う。 「早くムギちゃんのお茶飲みたいなあ」  言いながら唯がぱらぱらと置いてあった雑誌をめくる。  頬杖をついて雑誌に目を落とす唯の横顔。  こうして見ると、やっぱり唯って整った顔立ちをしてるなあ、と思う。  表情がころころ変わる奴だからこうやって普通の顔(って言い方もおかしいけれど)で 雑誌を読んでいる姿はなんだかちょっとだけ新鮮だった。 「りっちゃん隊員」 「え、あ、なんでありますか、唯隊員」  いきなり話をふられて慌てて返す。 「りっちゃんって好きな人いる?」 「んなっ、……なんだよ急に」 「ほら、これ」  唯が指差したのは雑誌の見開きだった。  そこに書かれているのは「両想い診断テスト」なんて名付けられたコーナー。  片思いの相手と実は両想いである確率を診断するという、いかにもな内容だ。 「なんだこりゃ」 「こういうのってどれくらい当たるんだろうね」 「ふーむ、どれ……」  身を乗り出してフローチャートになっているそれを読み進めていく。  なになに、あだ名で呼ばれている? イエス。  相手の家に行ったことがある? イエス。  メールを何度も送り合ったことがある? イエス。  好きな相手からよくスキンシップをされる? イエス。  ――両想いの確率、九十九パーセント。  ――やったね、今すぐ告白しよう! 「くらだん!」  ていうか唯相手なら誰でもこの結果になるわい! 「え、なに、結果どれだったの?」 「……九十九パーセント。一番いいやつ」 「わ、やったね、りっちゃん」 「いや、こんなの絶対当たんないって」 「そんなことないよー。頑張ろう、りっちゃん!」 「何をどう頑張れってんだよ……」  半ば呆れて言うと、ふいに唯の香りが近づいてきた。  そのままポン、と肩を抱かれる。 「りっちゃんが幸せになってくれたら母さん嬉しいよ」 「お前誰だよ」  ツッコミを入れながら小さなため息をついた、  嬉しい……か。  あたしが知らない誰かと付き合ったりしても、唯はそう思ってくれるんだな。  優しい言葉をかけてもらっているはずなのに、心の中はちくりと痛む。  分かってるんだ。これが伝わらない気持ちだっていうことも、唯は何も悪くないってことも。  それでもいつもの笑顔で、いつもの口調でそんなことを言われて、平静でいられるはずがない。  そんなに大人じゃあ、ないんだ。 「……唯」 「うん? どしたの、りっちゃん」 「九十九パーセントって絶対ウソだよ」 「え、なんで」 「あたしなんかじゃ、ゼロパーセントって分かりきってるもん」 「りっちゃん……?」  唯が体を起こして、あたしの顔を覗きこんできた。  なんとなく唯の目が見れなくて、思わず顔を背けてしまった。 「りっちゃんは可愛いよ?」 「そんなことない」 「絶対可愛い! 私もそう思ってるよ!」 「へいへい、ありがとー」 「ほんとだってば。だから絶対ゼロパーセントなんかじゃないよ」 「…………」  一生懸命励ましてくれちゃって、ほんと良い奴だな。  でも、今はその良い奴っぷりが余計に辛いよ、唯。 「唯、あのさ」 「なに、りっちゃん?」  やめろやめろって頭では思っているのに、どうしてか言葉を止めることが出来なかった。 「――あたしの好きな人ってさ、唯なんだ」  ぴく、と唯の体が跳ねて、そのまま固まった。 「……ゼロパーセント、だろ?」 「…………」  長い沈黙の後、小さな小さな声で、ごめん、と返ってきた。  いつもの唯とは全く違う、か細い声。背けていた顔を元に戻す。  眉を下げて、泣きそうな顔。こんな切なそうな唯の顔を、あたしは初めて見た。見てしまった。 「あ、あはは、ごめん、変なこと言っちゃったな。忘れていいよ」  唯の肩を押し戻して、距離を取った。押し寄せてくるのは激しい後悔。  なんでこんなこと言ってしまったんだろう。  少しでも期待があった? 私もりっちゃんが好きだよって言ってもらえるって。  だとすれば、あたしは真の大馬鹿だ。 「り、りっちゃん、あの――」 「いや、ほんと気ぃ使ったりしなくていいからな」  あたしが笑ってみせると、唯は悲しそうに目を伏せて言う。 「りっちゃん、怒ってない?」 「ないない。だからちょっと言ってみただけだし、ほんと気にしないでいいから」  唯はじっと黙ったまま何かを考えていたようだったけれど、やがてぽつりとこう言った。 「……それまで、友達でいてくれる?」  その言葉にイエスと答えた以上は、あたしには唯に今まで通り「友達として」接する義務があった。  告白なんてなかった。あたしは唯に何も伝えていないし、唯も何も知らない。  そう自分に言い聞かせて、あたしはそれからの毎日を「普通に」過ごすよう全力を費やした。  だから温泉旅行だって、「友達として」「いつも通りに」了解するほかなかったんだ。 5 「うあー……満腹すぎて……動けない……」 「予想外に豪華だったな……」 「お腹ぽんぽんだよ」  ポン、と唯が浴衣の上から自分のお腹を叩いた。タヌキも顔負けの良い音。  思わず噴き出して笑ってしまう。 「なにやってんだよ、ばあか」 「ふにっ」  身を乗り出して、テーブルの向こう側にいる唯の頬をちょいとつついた。  温泉から上がって部屋に戻ると、それはもう豪華な食事が用意されていた。  舟盛り……新鮮な刺身が絶品でございました。  すき焼き……お肉の柔らかさが殺人級でございました。  天ぷら……山菜がこんなに美味しいと思ったのは生まれて初めてでございました。  その他もろもろ……何もかもが絶品だった。  ご飯の間ふたりして「美味しい」を合わせて百五十回くらいは言ったんじゃないだろうか。  それくらいに美味しかったんだからしょうがない。 「食べたあとにすぐ寝っころがるのって幸せだよねえ……」  溶けるようにして座椅子から床へ移動する唯。だらしない。……でも可愛い。  一方こっちはニヤけそうになる頬をなんとか抑えつけるのに必死だったりする。 「しっかしこの光景……澪がいたら怒られそーだな……」  片付けずに部屋の端っこに押しやられた荷物。ごろごろと畳の上で溶けている唯。  ……旅館についてから、なんだか事あるごとにこうやって畳で寝っころがってる気がする。 「でも、こんなのもたまにはいいよね」 「唯は『たまに』じゃないだろ」 「えー」 「……でもまあ、確かにいいかもな」 「えへへ」  畳にほっぺを押し付けたまま嬉しそうに笑う唯を見ていたら、胸の奥が熱くなる。  唯と一緒にいると、いつだってこんな気持ちになる。  嬉しくて、幸せで、あったかくなって。まるで時間がゆっくりと過ぎていくような感覚。  それが部室だろうが、商店街だろうが、旅館だろうが同じ。  いつだって唯を中心に時間が回っていくような感じがするんだ。 (……ああ、やっぱり)  閉じ込めようとした気持ちは、どうしたって溢れ出してしまう。  あたしはやっぱり唯が好きで。  どれだけ友達でいようって思ったって、どれだけそう振舞ったって、 心の奥でくすぶっているそれを完全に消してしまうことなんて出来るはずがないんだよ。  そんなの、最初から分かり切ってたことだ。  だからこそ、あたしはこの旅行に来ることを渋っていたわけで。 「――唯」 「なに、りっちゃん」  目だけを動かして唯を見た。唯と目が合う。  まだ湿り気の残った髪が、なんだか色っぽく見えた。 「……唯、あたし」 「りっちゃん?」 「……あ、っと」  開きかけた口を慌てて閉じた。……何を言おうとしたんだ、ばか。  もう決めたんだろ。唯とは友達でいるって。唯がそれを望んだんだから。  だったらあたしはもう、友達の田井中律以外の顔を、唯に見せちゃいけないんだ。 「あ、あのさ、えっと、温泉誘ってくれて、ありがとな」 「どしたの急に?」 「いや、なんであたしを誘ってくれたのかなー、とか思って」  誤魔化そうとして咄嗟に出た言葉が、なんだか墓穴の予感。  けれど唯は特に気にした様子もなく、微笑んでこう答えた。 「海よりも深い理由があるんだよ……」 「何も考えてなかったってことか」 「酷い!?」  そんなやりとりをしてふたりで笑いあう。  結果的に誤魔化すことに成功したようだ。  でも本当に、なんで唯は、あたしを誘ってくれたんだろう。  単純に補助券をあげたのがあたしだったから?  それとも、告白を断ったことに負い目があったから?  ……そうだとしたらそれは、なんだかすごくすごく悲しいことのような気がした。 6  それから浴衣のままお土産屋さんに行って澪たちへのお土産を選んで、 ふたりで卓球をやってひと汗かいて、もう一回温泉に入って風呂上がりのサイダーを飲んで。  これでもかというくらいに温泉旅行を満喫した。  それは、いつも通りのあたしと唯。  ――つまりは何も考えずにはしゃげる友達同士のやりとりだった。 「あーマジで明日筋肉痛になりそー……」  いつの間にやら敷かれていた布団にうつ伏せでダイブ。  真っ白なシーツは洗いたての香りだ。 「卓球ってあんなに激しいスポーツだったんだねぇ」  唯は唯でお疲れの様子。ちなみに卓球の対戦結果は接戦の末、あたしの勝利。  勝利のサイダーの美味しさったらないね! 「もう寝るか……今日は夜更かし出来そうにないわ」 「え、まだ日付も変わってないよ」  唯が慌てたように言う。 「えー、唯、眠くないの?」 「眠いけど、でも……」 「?」  なんだか歯切れの悪い唯の返事。  どうかした、と尋ねると、唯はもじもじと照れたような仕草でこんなことを言ってくる。 「もうちょっとりっちゃんとお話したいよ……」 「……っ!」  ぼふっと枕に顔を埋めた。  ぎゅうっと両手でシーツを握って、こみあげてくるそれをなんとかしてお腹の奥に押しやる。  唯はずるい。あたしの気持ちを知ってて、それで断って、なのにそんなことを言ってきて。  そりゃ唯にとってはそれが「友達」と接する時の普通なんだろうけど、でも、でもさ。 (こんなのって拷問だ……)  枕に突っ伏したまま大きく息を吐いた。自分の息で顔が熱い。  そのままくぐもった声であたしは答えた。 「……んじゃ、布団に入って、寝るまでなんか話そう」  早く唯への思いを忘れられたらいいのに、と思う。  そしたら、きっともっと楽しい気持ちで唯と一緒にいられるはずなのに。 7  真っ暗な部屋。隣の布団には唯。  もっと話したいと言い出したはずなのに、さっきから唯はずっと黙りっぱなしだ。 「唯、寝てんの?」 「寝てないよ」 「なんか話したいんじゃなかったの」 「……ん、そうなんだけど」 「?」  唯の様子がおかしいと思ったのは、その声にほんの少しの震えを感じたから。 「体調悪い?」 「悪くないよ」 「ほんとか?」 「うん」 「なんかあったら言えよ、寝てても起こしていいから」 「……ありがと。りっちゃん、優しいね」 「ぶちょーですから」 「えー」  えーってなんだ、えーって。とそんなツッコミを入れて、あたしは寝返りを打った。  唯に背中を向けて目を閉じる。一日遊んで今日はもうくたくただ。  唯が隣にいて眠れるんだろうか、という出発前の心配はどうやら杞憂だったようで、既に眠気はすぐそこまで来ていた。  それから数分して、うつらうつらと意識が途切れに途切れになり始めたとき。  隣の布団から、控え目にあたしを呼ぶ声がした。 「唯、いま呼んだ?」 「……りっちゃん、あのね、そのままで良いから聞いて?」  背中の方から聞こえてくる唯の声には、聞き覚えがあった。  それはあの日、あたしに「ごめん」と言ったときと同じ声だった。 「今日りっちゃんと旅行に来てね、すっごく楽しかったよ」 「……うん、あたしも」 「ほんと?」 「そりゃまあ、な」  良かったあ、と安心したような声で言って、唯は続ける。 「りっちゃん、さっき言ったよね。なんでりっちゃんを誘ったのかって」 「あ、ああ……」  ギクリとする。まさかさっきの話をまた持ちだされるとは思ってもみなかった。 「りっちゃんが補助券くれたってのもあるんだけど……」 「……ん」 「それよりも、りっちゃんとふたりきりになりたいって思ったからなんだよ」  思わず振り返った。暗闇の中で目が合うと、唯は「そのままで良いって言ったのに」と笑った。 「旅行先でふたりっきりなら、ちゃんと緊張しないで言えると思ったんだけど……やっぱりうまくいかないね」 「言えるって……何を?」  いまいち唯の話が見えてこない。  ただ唯が酷く緊張している、ということだけは伝わってきた。 「……りっちゃんの、こ、告白の、返事」 「……………………は?」  間抜けな声が出た。告白の返事って、なんで、今さら。  頭にいくつもの疑問符が浮かんでは消えていく。  わざわざふたりきりになって、一回断った告白の返事?  ひとりで混乱していると、唯はこんなことを言ってのけた。 「ずっと返事、待ってくれてありがとう」 8  きゅるきゅると頭の中でテープを巻き戻して、あの日のことを思い出す。  唯が好きだと伝えて、唯にごめんと言われて、これからも友達ていてくれと言われて。  それは、誰がどう考えたって振られたとしか思えないわけで……。 「あの、唯さん?」 「なに?」 「唯さ、あたしのこともう振ったよな?」  そう尋ねると、唯はぎょっとしたように目を丸くした。 「ええ!? 振ってないよ!?」 「いや、思いっきり『これからもお友達でいましょう』って言っただろ!」 「それは、返事するまでは……それまでは友達でいてって意味で」 「へ……?」 「返事は、ちょっと待って欲しいって……私言ったよね?」 「…………」  目を閉じてあの日のやりとりを繰り返す。返事を待ってって、そんなこと…… 「……言われた記憶、ないんだけど」 「ええーっ!?」 「あ、でも……」  言われてみれば、唯は確かあの時「それまで」友達でいて欲しい、と言った。  それまでって……どれまで?  あれ、なんであたしはあの時、その言葉になんの疑問も持たなかったんだ? 「……頭混乱してて、肝心なこと言うの忘れてたよ、りっちゃん……」  つまりあたしも唯もどっちもテンパってて。  お互いのやりとりが全くかみ合っていなくて。  ……って、あれ、それじゃあ。  振られたと思っていたのは、全部こっちの一方的な勘違いってこと……? 「お、おま……っ」 「りっちゃ――ふぎゅ」  がばりと体を起こして、唯の両頬を思いっきり引っ張った。 「なんでそんな肝心なこと忘れるんだ、このおばか!」 「りゃ、りゃってえ……」 「あたしがどんだけ泣いたと……!」 「え……」  はっとして慌てて口を押さえた。  唯に振られて、涙を流したことは内緒にするつもりだったのに。 「りっちゃん、泣いたの?」  唯の右手が伸びてきて、あたしの頬にそっと触れた。 「……いや、それは」 「……私のせいで?」 「唯のせいってわけじゃなくて、」  いやまあ唯のせいと言えばそうなんだけど、でもそれはちょっとニュアンスが……などと ごちゃごちゃ考えていると、ぐいと体を引き寄せられた。   バランスを崩して唯の上に覆いかぶさる形になる。  浴衣ごしの柔らかさを体で感じて、一気に心臓が暴れ出した。  けれどそんな感情も、耳元で聞こえてきたすすり泣きの声で、ゆっくりと引いていく。 「……唯、なんで泣いてんの?」 「りっちゃん、辛い思いしたんだね、私がさせちゃったんだね」  ぐずぐずと鼻をすする音。唯の腕に力がこもった。 「いっぱい勇気出してくれたのに、ごめんね」 「……謝らなくていいよ。唯はなんにも悪いことしてないし」  唯の顔の両側に手をついて体を起こした。  あたしを見上げる唯の目には大粒の涙が貯まっている。  ……てか鼻水も出てるし。  苦笑して置いてあったティッシュで唯の涙と鼻水を拭ってやる。 「あのね、りっちゃん」 「うん」 「今さら遅いかな。……ちゃんと、返事させて、欲しいなって」  そんな真剣な目で言われて、断れるはずがないじゃないか。  改めて振られるって、その可能性に恐怖を感じないわけではなかったけれど。 「りっちゃんに好きって言われて、今日までいっぱい考えたんだ。私、りっちゃんのこと好きだけど、それが友達以上の気持ちなのかなあって」 「……うん。ありがと、ちゃんと考えてくれて」 「でね、他のみんなのことも好きだけど、でもやっぱりりっちゃんへの気持ちだけはちょっとだけ違って、 もっと一緒にいたいって思うし、もっと構って欲しいって思うし、」  そこまで言って、唯は「でも」と漏らす。 「自信がないんだよ。この気持ちが好きってことなのかな……?」  不安げにそう尋ねてくる唯を見ていたら、胸の奥がかあっと熱くなった。  こみ上げてくるものは、唯への気持ち。  好きだって、愛しいんだって、そういう気持ち。  唯のことなら、なんでも受け入れられるって、それくらい大きな。 「……唯、目閉じて」 「え? ……こう?」  ぱちりと唯が目を閉じた。  この体勢で素直に言うこと聞いてくれるってことは、信頼されてるって思っていいのかな。  それとも唯が無防備なだけなんだろうか。  そんなことを考えながら体を屈めて、唯のほっぺに触れた。  唇にする勇気は……残念ながらまだない。  ていうか両想いって決まったわけでもないし、いきなり唇を奪うのも、えっと、ごにょごにょ。  ……ごめん、ただ意気地がないだけだ。 「あたしは、唯にこういうことしたいって思うし、唯がしてくれたら、絶対に嬉しいと思う。 それくらい唯のことが、す、好きだよ」  顔が熱い。酸欠で頭がくらくらする。それでも、いま頑張らないでいつ頑張るって話だ。  今度はすれ違わないように、全部を伝えよう。  その上で唯に振られるならしょうがない。  その時は、今度こそちゃんと友達してやり直せるような気がするから。  義務でもなんでもなくて、ちゃんと本当の友達として。 「……唯は、どう思った?」 「りっちゃん……」  ぽろりと唯の目から溜まった涙が流れ落ちて、それに意識を取られていたら、突然頭を引き寄せられて――  それが、唯の答えだった。 「…………えへ」 「……こ、こら、こっちは初めてなんだぞ」 「私も初めてだから大丈夫だよ」 「何が大丈夫か分からん」 「りっちゃん照れ隠し?」  ……こういうところだけは鋭いから困る。  安堵した拍子に体の力が抜けて、あたしはふにゃふにゃと唯の隣に寝っころがった。  するとすぐに唯がもそもそと体を寄せてきて、照れたような笑顔を見せてくれる。 「ふふ、ね、りっちゃん」 「ん?」 「あの雑誌の診断、当たってたね。両想いの確率九十九パーセントって」 「……ああ、あれか」  うーん、と少しだけ考えて、あたしは言う。 「当たってなくていいや」 「え、なんでー!?」 「だってあれ、唯相手じゃ誰でも九十九パーセントになるし」 「そ、そうなの……?」 「……はあ、苦労しそうだな」  早まったかな、と心にもないことを言ってみると、唯は酷いよお、なんて言いながらも なんだか嬉しそうで、ぐりぐりと頭を擦りつけてくる。  シャンプーの良い香り。  くんくん鼻を揺らしていたら、りっちゃん犬みたい、と笑われた。  唯にだけは言われたくないところだ。 「……なんか」 「ん?」  ぎゅ、と唯が抱きついてきた。 「もっと早く気が付いてたら良かったな、りっちゃんが好きって。そしたら、今日の旅行だってもっといっぱこうやって出来たのに」 「まあ次に期待ってことで。……次はちゃんと恋人として来れたら、嬉しいな」  友達として、って自分に言い聞かせて過ごすことのキツさを今日は知ったから。  次があるのなら、今度は大好きな人に、めいっぱい甘えて過ごす楽しさを知りたいと思う。  ……なんて、さすがに恥ずかしくて口には出せないけれど。 「また福引で旅行当ててくれよ」 「私たぶんあの時で一生分の運を使っちゃったよ……」  がく、とうなだれる唯が愛しくて、思いっきり抱き返してやる。  唯はくすぐったそうに笑っていたけれど、やがて 「でも、りっちゃんがいてくれたら、ハワイでも宇宙旅行でも当てられそう」  となんだかよく分からないことを言った。 9 「りっちゃん、これ買おう、これ」 「だから無駄遣いはやめろっての!」 「だって補助券あと三枚で福引券もらえるんだよ!」 「そんな変な置物どこに置く気だよ!?」 「部室!」  迷うことなく言ってのけた。  ああ、怒られる。澪と梓に怒られる。ムギは怒らないで喜びそうだけど。  あれから、商店街で福引をやるたびに、あたしたちは地元商店街にお金を落としまくる優良地元民となった。  ちなみに今回の一等は北海道だそうで。  ……お金持ちだな、この商店街。  正直言って福引券をもらうお金をためた方が早いような気もしなくてもないけれど、 福引を引くときの唯の真剣さが面白くてついつい付き合ってしまっているのが実状だ。  あの時運を使い果たした、との言葉はどうやらあながち間違いでもないようで、今のところ五等にすらかすったこともない。  ひたすらにティッシュだけがたまっている。 「りっちゃん、福引券もらえたよ! ほら、引こう?」 「へいへい」  唯に呼ばれて、一緒に抽選機のハンドルを握った。  飛び出してくるのは白い玉、赤い玉、青い玉、それとも金色の玉?  またふたりして旅行に行けるようになるのはいつのことやら。  商店街に響くガラガラと小気味いい音を聞きながらそんなことを思った。 おわり
***SS42 1 「良いお湯だねえ、りっちゃん」 「だな」 「景色も良いし、お部屋は綺麗だし、これはご飯も期待できそうだね」 「しょせん商店街の福引だし、もっとしょぼい宿を想像してたんだけどな」  そんなことを言っていると、ちょいちょいと肩を叩かれる。 「ねえねえ、りっちゃん――とやっ!」 「うぷっ……こら、唯!」  唯の両手が水鉄砲に早変わりして、ぱしゃりと乳白色のお湯が飛んでくる。  確か打身だったか腰痛だったかに効能があるんだったっけ。もう忘れた。 「ふふーん、油断したね、田井中君」 「温泉入るなりいきなりテンションマックスだな……」 「りっちゃんとの旅行でテンション上がらないはずがないよ!」 「……そ、そうか」  ふいうちでそんなことを言われて、思わず頬が熱くなる。  何気なく視線を下げたら揺れる水面と唯の胸元が視界に入って、慌てて顔を上げた。 「りっちゃん、どうかしたの?」 「えっ、あ、いや、なんでもない」 「……もしかして、唯の胸ちっちゃいなとか思った? りっちゃんに言われたくないよ!」 「お、思ってないから! ていうかさりげなく失礼なこと言うなっての」  まったくもう、と唯に背中を向けて、そのまま口元までお湯に浸かる。  落ち着け、落ち着け。自分に言い聞かせてお湯の中で息を吐いた。  あくまでも今日は、友達として、唯と一緒に温泉旅行に来ているんだ。  だから、こんな風に唯の裸にドキドキするってのは、本来はあっちゃいけないことなんだ。 「…………」  でもな、あたしだって生身の人間なわけだよ。  好きな人が目の前にいて、一緒にお風呂に入ることになって、どうして冷静でいられようか。  脱衣所から今まで、もうずっとドキドキとうるさいくらいに心臓が高鳴っている。  ……このままじゃ、のぼせて気失ってしまう。 「わ、りっちゃん背中綺麗だね。つつつーっと」 「ちょお!?」  ……いっそのぼせて倒れてしまった方が楽になれる気がしてきた。  唯とふたりきりの温泉旅行。きっかけは、数日間に遡る。 2 「……十枚で福引券一枚と引き換え?」 「そうなんだよ、りっちゃん」  とある日曜日。近所の商店街で偶然出会った唯に、そんなことを言われた。 「ああ、金額が福引券一枚に満たないとこれがもらえるわけか」  あたしの手元には「福引補助券」と書かれた紙切れが四枚。  薬局で店員さんがくれたそれは、どうやら十枚集めることで、いま商店街でやっている福引の引換券になるらしい。 「なるほどな。……で?」 「で? って……りっちゃん福引だよ!? 夢の大博打だよ!?」 「んな大げさな」 「なんかね、今なら大物が釣れそうな気がするんだよ、私」  そう言って唯は、持っていた福引補助券六枚をぎゅっと握りしめた。 「というわけで、あと四枚分なに買おうかなって悩んでたところなんだよ」 「まさに商店街の思うツボだな……」 「りっちゃんも何か買うよね?」 「は? なんで?」 「え、買わないの!?」 「だって福引一回引けたところでせいぜいティッシュくらいしか当たんないだろ」 「りっちゃん……夢がないよ……」  がくりとうなだれる唯に、ついつい笑ってしまったけれど、まあ唯らしいと言えば唯らしい。 「んじゃ、これ使えば?」  あたしは持っていた補助券を唯に差し出した。  あたしの四枚と、唯の六枚。合わせればちょうど一回分だ。 「え、これ……りっちゃん、いいの!?」 「あたしは別に引かないし、これ使って大物引き当ててみろよ」  ニヤニヤと笑うあたしを見て、唯がむう、と口を尖らせた。 「りっちゃん、私の予感を信じてないね……?」 「いやいや、そんなことはないですわよ」 「むう……よおし、見てて、りっちゃん。私やってみせるから!」  鼻息荒く係の人の元へ歩み寄っていく唯。  ティッシュを持って帰ってきて涙目になってる姿を想像したら……。 (可愛い……)  いやいや、何を考えてるんだ。  こほん、と咳払いをして行く末を見守ることにした。 3  結論から言えば、一等だった。  何なのこの子? どっかのラッキーな星から来た子なの?  そう思わざるを得ない運の良さに震えた。  ……もっとも自分で引き当てておいて、あたしよりももっと驚きで震えている奴が目の前にいたのだけれど。 「うー、どうすりゃいいんだよ」  商店街から帰って、自宅のベッドに寝転がって頭を抱える。  温泉旅行を見事引き当てた唯。  あたしは当然唯が憂ちゃんとでも行くものだろうと思っていたんだけれど、唯は当たり前のようにこう言ったのだ。  ――りっちゃん、温泉一緒に行こうね!  考えさせて、と答えてそのまま自宅に帰った。  唯と一緒に温泉旅行。ただの友達同士なら、そりゃ喜んで行くさ。  しかも唯とだったら、なおさら嬉しいに決まってる。  決まってるけど……それは、あたしの気持ちが唯に知られていなことが前提だ。 「…………」  実を言うと、あたしは少し前に、唯にいわゆる告白というものをしている。   ……しかも既に振られている。友達でいてね、という典型的な振られ方。  そんな状況で、そう簡単に「はい行きます!」なんてどうして言えようか。  ていうか唯も唯だ!  振った人間を温泉旅行に誘うって、一体何を考えてるんだよ! 「……はあ」  これが「友達でいよう」って言葉の意味なのか、と思う。  どんなに唯のことが好きでも、振られた以上は友達としてこれまで通り接する。  それって…………結構、キツイことだったんだな。  天井を見上げたまま、三週間前のことを思い出す。  これだけ時間が経ったのに、あの時の唯の声や顔、仕草を思い出すだけで胸がちくちくと痛んで、心が苦しくなる。  涙は出ない。というか、出さないと決めた。  あたしが泣けば唯が気にするし、下手すれば唯の笑顔を奪ってしまうことになると思ったから。  あの日、放課後の部室で……あたしは、唯が好きだと、そう伝えた。 4 「どうしたの、りっちゃん?」 「え、な、なにが?」 「なんか今日ずっとそわそわしてる」 「え、そうか? そんなのいつものことだろ」 「それはそうだけど……」  自分で言っておいてなんだけどそこはちょっと否定して欲しい。  とまあそんなことはどうでもよくて。  放課後の音楽準備室。  いつも通り授業を終えてやって来たは良いものの、ここにいるのはギタリストとドラマーのふたりだけだった。  掃除当番やら日直やらでメンバーがすぐに揃わないのはわりとよくあることなんだけど、 それでも、こんな風に唯とふたりきりになることは久しぶりかもしれない。  嬉しい半面、さっきから心臓がドキドキとうるさい。  想い人とふたりきりでいるのだから当然だと思う。 「早くムギちゃんのお茶飲みたいなあ」  言いながら唯がぱらぱらと置いてあった雑誌をめくる。  頬杖をついて雑誌に目を落とす唯の横顔。  こうして見ると、やっぱり唯って整った顔立ちをしてるなあ、と思う。  表情がころころ変わる奴だからこうやって普通の顔(って言い方もおかしいけれど)で 雑誌を読んでいる姿はなんだかちょっとだけ新鮮だった。 「りっちゃん隊員」 「え、あ、なんでありますか、唯隊員」  いきなり話をふられて慌てて返す。 「りっちゃんって好きな人いる?」 「んなっ、……なんだよ急に」 「ほら、これ」  唯が指差したのは雑誌の見開きだった。  そこに書かれているのは「両想い診断テスト」なんて名付けられたコーナー。  片思いの相手と実は両想いである確率を診断するという、いかにもな内容だ。 「なんだこりゃ」 「こういうのってどれくらい当たるんだろうね」 「ふーむ、どれ……」  身を乗り出してフローチャートになっているそれを読み進めていく。  なになに、あだ名で呼ばれている? イエス。  相手の家に行ったことがある? イエス。  メールを何度も送り合ったことがある? イエス。  好きな相手からよくスキンシップをされる? イエス。  ――両想いの確率、九十九パーセント。  ――やったね、今すぐ告白しよう! 「くらだん!」  ていうか唯相手なら誰でもこの結果になるわい! 「え、なに、結果どれだったの?」 「……九十九パーセント。一番いいやつ」 「わ、やったね、りっちゃん」 「いや、こんなの絶対当たんないって」 「そんなことないよー。頑張ろう、りっちゃん!」 「何をどう頑張れってんだよ……」  半ば呆れて言うと、ふいに唯の香りが近づいてきた。  そのままポン、と肩を抱かれる。 「りっちゃんが幸せになってくれたら母さん嬉しいよ」 「お前誰だよ」  ツッコミを入れながら小さなため息をついた、  嬉しい……か。  あたしが知らない誰かと付き合ったりしても、唯はそう思ってくれるんだな。  優しい言葉をかけてもらっているはずなのに、心の中はちくりと痛む。  分かってるんだ。これが伝わらない気持ちだっていうことも、唯は何も悪くないってことも。  それでもいつもの笑顔で、いつもの口調でそんなことを言われて、平静でいられるはずがない。  そんなに大人じゃあ、ないんだ。 「……唯」 「うん? どしたの、りっちゃん」 「九十九パーセントって絶対ウソだよ」 「え、なんで」 「あたしなんかじゃ、ゼロパーセントって分かりきってるもん」 「りっちゃん……?」  唯が体を起こして、あたしの顔を覗きこんできた。  なんとなく唯の目が見れなくて、思わず顔を背けてしまった。 「りっちゃんは可愛いよ?」 「そんなことない」 「絶対可愛い! 私もそう思ってるよ!」 「へいへい、ありがとー」 「ほんとだってば。だから絶対ゼロパーセントなんかじゃないよ」 「…………」  一生懸命励ましてくれちゃって、ほんと良い奴だな。  でも、今はその良い奴っぷりが余計に辛いよ、唯。 「唯、あのさ」 「なに、りっちゃん?」  やめろやめろって頭では思っているのに、どうしてか言葉を止めることが出来なかった。 「――あたしの好きな人ってさ、唯なんだ」  ぴく、と唯の体が跳ねて、そのまま固まった。 「……ゼロパーセント、だろ?」 「…………」  長い沈黙の後、小さな小さな声で、ごめん、と返ってきた。  いつもの唯とは全く違う、か細い声。背けていた顔を元に戻す。  眉を下げて、泣きそうな顔。こんな切なそうな唯の顔を、あたしは初めて見た。見てしまった。 「あ、あはは、ごめん、変なこと言っちゃったな。忘れていいよ」  唯の肩を押し戻して、距離を取った。押し寄せてくるのは激しい後悔。  なんでこんなこと言ってしまったんだろう。  少しでも期待があった? 私もりっちゃんが好きだよって言ってもらえるって。  だとすれば、あたしは真の大馬鹿だ。 「り、りっちゃん、あの――」 「いや、ほんと気ぃ使ったりしなくていいからな」  あたしが笑ってみせると、唯は悲しそうに目を伏せて言う。 「りっちゃん、怒ってない?」 「ないない。だからちょっと言ってみただけだし、ほんと気にしないでいいから」  唯はじっと黙ったまま何かを考えていたようだったけれど、やがてぽつりとこう言った。 「……それまで、友達でいてくれる?」  その言葉にイエスと答えた以上は、あたしには唯に今まで通り「友達として」接する義務があった。  告白なんてなかった。あたしは唯に何も伝えていないし、唯も何も知らない。  そう自分に言い聞かせて、あたしはそれからの毎日を「普通に」過ごすよう全力を費やした。  だから温泉旅行だって、「友達として」「いつも通りに」了解するほかなかったんだ。 5 「うあー……満腹すぎて……動けない……」 「予想外に豪華だったな……」 「お腹ぽんぽんだよ」  ポン、と唯が浴衣の上から自分のお腹を叩いた。タヌキも顔負けの良い音。  思わず噴き出して笑ってしまう。 「なにやってんだよ、ばあか」 「ふにっ」  身を乗り出して、テーブルの向こう側にいる唯の頬をちょいとつついた。  温泉から上がって部屋に戻ると、それはもう豪華な食事が用意されていた。  舟盛り……新鮮な刺身が絶品でございました。  すき焼き……お肉の柔らかさが殺人級でございました。  天ぷら……山菜がこんなに美味しいと思ったのは生まれて初めてでございました。  その他もろもろ……何もかもが絶品だった。  ご飯の間ふたりして「美味しい」を合わせて百五十回くらいは言ったんじゃないだろうか。  それくらいに美味しかったんだからしょうがない。 「食べたあとにすぐ寝っころがるのって幸せだよねえ……」  溶けるようにして座椅子から床へ移動する唯。だらしない。……でも可愛い。  一方こっちはニヤけそうになる頬をなんとか抑えつけるのに必死だったりする。 「しっかしこの光景……澪がいたら怒られそーだな……」  片付けずに部屋の端っこに押しやられた荷物。ごろごろと畳の上で溶けている唯。  ……旅館についてから、なんだか事あるごとにこうやって畳で寝っころがってる気がする。 「でも、こんなのもたまにはいいよね」 「唯は『たまに』じゃないだろ」 「えー」 「……でもまあ、確かにいいかもな」 「えへへ」  畳にほっぺを押し付けたまま嬉しそうに笑う唯を見ていたら、胸の奥が熱くなる。  唯と一緒にいると、いつだってこんな気持ちになる。  嬉しくて、幸せで、あったかくなって。まるで時間がゆっくりと過ぎていくような感覚。  それが部室だろうが、商店街だろうが、旅館だろうが同じ。  いつだって唯を中心に時間が回っていくような感じがするんだ。 (……ああ、やっぱり)  閉じ込めようとした気持ちは、どうしたって溢れ出してしまう。  あたしはやっぱり唯が好きで。  どれだけ友達でいようって思ったって、どれだけそう振舞ったって、 心の奥でくすぶっているそれを完全に消してしまうことなんて出来るはずがないんだよ。  そんなの、最初から分かり切ってたことだ。  だからこそ、あたしはこの旅行に来ることを渋っていたわけで。 「――唯」 「なに、りっちゃん」  目だけを動かして唯を見た。唯と目が合う。  まだ湿り気の残った髪が、なんだか色っぽく見えた。 「……唯、あたし」 「りっちゃん?」 「……あ、っと」  開きかけた口を慌てて閉じた。……何を言おうとしたんだ、ばか。  もう決めたんだろ。唯とは友達でいるって。唯がそれを望んだんだから。  だったらあたしはもう、友達の田井中律以外の顔を、唯に見せちゃいけないんだ。 「あ、あのさ、えっと、温泉誘ってくれて、ありがとな」 「どしたの急に?」 「いや、なんであたしを誘ってくれたのかなー、とか思って」  誤魔化そうとして咄嗟に出た言葉が、なんだか墓穴の予感。  けれど唯は特に気にした様子もなく、微笑んでこう答えた。 「海よりも深い理由があるんだよ……」 「何も考えてなかったってことか」 「酷い!?」  そんなやりとりをしてふたりで笑いあう。  結果的に誤魔化すことに成功したようだ。  でも本当に、なんで唯は、あたしを誘ってくれたんだろう。  単純に補助券をあげたのがあたしだったから?  それとも、告白を断ったことに負い目があったから?  ……そうだとしたらそれは、なんだかすごくすごく悲しいことのような気がした。 6  それから浴衣のままお土産屋さんに行って澪たちへのお土産を選んで、 ふたりで卓球をやってひと汗かいて、もう一回温泉に入って風呂上がりのサイダーを飲んで。  これでもかというくらいに温泉旅行を満喫した。  それは、いつも通りのあたしと唯。  ――つまりは何も考えずにはしゃげる友達同士のやりとりだった。 「あーマジで明日筋肉痛になりそー……」  いつの間にやら敷かれていた布団にうつ伏せでダイブ。  真っ白なシーツは洗いたての香りだ。 「卓球ってあんなに激しいスポーツだったんだねぇ」  唯は唯でお疲れの様子。ちなみに卓球の対戦結果は接戦の末、あたしの勝利。  勝利のサイダーの美味しさったらないね! 「もう寝るか……今日は夜更かし出来そうにないわ」 「え、まだ日付も変わってないよ」  唯が慌てたように言う。 「えー、唯、眠くないの?」 「眠いけど、でも……」 「?」  なんだか歯切れの悪い唯の返事。  どうかした、と尋ねると、唯はもじもじと照れたような仕草でこんなことを言ってくる。 「もうちょっとりっちゃんとお話したいよ……」 「……っ!」  ぼふっと枕に顔を埋めた。  ぎゅうっと両手でシーツを握って、こみあげてくるそれをなんとかしてお腹の奥に押しやる。  唯はずるい。あたしの気持ちを知ってて、それで断って、なのにそんなことを言ってきて。  そりゃ唯にとってはそれが「友達」と接する時の普通なんだろうけど、でも、でもさ。 (こんなのって拷問だ……)  枕に突っ伏したまま大きく息を吐いた。自分の息で顔が熱い。  そのままくぐもった声であたしは答えた。 「……んじゃ、布団に入って、寝るまでなんか話そう」  早く唯への思いを忘れられたらいいのに、と思う。  そしたら、きっともっと楽しい気持ちで唯と一緒にいられるはずなのに。 7  真っ暗な部屋。隣の布団には唯。  もっと話したいと言い出したはずなのに、さっきから唯はずっと黙りっぱなしだ。 「唯、寝てんの?」 「寝てないよ」 「なんか話したいんじゃなかったの」 「……ん、そうなんだけど」 「?」  唯の様子がおかしいと思ったのは、その声にほんの少しの震えを感じたから。 「体調悪い?」 「悪くないよ」 「ほんとか?」 「うん」 「なんかあったら言えよ、寝てても起こしていいから」 「……ありがと。りっちゃん、優しいね」 「ぶちょーですから」 「えー」  えーってなんだ、えーって。とそんなツッコミを入れて、あたしは寝返りを打った。  唯に背中を向けて目を閉じる。一日遊んで今日はもうくたくただ。  唯が隣にいて眠れるんだろうか、という出発前の心配はどうやら杞憂だったようで、既に眠気はすぐそこまで来ていた。  それから数分して、うつらうつらと意識が途切れに途切れになり始めたとき。  隣の布団から、控え目にあたしを呼ぶ声がした。 「唯、いま呼んだ?」 「……りっちゃん、あのね、そのままで良いから聞いて?」  背中の方から聞こえてくる唯の声には、聞き覚えがあった。  それはあの日、あたしに「ごめん」と言ったときと同じ声だった。 「今日りっちゃんと旅行に来てね、すっごく楽しかったよ」 「……うん、あたしも」 「ほんと?」 「そりゃまあ、な」  良かったあ、と安心したような声で言って、唯は続ける。 「りっちゃん、さっき言ったよね。なんでりっちゃんを誘ったのかって」 「あ、ああ……」  ギクリとする。まさかさっきの話をまた持ちだされるとは思ってもみなかった。 「りっちゃんが補助券くれたってのもあるんだけど……」 「……ん」 「それよりも、りっちゃんとふたりきりになりたいって思ったからなんだよ」  思わず振り返った。暗闇の中で目が合うと、唯は「そのままで良いって言ったのに」と笑った。 「旅行先でふたりっきりなら、ちゃんと緊張しないで言えると思ったんだけど……やっぱりうまくいかないね」 「言えるって……何を?」  いまいち唯の話が見えてこない。  ただ唯が酷く緊張している、ということだけは伝わってきた。 「……りっちゃんの、こ、告白の、返事」 「……………………は?」  間抜けな声が出た。告白の返事って、なんで、今さら。  頭にいくつもの疑問符が浮かんでは消えていく。  わざわざふたりきりになって、一回断った告白の返事?  ひとりで混乱していると、唯はこんなことを言ってのけた。 「ずっと返事、待ってくれてありがとう」 8  きゅるきゅると頭の中でテープを巻き戻して、あの日のことを思い出す。  唯が好きだと伝えて、唯にごめんと言われて、これからも友達ていてくれと言われて。  それは、誰がどう考えたって振られたとしか思えないわけで……。 「あの、唯さん?」 「なに?」 「唯さ、あたしのこともう振ったよな?」  そう尋ねると、唯はぎょっとしたように目を丸くした。 「ええ!? 振ってないよ!?」 「いや、思いっきり『これからもお友達でいましょう』って言っただろ!」 「それは、返事するまでは……それまでは友達でいてって意味で」 「へ……?」 「返事は、ちょっと待って欲しいって……私言ったよね?」 「…………」  目を閉じてあの日のやりとりを繰り返す。返事を待ってって、そんなこと…… 「……言われた記憶、ないんだけど」 「ええーっ!?」 「あ、でも……」  言われてみれば、唯は確かあの時「それまで」友達でいて欲しい、と言った。  それまでって……どれまで?  あれ、なんであたしはあの時、その言葉になんの疑問も持たなかったんだ? 「……頭混乱してて、肝心なこと言うの忘れてたよ、りっちゃん……」  つまりあたしも唯もどっちもテンパってて。  お互いのやりとりが全くかみ合っていなくて。  ……って、あれ、それじゃあ。  振られたと思っていたのは、全部こっちの一方的な勘違いってこと……? 「お、おま……っ」 「りっちゃ――ふぎゅ」  がばりと体を起こして、唯の両頬を思いっきり引っ張った。 「なんでそんな肝心なこと忘れるんだ、このおばか!」 「りゃ、りゃってえ……」 「あたしがどんだけ泣いたと……!」 「え……」  はっとして慌てて口を押さえた。  唯に振られて、涙を流したことは内緒にするつもりだったのに。 「りっちゃん、泣いたの?」  唯の右手が伸びてきて、あたしの頬にそっと触れた。 「……いや、それは」 「……私のせいで?」 「唯のせいってわけじゃなくて、」  いやまあ唯のせいと言えばそうなんだけど、でもそれはちょっとニュアンスが……などと ごちゃごちゃ考えていると、ぐいと体を引き寄せられた。   バランスを崩して唯の上に覆いかぶさる形になる。  浴衣ごしの柔らかさを体で感じて、一気に心臓が暴れ出した。  けれどそんな感情も、耳元で聞こえてきたすすり泣きの声で、ゆっくりと引いていく。 「……唯、なんで泣いてんの?」 「りっちゃん、辛い思いしたんだね、私がさせちゃったんだね」  ぐずぐずと鼻をすする音。唯の腕に力がこもった。 「いっぱい勇気出してくれたのに、ごめんね」 「……謝らなくていいよ。唯はなんにも悪いことしてないし」  唯の顔の両側に手をついて体を起こした。  あたしを見上げる唯の目には大粒の涙が貯まっている。  ……てか鼻水も出てるし。  苦笑して置いてあったティッシュで唯の涙と鼻水を拭ってやる。 「あのね、りっちゃん」 「うん」 「今さら遅いかな。……ちゃんと、返事させて、欲しいなって」  そんな真剣な目で言われて、断れるはずがないじゃないか。  改めて振られるって、その可能性に恐怖を感じないわけではなかったけれど。 「りっちゃんに好きって言われて、今日までいっぱい考えたんだ。私、りっちゃんのこと好きだけど、それが友達以上の気持ちなのかなあって」 「……うん。ありがと、ちゃんと考えてくれて」 「でね、他のみんなのことも好きだけど、でもやっぱりりっちゃんへの気持ちだけはちょっとだけ違って、 もっと一緒にいたいって思うし、もっと構って欲しいって思うし、」  そこまで言って、唯は「でも」と漏らす。 「自信がないんだよ。この気持ちが好きってことなのかな……?」  不安げにそう尋ねてくる唯を見ていたら、胸の奥がかあっと熱くなった。  こみ上げてくるものは、唯への気持ち。  好きだって、愛しいんだって、そういう気持ち。  唯のことなら、なんでも受け入れられるって、それくらい大きな。 「……唯、目閉じて」 「え? ……こう?」  ぱちりと唯が目を閉じた。  この体勢で素直に言うこと聞いてくれるってことは、信頼されてるって思っていいのかな。  それとも唯が無防備なだけなんだろうか。  そんなことを考えながら体を屈めて、唯のほっぺに触れた。  唇にする勇気は……残念ながらまだない。  ていうか両想いって決まったわけでもないし、いきなり唇を奪うのも、えっと、ごにょごにょ。  ……ごめん、ただ意気地がないだけだ。 「あたしは、唯にこういうことしたいって思うし、唯がしてくれたら、絶対に嬉しいと思う。 それくらい唯のことが、す、好きだよ」  顔が熱い。酸欠で頭がくらくらする。それでも、いま頑張らないでいつ頑張るって話だ。  今度はすれ違わないように、全部を伝えよう。  その上で唯に振られるならしょうがない。  その時は、今度こそちゃんと友達してやり直せるような気がするから。  義務でもなんでもなくて、ちゃんと本当の友達として。 「……唯は、どう思った?」 「りっちゃん……」  ぽろりと唯の目から溜まった涙が流れ落ちて、それに意識を取られていたら、突然頭を引き寄せられて――  それが、唯の答えだった。 「…………えへ」 「……こ、こら、こっちは初めてなんだぞ」 「私も初めてだから大丈夫だよ」 「何が大丈夫か分からん」 「りっちゃん照れ隠し?」  ……こういうところだけは鋭いから困る。  安堵した拍子に体の力が抜けて、あたしはふにゃふにゃと唯の隣に寝っころがった。  するとすぐに唯がもそもそと体を寄せてきて、照れたような笑顔を見せてくれる。 「ふふ、ね、りっちゃん」 「ん?」 「あの雑誌の診断、当たってたね。両想いの確率九十九パーセントって」 「……ああ、あれか」  うーん、と少しだけ考えて、あたしは言う。 「当たってなくていいや」 「え、なんでー!?」 「だってあれ、唯相手じゃ誰でも九十九パーセントになるし」 「そ、そうなの……?」 「……はあ、苦労しそうだな」  早まったかな、と心にもないことを言ってみると、唯は酷いよお、なんて言いながらも なんだか嬉しそうで、ぐりぐりと頭を擦りつけてくる。  シャンプーの良い香り。  くんくん鼻を揺らしていたら、りっちゃん犬みたい、と笑われた。  唯にだけは言われたくないところだ。 「……なんか」 「ん?」  ぎゅ、と唯が抱きついてきた。 「もっと早く気が付いてたら良かったな、りっちゃんが好きって。そしたら、今日の旅行だってもっといっぱこうやって出来たのに」 「まあ次に期待ってことで。……次はちゃんと恋人として来れたら、嬉しいな」  友達として、って自分に言い聞かせて過ごすことのキツさを今日は知ったから。  次があるのなら、今度は大好きな人に、めいっぱい甘えて過ごす楽しさを知りたいと思う。  ……なんて、さすがに恥ずかしくて口には出せないけれど。 「また福引で旅行当ててくれよ」 「私たぶんあの時で一生分の運を使っちゃったよ……」  がく、とうなだれる唯が愛しくて、思いっきり抱き返してやる。  唯はくすぐったそうに笑っていたけれど、やがて 「でも、りっちゃんがいてくれたら、ハワイでも宇宙旅行でも当てられそう」  となんだかよく分からないことを言った。 9 「りっちゃん、これ買おう、これ」 「だから無駄遣いはやめろっての!」 「だって補助券あと三枚で福引券もらえるんだよ!」 「そんな変な置物どこに置く気だよ!?」 「部室!」  迷うことなく言ってのけた。  ああ、怒られる。澪と梓に怒られる。ムギは怒らないで喜びそうだけど。  あれから、商店街で福引をやるたびに、あたしたちは地元商店街にお金を落としまくる優良地元民となった。  ちなみに今回の一等は北海道だそうで。  ……お金持ちだな、この商店街。  正直言って福引券をもらうお金をためた方が早いような気もしなくてもないけれど、 福引を引くときの唯の真剣さが面白くてついつい付き合ってしまっているのが実状だ。  あの時運を使い果たした、との言葉はどうやらあながち間違いでもないようで、今のところ五等にすらかすったこともない。  ひたすらにティッシュだけがたまっている。 「りっちゃん、福引券もらえたよ! ほら、引こう?」 「へいへい」  唯に呼ばれて、一緒に抽選機のハンドルを握った。  飛び出してくるのは白い玉、赤い玉、青い玉、それとも金色の玉?  またふたりして旅行に行けるようになるのはいつのことやら。  商店街に響くガラガラと小気味いい音を聞きながらそんなことを思った。 おわり

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