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SS25ずるっ、ずるっ。

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yuiritsu

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SS25


ずるっ、ずるっ。
放課後の部室。ティータイムにも、練習にも当てはまらない音が聞こえてくる。
普段なら、ムギがもってきてくれる菓子の甘い香りが漂っているけれど、今日は、嗅ぐだけでお腹がすきそうな、醤油とダシの匂いが充満していた。

「嬉しいわ。私、インスタントのうどんをみんなで食べるのが、夢だったの~」

食べ慣れていないであろううどんを、上品に口に入れながらムギが言う。
ムギの菓子を断って悪いな、とは思ったけれど、意外と楽しんでいるようで、ほっとした。

「……どんな夢だよ。まったく、律が変なこと提案するから」

そんなムギに呆れながら、ぶちぶちと私に文句を言う澪。
とはいいながらも、箸が進むスピードは一番早い。だから太るんだぞ、と思ったけれど、言うと絶対殴られるので、言わないことにする。

「なんか、うどんすするだけで、今日の部活も終わりそうですね」

梓は、もう諦めたような表情で、ちびちびと食べ進めていく。
こいつも、スルー耐性が身についてきたな、と密かに感心。

そして、この企画にもっともノリノリだった、隣の相方の方を見ると、これ以上ないっていうくらいの幸せそうな笑顔で、つるつるとうどんをすすっていた。

「りっちゃん、おいしいねえ」

私の視線に気がつくと、すぐさま振り向いて、とろけるような笑みを浮かべた。
それだけでも、この企画を提案したかいがあったな、なんて。

「唯、ネギがついてんぞ」

優しいりっちゃんこと、私田井中律が、指を伸ばして、唯の唇の近くについたネギをとってやろうとした。

「ふへっ、どこどこ!?」

ちょうど私の指が唯の唇の端に触れたとき、なめとろうとしたらしい唯の舌が、ぺろりと指をすくった。
なっ、ちょっ、これは。
頭から足の爪先に至るまで、一気に熱が走った。
やばい、死ぬほど熱い。

「ばっ、なにやってんだ、ばかっ!」
「ひ、ひえ、ごめん、ペロッて食べようと思って」

子犬のように震えて、申し訳なさそうにする唯を見ていると、なんだか、顔がゆるんでしまって。
別にいいよ、と唯にいうと、唯は、ごめんねぇ、とまた謝って、食べるのを再開した。
また夢中に食べ始める唯の姿をほほえましく見ていると、三方向からの視線を感じた。

「なんだよ、ムギ」

ムギは、私の指と唯をじっと見比べて、わくわくしたように口を開いた。

「りっちゃん、別に私たちは気にせず、その指を思う存分なめて楽しんでもいいのよ?」
「なっ、何言ってんだよ、変態か!」

叱りつけると、ムギは、ふふふ、と不敵な笑いを浮かべた。恐ろしすぎるだろ。

「で、お前もなに、澪」

目を向けると、澪は、はあ、とため息をつく。

「まさか、それ狙いで、今回の企画を提案したんじゃないだろうな? 意地汚い奴め」
「はあ!? お前も何言ってんだよ、つか、意地汚いって何!?」

私の言葉に、澪はさらに深いため息をついた。

「……梓、その目はなんだ」

横目でじとりと私を見てくる梓にも声をかける。

「内心浮かれているくせに、取り繕っているのが癪にさわりますね」
「何言って、ていうか、悪口!?」

梓が、同意を求めるようにムギと澪を見やると、二人はこくりと頷いた。
なんだよ、この不利な展開!

「みんな~、どうしたの?」

優しく柔らかい唯の声が聞こえてきた。鈍感な唯も、さすがにこの不穏な空気を感じ取ったらしい。
唯のいつもの呑気な調子に、私の肩の力も、次第に抜ける。

「何でもないよ、ありがとな、唯」
「ふえ? なんでりっちゃん、お礼なんか」

唯のおかげで、何とか窮地を脱出できた。あぶねー。
ほっと息をついて、三人を見ると、頭を寄せ合って、何やら話している。

「絶対、私たちが言ったこと、図星だったよな」
「ああ、もう見ていてもどかしいです」
「そうね。でも我慢すればするだけおいしくなるわよ、うふふ」

聞こえているぞ、そこ三人。なんつー会話をしているんだ。
唯は、うどんに夢中で、聞こえていないみたいだ。
私は、唯を目の端で盗み見しながら、三人の言葉を反芻していた。
分かってるっつーの。
自分から、動きださなくちゃいけないことくらい。

一昨日のことだった。
唯と二人きりの帰り道。何気ない会話を楽しみながら、てくてくと歩いていた。

「りっちゃんと二人で帰るの、なんか新鮮。みんな用があるなんて、珍しいよね」
「あ、あっ、あっああ、そうだな」

思わずどもった私を、唯は不思議そうに見ていたが、詮索せずにまた前を向いた。
……ごめんな唯。
私にはっぱをかけようと、三人が強引にこの状況をセッティングしたなんて、口が裂けても言えない。
でも、ちょっぴり感謝している。
やっぱりふたりきり、っていうのは、特別だし。
だからこそ、ここで、思い切らなきゃ。

「えーっと、唯」
「んん?」

くるりと唯がこちらを向く。
唯と目が合うと、急に体が火照ってきて、手に汗がにじんできた。
いけ! いっちまえ、田井中律!

「私さ、えっと、」
「うん」
「私、唯が、好きな――」

んだ、と続ければよかったのに。
へたれ! 私のへたれんぼ!

「唯が、好きな――食べ物はなんだ?」

今ほど、自分の意外なチキンぶりを呪ったことはない。

「うーん、やっぱりアイス、かなぁ?」
「はは、やっぱりそうか、じゃあデザート以外では?」
「憂の手料理!」

ですよねー。憂ちゃん、一瞬悔しく思ってごめんな。
あ、でも、と唯が思いついたような声を上げた。

「憂には悪いんだけどね、インスタントのものも好きだよ」
「ああ、なんかたまに食べるとうまいよな」
「うん! インスタント麺、好き!」
「何が一番? ラーメンとか?」
「うーん、全部好きだけど、一番はうどん、かな?」
「私も、実はうどんかな」

だよねだよね、としばらくインスタントうどん談義で盛り上がって。
そういえば皆で食べたことないよね、って唯が言って、じゃあ今度の部活のときに、うどん食べるかー、って私が提案して。
なんだかんだで、二人きりの時間が終わってしまった。
軽く自分自身に失望していると、別れ際、唯が振り返って、

「あ、りっちゃんのハンバーグも好きだよ。ふふ」

という不意打ちをかましてくれやがったのだ。
それだけで、気持ちがふっと軽くなった。頬も、熱くなったけれど。
翌日、『部室でインスタントうどんを食べよう会』を提案ついでに、三人に昨日の首尾について話したら、思いっきり呆れられた。

そんなことがあって今、唯はのほほんと、私はどぎまぎと、三人はむずむずとしながらうどんを食べている。
唯とふざけあったり、楽しく話すことはいくらでもできるのに、どうしてか想いを伝えようとすると、一瞬ももたない。
分かっている。
このチキンっぷりを少しでも克服しなきゃいけないこと。

唯を見ると、あらかた麺は食べ終わっていて、箸で油揚げをつゆに沈めていた。
ちなみに、私と唯がきつねうどん、澪と梓が天ぷらうどん、ムギはカレーうどんだ。

「唯、油揚げは最後に残しておいたのか?」

聞くと、唯は得意顔で振り返った。

「そうだよ~。この、つゆがたっぷりしみ込んで、膨らんだ油揚げをぱくっと食べるのが好きなんだ~」
「はは、分かる分かる。食べたときに、つゆがじゅっと出てくるのがうまいんだよな」
「そうそう! あ、りっちゃんも油揚げ沈めてる! 気が合うねえ」

唯も、私と同じ食べ方をしていると知って、唯との距離がまた少し縮まった気がする。
やっぱり、こういう何げない会話が楽しいのって、いいな、と再確認。
焦れたような三人の視線は、ひとまず無視だ。

「ねえねえ、今ので思い出したけど、うどんのCMでこんなのあったよね」

唐突に話題を放り込んだのは、唯だった。
私も、他の奴らも、何? と唯の方を見る。

「男の人が、女の人を好きでね、」

全員が、ふんふんと頷く。

「で、男の人が女の人にちゅーして、って頼むの」

ぶっ、と口に含んだつゆを吹き出しそうになった。
ちゅー、という生々しい単語に、澪だけでなく梓も赤くなる。
ムギは……まあいいか。

「で、女の人は、じゃあ目をつぶって、っていうの」

私も思い出した。CMで見ている限りじゃ何とも思わないけど、こうして口で説明されると、やけに気恥かしいものに聞こえる。

「で、男の人は目をつむって、女の人の唇が近づいていって、」

いったん言葉を切ると、唯は箸で器用に油揚げを二つに折りたたんだ。
それを皆の前でかざす。油揚げの端が重なって、二段になっている。

「で、直前で女の人は、唇の代わりにこれを男の人の口にちゅっ、てして、何も知らない男の人は、ちゅーできたって喜んでいる、CMなんだ」

梓とムギは知らなかったらしく、唯の説明に、聞き入っていた。
澪は私と同じく思い出したそうで、「男の人、かわいそうだったよな」ってよく分からないコメントをしていた。
唯は、箸でとらえている油揚げを見ながら、首をかしげた。

「でも、いくらなんでも、唇と油揚げを間違えるかなあ?」
「いや、そこはほら、CMだからだろ」

私が至極当然の言葉を返しても、唯はまだうーん、と唸っている。
梓も、「どうなんでしょうね、見た目は似ていなくもないんですけど」と真面目に考え込む。
まさか。そんなことがあるかい。
唯は油揚げと睨めっこしながら、「んー」と唇を突き出している。

「おいおい、本当にやる気かよ。しかも、自分で」
「んー……だって気になるんだもん」
「でもそれじゃ、タイミングとか自分で分かっちゃうから、意味無いんじゃん?」
「えー、じゃあ、りっちゃんが私にやってよお」
「でえっ!?」

驚く私を尻目に、唯は、だってりっちゃんもきつねうどんだから油揚げあるし、と平気な顔で言ってのける。
しょうがない、と私が承諾すると、唯は、わーい、よろしくっ! とはしゃいでみせた。全く、もう、唯の奴。

「全然しょうがないっていう顔に見えないんだが」
「唯ちゃんの口がついた油揚げを後で楽しむ気マンマンね」
「まさに美味しいとこどりっていう感じですね」

うるせーぞ、そこの三人。

三つの囁き声を無視して、唯と同じように箸で油揚げを折りたたみ、唯の方に向ける。
唯は、うん、と頷いて、そっと目を閉じる。
ごくり、と誰かが唾を飲む音。
唯の意外に長いまつ毛が、かすかに動いている。早くしなきゃ目を開けてしまうかも。
瞼が閉じられた唯の顔は、いつもよりしおらしく、神秘的に見えた。
心臓がとくんとする。
落ち着け。CMの通りにするだけだって。大したことするわけじゃない。
油揚げをくっつけて、唯がなんやかんや感想言って、一通りはしゃいで、それで終わりだ。
いつもどおり、それで終わる。
……それで、本当にいいのか?
そう思ったとたん、不意に、体の奥が熱くなってきた。

「んー?」

いつまでたってもくっつかない油揚げに、唯が不思議そうな声を出す。
私は、油揚げをゆっくり近づけていく。
三人が、それをじっと見つめている。
私は、油揚げを挟んでいた箸を容器に下ろした。
三人ががっかりしたような気配を見せたけど、気にしない。
私は身を乗り出した。
油揚げを待っている唯のピンク色の唇に、私のそれを押しつけた。

「ん!」

唯が目をつぶったまま声を上げる。他の三人の声も聞こえた気がする。
唯、やっぱCMは現実とは違うよ。
唯の唇を、油揚げと間違えるわけがないだろ?
しっとりと柔らかい感触は惜しかったけれど、唯が目を開く前に、そっと離した。
唯が、夢から覚めたように、ゆっくりと瞼を開く。

「り、りっちゃん、すごい! やっぱり、CMは嘘じゃなかったよ! 本当に、唇みたいだった!」
「へーえ、そうなんだ、そりゃよかったな」
「うん!」

純粋な唯を、にやつきながら見つめる私に、三つの視線が刺さる。

「なななっ、へ、ヘタレ律のくせに」
「何か、ぷつんと切れちゃったんでしょうかね、キレる若者ですね」
「り、りっちゃん、あなたに教えることはもうないわ、あぁ、なんて百合うどん」

なんとなく、あいつらの鼻も明かせて、いい気分だった。
一通り落ち着くと、澪と梓は唯に近寄って、「大丈夫だったか!?」、「唯先輩、おいたわしい!」などと、口々に言っていた。

「大丈夫って、何が? そういえば、ムギちゃんぽーっとしてどうしたの?」

何も知らない唯は、ほぼ気絶しているムギの顔の前で、手をひらひらさせていた。
あのCMの女の人も、こんな気持ちだったのかな。
私は、にやにやが止められなかった。

とりあえず、ヘタレ卒業かな?
これから、覚悟してろよ。唯。

唯は、本当のことにいつ気付くだろうか。
今から、それが楽しみだった。


おまけ
結局今日の部活は、梓の予測していた通り、うどんをすすっただけで終わった。
三人がまた気を利かせて、唯と二人きりで帰らせてくれた。
澪と梓が眉をひそめていたのは、気のせいだと思いたい。こわっ。
今日のうどん、楽しかったな、ってだべりながら、軽い足取りで唯と歩いていた。

「唯、満足したか?」
「うん! みんなとうどん食べられて嬉しかったよ」

私は別な意味でも嬉しかったけどな、と心の中で呟いてみる。
すると、唯が意味ありげに見つめてきて、何? と訊いた。

「りっちゃんはいじわるだね」
「ん? 何で?」

唯は、ふふ、と笑って、ねえりっちゃん、と切り出した。
やばい、ヘタレ卒業したはずなのに、鼓動が止まらない。

「いくら私でも、油揚げと唇の違いくらいは分かったよ?」

えっ。
ま、まじですか。
急に、背筋が凍る。
じゃあ、唯に気付かれていないと思って、にやついたり、いい気分になったりした私って……思いっきりあほじゃん!!
ヘタレ、アゲイン。
やっぱり、私には無理だった。ちくしょー。

「りっちゃん」

呼ばれて、抱えていた頭をぱっと上げる。
唯が、あったかい笑みを浮かべていた。

「またしてね、油揚げちゅー」

…………え。
目を丸くすると、唯が、さらににっこりとする。

「今日は、ここら辺で帰るねっ。りっちゃん、また明日」

唯が手を振って、早足で家へと向かっていった。
私はそれを、呆然と見ながら一人ごちる。

「もう、油揚げなしでもいいだろ……?」

あの唇の感触を思い出して、頬が熱くなる。
ヘタレは、完全には卒業できなかったけど。
自分より、一枚も二枚も上手な彼女の笑顔を思い出しながら、足取り軽く帰った。
今から、明日が来るのが楽しみだった。

それから、私たちが、うどんぬきの甘い口づけを交わしたのは、また別のお話。

おわり

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