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hSS3初めて入ったりっちゃんの部屋。

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yuiritsu

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 初めて入ったりっちゃんの部屋。
 大きめのベッドに上半身を預けると、ふわりとりっちゃんのシャンプーの香りがした。
 目の前には、りっちゃんの寝顔と、しっかりと繋がれた左手。
 見慣れたカチューシャは枕元に置かれていて、代わりにその前髪はゴムでくしゃりとまとめられている。

 すやすやと安らかな寝息を立てるその姿を見ながら思う。
 良かったね、りっちゃん。澪ちゃんと仲直り、出来て。
 あどけないりっちゃんの寝顔と、優しげな澪ちゃんの表情。
 ここ数日ふたりの間に漂っていたあの棘のような空気はもうどこにもない。
 繋がれたふたりの手は、すべてが丸く収まったことを教えてくれた。

 軽音部はみんな仲良しが良い。みんな一緒にいられるのが良い。
 それに私は、りっちゃんが笑ってくれたら嬉しい。りっちゃんに悲しい顔は似合わないって思うから。
 ――ねえ、りっちゃん。
 りっちゃんのベッドの脇に座って、心の中で呼びかける。 
 りっちゃんが辛い思いをしてること、気がついてあげられなくて、ごめんね。
 もっと早く声をかけてあげたかった。
 こうして倒れてしまうりっちゃんを、私が抱きとめてあげられたら、良かったのに。
 ちらりと視線をあげた。澪ちゃんの左手はりっちゃんの小さな手を包み込むようにして握っている。

「……ね、澪ちゃん」
「うん? なに?」
 小さな声で澪ちゃんを呼ぶと、澪ちゃんは穏やかな声で答えてくれる。
「わたしも、ちょっとだけりっちゃんの手、握ってもいい?」
「律の手? うん、いいよ……って私が答えるのも変だけど」
 苦笑しながらも澪ちゃんはそっとりっちゃんの手を離す。
 するとりっちゃんの指先が何かを探すように動いて、私はその手に自分の手をゆっくりと重ねた。
 そのまま先ほどの澪ちゃんと同じようにりっちゃんの手を包み込んでみる。
 まだ熱は下がっていないみたいで、りっちゃんの手はびっくりするほどに熱い。

 こうしてりっちゃんの手に触れて、私は思う。自分でも驚いてしまうくらいに強く。
 ――りっちゃんの手、離したくないな。
 ドキドキと高鳴る心臓。その奥で、ちくりと何がが胸を刺した。
 私は指先の力を抜いて、口を開く。
「はい、澪ちゃん。りっちゃんの手、お返しします」
 なんだそりゃ、と苦笑する澪ちゃんの声を聞いたら、また胸の奥が痛んだ。


「……っ」
 はっとして目を開けた。開けた視界に映るのはりっちゃんの部屋じゃなくて、見慣れた部室。
 一瞬頭が混乱して、けれどすぐに状況を理解した。
 ああ、そっか。放課後に部室に来て、今日はみんな遅れるって言うからいつもの席に座って……。
 どうやらいつの間にやら眠ってしまったらしい。

 夢の内容は、もうずいぶんと前のこと。
 りっちゃんと澪ちゃんが喧嘩して、それから仲直りして。それは、半年も前の話。
「なんで、あんな夢……」
「なんか夢見てたのか?」
「ふょえ!?」
「な、なんつー声出してんだよ」
 苦笑する声の主は私の隣の席に座る人。心臓がどきりと跳ねる。

「り、りっちゃん、いつの間に」
「少なくとも唯ちゃんが起きる前からは、ここにいましてよ?」
「今日、遅くなるって言ってなかった?」
「いやー、急に用事がなくなってさ。そんなことより、ここ」
 言いながら、りっちゃんが自分の口元をとんとんと指さした。
「よだれ、垂れてるぞ」
「え、ほんと?」
「ほんとほんと」
「りっちゃん拭いて~」
「なあに甘えてんだ」
 まったく、と言いながらもりっちゃんはポケットティッシュを取り出して、ごしごしと私の口元を拭いてくれる。

「えへへ、りっちゃんお姉ちゃんみたい」
「こんな手のかかる妹やだなー」
「えー、ひどいよお、お姉ちゃ~ん」
「こら、抱きつくな」
「むぎゅー」
 と、そんなやりとりをしてじゃれあっていると、ふいにりっちゃんの顔が曇る。
「……む?」
「どしたの、りっちゃん」
「唯さ、もしかして体だるい?」
「え? ……どうかな、わかんない」
「分かんないって……」
 むむむ、と口を尖らせるりっちゃん。
 私がりっちゃんが何を言おうとしているのか理解できずにいると、
「……ぺちっとな」
 りっちゃんは自分のおでこと私のおでこに手を当てて、やっぱり、とため息をついた。

「唯さ、熱ないか?」
「熱?」
「体もおでこ熱いし……よく見たら顔も赤いし」
 どうだろう、と自分で自分のおでこに触れてみる。
 じんわりと汗の滲んだおでこはどこどなく熱い気もしたけれど、正直なところよく分からない。
「あ、でも言われてみれば、今日は午後からずっと足の関節が痛くて」
「まじで」
「あと頭がぼーっとして、部室の階段のぼるのもしんどくて変だなーって思ったんだけど……」
「……そこまで自覚症状があってなんで部活に来るかな」
 ほんっと手のかかる妹だ。りっちゃんはそう言って苦笑した。


 田井中律と平沢唯は早退します!
 ホワイトボードにそんな書き置きを残してやってきたのは私の家。
 りっちゃんに手を引かれるようにして部屋までやってきた私は、ごろりとベッドに横たわって天井を見上げている。
「からだ痛いよお……」
 なんだか学校からここまでやってくる間に、急に体調が悪くなってしまったように感じる。
 柔らかいベッドに横たわったはずなのに体はぎしぎしと痛んで、ついつい涙目になった。
「りっちゃーん……」
「はいはい、死にそうな声であたしを呼ぶな」
 そんな言葉と共にバタンと部屋のドアが開いて、りっちゃんがやってくる。

 りっちゃんはコンビニで買ってきたペットボトルを枕元に置くと、
「ていうか、コンビニ行ってる間に制服から着替えておけって言っただろー。シワになっちゃうぞ」
「だってぇ……しんどいんだもん……」
「はあ、憂ちゃんも帰りが遅いみたいだし……唯の家まで来て良かったよ」
 ひとりで放っておいたら唯このまま死んじゃいそうだ、と冗談交じりに言って、りっちゃんがベッドに膝を置く。
「ちょいと失礼」
「え?」
 するり、と胸元のリボンがりっちゃんの手によって解かれる。
 そのままブレザーのボタン、それからブラウスのボタンも順に外されて、私の下着とお腹が露わになった。

「りり、りっちゃん!?」
「なあに慌ててんだよ、唯のブラくらい合宿でも見てるぞ」
「そ、それはそうだけど」
 でもでも、それとこれとは別で……というか、りっちゃんの手が私の肌に直接触れるたびに
 心臓が痛いくらいに高鳴ってしまって、ますます熱が上がってしまう。
「まあ、さすがにちょっとこのシチュエーションは照れるけど……よっと」
 りっちゃんの手が私の手を引いて上半身を起き上がらせる。
「えっと部屋着はどれだ……ほい、こっちに着替えちゃいな」
 りっちゃんはわずかに頬を赤くしながら近くに置いてあったトレーナーを手にとると、そのまま私の頭にずぼりとそれを被せた。
「スカートは自分で脱げよ。さすがにちょっと恥ずかしいから」
「わ、わかってるよ」
 りっちゃんにスカートを脱がされるなんて、それこそ熱がさらに上がって私はきっと死んでしまう。


 りっちゃんの看病は憂にも負けないくらいに丁寧で優しかった。
 おかゆを作ってくれたり(これがまたものすごく美味しい)、お水を飲ませてくれたり、汗を拭いてくれたり……
 こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれないけれど、
「りっちゃんのキャラじゃないよ……」
「失礼なことをサラっと言うんじゃねえ!」
 やっぱり怒られた。

「ご飯も食べたし、薬も飲んだし……あと何かして欲しいことあるか?」
 ううん、と首を振って私が答えると、りっちゃんは携帯電話で時刻を確認しながら言う。
「憂ちゃんもそろそろ帰ってくるだろうし、もう寝ろよ。寝ないと治んないし」
「ん……」
 いまいち歯切れの悪い私の答えに、りっちゃんが首を捻った。
「うん? やっぱなんかして欲しいことある?」
「う、ううん」
 そうじゃなくて、と答えるとりっちゃんはますます不思議そうに眉を下げる。

「じゃあなんだよ。遠慮しないで言ってみろって」
「……寝たら、りっちゃん帰っちゃう?」
「え?」
 あ、りっちゃんがぽかんとしている。やっぱり言うんじゃなかった、と一瞬後悔したけれど、
 それでもりっちゃんに帰って欲しくないと思ってしまったのは隠しようもない事実だった。
 と、りっちゃんはそんな私の言葉に少しだけ照れくさそうに笑うと、
「憂ちゃんが来るまではここにいるよ。唯のことひとりになんてしないから」
 りっちゃんの手が私の前髪を撫でる。
 その優しい手つきに、もう私の心はとろとろに溶けてしまう。

「前にあたしが風邪引いた時さ、唯たちがお見舞いに来てくれただろ?」
「あ……うん」
「だから、今日はそのお返し」
「私、なにもしてないよ。りっちゃんが寝てる間に顔出しただけだもん」
「でも来てくれただけで嬉しかったから」
「……そっか」
 澪ちゃんの手に握られたりっちゃんの手が、ふいに頭に浮かぶ。
 途端に胸がちくちくと痛み始めて私は頭を振った。


 あの日からずっとそうだ。
 澪ちゃんとりっちゃんが楽しそうに何かを話している姿を見るたびに、
 私の目の前で繋がれた手を思い出して、私は鈍い痛みに耐えなくちゃならない。
 りっちゃんの手を離したくないって思ってしまったあの日から。
「ね、りっちゃん」
「なんだ?」
「手、つないで?」
「……甘えん坊だ」
「りっちゃんのいじわる」
「ごめんって。ほら、手出しな」
「うん……」
 枕元に左手を出すと、りっちゃんの手がそこに重なる。
 小さな手はあの日繋いだ時よりも冷たくて、けれどその柔らかさはあの時とまったく同じ。
 指先に力をこめると、りっちゃんも同じように私の手を握り返してくれた。

「なんか、唯の手握ってると安心する。変なオーラでも出てんのかな」
「なにそれぇ」
「じょーだん」
 ふたりで顔を見合わせて小さく笑いあう。
 なんでりっちゃんに触れると、こんなにも心臓がドキドキとうるさいのかな。
 なんでりっちゃんの声を聞くと、頭の奥がじんじんと甘く痺れるのかな。
「……りっちゃん」
「なに?」
「なんでもなーい」
「アホなことやってないで大人しく寝んか!」
 その答えを、私は知らないふりしてる。
 本当はあの日、りっちゃんの手を握ったその時に、気が付いているはずなのに。
 いつか、胸の中で膨らみ続けるこの気持ちを隠しきれなくなった時が来たら、私はどうすればいいんだろう。
「りっちゃん」
「また『なんでもない』とか言ったらデコピンだぞ」
「……りっちゃんの手、離したくないな」
「んな……」
 りっちゃんのほっぺがかあっと赤くなる。
 ああ、りっちゃん可愛い。
 私にも、りっちゃんにこんな顔させられるんだ。
 そう思うと、なんだかすごく嬉しくなった。

 風邪薬のせいでぼんやりとしてきた頭で思う。
 どうか今日だけは、この手を独り占めさせてください、って。
「……離さなくてもいいよ」
 遠のく意識の向こう側で、りっちゃんが小さく小さくそう呟いたような気がした。

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