唯×律SSまとめwiki hSS4ぽつ、ぽつ。

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hSS4


ぽつ、ぽつ。
滴が地面を叩く。
そのリズムがだんだんと速くなっていくのに危機感を覚えて、手に持っていた黄色い傘を開いた。

「やっべえな……」

ザーッという音とともに、頭上の傘に幾粒もの雨粒が落ちてきた。
雨は嫌いではないけれど、せっかくの楽しい休日にショッピングしているときに降られたら、憂鬱なことこの上ない。
とりあえず傘は持ってきて正解だった、と律は思う。
本当は、CD屋に寄って目当ての物を買いたかったけれど。

「これじゃあなあ」

CDが濡れたら嫌だし、雨のせいでなんとなく気分が沈んでしまったし。
雨、という言葉で、とあるのんびりギタリストを思い浮かべる。
いろいろな策を講じて、愛用のギター、ギー太を守ろうとしていた奴。
あいつなら。
唯なら、雨の日でも、明るく、朗らかなんだろうな。
律は、自分の顔が、緩んでいることに気がついた。
あぁまた、と律は思う。
最近、いつもこうだった。何かしらを唯に結び付けて、思い浮かべて、満足して、気付けば一人で笑っている。

「不審者かよ」

それでも、やめられなかった。あののんびり娘を思い出すと、とてつもなくあったかく、いとしい気持ちになれるのだから。
この気持ちに気が付いていないふりをしている。
いや、気がついてはいけないのだ、と思っている。
女同士だし。
唯が、この気持ちを知ったら、苦しむかもしれない。傷つくかもしれない。
それを見て律は、唯以上に苦しむだろう。
なら、これまで通りばかやって、ふざけあえる関係で。
ずっと、変わらずに一緒にいる方がいい。
それが、律の結論だった。

早く家に帰ろう。そう思って踵をかえした。

「りっちゃああああん!」

なんの雄叫びだよ。
聞き違えるはずのない、あの声。

「やっぱり! よかったぁ」

振り返ると、ずぶぬれの愛しきギタリストが満面の笑みを浮かべていた。

「お前は学習能力がないのかっ」
「イテッ。しょうがないじゃん、急に降ってきたんだよ」
「憂ちゃんは、傘持たせてくれなかったのか?」
「憂は、あずにゃんと純ちゃんちにお泊りですぅ」

ぷぅ、と口をとがらせる様に、思わず笑ってしまう。すると、唯もつられて笑いだした。
傘を忘れた唯を自分の傘に入れてやって、ぶらぶらと歩いている。
さっきまでは、傘があっても歩くのさえ億劫だったのに、そんな気分はどこかに消えていた。
唯がいるからだ。
悔しいけど、それは認める。むしろ、嬉しいのだけれど。
横の唯が、何かを思いついたように、あ、と声を上げる。
唯の方に顔を向けると、唯はにこっと笑って言った。

「ねぇ、相合傘だね」

いうなよ。我慢できなくなるだろ。

「何だよ、急に」
「うふふ、言いたくなったんだよ」

確実に、頬に熱が集まっている。やばい。
なんとか話題を変えようと、質問してみた。

「ゆ、唯は何で外出たんだ?」
「んー? なんとなく。ひまつぶしかな。りっちゃんは?」
「私は、CD買いに行こうと思ったんだ。でも、雨だし、諦め」
「えっ!? そうなの? じゃあ行こうよっ! 私、傘のお礼に探してあげるっ!」
「えっ、ちょ」

唯が律の手をとり、ぐいぐいと引っ張っていく。
律としては、このまま唯とぶらついているだけでよかったのだが。
それでも、握られた手に嬉しいと感じている自分の心には勝てなかった。

CD屋は、雨のせいか、客もまばらだった。もともと広い店だが、いつもより広く見える。
唯は来るのが初めてらしく、ほえー、とぽっかり口をあけてきょろきょろ見回していた。

「唯、来るの初めてか?」
「うん、知らなかったよ~、こんなお店。りっちゃんはよく行くの?」
「時々な。CD発売日とかさ。結構そろってんだぜ、ここ」
「穴場ってやつだね、えへへ、やったぁ」

唯は、にこにこと笑いながらこれ以上ないほどに喜んでいた。
そんなにCD屋を見つけて嬉しいのか、と思って聞いてみたが、ちょっと違うかな、という答えが返ってきた。

「だって、りっちゃんの穴場なんだよ。りっちゃんのこと、いろいろしっているつもりでいたけど、でも知らないこともあるなぁ、って。だから」

唯は一呼吸おいて、続けた。

「りっちゃんを、もっと近くに感じることができて、嬉しいよっ!」

息が止まった。そんな風に思っていてくれているなんて。
いや、と思い直す。
唯は多分、澪でも梓でもムギでも――同じように感じるのだ。嬉しい、と言って見せるのだ。
分かっている。それほどばかじゃない。じゃなかったら、とっくに思いを伝えて、玉砕しているはずだから。

「……おおげさなんだよ、このおバカ」

ごまかすように、唯の頭を小突く。

「あぁん! またぶった!」
「お前が悪いんだろっ!」
「悪くないもん! むしろ、りっちゃんが」
「私が、なんだってぇ?」

凄んでみせると、唯はわざとらしく、恐いよぉと両手で顔を覆って、ぷるぷると震えた。
これでいい。
りーどされっぱなし、振り回されっぱなしだった心が、ようやく落ち着いた。
唯とは、こうでなくちゃ。こうでなくちゃ、いけないんだ。

「おーい、いつまで芝居しているつもりだ?」

唯の肩を揺らしたけれど、反応がない。
どうしたものか、と思っていると、唯がぽつりとつぶやいた。

「……だって、もうすぐ卒業じゃん。その前に、いっぱいいっぱいみんなのことを知って、心の中に、ためておきたいんだ」

唯は、まだ顔を覆ったままだ。

「そうすればっ! 寂しくなーいもーんっ!」

唯は、何かを振り払うかのように、顔を上げて、万歳をした。
えっへへ、と笑ってみせる唯が、悲しかった。
やめろよ、そんな顔するな。

「唯、私は」

お前の心の中にしか、いられないのか?
ずっと一緒にいられないのか?
そう、言おうとした。
でも、声が出なかった。

「りっちゃん、りっちゃんの欲しいCD探そうよっ!」

そういうと、唯は私の手を引いて、走り出した。
私は思った。ずっと、こうしていたいって。こうしていられるって。
でも、唯には、その終わりが見えているのかもしれない。
いつも唯に、小学生か、とつっこみをいれているけれど、本当に子供なのは、むしろ。

「唯、洋楽のコーナーで探してくれよ」

私なのかもしれない。

「うん! なんて曲?」
「ふふふ、それはりっちゃん極秘スペシャルだ!」
「えー、教えてよ~」

だけど、子供で何が悪い? 唯とずっと一緒にいたいと思ってて何が悪い?

「分かった分かった。曲名は――」

だって、離れたくないんだから。

「残念だったね……」

CD屋からの帰り道。
行きの時と同じように、律と唯は、二人で一つの傘に収まっている。
ただ違うのは、唯の表情が沈んでいるということだ。
気にする必要なんてないのに、唯は、ごめんね、と謝り通しだった。
唯とふざけあいながら、洋楽CDを置いている一角にやってきた。
目当てのCDは隅に配置されていたが、POPがあるだけで、CDそれ自体は一枚もなかったのだ。
ああ、売れちゃったんだな、と律は思った。
まあ、次の機会にでも買えばいい。
唯に一声かけて、一緒に出口に向かおうとした時。
隣の唯は、眉を八の字にして、申し訳なさそうに律を見ていた。
驚いて、どうした、と言葉をかけると、ごめんね、という言葉が返ってきた。
何が何だか分からない。むしろ、謝るのはこっちだ。唯を無駄に付き合わせてしまった。

「私があんなにふざけていたから、その間に売り切れちゃったんだね……。りっちゃん、ごめんね」

なーにいってんだ、どこが唯のせいなんだよ。たまたまだろ。
私もふざけていたし、それで楽しかったし、だから変なとこ気にするなよ。
そうはいったけれど、唯の表情は晴れないままだった。
CD屋をでたあとも、ずっと俯いている。
嫌だな。唯の笑った顔が一番好きなのに。

「唯っ」

声を上げると、唯がこちらを見た。
一つの傘の中だから、思ったよりも距離が近い。
どぎまぎしながらも、律は唯に傘をもたせ、両サイドの髪をそれぞれつまんで、鼻の近くに寄せ、ひげっ! と笑って見せた。
唯はきょとんとしている。
まだ、これじゃ足りないか。
しゃれこうべっ! と、今度は言ってみた。
すると、唯は口をむずむずさせたかと思うと、弾けたように笑い出した。

「あはっ、あははははっ! りっちゃん、ギャグがコラボしてるぅ~。なにそれ、ふふふ~」

いつもの、見ている人をとろかすような笑顔だった。
それを見た律は、急に愛おしい気持ちがあふれてきた。

好き。好き。唯が好き。

いつか一緒にいられなくなるとしても。
唯の気持ちが、自分に向いていなくても。

「好き、なんだ」

思わず律は口を押さえた。自分は今、何と言ったのだ。
気持ちがあふれて、ついつぶやいてしまった。

「ん? りっちゃん、何か言った?」

幸いにも唯には聞こえていなかったらしい。

「……何でもないよ、おバカちゃん」
「むうぅ。教えてよ~、こうやって、相合傘をしている仲じゃんか~」

またこいつは余計なことを言って、心を振り回す。

「あーあ、今日唯に会わなかったら、こんなキツキツで傘をささなくてもよかったのになぁ」
「うぅ、それは」

隣で唯がいじける気配がする。
あぁ、またやっちゃった。
相合傘で、キツキツだなんて、窮屈だなんて、ちっとも思っていない。
むしろ、密着できて嬉しいのに。
照れ隠しで思ってもいないことを言っては、唯を傷つけている。
唯を好きになってから、いつもそうだった。
言いすぎじゃないか、って澪やムギに言われることもある。
でも。
いじけていたはずの唯は、元の明るい表情に戻って、たんたんと歩いていた。
唯は、いつだって気にせずに、優しく受け流してくれる。
律は、それに甘えていることを自覚していた。

不意に、唯の体が自分から離れているのに気がついた。

「何やってんだよ、濡れるだろ」

引き戻そうとすると、唯は困った顔をして振り向いた。

「え、だってキツキツでしょ」
「っ、ちが、いいからこっち寄れって」
「平気だよ、案外濡れないよ」
「――っ、唯っ!」

唯の腕を思い切り引っ張った。
だって、今にも唯が離れてしまいそうだったんだ。
いつか、この関係もこんな風に終わってしまうんじゃないかって。
嫌だ。
離れるなんて、絶対に嫌だ。
離れるなんて、絶対に許さない。
思いを込めて、唯を引き寄せた。
唯は、いとも簡単に、律の胸に飛び込んできた。

「りっちゃん……?」

律と唯は、向かい合っていた。
律がさす傘の中で、じっとお互いを見ていた。
律の手は、唯の手をつかんだままだった。

「りっちゃん、大丈夫?」

唯が、急に顔を近づけてきた。
律は、驚いて目を丸くする。

「どっか痛いの? 苦しいの? 辛そうな顔してるよ?」

唯は、さらに近づけて、おでことおでこを合わせた。

「……熱は、ないみたいだね」

自分の唇の前で、唯の唇が動いて、言葉を紡ぐ。
どこか甘い、いい匂い。
ほっとする温み。
唯のおでこが、離れていく。
律は、弾かれたように動いた。
唇を、唯の唇に押しつける。

「んんっ!?」

唯の驚いた顔が、目前にある。
それを見て、律はさらに強く押しつける。
唯の唇の肉感を、いっぱいに感じる。
すると、唯がもがいて、体を離そうとする。
逃すまいと律は、傘をもつ手を唯の肩に乗せ、動きを止める。
そして、唯の手をとらえていた手を唯の頬に添え、さらに唇を押しつける。

伝わる感触は、今確かにあるのに。あったかいのに。
これも、ただの思い出になってしまうんだろう。
唯は、きっと、こんなことも、「心の中にためて」終わりにするんだろう。
私との関係も。
だったらせめて、今だけはつながっていたい。

「……りっちゃ、んうっ!?」

唯の口が開いたのを見計らって、律は舌をねじ込んだ。
唯の舌先をつつく。
逃げようとする唯の舌に絡みつき、思い切り吸い付く。
甘い。いつも、アイスを食べているからか?
柔らかい唯の舌の感触に、病みつきになりそうだった。
舌をさらに進めて、唯の口内をくまなく味わう。

「……んっ、ん……」

はじめは抵抗していた唯の舌も、律が強引に愛撫するたびに、力が抜けて、今はされるがままになっていた。
律は、それがたまらなく愛おしいと思う。
雨音、歩く人々の足音。
二人の口付けは、黄色い傘の中に隠れて、行きかう人の誰にも気づかれない。
傘の中は、二人だけの世界だった。
ぴちゃ、くちゅっ、ぴちゃ……
雨音に紛れて、別の水音が口から漏れていた。
律は、その音に酔いながら、なおも離そうとしなかった。

「……んっ、もうっ、だめっ!」

突然唯が律を突き飛ばした。油断していた律は、少しよろめいた。

「……ゆ、い……」

見ると、唯は真っ赤な顔で、俯きながら呼吸を整えていた。
大きく愛らしい目に、涙が浮かんでいた。

傷つけた――!
律は猛烈に後悔した。
ばかだ、最悪のばかだ。

「ゆ、い、ごめんっ! ごめんっ! ごめんなさいっ……!」

律はただひたすら頭を下げ続けた。
唯は俯いたまま、全く反応しない。

「……ゆいぃ………」

声を絞り出した。
唯の肩が上下している。まだ息が落ち着かないのだろう。
律は、唯の服の袖が、肩から濡れていることに気がついた。
律が傘をもったまま唯に突き飛ばされたせいで、唯にまともに雨が当たっていた。
袖が濡れて肩に張り付き、唯の白い肌がいつもよりなまめかしく見え、律はどきりとした。
律は頭を振って情欲を振り払った。
今、何を考えたんだ、私は。
律は唯の元に駆け寄り、傘をかざした。
それに気がついたらしい唯が、ゆっくり顔を上げようとする――。

唯は、なんというだろう。
私を、どんな目で見るのだろう。
いや、きっと。
その目に焼き付いているのは、恐怖と軽蔑――。
嫌い。触らないで。
そんなことをいわれたら、
嫌だっ!!

律は強引に唯に傘をもたせ、雨の中を走って行った。
唯の顔は見えなかった。
律は、ずぶぬれになりながら走った。
最悪だ。
バンド仲間を勝手に好きになって、欲情した、なんて――。
分かっていたのに。
このままの関係でいいって。
このままの関係じゃなければいけないんだって。

「私のバカヤロッ……」

悔しくて悲しくて零れ落ちた律の涙は、雨とともに流れていった。


あれほど楽しみにしていた三連休が、暗黒に変わった。
唯と会った土曜から一夜明けた日曜。律は、ぼんやりそんなことを考えていた。
三連休最後の日曜は、いつかのスタジオで五人集まって、練習することになっている。
せっかく借りられたのだから、さぼるなんて許されない。
さぼっても、また学校で顔を合わせることになるのだから。
いや、もう顔を合わせてもくれなくなるかもしれない。
傷つけたのだ、唯を。
苦い気持ちになる反面、唯の唇や舌の感触、白い肌を思い出し、顔と体が熱くなるのを必死で抑え込んだ。
ばかか、私は。
律にとっては忘れられない思い出でも、唯にとっては消し去りたい思い出だろう。
「心の中にためて」おきたくもないことだろう。
それどころか、今までの思い出から律を消し去り、初めから律をなかったことにしてしまいたくなるかもしれない。
律は、あの唯の言葉を聞いた時、心の中でしか生きられないのか、と思ったけれども、もしかしたら、唯の心の中ですら生きられなくなるかもしれない。
最初から、出会っていなかったかのように。
それぐらいのことをしてしまった。それは分かっている。
でも、もう、唯と笑いあえなくなるのかと思うと、胸が潰れそうなほどに痛くなった。

「何やってんだよ、律」

突然の声に驚いて振り返ると、ドアを開けた澪がいた。

「澪こそ、何だよ」

何とか、ちゃんとした声を出せた。

「メールしたのに、返事が来ないから、ちょっと来てみたんだよ」

おまけに、部屋から負のオーラがにじみ出ているし、と澪は付け加えた。

「何かあったのか?」

答えられるかよ。私と唯の問題だ。
そうは思ったが、このままの状態なら、どの道軽音部全体に迷惑がかかる。
律は、意を決した。

「……友達の、話なんだけどさ」
「友達?」

怪訝な顔をする澪に、頷いて見せる。

「友達から、ちょっとした相談を受けてさ、それで悩んで、メール返せなかったってわけだよ」

「友達」から聞いた話にするなんて、つくづく自分は姑息だと律は思った。
それでも、そうしなければ心が耐えられそうになかった。

「友達、か」
「……そう、だ」
「私にも話してみろよ。解決策が思いつくかもしれない」

澪が、意味深な表情で促す。

「……分かった」

律は、大きく息を吸い、吐き出して、それから話し始めた。

その友達には、好きな子がいるんだ。
大好きで、大好きだからこそ、今の関係が壊れるのが恐くて、気持ちを伝えられない。
しかも、同姓ってハンデもある。
だから、気持ちを伝えちゃいけない、このままずっと一緒にいられるだけでいい、そう思っていたんだ。
ある日、友達は、その子と会った。嬉しかった。
ちょっとした会話も、一緒にいる空気も、全部全部特別で、すげー愛おしかったんだ。
柄じゃないけど、そう思った。
私の穴場の店に連れて行ったら、その子は喜んだ。
喜ぶところも、なんか、可愛くて、眩しくて……。
あぁ、脱線しちゃったな、悪い。
何で喜んでいるのか聞いたら、私のことをもっと知ることができて、嬉しい、って。
でも、有頂天になれたのもそこまでだった。
もうすぐ卒業で、離れるかもしれないから、寂しくならないように、今のうちに思い出的なものを心にためておきたいんだと。
聞いた時、ショックだった。だってそうだろ?
私はそいつとずっと一緒にいたいと思っているのに、そいつは別れを覚悟しているんだ。
そいつの未来には、私の姿はないんだ。
ガキ臭いのは、分かっているよ。そいつの方が、私より大人な対応なんだろうし。
それでも、納得なんてできなかった。したくなかった。
……好きなんだから。
離したくなかった。離れたくなかった。
せめて、そいつに私っていう存在を強く残したかったんだ。
気付いたら、キスしていた。
欲情しまくって、止まんなかった。離すのが恐くて、かなり深く口付けた。
そいつに突き飛ばされて、目が覚めたんだ。
泣いていたんだ、そいつ。
ばかなことをしたと思って謝ったけど、反応がなかった。
というよりむしろ、反応を見るのが恐かった。
嫌われたら……軽蔑されたら……そいつに私っていう存在を拒絶されたら……。
逃げ、たんだ。……卑怯だよな。でもそうじゃなきゃ心が死にそうだった。
今、会うのも、いや、そいつのことを想像するだけで、なんか辛いんだ。自分のせいなのにな。
でも、近々そいつと会わなきゃいけないんだ。それで、どうするか、って悩んでる――。

話し終わった律は、大きく息をついた。
澪は、じっと考え込んでいたが、ふと言った。

「律は、その子のこと、今でも好きなのか」

律は、鼻で笑った。

「当たり前だろ。じゃなきゃこんな悩まねえよ……」

大好きなあいつを思い出し、胸を熱くする。
昨日のことを思い出すと、確かに辛い。
でも、澪に話すうちに、心が整理され、少しずつ決心がわいてきた。
この辛さは、痛みは、唯が好きだから、感じるのだ。
なら、それを乗り越えなきゃいけない。
そして、唯に向き合わなければならないのだ。

「なら、それでいいと思う」

澪の言葉に、私は顔を上げる。

「好きだってことも、悩んでいることも、色んな思いを全部ありのままぶつけろよ。それが、一番律らしいと思う」

律は、こくりと頷く。

「律がそれほどまでに好きな子なんだったら、きちんと律のことを受け止めて、その子なりの答えを返してくれるよ」
「……おう」

そうだ。私は何をうじうじしていたんだろう。
唯は、私の騒がしいところも、意地悪なところも、弱いところも、全部全部受け止めてきてくれた。
だから、私もありのままを唯に伝えて――唯のありのままを受け止めるんだ。
たとえ、それがどんな返事であっても。

「そうだなっ、うん、そうだっ!!」

意気込むと、澪が呆れ気味に口を挟む。

「でも、無理やり……その、キス、したことへの謝罪はちゃんとしろよ」
「……分かってるっつうの」
「それともう一つ」

何だよ、と澪を見ると、澪は、含み笑いをしながら言った。

「『友達』から、いつの間にか『私』の話になっていったのは、スルーしとくよ」
「ぐえっ!!」

律が頭を抱えると、澪はからからと笑い始めた。

「ところで、誰なんだよ」
「スルーするんじゃなかったのかよ」
「律が自滅したんだろ」

律は、ため息をつき、唯を思い浮かべた。
さっきまではそれだけでも辛かったのに、今ではとても温かい気持ちで唯を思っていられる。

「……私のつくったハンバーグを、すんごく幸せそうに食べる姿が、可愛くてたまんない奴」

その時の唯の笑顔が浮かんで、律の頬は今にも緩みそうになる。

「はぁ!? もっと具体的に言えよ」
「わかんねえのかよ」
「わかるかよ」

はてなマークを浮かべる澪が、律には全く理解できなかった。

「……好きな食べ物は、アイス」
「なるほど、って……えぇーーーーっ!!!」


翌日、律は緊張しているような面持で、スタジオにいた。
リュックの中には、唯への謝罪を込めたあるものが入っている。
苦しみから吹っ切れたとはいえ、昨日の夜はあまりよく寝られなかった。
唯にすべてぶつけると決意したものの、小さな不安がぽつぽつとこみ上げてきて、目が完全に冴えたまま朝を迎えた。
家にいても余計に不安になると思い、早々に出発して、馬鹿に早い時間についてしまった。
スタジオは一日貸し切りにしているから問題はないものの、それでも一人でいる空間は、何とも居心地が悪い。
どうしたものか、と思って待っていると、何人かの足音が聞こえてきた。
どぎまぎしながら振り返ると、澪、ムギ、梓、の順番にやってきた。
集合時間五分前。さすがは、真面目な三人なだけある。
最後にドアを開けた梓が、閉めながら、「り、律先輩が……」とよく分からない呟きをしていた。
ムギも、「りっちゃんが一番乗りだなんて……天変地異かもしれないわね」と、失礼なことを言ってのけた。
ただ一人、澪だけは意味深な表情をしていた。律は、苦笑いを返した。

「遅いですね、唯先輩」

集合時間から十分過ぎたころ、ムスタングを肩にかけながら、梓が時計を見る。

「そうね、りっちゃんが一番に来ていたから、唯ちゃんもつられて来るかも、と思っていたのに」

ムギが言うと、澪も心配そうに呟いた。

「来ない、なんてことは……ないよな」

律は、どきりとした。
自分が抱えていた不安を、澪の言葉が抉るようだった。
来なかったら、どうしよう。
もう一生、あいつに気持ちをぶつけることも、あいつの気持ちを知ることも、できなくなってしまったら。

「――来るよ」

律の口から、言葉がこぼれた。

「来てくれなかったら、私は」

梓とムギが、首をかしげて私を見る。
来る、来て、唯。

「ごめんね~、遅れちゃったぁ~」

全員でドアの方に視線を向けると、唯が頭をかきながらスタジオに入ってきた。
一気に、律の胸の鼓動が、速くなる。

「遅いですよっ、唯先輩!」
「ごめんねぇ、あずにゃん」
「まあ、なにはともあれ、よかったよ」
「りっちゃんのいうとおり来てくれたわね、よかったわ」

ムギの言葉に、黙りこくった律以外のメンバーと言葉を交わしていた唯の目が、こちらを向く。
大丈夫、今度はそらさない。ちゃんと、唯の目を見るんだ。
真正面から見る唯の目は、大きく愛らしく、温かく、まっすぐだった。

「本当に遅れてごめんね、みんな。あと、りっちゃん、ちょっとついてきて」

えっ、と律が言うと、唯はまた律に目を合わせ、踵を返してドアを開け、スタジオの外に歩いて行った。律は慌ててリュックをつかみ、唯の後を追った。
まさか唯の方から声をかけられるなんて、思わなかった。
けど、何であっても、私は、思いを伝えると決めた。
歩く律の目に、もう迷いはなかった。

「……先に合わせていようか」

澪が梓とムギに言うと、二人ともゆっくりと頷いた。

スタジオを出ると、廊下があり、その端に階段の踊り場のような、空いたスペースがある。
そこに二人は立っていた。
律は唯の前に立ちながら、どう切り出そうか考えていた。
すると、唯はもっていたバッグの中を急に探り始め、中から黄色い紙袋を取り出した。
律はその一連の動きをじっと見ていたが、唯の持つ紙袋に見覚えがあった。

「りっちゃん、はい」

唯が、そっと紙袋を律に差し出した。
唯が「りっちゃん」と呼んでくれることに、喜びを感じた。

「開けていいか」
「うん」

唯の了承を得て、律は紙袋の中を探る。
見覚えがあるのも当たり前、それは、律のあの穴場の店でくれる袋だったから。
中に入っていたのは、

「……これ、私が探していた」

律と、そして唯が探すのを手伝ってくれた、あのCDだった。

「あとでお店の人に聞いたらね、そのCDの発売日、今日だったんだって。だから、さっき買ってきたんだぁ」
「……そうか、ありがとう。わざわざ、ごめん」
「ううん、喜んでくれてよかった」

そういって、唯は優しく微笑んだ。
自分はただ暗い気持ちに苛まれていただけなのに、唯は、こうやって、私のことを考えてくれたのだ。
あぁ、無理。やっぱり、お前のこと、思い出になんてしたくない。

「……そっかあ、だからあのとき、なかったんだなー」

「あのとき」という言葉に、唯の肩がびくっと揺れた。
律の目には、しっかりそれが映った。
くじけそうになる。でも、いわなきゃいけない。

「唯、ごめん」

ぽつりと呟かれた律の言葉に、またぴくりと唯は反応した。

「ごめん、何度言っても取り返せないだろうけど……ごめん」

そうっと唯が顔を上げた。少し、潤んだ目で律を見ている。
ぞくり、としたが、すぐに冷静になれた。

「……嫌、だったよな」

律は言い、自分のリュックに手を突っ込んだ。目当てのビニール袋の包みを見つけ、そこからタッパーを取り出し、唯に差し出した。

「許してもらえるなんて思っていないけど、お詫びだから……受け取ってくれるか?」

律の手が震える。唯は、そっと律に近づき、両手でそれを受け取った。
唯は、それをじっと見ると、「ハンバーグ……」と呟いた。

「……うん、唯、前に美味そうに食ってくれたから」

唯はそれを聞いて、大事なものを抱えるように、ぎゅっとタッパーを抱きしめた。
律は、心がほんのり温かくなった。

「唯、ごめん。何度でも、謝る。あと……お詫びと一緒に、私の気持ちも聞いてほしいんだ」
「……りっちゃんの、気持ち」
「うん」

律と唯の目が合った。
唯、すぐに、伝えるから。聞いてほしい。

「……昨日、唯に会えて、嬉しかった。二人でぶらぶらしたり、CDを一緒に探してくれたり……相合傘も、本当は、全然、窮屈なんかじゃなかった」

律は、一つ一つ手繰るように言葉を紡ぐ。

「いつも、唯に意地悪ばっかいってるけど、でも、そうやって、お前と一緒にいる空間が、何よりも嬉しいんだ」

唯がまたタッパーをぎゅっと抱きしめるのを見て、律は言った。

「ハンバーグのときのことも、初めて会った時のことも、文化祭も、合宿も、放課後の時間も、数えきれないくらい、唯との思い出がいっぱいある」

唯は、まっすぐに律を見つめている。

「唯との思い出が、たくさん増えるのは嬉しい。でもな」

律も、唯を見つめ返した。

「思い出よりも、何よりも、私は、唯とこれからもずっと一緒にいることの方が、何百倍も嬉しい」

唯が、息をのむ音がした。

「昨日、唯が、『みんなのことをいろいろ知って、心の中にためていけば卒業しても寂しくない』っていっただろ?」
「……うん」

唯が、言葉を返した。

「それ聞いて、私は、辛かった」
「えっ……どうして?」

驚く唯に、律は何とも言えない表情をする。

「だってそれは、別れの準備みたいなものじゃんか」
「……!」
「確かに、高校時代仲良くても、大学にいったら疎遠になるって話はよく聞く。でも」

律は、しっかりと唯を見つめなおす。

「私は、唯とはそうじゃない、唯とはずっと一緒にいられるって、信じていたから」
「りっ、ちゃん」
「……違うな。唯と、ずーっとずーっと一緒に“いたい”んだ」
「りっちゃ、」
「……だからキスした」

唯の体が、またびくっとした。

「……ごめん、今の言い方だと、唯に責任転嫁しているみたいだな。違うんだ。唯の言葉は、ある意味で正しいんだ。むしろ、私が子供っぽ過ぎるんだ。ずーっと一緒、なんて」
「……そんな、そん……」
「だから、唯が離れるのが恐かった。ずっと一緒にいられないなら、せめて、キスしたかった。せめて、唯の心の中に、ずっと、いたかった。強く存在したかった」
「……りっちゃんっ……!」
「ごめん、これがキスの言い訳。でも、これだけは伝えたかったんだ」

律は、自分の思いを言いきった。あとは、唯の返事を待つだけだ。

「私の勝手で、傷つけてごめんな。それも、女からなんて嫌だっただろ」

半ば自嘲気味に語りかけた。全て、ぶちまけた。
何を言われる? 最低、勝手、嫌い……でも、どれでも、受け止めたかった。

「……いやじゃ、なかったよ……」

頭の中で考えていたうちのどれでもない言葉に、律は目を大きくした。

「えっ、唯、」
「い、いやじゃなかったのっ……!」

唯は、顔を真っ赤にして、震えていた。

「……りっちゃん、聞いて」

唯の様子に驚きながらも、律は頷く。

「……私、今までぼーっと生きてきたの。和ちゃんが心配しちゃうくらいに。でも、軽音部に入って、毎日がきらきらしてきたの」
「……唯」
「楽しいし、楽しかった。りっちゃん、澪ちゃん、ムギちゃん、梓ちゃんに会って、いろんな曲演奏して、ティータイムして、みんなといろいろなこと経験して」

唯が今までのことを思い返しているように、目をつむる。

「でも、三年になって……将来って言葉がリアルになってきたときに、はじめて、これまでのことがあっという間にすぎていったなぁ、って思うようになって」
「……うん」
「はかないなぁ、って。それでそのとき、思ったの。こんな幸せな時間は、これから先もずっとあるとは限らない。こんな風に時が過ぎて、いずれ終わってしまうものだって」

唯の苦い言葉に、律の顔が強張った。

「……だからね、終わってしまったときに悲しむよりも、今から覚悟しておけば、寂しくならないかな、って」

律は、辛そうな顔でぎゅっとこぶしを握りしめた。

「ごめんね、りっちゃん」

突然の唯の言葉に、律ははっとなった。
唯は、見たことないくらいに悲しそうな顔をしていた。

「私、昨日、やせ我慢していたよ。『心の中にためておけば、寂しくない』って。そんなの……そんなわけ、ないじゃん」
「ゆ、いっ」
「寂しいよ、悲しいよ……みんなと別れたくなんかない、終わりなんて、来なければいいっ……」
「唯っ!」

気付いた時には、唯を抱きしめていた。
唯は、思ったよりもずっと華奢で、そのまま消えてしまいそうだった。

「それで、それでね、その中でも、いちばん、いちばん、離れたくないって思ったのが」

お互いの、視線が絡み合う。

「……りっちゃん、だよ」

唯が、再度タッパーを抱きしめる気配がした。
律は、自分でも、今何が起こっているのか、分からなかった。
ただ、抱きしめている唯の体の熱だけが確かだった。

「りっちゃんと……その、したとき、びっくりして、思わず突き飛ばしちゃって、それでりっちゃん傷つけたかも、って今日もずっと後悔してた……」
「唯……」
「まだ、りっちゃんをどう思っているのか、どう思われているのか、わかんなくて」

唯が、律にさらに体を寄せる。
律も、抱きしめる腕に込める力を強くする。

「これが、たとえば、澪ちゃんやムギちゃん、あずにゃんだったらどうだっただろう、って考えて」
「……うん」
「傷つけた、って後悔はするの。誰に対しても……。でも、このことで、離れちゃったらいやだな、って一番思ったのは、りっちゃんなの……」
「……唯」
「本当は、りっちゃんにされたとき、離したくなかったのかもしれない、ううん、それで、そのままでいたいと思ったんだよっ……」
「唯、」

律は、唯の頬に手を添えた。唯は、まっすぐ律を見ている。
その頬は、赤く、愛らしかった。

「……分かるか? 私が、唯をどう思っているか」

唯は、首を振った。

「分からないよ。だから、確かめたいの」

唯は、自分の頬に添えられた律の手に、自分の手を重ねた。

「……りっちゃんは、私のこと好きなんだ、って思っていいの?」

決まっている。
唯からの答えも決まっている。
お互いが、お互いと、一番、離れたくないんだから。

ジャーン、と元気な音がスタジオに響いて、その後に歓声が上がった。

「今、すごくよかったですよね!?」
「みんなの息があって、最高だったわ!」
「そうそう。特に、律と唯が」

梓とムギが喜ぶ横で、澪がにやりとして見せた。
まあ、相談料として、これくらいのからかいは許してやろう。
ふと唯を見ると、少し頬を染めて、私に微笑んでいた。
私も、負けないくらいの笑顔を返す。
唯は前に向き直り、スタジオの鏡を見た。
自分の頬にハンバーグのかすが付いているのを発見し、慌てて取っていた。
律はそれを見て、またクスリと笑う。
かなり大き目のを作ってきたにもかかわらず、唯は一人でぺろりと全部平らげたのだ。

「よし、もう一回だな」

澪の合図で、また演奏し始める。
唯とギー太が、楽しそうに音を奏でている。
律はそれを、ドラムを叩きながら、見つめている。

ずっと、こうしていたいんだ。唯と、ずっと。

その思いが届いたかのように、一瞬、唯がこちらを見た。
その時の唯の笑顔は、きらきら光っていた。

律の口の中に、食べていないハンバーグの味がまだ残っていた。
理由? ……私と唯の、秘密だ。

おわり