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SS36「ほいよ、今日は肉じゃがだぞー」

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yuiritsu

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SS36



「ほいよ、今日は肉じゃがだぞー」
「やったあ、ありがとーりっちゃん」
 差し出したタッパを受け取った唯は、熱々のそれをほっぺたにあててふにゃりと笑う。
「あったかあったか……」
「ほれ、玄関でアホなことしてないで、中入れて」
「あ、ごめんね。どうぞどうぞ」
「お邪魔しまーす」
 言いながらぽいぽいと靴を脱ぎ捨てて、見慣れた部屋へと上がりこんだ。

 部屋を見渡すと、この間来た時にはなかったこたつがいつの間にか設置されている。
 ……この間って言っても、たかだが一昨日なんだけど。
「こたつ出したんだな」
「だって夜とかすっごい寒いんだもん~」
「確かに……あ、でもこたつで寝るなよ、風邪ひくから。熱出しても憂ちゃんが看病してくれたりしないんだからな」
 唯の頭をポンと叩いて笑うと、唯がもじもじと何か言いたげにこちらを見た。

「? なんだ?」
「……もし私が風邪引いたら、りっちゃんが看病してくれる?」
「……う、ま、まあお隣さんだし、そんときゃしてやるけど」
「えへへ」
「なーに笑ってんだ。予防第一だからな!」
 むに、と唯のほっぺを引っ張って言うと、唯はやっぱり嬉しそうに「はあい」と答えるのだった。



 大学生になって半年と少し。
 一人暮らしもいつの間にか板について、あたしも唯も今のところ大きな事故もなくやっている。
 ちなみにあたしたちは一緒に暮らしているわけではなくて、同じアパートのお隣さん、という、ただそれだけの関係。
 ……なんだけど。
 隣に唯がいると思うと、こう……面倒を見ずにはいられないという面倒な性分なのだ。
 そんなわけで、
「唯、ご飯ついてる」
「え、どこどこ」
「ここ」
「ありがと~」
 こんな風に晩御飯を作って持ってきてやる、というのが日常になりつつあった。
 最初は週一回だったのが二回、三回、と増えて……今となってはほぼ毎日のペースだ。

「ううー、やっぱりりっちゃんのご飯は美味しいねえ。憂にも負けてないよ!」
「そりゃ良かった。唯ちゃんの炊いたご飯も美味しいでちゅよ」
「へへー、頑張って炊きましたから! ふんす!」
 得意気に胸を張る唯を見ていると、思わず口元が緩んで、頬が熱くなってしまう。
 胸がどきどきと高鳴っているのは決して気のせいなんかではなくて。
(……可愛いなあ)
 唯を見るたびにそんなことを思ってしまう。絶対に口には出さないけれど。
 こうしてご飯を持ってくる度に積み重なっていくその思いの正体に、あたしは今も気が付かないふりをしている。
 きっかけはそう、数か月前の話だ。



 セミの声が徐々に小さくなり始めた頃。
 いつものように唯の家におかずを持っていたところ、チャイムを鳴らしても誰も出てこない。
「留守かあ?」
 もう一度ピンポンを鳴らしてドアを叩いても、やっぱり誰も出てこない。
 と、諦めて帰ろうとしたそのとき、部屋の奥の方からなにやら鼻歌が聴こえてきたことに気が付いた。

「……ああ、風呂入ってんのか」
 タイミング悪かったかな。
 でも風呂に入ってるんなら、出てくるまでにそう時間もかからないだろう。
「…………」
 がちゃり。ドアノブに手をかけると、案の定ドアが開いた。
 ったく、不用心過ぎる!
 一人暮らしなんだからマメに鍵かけろっていっつも言ってるのに……。
 やれやれとため息をつきながら玄関に上がり、いつも腰かけている座イスに座った。

(……あれ、これって不法侵入?)
 そうは思ったけれど、まあどうせ唯だし、と勝手に納得する。
 ていうか唯もうちに勝手にあがりこんでくるから、まあおあいこってことで良いだろう。
 そんなこんなで持ってきたハンバーグの皿をテーブルに並べ始めていると、
「あれ、りっちゃん?」
「あ、唯。勝手に上がって……」
 唯の声に振り返って、あたしは息を飲んだ。

 目に入ってきたのは、バスタオル一枚を身にまとっただけの唯の姿。
 濡れて癖のなくなったストレートの髪。
 水滴の乗ったままの鎖骨に、すべすべの二の腕。
 タオル越しにも分かる胸の……って、そうじゃなくて!
「こっ、こら、なんつー格好で!」
「だって、下着が外に干したままで」
「そんな格好でベランダに出るつもりか! ばか!」
 そこで待ってろ、と声をかけてあたしはベランダへと向かう。

 洗濯バサミに挟まれた唯の下着を手にしながら、ぶんぶんと頭を振った。
 ……なんで、こんなにドキドキしてんだ、あたし。
 唯の裸なんて、高校生の時に何度だって見ただろ。
(でも、なんか全然違って……)
 口を開けばいつものぽわぽわした性格なのに、さっき目にした唯は妙に色っぽくて……。
「って、こらー! なに考えてんだ! 変態か!」
 ベランダでひとり叫んでいると、部屋の奥から「りっちゃんパンツないと落ち着かないよ~」と情けない声が聞こえてきた。



「ねーりっちゃん、今日泊まっていきなよ」
「え」
 ご飯を食べ終わり、食器を洗っていると、唯にそんなことを言われた。
「んー……いや、今日は帰るよ」
「ええー」
「ごめんな、また今度な」
 あの日以来、あたしは唯の家に泊まることを意識的に避けるようになった。
 だって、普通に考えればあたしはおかしい。
 女友達にドキドキして、油断すればいやらしいことを考えてしまいそうになる。
 一晩中唯と一緒にいて、自分がもっとおかしくなってしまうのが、あたしは怖かった。
 唯にドキドキすることが気のせいだって、そう思っていたかったんだ。

「また今度って、いつ?」
「まあ、そのうち。……よし、洗い物、終わり」
「もう帰るの?」
「ん、明日は一限から必修だし。早く帰って寝るよ」
 棚にかけてあったタオルで手を拭いてから、持ってきたタッパを抱えて足を踏み出した。
 唯は何も言わずに目の前を通り過ぎるあたしを見ている。
 また心臓がドキリと音を立てて、あたしは唯から目を逸らした。

「そんじゃお邪魔しま――」
 と、ドアノブに手をかけた瞬間、あたしの手からタッパが転がり落ちた。
 手が滑ったんでも、わざと落としたんだでもない。
 突然後ろから抱きつかれて、その反動のせいで、だ。
「え、あ、あの」
 唯はあたしよりも少しだけ背が高くて、そうなればどうしたってあたしの体は奇麗に唯の手の中に収まってしまう。
 タッパを拾うことすらも許してくれないくらいに、唯の腕の力は強い。

「唯……?」
「…………」
「おーい」
 上ずる声で声をかけながらぺちぺちと唯の腕を叩くと、耳元でかすかに唯の声が聞こえてきた。
「りっちゃんは」
「え?」
「私の気持ちに気が付いてるから避けるの?」



 沈黙の中で、唯の息の音だけが聞こえてくる。
 私の気持ち? なんだよ、それ。意味が分からない。
「なんだよ……ワケ分かんないし」
「りっちゃんのこと……わたし、分かんないよ」
「? どういう……」
 唯の腕から力が抜けた。唯はあたしの肩に額を預けて続ける。
「毎日ご飯作りにきてくれて、いっぱい笑ってくれて、でももっと一緒にいたいって思った途端に、急に離れようとして」
「……それは」
「辛いよ。どうすればいいのか、分かんないんだもん」
 肩にじわりと熱いものが染み込む。

 あたし、唯のこと泣かせたのか。
 唯の笑顔が大好きなのに、泣き顔にさせちゃったのか。あたしのせいで。
 そう思ったら、胸の奥を何かで突き刺したような痛みが走る。
 どうしたら唯は泣きやんでくれる?
 その答えは簡単だった。正直に話せばいい。ただそれだけだった。
「……あたしだって、どうすればいいか、分かんないんだ」
「え?」
 唯の腕の中で体を回転させて、ふたり向かい合う形になる。
 唯の泣き顔を見るのが辛かったから、体を密着させて唯の首元に顔を埋めた。

「あのさ、唯」
「……うん」
「気持ち悪いって思ったら、そう言ってくれていいよ。突き飛ばしてくれていい」
「りっちゃん?」
 しんとした空気。ああ、これが告白する空気ってやつなのか、と思う。
 人生で初めての告白が、まさかこんな形になるなんて、高校生のときのあたしはきっと想像もしていなかっただろう。

「……あたし、唯といるとドキドキしちゃうんだ」
「…………」
「唯が笑ってくれたら嬉しいし、ご飯も作ってあげたくなるし……唯に、その、触れたいって思う」
 緊張で声がかすれた。
「その気持ちが強くなっちゃうのが怖くて……だから、唯とあんまり一緒にいられないって、そう思ったんだ」
 言い終わったその瞬間、ぎゅっと唯の両手に力がこもった。



 こつんとふたりのおでこがぶつかる。
 上目遣いで見ると、唯も同じようにこちらを見ていた。
 目が合うと、唯は赤い目のままではにかんだように笑った。
「やっと笑ってくれた」
「りっちゃんが泣かせたんだよ」
「……う、ごめん」
「でも、笑わせてくれたのもりっちゃんだね」
 白い歯を見せて唯が笑う。
 年齢よりも少しだけ幼く見える笑みに見惚れる。

 悔しい。
 唯が愛しくて仕方がなくて、唯が笑うだけでつられて笑顔になってしまう自分の単純さが悔しい。
「……気持ち悪いって思う?」
「へ?」
「だって友達だと思ってた奴がさ、自分のことそういう目で見てたって思ったら……」
 あたしがそう言うと、唯は眉を下げて息を吐いた。
「りっちゃん、いくらなんでもそれはにぶちん過ぎるよ……」
「な、なんで」
「私が言った『私の気持ち』っていうのが何なのか、ぜんぜん分かってないの?」
 肩に回された唯の手が、今度はあたしのほっぺたを挟み込む。

「りっちゃんとちゅーしたいって言ったら、ちゃんと伝わる?」
「え……」
 目の前にある唯の顔は真っ赤で、わずかに唇が震えている。
 ……緊張、してるんだ。あの唯が。あたしにキスしたいって言いながら。
「唯は……あたしのことが、好きって……こと?」
「……りっちゃんも私のことが好きなんだよね?」
 こくりと頷くと、唯は安心したように笑う。
「えへへ、じゃあ私たち、両想いだね」
 こんな間近でそんな笑顔を見せられて。
 ねえりっちゃん、今日は泊まっていって、なんて言われたら。
 ……断れるはずが、ないじゃないか。



「ねーりっちゃん、今日お泊りしていってよ~」
「だーめ。今日こそ帰る」
「ええー、もっと一緒にいたいよ……」
「しょんぼりしてもダメ」
「ちゃんとりっちゃんのパンツも洗っておいたんだよ」
「なっ、最近家でパンツが減ったと思ったら……ここにあったのか」
 きっちり畳まれた下着を唯の手から奪い取って、あたしは大きなため息をついた。

 あれから一ヶ月とちょっと。
 唯の家に泊まる連続記録は、今日もまた新記録を更新していた。
「このままここにいるとダメだ、ダメになる」
「へ? どういう意味?」
 ぽふ、と唯が背中が抱きついてくる。
 甘いシャンプーの香りに、思わずくらくらして、慌てて頭を振った。
「唯といると、いつかサルになる気がする」
「んん? なにかのたとえ話?」
「……とにかく帰る」
 つってもお隣なんだけど。
 そんでもって明日になったらまたせっせとご飯運んでくるんだけど。

「うう、りっちゃんは私といるのがいやなんだぁ」
 芝居めいた口調で泣き真似する唯。もうその手には乗らないぞ……。
「りっちゃんと一緒にいるの楽しいのに」
 乗らないぞ……。
「りっちゃんと一緒にテレビ見るの楽しいのに」
 乗らない……。
「りっちゃんと一緒にベッドで寝るの好きなのに」
「…………」
 はむ、と耳を咥えられて、思わず身震い。
「りっひゃん、ひょう、ひょまってく?」
 ……はいはい、降参ですよ。
 最初から分かってたんだ。あたしが断り続けることなんて出来るはずがないって。
「……明日こそは家に帰るからな」
「えへへ、やったあ」
 説得力のない言葉だと我ながら思う。


おわり!

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