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SS41「りっちゃあああああん」

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yuiritsu

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SS41



「りっちゃあああああん」
「おわっ!?」
 とある日の放課後。
 部室に入るやいなや、猪のような勢いで何かが猛烈なタックルをくらわせてきた。
「いてて……なんだあ?」
 ドアの角にぶつけた背中を撫でつけながら視線を落とす。
 猪の正体。それはあたしのお腹にぐりぐりと顔を押し付けている唯だった。
 ……なにやってんだ、こいつは。

「こら唯、どこの猪かと思ったぞ」
「…………」
「とっつかまえて唯鍋にしちゃうぞ……って」
「…………」
「唯?」
 反応がない。ぽんぽんと後頭部を叩いてみても、やはり唯は顔をあげない。
「……どした?」
 中腰の姿勢だったあたしは、そのまま床に膝をつく。
 唯もそんなあたしの動きに合わせて床にぺたりと座りこむと、ぐずぐずと鼻を鳴らした。

「え、ちょ……泣いてんの?」
 明らかにいつもと様子の違う唯が急に心配になって、声のトーンを落とした。
 顔を上げさせようと唯の頭に手を乗せるが、唯は子供のようにいやいやと頭を振るばかりだ。
「唯、なんかあった?」
「…………」
「なんか言えって。心配になるだろ」
「……たし……」
「え?」
 胸元から聞こえてきたかすかな声を聞き逃さないように、耳を傾ける。
「わたし、傷ものになっちゃった……」
「な……」
 何を言って、そう言おうとして、ふいに唯の太ももが目に入った。
 めくれたスカートから、ちらりと覗いているのは――真っ青な痣。

 唯の泣き声を聞きながら、さあっと血の気が引いていくのを感じる。
 まさか……まさかまさかまさか。
「おい、唯! 何があったんだ!?」
「…………」
「誰かに何かされたのかっ!?」
 引いた血が今度はかあっと逆流していく。
 茹で上がった頭で力任せに唯の体を引きはがし、その顔を覗き込んだ。
 ……ところが。

「………………ん?」
 間近で見る唯の顔。
 そこに涙の跡なんて全くなくて、唯はきょとんとした顔であたしを見ている。
「……あの、唯さん?」
「う、うん」
「まさかとは思うけど……」
「…………」
「……演技だったとか言わないよな?」
「………………えへへ」
 眉を八の時にして、唯は誤魔化すように笑った。可愛い笑顔だ。だが許さん。

「こらー! お前ってやつは!」
 ぎゅむーっともちもちのほっぺたを挟み込む。
「ぎょ、ぎょめんなひゃい……」
「冗談で言っていいことと悪いことがあるだろ……まったく」
「あ、あのね、すぐにドッキリ成功ってやるつもりだったんだけど、なんかそんな雰囲気じゃなくなっちゃって……
あ、この痣ね、昨日の夜に寝返り打ったら思いっきりギー太にぶつけちゃって」
 結構痛いんだよ~、なんて呑気なことを言いながら、唯はこちらを見た。

「あの、りっちゃん」
「なに?」
「……心配させちゃってごめんね。あと嘘ついてごめんなさい」
 申し訳なさそうに謝る唯を見たら、怒りもしゅるしゅるとしぼんでいく。
 唯のこの顔って反則だと思う。あたしって本当に唯に甘い。

「はあ……もういいよ。何にもなかったんならそれが一番だし。でももう変な冗談はやめろよ」
「はあい。……ねえ、りっちゃん」
「うん?」
「私のために怒ってくれてありがとう」
「う……」
「ビックリしたけど、すごく嬉しかったよ」
「ま、まあ唯はあたしの大事なともだ……」
 そこまで言って、あたしは唯の目をちらりと見た。
「……唯はあたしの大事な人だから」
 わざわざ言い直した意味に、唯は気が付いてくれるかな。
 そんな淡い期待を持って唯の様子を伺ってみたけれど、
「えへへ、ありがとー。私もりっちゃん大好きだよ」
「…………」
 やっぱり唯は唯だった。



 天井から滴が落ちる。
 ひんやりと冷たいそれがあたしの二の腕に落ちて、思わずうひゃあと間抜けな声がこぼれてしまった。
 二の腕をさすりながら肩までお湯につかって、あたしは天井を見上げる。
 湯気をぼんやりと眺めながら、そっと目を閉じた。
「……なにやってんだかな」
 思い出すのは放課後のこと。唯にだまされたことは……まあ良い。問題はその後だ。
「中途半端……」
 あたしは、唯に気持ちを伝えたいのか伝えたくないのか……どっちなんだろう。

 この胸に渦巻く気持ちの正体を知ったのは、つい最近のことだった。
 きっかけは、特にない。
 毎日毎日ふたりで楽しく過ごして、とある日唯にきゅっと抱きつかれて、
そしたらなんか「好きだなあ」って自分でもびっくりするくらい自然にそう思ったんだ。
 考えてみれば唯は女のあたしから見ても可愛くて、ほわほわしてて、面倒見てやるのが楽しくて、
ちょっと不器用なところがあって、でも不器用なりにまっすぐで。
 あたしが悩んでいたり不安そうな顔をしていたら、すぐに声をかけてくれる。
 力になろうとしてくれる。
 ……こんなの、好きにならないはずがないじゃないか。

 お湯を両手ですくって顔にかける。
 伝えるつもりはないんだ。普通に考えて言えるはずがない。
 というか、唯はあたしが告白したところで、その意味に気が付かないんじゃないだろうか。
 あいつ、お子様だし。
「……くそ」
 湯船からあがって椅子に腰を下ろした。
 鏡に映った自分。長い前髪がうっとうしくて右手でサイドに分けた。
 にいっと笑ってみる。不器用な笑顔だ。
 伝えないって決めたはずなのに、唯に気が付いてもらおうとして、「大事な人」なんて中途半端なことを言ったりする。
 そうやって、あたしは中途半端な自分がどんどん嫌になるんだ。

 ……でもさ。時々思う。
 好きな人に振り向いてもらいたいって思うことは、そんなにおかしなことなのかな、って。



 数学の先生の言ってる意味がさっぱり分からなくて授業にも飽きてきた。
 ……というのはさすがに受験生としてはまずい発言かもしれない。
(いい加減本腰入れて勉強しないとな……)
 黒板に書かれた数式の意味を教科書で調べながら、そんなことを思う。
 結局あたしの集中力は続くことはなくて、頬杖をついて先生の背中を眺めるだけの時間に変わる。
「…………」
 考えるのは唯のこと。最近、時間さえあれば唯のことを考えている。
 先生にばれないように後ろを見ると、教科書を忘れて姫子と机をくっつけている唯が見えた。
 問題の答えでも教えてもらっているのだろうか、唯は一生懸命に姫子の手元を覗き込んでいる。

 なんか唯、嬉しそうだ。姫子も唯のころころ変わる表情を見て楽しそうにしている。
(……見るんじゃなかったな)
 唯が自分以外の人と楽しそうにしてる姿を見るだけで、もやっとした何かがこみあげてくる。
 そうなれば決まって自己嫌悪に陥って、あたしの心はたちまち痛みだす。
 なんつー面倒な性格だって自分でも思うからこそ、誰にもそんな自分を知って欲しくないと思う。
 澪にもムギにも梓にも、それから唯にも。

(……やめやめ)
 こんなこと考えたってどうしようもない。
 あたしはぶるぶると頭を振って、視線を前に戻す。
 と、その時、
「あー、分かった! ありがとう! 姫子ちゃん大好き!」
「ちょっ、唯……」
 教室に唯の声と、困惑したような姫子の声が響いた。
 みんなの視線が自然と教室の後方へ向くと、唯ははっとしたような顔をあげる。
「平沢さん、立花さんに教えてもらうのはいいけど、声は出さないように」
「す、すいません……」
 くすくすと教室が和やかな笑いに包まれて、すぐに先生は授業を再開する。

「…………」
 あたしはじっと先生の持つチョークを眺める。
 余計なことは考えたくないんだ。もうこんな自分を見るのは嫌なんだ。
 そう思うのに、もうどうにもならなかった。
 なんだよ大好きって。唯、昨日あたしにも大好きって言ったよな。
 誰にでもそんなこと軽々しく言うなよ。……言わないでよ、お願いだから。
 自分勝手な思考だ。
 唯は本当にみんなが大好きだって心から思っていて、それを素直に言っているだけなんだ。
 それが唯の魅力であることだって、あたしは十分に分かっているのに。

「――田井中さん、これ答えて」
「あ、へ……?」
 顔を上げると、先生が目の前に立っていた。やばい、全く聞いてなかった。
 隣の席に助けを求めようにも先生の視線がこちらにロックされている。
 諦めるしかないようだ。
「すいません、聞いてませんでした」
「まったく、受験生なんだから気合い入れてね」
「はい……気をつけます」
「先生! りっちゃんは普段はこんなだけどやるときはやるんです! 部長だから!」
 後方から聞こえてきた唯の言葉にまた教室が沸いて、けれどあたしは振り返ることが出来なかった。

 いつもなら「うるせー」だとか「お前が言うな」とかツッコミを入れてやるのに。
 見ようによっては無視する形になってしまったかもしれない。
 唯のことを好きになればなるほどに、あたしは自分が嫌いになっていくような気がする。



「それじゃあホームルームはここまで。試験も近いから、みんなちゃんと勉強してね」
 さわちゃんが机で集めたプリントをトントンとそろえる。
 委員長の号令がかかって、楽しい放課後の始まりだ。……楽しい、ね。自分で言って苦笑する。
 こんな重たい気持ちのままで楽しい放課後なんてものが過ごせるはずもない。
 鞄に教科書をつめこんで立ちあがる。
「ムギ、部活行こうぜ」
「あ、うん」
 ムギの席まで行って、教室の後方を見た。唯と澪が何やら話している。

「澪」
 その場から澪の名前を呼ぶと、澪がこちらを向いた。
 唯の名前はなんとなく呼べない。
「ふたりとも部活行くぞー」
「あ、それがさ」
 澪はそう言ってちらりと唯を見た。
「なんか唯が体調悪いらしくて」
「え?」
「今日はまっすぐ帰った方がいいんじゃないかって言ってたところ」
 数学の時間はぴんぴんしてたじゃないか、と返そうとして、慌てて口を閉じる。墓穴もいいところだ。

「いつから? 唯ちゃん数学のときは元気そうだったけど」
 ムギの言葉に唯がびくりと体を震わせる。
「え、えっと、ホームルームの始まりくらいかな」
「え? 唯、さっきは六時間目って言ってなかったか」
「あ、うん、えーっと、本格的に体調悪くなったのがホームルーム始まるちょっと前っていうか」
「なんだそりゃ」
 そう言って澪は苦笑すると、
「とにかく今日はもう帰りなよ。テストも近いんだし、無理しない方がいいぞ」
「う、うん、そうだね。そうするよ」
「ひとりで帰れるか?」
「えーっと……」
 体の前で指先をもじもじさせながら、唯がこちらを見た。……なんだよ、その何か言いたげな目は。

「りっちゃん、ご指名みたいね」
「ムギ……」
 なんでそんなに嬉しそうなの、ムギは。まあ大体想像つくけど。
「はあ……分かったよ。澪、梓に今日は帰るって言っておいてよ」
「うん。ちゃんと送ってやれよ。途中で公園とかで遊んで帰らないように」
「小学生か!」



 あたしの少し後ろを唯が歩いている。隣にはやってこない。
「唯」
「は、はい」
「歩くなら前歩けよ。後ろにいたら倒れてても気が付かないだろ」
「あー、うん、えっと……」
 唯は困ったように眉を下げて、やがて意を決したようにこう言った。
「隣、歩いてもいい?」
「は?」
 思わず間抜けな声が出た。
「いや、隣歩いてくれるならそれが一番いいわけなんですが……」
「だ、だよねー」
 なんか、ぎこちない。やっぱり唯も数学の時間のこと、気にしてるんだろうか。

「それじゃあ、お邪魔します……」
「隣歩くのにお邪魔もなにも……って」
 突然左手に触れた体温。一瞬何が起こったか理解できなくて、あたしは言葉を失う。
 唯の右手が、あたしの手をきゅっと掴んでいた。
「な、なんだよ」
「……だるいから、支えて欲しいなって」
「……熱でもあんのか」
「あるかも」
「……分かった」

 唯の手を握り返して足を進めた。唯の手はぽかぽかと暖かくて、柔らかい。
 くそ、うるさい。うるさいぞ、あたしの心臓。
 静まれ、止まれ。いや止まるのはさすがにまずい。
 てくてくとローファーが地面を蹴る音。
 こんなにも静かなのは、唯が大人しいからなのか、それともあたしが黙ってるからなのか、そのどちらもだからなのか。

 目の前の信号がぱかぱかと点滅する。
 走れば間に合いそうだったけれど、体調の悪い人間を引っ張って渡るわけにもいかない。
 あたしは足を止めた。
「あのね、りっちゃん」
「うん?」
「…………怒ってる?」
 ぎくりと心臓が音を立てた。
「怒るって……何に?」
「何かは……分かんないけど」
「怒ってないよ」
「じゃあ、何か悩んでる?」
「悩んでない」
「じゃあ、私に何か言ってないこととかある?」
「別になんでもかんでも唯に話すわけじゃないし」
「やっぱり怒ってるよ」
「唯、体調悪いんだろ。あんまり喋んない方がいいんじゃないか」
「体調悪いなんて、嘘だもん」
「…………」
 唯の顔を見た。
 真剣な顔と、泣きそうな顔がごっちゃになって、それは初めて見る唯の表情だった。

「手……離すぞ」
「やだ」
「唯」
「いーやーだ!」
「離す!」
「意地でも離さない! ふんす!」
 ぶんぶんと左手を振っても、唯の手は離れない。
 ぜいぜいと息を切らせて、結局あたしは諦めた。汗ばんだ手。どちらの汗なのかは分からない。
「……ねえ、私りっちゃんが怒ってるのやだよ」
「だから別に……」
「りっちゃんが怒ってると、悲しくなるんだよ」
 そんな顔しないで欲しい。唯の悲しい顔は嫌なんだ。こっちまで辛くなるから。

「りっちゃ――」
「好きなんだよ」
「え?」
「唯のことが」
 唯はあたしが告白したところで、その意味に気が付かないんだろう。だってお子様だし。
 あたしはそう思っていて、だからこそ伝えたってきっと無駄だって思っていた。

 けれど、唯のことをあたしは何も分かっていなかったらしい。
 目の前で驚いたようにこちらを見る唯の顔は、はっきりとその意味を理解していた。



 家に帰ってすぐ、「忘れて」とだけ書いたメールを送った。
 あれからあたしは唯の手を振りほどいて、その場を去った。
 逃げたって言い方が正しいかもしれない。唯の顔はもう見ていられなかった。
 ベッドに突っ伏していると、マナーモードにした携帯がぶるぶると震える。
 誰からだろう。唯からの返信だろうか。恐る恐る携帯を見ると、案の定の受信箱には唯の名前が載っていた。
 件名は「ごめんね」の四文字。

 本文を見る必要もなくて、あたしはそのままそれを消した。
 見なくたって内容は分かってる。りっちゃんは大事なお友達だから、とかそんなことが書いてあるに違いない。
 唯は優しいから、きっとあたしを傷つけるようなことは言わないだろう。
「友達だもんな」
 友達に好きって言われたら、そりゃびっくりするよな。でももう、友達でもいられないんだろうな。
 唯の驚いたような顔を、あたしはきっと一生忘れられない。
 瞬きもせず、凍りついた表情であたしを見ていた唯。あの時の唯は、何を思っていたんだろう。

 ……知らない方が、きっと幸せだ。
 あたしの恋は始まる前に終わっていたんだと、どうして気が付かなかったんだろう。
 叶うはずもないって、最初っから分かっていたのに。どうして……どうしてあたしは友達以上のものを望んでしまったんだろう。
 やらないで後悔するならやって後悔しろ、なんて誰が言ったんだ、そんな無責任な言葉。
 伝えなければずっと手にしていられたものを、あたしは失ってしまったんだ。

 後悔なんて言葉で足りるもんか。



 翌日のお昼は、みんなと一緒には食べなかった。日頃あちこちで食べているおかげで、澪もムギも和も何も言わなかった。
 ただ、唯だけは悲しげにこちらを見ていて、あたしはそれが苦痛で、必死で目を逸らした。

 放課後になって、あたしはまっすぐに澪の席に向かう。
「澪」
「お、部活行くか?」
「……悪いんだけどさ、あたしちょっと体調悪くて、先帰るわ」
「え、律も?」
「律もって……澪も体調悪いの?」
「いや私じゃなくて……」
 そう言った澪の視線の先には、机に突っ伏したままの唯の姿。
「また寝てるのか」
「なんか熱っぽいらしいよ」
 ……また仮病か。
 そう思って「引っ張ってでも部室に連れていけばお菓子で元気になるよ」なんて言おうとしたところで、澪が心配そうに眉を下げた。

「お昼くらいからちょっと熱っぽいんだ。おでこも熱いし」
「え……」
「早退しろって言ったんだけど、平気って聞かないからさ」
 澪は「そういうわけだから」とあたしの腕をぱしんと叩いた。
「今日も送ってあげてくれるか?」
「え……」
「お前はずる休みだろ」
「……なんでばれてるの」
「何年の付き合いだと思ってるんだよ」
 これだから幼なじみって怖い。
 苦笑して、そういえばなんで澪はずる休みって気が付いてて怒らなかったんだろう、と首を捻る。

 そんな疑問が顔に出ていたのか、澪は優しげな顔で笑うと、
「ケンカしてるんだろ? どっちが悪いかは分からないけど、何も話さなかったらずっと解決しないぞ」
「……なんだよ、その澪らしくない発言は」
「な……」
「しかもそのお見通しですーみたいな得意げな顔がイラっとくる!」
「お前、せっかく人が親切で……!」
「うるせーやい!」
 がばりと澪の頭を抱え込んで、耳元に顔を寄せた。

「……ありがと、ちゃんと謝るよ」
「…………ん」
 あたしの腕の中で澪が頷いた。
 と、クラスメイトに「漫才コンビが教室で愛の抱擁中」などと冷やかされ、あたしたちは顔を見合わせて笑った。



「だるい?」
「……ちょっと」
 そう言う唯だったけれど、とても「ちょっと」とは思えなかった。
 怖かったけれど、唯の手をぎゅっと握る。熱い。昨日とは比べ物にならない。
 今日は本当に支えるために手を握っておく必要があるんだと感じた。
 昨日はドキドキしながら歩いた帰り道が、今日はこんなにも殺風景だ。
 唯が隣にいるのに、な。

「…………」
「……りっちゃん」
「うん?」
「……なんでもない」
「そっか」
 ふたりして何かを話そうとしてはやめる、の繰り返しだった。
 ほらね、やっぱりこうなるよな。告白して、そのまま友達でなんていられるはずがないんだ。
 だってふたりして触れちゃいけない話題があって、それで自然でいられるはずがない。
 これからはもう唯が抱きついてくることもないし、いつもみたいに「大好き」なんて言ってくれることもない。
 たとえそれが友達としての「大好き」でも。

「りっちゃん」
「……ん」
「なんで泣いてるの」
「へ?」
 唯の指先が頬に触れた。濡れてる。
「あ……ごめん、なんかちょっと」
 慌てて手の甲でごしごしと目元をこすって笑顔を作ってみせた。
 ……と、ここであたしはようやく当初の目的を思い出した。
 そういえばあたしは謝るためにこうやって唯と歩いているんだった。なんでこんな風に心配させてるんだ。

「唯、歩きながらでいいから聞いて欲しいんだけど」
「うん」
「だるいだろうし、返事とかしなくてもいい」
「…………ん」
 わずかに手を握る唯の力がこもった。滲んだ汗は、今日は間違いなく唯のもの。
「昨日、ごめん」
「…………」
「あたし勝手だった」
「…………」
「だから――」
「りっちゃん、それって、」
 遮るようにして唯が言った。足を止めた唯に手を引かれるようにして立ち止まる。
「私に好きって言ったこと謝ってるの?」
 それとも、と唯は続ける。
「昨日の夜、来てくれなかったことを謝ってるの?」

「へ……?」
 するりと唯の手が離れた。吹き抜けた風が手に残った唯の体温を奪っていく。
「夜って、なんのこと?」
「だから、メールで……」
「…………」
「もしかして、メール見てないの?」
 こくりと頷くと、唯はへなへなと力が抜けたようにその場に座り込んだ。
「お、おい、唯!」
「あはは……なんか力抜けちゃったよ……」
 唯に駆け寄っておでこに触れた。熱い。……これ、結構熱あるんじゃないのか。
「大丈夫か? ほら、背中乗って」
「え、いいよ、重いし」
「お姫様だっことは無理だけど、おんぶならいける。ほれ、早く」
「…………」
 少しだけ強めの口調で言うと、もそもそと唯が背中に乗ってきた。



「ごめんね、りっちゃん」
「……いいよ。ていうか熱あるのに変な話してごめん」
「変じゃないよ」
 そう言って唯は背中で何やらごそごそとしたかと思うと、あたしの目の前に携帯を掲げた。
 ディスプレイに映っていたのは、送信メール。件名は「ごめんね」だった。
「…………」
 信号待ちをしながら、その本文に目を通した。

 今日は何も言えなくてごめん。
 今からりっちゃん家の近くの公園に来れないかな。伝えたいことがあるから。お願い。

「……じゃあ、昨日はあたしを待ってて? まさか熱もそのせいじゃ……」
「あ、それは違うよ。お風呂入って、そのまま髪の毛乾かさないで床で寝ちゃって……」
 唯はそこまで言ってくすりと笑う。
「ああでも、りっちゃんのこと考えてたから、りっちゃんのせいかもね」
「……ばか」
「えへへ」
 唯の腕がきゅっとあたしの肩に巻きついたかと思うと、
「ねえ、りっちゃんは、いつから私のこと好きって思ってくれてたの?」
 などと、とんでもないことを訊いてきた。思わずぎょっとして体が揺れる。
「ずっと前から?」
「い、いや……つつつつい、最近」
 ってなんでバカ正直に答えてるんだ。

「やっぱりそうだと思った」
「なんで分かるんだよ」
「りっちゃん、知ってる? 長い片思いをしてるとね、だんだん上手になってくるんだよ」
「上手って……何が?」
「好きな人が自分の気持ちに気が付いてくれなくて苦しかったり、
他の人と仲良くしてる姿見て悲しくなったり……そういう気持ちを隠すことが」
 唯の柔らかい声。唯はいまどんな顔をしているんだろう。見ることは出来ないけれど。

「あとね、冗談混じりに好きって言って、気が付いてくれないかなあ、ってお願いすることとか」
 そこまで言って、唯は「でも」と間を置く。そして意を決したように息を吐くと、
「胸がちくちくするのはどうしたって慣れないんだよ。私はいまだってりっちゃんが誰かと仲良くしてたら胸が痛いし、
今日だって澪ちゃんに抱きついてるのが嫌だった」
「…………」
 足を止めた。止まってしまった。唯の言葉の意味を、理解したから。

 唯があたしの背中から降りた。
 まだふらふらはしていたけど、さっきよりは幾分かマシになっているようだった。
「片思いの長さなら、私はりっちゃんよりもずっと先輩だよ?」
 つまりりっちゃんよりも大人なのです。えっへん。とわけの分からない自慢をして、唯は胸を張った。
 一方のあたしは、情けないことに身動きが取れなくて、じっとこっちを見ている唯に近づくことも、遠ざかることも出来ないでいる。
 心臓がばくばくとうるさい。止まれ。いややっぱり止まるな。
 今の言葉が全部なくなっちゃうなんて、あたしはそんなの嫌だ。

 足が動いた。思いっきり唯を抱きしめた。筋肉の少ない唯の体は、女の子独特の柔らかさ。
 こうするのが自然だったかのように、しっくりと腕に馴染む。
「あたし、好きなんだ」
「うん」
「唯のことが、ほんとに」
「えへへ、ありがとー。私もりっちゃん大好きだよ」
 その言葉に、放課後の部室でのことを思い出した。
 そっか、唯はそうやって、あたしに気持ちを伝えようとしてくれてたんだな。

「……もっと早く気が付けば良かった。唯はいっぱいヒントくれたのに」
「そうだよー。りっちゃんがこんなに鈍くなかったらもっと話は早かったんだから」
「ごめん……って、よく考えたら唯だってあたしの気持ちに気が付いてなかっただろ」
「う……だってりっちゃんは私のこと妹みたいな感じで見てるとしか思えなかったんだもん」
「……まあ大体合ってるけど」
「ひどい!」
「こら、腕の中で暴れるな!」
「ぴちぴち!」
「こりゃーついに川の主を釣り上げたぞ……ってばか、乗らせるな!」
 抱き合ったまま笑いあって、そのまま唯がぐったりとあたしの肩におでこを乗せた。
 のぼせた、と頭から湯気を出しながら。


10

「三十八度ちょうど」
「……キリがいいね」
「あほ!」
 ぺちんとおでこを叩いて、冷却シートを唯のおでこに貼ってやった。
 自室のベッドに寝転んだ唯。憂ちゃんはまだ帰宅していないようで部屋の中は静かだった。
「まあ、あたしのせいでもあるからあんまり強くは言えないけど」
「おでこ叩いてから言うセリフじゃないよりっちゃん……」
 唯は涙目でそう言って、布団を口元まで上げた。

「あのね、りっちゃん」
「ん? 喉乾いた?」
「ううん、そうじゃなくて」
「好きだなあって思って」
「んなっ……いきなり何を言って……」
「私ね、りっちゃんのこと好きだよ」
 布団の中からまっすぐに見つめられて、ドギマギしてしまう。目を逸らすことも出来ないでいると、唯が目を細めて笑った。

「りっちゃんの顔ね、好きだよ」
「そりゃどうも」
「面白いとことか、実は緊張しいなとことか、気配りさんなとことか、優しいとことか」
「うぐぐ……」
「あと褒められてどう反応したらいいのか分かんなくて困ってるところとかも、可愛くて好き」
「お前……」
 ガツンと言ってやろうとしたけれど、嬉しそうに笑う唯の顔を見たら、何も言えなくなってしまった。
 結局、関係が変わろうともあたしはやっぱり唯には敵わないわけだ。

「……ありがと。照れるけど、やっぱり嬉しい」
「うん。……だから、この間は悲しい顔させちゃってごめんね」
「唯のせいじゃないし、ああいうのがあったおかげで素直になれたから」
「そっか、じゃあ……いっか。次にりっちゃんが悲しい顔してたら私がなんとかする」
「すごい自信だな」
「とっておきの方法がありますから」
「唯じゃあるまいしお菓子じゃ釣られません」
「うー、りっちゃんが反抗期だ」
 唯はすんすんと鼻を鳴らして、そのままちょいちょいと指先で私を呼ぶ。

「りっちゃん、顔こっち」
「へ?」
「もっとこっち来て」
「なに」
「いーからいーから」
「なんだよ一体……」
 身を乗り出した拍子、あたしの唇に唯のそれが触れた。少しだけ乾燥した唇。
 二センチほどの距離で、唯は「リップ塗っておけば良かった」と小声で言った。
「……りっちゃん、顔にやにやしてる」
「うるせー」
「あ、そういえば……風邪うつっちゃうね、これ」
「……熱出たら唯のせいってことか」
「う……じゃあ、菌返して?」
「…………」

 この後、きっちりと唯に風邪の菌を返したはずなのに、翌日あたしは見事に熱を出した。
 おかしな話だ。



おわり

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