「クロス・ライン」姫崎ひより編①


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タッチの差。
短距離走で言えば体半分ほどの差で、先を越された。
静かだった部屋に鳴り響く電子音。
その犯人は無論、目覚まし時計。

「……」

電子音オーケストラ開始の数秒後に目が覚めた。
あくまでも目覚まし時計に起こされたのではなく、少しだけ遅れただけ。
一時間の仮眠、そのスプリント対決。

「……明日は勝つ」

何の意味も無いリベンジ宣言の後、カーテンの隙間から漏れる景色に目をやった。
部屋に滑り込む淡い光。
空を埋めるのは灰色の雲絨毯。

「……今日もいい天気」

この島では、一般的に快晴と呼ばれる天候になることは稀で、普段は常に曇っている。
だからといって雨が多いというわけでもない。
非常に中途半端なのだ。

「まぁ、どうでもいいか……」

もう三度も口を開いてしまった。
今日の私は随分と饒舌だ。
ますます嫌な予感がする。
よく吠える犬ほど弱い…などと言うわけではないのだけど。
少なくとも、普段の私はとても無口であるはずで、

◆TENG_AHEAD むくり

とりあえず、と。
私が、姫崎ひよりが、他のどんな自分よりも饒舌になる世界の扉を今日もノックする。
それは合図。
目覚めの、切り替えの、開始の。
私の一日に欠かせないスイッチを入れた合図なのだ。

◆TENG_AWAY ハローエブリわん。
◆TENG_AGAIN あ、おはっす。
◆TENG_ABLE おはよう皆の衆。
◆TENG_ALICE ……………はぁ、今日も灰色の朝。

いつもの挨拶。
それぞれのアカウントでそれぞれの挨拶を。
一応全て独立して運用してはいるが、中には中身が同一人物と気が付いているフォロワーもいるかもしれない。
一応アカウント同士での交流は避けているが……まぁ気づかれたところで不都合があるわけでもなし。
色々な仮面を持っている方が好ましい私からすれば、どちらに転んでも構わないといった方が正しいだろう。

◇ramity888 おはよっす天狗さん。昨日のあれどうでしたかねぇ。
◆TENG_AWAY おいっす下僕。今日も朝から自家発電か? 昨日のは個人的にはDマイナー、落第だよ。
◇ramity888 発電させたきゃオカズになりそうな自分撮り画像でもよこしやがってください姫様。
◆TENG_AWAY ぜってぇやらねぇwww

「…あははは。今日もはじけてるねぇ。あはは」

起床一発目のネタがコレか。
全く、真偽云々よりも仮に本当だったらどうするんだというものが多い。
私の腹筋はまだそこまで鍛えられてはいないのだ。
日々、自分の意志とは無関係のところで修行中ではあるのだけれど。
新聞を超える情報の偏り、テレビを超える情報の速さ、ゴシップ雑誌を超えるデマネタの錬度。
清濁合わせて飲み干してこそ面白さが分かるというものだろう。
飲み干せない? なら目を逸らしたままでいればいい。
そんなものだとおもう。

◆TENG_AHEAD 色んな所がむくむく。
◆TENG_AWAY  改めて、おっは~。
◆TENG_AGAIN  よ~。今日も眠いよ。
◆TENG_ABLE  改めておはよう皆の衆。
◆TENG_ALICE ……………はぁ。

もはや定型文と化した挨拶を打ち込みながら、軽い朝食を準備する。
といっても、それほど凝ったものを作るわけじゃない。
買い置いてある惣菜パンを電子レンジに放り込み数十秒、そしてその間に瞬間湯沸かし器のスイッチを。

ハンガーに掛けていた制服に着替え、一応鏡でチェック。
……問題無し。

◆TENG_AHEAD フヒヒww今日のウチもビューテフォ~♪

とりあえず書き込み。
意味がある呟きなど、日にそう何度もするわけじゃない。
これは最高にすばらしい何の変哲も無いただの暇潰しの道具なのだ。

「………ぉ」

湯が沸いたらしい、レンジもいつの間にか止まっていた。
安物のインスタントコーヒーとパン。
ちなみにコーヒーはブラック……いや、コレは決して格好付けなわけではなくて。
コレを飲まないと完全に目が覚めないのだ。
試験の日などはその影響が顕著に現れる。
当社比40%ほど。(私調べ)

「……苦い」

何の捻りも無い感想、これも毎朝同じ。

◆TENG_AHEAD 苦い……。

この苦味を理解できるようになって初めて、コーヒーの味を理解できる、などと言っていたやつもいた。
しかし、今コーヒーに求めているのは味ではない。
苦味とカフェインによる覚醒効果のみだ。
味を語るやつは他所でやればいい。

大食堂でなら朝食も用意されている。
しかし、まだ時間も早いのに加えて、私は人ごみが嫌いだ。
おちおちツイートも出来やしない。
人ごみを観察するのは嫌いではないのだけれど。
なので毎朝私の朝食はコーヒーと軽食、たまにミルク。

◆TENG_AWAY カロリー補給完了~♪

始業時間は八時半、現在七時ジャスト。
まだまだ早い時間。
だがしかし、私にとっては毎朝決まった登校時間である。

人ごみに紛れての登校は苦手、と。
そういう事なのだろう。
自分でもよく分からない。
ただ、流れに飲み込まれるのは、少々精神衛生上よろしくない、と。

◆TENG_ALICE ……………はぁ。

教室の引き戸を開く。
特に匂いなんかは感じ―――ん?

「……?」

誰かが教室を出て行ったような気がした。
気がした……のだけど。

「誰も……」

いない。
コレは世間一般に言う、気のせい、というやつか。
私の立っている教室の後ろ側のドアとは逆、前方のドアの辺りに人影が見えたような気がしたのだけど。
それこそおかしい、ドアを開ける音も、閉める音もしなかった。
今ドアは閉まっているのだ。
それを全くの、少なくとも後ろには聞こえないレベルで開け閉めして。
しかも既に廊下にも姿を晒すこともなく居なくなっている。

◆TENG_AHEAD うはwww忍者ktkrwwwww

とりあえずくだらないのは百も千も万も承知でネタを投下していく。
これは言葉のサバイバルゲームなのだ。
尚回避は出来ない。かっこわらい。

◆TENG_AHEAD いやいやいやwwwwマジだってマジwwww

いや、ほぼ100%そうだ。

その他にも幾つかツイートのやり取りを交わし、自分の席へと付く。
無論、他に生徒は居ない。
居たことも無い。
誰よりも早く席に着く、それが日課。
日直でもないし、日直であったなら、課された仕事をこなし、また席に着く。
無論、その場合であっても、誰よりも早く。
なのに何故だろう、今日に限って、誰かに先を越されてしまったような気がするのは。

「変なの……」

僅かな違和感を抱えながらも端末を触る手は止まらない。

そうして、いつも通りにおかしな日は、誰にも気取られることなく校舎の中を走り出した。

開幕のチャイムまで、あと僅か――――

 

 

 

<以下執筆中>