死が二人を分かつまで

 フードを目深にかぶり、早足に歩く。
 両手をパーカーのポケットに突っ込み、出来る限りの早足で。
 目指すのはこの建物の出入口。
 しかし、正面の玄関だけは絶対に使ってはいけない。できることなら誰も意識していないような非常口が好ましい。
 暗くてかび臭い廊下の奥にそれらしい扉を見つけた。先程見たこの建物の見取り図とボクの勘によれば、間違いなくこの扉の先は外に通じているはずだ。
 ゆっくりと扉のドアノブに手を掛ける。
 あと少し、あと少しでボクは外に出ることができるんだ。
 今更だが、この一連の動作において一番重要なことはあくまで自然体であること。
 決して誰にも悟られてはいけない。
 特に――。

「何処に行く気なのかしら、“先生”?」
 特に、ボクが一刻も早くこの場から逃げようとしていることだけは。

 突然投げかけられた言葉に振り返ると、そこには見慣れた“助手”が立っていた。
 透き通るような銀髪の、日本人離れした美貌をもつ少女。
 そんな美少女がボクに矢のような視線を向けながら、カツカツとヒールを鳴らして近づいてくる。
 その目には呆れの表情がたっぷり篭っていた。
「い、いや、トイレを探していて……」
 苦し紛れに言い訳を零すと、ふんと鼻で笑われた。
「見え透いた嘘ね。あなた、一回見れば間取りを憶えるってさっきも言ってたわよ」
 いつも通り、ボクの言葉の矛盾点は簡単に論破されてしまう。こんな時ばかりは自分の才能が恨めしい。
 そのまま彼女はボクの傍らに立つと、ぐっとフードを掴み上げた。
「ちょ、ちょっと!」
「いいから戻るわよ、“先生”」
 そのままフードを引っ張られ、転びそうになりながら引きずられていく。
 足を縺れさせた所為で実際に靴が脱げた。それでも何とか爪先を使って引き寄せる。
「あら、意外と器用なのね」
「……絶対にわざとやってるでしょ」
 ボクが溜息を吐いたとて、彼女が歩みを止めることはない。
 それは昨日も、今日も、いつも同じ。
 彼女はボクを引っ張って、ボクは彼女に引きずられて。

「聞こえたの?」
「……うん、まあね」

 短いやり取りだったけど、ボク達にはそれで十分だった。
 ボクに聞こえたあの不快な足音は、いつも通り死神の足音で。
「ふふ、今度こそ逃さないわ」
 それを確認すると、彼女は不敵に微笑むのだった。
「死神が絶対に人を殺せるという幻想を抱いているなら、まずはその幻想をぶち壊す、と彼女は思っていた」
「……勝手に変なナレーションを付けないで」
 引っ張るのと逆の手でボクの鼻を弾く。ちょっとだけ涙が出たけど、ボクはいつの間にか笑っていた。

 人の死を見つめるのが苦手なボクには、やっぱり探偵なんて重い仕事は向いていない気がする。家の迷惑な伝統でやらされてはいるけれど、隙あらば現場から逃げたいとさえ思う。
 それでも“超高校級の探偵”と呼ばれてしまうこの才能と、ボクが“超高校級の助手”と呼ぶ彼女がいてくれるなら、もう少しだけ続けても良いような気がしてきた。

「ねえ、“助手”さんは何でボクのことを“先生”って呼ぶの?」
「あなたが私のことを“助手”って呼ぶからよ」
「えー、探偵と“先生”は何か違う気がするけど……」
「……全く、あなたには緊張感ってものがないの?」
「そんなことないよ? 色々考えてるんだ。何でボクがこんなことを――」
「それ以上言ったら、私の拳が黙ってないわ」
 そう言って、彼女はボクの瞳を真っ直ぐ見つめる。
 ――ああ、これも最早、いつも通りのやり取りで。
「霧切君、ここまで言えば分かるわね?」
「……はい」

 彼女の殺し文句に覚悟を決める。
 さて、今日の死神は一体どんな事件を運んでくるのだろうか――。


「これ、本当に学園長の手帳なの?」
 ボクが思わずそう問いかけると、霧切さんは興味なさそうな風を装って頷いた。
 どうしてそう思うかというと、一瞬だけ手が震えて持っていたコーヒーが少し零れたみたいだったから。既にぬるくなっているし、手袋をしているので火傷の心配はないだろう。
「あの人の書斎で見つけたものだから、間違いないと思うわ」
 霧切さんはあくまで自然に自分の手と食堂のテーブルを布巾で拭いた。あくまで学園長のことで動揺したなんて認めたくないらしい。
 霧切家の汚点よと吐き捨てたけど、その表情は何処か嬉しそうだった。
 彼女はお母さんが大好きで、ついでに意外と――。
「霧切さんって、意外とファザコンだよね?」
「……どうやらその濁った目を潰して欲しいみたいね?」
 恐ろしい言葉を無視するように、もう一度手元の手帳に視線を落とす。
 そこに書かれていたのは、学園長の日記に近かった。
 内容は学園長がいかに探偵という職業が嫌いで、霧切という家名を嫌っていたかが二割。
 そして関わった事件の話が三割。
 最後に“助手”こと霧切さんのお母さん、つまりは将来の奥さんの話が五割。
 結局、探偵の手帳に見えて、いかに奥さんのことが好きかということが大半を占めていた。まさかそれを将来、娘やその友人に読まれるなんて思っていなかっただろう。
 心の中で、自分は絶対に手帳を残さないことに決めた。きっとこれと同じ末路になってしまうだろうから。
 苦笑しながらページを捲ると、ぱさりと何かがテーブルに落ちた。
「あれ、これ……」
 それは古い写真だった。二人の人物が並んで写っている。
 どことなくボクに似てるような気もする少年と、霧切さんにそっくりな少女。歳の程はボク達と同じくらいだろうか。
 少年は何処にでもいるような顔で、フード付きのパーカーにジャケットというボクと似たようなファッションだった。
 少女は日本人離れした美貌に透き通るような銀髪を二つの三つ編みに纏め、白いブラウスに黒いネクタイとチョーカー、ミニスカートとオーバーニーソックスという強さと可憐さを感じさせるファッションで。
 この手帳に挟まっていたってことはきっと――。
「……学園長とお母さんよ」
 やっぱりそのままだった。
 学園長だという男の子は何処か平凡な印象で、隣りの日本人離れした美少女と並んでいるとそれが更に際立つ気が……。
 それ以上は考えないことにした。いや、意外とお似合いだと思います、本当に。
「一つだけ、分からないんだけど……」
「何かしら?」
「どうして、学園長はこんなに嫌いな探偵を続けていたんだろう?」
 ボクの素朴な疑問に、霧切さんは深く息を吐きながら写真の裏を見ろと言う。その様子は何となく嫌そうというか、恥ずかしそうだ。
 言われたとおり写真の裏を見てみると、表に写る二人の氏名と母印、そして先程までの手帳本文と同じ筆跡でこう書かれていた。

『誓約書』
『私は健やかなるときも病めるときも、“超高校級の助手”が側に居る限りは極力文句を言わず、探偵として真面目に取り組むことを誓います』
『私は健やかなるときも病めるときも、“超高校級の探偵”を公私共に出来る限りサポートすることを誓います』
『死が二人を分かつまで』

 高校生の二人が交わした約束は、まるで結婚の誓約のようだった。

「……何と言うか、熱々だね」
「この二人が、高校生の当時になんて呼ばれてたか知りたい?」
「なんて呼ばれてたの?」

 霧切さんは少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らしたけれど。

「“超高校級の夫婦”、よ」
 ボクには少しだけ、誇らしげに微笑んでいるように見えた。

【了】


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