「これプレゼント」
僕は彼女に小さな箱を渡した。
「…何?何かの記念日という記憶はないけど」
彼女は怪訝そうにしながら箱を開ける。
中にはペンダントが入っている。
彼女は指輪をしない。できない…と言った方が正しいのかもしれない。
だからあの日、2人で交換したのもペンダントだ。
僕たちの手におそろいの指輪はない。
代わりにその指輪を加工したおそろいのペンダントを首から下げている。
結婚指輪の代わりの…結婚ペンダントだ。
彼女と結婚したのは5年前になる。
高校の頃からよく協力を頼まれていた。
大学進学後も同様で、やがて恋仲になった。
その後、彼女は自分の事務所を開くことになった。
そして、一人では大変なので良ければ手伝ってほしいと誘われた。
正直進む道に困っていたのもあり僕は、ちょうどいいと思い了解して働き始めた。
そして間もなくめでたくゴールイン、というわけである。
よくある話である。
「…ありがたいけど…意味が分からないわ」
プレゼントの意味が分からないようだ。それはそうだろうなと僕は思った。
ここからが本題だ。
「結婚式あげない?」
僕は彼女に聞いた。
これがプロポーズなら僕はまともに言葉も発せないありさまだろう。実際あの時はそうだった。
でもこれにそんなドキドキなどはない。
僕たちはすでに夫婦であり、これは軽い提案だ。
「…え?何よ急に」
驚いたように聞き返された。当然の反応だろうか。
「…え?」
「だから…式はやらないわ」
「どうして?」
「挙げなければならない理由でもあるの?挙げてない夫婦はいくらでもいるわよ?」
「え…?いや…でも」
彼女は僕のプロポーズを笑って受け入れてくれたが、式は挙げないと言い張った。
「女の子って結婚式とか憧れるものでしょ?」
「…世間一般的であっても総意ではないわ。それに私は、挙げたくないと言ってる訳ではないわ」
「えぇ…?」
「挙げる必要が分からないと言っているの。今の状況で。
式は元より、その準備にもかなりの時間を費やさなければならない。
でも、依頼も結構来るようになって、仕事は当分立て込んでるわ。
これもちゃんとこなしていかないと。こういうのは最初の方こそ肝心よ。信用がすべてなんだから。
やっと持てた自分の事務所、自分の仕事、無駄にしたくないの」
言葉が返せない。
「そもそも事務所の立ち上げにたくさんの金を使ったわ。今は余分なお金なんてない。
私の貯蓄がそんなにあるわけではないし、あなただってそうでしょ?
結婚式のために普段の生活を潰すわけにはいかないでしょう?」
「それは…そう…だけど…」
「…もしかして…あなたが結婚式をやりたいだけなんじゃないの?」
「えっ?…それは…その…」
「…私のために挙げたいって言うなら、私は挙げなくていいって言ってるんだからそれでいいじゃない。
私はあなたと一緒にいられるなら他はどうだっていいんだから」
「響子さん…」
しれっと嬉しいことを言ってくれたが、それでも僕の心はそんなに晴れなかった。
僕たちは事務所の開設からさほど経たずして結婚した。
2人でやっていく事務所だし、身を固めた方が楽かもしれないという判断だった。
その点では適切なタイミングだったと言えるかもしれない。
しかし、結婚というもののイベント的側面からみれば、非常によろしくないタイミングであった。
結局僕たちは結婚式を挙げず、友人や親族に結婚の旨を報告するに留まった。
「なんでまた急に」
唐突に結婚式を挙げようと言われた。
確かに都合で式は挙げなかった。
私も挙げたくなかったというわけではない。
とはいえそんなものに現を抜かし、ようやく掴めたものを放すわけにはいかなかった。
「まぁ今言ったってことに特に意味はないんだけど。結局挙げなかったからさ、結婚式。
でもすぐできるものでもないし、言うなら早い方がいいかなって。
結婚記念日に式挙げられたら、なんかこう素敵じゃない?」
それは確かにいいかも、と心の中で思う。
彼は意外とロマンチストである。
「それでなんでこのタイミング?」
「それも特には。もう結構儲けもあるし、休み取れる余裕だってあるし。
やれる準備が整えられるなら何年目だろうと同じだよ」
確かに事務所に仕事は安定して入ってきて、金銭的余裕は出てきていた。
顧客からの信頼も十二分に得られており、少しくらい休んでも大丈夫だ。
かつて挙式を妨げた要因は解消されている。
とはいえ、私は結婚式のことなど忘れていた。
でも彼は、ずっと待っていたかのように提案してきた。
やっぱりそうなんじゃない。ふと思ったことを口に出してみた。
「あの時あなたの答えは無かったけれど、結局あなたが式を挙げたいだけなのね」
「覚えてたの!?まぁ…もう認めるよ」
思ったほどうろたえもせず彼はすんなり認めた。顔を赤くしている。
彼はその赤い顔のまま聞き返してきた。
「じゃあ…響子さんはどうなのさ?」
「嫌…ではないわよ。私だって一応挙げたい気持ちはあったから…。ありがとう」
嫌なはずはないので素直に答える。
でもなぜか恥ずかしさがあり、私も顔が赤くなった気がして顔をそらした。
彼はクスクスと笑っていた。
「ところで…だとして、このペンダントは?」
心を穏やかにした後、聞いてみた。
よくよく考えれば結婚式を挙げるからと言って、このペンダントは何なんだろう。
ペンダントが指輪をつけられない私への、指輪代わりのプレゼントだということは分かっている。
プロポーズのときにもペンダントをもらい、結婚したときも結婚指輪を加工したペンダントを交換した。
だとして、この通り指輪を伴うイベントはすべて体験している。
「何かこう、婚約指輪とかさ、何かそういう気分の…再現?…みたいな」
分かるようでよく分からない説明。でも感覚的に彼が言いたいことが分かった気がした。
初心、そんなような感じのことだろう。
「何となく分かったわ。ありがとう、誠」
11月22日 結婚式当日
ついに結婚式の日が来た。
5年前のこの日、入籍した。
"いい夫婦の日"だし縁起がいいよ、と彼がこの日に決めたのだ。
今日の式には、懐かしい昔のクラスメイトたちも呼んでいる。
新婚と言うわけではないのに、嬉しいことに勢ぞろいしてくれたようだ。
顔を合わせるのは久しぶりだ。5年前報告した時も、直接会ったのは数人だ。
思い出話とともにからかわれるのだろうなと、心の中で覚悟をしておいた。
多くの女性の憧れの的。
私は憧れたことがあっただろうか…と思い返してみても思い当たる記憶が無い。
そんな純白のウェディングドレスに、私は身を包んでいる。
「きれいだよ」
彼が後ろに立っていた。
「でもやっぱ、もっとフレッシュな気分の時に見たかったな」
わざとだろうか?無意識だろうか?いきなり気持ちの良くないことを言ってきた。
「…どういうこと?」
「新婚のときだったら、もっと素敵なものに見えていたと思うんだ」
ピキッ、と頭の中で音がした気がする。
「今の私は素敵ではないということなのね?」
「えっ…?いやいやいや違うよっ!ごめん語弊があった、撤回するから!!」
彼が凄い勢いで動揺して慌てている。悪気はなかったようだ。
彼が慌てているのは面白い。責める気はなくなった。
でも、悪気はないとはいえ気持ちよくないことを言ってくれたお礼に、思っていることいないこと色々言ってみる。
「いいえ、無理に言い訳しなくてもいいわよ。
今さら見ても感慨もなにも無いということでしょう?
私も歳をとったものね。おばさんのウェディングドレスには何も感じることが無いと」
「おばさんだなんて…。響子さんまだ20代じゃない!!」
「どうせすぐ三十路よ」
「…えと…。何歳だろうと響子さんは素敵だよ!!」
急に嬉しいことを言ってくれるので、言葉が止まってしまう。
「それに…それじゃあ僕はおじさんなの?」
私と同い年なのだから、私がおばさんなら彼はおじさんということになる。
聞いてきたということは、それが不服だということだ。
彼は自分がお兄さんであるという自負を持っているらしい。これからいじりのネタに使えそうだ。
「……」
「何か言ってよ!!」
「そろそろですよー」
あえて何も言わない私に彼がブーブー言い始めたところで、プランナーの人の声がかかる。
いよいよだ。
準備をし始めたころから思っていた。
この結婚式、新婚生活を始めようとしているカップルと比べれば、その心境はまるで違うものだろう、と。
私たちには、結婚式の後に新しい生活が待ち受けているわけではないからだ。
よくよく考えれば、結婚当初も結婚生活に思いを馳せるようなことはなかった。
プロポーズや入籍はもちろん嬉しくはあった。
しかし、事務所を始めたばかりで色々慌ただしく過ごし、実感する間もなかった。
そして、気付けばその生活に慣れ、当たり前のもになっていた。
私は女として人生最大の喜びを実感することなく流してきてしまっていたのだ。
しかもこの結婚式も形だけ、と言えばそうである。
当時やっていたとした場合と比べたら得られる感動は月とすっぽんだろう。
しかしこの結婚式は、私の心に確かに刻み込まれるはずだ。
どうあれ、今感じているもの、そして式中感じるであろうものは、確かに喜びに違いない。
この先何かが変わることはないだろう。今まで通りの生活が続くだけ。
それでも今は、この時だけの幸せに浸りきってやろうと決めた。
彼女の顔を見るといつも通りの顔だった。
いや、いつもよりは柔らかい顔をしているように感じる。
僕の言葉のチョイスミスで、最後にちょっと言い合ってしまったけど、気にしてはいないようだ。
本気ではなかったのかもしれない。
正直あの時やれていたらなぁ、とは今でも思う。
あの段階で行うことには絶対にかなわないと思うから。
新しいことずくめでウキウキしている中で迎える結婚式は最高のものだと思う。
僕はやってないから想像でしかないけれど…。
それでも、それを悔いても仕方はない。
彼女も喜んでくれている。やらないよりははるかにいいのだ。
この先何かが変わることはないと思う。今まで通りの生活が続くだけで。
でもだから今だけは、今の最高の幸せを感じ、今の最高の幸せを感じさせてあげたい。
そう思った。
「響子さん」
「ええ、誠」
僕の呼びかけに軽い返事をして、僕が伸ばした手に彼女は手を重ねた。
「じゃあ、行こうか」
僕は彼女の手を引いた。
最終更新:2011年12月26日 00:01