人形は夜、歩く

朝食にはまだ少し早い時間。ボクは自室で暇を持て余していた。
何気なく上着のポケットに手を入れると数枚のメダルが手に触れる。また購買部に行って遊んでこようか……。
ベッドから起き上がると、ちょうどいいタイミングでインターフォンが鳴った。

『苗木君、ちょっとよろしいですか?』
聞きなれた声が聞こえる。セレスさんが訪ねてきたようだ。ボクは慌ててドアを開けた。
廊下に立っていた小柄な少女は、両手を後ろに組み、口を噤んだままじっとボクを見つめる。
「おはよう、セレスさん。……こんな時間にボクの部屋に来るなんて珍しいね。何か用?」
「実は、折り入って相談したい事があるのです。中へ入れて頂けますか」
何か深刻な問題を抱えているのかセレスさんの表情は物憂げだ。是非も無く、ボクは彼女を部屋へ通した。
セレスさんはボクに勧められるまま、椅子にちょこんと腰掛ける。
どうやら後ろには握り手のついた紙袋を持っていたらしい。それは綺麗に揃えた足の前にそっと置かれた。
「……突然すみません。少し悩んだのですが、やはり相談する相手はあなたしかいないと思いましたの」
話を始めたものの、彼女の口調はいつもと違って妙に歯切れ悪い。
やはり重大な悩みがあるのだろうか。ボクは姿勢を正して彼女が言葉を継ぐのを待った。
「相談と言うのは他でもありません。……この子の事なのです」
ボクの目を見ながら言い放ったセレスさん。その両手は慈しむような仕草で自分のお腹に当てられていた。

…………!!?? ま、まさか!?

「……あ、間違えました。この子ですわ」
固まってしまったボクの目の前に、先程床に置かれた紙袋が突き出される。数秒遅れて、ボクは心の中で思い切り叫んだ。

……いや、だからどんな間違いだよ!!

ため息をついてから紙袋を受け取って中を確かめると、そこには一体の人形が入っていた。
お洒落な黒い服を着て、揃いの帽子を被った身長30cmくらいの女の子のビスクドール。
ボクはこの人形に見覚えがあった。これは、昨日の夜にボクがセレスさんにプレゼントした物じゃないか。
「これ、昨日ボクがあげたアンティークドールだよね。これがどうかしたの?」
あげた時はかなり嬉しそうだった。ボクも彼女の反応がとても嬉しかったのだが、気に入らない所でもあったのだろうか。
ボクが問い質すと、セレスさんは少し俯いてから意を決したように口を開いた。
「あの……お願いですから、笑わないで聞いて下さいね。わたくし、この子……この人形が怖いのです」
……怖い? 可笑しいと思うよりも呆気に取られた。どう見てもただの可愛い人形なのに。
「怖いって……どこが?」
「昨日、この人形をあなたに頂いた後、わたくしは部屋に戻る前に水を飲みに食堂に寄りましたの。
それから部屋に戻ってすぐシャワーを浴びたのですが、その時、気づいたのです。
食堂に頂いたばかりの人形を置き忘れてしまった事に」
そこまで言って彼女は言葉を切り、ちらりとボクの手の中にある紙袋──人形に視線を送る。

「すぐに取り戻ろうかとも思ったのですが、シャワーを浴びたのにまた外出するのは嫌でした。
それで、明日の朝食の時に回収しようと決めてベッドに入りました」
ボクは自分の記憶を辿って首を傾げた。今朝、食堂に人形なんか置いてあったっけ?
「そして先程……早めに食堂に向かおうと何気なくドアを開けたら、すぐ横にこの人形が置いてあったのです。
どうしてそこにあるのか、不審に思いながら手に取ったら……わたくし、悲鳴を上げてしまいそうになりましたわ。
この子の靴の裏が、汚れていたのです。まるで夜の間に自分の足で歩いてきたかのように……」
言い終わって、セレスさんはボクの返事を待つように唇を結んだ。

……まさか、こう言いたいのか? この人形は、よく怪談話に出て来る「歩く人形」だって。
一瞬、いつもの冗談かとも思ったが、彼女の表情は真剣そのものだ。ボクはごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「え、えっと。……誰かが気を利かせて届けてくれたんじゃない?」
「それでは靴の裏が汚れていることの説明がつきませんわ。
昨夜食堂に寄った時に誰かと話したりはしませんでしたから、他の方には人形が誰の物かわからないはずですし。
……しかも、それだけではありませんの」
セレスさんはボクから紙袋を受け取って、両手で抱き上げるようにして中の人形を取り出した。
「人形の頭を見てください。少し横を向いているでしょう。昨日、あなたに頂いた時は間違いなく正面を向いていましたわ。
ドアの横に立って顔を動かし、わたくしがドアを開けるのを待っていたようなのです」
確かに、ボクもセレスさんにあげる前の人形の顔が正面を向いていたのを覚えている。
こんな事が、現実に……ボクやセレスさんの身に降りかかるなんて……。ボクは軽い眩暈に襲われた。
「わたくし……どうすればいいのか、わかりませんわ。こういった人形は迂闊に処分する事も出来ません。
折角、あなたに頂いた物ですのに……こんな事になるなんて……」
セレスさんの白い顔が、いつも以上に青ざめて見える。小さな肩は微かに震えてさえいるようだ。
ちょっと前向きなだけで何の取り得もないボクをナイトと呼び、信頼してくれている彼女。
いつも穏やかな微笑をボクに向けてくれる彼女が、怯えている。
……一緒に怖がっている場合じゃない。ボクが何とかしないと! そもそも、ボクのあげた人形のことじゃないか!
「……人形が勝手に動くなんてあり得ないよ。ボクに任せて、セレスさん。
きっと何かのトリックがあるんだ。絶対にこの謎を解いて、きみに安心してもらうから」
ボクは立ち上がり、勇気付けるようにセレスさんの両肩に手を置いた。

さて、セレスさんの手前ああ言ったものの……正直、どうすればいいのかわからない。
やっぱり、お寺や神社に持っていくべきなんだろうか。閉鎖された学園にそんなものがあるわけないけど……。
……とりあえず、人形を調べてみようか。何か機械的な仕掛けがないとも限らない。
まずは人形を両手で抱えて持ち上げ、重さを確かめてみる。……が、それは見た目相応というところだ。
中に機械が入っているのならもっと重いはずだろう。今度は服を脱がして不審な所がないか、調べてみよう。
この人形の着ている服はかなり精巧に出来ていて、実際に着せてあるようだ。
ボクは「彼女」のスカートに手をかけ、少し震える指でゆっくりと……ハァハァ
「……苗木君。手つきがいやらしいですわ。息も荒いです」
ふいにセレスさんの冷静な声が聞こえ、ボクは慌てて手を離した。そ、そんなつもりじゃなかったんだけどな……。
「それはわたくしがやりますわ。男子のあなたは、お人形遊びをしたこともないでしょうし」
素直にセレスさんに任せることにした。彼女は慣れた手つきでするすると人形の服を脱がしていく。
子供の頃は、よく人形で遊んでいたのかもしれない。あっという間につるりとした人形の体が露になった。
……正面にも背中にも不自然な継ぎ目は見当たらない。特別な仕掛けはついていないと断言してもいいだろう。
ついでに人形の関節部分も調べてみる。手足のパーツが胴体部分に開いた穴に差し込んであるだけだ。
こういう観賞用の人形は、元々細かく関節を動かせるようになっていないのだろう。
……問題の首は…………やけに固い。頭のパーツだけがしっかりと押し込んであり、少し力を入れないと動かせない。
今朝、ドアを開けたセレスさんの方へ向けられていたという頭。
それがこんなに固いというのは……人形が独りでに動いたとしても……不自然な気がした。
もっとも、振動などで偶然に頭が動いた可能性も否定されたわけだが。
「……変な仕掛けとかは、ついてないみたいだね」
「そうでしょうね。正真正銘、ごく普通のアンティークドールですわ」
こうなると、セレスさんが遭遇した事態は人の手によるものとしか思えない。
「誰かの、たちの悪いイタズラって事はないかな……?」
今更ながら思いついたボクの言葉に、再び人形に服を着せ始めたセレスさんが首を横に振る。
「先程も言いましたが、人形がわたくしの物だと知っていた方はいないはずですわ。
イタズラだとして、誰の物とも知れない人形を適当に仕掛けたりするでしょうか?」

確かに。「歩く人形」の怪奇現象を演出するなら、人形を置き忘れた持ち主相手でなければ効果が薄い。
人形のデザインからセレスさんに当たりをつける事は出来たかもしれないが、不確実すぎて犯人が面白がるとは思えない。
「靴も見て下さい。この靴の裏が汚れているのです」
セレスさんに言われ、ボクは人形の足の裏を覗き込んだ。
人形は帽子や服と同じく、黒い布製の靴を履かされているのだが……靴の裏にはびっしりと茶色い粉がついていた。
明らかにただの埃とは違う。指で押すと柔らかく、砂でもない。これは……木屑? こんな物がつく場所と言えば……。

元通りに服を着せた人形を持ってボクたちは部屋を出た。向かった先は美術室だ。
「こんな所が人形と関係ありますの? 食堂ともわたくしの部屋ともかけ離れていますわ」
「それが関係ありそうなんだ。どういう関係かは、まだわからないんだけど」
ボクはそう答えながら、美術室にずらりと並んだ机の上を調べ始めた。……そして、見つけた。
机の一つ。その上いっぱいに散った木の粉。指に付けて目を近づけると、人形の靴の裏についていた物と同じに見える。
「まあ。もしかしてこれが……」
「うん。きっと、これが人形の靴の裏に付いていたんだ。彫刻の仕上げで出た木の削りカスだね」
いつ誰が作業をした形跡なのかは知る由もないが、こんな木屑が出る場所は他に思い当たらない。
人形は誰かの手で食堂から持ち出された後、一度ここに運ばれたのだ。
「とにかく、人形の靴は自分で歩いたから汚れたんじゃない。ここに置かれたから汚れたんだよ」
「そのようですわね……。でも、一体誰が何の為に?
一旦、ここに置いてからわたくしの部屋に持ってくるというのも、訳のわからない行動ですわ」
セレスさんは首を傾げる。それは、まだ──ボクが答えようとしたその時。少し間の抜けたような声が美術室に響いた。
「おやあ~、これは苗木誠殿にセレス殿! 珍しい場所でお会いしますな!」
ボク達が振り返るとそこには巨体の仲間……“超高校級の同人作家”山田クンが立っていた。
彼は脇に抱えるようにしてスケッチブックを持ち、度の強そうな眼鏡の奥で瞬きを繰り返している。
「山田クン! どうしてここに?」
「よくぞ聞いてくれましたな! ……実は拙者、最近この美術室で密かに修行を積んでおるのです!」
その声は大きく、鼻息は荒い。山田クンの体格も相まって全然「密かに」という感じはしないが……。
ボクの目はそれより彼の持っているスケッチブックに吸い寄せられる。……もしかして。
「ひょっとして、ここでスケッチを?」
「ご名答! この山田一二三、“超高校級の同人作家”と呼ばれ、かの業界では神のごとく崇め奉られておりますが、
いかなる時も努力を惜しんでおりません! 『進化する天才、山田一二三に敵はない……!』 」
山田クンは目を輝かせながら、相手に指を突きつける決めポーズ(?)を取ってニヤリと笑った。
……そしてすぐに、「まあ、ぶっちゃけ暇で仕方ないからなんですがね」と肩を落とす。
最近、山田クンがこの美術室で絵の練習をしていた。と、いう事は……。
「山田クン、この人形に見覚えがあるんじゃない?」
ボクが机に置いた紙袋から人形を取り出して示すと、彼は大きく頷いた。
「はいはい、見覚えは大アリですぞ。それは昨夜、デッサン人形代わりにしようと、食堂にあったのを拝借した人形ですな。
造形はまあまあでしたが、ほとんどポーズを取れないようですのであまり参考になりませんでしたな」
やっぱり、人形を美術室に運んで靴の裏を汚したのは山田クンだ。ボクはセレスさんと視線を交わす。
「セレスさん。昨日食堂に寄った時、山田クンとは?」
「会ってませんわ。わたくしが部屋に戻った後で食堂に来たのでしょう。
……それはいいとして、他人の人形を勝手に持ち出すなんて……ゲスですわね」
セレスさんの吐き捨てるような口調に山田クンはすくみ上がった。
「げ……ゲス!? ひょっとして、この人形はセレス殿の物だったのですかな?
す、すみません。……拙者としても勝手に持ち出したりはしたくなかったのですが、
食堂におられた方々がどなたも『自分の私物ではない』とおっしゃったので、つい。
で、ですが夜時間前には元通りに置いておきましたので、そのぅ、ゲスというのは……」
まくし立てるような弁明の中に、いくつも重要な証言が含まれている。ボクは慌てて問い質した。

「ちょ、ちょっと待って山田クン。人形がセレスさんの物とは知らなかったんだね?
それに『元通りに』って、食堂に戻したってこと?」
「は、はい。それはもう。デッサン練習の後、ちゃんと食堂に寄って人形を置いて帰りました。
食堂にはまだ他の方もおられたので、嘘ではないと証明できますぞ」
ボクはセレスさんと顔を見合わせる。人形をセレスさんの部屋の前に置いたのは山田クンじゃない……。
「……ところで、デッサンに使った時に人形のポーズを変えたりした? 首の辺りとか」
「首……? いいえ! 可動式には見えませんでしたし、借り物の人形をむやみにいじったりはしませんぞ。
もし自分のフィギアが他人にべたべた触られたりしたら、怒りのあまりスーパーひふみんに覚醒してしまいますからなッ!」
実際に想像したのか突然怒り出した山田クンだが、すぐにセレスさんに睨まれて意気消沈した。
一応、持っていたスケッチブックを見せてもらうと、描かれている人形の首は確かに正面を向いている。
彼は嘘をついてなさそうだ。彼の仕業だったのは人形の靴の裏を汚した事だけ……。
気を取り直して、真相に近づく為にさらに証言を集める事にする。
「昨日、山田クンが人形を持ち出した時、他に食堂にいたのは誰だったの?」
「ま、まだお疑いで……? ええと、すぐに食堂を出ましたのでよく覚えていませんが、
大神さくら殿は間違いなくおられましたぞ。他にも何人かおられたように思いますが、彼女に聞けばわかるはずです」
大神さん。もしかすると、彼女がセレスさんの部屋に人形を運んだ犯人なのだろうか。
いまひとつイメージに合わない気もするが、話を聞く必要があるのは間違いない。
ボクとセレスさんは事態をよく飲み込めていないであろう山田クンを残して、足早に美術室を出た。
その前にセレスさんが無言でヒールの踵を山田クンの足にお見舞いし、悲鳴が聞こえたが……ボクは気づかないフリをした。

朝食前のこの時間に大神さんがいる場所と言えば、思いつくのはトレーニングルームか食堂だ。
トレーニングルームをセレスさんに覗いてもらい、大神さんの不在を確かめたボクたちはすぐに食堂に向かった。
部屋の中に入ると、目的の大神さんが親友の朝日奈さんと談笑しているのが目に入った。
二人で早朝のトレーニングを終えて朝食会が始まるのを待っていたのだろう。
セレスさんがおもむろに人形を紙袋から取り出しながら二人に声をかける。
と、その瞬間。人形を見た大神さんの表情が、はっとしたように変わった。
「セレスよ、その人形はもしや……」
「はい。あなたに、わたくしの人形の事でお聞きしたいことがありますの」
セレスさんが答えるや否や、大神さんがいきなり大きな体を二つに折って頭を下げた。
「すまなかった……!」
突然の事に、ボクたちや朝日奈さんもしばらく言葉を失う。……この反応。人形を“歩かせた”のは大神さんだったのか?
「……とりあえず頭を上げて下さい、大神さん。あなたが、犯人だったのですか?」
セレスさんがあくまでも冷静な声で問い質すと、大神さんは顔を上げ、代わりに申し訳なさそうに目を伏せて答えた。
「うむ。すまぬ、悪気はなかったのだ。しかし、良かれと思ってした事が返って裏目に出てしまった。
すぐに謝ろうと思ったのだが……いや、言い訳はするまい。人形は弁償させてもらう。……本当に、すまなかった」
そう言いながら、大神さんは再び大きく頭を下げる。……弁償? 何だか微妙に話がかみ合わないぞ。
弁償というのはどういう意味なのか。ボクが聞き返すと、彼女は怪訝な顔をした。
「……人形の首だ。その事で、犯人を探していたのではないのか?」
「首……確かにそれはそうなのですが、それだけではありませんの。
ともかく、昨夜、何が起こったのか聞かせて頂けませんか?」
まだ少し不思議そうな顔をしながらも大神さんはセレスさんに頷きを返し、答える。
「昨日の、夜時間の少し前の事だ。我は朝日奈と食堂で茶を飲みながら話をしていたのだ。
そこに山田がやってきて、机の上に乗っている人形は誰の物かと、食堂にいた全員に聞いた」
「……実は、山田君にはさっき会ってきましたの。皆さん、『自分の物ではない』と答えたのですね?」
「そうだ。すると山田は『少し借りる』ような事を言って、人形を持って食堂を出て行った」
ここまでは山田クンの証言と同じだ。ボクは口を噤んで、さらに大神さんの話に耳を傾ける。

「それから、30分ほど経った頃に山田が戻ってきて人形を置いて帰った。
……しかし、人形を置いた場所が元の机の上ではなく、我の座っていた席の隣の椅子の上だったのだ。
不覚にも我は話に夢中でそれに気づかず、席を立った拍子に椅子を動かして人形を床に落としてしまった……!」
ここで大神さんは言葉を切り、拳を固く握って本当に悔しそうに唸り声をあげた。
彼女が無闇に暴力を振るうような人ではないのは知っているが、ちょっと怖い……。ボクは彼女をなだめつつ、先を促す。
「ぬぅ、すまぬ。……我はすぐに人形を拾い上げたのだが、落ちた衝撃で人形の頭が外れてしまった事に気がついた。
そこで慌てて人形を直そうとしたのだが……力の加減がわからず、つい無理に首を押し込んでしまった。
その結果が今の人形の有様だ。首が横を向いたまま動かせなくなり、これ以上下手に触るとさらに壊してしまうやもしれぬ。
夜時間も迫っていたゆえ、我は修繕を諦め、今朝の朝食の席で持ち主を探して謝る事にした……」
「えっと……それでその後、人形は?」
「自室に戻る前、今度は落とさぬようにと机の上に立たせておいた。
今朝早く、朝日奈とここに来た時には無くなっていたゆえ、もしやと思ったが、セレスがすでに回収していたのだな。
……本当に、すまなかった。我の出来うる限りの償いはさせてもらうゆえ、どうか許してくれ」
証言を終えた大神さんは大きく息を吐いて、再び大きく頭を下げた。
「そんな……いいのです、首の事は。それより、もっと気になる事が出来ましたから。
……苗木君、これは一体どういう事でしょう?」
大神さんに顔を上げさせたセレスさんが、ボクの方に向き直って言った。
こうなると犯人は山田クンと大神さんの他に、人形をセレスさんの部屋の前に運んだもう一人がいるという事だろう。
でも、その人物はどうして人形をセレスさんの部屋の前に運んだんだ?
山田クンも大神さんも、人形の持ち主を知らなかったのに。一体誰が、どうやって……?
「大神さん。人形を置いて帰ったのは夜時間の直前だったんだよね。その時、食堂には誰がいたの?」
夜時間には食堂は閉鎖される。早朝の時点で人形が食堂に無かったのなら、夜時間前に持ち出されたはずだ。
大神さんより後に食堂を出た人物がいたなら、その人には人形を持ち出す機会があった事になる。
人形の持ち主を知った方法が謎だけど……まずはそこから犯人を絞り込んでみよう。
「我が食堂を出た時か。夜時間の直前だったゆえ、残っていた他の者も一斉に食堂を出たな。
朝日奈と話しながら食堂を出たのはよく覚えているのだが……うーむ……」
大神さんは苦心しながら記憶を辿るように瞑目した。話に出た朝日奈さんが口を挟む。
「昨日の夜の食堂は人の出入りが多かったからねー。えーっと、とりあえずセレスちゃんは一回来たでしょ。
あと山田。そういえば『この人形は誰の物ですかな?』なんて聞いてたね。あれより後の話だよね」
「そうか。あの時、我もつられて食堂を見渡したな。他にいたのは十神、腐川……ならぬジェノサイダー翔。
後は霧切。それに不二咲か」
「そう、そうだよ! 結局、あのメンバーと一緒に最後まで食堂に残ってたよ!」
事態を把握しているわけではないだろうが、朝日奈さんは真相がわかった、と言わんばかりに嬉しそうだ。
確かに犯人はその中にいるんだろうけど……ここから絞り込むにはもう一手必要だ。
「では十神君、腐川さん、霧切さん、不二咲さんの全員に人形の事を聞いて回りますか?」
セレスさんが提案する。確かに、全員に聞けば犯人がわかるかもしれないけど──
「いや、それはちょっと効率が悪いかな。犯人がイタズラ目的だったら嘘をつくかもしれないし。それより……」
ボクは大神さんの方に向き直って尋ねた。
「一斉に食堂を出た、って言っても皆で横一列になって出た訳じゃないよね。
本当に一番最後に食堂を出たのは誰かわからないかな?」
最後に食堂を出た人なら、誰かが人形を持ち出す所を見ているはずだ。
もしその人が犯人でも、「知らない」と嘘をつけばすぐにわかる。……つまり証言を聞くのは最後の一人で十分だ。
「うむ、思い出してみよう。確か、我らの前を歩いていたのは……そうだ、十神とジェノサイダー翔だった」

「そうそう! ジェノサイダーがいつもみたいに両手でハサミを振り回しながら十神を追いかけてたんだよね。
十神はこーんないっぱい本を抱えて図書室から逃げてきたみたいなんだけど、ついて来られて、諦めてずっと無視してたね。
食堂を出る時も、何でもないみたいに本を抱えてさ。でも、顔が引きつってておかしかったな~!」
朝日奈さんは身振り手振りを加えながら、本当におかしそうに証言した。
高圧的で冷たい言動が目立つ十神クンとよく衝突しているだけに、彼の情けない姿が痛快だったのかもしれない。
「という事は、最後に食堂を出たのは霧切さんか不二咲さんでしょうか?」
「……いや、霧切だな。不二咲は食堂にあの機械……ノートパソコンだったか。
あれを持ち込んで熱心に作業をしていたようなのだが、我らや十神達が席を立つのを見て慌てて走ってきた。
そのまま我らに追いついたゆえ、奴が我らのすぐ後に食堂を出たはずだ」
これで、話を聞くべき相手は決まった。霧切さん……“超高校級の探偵”である彼女が犯人を知っているに違いない。
あるいは、彼女が犯人なのか……でも、どうやって人形の持ち主を知ったんだろう……?

ボクたちは食堂を離れて、霧切さんの部屋の前にやってきた。
ボクが早速インターフォンを押そうとするのを、セレスさんが袖を引いて止める。
「あの……霧切さんとはあなたが話して下さいね。わたくし、あの方は少し苦手ですの」
何もかも真実を見抜いてしまうような霧切さんの視線で射られると、ボクでも怯んでしまう事がある。
不安げに少し俯くセレスさんに、ボクは黙って頷きを返した。そして改めてインターフォンに手を伸ばそうとしたその時。
「私に、何か用?」
予想外の方向から突然声をかけられ、ボクは驚きのあまりビクリと肩を震わせてしまった。
慌ててセレスさんと一緒に声のした方向に振り返る。そこには、ボクたちが訪ねた部屋の主──霧切さんが立っていた。
彼女はこちらを警戒するように軽く両腕を組み、鋭く知性的な目で真っ直ぐにこちらの方を見据えている。
不意を突かれた事もあってボクは思わず息を飲み、しばらく言葉に詰まってしまう。

「ほら、苗木君……! しっかりなさい……!」
囁くような声でボクをけしかけるセレスさんは、ちゃっかり半歩引いてボクの後ろに隠れるような格好だ。
……やるしかない。なるべく動揺を悟られないように軽く咳払いをしてから、霧切さんに話しかける。
「やあ、霧切さん。えっと……ちょっと聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「聞きたい事、……ね。わざわざセレスさんと一緒に私の部屋に来るなんて、どんな重大な話かしら?」
静かな口調ながら些細な嘘や言い間違いも許さないような威圧感。別にやましい事がないのに妙に緊張してしまう。
……これじゃ、どちらが“容疑者”かわからないじゃないか!
「聞きたい事って言うのは、この人形の事なんだ」
ボクはそう言いながら件の人形を両手で紙袋から取り出した。とにかく話をして緊張をほぐそう。
「ああ、その人形は……」
人形を見ると霧切さんの口元に僅かな笑みがこぼれ、威圧感が少し和らぐ。
こうなるとこちらも話しやすい。ボクは事件と、これまでの捜査の流れを出来るだけ詳しく霧切さんに説明した。
「……なるほど。さしずめ『歩く人形事件』というところかしら。面白いわ」
興味深そうに話を聞いていた霧切さんは何故か嬉しそうに頷いた。一方、セレスさんは「ちっとも面白くありませんわ」と不満げに呟く。
「結論から言ってしまいましょうか。セレスさんの部屋に忘れ物の人形を届けた“犯人”は私よ。
インターフォンを鳴らして直接渡そうと思ったのだけれど、彼女はそれに出なかった。
ちょうどシャワーを浴びていて気がつかなかったのね」
あっさりと言ってのける霧切さん。……ほっとしたけど、色々手順を踏んだだけにちょっと拍子抜けだ。
「でも苗木君。あなたの理屈には穴があるわ。もし私がここで犯人は不二咲さんだと嘘をついたら、
どうするつもりだったのかしら?」
「……あ」
それは想定していなかった。その場合は霧切さんと不二咲さんの二人を尋問して真相を突き止めるしかなかったのだろうか。
いや、二人が頑なに否定していたら事件は迷宮入りしていたかも……?

ボクが返答に窮していると、セレスさんがはっきりとした口調で言った。
「それでも苗木君なら、きっと犯人を突き止めてくれましたわ」
彼女は身を乗り出し、半ば睨みつけるような鋭い視線を霧切さんに投げかける。
嬉しく思う反面、ピリピリした空気に身がすくむ。当の霧切さんは……「ちょっと意地悪だったわね」と軽く笑い、矛を収めた。
気を取り直して、残る謎の答えを尋ねてみる。
「それにしても、どうして人形の持ち主がセレスさんだってわかったの?
“超高校級の探偵”の霧切さんに限って勘……とかじゃないよね?」
「簡単な消去法よ。ただ、あなたが私と同じ推理をするにはデータが不足しているわね」
そう言って霧切さんは右手の指を順に立て、こちらに示して見せた。
「補足情報。私は大神さんと朝日奈さんが食堂に来たところを見ていた。そしてヒント……その人形を貸して」
答えは当ててみて、という事か。言われるままに抱きかかえていた人形を霧切さんの方に差し出すと、
彼女は人形の両脇に手を入れてそれを受け取る。そしてそのままボクの目の高さに上げて見せた。
目の前には赤ちゃんみたいに抱き上げられたアンティークドール。…………ヒントってこれだけ?
まず、補足情報というのは大神さん達が食堂に人形を持って来なかったところを見た──
つまり大神さん達を人形の持ち主から除外できるという意味だろう。それを踏まえて、今の人形を見て……消去法で……?
人形……今更これを見て何がわかるって言うんだろう。あちこち持ち歩いてここまで来たのに……。
「苗木君……」
セレスさんの声が聞こえる。振り返ってみると、彼女は不安そうにこちらを見つめていた。
どうやらボクは無意識のうちに頭を抱えていたらしい。
さっきセレスさんがボクを庇ってくれた時の言葉を思い出す。……『それでも苗木君なら』……。
セレスさんの信頼に応える為に、ボクは弱気の虫を追い払い、必死で頭を回転させる。
……一旦、目の前の人形の事は置いておこう。このまま考えても答えは出てきそうにない。
霧切さんは消去法と言っていたから、容疑者(この場合は人形の持ち主だ)を除外する事から始めてみる。
まず、人形の持ち主を皆に尋ねた山田クン。それに人形を持ち込まなかった事が確定している大神さん、朝日奈さんは除外。
当然、霧切さん本人も除外して、食堂に来た容疑者の中で残るはセレスさん、十神クン、腐川さん、不二咲さん。
セレスさんが人形の本来の持ち主なんだから、彼女と他の三人とは決定的な違いがあるはずだ。
ゴスロリ趣味……じゃない。人形を持ち込んだセレスさんと持ち込まなかった三人の違い……。
……そうか、そのままじゃないか……!

「持ち物だね。セレスさん以外の人は、皆両手が塞がる荷物を持っていた」
ボクの言葉に、霧切さんは笑みを浮かべて頷いた。
「その通りよ。十神君は本の山。腐川さんは両手にハサミ。不二咲さんはノートパソコンを、食堂を出る時も持っていたわ。
あの三人を除外すれば自然とセレスさんが残るという事よ。……人形の趣味にも合うしね」
まだ話が見えていないであろうセレスさんが、「どういう事ですの?」と首を傾げる。
「人形は今、霧切さんがしているように両手を使うか、紙袋でも使わないと持ち運びにくい大きさだよね。
なのに人形は紙袋と一緒に忘れられていた訳でもないし、紙袋を持って人形だけを忘れて帰るという事も考えにくい。
という事は、持ち主は人形を両手で抱えて食堂に持ち込んだ可能性が高い」
「……なるほど。それで両手が塞がる荷物を持っていた人達が持ち主ではないとわかったのですね」
セレスさんはにっこり笑って大きく頷いた。

セレスさんが改めて人形を届けてくれた霧切さんにお礼を言うと、彼女は優しく笑って自室に戻っていった。
これで事件は解決だ。ようやく、ほっと胸を撫で下ろす。
「それにしても、小さな出来事が積み重なって事件になっちゃうなんて……」
「人形に関わったどなたも……こんな事になるとは思わなかったでしょうね。
わたくしも、少し反省しなくてはいけませんわ。その、歩く人形だとか……つまらない勘違いをしてしまって……」
そう言ってセレスさんは恥ずかしそうに目を伏せた。
「いや、これは仕方ないよ。……でも、セレスさんにも苦手な物があるんだね」
最初はボクも一緒になって怖がっていた訳だけど、今思うと弱気なセレスさんもちょっと可愛い。
さすがにそれは口には出せなかったが、少し口元がにやけてしまったみたいだ。
「……それ、どういう意味ですの? こんなにもか弱いわたくしを捕まえて……」
セレスさんの眉がぴくりと上がる。……しまった、怒らせたか!?
「い、いや、ごめん! そういう意味じゃなくて、えっと……」
慌てて失言を取り繕おうとするボクに、セレスさんはもういい、と言うように首を振って見せた。
「まあ、あなたのおかげで助かりましたから大目に見てあげましょう。
これで安心してこの人形を持っていられますわ。あなたに頂いた……特別な人形を……」
セレスさんの腕の中には少し首が傾いたままのアンティークドール。
それを見つめる彼女の眼差しは、言葉通りに特別な物に向けられるような熱を帯びて見えた。
特別な人形って……どういう意味? そんな言葉が喉から出かけたけど、胸が高鳴り、そこで止まる。
「あら、もう朝食の時間ですわね。わたくしは部屋にこの子を置いてきますから、あなたは先に食堂に行って下さい」
先に沈黙を破ったのはセレスさんの方だった。さっさと踵を返して食堂とは逆方向……自分の部屋の方に行ってしまう。
ちょっと頬が紅く見えたのは、気のせいかな……。
ボクはセレスさんの背中が見えなくなるまでその場に留まってから、食堂へと向かった。

ツールボックス

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