お賽銭を投げ入れて鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。
「ねぇ、いくら入れようか?」
「奮発して、五百円くらいかな」
両手を合わせて必死に願う、前列のカップルを見やる。
いちゃいちゃと腕を組み、互いに何を願ったかを語り合って、階段を下りていった。
神聖な場所で、元日から罰当たりな。
思わずその背を思いっきり睨んでしまうと、隣にいた苗木君が苦笑した。
「…あの、気持ちは分かるよ」
「ああいう浮ついた連中は、出入り禁止に出来ないのかしら」
よりにもよって、このタイミングで見せつけてくれる。
「…ちょっと思うんですけど。こういう願い事って、何でもいいんでしょうか」
「まあ、願うだけならいいんじゃないかな。叶うかどうかは分からないけど」
「…ふぅん」
「…あまり不純なのはダメだよ?」
「えへへ」
ああ、此方にもカップルが一組か。
三人で一列に並んでいるので、必然的にこの組でも私はハブられる。
「あ…霧切さんは、どう思います?」
思い出したように、慌てて舞園さんが取り繕う。
思わず邪険に手を振ってしまいそうになるのを堪えて、微笑を張りつけた。
「悪いけど、日本の神仏には詳しくないのよ」
「海外では初詣とかあるんですか?」
「…よくわからないわ、行ったこと無いから」
舞園さんも、私に気を遣ってくれるうちの一人だ。
それを、こうして話題を断ちきることでしか、自分を保てない。
舞園さんは気まずそうに逡巡し、しばらくしてまた苗木君と二人で話し始めた。
両手を合わせてようやく、とりたてて願うべきこともないのに気づく。
無病息災は無難すぎるし、一応は健康体だ。
平穏無事も興味ない、少しは刺激のある日々が良い。
交友関係はどうだろうか。
とは言っても、私の交友関係なんてたかが知れている。
休日に無理矢理苗木君をつきあわせて外出する、その程度だ。
苗木君と、これ以上の関係を望めばいいのだろうか。
けれどそのためには、先ず舞園さんという存在が、
――私は、何を考えているんだ
何の気なしに思いついた願い事に、思わず自分で身震いした。
自分の幸せのために他人の居場所を奪おうと、一瞬でもそんなことを考えたのか。
残酷なことを考えてしまえる自分自身が怖くて、ゾク、と背筋に寒気が奔る。
今のは無し。取り消しだ。
必死に別の祈願を考える。
そうだ、学業。とりあえず手近に、冬休み明けの試験での好成績を願おう。
もしくはここは探偵らしく、失せモノ関連にでもしておこうか。
「…霧切さんの願い事、結構長いんだね」
名前を呼ばれて、は、と覚醒する。
ぱちくりと瞳を向けて、苗木君が不思議そうに顔を傾ける。
「願い事とか験担ぎとか、あまりそういうの信用しないと思ってた」
「…どうも私は、余程つまらない人間だと思われているようね」
「や、ほら、非科学的なことには興味なさそうだなぁ、と…」
「あのね、苗木君。忘れているようだけれど、私も一応は女子高校生なの」
軽口を返し、階段を駆け降りた。
人混みを抜ければ、鋭い冷気が熱で鈍った頭に突き刺さる。
境内を出て、鳥居前の大通りに出ても、みんなの姿は無かった。
集合場所を間違えたか、と思って苗木君を振り返るが、彼も同級生の姿を探してきょろきょろしている。
「えっと…僕、ちゃんと伝えてた…よね?」
「…ええ。私以外の全員が聞き間違えた、というわけじゃないのなら、」
ふと、車道を挟んだ向かいに、二つの人影。
舞園さんと朝日奈さんだ。
苗木君は気づいていないようで、教えようか、それとも自分で声を掛けようか、と迷ったところで、二人が振り向く。
私の視線に気づいた二人は、こちらに向けて思いっきりガッツポーズをとって見せた。
何か叫んでいるようだが、間を通る車のエンジン音にかき消されて、ほとんど聞こえなかった。
と、同時に。
苗木君のポケットから、メロディーが鳴り響く。
一瞬遅れて、私のポケットも振動する。
「あれ、メールだ…」
嫌な予感しかしない。
苗木君はしばらく文面を見てから、なんとも微妙な表情で携帯の画面を突き出してきた。
差出人は、朝日奈さん。
「…これ、読める? なんか暗号っぽくて」
ギャル文字、というやつだろう。
模様じみているが、目を薄めて確認した文章を、私はそのまま読み上げた。
「…『しばらく自由行動だよ。おみくじとかお守りとかは、個人で好きに買いに行くべし。駅前の喫茶店には各自集合で』…」
読み終えると同時に、頭が痛んできた。
あの娘なりに、気を遣ったつもりなのだろうか。
いや、さっきの分ではおそらく舞園さんも共犯。
そして、あの二人が共犯と言うことは、少なくとも女子全員は『知っている』ということになる。
なんとも悩ましい、今度は目眩まで感じてきた。
「えーっと…どうしようか」
頭を抱える私に、困ったように笑いながら苗木君が尋ねた。
「…好きにしなさい。私は集合場所に向かうから」
最初から二人で来たというのならともかく。
面白半分でお膳立てされたこんな状況で、二人仲良く境内を散歩、という気分にもなれない。
これで二人のこのこと喫茶店に姿を表せば、格好のネタになってしまう。
私自身はもちろんのこと、苗木君にも申し訳が立たない。
帰ろうかな、とも思ったけれど、喫茶店に寄るつもりで出てきたので、お昼に何も用意していないのを思い出した。
「も、もう行くの? おみくじは?」
「…なら、それだけ引いてから行くわ」
「じゃあさ、一緒に買わない?」
おみくじを買うだけだというのに、わざわざ一緒に行く必要もあるだろうか。
まあ、断ることも出来るのにそうしない私も、大概だけど。
鳥居をくぐってすぐのところで、アルバイトの巫女がおみくじの露店を出していた。
一枚五十円だというので、苗木君が百円を払い、二度籤を振る。
出た番号の棚を引き、中から結果の書かれた紙を取る。
「…小吉かぁ」
紙を開いた苗木君が微妙な顔をしている。
「いいんじゃない? あなたらしくて」
「うーん…一応、『超高校級の幸運』で入学したんだけど…」
時々苗木君は、私の嫌味に気付いてくれない。
気付いて流しているのかとも思ったが、そんな器用な少年でも無いし。
人が良いにも限度があるとも思うのだが、ちょっとだけ寂しい。
「えーと…あ、金運が酷いかも…『悪し』としか書いてないや」
「籤の言うことよ。いちいち真に受けてたら身が持たないわ」
「霧切さんは?」
言われて、私も紙を開く。
「……、…」
「……凶、だね」
あまりの不意打ちだったので、数瞬呼吸すらも忘れた。
正直、おみくじで凶だなんて都市伝説だとばかり思っていた。
まさか自分が引いてしまうだなんて、お笑い草にしては行きすぎだ。
苗木君の言う通り、確かに私は非科学的なものを信じることはあまりない、けれど。
さっきの今で、罰が当ってしまったんじゃないだろうか。
見ないようにと思えば思うほど、目はその文字を追う。
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「えっと、あの…ホラ、籤の言うことだし。真に受けることでも無い、よね?」
「……」
よほど私が酷い顔をしていたのか、苗木君が目に見えて気を遣う。
「…あ、籤、交換しよっか。僕のと…」
「……子どもじゃないのよ。そんな誤魔化しで、何になるの」
自分でも分からないほどにショックを受けているようで、上手く言葉を返せない。
いつものからかいよりも遥かに冷たい声が出て、苗木君が肩を落とす。
そこでようやく、我に戻った。
こうやって、自分のことばかりしか考えられない。
苗木君は今の提案、拙いものだったけれど、それでも私を気遣ってくれたんじゃないか。
それでもまだ、私は励ましてくれた苗木君より、傷ついている自分の方が可愛いというのか。
これなら、偽物の感情と言われても仕方ないのかもしれない。
「……」
「…それ、結びに行かない?」
自責の渦に飲み込まれかけて、再び苗木君が私を呼び戻した。
「結ぶ…?」
具体性の見えない言葉に、首を傾げる。
「日本の風習か何か…かしら?」
「あ、そっか…おみくじとか、あまり詳しくないんだっけ」
曖昧に頷いて返すと、苗木君は得意げに語りだした。
「引いたおみくじを、境内の木の枝とか、専用のみくじ掛に結ぶんだよ」
「何のために…?」
尋ねれば、彼はすぐ側の枯れ木を指差した。
枝にはこれでもかというくらいに紙が結びつけられている。
新年の飾り付けか何かとも思っていたが、あれはおみくじだったのか。
「おみくじが良い結果だったら、その成就を祈願するために。おみくじが悪い結果だったら、厄除けってところかな」
なるほど、便利な救済措置だ。
これなら本当に凶を引いてしまう参拝客がいても、苦情の一つも出ないだろう。
縁起ものを信じる気にはなれない性分だけれど、生憎今だけは縁起にでも縋りたい気持だった。
「ホラ、こっち」
「あ、……」
おそらく、何の気なしに。
おみくじを握り締めて宙を彷徨っていた私の手を、苗木君の手が掴んだ。
手を引いて、そのまま人混みを縫うように、境内の中に。
おそらくははぐれないように自分が導く、そのつもりでの行為なのだろうけど。
これはちょっと、恥ずかしすぎる。
こちとら思春期の女子高校生だというのに。
どうも苗木君は、私がそうだということをたびたび忘れてしまうらしい。
しっかりと握られた左手が熱い。
通りすがる人の視線が身を焼くようだ。
それでもやはり、抗議の声を上げることは出来なかった。
私も大概、繋がれたその手から伝わるはずのない熱を、享受してしまっているのだから。
最終更新:2012年06月02日 10:00