ナエギリ宿泊記 1 > 2

そこは永い歴史を感じさせるような木造造りの旅館だった。

「ごめんくださ~い」
引き戸を開けて玄関に入ってみると人の気配がない。
正面に見える大きな壁掛け時計と、その横にある大黒様の像だけが僕らを迎えてくれた。
「苗木君、これを見て」
霧切さんの指差す方向にある立掛けの案内板には『御宿泊の方は別館の方にお越しください。湯治のお客様も別館で受付致します』と書かれていた。
どうにもこちらの建物は日帰り入浴用の建物だったらしい。

気を取り直して僕らは隣の建物、別館に移動する。
この旅館に一泊するために。

~ ナエギリ宿泊記 1/2 ~

振り子時計の鐘の音が4回鳴る。
霧切さんがフロントで宿泊の記帳をするということで、ストーブの近くに座って待つこと数分。
せっかくだからお土産でも買っていこうかな……なんて考えていたら
「お待たせしました。お部屋の方へご案内します」
「行きましょう、苗木君」
仲居さんと霧切さんが目の前に立っていた。
僕も霧切さんの後に続く形で仲居さんが案内してくれる部屋へと足を運ぶ。


「本日お泊りになられるお部屋は、こちらとなります」
そこにはテーブルと2組の座椅子。
テレビとファンヒーターといった必要最低限の物しか置いてない和室だった。
あれ、僕と霧切さんの部屋は別々だったりしないの?

「ねぇねぇ、霧切さん……」
お茶を用意している仲居さんに聞こえないよう小声で尋ねる。
「なにかしら、苗木君?」
僕の意図を察したのか同じように小声で反応してくれる。
部屋の隅にあるクローゼットの方に移動しながらコートを脱ぎ、ハンガーに掛ける。
「てっきり、僕と霧切さんの部屋は別々だと思ったんだけど……」
「あら、別々の方が良かったのかしら?」
「それは違うよ! ……じゃなくて、僕だってその……男の子なんだけど」
「年頃の男女が痴情のもつれにならないか危惧しているの?」
「痴情のもつれって……」
「苗木君、私達の関係はクラスメイトと同時に探偵と助手の関係なの。少しでも妙な真似をしたらどうなるか……」
『カッ!!』と鋭い眼光で僕を一睨み。
僕は思わず両手を挙げて、降参のジェスチャーをする。

「お茶が出来上がりました」
「ありがとうございます」
仲居さんの淹れてくれたお茶の隣にお茶菓子もある。

おっと、そろそろ仲居さんが下がりそうだ。
僕は財布からこっそり取り出した千円札を三つ折にして一枚のティッシュでそっと包む。
「それでは、お食事の用意が出来上がるまでお風呂に入っておくつろぎ下さいませ」
「あ、待ってください……」
「はい、如何なさいました?」
そういって部屋を出る仲居さんを呼び止める。
「その、お世話になります」
先ほど作り上げたソレをそっと渡す。
「まぁ……。ありがたく受け取らせていただきます」
仲居さんはニコリと微笑んで受け取り、部屋を出ていった。


「……苗木君、一ついいかしら?」
「ん? なに?」
お茶を飲んでいる霧切さんに呼ばれて振り向くと、まだ視線はさっきまでのように鋭いままだった。
「さっき仲居さんに渡した白いものって、なに?」
「白いもの? 心付けのことかな?」
「……心付け?」
初めて聞く単語だったのか首を傾げている。
「仲居さんに前払いするチップみたいなものだよ」
「ホテルのチップは基本的に後払いだけど、日本では風習が異なるの?」
あ、そういえば霧切さんは学園に入学するまでは海外で生活していたんだっけ。
だからあんまりこの手の話は知らないんだろうな……。
「そうだね。心付けは迷惑料の先払いとか、融通きかせてほしいっていう意味合いを込めているんだ。
 宴会場で酔いつぶれるかもしれないとか、子供が騒いで周りのお客さんに迷惑をかけてしまうとか」
「なるほど、受けたサービスを評してお金を出すチップとは似て非なるわね……」
妙に納得しているようだ。でも鋭い視線はもう影を潜めている。
「さっきの言葉から心付けをするに至った心当たりがありそうね?」
「やっぱりわかったかな? 昔、家族みんなで温泉旅行に行ったことがあったんだ。
 それで母さんがやっていたことを思い出して、僕も真似してみたんだ」
あの時は僕も妹も小さかったから広い旅館で騒いじゃって。
父さんも初めて飲んだ地酒が美味しいからって酔い潰れちゃったし……そんな恥ずかしい身の上話を霧切さんに話していた。
「だから苗木君は今回も迷惑をかけてしまうかも、っていう理由から心付けを払ったのね?」
「それは違うよ。最近だと心付けは渡さなくてもいいっていう習慣になっているけど……
 こういう老舗の旅館だと渡した方がいいのかなぁって思ったんだ」
「そう……」

そういって席を立つ霧切さん。
「温泉に入ってくるの?」
「えぇ、でもこの格好のまま入りに行くのは野暮じゃないかしら?」
「……そうだね」
「苗木君は先に着替えてもらえる? それまで私は入り口で待っているから」
「僕が先でいいの?」
「女性の方が身支度に時間がかかるのよ」
そう言って霧切さんは襖を閉めて部屋から出ていった。

やっぱり僕が聞き耳を立てたり覗いていたりしないようにする狙いがあるのかな……
そんな推理をしながら私服から浴衣に着替え丹前を羽織る。
財布や携帯電話といった貴重品は備え付けの金庫の中へ。
これでこっちの準備はオッケーだ。

「着替え終わったよ、霧切さん」
襖を開け、壁にもたれて待っていた霧切さんを呼ぶ。
「貴重品を入れる金庫の鍵は霧切さんが持っていてくれないかな?」
「それで構わないわ」
「それじゃ、先にお風呂いただくね」
「えぇ、いってらっしゃい」


最初に入った建物、本館1階にある温泉。
あたたまり湯、岩風呂、ローマ式千人風呂と変わった名称の温泉だ。
まずはどの温泉から入ってみよう……

→ あたたまり湯
  岩風呂
  ローマ式千人風呂

よし、言葉の響きだけで暖まりそうな温泉から入ってみよう。
「あたたまり男湯」と書かれた入り口を開ける。
ロッカーの脱衣所に浴衣と下着を仕舞い、手拭いを持ってガラス戸に手を掛けて開ける。

「ッ!?」
温泉というから浴槽に檜を使っているとか、大自然を見渡せる露天風呂が目の前に……っていうわけじゃなかった。
四~五人くらいが入れそうなくらいの飾り気のない浴槽。
濁り気のない透明なお湯。
1台のシャワー。
隅っこに並ぶボディーソープとシャンプー、そして洗面器。
寄宿舎の大浴場よりシンプルだった。

「純粋に温泉だけを堪能してほしいっていう計らいなのかな……?」
そんな疑問符を浮かべながら掛け湯をして、足先からゆっくり浸かる。
全身が湯船に浸かったところで目を閉じてみる。
詳しい効能をあまり調べてはいなかったけど、この温泉が源泉かけ流しっていう単語だけは覚えていた。
そうイメージすることで、何だか今日の疲れを体の中から取り払ってくれるような感覚になる。
そういうところを「バカ正直」って霧切さんはからかうけど。

体の芯まで温まったと思ったところで一度湯船から上がる。
洗面椅子に腰掛けてボディーソープで体を洗い、シャンプーで洗髪する。
シャワーのお湯で髪をすすぎ全身すっきりした後に、もう一度湯船に浸かる。

「い~ち、にぃ~、さ~ん……」
僕しかいないことをいいことに、子供の頃にやった10の数を声に出して数えてみる。
ん? 僕しかいない?
僕ら以外にも宿泊しているお客さんは多分……いるはず。
きっと違うお温泉に入っていて遭遇していないだけだろう、そう推理して違和感を払拭した。


脱衣所のバスタオルで体を拭いてから下着と浴衣、丹前を着る。
手櫛で軽く水分を払う感じで髪の水分を飛ばす。
あたたまり湯の戸を潜り、始めに立っていた場所に戻る。
さて、次はどっちの温泉に入ろうかな……?

  岩風呂
→ ローマ式千人風呂

やっぱりローマ式っていう響きが気になるな。
日本にいながら海外の入浴体験も出来るなんてすごいと思う。
そんな期待に胸を膨らませて入ろうと思ったら入り口にこんな張り紙があった。

『女性専用 15:00 ~ 18:00』

思わず僕はうな垂れてしまった。
「……あら、苗木君」
そんな僕の横から声が掛けられた。
「っ! き、りぎりさん……」
「? どうかした?」
「いや、なんでもない。なんでもないよ」

思わず霧切さんの方を見てドキッとしてしまった。
きっと長い髪を濡らさないようにするためなんだろう、髪型をアップにしていて。
今の僕と同じ浴衣と丹前を着ている目の前の霧切さんが、別人に思えてしまったからだ。
髪型と服装が違うだけでこうも変わるものか……。

「実はローマ式のお風呂に入ろうと思ったけど、今は女性専用の時間で入れないことがわかってさ」
「あら、それは残念ね」
「うん……。ところで霧切さんも温泉に入ったんだ?」
ふと観察眼を真似て霧切さんを見ると、いつも白い肌が所々赤みがかっている。
「えぇ。別館にあるオランダ風呂っていうのに」
「オランダ風呂?」
「でもどこがオランダ風なのか私にはわからなかったわ。小さな浴槽に無色透明のお湯が流れているだけだったし」
何だか僕が入ったあたたまり湯と同じような構造かも。
「今は後回しにして違う温泉に入るよ」
「ふふっ、お先にいただくわ」
「後でどんなお風呂だったか感想きかせてね」
わかったわ、なんて言いながら霧切さんはローマ式千人風呂の暖簾を潜って行った。

すれ違いざまに僕の鼻は温泉の匂いとボディーソープの香りを捉えていた。
同じ備品なのに使う人が違うからなのか、それが霧切さんの匂いと認識すると頬どころか体中が熱く感じる。
もう湯あたりしてしまったのかな、僕……。

そんなわけで、今すぐに入れそうな選択肢は岩風呂だけになった。
脱衣所には先客がいるという形跡もなく、ガラス窓から覗ける岩風呂にはやっぱり誰もいなかった。
「貸し切りの温泉みたいで贅沢な気分だなぁ……」

湯冷めしない間に裸になって掛け湯をしてから温泉に浸かる。
……さっき入ったあたたまり湯と比べれば少し温いのかな?
3~4人くらいの人数が入れそうな岩造りの湯船に一人、体育座りの姿勢で浸かってみる。

辺りを確認してみると、水道用の蛇口と洗面器、洗面椅子しかない。
ここにはシャンプーやボディーソープどころかシャワーもない。
シンプルに温泉だけで温まってくださいっていう狙いなんだろう。
あたたまり湯の時に抱いた感想がより強固になった。

また僕一人だけというのもどこか寂しい気もするからと、鼻歌を口ずさみながら温泉を堪能してみる。
この熱さなら湯あたりすることもないかな、なんて思いながら舞園さん達が歌うグループの最新ナンバーを選曲。
アカペラで所々音階を外しながらの一人リサイタルを歌いきってお風呂から上がる。


バスタオルで全身を拭きながら、この後はオランダ風呂に入ろうかどうか考えてみる。
霧切さんの証言だと「あたたまり湯」と似たような造りみたいだし、後回しにしてもいいかなと。
後回しにするなら、夕食を食べ終わった後にローマ式のお風呂に入るのもいいかもしれない。
やっぱり千人風呂なんだから大きなお風呂が「あ」るんだろうなぁ……
それが名案だと思い、下着に片足を通す。

……『あ』?

ちょっと待って、今の考え事に僕は一度も発言した覚えはないのに声が聞こえたぞ?
何か視線を感じて、その方向に目を向けると……霧切さんが入り口の前で立っていた。
立っていたというより、硬直していたという表現がしっくり来るかもしれない。
「…………」
「…………」
そのままお互い見つめ合うこと数秒間。
だんだん霧切さんの頬どころか顔中が真っ赤に変化する様子を観察して、ようやく僕の脳は事態を把握した。

「「ご、ごめんなさいっ!!」」

急いで反対側を向いて下着を穿く。
その背後からは「ピシャッ!」と力任せに引き戸を閉める音が聞こえた。
まさか、まさか霧切さんに裸を見られるなんて……!
穴があったら入りたい、そんな諺が今の僕にはピッタリで、さっきの醜態をないことに出来るなら喜んで穴にでも入りたいよ……。


「もう大丈夫だよ、霧切さん……」
「……わかったわ」
浴衣と丹前を着て、扉越しに待っている霧切さんに声をかける。
スゥーッ、と先ほどとは対称的に静かな音を立てて引き戸を開け霧切さんと向かい合う。
「苗木君、その「ごめん……」
霧切さんに何を言われるのか怖くて仕方なかった僕は、まともに顔を合わせることもなく早足で部屋に戻ることにした。

「……ッ!!」
だから、背後で息を呑む気配があったなんて知る由もなかった。

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結局、その後は別のお風呂に入らず、フロントから貸出のドライヤーで髪を乾かして部屋のテーブルに頭を突っ伏していた。
さすがにあんなことがあった以上、霧切さんと顔を合わせるのは何だか気まずい。
いっそのこと今から別々の部屋にしてもらえないか……なんて思っても金庫の鍵は霧切さんが持っている。

「でも、なんで霧切さんも謝ったんだろう……?」
裸を見せていたのは僕の方だから、公然わいせつっていう理由から僕に過失があると思うのに。
仮に裸を見られて『苗木君のバカ! エッチ! 変態ッ!』って霧切さんは怒るタイプだろうか?
――答えは「No」だ。
本当に怒ってるなら話しかけても相手にしてくれないし、言葉にしなくても「怒っています」というオーラが伝わってくる。
霧切さんの助手をしているだけに、謝罪は予想外の反応だった。

「……湯あたりしたの、苗木君?」
「うぅん、違うよ」

噂をすれば何とやら。 霧切さんも部屋に戻ってきた。
霧切さんも髪を乾かしたのか、アップにしていた髪型も今はいつものストレートヘアーに戻している。
『探偵なら状況に合わせて冷静に対応しなさい』という当人のアドバイスの下、いつまでも羞恥心を理由に逃げてばかりもいられない。
「……一つ、提案があるんだけど、いいかな?」
「なにかしら?」
「今からでもいいからさ、僕ら別々の部屋にしてもいいんじゃないかなって思って」
「……理由を聞かせてくれる?」
「うん。やっぱり年頃の男女が同じ部屋に泊まるのは不謹慎なのかなって。
 さっきの件を振り返ると僕に過失があって霧切さんは恥ずかしい思いを「それは違うわ」
ピシャリと霧切さんが僕の理由を遮る。
呆然としている僕を尻目に霧切さんの主張が始まった。
「……そもそも、岩風呂は混浴だったことを事前に説明しなかった私にも負い目があるわ」
「え、そうだったの?」
「それに苗木君の……は、裸を目撃したのも私だけだったし、お互い口外しなければ事件にはならないわ」
「それでいいの、霧切さんは……?」
「もちろん。この一件を脅迫の材料にして苗木君に不利益を被らせないことも誓うわ」
正座して僕を真正面から見ている霧切さんの言葉に、嘘・偽りが込められているようには到底思えなかった。
「それで手打ちにしてくれるならお願いします」
思わず僕も正座の姿勢になってお辞儀をする。

「それでは苗木君による相部屋の解消申請は却下します」
「ごめん……じゃない。ありがとう、霧切さん」
「せっかくの機会ですもの。気まずいまま過ごすのは私も嫌だったから」

僕らの距離感もこれで元通りになった。
ホッと一安心していたら固定電話の着信が入る。
僕が電話から近いので取ることを目で合図し、霧切さんには待ってもらう。

「……もしもし?」
『こちらフロントです。お食事の用意が出来ましたので会食場にお越しください』
「はい、わかりました」
受話器を置く。

「今の電話は?」
「フロントから。食事の用意が出来たってさ」
「そう。だったら行きましょう」
霧切さんが立ち上がり、部屋の照明を消す。
「うん。……あ、そうだ」
「あら、忘れ物?」
「違うよ。ほら、ローマ式のお風呂ってどんなのか感想を聞いてなかったから」
「そういえば約束していたわね。まず『千人風呂』って謳っていたけど30人くらいが入れそうね……」

そんな霧切さんのローマ式千人風呂がどんなものだったのかを聞きながら部屋を後にした。




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