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「えー、霧切さんも来ないの?」
「あの人、去年も来なかったでしょ…や、別に強制とかじゃないけどさぁ」
「相っ変わらず、後輩のクセにノリ悪いな。仕事中も無愛想で、やたら睨んでくるし」
「超高校級って、皆そんな感じか? …ま、苗木とか朝日奈は別だけど」

 仲間の悪口を言われても口答えをしなかったのは、別に冷静だったとか、そういうんじゃない。
 出来なかっただけ。
 ただ衝動的な憤激を、言葉や行動に移すほどの意気地が、僕に無かっただけだ。

 ポニーテールが直毛になるほど怒り心頭な朝日奈さんを、なんとか視線で宥めて、僕は先輩たちに頭を下げる。
 僕たちが未来機関に所属してから数年。
 彼女も思ったことをそのまま口に出さずに留まれるくらいには、余裕のある大人に成長した。

「すみません、ちょっと…その、上手く誘えなくて」
「ああ、うん、いいよ。気にすんな」

 課の先輩の中でも比較的温厚な人が、頭を下げる僕の肩を軽く叩く。

「苗木が誘って来ないってことは、誰が誘っても来ないんだろ」
「ったく、使えねえな…幹事役だろ、お前ら」
「人集めもまともにできないんじゃ、この仕事辛いよ?」

 後ろからヤジを飛ばす他の先輩に愛想笑いを向けて、ちょうどそこで、空気が凍った。

 気まずい間。
 先輩たちの視線がみんな、僕の後ろの方へ。
 僕は振り返らずとも分かる、この極寒のような雰囲気には慣れている。

「…霧切、ちゃん」
「…お早う、朝日奈さん。…お早うございます、先輩方」

 果たしてどこから聞かれていたのか、それとも素知らぬ仏か。
 こちらの気まずさなど知ったことかと言わんばかりに、いつもの調子で挨拶をする。
 すっと後ろで束ねた髪に、折目整ったスーツ姿。キャリアウーマン、という言葉が相応しいだろう。

「……」

 僕にだけ挨拶を交わさず、彼女はそのまま通り過ぎて、自分のデスクへと足を運ぶ。
 通り過ぎる瞬間、まるで北風が通り過ぎたかのように、冷やりとする。
 一瞥。
 一瞬だけ視線を感じるけれど、僕がそれに応じる頃には、彼女はもう僕の方を見ていない。

 先輩のうち一人が、勝ち誇るような憐れむような、何とも言えない笑みを僕に向ける。
 それから席を立ち、霧切さんの背中を追って行く。
 汚い言葉は使いたくないけれど、胸糞が悪い。

 誰の、せいだと、

 いや、違う。誰かのせいなんかじゃない。
 あの人が苦手だからって、何でもかんでもの非や責任を、あの人に押し付けていいわけじゃない。

 彼女が僕に怒っているのは、他の誰でもない僕のせいなのだから。

「ねえ、霧切ちゃん、」
「お早うございます」

 何か言いたげな猫撫で声を、叩き伏せるようにして霧切さんが返した。
 めげていないのか、それとも鈍いのか、男の先輩は構わず霧切さんの背に付き纏う。
 霧切さんが嫌がっているのが分かる。
 普段は丁寧で落ちついた諸々の所作が、ほんの少しだけ乱暴になるのだ。

 彼女から先輩を遠ざけるなんて権利は、僕にはない。
 ほんの先程だって、友人を庇うための言葉さえ、それを発する勇気さえ、持ち合わせていなかったんだ。

「何、苗木と喧嘩してんの?」
「……は?」
「いつもは苗木の方が、コバンザメみたいにくっついてくじゃん」
「…それが、先輩に何か関係があるのですか?」

 愛想のない台詞はいつも通りだ。
 それよりも、声音。

 どんな時でも凛とした調子を崩さないはずの霧切さんが、苛立っている。
 もともと自分の領域に踏み込まれることを、極端に嫌う人だ。秘密主義というやつだろうか。
 僕も、嫌いだ。
 僕が悪く言われていることは良い、慣れっこだし、何より正しい評価だ。
 けど。

 彼女の領域に土足で踏み込んでいくような、その先輩の言動が、嫌いだ。
 それは、僕がけっして踏み込まないように保ってきた一線だ。
 大切に育てている花壇を踏み荒らされるような、理不尽への苛立ち。

「ねえ、霧切ちゃんは忘年会来ないんだって?」
「…そんな気分になれなかったので」
「なんで? いいじゃん、座って酒飲んでるだけでいいんだぜ」
「……大勢で騒ぐのは苦手で」
「あ、そうなの? じゃ、二人っきりとかのが良いんだ? 意外と大胆だねぇ…」

 先輩たちは、もちろん止めることなどしない。いつもの同僚の悪ふざけだ。
 せいぜい、また始まったよ、と顔をしかめる程度。

 この手の誘いに真っ先に爆発しそうな人物、すなわち朝日奈さんは、以外にも大人しく踏みとどまっていた。
 その顔は、怒りよりも不安によって歪められている。
 彼女がそんな顔をしているのは、とても、似合わない。良くも悪くも、太陽のような人だ。
 笑うか、怒るか、どちらにせよ、元気でいて欲しい。

 何がそんな顔をさせているのだろう、と思い至り、その不安げな瞳が僕を見ていることに気付く。

「いっつも苗木のお守ばっかで疲れるっしょ?」
「……」
「たまには霧切ちゃんのが甘えたいんじゃない?」
「……」
「どんだけ酔っても、俺が介抱してあげるけど? なんなら、ベッドの上まで―――」


 限界、だった。

 今、自分がどんな顔をしているのか分からない。
 ただ、視界の端の朝日奈さんの顔が青ざめているのが見えた。

「なえ、」

 彼女が呼ぶより早く、僕は足を踏み出していた。
 朝日奈さんの言葉に反応して、他の先輩方も僕を見る。
 二歩目、三歩目。早くなる足、大きくなる歩幅。

 霧切さんのデスクと真逆、扉へと向けて、急ぐでもなく、けれども逃げるように。
 彼女に背を向けて、僕は部屋を後にする。


 もう、聞いていたくなかった。
 言葉を聞くだけで、場面を想像してしまうのが嫌だった。

 僕のお目付け役のような存在から解放されて、どこか楽になったような表情の霧切さん。
 見たこともないような朗らかな笑みで、談笑とともに酒を飲み。
 とろり、と眼が潤み、眠気を訴えるように表情が解け、ベッドに体を預ける、無防備なその姿を。
 意識も疎らなうちに、薄皮を剥くようにして衣服を剥ぎ取られ、慣れない刺激に身を捩じらせ、あの凛と響く声で―――

 そういうことをする、と、あの先輩は言っていたのだ。

 僕がそれを阻む権利なんて、どこにもない。
 選ぶのは霧切さんの意思。
 彼女はきっと、拒むだろう。
 けれど、それは絶対じゃない。
 そして、いつまでも拒むわけじゃない。
 あの先輩を霧切さんが今は苦手としているだけで、きっと彼女が心を許せるような存在が現れた日には。

 僕の「そんなことしないでほしい」なんて願望が、彼女を止める権利になるわけじゃない。


 理性を、自分を制御するためにフル動員していた。
 ので、自分が今どこを歩いているのかにも気付くことが出来なかった。

 片腕が何かに引っかかり、ガクン、と体がつんのめる。

「苗木ってば!」

 朝日奈さんの声。
 やっぱり、元だけれどアスリートなだけある。
 同じくらいの体格なのに、その腕を引かれるだけの力で立ち止まってしまった。

「…あ、…朝日奈さん」
「ずっと、呼んでたんだよ…聞こえてなかった?」

 それでも息切れしているのは、本当にずっと僕を呼んでくれていたんだろう。
 声も少しだけ掠れている。

 引きとめたは良いけれど、何を言うために追ってきたのかは忘れてしまったらしい。
 あの頃から変わらない、彼女らしい直情さに、思わず頬が緩んでしまう。
 とりあえず侘びとして、近くにあった自販機から適当にスポーツ飲料を買って手渡した。

「その、…まずは、ゴメン」

 ペットボトルの蓋を開けて、数口だけ飲んで、それから落ちつくまで待って。
 深呼吸を挟んだら、もう落ちついていた。
 その辺りのリラックス法や精神力も、やっぱりアスリートのうちに鍛えたものなのだろうか。
 僕にも、それくらいの心の強さがあればいいのに。

「苗木が抑えてくれなかったら、私また、先輩たちに殴りかかってたかも…」
「そ、そんなことないよ。朝日奈さんは」
「いいよ、庇わなくて。…苗木、そういう面倒な役回り、全部自分でひっかぶってんじゃん」
「いや、ホントに、そんなことないってば」
「あるよ。だから最近疲れてて、ちょっとテンション低いじゃん。何度も溜息吐いてるのとか、全部知ってるんだから」

 私のブレーキ役でしょ、先輩たちとみんなのクッション役でしょ、それに、と朝日奈さんは続ける。
 そこから先を口籠ったので、彼女が誰のことを言おうとしているかは分かった。

「……私、許せない。…許せないよ」
「何を?」
「苗木だって、許せないでしょ?」

 表情は暗く、声は重い。
 昔の彼女なら怒りのままに、顔を赤くして怒鳴り散らしていることだろう。
 やっぱり朝日奈さんは、大人になったと思う。
 その、色んな意味で。

「霧切ちゃんを無理に口説こうとして、苗木まで引き合いに出して、本人の目の前で悪く言って…」
「……うん、僕は、…大丈夫だから」
「アンタが大丈夫でも!」

 ぐわし、と、肩を力強く掴まれる。

「霧切ちゃんは、大丈夫じゃないの! 分かる!?」
「うわ、っと、朝日奈さ、危なっ…」
「霧切ちゃん、自分と比べて苗木のことを悪く言われるのが、一番嫌なんだよ! 釣り合ってないとか、お守役だとか!」
「…だって、」
「『私のせいで苗木君が貶められてる』って、それが一番傷ついてるんだよ!」

「だって、……事実、でしょ」

 揺さぶるようにしていた朝日奈さんの腕が止まる。
 声も、表情も。
 初めての光景を目にする、子どものような表情に戻る。

「僕とずっとコンビみたいに扱われて、他でもない霧切さんが…一番迷惑してるはずだ」
「…本気で言ってんの、苗木?」
「僕だってそんな…霧切さんを縛る枷みたいには、なりたくないんだ。だから、」

 だから、それに、だって。
 言い訳を繋ぐための言葉は、驚くほどするすると口から零れる。
 だから、彼女が誰に狙われようが、口説かれようが、僕が干渉しちゃいけないんだ。
 守ってあげなきゃ、なんて自惚れはする余地もないし、第一彼女自身が守られるような弱い人じゃない。

「…一昨日、苗木が霧切ちゃんを、誘いに行ってからだよ。二人がおかしいの」
「……」
「何が、あったの?」


 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


『なんだったら、ホラ、お代は僕が持つからーっ!!』
『…必死ね、貴方』

 両手をかざして懇願する僕を、相変わらずの涼しい目で霧切さんは見据える。

『それより、ホラ…手が空いているなら、こっちの書類もお願い』
『……はい』

 いっそ潔いくらいに流されて、やっぱり今回もか、と撃沈した僕は、逆らう気力もないので書類を受け取った。
 特に誰に命令されたわけでもないけれど、書類の抜けや不備の整理を、彼女は自ら買って出ている。
 彼女が推敲するお陰で、特に朝日奈さんや葉隠君が誤字脱字でどやされることは格段に減った。
 それだけなら、喜ばしいことなんだけど。

『助かるわ、苗木君』
『あ、そう…あの、僕、明日朝早いから、もう帰って良い?』
『そこの書類が終わったら、コーヒーを淹れて来てもらえるかしら?』
『はい……』

 こんな感じで、延々と有無を言わせず僕に手伝わせている僕としては、もう少し仕事に不熱心でもいいんじゃないかと。

 というか、こうまで誘いを断り続けられると、なんか、もう、何のために僕は手伝っているのか。
 もう少し手伝わせていることに負い目とか、ないんですか。

『ないわ』
『さいですか…』

 一刀両断、切捨て御免、快刀苗木を断つ。

『逆に聞くけれど、じゃあ貴方は私を誘う口実だけのために、親切にも手伝ってくれているの?』
『いや、そうじゃないけどさ…』
『なら、いいでしょう』

 書類の山に阻まれて、表情は見えないけれど。
 なんとなく、霧切さんが満足げに笑っているのが分かった。
 想像して、僕も思わず頬を緩めてしまう。
 ここで憤慨したり不貞腐れるならともかく、笑ってしまうのだから、もう手伝う以外に他の道はない。

『何度も言っているでしょう。大勢で騒ぐ、なんていう柄じゃないの』
『いや、それは分かってるんだけど…』
『私がいると、空気も重くなるわ。気も遣わせてしまうし。お互い疲れるだけでしょう?』
『いてくれるだけで、いいんだけど…』
『……』

 何故か、間になる。
 答えに窮するようなことを、何か言っただろうか。

『いっ、痛いっ!』

 机の下で、ヒールに蹴られてしまった。割と容赦のない威力で。

『……しつこいわ、苗木君』

 言う割に、珍しく上機嫌で霧切さんは笑った。
 書類の向こう側から、楽しげに。

 仕事の恐ろしく早い彼女は、先程まで壁のようにそびえていた書類を、もう肩の高さにまで減らしてしまった。
 僕が手伝っている意味はあるのだろうか。
 いや、そりゃ朝日奈さんや葉隠君よりはまだ出来るけれど。
 僕以外にも彼女を手伝おうとする人は何人もいるだろうに。

『そんなに、私とお酒が飲みたいのかしら…?』
『え? あ、や、うん…まぁ』
『…煮え切らないわね。私を酔わせて、何をするつもりなのかは知らないけれど』
『いや、僕じゃなくて、あの先輩がね』
『え?』

 ひぃん、と、空気が音を立てて凍った。

『……あの、今年は絶対に連れて来い、って』

 書類越しに、目が合った。

『……、そう』
『いや、あの、みんな! 霧切さん、普段出ないからさ、楽しみに…』

 見たことのない、表情だった。
 いつもの知性を感じさせる落ちついた笑みや、時折見せる思索に耽る物憂げではなく。
 本当の、無。
 目を見開き、唇を少し震わせた、本当の無表情。それが、少しだけ怖く見えて、咄嗟にわけもわからず言い訳を募らせた。

『……その、霧切さんがあの人のこと苦手だっていうのは、知ってるんだけど』
『…知ってて、誘おうとしたの?』
『いや、それは、』
『……』
『…あの、先輩が、その……霧切さんのこと、好きみたいで』

 ガタ、と、何かが机に当たった音がした。
 震えていたのは、僕だったのか、それとも霧切さんだったのか。

『…何でそれを、貴方が…取り持つような事…』
『と、取り持つって、僕は別に、何も…』
『あんな下心丸出しの、下半身で物事を考えているような、見え透いた、女を口説くことしか能が無い男に…!』
『霧切さん、色々本音漏れてるって! 先輩だよ、一応…』

 どうでもいい、とばかりに、彼女は頭を振って、椅子から立ち上がった。
 どさ、と、書類が音を立てて崩れ、机の下にバラバラに散らばる。

 反射で拾おうとして、がし、と襟首を掴まれ、体が宙ぶらりんの状態で止まる。
 どういう力が働いているのか、僕よりも細い彼女の腕は、そのまま僕の体を後ろの戸棚に叩きつけるようにして押し付けた。

『貴方は、私を差し出そうとしたの…!?』

 縋るような、瞳だった。


 【続く】


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