あなたの隣で 1章 明日になれば

――なぜ、私は泣いているのかしら。

 淡い紫がかった長い銀髪、そして白い肌。それらに相反するように身につけられた黒
い手袋は強い存在感を放っていた。彼女の名は霧切響子。『超高校級の探偵』と呼
ばれていた女性である響子は依頼人への報告書や事件の資料などを整理していた。
しかし、自身も知らず知らずの内に濡らした睫毛を揺らして一度手を止める。
 響子はロンドンに探偵事務所を開いていた。依頼は多すぎず少なすぎず――生活
をする上では充分すぎるくらいだったが――幸か不幸かほとんどが難しいものではな
かった。
彼女が構える事務所内に置かれているのは、ソファやデスクなど必要最低限のもの
だけであり、個人事務所にしてはかなり広く見える。それは自宅を兼ねているからだ。
 響子は涙を拭い、ふとデスクの端を見ると無造作に置かれていた手帳が視界に映っ
た。それに手を伸ばし、パラパラとめくると、明日の日付が振られている箇所を指でな
ぞる。

――もう、そんなに経つのね。

 あの学園を出てから6年の月日が経とうとしていた。
 響子がバカ正直だと言ってよくからかっていた、少し頼りないけれど、とても優しい少
年の顔を彼女はもう6年も目にしていない。
 仕事は充実している。生活も不自由なくやっていけている。しかし、響子は今の不自
由のない生活に満足が出来なかった。変わり映えしない淡白な生活。ただ、時計が
時を刻む音をここで聞いてきた。
 自分で選んだ道だったはずだ、間違ってはいないし後悔もしていないと、響子は幾
度となく自分に言い聞かせてきた。だが、その行為は矛盾している。一切の後悔のな
い者は自分に言い聞かせることなどしないだろう。そんな6年間送ってきたが、それが
今日で終わるかもしれないのだと彼女の手帳が示している。

――明日は彼に……苗木君に会える、かもしれない。

手帳にはただ 『約束の日』 とだけ小さく、けれどもはっきりと書かれていた。

――僕は、君の隣にいたい。一緒に行きたい。

 あの時の気持ちは6年が経とうとしている今でも変わらない。
 変わるわけがない。
 冷たいようでいて、本当はとても優しくて……だから自分一人で抱え込もうとする彼女
を、僕は好きだった。支えたかった。
 だから僕は、背伸びしてみようと思った。
彼女との――霧切さんとの約束を守るために。

 6年前であれば決して似合うとは言えなかったであろう、黒のスーツを見事に着こな
し、頭に特徴的な癖毛を持った青年――苗木誠は今、空港に来ていた。
彼は、足早にカウンターで手続きを済ませて、搭乗までの一連の流れを終わらせる。
機内に入り、チケットに記された座席を確かめながら席を探してそれが見つかると彼は
ドサリと腰を下ろして息を吐いた。慣れない手続きに疲れたのだ。
 飛行機に乗ること自体は初めてではないが、最後に乗ったのはもう随分前になる。確
か中学の修学旅行だっただろうか――誠は、ただ周りの流れに従って乗り込んだこと
を思い出す。もう、彼は充分に大人なのだから、当たり前ではあるが初めて全て一人
で手配したことに対し、誇らしげにならずにはいられなかった。そして思う。

――これじゃあ、まだ子供っぽいと笑われるかな。

フッと自嘲気味に笑うと、誠は手にしていたチケットの文字を感慨深げに眺めてぽつり
と呟いた。

「明日だ。明日、霧切さんに会える……」

チケットの到着地には 『LONDON』 と無機質な字が記されていた。


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