あなたの隣で 3章 空白の6年間(3)

 懐かしそうに目を細めながら、誠は自分の過ごした6年を語りだした。

「朝比奈さんと十神君に色々と協力してもらったんだ。二人が居なかったら、こうやって自信満々に君をからかう僕なんて存在してなかったと思うよ」
「朝比奈さんと、十神君に?」
「うん……たとえば、体力とか運動能力とかを鍛えようと思って、僕は朝比奈さんに相談したんだよ。ほら、彼女スポーツマンだし、それに大神さんと
仲が良かったじゃない? だから良いトレーニングとかを知ってると思ったんだ。だから朝比奈さんと二人で一緒に過ごした時間が結構多いかも」
「そう、朝比奈さんと二人で……。それはとても充実した時間だったでしょうね」

 響子が少々ぶっきらぼうに反応した。その表情はいつものポーカーフェイスを保ってはいるが、少し引きつっているようにも見える。ほんのわずかな、
響子の表情の変化に誠は気づいた。

――気のせい、じゃないよね? なんか響子さん怒ってる。

 誠がどうしたものかと響子の顔を見つめていると 「それで続きは?」 と無表情で促されたのでとりあえず彼は話を続けることにした。 

「ええっと、そうだ。基礎体力とかは朝比奈さんとプールに行ったりして鍛えてもらったんだけどね、「ふぅん……二人でプールにね……」」

誠の言葉を遮った、冷たく静かな声に彼はゾクリとした。

「あの……響子さん?」
「何かしら? 誠君」
「もしかして朝比奈さんに嫉妬してる?」

 誠がストレートに尋ねると響子は「別に」と答えながらも刺すような目つきで彼を睨みつけた。蛇に睨まれた蛙ってこんな気持ちなんだろうなと呑気に思いながら、
誠は懸命に笑顔を顔に張り付けてごまかしてみた。響子と話していると、6年前の頼りない苗木誠の姿がぶり返しつつあった。

「と、とりあえず感想とかは後で聞くから、続き話すね」
「ええ、お願い」
「う、うん。えっと、ある日僕は朝比奈さんに、体力だけじゃなくて格闘っていうか何か体術みたいなものを大神さんに習ったりしたことがないか聞いてみたんだ。
もし彼女が知っているなら、そういうのも学びたいなと思ってね」
「異性と格闘技……」

 誠は、響子が再び何かを呟いていることにもちろん気づいていたが、先に宣言した通り最後まで話し終わるまで触れないでおくことにした。

「結局のところ、朝比奈さんはそういう格闘とか武術といった類のことは知らなかったんだけど、代わりに大神さんの知り合いのケンイチロウさんっていう格闘家を紹介されてね。
実際に彼に会って相談したら、快く僕のトレーニングに付き合ってくれることになったんだ。それ以来朝比奈さんとのプールトレーニングと並行して格闘技術とか護身術みたいな
ものとかを教わったよ。これは6年間ずっと続けてたことなんだ」
「意外とあなた根性があるのね。大変だったでしょう?」

 その「大変」なことを自分が強いてしまったという罪悪感から、響子の表情が少し曇った。しかし、誠は彼女を見て笑うのだった。

「大丈夫だよ。すごく楽しかったし、毎日を充実させることが出来たんだから。響子さんは何も気にすることないよ。僕は楽しかった6年間を君に話すんだ。君にも笑って聴いてほしいな」
「……あなたには適わないわね。わかったわ。続きを聴かせてちょうだい」

 諦めたように響子が笑うと、満足そうに誠も笑顔で続ける。

「うん。あと、十神君にはずいぶん広範囲な分野でお世話になったな」
「よく協力してもらえたわよね」
「僕も最初は断られると思ったんだけどね、”好きなだけ俺を利用していいぞ”だなんてびっくりすること言われたんだ。正直、これは十神君じゃなくて、別の誰かなんじゃないかって不安になったよ。
まぁ、正真正銘の十神君だったんだけど」

誠がそこまで言うと、意外にも響子は声に出して笑っていた。

「ふふっ……あなたもだけれど、十神君もいろいろ変わったってことなのかしらね」
「はははっ。そうかもしれないね。……それでね、色んな分野の専門家を呼んでもらって本当にたくさんの知識を身に付けたり、飛行機やヘリの操縦、ナイフや銃とか武器の扱いを覚えたり爆弾や
化学兵器についても学んだり、他にも色々……ものすごく十神君にはお世話になったよ」

――え? 今彼は何て言った? 何かおかしな単語がなかったかしら。

 響子はスラスラと話す誠に疑問と戸惑いの眼差しを向けずには居られなかった。十神家が関わるにしても、武器だとか爆弾だとかスケールが大きすぎる。それに平凡代表のような苗木誠という少年が
関わっていたと言うのだから尚更だ。さすがの響子もスルーできずに尋ねた。

「誠君、ちょっと待って。私の予想をはるかに上回る単語がぞろぞろ出てきた気がするのだけど……」
「あー、武器とか爆弾とかの下りでしょう? 僕がたまたま、そういうの知ってたら役に立つかなぁって冗談半分に十神君の前で呟いたら翌日にはその道のスペシャリストを紹介されてね。
僕もこんな機会滅多にないと思って、興味本位でご指導ご鞭撻をお願いしちゃったんだ」

 響子は呆気にとられた。自分が6年間、何の面白味もない生活を送っている間、彼はなんて濃厚な生活を送っていたのだ。差がありすぎる――と。

「もちろん地理とか経営学とか外国語とか……一般的な勉強もしたよ。今では英語・ドイツ語・ロシア語・中国語そして日本語の5か国語を話せるようになったよ」

 誠は響子が今まで見たことのないような得意気な表情をして6年間で身に付けたものを挙げていく。確かに響子は誠に「強くなって」と言って別れたが、彼がそこまで貪欲に知識や技術などの
能力を自分のものにするとは思ってもみなかった。

「誠君のくせに……何でもないわ」
「生意気でごめんね。……ていうか僕がさっき、からかったことをまだ根に持ってたんだね」
「別に、違うわよ」

 誠は響子が言わないでおいた台詞をわざわざ言って謝る。6年という時間は彼に相当な自信をつけさせるには充分な時間だったようだ。
 そして、彼は今までの調子とは一転し、少しだけ申し訳なさそうな顔をして静かに話す。

「ごめん――本当に生意気だとは思うけど、実は君と別れて4年経ったくらいの頃に、僕は探偵になったよ。事務所も開いて、日本を発つ直前までそれなりに活動してたんだ」
「え? 探偵にって……あなたが?」

 今まで誠が話した内容、特に十神が関わった部分も充分突拍子もないことばかりだったが、これは群を抜いて響子を驚かせるものだった。戸惑い動揺している様子の響子を見つめながら誠が再び口を開ける。

「僕は響子さんに釣り合う人間になりたかった。君ができることを、僕もできるようになりたかった。危険を対処できるだけじゃなくて、危険から君を守れる男になりたかった。
だから僕はたくさん努力して、探偵になったんだ。君に近づきたくて」
「誠君の気持ちはすごく嬉しいわ。けれど、正直……あなたが探偵になったなんて言われても複雑なだけだわ……確かに強くなって私の所へ来てほしいとは言ったけれど、
無駄に危険に足を踏み入れてほしかったわけじゃない」

 響子は、彼が探偵になったという事実を拒絶することも受け入れることもできないような葛藤に襲われた。複雑だが、嬉しいと言ったのは確かに彼女の本心だった。こんなにも自分は彼に想われているのだ、と。
しかし、この稼業は常に危険が付きまとう。いくら彼が体を鍛え知識を蓄えたからといっても、わざわざ危険に近づいてほしくなかった。そして、強ければ危険な目に合わないというわけではないのだ。
せっかくあの学園生活から解放されたのだから、誠には平和に過ごして欲しいというのが響子の願いだった。

「響子さんがそういう風に思うってわかってたから先に謝ったんだ。でも、聴いて響子さん。それは君の勘違いだよ」
「……私の勘違いって、どういうことなの?」

 響子が誠の言葉の意図を図りかねて聞き返すと、彼はニヤリとした。

「だって、響子さんが僕にそうさせてるんじゃなくて僕がやりたくてやってるんだ。響子さんだって、もし僕が”危険だから探偵なんて辞めて”なんて言っても、そんなの無視して活動するでしょ?
ずっと探偵として生きてきたから、探偵稼業を誇りに思うから、そしてやりたいからやるでしょ? 僕だってやりたいからやってるだけだよ」

 響子は大きくため息をついた。彼の言うことは概ね正しい。響子が誰かに何か言われて探偵を辞めるなどあり得ないことだった。その誰かが例え誠であってもだ。誠に自分のことを指摘された響子には
反論の余地がなかった。そして降参だと示すように両手を軽く上げて誠を見る。

「誠君のくせに生意気よ――私にあなたの6年間を否定する権利もないし、する気もないわ。複雑なことは確かだけど、自分がやりたい放題やってるのにあなたには駄目だと言って縛り付けるなんて、
とんだわがまま女にもなりたくないし。だから私は、私の意見ばかりをあなたに押し付けないことにするわ。つまり――誠君、ここまで言えばわかるわね?」
「うん。許してくれてありがとう、響子さん」

 空白の6年間。お互い会うことは出来なかったけれど、二人とも相手のことばかり考えて過ごしてきた。空白の6年間は、絆をより強くした6年間だったのだ。
そして、その絆を表すかのように誠が手にするカップ麺はすっかり太く長く伸びていた。


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