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 一家団欒のお茶の間に、例えば洋画のラブシーンが流れて、気まずい思いをする。
 誰にでも一度や二度は経験があると思う。
 僕も思春期の頃は、特に妹の前ではかなり気を遣った記憶がある。

 深夜だった。

 久々に霧切さんの探偵事務所に訪れた僕は、書類整理を手伝っていた。
 何でも今月は激務だったらしく、浮気調査から傷害事件に至るまで、ひっきりなしだったらしい。
 大学の講義を終えた頃に、珍しく彼女の方から電話があって、

『―――お願い、苗木君……あなたしか頼れないの』

 悩ましげな声で懇願され、最初は何かと思ったけれど。
 彼女の仕事を手伝うのはこれが初めてではなかったので、割とそつなくこなせた。


 時刻は午前二時を回った頃。
 最後のファイリングを終え、事件ごとにジャンル分けした戸棚に収め。
 ようやく終わった、という安堵とともに、背筋を伸ばす。
 長時間のデスクワークのせいで、体の至る所から悲鳴が上がっている。


 ふ、と芳しい香りに振り向く。
 霧切さんが、マグカップを二つ持って立っていた。 

「……、その。余計だったかしら」

 香りからすると、コーヒーを淹れてくれたのだろう。
 昼から机に向かいっぱなしの僕を、気遣ってくれたらしい。
 ふ、と笑みがこぼれた。

「ううん、そんなことないよ」
「……そう。じゃあ、休憩にしましょう」

 ぐ、と伸びをして、椅子を引く。
 彼女のお言葉に甘え、事務所の中央、来客用のソファーに二人で腰を埋めた。

「いつも悪いわね」

 両手でマグカップを抱えながら、聞こえないほど小さな声で、霧切さんが呟いた。

「気にしないでよ、どうせ大学はあまり忙しくないし」
「そうは言っても、あなたの時間を奪っていることに代わりはないわ」
「そんな大げさな」
「空いた時間で、アルバイトでもサークルでも旅行でも、好きなことが出来るでしょう?」
「……僕が来たくて、ここに来てるんだ」
「……物好きね」

 霧切さんは肩を竦めて、何も言わずにコーヒーに口を付けた。
 僕も倣って、一口。
 はあ、と息が漏れる。体中に張った緊張が、眠気とともに溶けていくような心地がする。

 地獄のように黒く、死のように濃く、恋のように甘い。
 良いコーヒーを称える言葉だったはずだけれど、はて、出典はどこだったか。

「今日は、泊まっていくでしょう?」

 此方を見ずに、霧切さんが切り出した。

「あー、……どうしよう」

 明日は休日だ。
 翌日も大学があれば、そのまま泊まらせてもらうことはあったけれど。

「寝床なら、気にしなくていいわ。寝間着も、私のを使っていいから」
「いや、それは……」
「心配しなくても。あなたが思っているようなことにはならないから、大丈夫よ」

 こちらの考えを見透かしたかのような、大人の女性の微笑み。
 そうは言っても、もう二人とも二十歳を過ぎている立派な男と女なわけで。

「取って食ったりはしないわ」

 あまりにもきっぱりと、堂々と言い放つので、つっこむのも躊躇う。

「……いやあ、普通……、逆じゃないかな」
「あら、苗木君。私を取って食ったり、できるの?」

 『する』ではなく、『できる』かどうかを聞いてくる辺り、本当に彼女には底が知られている。
 微笑みは相変わらず、子どもを愛でるお姉さんのそれだ。
 あの学園に居た頃には、彼女がこんな風に笑えるとは気付けなかった。
 敵わないなあ、と思う。

「……」
「なら、安心でしょう」

 ぽん、と僕の肩を柔らかく叩いて、霧切さんは立ち上がる。
 ソファーが一人分の重さを失って、ゆっくりと押し上げてくる。

「夜食でもどうかしら。お風呂が沸くまで、時間もあることだし」
「またカップ麺?」
「私一人なら、それでもいいのだけれど」

 いたずらっぽく微笑んで、霧切さんは、キッチンに向かう。

「あ、僕が……」
「あなたを労う意味もあるのよ。座ってて」

 立ち上がる前に言葉に被せられた。本当に、彼女には敵わない。

 事務所に備え付けのキッチンは、ソファーの後ろから事務所のデスクを挟んでその奥。
 一人残された僕は手持無沙汰、しかたなくテレビのリモコンに手を伸ばした。

 深夜ともなれば、番組は限られてくる。
 海外の通販、邦楽、砂嵐、討論番組、砂嵐、砂嵐、放送休止、……―――。
 チャンネルを巡らせるけれど、どれもピンと来ない。

 ふ、と鮮やかなテロップが目に留まり、チャンネルを止める。
 どうやら深夜帯に多い、アイドルや女子アナを集めたちょっと『そういうノリ』のバラエティのようだ。

 霧切さんは、こういうの苦手だろうなぁ。
 苦笑しつつ、ぼんやりとその番組を見る。どうせ、彼女が戻ってきたら消すのだし。

『さあ、女の子だらけの格付けクイズ競争も終盤に―――』

 何とも性格の悪そうな企画だ。
 それでも、小難しい討論番組よりはまだ見ている気になる。

 ゲストの中には、何人か見知った顔もあった。
 タレントにアナウンサー、女優、アイドル、ギャル、etc.……
 その別なく、あの希望ヶ峰学園は才能と一括して生徒を集めていたのだから、当然と言えば当然かもしれない。

『さァーてトップを走るのは……、現在ソロ活動中のアイドル、舞園さやか選手ー!』
「ぶふッ……」

 コーヒーを拭きだしそうになって、堪える。
 振り返るように画面を見れば、水着姿の舞園さんが、カメラに向かって笑顔を振りまいていた。

「……まさか、こんな番組にも出てるなんて」

 アイドルの枠を越えて、女優業やMCもこなしていると聞いてはいたけれど。
 昔より少し背が伸びて、表情も大人びたような気がする。髪は少し短くなったかもしれない、肩幅は―――


 ふる ン


「……」

 無意識に、いや、あるいは男の性だろうか。
 『そこ』の動きを追ってしまう。
 純白のツーピースに象られた胸の双房が、たわわに揺れる。
 なんというか、学園に居た頃からスタイル良いな、と男子の間でひそかに評判はあったけれど。

 それにしても、この番組。
 深夜枠というだけあって、どんどん企画の内容が激しくなっていく。
 熱湯風呂クイズから始まり、早着替えに、ローションスライダー……

 普段なら、何の気なしに見るのだけれど。
 高校の同級生がこういう企画に出演しているのを見ると、複雑な半面、奇妙な興奮が


「―――……、何を見ているの?」

 底冷えするような、冷たい声。
 ガバ、と反射で立ち上がり、振り向く。

 調理しやすい用にだろう、髪を結って、肩から垂らした霧切さん。
 ジャケットを脱いだせいか、或いは疲れからか、いつもよりも線の細さが際立つシャツ姿。
 二人分の平皿とフォーク、コーヒーのポットを器用に抱えたまま、僕の背後で立ちつくしている。

「あっ、これは、その……」

 気の利いた言い訳も浮かばずにうろたえる僕。
 それを見て、霧切さんは何かを悟ったように目を細めた。

「……」

 すっ、と無言で僕の前のデスクに平皿を置く。

 まだ湯気の立つ、出来たてのパスタ。ベーコンだけを使った、オーソドックスなペペロンチーノ。
 それでもきっとこだわって、丹精に作ってくれたのだろう。
 香るニンニクとオリーブ、綺麗な盛り付け。それだけで食欲をそそる。

 ああ、こんな状況じゃなければ。
 霧切さんの手料理なんて滅多に出るモノじゃないから、喜んで食べられるのに。

『おおっと舞園ちゃん抜かれそうだ、必死に走る! 追い付けるか、どうだ、どうだ――』

 走る度に揺れる胸元がパンショットで撮られ続けている。無駄にいい仕事だ。
 霧切さんは一言も話さず、今度は隣ではなく、僕の正面に座った。
 無言で手を合わせ、音も立てずに黙々と、パスタに手を付け始める。

 全くの無表情だ。テレビには一瞥もくれない。

「……あの、変えようか。番組」
「―――どうして?」

 とても冷たい声で、尋ね返された。
 カチャリ、と皿に置いたフォークが立てる無機質な音。

「苗木君がこの番組が見たかったから、点けていたのでしょう……私は別に構わないわ」
「いや、僕はそんな」
「それとも―――私の前では、この番組を見られない理由でもあるのかしら……?」

 刃物のような、鋭い冷たさを持った眼差し。
 彼女に追い詰められる犯人は、この殺気じみた視線に射殺されるのだろうと思うとゾッとしない。

『ああっと再び一位独走中の舞園さやかちゃんだが、水着がちょっと危ないことになっているぞ~!』

 蛇に睨まれたように固まる僕を見て、霧切さんは再び食事を再開する。
 出された手前、僕もパスタに手を付ける。味は、よく分からない。
 二人分の静かな咀嚼音、時計の秒針、そして空気を読まないアナウンサーの実況だけが、二人だけの事務所に木霊する。

「……あ、あのさ。僕やっぱり、これ食べたら帰r」
「あら、それは困るわ。もうお風呂も沸かしてしまったし、寝床も用意してしまったのだから」

 やや食い気味に、逃げ道を塞がれる。

「ご……ごめん、なさい」
「何を謝っているの? 私は苗木君に、何か謝られるようなことをされたのかしら?」

 だって怒っているから、とは口が裂けても言えない。
 彼女が最も嫌うのは、自分が感情に振り回されている、と指摘されることだ。
 どちらかといえば拗ねているのだけれど、その言葉通り可愛いものだったら、どれほどよかったか。

「……それは別として、苗木君。そういえばあなたに、言っておきたいことがあったのを思い出したわ」
「あの……僕ちょっと、今日はもう、」
「明日は休みだと、さっき言っていたはずよ。少しくらい夜更かししても、 問 題 な い で し ょ う ?」


 針のむしろと化した事務所で僕が解放されたのは、東の空が明るみ始めた頃だった。

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