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違う角度から見る、という言葉が、ボクの脳裏によぎった。
霧切さんが度々口にすることだ。
彼女が多角的に物事を捉えようとするのは、探偵としての性分なのだと思う。
全く同じ物であっても、見る角度を変えれば様々な顔を覗かせるらしい。

だから、今目の前にいる霧切さんにもこれは当てはまるんじゃないかな。
……多分。
視線の先は、ここではない何処かへ向けられていた。
随分と集中しているようで、不動を保ち続ける姿は、砂浜の景色と同一化しているようにすら見えた。
霧切さんは、見慣れた仕草で考えを巡らせているようだった。
しかし、見慣れているとは言っても、それは仕草に関してだけだ。

これも見る角度が違うってことなのかな。
言葉に偽りは無い、というよりは無さ過ぎる。
文字通りという表現が、これ程当てはまるのも珍しい。

「どうしてこうなったのかな……」

「私が聞きたいわね、そんな事」

ボクが唱えた疑問は、いつもより幼い声で答えられた。
……幼いのは声だけじゃなくて、霧切さんの姿もだけど。

ええっと、新世界プログラムの再調整を命じられたのが昨日の夜。
言わばテストプレイヤーに任命されたようだった。
でも、実質上は謹慎処分だと薄々感付いていた。
水面下で怪しい動きをしているボクは、未来機関から警戒されているらしい。
……だけど、このプログラムって治療以外には使っちゃいけないんじゃ。
少し疑問を感じていた。
アルターエゴが管理しているから安全ではあるんだろうけど。

霧切さんが付いてきてくれることになったのが今日の朝。
私も片棒を担いでいるようなものだから、とは霧切さんの弁だったが、悪びれた様子は無かった。
もちろんボクも悪い事をしているとは思っていないけど。
何にせよ、これで気が楽になった。
でもこんな事態になってしまったのは、急遽決めたせいかもしれない。

何歳ぐらいになってしまったんだろう。
小学生にしては大人びている気がするし、中学生にしては幼すぎる気がする。
じゃあその間? うーんと唸って見続けた。

「……苗木君、そういう趣味があったの?」

「えっ」

じっと見続けていたら、後ずさりされてしまった。
霧切さんのポーカーフェイスが少し歪んでいる。

「趣向は人の自由だから否定出来ないけれど、表に出すことはお勧めできないわ。
私はともかく、機関からの目も更に厳しくなるんじゃないかしら」

何かとんでもない勘違いをされている……。

「ち、違うよ! どこまで戻っちゃったのかなと思って……」

「ごめんなさい、食い入るように見ていたから勘違いしてしまったみたいね。
……本当に良かった」

霧切さんは心底安心しているようだった。
なんだかダメージが凄い。
これならまだからかいの方が良かったな……。

「この制服からして、中学生であることは確かなようね。
恐らく一年生ぐらい、かしら」

霧切さんは腕を軽く上げ、袖に目を落とした。
それにしても冷静だな……。
らしいといえば、らしいんだけど。
見た目は変わっても、佇まいはいつもの霧切さんそのもので、脳が上手く像を描けない。
混乱してしまっているみたいだ。
って、ボクの方が平常心を失ってどうするんだ。
目を強く擦って、一回リセットした。

「急にどうしたの?」

「いや、なんか混乱しちゃって」

「私も同じよ、流石に戸惑っているわ」

「やっぱりこんなことになったら、そうなるよね……」

「ええ、あなたを見上げるとどうもね。落ち着かないわ」

「そ、そこなの?」

確かにボクも霧切さんを見下ろすことには違和感があるけど。
しかしそれを感じてしまうこと自体が、なんとも悲しかった。

「どうせならあなたも縮んでくれたら良かったのに」

「これ以上小さくなるのはちょっと嫌だな……」

「今なら私も変わらないじゃない。それに昔の苗木君がどんな姿をしていたのか興味深いわ」

「そんなに興味深いものでも無いと思うけど」

「まあ、それは置いておいて。別にいいんじゃないかしら。どうせ二日とちょっとの辛抱よ」

「いいんだ……」

霧切さんは呆気らかんと言い放った。
ここまで来ると清々しさすら感じるな。
本人がこう言っているのだから、ボクも気持ちを切り替えよう。

「取りあえず、中央の島まで行こうかな。あそこから他の島にも行けるしさ」

「……随分と楽しそうな顔をしているのね」

「いや謹慎って言ってもさ、こういう風に羽を伸ばせる機会は中々無いんじゃないかな。
ここには色々あるし、折角なら楽しまなきゃ」

「苗木君は気楽ね。そんなことを言っていられる余裕があるのかしら」

「そう言われると返す言葉はないけどさ……」

「でも、あなたらしいわ」

霧切さんは軽く微笑むと、そのまま歩き出して行った。

「中央の島まで行きましょうか」

「あっ、待ってよ!」

後を追いかけて、ボクも歩き出した。

中央の島への橋に向かって、足を進める。
右手沿いに見える海は、鮮やかな空色を鏡面に映している。
濁りがほとんどないような澄み方だ。
現実の島から、かなり美化されているらしい。
穏やかな潮騒の音も相まって、心が安らぐことを感じた。

「苗木君」

「うわっ!? どうしたの?」

急に服の裾を掴まれて、バランスを崩しかけた。
振り向くと、霧切さんがこちらを見上げていた。

「歩幅を合わせてもらえないかしら。今の私だと歩きづらいわ」

「ご、ごめん……気を付けるよ」

こっちから歩幅を狭めるのは、どうも慣れない感じがした。
霧切さんを追いかけていくことが、板についていたせいかな。

しかし、中身はいつもの霧切さんとは分かっていても、
裾を掴んで上目で見られると、さっきとは違って、年相応の女の子にしか見えない。
普段とは違って、両側に三つ編みをして、リボンを付けていることも、その要因かもしれない。

調子が狂うな……。

「どうも調子が狂うわね……あなたを追いかけるなんて」

それは霧切さんも同様らしい。

「ボクも何だかおかしな感じがするよ」

「でも、悪い気はしないんでしょう?」

「なんでそうなるの……」

「あら、違うの? てっきりイニシアチブを取ることに喜びを覚えたのかと思ったわ」

「いや違うよ、単純に調子が狂うなってだけだよ」

「そう、まあ確かに苗木君にそんな考えは無さそうね」

何故だかグサっと来た……。
どうもバツが悪くなって、目を逸らした。

「行きましょうか。歩幅、忘れないでね」

「合わせるようにするよ。手でも繋いでいれば楽なんだけど」

「……随分と大胆ね、やっぱりそういう喜びでも覚えたのかしら」

「そ、そういう事じゃなくて、つい昔の妹と同じ扱いをしてたみたい……」

「行くわよ」

早足で霧切さんが歩き始めた。
流石に妹扱いは不服だよな……。

橋を渡って、中央の島に到着した。
ここから島を行き来出来るらしい。
高く聳え立った銅像を目印に、公園へと向かった。
然程距離もないので、歩く時間はそんなに掛からなかった。

木々に囲まれた、こじんまりとした場所。
着いてからの印象はそんなものだった。
でも。

「静かで、落ち着く所だね」

「ええ、そうね。長らく見ていない光景のような気がするわ」

外の世界では、中々見られないものだった。
穏やかさと、少しの寂しさを感じつつ、ベンチに腰を掛けた。

「そういえば、地図はないのかしら」

「マップが付いている電子手帳ならあるよ、霧切さんは持っていないの?」

「そうみたいね……どうしてかしら?」

「元々ボク一人だけだったせいかも。取りあえずボクの物を貸せばいいかな?」

「ええ、ありがとう」

電子手帳を霧切さんに渡した。
それにしても何で持っていないんだろう。急造だったせいかな?
霧切さんの年齢もこんなことになっているし、いくらなんでも雑すぎるだろ……。

「図書館にでも行こうかしら。最近はゆっくりと本を読む時間も無かったから」

「そうだね、いいかも」

電子手帳を受け取って、ボクもマップを眺めてみる。

中央のここから連なる、五つの島の施設に目を通した。
それにしても軍事施設って……ウサミが言う、らーぶ、らーぶからもっとも遠い場所だと思うんだけど。
ミリタリー趣味の人には垂涎ものなのかな? いやいやニッチすぎるんじゃ。
考えてもしょうがないので、これは置いておこう。

「あれ……?」

気が付くと霧切さんがいなくなっていた。
もう行っちゃったのか……。
結局、ボクが霧切さんを追いかける構図は変わらないらしい。


「あれ?」

図書館に着いても、霧切さんの姿は見えなかった。
どこへ行ったんだろう?
下手に動くと、余計にまずい気がするので、
しばらくそこで待っていると、入り口から霧切さんが現れた。

「置いていかないでよ!」

「そんなつもりは無かったのだけれど。私が見誤ったとは言えるかもしれないわね」

「どういう意味?」

「ある程度観察眼が養われたあなたなら、自ずと私がどういう行動を取るのか理解しているものだと思っていたのだけれど、そうでもなかったみたいね」

「そんなの滅茶苦茶だよ! エスパーじゃないんだからさ」

「なんにせよ、何事ももっと注意深く観察するべきよ。
見えてくるものも、きっと違うはず……置いていったことは謝るわ。ごめんなさい……」

「えっ、あっ、うん」

妙にしおらしい声に動揺してしまった。
霧切さんは大きな瞳を伏せ、唇を噛みしめるようにしている。
所在なさげな視線と、握った手から、無性に幼さを感じた。

そこまで逆戻りしているわけではないのに、どうしてだろう。
これではまるで、親に叱られた後の子供のようだ。
支柱が揺らぎ、酷く不安定になっている。
少しでも振られると、脆くも崩れ去ってしまうんじゃないか。
そんな風に思えた。

見ていると、気持ちが鉛のように重苦しくなる。
今の姿でこういう仕草をされると、自分が悪いことをしたように思ってしまう。
やり場のない罪悪感に苛まれ、喉元が苦しくなっていく。
言葉を発することが出来ずに、重苦しい時間だけが流れていった。

耐え切れなくなったボクは、気が付くと霧切さんの頭を撫でていた。

「なにを、しているの?」

「ごめん、強く言い過ぎたよね。それにある意味ボクを信用してくれていたってことだし、少し嬉しいかな。次からはもっと注意深くするよ」

「それはおかしいわ……明らかにあなたに非はないし、私は理不尽に振り回しただけよ」

「霧切さんにそんな顔をさせてしまった時点で、悪くないってことはないよ」

「……呆れた。苗木君って、本当におかしな人ね。
それに、どうして頭を撫でているのかしら。これも妹と同じようにしているの?」

「あっ……ご、ごめん! 嫌だったよね」

「別に、構わないけれど」

えっ、構わないんだ……。

「ふふっ、それにしても不思議な気分だわ。
あなたからこんな風に扱われるなんて。苗木君のクセに生意気ね」

「や、やっぱり嫌だったんだよね?」

「いいえ、嫌な気分にはなっていないわ。誠お兄さま」

なんだか凄くむずがゆい!
もう霧切さんは完全にからかっているみたいだ。

「せ、せめてお兄ちゃんとかにしてくれないかな……」

「誠お兄ちゃんならいいのかしら」

「いや良くないよ!」

「あなたが言い出したんじゃない。それとも誠お兄たまがいいのかしら」

「アルターエゴじゃないんだから……もう許して」 

狼狽えるボクが面白いのか、霧切さんは珍しく無邪気に笑っている。
まあ、さっきみたいな顔を見ると、こういう笑顔を見せてくれるのは凄く嬉しい。
……たとえボクが笑いものにされていたとしても。

「お兄さまだなんて、なんだか懐かしい……」

「……霧切さんって兄弟がいたの?」

「いないわ。ただ、そういう人がいたの」

霧切さんは、懐かしむように目を細めた。
それを見るだけで、その人が霧切さんにとって、とても大切な存在であることが痛いほど分かった。
……なんだろう、このモヤモヤした気持ちは。
もやを振り払うように頭を掻いた。

「そのお兄さんは、とても大切な人だったんだね」

「お兄さん? いいえ、女の人よ。私は彼女をお姉さまと呼んでいたの」

お姉さま? 何故だか胸が軽くなった。
良く分からないな……今日のボクは変みたいだ。

「へぇ……どんな人だったの?」

「そうね、丁度、あなたみたいな人だったかしら」

ボクみたいな女の人? なんだかこまるの姿を想像してしまった。

「結局、今も昔も私は変わらないのね。……妙なことを口走ってしまったわ、忘れて頂戴」

いや、そう言われると逆に気になってしまうけど。
霧切さんは、これ以上話す気は無さそうだった。



読む本を探しながら、さっきの霧切さんの言葉を思い返していた。
何事も注意深く観察するべき、見えてくるものも違う。
どういう事なんだろう。
考えても堂々巡りにしかならず、袋小路から抜け出せない。
一先ず置いておいて、肝に強く命じておくことにした。

しかし広いな……ここまでになると、
本の海に漂流してしまった錯覚すら覚える。
なんか掴まれる切れ端でもあればいいのにな、と良く分からないことを考えていると、本当に掴めそうな取っ掛かりが見えた。
棚から少し飛び出た本が、ボクに何かを訴えているように感じる。
強く惹かれて、そこへと引き寄せられた。

推理小説、のようだった。
探偵の少女が卓越した推理で難事件を解いていく。
そんな内容みたいだ。
丁度今の霧切さんと重なるぐらいの子が、表紙に描かれている。
この主人公のように、これぐらいの頃から探偵として活躍していたのかな。
訊いてみようと思ったが、霧切さんは本に集中しているようで、声を掛けるのは悪い気がした。

椅子に座って、この本を読んでみることにした。


「読み終わった……」

数時間かけて一気に読んでしまった。
何かが憑りついたように、ページを進める手が止まらなかった。
ここまでのめり込んでしまった理由はなんだろう。

きっと、その答えは主人公にあるのだと思う。
年齢からは考えられない推理力と、並外れた度胸。
時に冷徹さすら感じる判断力にも凄みがあった。
だけど、引き付けられた所はそこだけじゃないはずだ。

浮世離れした能力とは裏腹に、あくまで素顔は年相応の少女だった。
どこか危うい所があって、ふとした時に覗かせる幼さに、一人の女の子としての一面を感じさせた。
ただの凄腕の探偵というだけでは、ここまで惹かれなかった気がする。

惹かれる……? いやいやどういうことだ。
えっと、この本についての話だったかな?
なんで疑問形になっているのか分からない……頭がおかしくなりそうだ。
えっと、整理してみないと。
なにかが混ざっている。

この本と、あとなにか。
とても似ているものだと思うんだけど。
それに、そのなにかは凄く大きいもののはずだ。
なんだっけ。

「苗木君、あなた様子がおかしいわ。ずっとその本に読みふけっているみたいだけど」

あれ? 霧切さんが普段と同じ姿に戻っている。
目をパチクリさせて、瞬きを繰り返した。
いつもより幼くなった眼が、こちらを見つめていた。

「分かった、霧切さんだ……」

いつからだっけ。
高校生活の頃から? コロシアイ学園生活の頃から? それとももっと後?
分からないけど、ずっと前からだったと思う。
朝日奈さんや十神クンに冷やかされたことをふと思い出した。
あれって冷やかしでもなんでもなかったのか……?

特別な存在だということは分かっていたはずだ。
一緒にいた時間は一番長いし、強固な信頼がお互いの中にあるのも分かっている。
何処か放っておけなくて、信じてほしくて、頼ってほしくて、知りたくて。
思えばこんなに強い執着を持ったことはなかった。
大体ランキング一位の物が好きとか、ボクはもっと薄っぺらい奴だった気がする。
深入りしないで、上辺だけをなぞって満足出来てしまうような。

でもどうしてだろう。
霧切さんの事だけは、知りたいという想いが膨れ上がり続けている。
今、その理由がやっと分かった。

ボクは、霧切さんのことが好きなんだ。

「どういうこと?」

霧切さんが訝しげな視線を送ってきた。
小さくなっていても、紛れもない霧切さんそのものだった。
その表情も、瞳も、銀色の髪も、ボクが知っている彼女と何の変わりもない。
見慣れているはずなのに、心臓がうるさい。

「え、映画でも見に行かない? 外の世界ではこういう機会もないし、さ」

「ちょっと……本当に大丈夫なの? 脈絡が無さ過ぎるわ」

大丈夫じゃないみたいだ。
思考を落ち着かせるために、会話をすることもない映画でも、と思ったらもう口に出ていた。

「どうしようか……」

「それは私が言いたいのだけれど」

霧切さんは、滅多にないような困惑顔をしていた。


好きな女の子が縮んでしまう、なんて経験をした人はいるのだろうか。
きっとレアだと思うけど、少なくとも一人はここにいた。
更に、それがプラスの方向に働く事になる人は、流石にボク以外はいないだろう。
普段通りの霧切さんがここにいたら、今どころじゃないぐらいに取り乱していたと思う。
腐ってもボクは超高校級の幸運らしい。
珍しく捨てたものではないと感じた。

隣で歩く霧切さんが、不思議そうにボクを見上げている。
こんなことになっていることが、吉と出るとは思わなかった。
今の状態だと、女性としては意識しにくいので、ある程度動揺は防げる気がする。
さっきは動揺してしまったけど、自覚してすぐで目の前にいたのがまずかった。
流石に反則でいい、かな?

でもやっぱり、霧切さんは霧切さんだ。
正直可愛く見えて仕方がない。
多分妹みたいな意味でだろうけど。
あれ? でも妹ってこんな感じだっけ……? 頭の中のこまるが苦笑している。

「苗木君、ホテルで休んだ方がいいんじゃないかしら」

「いや、大丈夫だよ……なんともないから」

「本当に隠し事が下手ね。それで私に隠し通せるとでも思っているの?」 

思っていないけど、言えるものでもないよ……。
そう言えたら幾分か楽なのに。

「ちょっとごめんなさい」

「うわっ!?」

視界が揺らいだ。
霧切さんに足を引っ掛けられたらしい。
しかし地面との衝突は起こらずに、小さな身体に抱き留められていた。

「顔が赤いし、熱でもあるのかしら」

端正な顔が目の前にあった。
こうして見ると、やっぱりいつもより幼くて、あどけない感じがする。
本当にいつもの霧切さんじゃなくて良かった。
この距離だと、心臓が暴れ馬と化していたはずだ。

コツン。
今のボクには不釣り合いな軽快さで、その音は鳴った。

「そうでもないみたいね……」

「な、なんで額で計るの?」

「手じゃ分かりにくいじゃない。ああ、今なら手で良かったかもしれないわね」

手袋のしていない手を見つめ、なんの滞りもなく言い放った。

「恥ずかしく、ないの……?」

「恥ずかしいわ。でも今の状況でそんなことを言っても仕方がないでしょう。
あなたの方が大切よ」

真摯な瞳に釘付けにされた。
小さくなってしまっても、この瞳の力強さは全く失われていない。
高低が入れ替わっても、本質はなにも変わってないじゃないか。

……駄目だな、ボクは。
勝手な都合でこんなに心配させてしまうなんて。
でも、もうしょうがない。
前を向かないと。

「……ボクには隠していることがある。だけど今は言えないんだ。
でも、いつか絶対話すから、それまで待っていてほしい」

「大げさ、すぎないかしら」

「そうかもね……」

「いつかじゃ待てないかもしれないけど、しばらくは待っているわ。
なんて、プロポーズでも待っているのかしらね。ふふっ、何だかおかしい」

微妙に掠めているのがなんとも言えなかった。
苦笑いを浮かべて頬を掻いた。

「さっきは混乱していたけどさ、映画を見に行こうって思っていたのは本当なんだ。
良ければ一緒にどうかな?」

「あら、デートのお誘いかしら」

「駄目かな?」

「いえ、構わないわ。行きましょう」

霧切さんは笑顔で答えてくれた。
映画館に向かって、歩き出した。

そういえば、今日の霧切さんは良く笑っている気がする。
気持ちまで子供に戻った、なんてことは無いんだろうけど。
それを見ていると、ボクも自然と頬が緩んでいた。

「人の顔がそんなにおかしいの? 確かに今は物珍しいことになっているでしょうけど」

ジロジロと見ていたら、不審に思われてしまった。

「ち、違うよ! おかしいとかじゃなくて」

「冗談よ。あなたがそんな人ではないのは分かっているわ」

あっ、また笑った。
なんだか胸にあたたかいものがこみ上げる。
霧切さんの笑った顔は凄く可愛いって言ったのは誰だったかな。
何がまるっきり嘘じゃないだよ、今思えばただの本音じゃないか。


映画館に着いたボク達は、多様なパンフレットを眺めていた。
バラエティ豊かな表紙が、棚に飾られている。

「あれ? これって腐川さんの作品じゃないかな?」

『腐川冬子の衝撃作!』という煽りが付いている。

「デートの途中に他の女性の名前を出すなんて、苗木君は女心が分からないのね。
私はいいけれど、他の子が相手だと苦労するんじゃないかしら」

苦労することにならないみたいだ。

手に取り、内容を確認した。
やはりというべきか、ラブストーリーのようだった。
というかR指定が付いているんだけど……。
衝撃作にも程があるだろ……。

「霧切さんは、恋愛映画みたいなものは興味ないんだよね」

「そうね、ミステリ的なものがいいわ。謎が謎を呼ぶような」

「霧切さんだとすぐ感付いちゃいそうだね」

「あなたも大概じゃないかしら」

「そうでもないと思うけど……」

「それに、違和感があっても、指摘するような野暮な真似はしないわ。安心して」

「そんなこと言ってないよ……」

「でも、腐川さんの作品は見てみたいかもしれない。
超高校級の文学少女が、どんな物語を描くのか興味深いわ」

「じゃあ、それにしようか。でもR15なんだけどいいのかな」

随分と可愛らしくなってしまった霧切さんに目をやる。

「別に誰かに止められる訳でもないでしょう。それに年齢確認なんてザルみたいなものよ」

「ボク何回も止められたことがあるんだけど……」

「あなたは可愛らしすぎるのよ。もうちょっと男らしくしてればいいんじゃないかしら」

「か、可愛らしいって……」

「……私はそのままでもいいけれど」

「えっ」

「さあ、見に行きましょうか」

「あ、待ってよ!」

飲み物とポップコーンを調達して、中へ入った。


上映が始まった。
引っ込み思案で、周りに壁を作っている女の子が主人公みたいだ。
開始数分は味気のない学校生活が描写されていた。
しかしそれは、急に一転する。
突如現れた転校生によって、雰囲気ががらっと変えられてしまう。
完璧超人のその男の子に、クラス中の女の子がメロメロになってしまう。
ただ、一人だけ靡かないのが、主人公だった。
何処か人を見下した所のある転校生は、それが非常に気に入らず、主人公を引っ張りまわし、猛烈にアタックをかける……。
という、ボーイミーツガールだった。
それともこの場合はガールミーツボーイなのかな?
なんかの少女漫画で見たような話かもしれない。

しかしなんでだろう、全く重なる所はないのに、何故かこの男の子には共感を覚えた。
周りに壁を作っていた霧切さんに、なんとか心を開いて欲しいと、あれこれやっていた高校生活を思い出した。
もちろんこんな強引に引っ張っていく力なんて無かったけど。
思えばあの頃から好きだったのかも……自分の鈍感さに呆れてしまった。

物語も中盤に差し掛かり、女の子と男の子もある程度親密になったようだ。
女の子も心を開き、自分の秘密を明かそうとしているらしい。
夕暮れの歩道橋の上で手を繋いでいる。
二人とも一杯一杯の表情で、なんだか甘酸っぱすぎる。

居た堪れなくなって、コーラに手を伸ばした。
そういえば霧切さんは面白いと思っているんだろうか。
横目で見ると、食い入るように鑑賞していた。
……やっぱり女の子なんだな。
微笑ましさで緩む頬を誤魔化すように、ストローを口に含んだ。

『私には秘密があるの、実はね……』

画面の中の女の子が、勇気を振り絞って打ち明けようとしている。
流れていたBGMも止み、緊迫感が伝わる。

『実はね……実は、私は……殺人鬼なのぉ!』

『は?』

「は?」

画面の男の子とボクの声が重なった。
えっ、なにそれ。

スクリーンから発せられる赤色が目に痛い。
男の子の鮮血が飛び散っている。
女の子は突如持ち出したチェーンソーを振り回していた。
意味が分からない、どういうことだ。
丁寧に二人の交流を描写していたのに、急にB級映画になり下がった気がする……。

でも何故だかあまり驚きがない。
むしろ凄く自然な展開にすら思えた。
ボクの感性がおかしくなってしまったのか? ……いや違う。
そうだ、ジェノサイダー翔じゃないかこれ。
もしかして書いている途中で乗っ取られたんじゃ。
でもなんでそのままにしているのかな。
もはや訳が分からないし、考えることすら放棄したくなった。

そうしている間に男の子の右腕が切断された。
R指定ってこっちかよ……。
その後も男の子が嬲られるシーンが続いた。
やけに生々しさを感じる傷口に、気が滅入っていった。
ちょっとこれはキツいな……。

「右腕の切断面がおかしいわ。チェーンソーで切られたのならああはならないはず。
はっきりと女の子が切断したというシーンは描かれていないし、なにか別の人間が関わっているはずよ」

「えっ」

その後も延々と霧切さんの指摘が続いていく。
真面目に推理しているようだったが、実際の所、残虐描写の穴が暴かれているだけに思えた。
聞いていると、さっきまでは生々しさを感じていたものが、急に作り物に思えて、なんだか可笑しくなった。

「観るのやめようか……」

「ええ、そうね。判断材料が多すぎてキリがないわ。
ミステリとしては三流も良いところね」

ミステリじゃないと思う……。

ってあれ? ミステリで思い出したけど、なんか違和感がある。
それに、キリがないからやめるとか、霧切さんはそういう人だっけ?
霧切さんの発言には矛盾がある気がする。

『それに、違和感があっても、指摘するような野暮な真似はしないわ。安心して』

そうだ、思い出した。
言っていたじゃないか、指摘するようなことはしないって。
それでも、つい突っ込んでしまったとか?

「苗木君、ぼうっとしているようだけど、足でもつったのかしら。立てる?」

……分かった、ボクのために言ってくれたのか。
わざとおかしい所を指摘して、ボクの恐怖を軽減してくれようとしたんだ。

「大丈夫だよ、戻ろう」

「ええ」

ボクが軽く微笑みながら言うと、霧切さんは安心したように表情を緩めた。

「霧切さん」

「何?」

「ありがとう」

「……やっぱりあなたも大概じゃない」

そっぽを向かれてしまった。
拗ねるような仕草に、無性に愛くるしさを覚えた。

鑑賞を切り上げ、エントランスへと戻った。



「口直しに他の映画でも見ようか」

「そうね。……そういえば、夏といえばホラーなのかしら。
日本特有の風潮らしいのだけど、馴染みがないのよ」

「夏と言ってもここは常夏だけどね……霧切さんはホラーは好きなの?」

「あまり、見たことがない……かしら」

「じゃあ丁度いいし、それにしようか」

「……ええ、そうしましょう」


鑑賞したホラー映画は、ありふれたものだったが、良く言えば王道の良作だった。
やっぱりボクはこういう大衆受けするものが好きみたいで、ゾクゾクするスリルを存分に味わえた。

心地よい余韻と共に、席を立った。

「面白かったなぁ。霧切さんはどうだった?」

「……」

「どうしたの?」

霧切さんは、無表情のまま席から動かなかった。
余韻に浸っているのだろうか。

「苗木君」

「何?」

「見えるものと、見えないものって、どちらが恐ろしいと思う?」

「えっ……良く分からないけど、見えないものかな?」

「ええ、正解よ。目に見えるものは、注意深く観察すれば、様々な面が自ずと理解出来るの。
でも見えないものは、観察が出来ない。だから当然理解出来ない。
ここまでは分かるわね?」

「う、うん」

「要は答えが間違っている方程式を解けと言っているようなものなの。
幾ら様々な角度から紐解こうとしても、全てが無駄になってしまう。
正解なんてどこにもないのよ」

「……霧切さん、怖かったんだ」

「……何を、言っているの?」

霧切さんの席の前まで行き、膝をついた。

「手が震えてるよ」

「えっ?」

霧切さんは、慌てて手に視線を向けた。

「苗木君のクセに……」

霧切さんは俯いて、スカートを強く握りしめた。
仕草のせいか、本当に外見相応の少女にしか見えなかった。

「騙してごめん。からかいたいわけじゃないんだ。
霧切さん、いつも抱え込んじゃうからさ……心配なんだよ。
知ってるよ。霧切さんがとても強い人だってことは。
でも、普通の女の子だってことも知ってるんだ。前に言っていたよね。
人並みに喜怒哀楽はある、出さないようにしているだけって。
でも溜めこみすぎたら、いつか絶対にパンクしちゃうよ」

「良くそんなことを覚えていたわね……」

「霧切さんのことだから、せっかく教えてくれたことは忘れたくないんだ」

「そんなに私のことが知りたいの……?」

「当たり前だよ! だってボクは……」

――霧切さんのことが好きだから。
続けようとした言葉は、胸の途中でつかえた。

「……霧切さんのことを、大切な仲間だと思っているから」

「……そう、大切な仲間ね」

「だから、たまには吐き出してほしいんだ。
ボクなんかで良かったら、幾らでも付き合うから」

「僕なんかで良かったら、ね。
そんなに自分を卑下しないで……私もあなたのことを、大切な仲間だと思っているから」

大切な仲間……嬉しいんだけどな。

「スプラッタは仕事で慣れているから平気なのだけど、オカルトはどうも駄目なのよ……こればかりは慣れないから」

「そうだったんだ……気づけなくてごめん」

「何であなたが謝るのかしら……」

「霧切さんはボクが怯えていることに気づいてくれたのに、ボクは霧切さんのことに気づけなかったから。
それに言っていたよね、何事も注意深く観察するべきって。
今思えばさっきの霧切さんは少し変だったよ……」

「ふふっ、それも覚えていてくれたのね」

霧切さんの強張った表情が少し解けた。

「ハグ、してくれないかしら。正直まだ少し怖いのよ」

「えっ……そ、それは」

「何を狼狽えているの? 海外では挨拶と同じよ?」

「ここは日本だよ……」

「果たしてこの空間が日本だと言えるのかしら」

「海外とも言えないと思うよ……」

「屁理屈ね」

どっちが、と言おうとしてやめた。
押し問答にしかならなそうだ。

「して、くれないの? 大切な仲間なんでしょ?」

小さな身体が、一瞬だけ揺らいだ。
無垢さを感じさせる瞳が、懇願しているように思わせる。
それを見た途端、平静さが戻った。

そっと、華奢な身体を胸に引き寄せた。
霧切さんに強張りは感じられず、完全に身を任せているようだった。
割れ物を扱うような慎重さで、抱き締める力を強めていく。
霧切さんが、ちゃんと安心出来るように。

ふと、こんなことが出来るのは今だけだろうなと思った。
現実の世界では、たとえこういう機会があっても、ボクの体躯じゃ不格好なことにしかならない。
悔しいな……考えてもしょうがないと思っていたコンプレックスが、今になってボクを蝕んでいった。

「ありがとう、苗木君」

安心しきった声が耳元に聞こえた。
途端、ボクの黒い感情など忽ち消え去って行った。
それはオセロの駒が引っくり返るような、あまりにも一瞬の出来事だった。
あっけない、そんな言葉でも足らないぐらいだ。

代わりに訪れたのは、とても尊いものな気がした。
生きる上で、これ以上に重要なものはない。
絶対に必要で、持ち続けなければいけないもの。
そして、なぜだか親近感を覚えるもの。

なんだろう、ボクは知っているはずだ。
これの正体を。
そうだ、だってこれは、ボクじゃないか。
ボクの存在理由そのものだ。

……希望。
霧切さんがボクにくれたものは、希望だった。

今になってやっと分かった。
霧切さんはボクのことを希望と言っていたけど、ボクにとっては、霧切さんが希望だったんだ。

「……苗木君、どうして泣いているの?」

「大好きだよ、霧切さん。ボクはキミのことが、ずっと好きだった」

「えっ?」

ボクは決壊していた。
許容量を超えた、涙と想いが溢れ出て、零れ落ちるように表に出てきた。
一回涙が出るともう止まらなかった。
幼児退行でもしたかのように、大粒のそれが、頬に川を作っていた。

「苗木君、落ち着いて」

霧切さんはハンカチを取り出すと、それでボクの涙を拭った。
空いた手では背中を摩ってくれている。
これではもうどっちが慰めているのか分からない。

真っ白になった頭が思考を取り戻すのには長い時間が掛かった。
もしかしたら分単位では済まないかもしれない。

「ごめん……心配かけて」

「あなたが泣いた所なんて初めて見たわ」

そうかも、しれない。
昔は泣き虫だった気がするんだけどな……。

「聞かなかった、ことにするから」

「えっ」

「あんな錯乱した状態で発した言葉に意味なんてないわ。
……あなたも、きっとその方がいいでしょう?」

「……嫌だよ」

「えっ」

「ボクは、無かったことになんてしたくない」

「なんで……」

「霧切さんのことが好きだから」

「うそ、でしょ?」

「それは違うよ、ボクの本心だ」

「……なんでこんな時に言うのかしら。
本当に危ない趣味でもあったの?」

「そう思われてもいいよ……霧切さんには変わりないから」

「……」

霧切さんは黙り込んでしまった。
ポーカーフェイスの鉄仮面に、僅かに亀裂が出来ている。
これは、駄目かな……。

「……私も」

「えっ」

「私も、ずっと好きだったわ。大好きよ、苗木君」

微笑をたたえた顔に、いつもの霧切さんの面影が見えた。
やっぱり、霧切さんには変わりないじゃないか。


「部屋、どうしようか……?」

「鍵が一つしかないのは、ある程度想像出来たことじゃない。
私の電子手帳がない時点で」

ホテルで食事を済ませたボク達は、部屋の前で立ち往生していた。

「私は野宿で構わないわ。元々急に入ってきたのだからしょうがないことよ」

「小さい女の子が野宿なんかしちゃ駄目だよ!」

「小さい女の子と一緒の部屋で寝るのはいいのかしら」

「でも、霧切さんは本当は大人じゃないか……」

「まだ未成年だけどね……あなた、言っていることが滅茶苦茶よ」

うん、自分でも分かっていた。

「……ボク達、恋人なんだよね」

「ええ、そうね。嫌ならクーリングオフでもしてもらって構わないけど」

「な、なんで? 嫌なわけがないよ!」

「ずっと好きだったなんて言う割には、そういう素振りを全く見せなかったじゃない。
バカ正直のあなたに良くそんなことが出来たものね。ある意味感心してしまったわ」

「それは……想いに気づいたのが今日だったからさ……」

「とんでもない冗談を言うのね。面白いわ」

冗談じゃないけど、冗談みたいな話だった。

「……でも、霧切さんだってそんな素振りを見せなかったじゃないか」

「今分かったわ。あなたってただの鈍感なのね。
学級裁判の時はやたら鋭いから勘違いしていたのかしら」

「人のせいにしないでよ!」

「あなたから言い出したんでしょう、もう一人苗木君がいたら論破されているんじゃないかしら」

「もういいよ……ボクが悪いんだよね……」

「ごめんなさい、ちょっと言い過ぎたわ」

ボクの心は霧切さんに射撃され続けて砕けた。
これが本当のマシンガントークというものかもしれない。

「……私は、ずっと好きって自覚があったのに」

「えっ」

「結局、独りよがりだったみたいけど、実際はそうでもないみたいでもう良く分からないわ。
……本当に苗木君は、私のことがずっと好きだったのかしら」

そういうことか……。
本当にボクの責任みたいだ。
こんな風に言われるのなんて当然じゃないか。
寧ろ言い過ぎたなんて、甘いにも程がある。
霧切さんは拗ねていたんだ。
ボクが、今日までなんの好意も示せていなかったから。

……でも。

「ボクを、信じて欲しいんだ」

勝手な言葉だった。
口先だけで、何の行動も伴っていない、おもちゃの拳銃だ。
それでもボクは言霊の力を信じていた。
いつか、このガラクタ細工が、本物の武器になるように。
そうなるように、絶対にして見せるから。

「ふふっ」

笑われた……でもしょうがないよな……。

「ふふっ、あはははははは!」

「えっ」

霧切さんはお腹を抱えて笑い転げていた。
初めて見せる挙動だった。
まるで無邪気な子供のように、いや、今の姿だとそのものだ。

「結局、あなたは変わらないのね」

一頻り笑った後、張り付いた笑みを消さないまま、霧切さんはそう言った。

「変われるように努力するよ。いつか霧切さんに信じてもらえるように」

「いいえ、その必要はないわ」

「どういう、こと?」

「苗木君の気持ちは、もう十分伝わったから」

「ちゃんと、説明してよ……」

「バカの一つ覚えも、磨けば武器になるということよ。
……本当に私のことが好きだったのね」

「ボクは鈍感だから、それじゃあ分からないよ」

「気にしているの?」

「少しね。それに、つい最近に凄い自覚したから」

「そう、……覚えてる? セレスさんの学級裁判が終わった後に、あなたが言った言葉。さっきと同じようなことよ」

「キミも、ボクを信じて欲しいんだよ……仲間なんだから……」

「それと、リプレイでも見ているかのように、同じ顔が重なったのよ。
丁度、同じぐらいの年齢に設定されているからなのかしら。
……可笑しかったわ。だけど、胸が一杯になった」

霧切さんは胸に手を当て、目を細めた。

「じゃあ、私も少し信じてみようかしら……あなたの……事を……」

その時確かにいたんだ。
寸分変わらない表情で、寸分変わらない言葉を発する、高校生の霧切さんが。
さっきの霧切さんの言葉が、全部理解出来た。

本当に可笑しいな、笑いが止まらなくなりそうだ。
だけど胸が一杯になって、一杯になった。

「あと、仲間だから、なんて言ってぼかすのも、変わっていないのね。
思い返せば、結局あの時も君だとか僕だとかしか言っていなかったじゃない」

「そうだった、かな? 必死だったのは覚えているんだけど……
あれ? でも霧切さんぐらいの洞察力があれば、それでボクの気持ちも分かっていたんじゃないの?」

「……部屋、どうしましょうか」

あっ、誤魔化された。
霧切さんにこんな言葉を使うのは違和感があるけど、鈍感なのはお互い様じゃないか。

「それに、着替えもあるのかな? ボクの服しかないと思うんだけど……」

「服ぐらい一週間同じでも平気よ」

「女の子がそんな訓練しちゃ駄目だよ!」

「お姉さまと同じことを言うのね。やっぱり似ているわ……」

お姉さまって、図書館で言っていた人だよな?
いつか、詳しく話してくれる日が来るのかな……いや、いつか話してもらうんだ。

「それに、あなたの前では、そんなことはしたくないかもしれない……」

「えっ」

「いえ、忘れて」

異性として、意識してくれているのかな……?
いや、恋人なんだけどさ……。

「らーぶ、らーぶ」

「うわっ!?」

唐突にウサミが現れた。

「ま、前触れもなく出てこないでよ! びっくりするじゃないか」

「そういえば、あなたならマスターキーでも持っているんじゃないかしら」

「な、なんのことでちゅか! あちしはそんなものは持ってまちぇん!」

嘘が下手糞すぎるだろ……人の事は言えないけど。

「もう、それはいいからさ、着替えだけでもないかな?」

「そ、そう、それを渡しに来たんでちゅ。では、らーぶ、らーぶ……」

「ありがとう……もう行ってしまったのね」

一通りの着替えを渡すと、そのまま去っていった。
何だったんだ……。

「怪しいわね」

「もしかして霧切さんが縮んでしまったことにも一枚噛んでいるんじゃないかな?」

「そうかもしれない……でも、取りあえず部屋に入ってから考えましょうか」

「えっ、でも……いいのかな」

「どうせこんな状態じゃ、あなたも異性として意識出来ないでしょう?
それとも私には変わりないんだったかしら。
どちらにせよ、あなたが変な真似を起こさないぐらいのことは理解しているわ」

「信頼、してくれているんだね……」

「当たり前でしょう? そんなことは、流石に前から分かっているはずよ」

「……うん、知っているよ。入ろうか」

「ええ」

ドアを開け、部屋の中へ入った。
豪勢とも質素とも言えない一室だった。
右手側には、お風呂場が付いている。
そして、シングルのベッドが一つだけ置かれていた。

「先にシャワー浴びてていいよ、ボクは外に出ているから、終わったらドアを叩いてくれないかな」

「あら、一緒に入らないの? どうせ今の私はただの子供よ」

「い、いや、いくらなんでも駄目だよ! 霧切さんは霧切さんじゃないか」

「そうね、苗木君も苗木君ね。騙されやすいのは変わらないみたいね」

霧切さんは、軽く笑みを浮かべた。
なんでだろう、騙されたのに、幸せだった。
きっとボクは、霧切さんが笑ってくれたらそれでいいんだと思う。

「……じゃあ、外に出ているから」

「……本当に紳士なのね」

ドアが締まる直前に、そんな声が聞こえた気がした。


「……なんでボクのパーカーを着ているの?」

「いいじゃない、一杯あったんだから」

音がしたので部屋に戻ったら、そこにいたのは、緑の服を身に着けた霧切さんだった。
三つ編みが解かれ、リボンも付けていない、絹のような銀髪が後ろに降ろされていた。
風呂上りのせいか、赤くなっている頬に幼さを感じる。
Tシャツの上のパーカーは、少しぶかぶかになって、ロングコートのような丈に見えた。
見慣れないその全てに、脳の理解が追い付かない気がした。

「霧切さん、だよね?」

「誰に見えるのかしら」

天使かな?
……なに考えてんだよ、ボクは。

「じゃあ、私も外で待っているから」

「ちょ、ちょっと、駄目だよ。湯冷めしちゃうじゃないか」

「常夏のアイランドよ。夜は涼しいように設定されているけど、私は常人よりは丈夫なはず。
過酷な環境と比べれば、こんなところは天国みたいなものよ」

「……そんなことを言ってるんじゃないんだよ。
霧切さんは普通の女の子じゃないか。もっと自分を大切にしないと駄目だ」

「……なんで怒っているの?」

「えっ。い、いや、ごめん……つい強い口調になっちゃって……」

なんでかな……。
普段から思っていることなんだけど、今の霧切さんの姿だと、余計にそれが強くなった。

だってどう見ても、あどけない女の子じゃないか。

「図書館の時にも訊こうと思っていたんだけどさ、霧切さんってその姿の頃から、探偵として活躍していたの?」

「そうね。私にとって、探偵であるということは、生きていることと同じなの。
ライフワーク……なんて言葉じゃ生ぬるいぐらいに」

霧切さんの顔から幼さが消え、凛とした力強さが表れた。
超高校級の、生まれながらの、探偵。
そこにいるのは、霧切響子その人だった。

でも、これが彼女の全てなのか?
……違う、ボクは知っているはずだ。
霧切さんは教えてくれたじゃないか。
知りたいと願うボクに、様々な顔を見せてくれた。
それに、ボクの告白にだって答えてくれたじゃないか。
探偵としての彼女に、ボクは必要ないはずだ。

彼女の生き方を否定したいわけじゃない。
むしろ誇り高い霧切さんに、ボクは尊敬すら覚えている。
だけど、女の子としての霧切さんに、覚えているのは別の感情のはずだ。

守ってあげたいんだ。
霧切さんに言ったら笑われるかな。
身長も、頭脳も、身体能力も、なにもかも劣るボクが、こんなことを思うなんて、もはや滑稽だ。

「苗木、君? なんでまた頭を撫でているの?」

「守るよ」

「えっ?」

「ボクが霧切さんのことを、守るから」

「……私は、いつもあなたに守られているわよ」

霧切さんはやっぱり笑っていた。
でも、馬鹿にするようにではなく、噛み締めるようにそれを享受していた。
ボクもなんだかとても満ち足りていて、しばらくずっとそうしていた。


「ボクは平気だけど、嫌なら、霧切さんが寝た後に入るよ」

「流石にそんな迷惑はかけられないわ。私も大丈夫だから」

了承を得て、シャワールームへ向かった。
一通りの用品と使い捨ての歯ブラシが設置されている。
一日の汗を流した後、嫌なものを見せないように、身支度を整えてから、リビングへ戻った。

「さて、どうしようか……」

「別に私は床で構わないわ。慣れているから。
……なんて言ったらまた怒られるのかしら」

「ご、ごめん……気にしているの?」

「あなたから強く言われると、どうも落ち着かないのよ。どうして……?」

霧切さんは目を逸らし、なにかを考え込んでいる。
その顔に何処か深刻さがあって戸惑った。
容姿が、子供になっているせいかな?
それに今は外見の年齢よりも、更に幼く感じる。
そういえば、図書館でも思ったことだったよな……?
あの時は、叱られた子供のようだ、とか考えていた気がする。
そう、まるで親に叱られたような……。

……そうか、そういうことだったのか。
母親のことは聞いたことがないけど、父親と離れ離れになったことはボクも知ってるじゃないか。
慣れていないんだ、こういうことに。
時折見せる子供らしい所は、凛とした霧切さんにはアンバランスなものだった。
でも今になってみると、物凄く腑に落ちた。

「あのさ、霧切さん」

「何?」

「良ければ、一緒のベッドで寝ない? 幸い、今のボク達の体躯なら十分の広さだし」

「それも、超高校級の幸運というあなたの能力かしら? 興味深いわね」

「そうなのかな。まさか霧切さんが縮んだおかげでこんなことになるとは思わなかったよ……」

「そうね、今日は色々な事がありすぎたわ。あなたは私を妹扱いになんてして、
その後は急に様子がおかしくなって、映画館では生意気に鎌をかけて騙して、
挙句の果てにはいきなり泣き出すなんて、付いていけなかったわ。
……思えばこんなに苗木君に振り回されたことはない気がする」

「た、確かに……」

いつもはひたすら振り回されているから……。

「でもきっと、幸せだったのね。嬉しかったわ、好きと言ってくれて……」

霧切さんは、フードを被って顔を覆った。
顔を見られたくないのかな?
……なんか、ボクにも好都合な気がするけど。

「ボクも、同じだよ」

多分、人生で一番幸せな日だったと思う。
ボクの心は、絶望から、もっとも遠い場所にあった。
だけど、そこは行き止まりでもなんでもない。

――だって、希望は前に進むんだから。
こんなに満ち溢れた日も、きっとほんの序章にすぎない。
それに、ボクはまだまだ霧切さんのことを知らない。
話してほしいことも、見せてもらいたいものも一杯あるんだ。

だから。

「もう、寝よう」

明日になれば、もっと素晴らしいことがあるはずだから。
未知の世界がこちらに微笑んでいるように思えた。

「そうね、体力が落ちているのか妙に眠いのよ。今日は良く眠れる気がするわ」

霧切さんは少しぼんやりしているようだった。
思わぬ所で、子供になった弊害があったらしい。
なんだか動くことも、億劫そうだった。

「ちょ、ちょっと、何をしているのかしら?」

「い、いや、しんどそうだったからさ……」

えっと、あれだ。
高貴な人にすることをした。
左手で脚を、右手で背中を抱えて、持ち上げた。
要はお姫様抱っこというやつだった。

「妹扱いの次は、お姫様扱い?」

斜め下から、フードを被った霧切さんが睨んでいる。
こっちは駄目なのかな……。

「でも、今ぐらいしか出来ないんじゃないかな」

現実だと、酷く歪な構図になってしまう気がした。
むしろ逆の方が絵になるように思えて少し恥ずかしい。

「くだらないわね……」

「そうだよね……」

「ええ、どうして今ぐらいしか出来ないと思っているのかしら」

「えっ?」

「あなたのことだから、不格好になるからとでも考えているのかしらね」

「もう探偵というかエスパーだね……」

「苗木君は分かり易すぎるだけよ。……どうでもいいのよ。そんなことは。
例え一杯一杯になって、笑い物になるような滑稽さがあったとしても、
私はそうされたいの、誰でもないあなたに」

心臓が強く脈打った。
困るな……これから寝る所なのに。
胸がうるさくて眠れなくなるかもしれない。
せっかく異性としての意識は薄くなっているのに、
こんなの反則だよ。
霧切さんが眠ったら、外に頭を冷やしに行こう……。


案の定ボクの心拍数は収まらなかった。
寝そべっていても、意識が落ちるのは遠い夢のように思えた。
隣で瞼を閉じている霧切さんに目をやる。
なんだか、寝顔まで絵になるんだから叶わない。
窓から漏れ出す月光に照らされた彼女の姿は、
映画のワンシーンから切り取られているようだった。

寝息を立てているのを確認して、そっとベッドから出た。
起こさないように、慎重にドアを開け、外の空気を吸った。

近接したプールに設置されている、椅子に腰を掛けた。
気持ちを落ち着かせるように、ゆっくりと深呼吸をする。
吸って、吐いての反復行動を繰り返すたびに、少しづつ平常心が戻っていく。

「何をしているのかしら」

「き、霧切さん?」

「ええ、そうよ」

一瞬で全ての行動が灰と化した。
それはないだろ……。

「ごめん、起こしちゃって……」

「いいえ、特に問題はないわ。……月でも見ていたのかしら?」

霧切さんが、澄んだ夜空に視線を向けた。
釣られてボクも見上げると、満月の存在に目を奪われた。
妖力さえ感じさせるそれの、人を惹き付ける力は、最上の位に位置付けられそうだった。
あまりに出来過ぎていて、作り物にすら思えた。

……そういえばこれ作り物だったな。

「穏やかね……」

「確かに、凄く気持ちが安らぐ気がするよ」

「この静けさも、夜空も、瞬く星も、澄んだ風も、全て作り物とは思えない。
……いえ、寧ろ、逆なのかしら?」

「どういうこと?」

「だって、現実の世界にこんなものは無いわ。
いいえ、無くなってしまった、と言い換えてしまった方が正しいかもしれない。
過去に置き去りにしてしまったものよ……」

霧切さんは、プールに目をやった。
微かに揺れる水面には、不定形の満月が映し出されていた。
そこからは、先ほど感じた力強さが失われていた。
だけど、作り物には見えなくなった。
今の世界には、こちらの方が相応しいから。

それを見つめる霧切さんの顔は、少しだけ憂いを覗かせていた。

「そうだね、置き去りにしてしまったものかも。
だけどさ、置いてきたなら取り戻しに行けばいいんだよ」

「えっ?」

「ボク達がやっているのは、そういうことなんじゃないかな。
勿論まだ解決出来そうにない課題も山積みだけどさ、それでも、希望を失わない限り、いつかは取り戻せるよ」

「……なるほどね。苗木君らしい答えだわ。
無謀すぎて、少し呆れてしまったけど」

「そ、それは酷いんじゃないかな……」

「でもどうしてかしら、不思議と可能な気がするから困るわ。
希望は伝染病だったみたいね」

「伝染病って……ボクを病気みたいに言わないでよ」

「あなたみたいな病気なら、私は寧ろ歓迎よ。
……じゃあね、先に戻っているわ」

そう言い残して、霧切さんは去って行った。
既視感がある言葉と行動だったけど、その原因の記憶よりもずっと温もりを感じた気がする。
それに、姿が見えなくなってしまっても、手を伸ばせば届く距離にいることが、無性に嬉しかった。
もう、ちゃんと眠れそうかな。



ボク達は昨日と同じように、公園のベンチに腰かけていた。
隣にいる霧切さんが、電子手帳を眺めている。
その眼はどこかぼんやりしていて、十分な睡眠を得られたようには見えなかった。
起こしてしまったせいだよな……。

「もう映画はこりごりよ。両方とも碌なものではなかったわ」

「でも腐川さんの作品は流石だったよ。……ジェノサイダーの作品はノーコメントだけど」

「そうかしら? 退屈で寝そうになったわ。思い出すとまた眠気が襲ってくるわね……」

「ご、ごめん……ボクが起こしてしまったせいだよね」

「いえ、あなたのせいではない……のかしら?」

なんで疑問形なんだろう……。

「ちょっと、膝を貸してもらっていい?
もうホテルに戻る気もおきないのよ」

「ボクなんかで良かったらいくらでも貸すよ」

「だから僕なんかで良かったら、なんて言うのはやめて。
自分を卑下するのはあなたの悪い癖よ。私は苗木君がいいの」

「き、気を付けるよ」

弾丸とも言える言葉に撃ち抜かれて、ボクの正常な心拍数は異常へと変化した。
いくら子供の姿になっていてもこういうのはずるいと思う。
狼狽えるボクなどに構うことはなく、霧切さんの身体は、ボクの膝に委ねられた。

数分も立たない内に、霧切さんは寝息を立て始めた。
早々に深い眠りに付いたようで、ちょっとやそっとでは起き無さそうだった。
安心し切ったような寝顔は、あどけなさすら感じて、外見と中身が一致しているようにすら感じる。

……あれ? なんだかおかしくないか。 
さっきから妙な違和感を覚えている。

『なんにせよ、何事ももっと注意深く観察するべきよ。
見えてくるものも、きっと違うはず……置いていったことは謝るわ。ごめんなさい……』

昨日の霧切さんの言葉がふと脳裏に過った。
なにか、あるはずなんだ。
真下で寝ている霧切さんを観察する。

なにかと重なるようで、重ならない。
そのなにかは、つい最近に目にしたものなはずだ。
取りあえず、昨日一日の出来事を振り返ってみることにした。

砂浜、公園、図書館、映画館、ホテル。
フィルムを早送りにするように、映像が流れていく。

「そうか、分かったぞ! ってしまった……」

ついいつもの癖で大声を上げてしまった。
霧切さんは相も変わらず熟睡しているみたいだ。
良かった……。

えっと、なんだっけ。
そうだ、違和感があるんだ、二つの。
まず、すぐに気付いたのは、昨日の夜のことだ。
あの時の霧切さんの寝顔は、映画のワンシーンなんて思ったけど、今は全く感じる印象が違う。

確かに綺麗な顔立ちをしているけど、こうして見ると、ただの幼い少女だ。
でもあの時の霧切さんは、どこか凛としていて、年相応には見えなかった。
そう、まるで、中に大人がいるみたいに。
……いやいるんだけどさ。

つまり意識があったってことかな?
慎重に出て行ったことに問題はなかったらしいけど、結局のところ無意味だったみたいだ。
すぐに外に出てきたのも、これで頷ける。

要は普通に寝れなかったらしい。
おかしいな……あんなにぼんやりしていたのに。

まあそれは置いておいて、もう一つだ。
映画館のことを思い出してみると、さっきの霧切さんの言葉はおかしい。

だって横目で見た時は、あんなに夢中になっていたじゃないか。
ただの照れ隠しなのかな? いや、でも面白かったなら、腐川さんの作品をそんなにきつく言う人だろうか。
分からないな……。
思考の海に潜って、ひたすらに考え続けた。


って、なんだかお腹が空いてきたな。
しばらくずっと回想していたら、もうお昼時になっていたらしい。

「困ったな……」

小声で呟いた。
霧切さんは相変わらず熟睡している。
これでは動けそうにもないな……。

「お困りでちゅか!」

「うわっ!? ってやめてよ……霧切さんが寝ているんだからさ」

「ご、ごめんなさい……」

またしても唐突にウサミが現れた。
なんでいつもいつもこうなんだ……。
人を驚かせないと死んじゃう病気にでもかかっているのかな?

そんなどうでもいいことは置いておいて、霧切さんは大丈夫だろうか。
……うん、少し眉が動いたけどセーフでいいよな。

「……そういえばさ、監視者の権限とかで霧切さんの姿を元に戻すことは出来ないのかな?」

ふと思い出した。
ウサミはそういう力を持っていたはずだ。

「そ、それが……出来ないんでちゅ。原因が全く解析されていなくて、バグに近いことになってるみたいで。
今この世界を下手に改変すると、深刻なエラーが発生する恐れがあるんでちゅ。ごめんなさい……」

「そ、それって大丈夫なの? ボク達が無事に帰れるかも分からないんじゃ……」

「いいえ、心配はありまちぇん! 何もしなければ、らーぶ、らーぶなカケラを持って帰るだけで終わりでちゅ!」

「そ、そうなんだ……取りあえず信じるよ、あと声を小さくしてくれないかな」

「あっ、ごめんなさい……そういえばお困りのようでしたけど、どうしたんでちゅか?」

「いや、お腹が空いてしまってさ……身動きが取れなくて困ってたんだ」

「分かりました。あちしが何か持ってきまちゅ。何がいいでちゅか?」

「ハンバーガー、とかでいいかな。霧切さんが起きた時のために二人分。
あとそこにコーヒーもあるはずだから、お願いしていいかな?」

「了解しました。では、らーぶ、らーぶ……」

「ありがとう」

これで助かったかな。
ウサミには感謝しないと。
それにしてもこんな深刻な事態になっていたなんて思わなかったな。
無事に帰れるんだろうか。

……いや、帰るんだ。
だって、やっと霧切さんと通じ合えたんだから。
このままじゃ、仮初めの関係になってしまうかもしれない。
ボクはそんなの絶対に嫌だ。
何が出来るかなんて分からないけど、決心だけは強く持った。

しばらく待つと、ウサミが食事を持ってきてくれた

「ありがとう。本当に助かったよ」

「いえいえー。あちしはそういう風にみなさんを助けるために作られたプログラムでちゅから」

「そんなの関係ないよ。仲間には変わらないじゃないか」

「……そうでちゅか」

そう呟くと、ウサミは去って行った。

「……なにかしら。この匂いは」

「霧切さん、おはよう。動けなかったから、ウサミに食事を持ってきてもらったんだ」

「……何処から?」

「えっ、ハンバーガーショップでしょ?」

「おかしいわ……」

「な、なんで?」

「そのお店は閉まっていたのよ。権限でも使ったのかしら」

どういう、ことだ……?

「……なんでそれを知っていたの?」

「昨日、図書館に行く前に寄ったのよ。コーヒーでもないかと思って」

あっ、だから遅れて来たのか。

「それはおかしいよ……」

「確かに証明するものはないけど」

「そうじゃないんだ」

「えっ?」

「さっきウサミが言っていたんだ、今この世界を下手に改変すると、深刻なエラーが発生する恐れがあるって」

「……ちゃんと、説明してもらえる?」

ボクが聞いたことを一通り話した。

「ウサミが嘘を付いているのは確かなのかしら。
本当のことを言っていたのかもしれない」

「どういうこと?」

「意図的にエラーを引き起こして、私達に危害を加えようとしている」

「それは違うよ! だってボク達をウサミは助けてくれたじゃないか!」

「本当かしら? 昨日もマスターキーがあることを誤魔化していたじゃない」

「そ、それは……でもそんな……」

「落ち着いて、苗木君。あくまで一つの可能性の話よ。
様々な角度から検証するのは、探偵としての基本中の基本よ」

あっ、そうだよな……。
あくまで霧切さんは、冷静に思考を巡らせているだけじゃないか。
駄目だ……ちゃんとボクも落ち着かないと。

「未来機関の仕業かしら? 怪しい動きをしている私達を処分しようとしているのかもしれない」

「でも、ここの管理者はアルターエゴのはずだよ。そんなことが出来るかな?」

「それもそうね……取りあえず、遊園地に向かいましょうか」

「えっ」

なにそれ。

「え、ええっと、一先ず遊んで気持ちを落ち着かせようってこと?」

「……何を言っているの? ウサミの家があそこにあるじゃない」

「そうだったっけ……」

「ふざけた事を言ってないで、さっさと行くわよ。いいわね」

「う、うん。……あっ、そういえばまだ何も食べてないんだけど」

「歩きながら食べればいいじゃない。当たり前のように落ち着いて食事が出来るなんて思うのは甘えよ。
いえ、それは私の都合ね。まあ、毒入りかもしれないから気を付けた方がいいんじゃないかしら」

さっきの寝顔は何処へ行ったんだろうか。
目の前の幼い少女は、すっかり霧切さんに戻ってしまった。
でも、なんだか凄く気持ちが落ち着いて来た。
それに、こんな表現を使っていいのか分からないけど、懐かしかった。
あのコロシアイ学園生活も、いつもこういう風に助けられていた気がする。

「どうして笑っているの?」

「やっぱり、霧切さんは霧切さんなんだなと思って」

「何を言っているのかしらね。私には変わりないって言っていたのはあなたじゃない」

「そうだったね……」

改めて実感したってことかな。
いつものように、霧切さんの後ろを追いかけて行った。


「説明、してもらえるかしら?」

「あわわ……」

リボンを付けた可憐な少女が、腕を組んで睨んでいる。
見ようによっては可愛らしいとしか思えないはずなのに、到底そんな風には思えなかった。

そこにいるのは小さい女の子ではなく、
超高校級の探偵、霧切響子だった。

「ち、違うんでちゅ。危害を加えようなんて思ってまちぇん……」

「じゃあなんであんな嘘を付いたのかしら? それとも本当のことなの?」

「違いまちゅ! 本当じゃありまちぇん!」

「じゃあ、説明してくれるわね?」

「そ、それは……」

ウサミは答えに詰まっているようだった。
もはや追及されつくした犯人にしか見えない。
でもどうしてだろう、悪意という物が全く感じられない。

「こんなこと言ったら笑われるだろうけどさ、
ウサミが隠し事をしているのは確かだろうけど、悪いことをしているようには見えないよ」

「……とんでもない甘ちゃんね。あなたらしいけど。
でもどうしてかしら? 私も同じようなことを感じてしまっている。
要はただの勘ね。それに、死神の足音も聞こえない……どうしましょうか」

「意味があるんでちゅ……」

「「えっ?」」

ボクと霧切さんの声が重なった。

「霧切さんが幼くなっていることは、バグでもなんでもなく、意味があるんでちゅ。
……これ以上は言えまちぇん」

意味が、ある?
どういうことだ……?
言葉の意味は理解出来そうにもなかったが、ウサミの声は切実で、精一杯の誠意すら感じた。
それ以上の追及はやめ、ボク達はハウスから出た。

遊園地のベンチに座り、しばらく無言でいた。
隣にいる霧切さんは、顎に手を当て、考え込んでいる。
……あれ? また違和感がある。
それに、喉元まで答えが出ている気がする。

ウサミの言葉は、取っ掛かりが無さ過ぎてなにも分からないが。
この違和感なら解答を導き出せると思った。

「意味があるなんてだけでは分かりそうもないわね……」

「でも、昨日のことは意味があったのは確かだよね」

「確かに、普段じゃあなたに妹扱いやら、お姫様扱いになんてされないわね」

妹扱い? やけにそのワードが引っかかった。

「……変なことを聞いていいかな?」

「何かしら」

「霧切さんは、ボクに妹扱いにされてどう思った?」

「……そうね。とても、懐かしい気がしたわ。嫌な思いをしなかったのは本当よ」

そうだ、思い出した。
最初に妹と同じ扱いをしてしまった時は、不服そうにしていたじゃないか。
照れ隠し……? いや、違う。
違和感の正体と、密接に関係しているはずだ。

腐川さんの映画は不満で、妹扱いには満足していた。
おかしくないか……?
だって腐川さんの映画には釘付けになっていたし、
妹と同じと言ったら機嫌を悪くしていたじゃないか。

そもそも釘付けになっていたシーンはどういうものだっけ。
確か、夕暮れの歩道橋で手を繋いでいるシーンだったよな。
手を繋ぐ……? そういえば、妹扱いした時もそんなことを言っていた気がする。
……そうか、そういうことだったのか。

霧切さんは、手を繋ぐことに憧れていたんだ。
――手袋のしていない、まっさらな手で。

機嫌を悪くしたのは、そんな軽々しく出来るようなことではないから……かな?

「そうだったのか……」

「謎が全部解けたみたいな顔をしているけど、どうしたのかしら? 本当に意味が分かったの?」

「い、いや、全然だよ……」

「バカ正直は不治の病ね。そんなことで取り繕えているとでも思っているなら、裸の王様にでもなったらどうかしら」

「……」

「どうしたの?」

「ごめん、ちょっとお化け屋敷に行ってくるよ」

「えっ?」

「なんか無性に行きたくなっちゃってさ、でも霧切さんに迷惑はかけたくないから一人で行ってくるよ」

そのまま走って逃げた。
今の霧切さんにでも十分追い付かれてしまうのかもしれないけど、足音は聞こえなかった。
あまりに唐突すぎて、呆然としていたのかもしれない。

ごめん……霧切さん……。
弱みに付け込むようなことをして。
でも気持ちの整理が付かないんだ。
ボクの想いがちゃんと固まったら、すぐに向き合いにいくから。


「急に何をしているのかしら」

「い、いや……」

あっさりとお化け屋敷の中で捕まった。

「オカルトは駄目なんじゃなかったの……?」

「こんなものハリボテじゃない。それに、昨日のである程度慣れたわ。
あなたのおかげでね」

霧切さんは強い人だった。

「何を考えているのかは知らないけど、意味が分かったのならさっさと教えてもらえないかしら。
身の危険も掛かってるのだけど」

「危ないことはもう無いよ……取りあえずここから出ようか」

「そう、安心したわ。ただ、教えてくれるんでしょうね」

「時間をくれないかな?」

「また?」

「えっ」

「いえ、そうね。もう慣れたわ。行きましょうか」

お化け屋敷から抜け出し、フードコーナーの椅子に腰を掛けた。
コーヒーと、ジュースを持ってきて、テーブルの上に並べた。

「さて、どうしましょうか。あなた曰く、危険はもう無いらしいけど」

「多分ね、もう大丈夫だと思う」

「……多分なの?」

霧切さんの鋭い目がボクを貫いた。
こんな容姿になっているのに、身震いするぐらいの迫力だった。
動揺を隠せず、不格好にジュースを口に運んだ。

「じゃ、じゃあちょっとウサミに確認してくるよ。霧切さんはゆっくりしてていいから」

「そう。分かったわ」

取りあえず視線を外され、身の硬直が解けた。
一気にジュースを飲み干し、ゴミ箱に捨てた。
……この行為に意味ってあるのかな。
どうでもいい思考を吐き出しながら、ウサミのハウスへ向かった。


「わわわ、な、何しに来たんでちゅか!」

「いや、そんな身構えなくても……」

当然と言えば当然かもしれないけど。

「意味があるって、霧切さんの手のことだよね?」

「……その通りでちゅ」

「どうしてこんなことを……」

「あちしが考えたことではないんでちゅ」

「えっ?」

「アルターエゴさんが、そういう風にプログラムしたんでちゅ」

アルターエゴが……?
確かに、管理者としての権限を持っていれば出来そうだけど。
でも、直接ボク達に介入する力はそこまでないんじゃ……。

「理由は分かりませんから、本人に聞いてくだしゃい」

「う、うん。分かったよ。ありがとう」

疑問を浮かべながら、ハウスを出た。
なんでアルターエゴがこんなことをしたんだろう。
今なら呼べば会えるのかな?
取りあえず、霧切さんの元へ戻った。

……っていない。
フードコーナーはもぬけの殻と化していた。
なんかもう霧切さんがいなくなるのは慣れているけど、やっぱり寂しいものは寂しいみたいだ。
どこか空虚感を覚えたその時、場内アナウンスが鳴った。

『迷子の苗木誠君、迷子の苗木誠君、インフォメーションセンターで、保護者が待っています』

「えぇ……」

流暢な機械音声が、ボクの頭を空っぽにした。

「遅かったわね」

「流石に頭が理解するのに時間が掛かったよ……」

案の定、保護者はそこにいた。
コーヒーを片手に、霧切さんは椅子に座っている。
その姿はとても絵になって、飲み方にも品格を感じて、育ちの良さを感じさせた。
そういえば霧切さんってお嬢様なのかな?

「ゆっくりしてていいって言ったのに……」

「ゆっくりしなければ駄目とは言われていないわ。
それに、退屈だったのよ。だから色々探索していたの。
遊園地なんてもう滅多にお目にかかれない物だから興味深かったわ」

好奇心は猫をも殺すとは言うが、ボクは迷子にされるらしい。

「いつから霧切さんはボクの保護者になったの?」

「結構前からそんなものじゃない」

「えぇ……」

中学生の女の子が、当然のように言い放った。
妹、お姫様の次は保護者らしい。
いや流石に突然変異しすぎだろ……。

「そんなことはどうでもいいのよ。丁度アナウンスが便利そうだったから使っただけ」

「確かに丁度良かったかもね……」

自由に動けて、行き違いにもならないんだから。
それにしたって、いきなりあんなアナウンスをされても困る。

……だけど、確かにそんなことはどうでもいいんだ。
もう向き合う覚悟は決めた。
霧切さんが、どんな想いを背負っているのかは分からない。
きっと、ボクなんかには到底想像出来ない重さなんだろう。
背負うことも、考えるだけ無駄だ。
だけど、一緒に引きずっていくことぐらいなら出来るかもしれない。
ボクはそれぐらいのことしか術をしらないから。

でも、迷子だなんて、本当に丁度良かった。

「……ボクは迷子なんだよね?」

「ええ、そうみたいね」

「じゃあはぐれないように手を繋いでくれないかな」

「……えっ」

霧切さんは、持っていたコーヒーカップを落とした。
割れてしまったみたいだが、どうせ仮想のものだし問題はないだろう。
服にも掛からなくて良かった。

「あなた……意味を分かった上で言っているの?」

「ボクが意味を分かっているのは、霧切さんも知っているはずだよ。
時間をとらせてしまったかもしれないけど」

「……そう、そういうことだったのね」

霧切さんは、両手を返し、泣き笑いのような顔でそれを見ていた。

「結局、迷子なのは私だったのかもしれない……」

霧切さんの身体が少し震えている。
今にも泣き出しそうに見えるのに、いつまで経っても涙が零れてこなかった。
触れたら壊れてしまいそうで、ボクは見ていることしか出来ない。

長い時間が経った後、霧切さんは椅子から立ち上がった。
牛歩という表現でも足らない遅さで、ボクの方へ向かってくる。
一歩、一歩を、噛み締めるように踏み締め、ようやくボクの隣までたどり着いた。

「私……男の子と手を繋いだことが無かったのよ。
そのまま手は焼けてしまって。もう期待なんてしていなかったわ」

「そうだったんだ……」

霧切さんのことを知りたいという想いは、今でもボクの中で膨れ上がり続けている。
だけど、それがこんな痛みを伴うことになるなんて思わなかった。
あんまりじゃないか、こんなの。

「でも、仮初めのものでも、苗木君が最初の相手で良かった。
きっと、あなた以上に私の手を大事に掴んでくれる人は、いないだろうから」

……ボクの方が涙が出てきそうだった。
霧切さんは堪えているのに、情けないな。
ボクだって、妹はともかく、まともに女の子と手なんて繋いだことは無い気がする。
でも霧切さんは、こんなにもボクを信頼してくれている。
正直掴み方なんて全く分からない。
だけど、絶対に大事にするから。
それだけは、自信を持って出来ると思えた。

右隣にいる、霧切さんの左手を掴んだ。

「なんて言えばいいのかしら……言葉が上手く出てこない……」

まるで、初めて会った時と同じような声で、霧切さんは言った。
無機質で、感情がないような声。
無色透明の、何色にでも染まる、そんな声だった。

霧切さんはとても豊かな感情を持っている人だ。
ボクは知っている、沢山教えてもらったから。
だから、今の霧切さんがどんな色に染められていくのか、少し怖かった。
不安で、力みそうになるのを必死で堪える。
だって言ってくれたじゃないか、ボクより大事に掴んでくれる人はいないって。

信じてくれているんだ。
ずっと昔から願い続けていたことが、実現しているんだ。

応えないと。
右手に、ボクの希望の全てを注ぎ込んだ。

「苗木君」

「何?」

「私は、あなたに出会えて良かった」

「ボクもだよ、霧切さん」



「夏といえば花火……なのよね?」

「日本の心だよね。霧切さんも高校のみんなとやったことがあるでしょ?」

「そうね。ただあなたと二人でやったことはないわ」

「砂浜にでも行ってみようか。確かホテルの近くのスーパーにあったはずだから」

ボクらは、ずっと手を繋いでいた。
遊園地から出て、橋を渡って、ホテルまで戻っても、磁石でくっ付いたように離れなかった。

霧切さんはいつもと変わらないように見えるけど、どことなく表情が柔らかくなっている気がする。

スーパーで一式の花火、バケツ、ライター、ろうそくを調達して、砂浜へ向かった。
すっかり、とまではいかないが、日は沈み、空は黒に支配されつつあった。
僅かに残った青が、夏の香りを思わせて切なくなった。

「えっと、このままするんだよね……?」

「大丈夫よ、気を遣ってもらわなくても。もう十分あなたの温もりは伝わったから」

数時間ぶりに、ボクと霧切さんの手が離れた。
でも、なぜだかまだ繋がりを感じて、胸が温かくなった。

「アルターエゴには感謝しないとね……」

「そうだね。でもなんでこんなことをしたんだろう?」

「さあね、誰かさんのお人好しでもうつったんじゃないかしら」

「霧切さんのこと?」

「私の何処にそんな要素があるのか理解に苦しむわね」

霧切さんはそう言うと、早々に花火の準備を始めてしまった。
確かに霧切さんは一見冷たいように見えるけど、知っていく内に、そういう所があることが理解出来た。
やっぱり、霧切さんのことを知りたいと思ったことは、間違いじゃなかったらしい。
いや、間違いじゃなかったって言い切れる。

一頻りの用意を終えて、ススキ花火に火を付けた。
火花の放物線が、長いアーチを描けて、砂に注いでいく。
薄暗い中には眩いぐらいの橙が発光し続けている。

「これが日本の心なのね……」

「そうだね。でもなんで初めて見たように言うの?」

「音楽と一緒よ」

「繋がりが無さ過ぎて分からないんだけど……でも確かに音はいいよね」

「……そういうことじゃないわよ。印象なんて、一緒にいる人次第でどうにでも変わるの。
あなたは、どう思っているの?」

「……そうだね。凄く綺麗に見えるかもしれない」

平凡な人生を送ってきたボクは、平凡に花火を何回もやってきた。
でも、その記憶が霞むぐらいの新鮮さが、この火花にはあった。
チープな市販の花火が、こんなにも綺麗に見えるなんて、想像もしなかった。
一緒にいる人次第でどうにでも変わる……霧切さんの言葉が、心に響いた。

「……そう、嬉しいわ」

暖色に照らされた霧切さんの笑顔は、見ているだけで胸が一杯になりそうだった。
でもきっと、いつもの霧切さんだったら、もっと綺麗なんだろうな。
もちろん凄く可愛らしいんだけど、なんだか少し残念だった。

「線香花火というのが代表的らしいわね。やってみたいわ」

一本目の火が消えた後、霧切さんはバケツにそれを入れながら言った。

「やってみようか。でも気を付けないとすぐ落ちちゃうよ。……大丈夫?」

「私を誰だと思っているのかしら? さっさと貸して」

ムキになった霧切さんは、まるで子供のようだった。
……一応子供なんだけどさ。


「……貸して」

慣れないのか、霧切さんは何回も落とし続けた。
コツを教えようとしても、意地を張って聞いてくれない。
なんだか本当に妹のように見えて、声を出して笑ってしまった。

「そんなに人が失敗するのが面白いのかしら?」

「それは違うよ。可愛いなと思って」

「……本当にここ数日のあなたは生意気ね」

プイっとそっぽを向かれてしまった。
暗くて見えにくいはずなのに、蕾のまま落下した線香花火が、霧切さんの赤い耳を照らしていた。
これも超高校級の幸運なのかな。
最近は、なかなか捨てたものではないと思えてきた。

「それにしても、儚いのね……」

霧切さんは、落下した数多の線香花火を眺め、
物思いにふけっていた。
しかし、瞳の先はそこには向けられていないように見えた。
つい数秒前の子供っぽさが消え、外見とはアンバランスな雰囲気を発していた。

「こんなに瞬くようにしか存在できないものに、意味なんてあるのかしら」

霧切さんは、自分の手に視線を向けた。
……そういうことか。

砂浜に埋まった線香花火の明かりが、全て消え落ちた。
青みがかっていた空は、とっくに黒一色に染め上げられ、
辺りは闇に包まれた。
人工的な冷たい風が、頬を鋭く突いた。
常夏の島のはずなのに、夏の終わりが近づいていた。

夏の終わりは、いつだって切ない。
霧切さんが共感するかどうかは微妙だけど、
八月の日めくりカレンダーが、一枚ずつ捲られると、無性に胸が締め付けられる。
夏休み終了へのカウントダウンという印象が強いからかな。
平凡なボクには、なかなか耐えがたい思い出だった。
もう今の世界に夏休みも何もないんだけど。

「うわっ!?」

「えっ?」

驚きの声を上げたのはほぼ同時だった。
破裂音と、眩い光。
その方角を向いてみると、夜空には大輪の花が咲いていた。
何発も何発も、しつこいぐらいに花火の音が鳴り続け、
切なさなど何処かへ行ってしまった。
夏は終わらなかった。

……そうだ、終わらないんだよ。

「瞬くようにしか存在できないなんて、言わないでよ」

霧切さんの両手を掴んだ。

「……事実よ。現実では、こんな温もりなんて感じられないんだから」

「それは違うよ!」

物凄く、久々に出した声だった。
弾丸で貫くような、鋭さを持った言葉は、霧切さんの矛盾を砕いた。

「……それも、あなたの前向きさというものかしら。それはただの気休めよ」

「違う! 霧切さんの手は、ちゃんとあるじゃないか!」

「えっ?」

あるんだよ……。
ちゃんとあるんだ。
手袋の下に、霧切さんの手が。

「……立候補、してくれるのかしら。なんてね、冗談」

「するよ」

何の衒いもなく、その言葉は出ていた。
血は繋がっていなくても、心は繋がっている人。
ボクは、霧切さんにとってそういう人になりたい。

「……家族に、なってくれるの?」

「霧切さんが望むなら、ボクは絶対に拒まないよ」

「……そこは、ちゃんと言い切ってほしかったわね。
苗木君らしいけど」

一瞬の出来事だった。
霧切さんの姿が光に包まれて、シルエットが変化していった。
それが終わった後、そこに立っていたのは、ボクと同じぐらいの、高校生の霧切さんだった。

「霧切さん、だよね?」

「誰に見えるのかしら」

天使、かな。
今回は、何考えてんだよとも思わなかった。

たまらなく愛おしくなって、思いっきり抱き付いてしまった。

「な、苗木君? 何をしているのかしら」

「大好きだよ! 霧切さん!」

「……ええ、私も大好きよ、苗木君」

霧切さんは、受け止めるようにボクを包んでくれた。
結局、身長差は戻ってしまったけど、これでいいんだと思う。
ボクのコンプレックスは、今日、一つだけ消えた。

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