kk25_66

柔らかな感触。
それに触れたことはあっても、自らの唇で感じたことはなかった。
だって、触れたことがあるのは自分の唇だけだったから。


「……」
「……」


目の前の彼は呆然と立ち尽くしている。
床に尻餅をついた私はそんな彼を同じ表情で見上げていることだろう。


「…ごめんなさい、怪我は?」
――先に口を開いたのは私。
感情を表さず、心を凍らせ、何も感じていないかのように振る舞う。
表情はすぐに引き締めて、努めて冷静に、膝に力を入れて立ち上がり未だに固まったような彼と視線を合わせ(若干私のほうが背は高いけど)そう訪ねた。


「……―――っい、いや、ボクは怪我なんて一つも…!」
ぶんぶんと効果音がつきそうなほどに勢い良く首を横に振る彼に、ほっと安堵の吐息を漏らし
「そう…ならいいの。ごめんなさい、こちらの不注意よ―――忘れて」
「それを言ったらボクの方こそちゃんと前を見てなかっ………へっ!?」
自然な流れで言ったはずなのだが、彼には通じなかったのだろうか。
露骨に溜息を漏らして、仕方ないともう一度口を開く。
「 わ す れ て と、言ったの。…ここまで言えばわかるわね?」
「で、でも忘れてって言われて忘れられるような……」
やっぱりわかっていない、色々とわかっていない。
彼の言葉を遮るようにぐっと顔を近づけて、威圧するように指を胸につきつける。
「もう一度言わせる気?」
「………はい…忘れます…」


それでいいのよ、だってこれはただの事故なんだから。
「そう……それじゃあね、苗木君」
「あ、うん…霧切さん、ホントゴメンね…」


ゴメンだなんて一体彼は何を言っているのだろう。足早に歩き出した私の後ろから聞こえる声に独り言ちる。
だって何も謝られるようなことなんかされてないし、していない。
そう、あんな感触は気のせいだから、あんな事実はなかったんだ。


人気がないのを気配で確認した後立ち止まり、未だに熱を持つように感触が残る唇を、無意識になぞるよう指を這わせる。
手袋に包まれた手は唇の柔らかささえも感じないはずなのに――。
「どう…して……」
どうして、こんなに胸がドキドキしているんだろう。
どうして、顔がこんなに熱いんだろう。
どうして―――。


「…っ―――」
全部、これがいけないんだ。
私は勢いよく腕で唇を拭く。擦り切れてしまうのではないかと思うくらい、忘れようとするかのように。


そして私は歩き出す―――甘い感触は消え、ヒリヒリとした痛みを伴う唇をきゅっと閉じて。
探偵にこんなもの必要ない。
私の目的は唯一つだから。
雪の下からそっと芽吹くような暖かさは再び心を閉ざすことで忘れ、今度こそ立ち止まらずに私は捜査に戻った。

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