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「あっ、霧切さん! ……えっと、おはよう」

「……ええ、おはよう」

顔を合わせるなり、急ぎ足気味に寄って来た苗木君に、少し胸が波立つのを感じた。
思いの外、強い力で抱き締められると、今度は紛れもない動揺を感じてしまった。
結果として、返せたのは様式的な挨拶だけだった。唐突な抱擁に、上手く頭が働かず、数瞬思考が止まってしまう。
何故? どうして? というホワイダニットを繰り返すのは、物心つくころから染み付いた習慣だったが、
ここまで解答への糸口が掴めないのも稀で、巡り巡らせても暖簾に腕押しのように思えた。

「出会い頭に、とんだご挨拶ね」

刺々しさを含んだ語気になってしまったのは、優位性を取り戻そうとしたからかもしれない。
実際の所、彼に翻弄される一方なのは珍しいせいか、慣れない感覚に焦燥を感じてしまうのは確かだった。

「その、つもりだったんだけどね……あの、挨拶というか」

「どういうこと?」

「ほら、霧切さん前に言ってたでしょ、海外での暮らしが長いって。だからこういうのも慣れてるのかなーと思ってさ」

「……そう」

挨拶にしては、力が入りすぎている気がした。苗木君は慣れていないらしい。
そもそもとして、彼はこういう大胆なスキンシップを取ってくるタイプでも無いのに。
勢いのままに身を任せてしまったのだろうか。苗木君の腕のぎこちなさを思うと、そう取るのが正解のように思えた。

「……それで、ね。ふと、考えちゃったんだ。こうしてみたら距離が縮まるのかなぁ、なんて。ごめん、軽率だったし、怒るのも当然だよね」

力無い声だった。私の短い相槌をどう解釈したのかは分からないが、良い様には取っていないらしい。
苗木君は、背中に回していた腕を下ろした。離れてしまうと、縫い付けていた糸が解かれてしまったようで、あまりいい気分がしない。
再び縫い合わせるように、両腕で苗木君の身体を引き寄せた。

「……霧切さん?」

「別に怒ってないわ。そうね、戸惑っていたのは確かだけど」

何となく、焦燥を感じた原因が分かったような気がした。

「こうしていると、警戒心も、心の壁も、全て解いてしまいそうになる……。全てが緩み切ってしまいそうで、少し、焦ってしまったのかもしれないわね。
……不思議と、心地いいものなのね。人の体温というものは。……それとも、苗木君の体温だから、かしら」

彼の身体から伝わる温度を確かめてみると、安堵を覚えた。
確認出来たのは、ここに苗木君が居て、呼吸をしていて、触れたら温かいという、当たり前の事だけ。
だけどそれだけの事が、何よりも尊い物に思えて、それだけの事で、満たされているように思えた。

腕の力を強めると、彼の身体の感触が鮮明になった。
私よりも小柄で、時々性別も分からなくなるような容姿の苗木君も、やっぱり、男の人だと実感させられる。
少し、私の心拍数が上がったのは、気のせいでは無いかもしれない。

しばらくした後、腕を解いた。名残惜しさはあったが、これ以上この時間に浸る勇気はまだ無かった。
苗木君の肩を掴み、身体を離そうとすると、赤に染まり切った顔が視界に入った。
自分からして来た癖に、される側になると、こうなってしまうのは如何なものだろう。
だけど、私もさっきは同じようなものだったかもしれない。……そう考えると、無性に仕返しがしたくなる。
ふと湧いて来た衝動に身を任せて、苗木君の唇を奪った。ほんの僅かな間触れ合わせるだけだったが、刺激は存外と強い。
そっぽを向く。見なくても、彼の方も呆然しているのが分かった。引き延ばされたような間の後に、何処かずれたことを口にしたのも、そのせいかもしれない。

「え、えっと、さ、これも、挨拶なの?」

「……知らないわよ、したことなんて無いから」

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