見えない扉は危険

ホームルームを終えた放課後の教室。クラスメイトの多くが退出した後も、数人が席に残って思い思いに過ごしている。
すでに帰り支度を済ませていたボクも、なんとなく自分の席で携帯をいじっていたが、そろそろ帰ろうと腰を浮かした。その時。
「ホントだってば! ねえ、何とかしてよ!」
一際大きな声が聞こえて、思わず振り返る。
見れば“超高校級のスイマー”朝日奈さんが、最後列の席の葉隠クンに何か訴えていたようだ。
“超高校級の占い師”葉隠クンはおろおろしたような表情で……ボクと視線が合った。
『ちょいちょい』と、手招きされる。嫌な予感。……だが、一応席を立って彼らの方へと近づいた。
「いよう、苗木っち! いい所に来たな」
「いや……葉隠クンが呼んだんでしょ。どうかしたの?」
ボクの質問を無視して、彼は朝日奈さんの方に顔を向ける。
「なあ、朝日奈っち。オレ、そういうのはやってねーからよ。苗木っちに頼んでみ?
 ホレ、苗木っちなら何とかしてくれそうじゃねーか。なっ、なっ?」
わざとらしい愛想笑いを浮かべる葉隠クンと、戸惑うボクの顔を逡巡するように見比べる朝日奈さん。
やがて彼女は意を決したように両手で葉隠クンの机をドンと叩き、ボクに向かって口を開いた。
「ねえ、苗木。“トイレの花子さん”って知ってる?」

全く予想外の単語が飛び出し、ボクは二、三度まばたきを繰り返して答える。
「えっと……学校の怪談ってやつかな、それ」
「そう、それだよ! 皆困ってるし、何とかしてよ!」
……???? 意味がわからない。順を追って話すように、朝日奈さんに聞き直した。
「……ゴメン。最近学園で噂になってるんだ、花子さんのこと。苗木は知らないんだね」
そうなのか……知らなかった。ボクが頷くと葉隠クンが口を挟む。
「どうもオカルト好きの女子とか、運動部の間で噂が広がり始めてるみてーだべ。
 オレも小耳に挟んだぐれーなんだけどよ。この調子なら来週にゃあ学園中に広まってるかもな」

“トイレの花子さん”――ボクもあまり詳しい訳ではないが、全国的に有名な怪談の一つだ。おおまかに言えば、
学校のトイレの誰も使ってないはずの個室に声をかけてノックをすると返事が返ってくる――そんな話だった気がする。
小学生の頃はそれを聞いて学校のトイレが随分不気味に思えたものだけど……
まさか高校、しかも最新鋭の設備が整った希望ヶ峰学園で噂になってるなんて……。
「その噂って、どういう内容なの?」
尋ねると、朝日奈さんは深刻な表情でごくりと喉を鳴らして答える。
「これは……私の友達が、そのまた友達から聞いた話なんだけど――」

「――『このお話は、私の友達のA君が実際に体験した出来事です』」
何故かお決まりの文句を添え、重苦しい口調に変えて切り出す朝日奈さん。
「先週の金曜日、A君のクラスは体育の授業で、この新校舎2階のプールに行きました。
 ですが、野球部に所属するA君はつい先日、部活で肉離れを起こしていたため、見学をしていました」
先週の金曜――今日は休み明けの月曜だから、つい3日前の出来事か。軽く胸に留めておく。
「この日の見学者はA君だけではありません。クラスメイトのB君も一緒です。
 どうやらお腹が痛いそうですが、今思うと妙に青い顔をしていた……そうA君は振り返ります」
「そのA君かB君が、朝日奈さんの友達……の友達なの?」
「んーん。友達の友達から聞いた話、って言ったでしょ。だから、私の友達の友達の友達がそのA君。……だよね?」
聞き返されてしまった。ええと……ちょっと混乱するな。曖昧に頷いて話を促す。

「それで……それで、授業が進むにつれてどんどんB君は具合が悪くなってきたようで、
 ついに先生に声をかけて、プールを出て行ってしまいました。A君はB君が少し気になりましたが、見学を続けます。
 やがて、授業が終わりに近づいても、B君は戻ってきません。
 A君はだんだんB君が心配になってきて、自分も先生に断ってB君の様子を見に行く事にしました。
 向かう先は、プールの一番近くにある2階の男子トイレです」
ああ……それで、プールの話が“トイレの花子さん”に繋がる訳か。
いよいよクライマックスのようだ。ボクは黙って姿勢を正す。
「男子トイレに入ったA君は、B君がここにいると思ってまず声をかけました。『おーい、大丈夫か?』と。
 ……返事はありません。あれっ、と思った時、奥の扉が少し揺れたのが見えました。
 何かおかしい。不審に思って個室を順に見て回ります。どれも扉が閉まっていましたが、
 ロックの小窓は青――未使用になっています。一応扉を押して中を覗いても、やっぱり誰もいない。
 念の為に用具入れも確かめてみましたが、そんな所に人がいるはずもありません。
 自分と入れ違いにプールに戻ったのか? A君は混乱しながらトイレを出ました……」
……………………え? 終わり? そう思って油断した時、
「ぎゃーーっ!! B君は花子さんにさらわれたんだべ! そうに違いないべ! なんまんだぶなんまんだぶ……」
いきなり葉隠クンのあげた叫び声にぎくりとした。それは朝日奈さんも同じだったようで、血相を変えて彼に詰め寄る。
「ちょっと、もう、やめてよ! あとちょっとなのに!」
瞑目して念仏? を唱え続ける葉隠クンをさて置き、朝日奈さんは続けた。
「で、A君はプールに戻ったんだけど、やっぱりB君はいないし、その日から学校に来てないしで、
 先生に聞いても『体調不良で休んでる』としか教えてくれないんだって。……おわり!」
何かオチがすごく投げやりになっちゃったけど……よくわかった。そんな噂があったのか……。

「それでさ、この話聞いてから……やっぱり気持ち悪いじゃん。プールに一番近いトイレな訳だし。
 水泳部の皆もわざわざ1階のトイレまで行ったりして……だから、葉隠にお祓いしてよ、って頼んでたの」
朝日奈さんは万能のアスリートだそうだが、今は水泳に夢中で、よくプールに出入りしているらしい。
噂の影響を身近に感じている訳だ。一方、“超高校級の占い師”は……
「だーかーら、オレは占い師だから、お祓いなんてできねーべ! そもそもオカルトは信じてねーし!
 くわばらくわばら……なんまんだぶ……」
もう、訳がわからないな……。困り顔の朝日奈さんと顔を見合わせる。
「……葉隠はこんな感じだしさ、ねえ、頼むよ苗木」
「うーん……そんな事言われても……ボクだってお祓いなんて出来ないよ?」
そう言いながら、ボクの頭にふと疑問がよぎる。確かにちょっと妙な話だけど――“花子さん”。
――それって本当だろうか。何かの勘違いって可能性も……?
「お祈りでもおしぼりでも解決するなら何でもいいよ。じゃあさ、ドーナツ奢ったげる! 好きでしょ? ドーナツ!」
無防備にぐっと顔を近づけてくる朝日奈さん。大好物のドーナツの味を思い出したのか、心なしか頬が緩んでいる。
ドーナツは特別好きって訳でもないけど……こんなに迫られるとつい頷いて……
「……全く。バカバカしいお話ですわね」
馬鹿にしたような響きで、その場によく通る声がした。思わずそちらに顔を向ける。
――――セレスさん。ゴスロリ服を纏った可憐な“超高校級のギャンブラー”が、
少し離れた自分の席に座ったまま、冷めた目でこちらを見据えていた。

「セレスちゃん……バカバカしいって、どういう意味?」
少しムッとしたのか、細い眉を吊り上げた朝日奈さんがセレスさんの席に近づく。
「そのままの意味ですわ。“トイレの花子さん”――ありきたりの幽霊譚でしょう。
 ……幽霊なんて、非現実的すぎますわ。大抵の場合は人の心が作り出した幻に過ぎません。
 あなたがおっしゃるそれも、そうに決まっています」
「わかんないじゃん! ホントにいたらどうするのさ!」
「いないものがいたら……などという理屈は成立しませんわ」
ますますムキになる朝日奈さんと――セレスさんも口調は静かだが、何だか熱くなっている気がする。
「だいたい、わたくしのナイトである苗木君を、勝手に使わないで下さいな。
 彼に命令していいのは、主人であるこのわたくしだけ――」
「ちょ……セ、セレスさん!」
はらはらしながら見守っていたボクは、慌てて止めに入った。確かに、セレスさんからナイトに任命されたけど、
クラスメイトの前で改めて言われると無性に恥ずかしい……。
朝日奈さんはきょとんとした顔をして一旦、口を噤む。口論を収める効果はあったようだ。
「……では、賭けをしましょうか? このバカバカしい噂話の真相――わたくしが調べて差し上げます。
 本物の幽霊であれば、朝日奈さん。あなたの勝ち。そうでなければ、わたくしの勝ちです」
仕切り直して、セレスさんがギャンブラーらしい提案をした。朝日奈さんもにっこり笑って頷く。
「いいよ。幽霊じゃないなら、私もその方が嬉しいし。そっちが勝ったら、セレスちゃんにドーナツ奢ったげるね!
 私が勝ったら――うう、学校に本物の幽霊がいるなんて考えたくないけど……」
笑ったり、おびえたり……くるくる表情が変わる。そんな彼女の顔はセレスさんの次の一言でまた一気に明るくなった。
「朝日奈さんが勝ったら、わたくしがドーナツを御馳走しますわ。……わたくしが賭けで負ける事などあり得ませんがね」

いつもの元気を取り戻した朝日奈さんと、葉隠クンも教室を出て行き、セレスさんが口を開く。
「さて、苗木君。くだらない怪談話はさっさと終わりにさせましょう。すぐに調査を始めますわよ」
「あ……やっぱりボクもやるんだね」
「当然ですわ。わたくしの手足となって働く事はあなたの職務、いえ、天命ですもの。
 賭けた以上、絶対に敗北は許されませんから、わたくしも多少は動いて差し上げますが――
 ……件の怪談の舞台は男子トイレですものね。喜びなさい、あなたの活躍の機会ですわよ」
トイレで喜べって言われても……。まあこうなる事は薄々わかっていたし、朝日奈さんも本当に困っているみたいだ。
ボクにできるだけの事をするのに異論はない。
「それで、まずはどうするの? 2階のトイレに行ってみる?」
尋ねると、セレスは思案するように細い腰と顎に手を当て、眉を寄せる。
ちょっと芝居がかっているが、いちいちサマになっている所が凄い。
「実地調査は後にして……情報収集が先ですわね。噂には、尾ひれがつきものです。
 悪意はなくとも、朝日奈さんの証言に誤解や誇張が混ざっている事も考えられますわ」
「じゃあ、噂の元をたどらないとね。さっきの話だと、野球部の人か。今の時間なら、グラウンドで部活中かな?」
ボクたちはグラウンドを目指し、教室を後にした。

野球部員を求めてグラウンドに移動したボクたちだが、そこで足を止められる事になった。
今、野球部の面々は――試合形式の練習中のようだ。太陽の下、マネージャーや監督も含めて皆、声を出し合い、
真剣な表情で白球を追っている。とても、噂話なんて聞き出せる空気じゃない。
「まいったな……。どうしよう、セレスさん。終わるまで待つ?」
「冗談じゃありませんわ。このクソ暑いのに、こんな場所で時間を潰せるわけがないでしょう」
そう言うセレスさんは洒落た黒い日傘を差し、しっかり木の影に入っている。
いつものゴスロリ服をしっかり着込んで……白い顔には汗一つかいていないようには見えるが、
やっぱり暑いものは暑いんだな……。
それはさておき、ボクもこの炎天下で、いつ終わるとも知れない試合を見守るのは御免だ。
せめて別の関係者から話を聞ければいいんだけど……。
クラスメイトの“超高校級の野球選手”桑田クンが部に所属していない事が少し恨めしい。
本人はミュージシャンになるとか言い張って、入学以来グラウンドからは遠ざかっているらしい。
「あ……苗木君。あちらの方を見てください。もしかすると話を聞けるかも……」
セレスさんに言われ、思考を中断して顔を向ける。見ればボクたちから少し離れた場所で、
汗を流す野球部員にカメラを向ける女子生徒がいた。
なるほど、彼女の右腕には『新聞部』と大きく書かれた腕章が巻かれている。

「あのー、すいません。新聞部の人ですよね?」
セレスさんに顎で指図され、ボクから話しかけた。ショートカットの彼女は、構えていたカメラを下してこちらを向く。
意思の強そうなきりっとした目元と、鼻の辺りのそばかすが快活な印象の女の子だ。
「アタシ? ……あー、紛らわしくてゴメンね。本当は新聞部じゃなくて――
あっ、待って。ねえ、そこのキミ! 1枚写真撮っていいかな?」
ボクの質問への答えを中断し、相変わらず日陰に佇むセレスさんに声をかける。
突然のオファーにも関わらず、セレスさんは即座に微笑み、軽く日傘を傾けてポーズを取った。さすが……。
西洋人形みたいな整った容姿といい、確かに最高の被写体だろうな……そう思ってシャッターが切られる所を見ていたが、
カメラを下した新聞部?さんは苦笑しながら一人呟く。
「んー……もうちょっと自然に笑って欲しかったな。いきなりすぎて緊張させちゃったか……」
ボクには十分自然な笑顔に見えたけど……写真をやっている人には違いがわかるものなのか……。

わざわざ太陽の下で話を続けるのもどうかと思うので、セレスさんの待つ日陰へ二人で戻った。
「写真、ありがとね。アタシ、77期生の小泉真昼。写真で何回か賞を貰った事があって、
 何か照れ臭いんだけど、“超高校級の写真家”って呼ばれてます。よろしくね」
小泉先輩はそう言って気さくに笑う。そう言えば、前に生徒が賞を取った写真が学園に展示されてたような気がする。
ボクとセレスさんも軽く自己紹介をして、頭を下げた。
「そんな有名な方に写真を撮って頂けて光栄ですわ。それで、その『新聞部』というのは?」
“奴隷候補”の才能の持ち主はだいたいチェックしているというセレスさんだが、女子は対象外のようだ。
社交辞令を挟みつつ、先輩の右腕の腕章を指さしながら質問する。
「これね。アタシは写真部の所属なんだけど、新聞部の友達に頼まれちゃって……。
 『本当にあった希望ヶ峰学園・七不思議!』みたいな特集記事を組みたいらしいんだけど、人手不足なんだってさ。
 取材と写真撮影だけ、ピンチヒッターで手伝ってるの。合間に個人的な写真も撮りながらね」
七不思議……? 何だか噂話が大きくなってる。それはともかく、その新聞部としての活動は渡りに船だ。
セレスさんと目配せをして、さらに話を引き出す事にする。
「じゃあ……もしかして、小泉先輩も野球部の人に“花子さん”の噂を聞きに来たんですか?」
「そうだよ、“トイレの花子さん”。噂の出発点の野球部員にアポイントを取ってて、さっきインタビューを終えたとこ。
 『も』って事は……キミたちも噂を調べてるの?」

「実は、わたくし達の友人が水泳部の所属なのですが、例の噂をひどく怖がっていて――
 『調べてみたら根も葉もない噂でしたわ、安心しなさい』――そう言って差し上げる為に、噂の真相を調べているのです。
 ……小泉さん。差し支えなければ、取材した内容をわたくし達に教えて頂けませんか?」
虚実を織り交ぜながら両手を組んで哀願のポーズを取るセレスさん。巧みな話術に、いつもながら感心する。
笑顔に敏感な小泉先輩もまるで疑う風でなく、大きく頷いた。
「いいよ。さっき写真も撮らせてもらったし、そういう理由なら。
 ただ、アタシは話を聞いただけで、聞いた限り噂の真相なんてわかんないけど――」
制服のポケットから取材メモを取り出した小泉先輩の話と、朝日奈さんの証言との照合作業を始める。


……結論から言ってしまうと、2つの証言の間に矛盾は発見できなかった。
新しい情報が何もない訳じゃないけど――
  • トイレに入った時、一番奥の扉が揺れた事は間違いない
  • その日の放課後、いなくなった友人の携帯に電話をかけたが繋がらなかった
――良くも悪くも、朝日奈さんの話の内容が補強された事が収穫だろうか。
「野球部の彼も心配してたんだけど……まあ、明日にでもひょっこり帰ってくるんじゃない?」
最後にそう付け足した小泉先輩は、怪談話についてはあまり信じていないようだ。
インタビューの成果を新聞部に届けるという彼女にお礼を言って別れる。
その場に残された幽霊説否定派のセレスさん……と、ボクの間には微妙な空気が流れた。
「……次はどうする、セレスさん?」
「……こうなったら、実地調査しかありませんわね」
そう言ってポーカーフェスの彼女にしては珍しく、心底不本意そうな顔をする。


新校舎2階――ボクはセレスさんに背を押されるようにして、男子トイレの前までやって来た。
扉をそっと開けて廊下から中を覗いてみると、噂の影響か人の気配はない。
「さあ、苗木君。お待ちかねの出番ですわ。露払いは任せましたわよ」
促されて……怪談話については半信半疑といったところだが、やっぱり実際に現場に来ると少し緊張するな……。
ボクがゆっくり足を踏み出すと、じりじりとセレスさんも続く。ボクはふと思った事を口にした。
「……あの、セレスさんは廊下で待っててくれてもいいんだよ? 今は誰もいないけど男子トイレなんだし……」
「何をおっしゃいます……! あなた何も発見できず、わたくしが賭けに勝てなかったらどうしますの?」
何故か小声で答えるセレスさん。うーん……やっぱりボクじゃ頼りないか……。
ボクは軽く頬を掻いて、少しでも役に立てるように、調査に集中する。

男子トイレの間取りは、廊下から入ってすぐ左手前に洗面台と鏡、その並びに小便器が4つ。
一番奥の壁には窓が一つ、右手には個室が並んでいる。
昔の学校のトイレと言えば暗くて汚いのが当たり前だが、希望ヶ峰学園は清掃会社と契約しており、
毎日全てのトイレがプロの手で磨かれている。おかげでここも、明るくピカピカだ。
(もしトイレが不潔だったら、流石にセレスさんはついてこなかっただろう……)
これだけ見れば、何かが“出そう”な気配は微塵もない。
問題は個室だが――ボクが先に立って手前から順に調べてみる。
扉のカギの小窓は青、つまり未使用。そっと扉を押して中を覗いた。
特に変わった所はない、ありふれた洋式便器だ。バカバカしいようだが、何となく蓋も開けてみる。異常なし。
同じ手順を3度繰り返して、一番奥の扉も開けてみる。……ここは用具入れだった。
広めのスペースに、お馴染みのブラシやゴム手袋が数セット置かれているだけだ。

手詰まり感に襲われ、ちらりとセレスさんの方を見て意見を求める。彼女は絞り出すように、
「……ちなみに、定番の“トイレの花子さん”はどういう筋書きでしたか?」
「えっと……放課後に学校の決まったトイレの個室のドアを、決まった回数ノックして、
 『花子さん、遊びましょう』って声をかけると、『はーい』って返事があるんだったかな。それだけの話もあれば、
 女の子の幽霊が現れたり、声をかけた子がどこかに連れて行かれるってパターンもあったと思う」
ボクの説明に、セレスさんはことさら強く鼻を鳴らす。
「ふん……。やはり、くだらないですわね。今回の失踪騒ぎもその類型でしょうが、
 実行した子がいなくなるなら、そのお話は誰から聞きましたの?」
「ボクに言われても、そういう怪談だから……。一応、試してみる?」
「必要ありませんわ……! その怪談を結びつけるなら、学校を休んでいるという生徒――B君でしたか。
 彼が具合が悪い中、儀式めいた行為をした事になります。そんなはずがないのは、バカでもわかるでしょう」
まあ、確かに。事実としてわかっている事は、金曜に授業を抜けた生徒が月曜の今日も休んでいる事。
トイレに様子を見に行った生徒が誰もいないのに扉が揺れているのを見た事。それぐらいだ。
空白を有名な怪談話で埋めたのは、想像の飛躍と言わざるを得ないだろう。
でも――これで事件解決という訳にはいかない。セレスさんと朝日奈さんの賭けは勝敗がつかない事になる。
さて、どうしたものか……。ボクとセレスさんは無言で顔を見合わせた。

しばらく2人で黙っていると、ふいにカチャ……という物音がした。
一瞬、びくりとして音の出どころを目で探す。――入り口のドアノブがゆっくりと回って……誰か入ってくる!
ボクがそう思うと同時にセレスさんに両手で胸を突かれ、背後の……3番目の個室に押し込まれた。
そのまま彼女も同じ個室に入り、素早く後ろ手で鍵を閉める。
ボクは混乱しながら、しかし出来るだけ音量を絞って抗議の声を上げた。
『ちょ……な、何!?』
『このわたくしが! 男子トイレなどにいる所を見られたら……!』
セレスさんも声をかなり抑えて……顔が近いお陰で何とか聞き取れた。そういう事か。
冷静に考えれば隠れるのはセレスさんだけでいいのだが、とっさの事で、よほど慌てていたのだろう。
しかし……この体勢は何だか危ない気が――
今、ボクは……後ろに便器があるのでそれ以上後ろに下がれず、背後の壁に手をついて体を支えるのが精一杯だ。
一方、セレスさんも……ボクの方に倒れ込まないように、壁に手をついて何とかバランスを保っている。
所謂“壁ドン”の体勢で……ボクらは密着寸前の距離で固まる事になってしまった。
いや……体の何ヶ所かに柔らかい感触がある。そこを見るのが異常に恥ずかしい気がして顔を動かせないが……。
お互い顔が近く……声を殺していても息遣いが聞こえる。何だかバラのようないい香りもして、くらっとくるような――

耳の方は、外の状況にも神経を尖らせていた。突然の闖入者――恐らく“彼”は、トイレに中々入ってこないようだ。
見えないので想像するしかないが……何だろう、中の様子を窺っているのか? それとも携帯でもいじりながら?
しばらく経って、ようやくコツコツという靴音が響き始める。
靴音はボクらが隠れている個室の前を通り過ぎ――きぃ、ぱたん。というドアが開け閉めされる音がして再び静かになった。
用は小便器の方じゃない……これは、個室から出るチャンスかもしれない。
少し緊張を緩めた所で、おもむろにセレスさんが相変わらずの小声で言った。
『あの……苗木君。硬いのが当たってますわ』
『!! えっ……ご、ごめ』
『膝を、少しずらして下さい』
…………言われた通りに膝を少し動かし――もう大丈夫だろう。ボクらは体勢を立て直して位置を入れ替える。
セレスさんと頷き合って、ボクから先にそっと個室から出た。
周囲を見渡し、誰もいない事を確認してから、扉を手で押さえてセレスさんも出るように促す。

「早くトイレから出なくては……調査はここまでですわ」
小声で言って、出口に向かうセレスさん。ボクもその後を追おうとして――とっさに彼女の手首を掴んだ。
「ちょっと待って。……何かおかしい」
目で抗議するセレスさんに答える。
「今、入ってきた人はどこ?」
胸の中に急激に疑念の雲が湧きあがる。そうだ。確かに今、靴音がしていたのに。
ボクらが入っていた個室の他、残る2つは未使用中だ。一応、ドアをノックして開いても……誰もいない。
セレスさんは大きな目を見開いて絶句した。ボクの背中を冷たい汗が流れる。
噂と同じ……トイレに入った人が消えちゃうなんて、そんな事が現実に……――
いや、起こる訳がない。必死に理性を働かせ、恐怖心を振り払う。
何かの錯誤があるはずだ……トイレに隠れていた間の記憶を辿った。

事が起こる直前……入り口のドアノブが回るのをボクもセレスさんも見ている。
それから、個室の中で足音を聞いた以上、誰かが入ってきた事は確実だ。
足音はボクらの個室の前を通り過ぎ……別の個室のドアが閉まる音。
しばらく後でボクらが個室から出て……ダメだ、トイレから出た人がいて気づかない訳が……
待てよ。ボクらの入っていた個室は3番目だ。その前を通り過ぎたって事は――
「用具入れ。そうだ、さっきの人は用具入れに……?」
おかしな話だ。清掃業者でもなければ、用具入れに隠れてるっていうのか?
そういえば……最初の噂でも“一番奥の扉が揺れていた”と聞いていた。
個室の一番奥って、まさしく用具入れじゃないか……!

さっきは気づかなかったが、そこに何かがあるに違いない。
ボクは些か興奮気味に、用具入れに近づいた。
セレスさんは困惑しながらも、ボクの後ろからついてくる。ボクの右腕を両手で掴んで……。
用具入れの中は、さっきと変わらずありきたりの掃除用具が数点置かれていた。
中は広く、人ひとりぐらい余裕を持って入れる。閑散としていて、身を隠すスペースなんてない……――
じっと観察していると、突然、奥の壁の端に切れ目が走った。
ボクは息を飲み、セレスさんに腕を引かれるのにも構わず変化に目を見張る。
切れ目の向こうには暗い空間があり、ゆっくり壁が奥に動いて広がっていく。……隠し、扉?
空間が壁の幅くらいに広がると、ふいに向こうから人が現れて、ボクは驚きのあまり、悲鳴を上げそうになった。
……っ!! ――…………あれ? 何だろう。この人、見た事がある……。
若々しい、大人の男性だ。髪は短く、優しそうな雰囲気で、上品なスーツを着ている。幽霊らしいところは一つもない。
彼もボクと同じく、心底驚いた顔をしていて……「しまった」唇がそう動く。
「が、学園長……?」
背後でセレスさんが呟くのと同時に、彼女の指が思い切りボクの腕に食い込む痛みで我に返った。
そうだ、この希望ヶ峰学園の学園長! 行事で何度か見かけた事がある。
怪談のトイレの用具入れに隠し扉があり、中から学園長が現れた。その事にボクはただただ驚いていた……。

「落ち着ける場所で話がしたい。ついて来てくれないか?」
学園長にそう言われたら、黙って従うしかない。ボクらは新校舎4階の学園長室まで連れてこられた。
勧められて応接セットの皮張りのソファに2人並んで座る。状況が飲み込めないが、今から怒られるのだろうか。
緊張しながら、向いのソファに学園長が座るのを見守った。
「……さて、君たちは78期生の苗木君と……セレス君だね」
……まさか、学園長がボクら一人一人の名前を憶えているとは驚いた。そのまま口にする。
「いや、あの子と同じクラスだからね」
少し気まずそうに視線をそらす学園長。……あの子って? 疑問に思ったが、聞きづらい雰囲気なので黙っておく。
「それより……君たち。さっき見たトイレの件だけど……見なかった事にしてくれないかな。
 一般の生徒が知っていると、何かと混乱を招きかねない……」
思っていたのと違う展開だ。セレスさんと顔を見合わせると、今度は彼女が口を開く。
「何も聞くな。何も話すな。――そう、おっしゃいますの? それは虫が良すぎますわ。ねえ?」
セレスさんが芝居がかった口調でこちらに振ってきた。それは、そうかも……。頷いて調子を合わせる。
「うーん、しかしだね。まあ、“あれ”について少し説明するぐらいなら構わないが」
「少しの説明で済みますの? これは重大な問題ですわよ。希望ヶ峰の学園長が拉致監禁とは……」
突然の爆弾発言に、ボクと学園長は驚きのあまり腰を浮かして聞き返した。
「ら、拉致監禁!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、セレス君。何の事だい!?」
多少はハッタリも含めていたのかもしれない。セレスさんは涼しい顔で首を傾げる。
「あら、違いましたの? てっきり失踪した生徒は隠し部屋に囚われているのかと」
「失踪とか、監禁とか……君たちがあそこに来た経緯に関係ありそうだね。
 まず、その辺りの事を聞かせてもらうよ。私の話はそれからだ……」
苦い顔の学園長に、かいつまんで事情を説明する。

「なるほど……“トイレの花子さん”とはね。そんな噂があるとは知らなかったよ」
学園長はしきりに頷いて言った。生徒の間で広がり始めた噂は、まだ教員には届いていなかったのか。
「とりあえず、はっきりさせておきたいのは、例の隠し部屋とその生徒は無関係という事だ。
 あの部屋は私を含めた一部の職員だけが知る秘密で、中には資料を収めた本棚と机があるだけだよ。
 噂の発端になった野球部員の彼は、金曜日に私があそこに入った所を偶然見てしまったんだろう。
 確かに授業中――生徒に見られない時間帯に、あそこに資料を取りにいったからね」
誰もいないはずのトイレの扉を揺らしたのは学園長。それは確かなようだ。それにしても――
「あの、それはいいんですけど、どうしてあんな部屋があるんですか? わざわざそんな所に資料を置くっていうのも……」
やはり聞かずにはいられない。学園長は躊躇うように少し沈黙し、
「何故あんな部屋があるのか……私にも正確な所はよくわからない。
 新校舎を設計した“超高校級の建築家”の遊び心だとか、かつての学園長の指示だとか聞いているが……
 長年、あそこに特別な資料を保管する慣習があってね。私が学園長になった時に引き継いだんだよ」
特別な資料……? ボクが聞き返す前に、セレスさんが得心したように鼻を鳴らす。
「……読めましたわ。希望ヶ峰学園は伝統と信用のあるこの国最高の教育機関――
 長い歴史の中で、学園の外にも内にも漏れてはまずい汚点もあるのですね。
 例えば、会計監査の際に指摘されかねない不審な“帳簿”など……」
「それについては、私から君たちに説明する事はできない。だが、私が学園長であるうちに最善を尽くすつもりだよ」
学園長はきっぱり言って口を一文字に結んだ。きっと大人の世界には今のボクらには想像もできない――
綺麗な事も汚い事も、色々あるのだろうが……学園長の澄んだ瞳はまっすぐにボクらを見つめている。
――この人は、信用してもいい気がする。セレスさんも頷いて矛を収めた。
「わかりましたわ。……では、後一つだけ教えて下さいな。それと引き換えに、わたくし達も隠し部屋の秘密を守りましょう。
 いなくなったという噂の生徒に、本当は何があったのか。学園長なら簡単に調べられるでしょう。
 そこさえはっきりすれば、くだらない噂もすぐに収まりますわ」

それからすぐに学園長が電話をかけてくれて、噂の真相が明らかになった。お礼を言って、学園長室を後にする。
「……まさか、盲腸とはね。救急車で運ばれてそのまま入院したんじゃ、学校に来ない訳だよ」
セレスさんと廊下を歩きながら苦笑する。その後、携帯が通じなかったのは救急隊員に電源を切られた為だろう。
「初めからトイレには行かず、お腹を押さえて保健室に行っていた。心配した友人はトイレに行って大騒ぎ……
 タネが割れてみれば、やはりバカバカしいお話ですわ」
「それにしても、それならそうと担任の先生も言ってくれればいいのにね。だったら変な噂にならなかったのに」
「仕方ありませんわ。最近は、個人情報だのプライバシーだのうるさい時代ですもの。
 しかし、学園長から入院中の生徒に連絡して、野球部の友人に電話するように言って下さるそうですから、
 これでくだらない怪談騒ぎはおしまい……朝日奈さんとの賭けも、わたくしの勝ちですわね」
セレスさんは余裕の表情で勝ち誇る。……まあ、ドーナツは実際どうでも良かったのだろうが、随分ご機嫌だ。
ボクも少し、茶化したくなって言った。
「でもさ、本当は……ほんのちょっぴりくらいは、セレスさんも怪談が怖かったんじゃない?
 ほら、トイレで用具入れを調べた時、セレスさんが強く腕を握ってくるから痛いぐらいだったよ」
セレスさんの態度は初めから一貫しているが、大人びているようでいてもやっぱり女の子だ。
あの時、いつも嵌めている大きな指輪が当たっていた部分の腕はまだ少し痛い。
怖くてあんなに強く握ってきたんだとしたら――口には出して言えないけど、可愛い所もあるな……。
「そんな訳がないでしょう。わたくしは非科学的な事は信じませんわ」
……真顔で否定されてしまった。まあ、彼女はそう言いながら“運”の力を固く信じている訳だけど……
そこを否定したらボクが“超高校級の幸運”として学園にいる事もないな。うん、深く考えないでおこう。
「ただ、あの時……何者か正体はわかりませんでしたが、生徒の失踪に関与したものに、
 あなたが連れて行かれるかも……とは思いましたの。わたくしの、大切なナイトが……」
「え……それって」
あんなに強く握ってくるほど、心配してくれたのだろうか。セレスさんが、ボクを。
ボクは一気に顔が熱くなり、どきどきしてきた。
「だって、ナイトと言えばわたくしの下僕。所有物ですものね。おいそれと他人に差し上げる訳にはいきませんわ」
セレスさんはこちらに顔を向け、無邪気にうふふ、と笑う。
うーん……全てが本心かはわからないけど、好意の表れとして受け取っておこう。
ボクらはそれから、2人で談笑しながら放課後の廊下を並び歩いた……。

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