placebo

「プロデューサーは……軽い冗談が自分の手の届かないところで大ごとになってしまったことって、
あります?」
「……なんだって?」
 お互い別行動だった昨日、なにかがあったらしい。今朝から律子の様子がおかしかった。
 今日は幸い打ち合わせ関係ばかりでカメラに写る仕事は入っておらず、この妙にやつれたご面相
を全国に発信することにはならなかったが……いつまでもこのままではいるわけにもいくまい。
 渋る彼女をなだめたりすかしたりの挙句、今しがたのように律子が口火を切る気になったのは
もう日暮れ間近になってからだった。一服の名目で入った喫茶店、アイスティーを一口飲んで
律子が言葉を継ぐ。
「うーん、たとえば、ほんの冗談で『あなたの家が火事よ』って嘘をついたら消防車を呼ばれたとか。
『なんでも当たる占い師です』って普通のおばさんを紹介したら全国から人が集まってしまったとか」
「ふむ、プラシーボ効果ねえ」
「……それ、お医者さんから『これは血圧の薬だ』って言われて薬を渡されると、実はビタミン剤
でも高血圧の人が一時的に降圧したりするっていうのですよね。こういうことにも言うんですか?」
「拡大解釈気味だがね。あの理論のキモのひとつは『権威のある人物の言う言葉には相応の影響力
がある』という部分なんだ」
 その効果を確認する実験にしても、八百屋の親父に薬を渡されたところで信じる被験者はいまい。
白衣の研究者がもっともらしい説明とともに渡した薬だから、効能を発揮するのだ。
「そうだな、たとえば高木社長がテレビ局のお偉いさんに『この人物は信頼できる、腕の立つ
プロデューサーです』と、さっき街で出会ったばっかりの若造を紹介したとする」
「ふふ、プロデューサーの話ですよね、たとえ話じゃなくて」
ようやく笑みがこぼれるのを見て、会話の方向性はこうであったかと内心で胸をなでおろした。
「どうかな。するとその人物が思いつきで語った『理系アイドルVS文系アイドル・ディベート大合戦』
なんて企画が本当に番組になるわけだ」
「で、その後で担当することが決まった事務員兼任アイドル候補生がオーディションに駆り出される
ことになるわけですか」
「お前が候補生で本当に良かった……いや、あくまでたとえ話だぞ」
「はいはい、そういうことにしておきます」
 もちろんその番組制作に、その日プロデューサーになったばかりの俺は関与していない。実際
にはディベートではなくクイズバトルになったし、どういうわけだかプールで水着で収録されたその
番組はしかし、視聴率が取れたのでパート2が作られ、パート3の制作も決定した。後に社長から
裏話を聞いて、見出された恩を少しでも返せたかと喜んだ記憶がある。新人アイドルだったがゆえに
ねちっこいカメラアングルを拒否できなかった律子からはしばらくブツクサ言われ続けたのだが、
と、いやこれは脱線だ。律子に話題を振り返す。
「で?お前は誰に何をどう吹っかけたんだ?社長みたいに『俺が敏腕プロデューサーだ』って
ハリウッドにでも売り込んだのか?」
「私の身が滅びますよ、そんなことしたら。……んー、ええと」
 しばし目を泳がせて、たとえ話ですよ、と改めて念を押す。
「あるところに、タカラヅカ系って言うか、ぱっと見カッコいい王子様タイプの女の子がいて、女の子
らしい立ち居振る舞いに憧れているとします」
「……真がなにかやらかしたのか?」
「ち、違いますよ逆です、たとえ話って言ったじゃないですか」
「あ、そーか」
「もうっ。で、その子が『女の子らしさを勉強したい』って相談に来たので、アイドル事務所を紹介したら」
「オーディションで落とされて、その子がふさぎこんだ?」
「社長が即採用しちゃったんです……女の子なのに、男性アイドルとして」
「あちゃあ」

 現在の芸能界は少々のことはすべて話題性や個性と受け取る風潮がある。もと男性の女性タレント
がいたり、逆の事例があったり、この業界では男か女かといったことは、八重歯のあるなし程度の
個性にしか過ぎないのだ。もっとも、真剣に悩んだ結果この世界に救いを見出した、という者も
存在するので全てを悪と切って捨てることは出来ないが……。
「……こうなるはずじゃなかった、って感じなのか。律子にとって」
「その場の状況から結末は読めたんですけど、ここまでとんとん拍子に進むとは思ってなくて
……あの、あくまでたとえ話ですよ?」
「わかってるって。エッセンスはこうだ、『お前はちょっとノリ過ぎた』、そうだろ?」
 実際の経緯がどうあれ、その過程で律子は誰かを巻き込んでしまったのだろう。普段なら冗談は
冗談で済むよう手回しできる彼女が、場に流されて収拾をつけられなかったということなのだ。
「その子は本意でない仕事をさせられて困ってるんだな。で、お前はそれを気に病んでゆうべは
一睡もできなかったと」
「……あはは、バレてましたか」
「アイドルが目の下にクマってのはいただけないな。そんなに深刻なのか?」
「まあ、私としては少々戸惑ってます」
 ことの軽重を度外視するなら、こういう事は実はよくある話だ。うっかり吹いた自慢話に食いつかれたり、
誰も聞いていないと思った愚痴を広められてしまったり。プラスの影響もあるのが噂話の侮れない
ところだが、彼女はそのマイナス部分を相当シリアスに受け取っている。具体的になにが起きたか
は示されていないが、人に笑顔を与える人気者商売は心配事を抱えたままやっていけるものではない。
「リアルな話をするが、損害賠償とか訴訟に発展しそうか?」
「いえ、まだそういうレベルでは」
「なら、全部ぶちまけて、謝ってすっきりするべきではないか?俺が足しになるんなら一緒に頭を
下げるが」
「それができれば、一番いいんでしょうね」
「……できないってことか?」
「はぁ」
テーブルに目を落とした律子が、上目遣いで俺を見る。
「本人が……やる気になっちゃいまして」
「ハイ?」
「私、その子を励ましちゃったんです。意にそぐわない正反対の仕事にこそ真実がある、って」
「……問題点を整理したいのだが、いいか?」
 つまり、このたとえ話の内容は、こういうことだ。
 1.女らしさを身に付けたい女の子が律子を頼ってきたが、律子が紹介した事務所はその子を
男性アイドルとして評価した。
 2.事務所の社長は『律子の紹介なら』とその子を採用したが、律子の思惑とは裏腹に彼女を
男性アイドルとして売り出すことにしてしまった。
 3.女の子は『話が違う』と律子に抗議したが、成り行き上律子は『男の子を演じることで男の子の
理想像をつかむことができる』と説得し、女の子も『律子がそう言うなら』ととりあえず男性アイドルの
トップを目指す気になってしまった。
「……こんなところ?」
「はい」
「つまり律子先生は今回、ニセ薬を合計二人に処方したってわけか?」
「そう、なりますかね」
「登場人物の誰一人として困っていないようなのだが」
「私が困ってるんですっ!」
「あー了解」
 律子としては、自分のプラシーボがここまで有効に作用して、今さら引っ込みがつかないのだ。
このままその子が挫折すれば律子のせい、どこかで秘密がバレても律子のせいになる。逆にこの
プロジェクトが成功しても、真実を話せない律子に手柄は届くまい。

「でもアレだぞ?この話の中で悪いのは事実をネジ曲げた事務所社長だぞ?お前は知らんふりか、
なんならその子の側に立って被害者を演じる事だってできる」
「でもあの子には」
「最終的に決断したのは本人だ。たとえ律子の説得でも、本当に嫌なら断われたはずだ」
「でも……でもっ」
 いつもなら、整然と論理を詰めるのは律子で、感情論で立ち向かうのは俺だ。義理人情で問題を
ややこしくするのは俺で、損得を計算して冷静にことに当たるのは律子だ。それがどうしたことか、
今日だけは立場が逆だった。
 手元のコーヒーを飲み干し、俺は言った。
「よし、わかった」
 本当はなにもわかってなどいない。たとえ話の応酬で始まった会話は、組み合わさっていない
ピースをいじるだけの成果のない遊びになっていた。しかし、その中にもゆるぎない事実がある。
 いま、律子が困っている、ということだ。
「ならばこうだ。律子、お前も根性を決めろ」
 そして、彼女が困っているのなら、俺はどんなことをしても彼女を助けるのだ。
 律子はさっき『違いますよ、逆です』と言った。ということは、たとえ話は全くの絵空事ではないのだ
ろう。ある点では彼女の話したとおりのことが起きているのだ。
「この話の最大の問題は、お前の手から離れたところでものごとが進んでいるという点だ。なら
これを解決するのにベストの手段がある。律子、お前が事態を掌握するんだ」
「え、だ、だって」
「お前のたとえ話で二つ確かなことがあった。事務所社長と女の子が、お前を信頼しているという
ことだ。ここに間違いはないな?」
「は、はい」
「それなら話は簡単だ。お前はその両方に食い下がれ」
 秋月律子という人物の長所はその企画立案能力で、短所はその硬直性だ。計算が思い通りに
いった時の効果は抜群だが、想定外の事態に対処できない。今回はその想定外の事態が
起きているのだ。
「その子の事務所に割って入って、その子に有利なプロモーションを奪い取れ。そしてその子を
指導して事実を隠蔽する能力を磨き、男とか女とかじゃない人間としての魅力を高めてやるんだ」
「で、でもよその事務所――」
「紹介したのは律子だろう、いわば保護者で後見人だ。お前にはその権利も義務もある」
「あの子にだって自分の考えが――」
「アイドルでいく道を選んだのは本人だ、その分野ではお前がはるかに先輩だろう?お前の知識と
経験から可愛い後輩にもっとも効率的な方法を指導してやるのは、むしろお前の使命じゃないのか?」
 そしてその想定外の事態に対処するのがいつもの俺の役割だった。彼女が昨日、どこかで
やらかした計算違いを、いま俺が補ってやるのだ。
「もちろん、おおっぴらにやったらカドが立つ。そいつを密やかにスムースに行なうのが、お前の
プロデュース能力の発揮しどころだぞ」
「私の……プロデュース能力?」
「そうだよ、アイドル兼プロデューサー見習い・秋月律子どの。いまからお前は、その子の影の
プロデューサーだ」
 律子の目標はトップアイドルではなく、プロデューサーだ。その子にしても、わざわざ律子を
頼ってきたのは彼女のことを心得ているからにほかならない。それに、律子が全てをご破算に
するのをためらう理由のひとつも、きっとここにある。
「お前には、その子をこの世界に誘った責任がある。その子に決意を固めさせた責任がある。
違うか?」

「……違っては、いないと思います」
「よし。ならば責任を果たすべきだ」
 本人が意識しているか否かは置いて、律子は自分の手でアイドルをプロデュースしたいと思って
いるのだ。
「律子、お前は今日からアイドル・秋月律子であると同時にプロデューサー・秋月律子だ。俺と
一緒にアイドルとしてのトップを目指し、そしてその子をトップアイドルにすべく導いてやるんだ」
 律子の動きが止まっていた。躊躇しているのではない。テーブルを見つめる視線に迷いがない
のがわかる。俺の説明をシミュレートし始めているのだ。
「うわー、これは……まいりましたね」
「大変だぞ。俺はもちろんお前のプロデュースの手を抜く気はないし、お前がトップを目指せない
のならその子への説得力にならない」
「個人的な電話、かける時間くらいはいただけますか?」
「お前の心がけ次第だけどな。できるか?」
「……できます。やります」
 再びこちらを見つめた視線にはもう迷いはない。『まいった』なんて嘘っぱちだ。楽しくてしょうが
ないという表情になっている。
「あの子に関しては確信があります。絶対いいアイドルになる。あとは私の方ですけど……確かに、
ちゃんとやらなきゃ示しがつきませんからね」
「嬉しいね。ともかく、お前がアイドル頑張る気になったのが」
「なに言ってるんですか。これまでだって頑張ってましたよ」
 飲みさしの紅茶をぐっとあおって、律子は立ち上がった。
「さて、そうなるとこんなところで油売ってるわけには行かないか。今日は上がりでよかったですよね?」
「ああ」
「お先に失礼します。二、三連絡をしておきたいので」
「お疲れさん。勘定はやっておく」
「すみません。でも経費清算は早くお願いしますよ?」
「はいはい」
 律子を見送り、俺も荷物をまとめた。彼女だけでなく、俺も当然やることがある。これから事務所に
戻るつもりだった。
「……まるで医者の不養生だな。正確にはニセ医者だが」
 『プラシーボ効果のキモ』にはもうひとつの側面がある。潜在能力の発露だ。
 的確なアドバイスとともに与えられたビタミン剤は、その人物が本来持っている自己治癒力を
呼び覚まし、たとえば高血圧治療や、場合によっては腫瘍すら小さくしてしまう。病気に限ったこと
ではない。記憶力や体力、あるいは……プロデュース能力にもこのニセ薬は有効なのだ。
 誰かを指導する素質も能力もある律子だが、苦手なこともある。それは自分を鼓舞することだ。
 人の才能を見抜いて的確なアドバイスができるくせに、自分に関してはコンプレックスの塊。そんな
彼女にプラシーボを処方できるのが、俺の数少ない取り柄だった。
 これからはきっと忙しくなる。アイドルのプロデュースにプロデューサー見習いの指導。その
どちらもトップレベルを要求されるに違いない。事務所に戻ったら、スケジュールの再調整をして
みるつもりだった。
 しかしそれで律子が満足するなら、俺には本望だろう。達成感に満ちた彼女の笑顔は今度は、
俺のやる気への特効薬になる。
「……これまたプラシーボだけどな、へっへっへ」
 先の楽しみを想像しながら、俺は店をあとにした。





おわり

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最終更新:2011年08月11日 18:34