とりあえず何か食べよう


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だから違うって言ってるじゃない。
もう時計の針が頂点を過ぎそうなことにも気づいてないのか、目の前の千早ちゃんは私に厳しい目を送っていた。
レッスンルームに入ってかれこれ五時間超。そんな見つめられましてもぉ、なんて言おうものならどうなるか。
講師の先生も戸惑うぐらいの剣幕を浮かべる千早ちゃんに、私は力なく笑って誤魔化そうとする。
まあその、ダメでした。
事務所に戻り、ソファに突っ伏しているプロデューサーさんを起こさないように着替えを済ませると千早ちゃんが謝ってきた。
最終電車を逃すことはとうに分かっていたし、こういう仕事をしている以上これぐらい慣れっこだし。
「なにより明日は休みだしね」
私としては自然に言えたつもりなんだけど、千早ちゃんの顔はどうにも暗いまま。
いくら時間を押そうが気にしない以前に比べたらマシなんだろうけど、これはこれで春香さんは困っちゃうなー、なんて。
ふむ、と一呼吸置いて千早ちゃんの手を取る。さっきまで青かった顔が一気に赤信号に変わっていくのが面白い。
こういう慣れてないというか、擦れてないところがきっと千早ちゃんの魅力なんだろうな、と自分の中で完結させると事務所の外まで彼女を引っ張った。
プロデューサーさんを置いていってしまったのは、明日謝るとしよう。
繁華街を抜けてタクシーをつかまえる。
そのまま千早ちゃんのマンションまで行っても良かったけど、マンション近くのコンビニまで、と運ちゃんに言おうとする千早ちゃんの口をおもむろに掌で塞いだ。
もう赤やら緑やらよく分からない千早ちゃんを置いといて、私は近くのファミレスを伝える。
どうして、と目で訴えてくる千早ちゃん。
私はイタズラが上手くいった子供みたいに、笑いながら言った。

とりあえず何か食べよう

ドアを開くと、深夜でもとびっきりに明るい女の子の声が近づいてくる。
一瞬、私達を見て目を大きくしていたけれどすぐににっこりと、素敵な営業スマイルに切り替わった。
うんうん、こういうのが少しでも千早ちゃんにもあればなあ。
そんなことを思っているとクイクイッと、袖先を引っ張られて千早ちゃんを見る。
やっぱり帰らない? と少しオドオドした顔が可愛かった。
「もしかして深夜のファミレスとか初めて?」
席に座っても、キョロキョロと忙しなくしている千早ちゃん。
私が訪ねるとおずおずと頷き、チラチラとこちらを見てくるお客さんの目も相まって、レッスンのときとは打って変わってなんだかとっても可愛いことになっていた。
こういう時ほどついついイジワルしたくなってしまうのは私の癖か、はたまた千早ちゃんの体質なのか。
対面になる形で座っていた席から抜け出る私に千早ちゃんはハテナマークを浮かべている。
けどそれも、私が隣に来ることでまた真っ赤になったりと心もとない感じになっちゃう。なんだか今日は色んな千早ちゃんが見れて嬉しいかも。
注文を聞きに来たウェイトレスさんにドリンクバーとポテトを頼んだ。
サインの一つでも来るかなと思ったけど、あんまりにも私が千早ちゃんにベタベタとしてるのに苦笑い。
周りのお客さんも似たようなもんで、ストレスになるようなこともなく私はドリンクバーへと千早ちゃんを引っ張っていった。
ドリンクバーでも千早ちゃんはいまいち、使い方を分かってないようだった。あー、ほらほら、その機械は氷を入れないと駄目だって書いてあるじゃない。
席に戻り、やっぱり隣に座る私に千早ちゃんは何とも微妙な表情を浮かべていた。
周囲の人たちはもう私達を気にしてる風でもなくて、話題はないことはなかったけど、ぼんやりと街道を通る車を眺める時間が続く。
ブオーン、ブオーン。等間隔で過ぎていく車のライトが、私の意識をぼんやりとさせるのに時間はいらなかった。

フライドポテトがやってきて、待ってましたとばかりに私は一本、口の中に放り込む。中までホッコリのそれは確かに美味しいんだけど、あのチープなカリカリポテトの方が好きな私にはちょっと期待はずれだった。
「千早ちゃんはお腹すいてなかった?」
ポテトをタクト代わりに千早ちゃんを指したところで、お行儀の悪さに気づいて引っ込める。
それでも千早ちゃんは気にするわけでもなく、むしろ話を振られたことに身構えたのか、ビクリと体を揺らした。
なんかタイミング悪かったかな、なんて冷や汗。
しばらくのタイムの後、千早ちゃんから欲しいの合図。それを見て手を伸ばす彼女よりも先にポテトを一本、千早ちゃんの口に差し出す。
目を丸くして赤くなる千早ちゃんはとっても可愛くて、イヤイヤと首を振ってもポテトは照準からはずさない。
おずおずと開かれる口。ぱくりとそれを咥えて、これで良い? と言わんばかりの目が私を射抜いた時は色んな意味で大変だった。

うん、やっぱり千早ちゃんはズルイ。
食べ終わると、もうっ、とそっぽをむくオマケつきでした、はい。

散々、千早ちゃんで遊んじゃった後、窓の外の夜みたいにポッカリと空いた時間がまたやってくる。
私は背もたれに体を預け、千早ちゃんは俯き気味に残ったポテトを見ていた。
ボソリと、千早ちゃんが何かをつぶやく。
「なに?」と聞くと、ビクリと千早ちゃんは体を震わせて首を落とした。
よほどなことを言ってしまったのか、俯くその顔は両手で抱えているグラスの水面みたいにゆらゆらと揺れているみたい。
でもごめん千早ちゃん。聞こえちゃった。
「うん、ちょっと。最初は、苦手だったかも」
なんともイジワルなタイミングで返すと、千早ちゃんはまたビクリと体を震わせた。
こっちからでも分かるぐらいの震えがグラスの水面まで揺らす。
千早ちゃんが聞いて来たことは大多数の人からすれば多分、どうでもいいことだと思う。けど千早ちゃんにとっては自分の生き死に関わるぐらいのこと。
だから私は千早ちゃんを笑ったりなんて出来ない。
紅茶を一口、それが私なりの合図。まあその、こんだけ行動で示してるのに気づきもしない可愛いバカ野郎にどう言うべきか、私も考えるわけでして。

千早ちゃんの口から千早ちゃんの過去を聞いて、それはとても千早ちゃんの世界を狭くして、惨めな思いにさせていることを私は理解しました。
だけどね、千早ちゃんはなぁんも悪くない。悪くないともさ。
それこそ自分が悪いと思うその方程式をこそ悪いと思うけどでも、でも分からない話じゃない。
私だって皆と仲良くできたらこんなに幸せなことはないもん。
なかなかその輪っかが大きくなればなるほど難しいのは仕方ないけど、でもその最小単位でさえ叶わないのは、それはあんまりだと思う。
そんなムシャクシャを誰かに八つ当たりでもすれば良かったかも知れないけど、その誰かさんは千早ちゃんの場合は千早ちゃん本人だったわけで。イヤだよね、しんどいよね。
でも、でもね、だからこそ、だからこそ千早ちゃんは報われるべきだと思う。
自分を責めて、押し潰して目の前が真っ暗。そんな中をもがいてもがいてもがき続けた続けた千早ちゃんは誰かが救ってあげなきゃいけない。
そうしなきゃあまりに可哀そう。可哀そうなんてどれだけ上から見てんだって思うけど、それぐらい言わなきゃ分からないぐらい千早ちゃんはもうボロボロだから。
必死に塞いでいる耳にも分かるぐらいに怒鳴って引っ張って、千早ちゃんには見えなかったその世界の綺麗なところを見てもらわないと。

「そうじゃなきゃ千早ちゃんの親友だなんて言えないよ」

自分でも何言ってるんだろうってくらい話があちこちに飛んで、でも最後に言いたかったことを千早ちゃんのど真ん中に投げつける。
私だって怖いともさ。怖いけど、それは千早ちゃんから軽蔑されてでも言いたかったこと。伝えたかったこと。
いつの間にかつんのめり気味だった体をソファに放り出すと、シャワーが欲しいくらいに汗をかいていたことに気づいた。
もうお客さんもまばらで、耳から入ってくるのは外の自動車の音と千早ちゃんの静寂。
時間が経つほどに最悪の展開が上書きされて、やっと千早ちゃんの口から動いた頃にはずっと開けていた目が少し痛かった。

ごめんなさい。
確かに千早ちゃんはそう言った。
「まだ、よく分からない」

本当に申し訳なさそうに搾り出す千早ちゃん。
だからその癖をね、と言い掛ける口を無理やりつぐんで、とにかく嫌われてないことだけは分かって息を吐いた。
「でも、ありがとう」
今度はハッキリと、私を見る千早ちゃん。
たぶん、こういうことを続けるのが親友なのかなって思う。
深夜のファミレスに言って、とりあえず何かを飲み食いしながらじゃれあいながら、時には真剣にぶつかって、もどかしいぐらいに育てる友情、なんて。
「うん。こちらこそ」
不安そうな瞳の千早ちゃんにニヘッと笑うと、千早ちゃんもまた微笑んだ。
とりあえず何か食べよう。
それが千早ちゃんと私の距離を縮める合言葉。
いつの間にか白んできた外を見て、私と千早ちゃんはお互いに眠い目をこすった。

おわり