4人のシンデレラ

1.律子





「はーい、リハーサルご苦労様」
 フロアディレクターの合図を待って、私は3人に駆け寄った。沸き立つ心を、早く
みんなに伝えたくて。
「最高だったわ、3人とも!あずささん、伊織、亜美、みんなバッチリ噛み合ってた」
「お疲れさまです、プロデューサーさん」
 ゆっくり呼吸を整えながら、あずささんがこちらに微笑む。私が感じたとおり、
当人も満足のいくリハーサルだったようだ。
「キメのショット、女の私でも息が止まりそうでしたよ。日が短かったのにさすがの
吸収力ですね」
「姉ちゃん姉ちゃん、亜美も褒めて褒めて」
 舞台の反対端から駆け寄ってきた亜美も、興奮で頬を赤らめている。普段は大概の
ことをジョークにしてしまう彼女も、今日が何か違うと感じたようだ。
「いいわよ?いつもならリハの時はひとつふたつ嘘ステップ入れるのに、今日は
覚えた通りにやってたわね、偉かったわよ」
「うえ?バレてた?」
「律子さんを甘く見ないの。今まではそういうのも許容範囲だったけど、今日の
番組はちょっと勝手が違うのよ」
「ちょっとプロデューサー」
 小さく舌を出す亜美の後ろからご登壇は伊織だ。
「どうしたのよ伊織」
「どうしたのじゃないでしょ、リハーサル褒めてどうするのよ。この後本番なんだから、
その詰めを指示するのがプロデューサーの役目でしょう?」
 いささかご機嫌が傾いているのは、普段ならリーダーの伊織に、最初にひと褒め
しているからだ。でも、これは作戦のうち。
「もちろんよ。でも、その前にどうしても伊織にお礼が言いたくて」
「お……礼?」
「昨日のオーディションの勝利も、今のリハーサルのコンダクションも、3人の息が
ぴったり合っていたのは伊織のおかげだわ。今夜の収録だけは絶対に成功させたいの。
その足がかりを作ってくれた伊織にだけは、本番前にちゃんと感謝しておきたかった」
 一気にまくしたてたおかげで、こちらも息が上がったけれど伊織もいささかならず
鼻白んでいる。呼吸を整えつつ、駄目押しの一言。
「あんたがいてくれてよかったわ、伊織」
「……っべ、べ、別にっ」
 正面から瞳の奥を見つめると、一瞬で表情が沸騰した。タイミングはともかく
彼女に感謝したかったのは本当で、伊織はそれを見抜けるし事実こうしてわかって
くれた。
「別にあんたのためにやってるんじゃないんだからねっ!私は一刻も早くトップ
アイドルに上り詰めたいだけなんだからぁ!」
「わかってるわよ」
「ソロで売れるようになったら竜宮小町だろうがあんただろうがいつだって切り捨てて
やるんだからねっ!今は利害が一致してるから一緒にやってるだけなんだって、
ちゃんと覚えておきなさいっ」
 照れ隠しなのは知っている。そして、このパターンが出るときは伊織の機嫌が
相当いいのだ、ということも。
「ええー?いおりん亜美たちと一緒にアイドル続けてくれないのぉ?」
「あらあらぁ、そんなのわたし、寂しいな」
「あ、あんたたち聞いてたのっ?」
 両脇の二人も承知していて、むしろ伊織にすり寄るように立ち位置を固める。
身長のあまり高くない伊織はこのポジションに押し込まれるのが癪に触るらしく、
あずささんと亜美は何かというとこの『包囲網』を敷くのだ。
「ねえいおりーん、いおりんは亜美のことがキライになったの?」
「わたしたち3人、トップの座を射止めるまでずっと一緒だって約束したわよね?
伊織ちゃん」
「べ、別に今すぐ解散するなんて言ってないでしょ!私だってまだまだ修行が足り
ないし、晴れてトップアイドルになったらって意味よ」
「ホント?じゃあ亜美たち、まだいおりんと一緒にいてもいいの?」
「もちろんよ」
「わたしたちといるのが嫌になった訳じゃないのね?」
「当たり前じゃない」
 そしてこの包囲網の最後は、必ずこういう形で終わる。すなわち。
「いおりん!」
「伊織ちゃん!」
「キャーっ!」
 ……両側から、全体重を乗せた熱烈なハグだ。しばらくもみくちゃにされる伊織を
見物し、頃合で助け舟を出す。
「はいはいあんたたち、そのくらいにしておいてね。体力は本番で使ってちょうだい」
 ぱんぱんと手を叩き、舞台の下からそう告げた。タイミングを心得ているあずささんが
すっと身を引き、亜美の後ろに回って伊織からやさしく引き離す。
「ごめんなさいねプロデューサーさん。ついはしゃいでしまって。亜美ちゃんも、ほら」
「はぁい。メンチャイいおりん」
「まったくよ!髪が乱れちゃったじゃない」
 そうは言っても、おもてづらほど内心は怒っていないのが見て取れる。伊織もこう
見えて、女の子同士ではしゃぐのは嫌いではない。
「収録開始まで50分あるわ。出番はもっとあとだし、少しゆっくりできるわね」
「メイク直してたら大して残りゃしないわよ」
「まあまあ、控え室に戻りましょ」
 ぶつぶつ言いながらもすたすたと歩き出す伊織、疲れのかけらも見せずスタジオの
ドアへ駆けて行く亜美、にこにこ笑いながら私と並んで、二人の後をついて行くあずささん。
 これが765プロダクションのチーム秋月、ユニット名『竜宮小町』のメンバーだった。

****

 この仕事で、ユニット結成後初めて個室の控え室を与えられた。前に歌番組に出た
ときは10組もタレントがひしめく大部屋だったのだから、番組方針であるにしても
大した躍進と言える。なるべく個室を割り振るというのがここの番組プロデューサーの
やり方だが、それでもそうはならない歌い手もたくさんいるのだ。
「ねえ、ちょっと聞いて欲しいんだけど」
 3人が落ち着いた頃合で、システム手帳を開いた。
「どうしたの?プロデューサー」
「来週なんだけど、ドラマのオーディション、受けてみない?」
 竜宮小町の活動は、私が営業活動をしてとってきた『アイドル歌手としての仕事』
には文句を言わない代わり、それ以外のバラエティ、ドラマなどのオファーや
オーディション情報はみんなで話し合って結論を出すことにしている。まだまだ高い
とは言えないランキングではわがままを言っている余裕などないけれど、せめて4人で
納得して仕事に打ち込もう、と結成当初に決めた約束ごとだ。
「ドラマ?」
「深夜だけど全国放送よ。しかも、ヒロイン役」
「マジ?姉ちゃんぐっじょぶ!」
「オファーじゃなくてオーディションだってば。亜美に合う役回りもあるけど、
自力で取ってこなきゃダメなのよ」
「あっそか」
「お芝居ですか……うまくできるかしら」
 それぞれ反応は違うが、おおむね興味はあるようだ。ドラマの仕事は何本か
受けたことがあるがいずれもチョイ役で、主役のオーディションにエントリーする
チャンスは初めてだった。
「ふうん、どんな内容なの?」
「タイトルは『4人のシンデレラ』、一言で言えば恋愛コメディね」
 昨日のオーディションを絶好調で制し、事前の会議に参加したあとのことだ。
番組ディレクターに呼び止められた。
「シンデレラって、おとぎ話の?」
「そうです、あずささん。OL、大学生、高校生、中学生の四姉妹が、お互いに
そうとは知らないまま同じ『王子様』を好きになってしまって、『告白』とか
『結婚を前提としたお付き合い』とかそれぞれ自分の理想のゴールを目指してゆく、
っていう筋書きなんだそうですよ」
「おーいおりん、チミこそボクチンのシンデレラだよっ!」
「なによいきなり」
「その態度、その目つき、ああサイコーだ!さあこのガラスの靴を履きたまい」
「……『あら王子様不思議ね、わたくしにぴったりだわ』」
「やはり!さあ、その靴でボクチンを踏んでおくれ!」
「はいよろこんでムギュ……ってなにやらすのよ馬鹿亜美っ!」
「んっふっふ、いおりんもウデを上げたのう」
「ノリツッコミの腕前上げても嬉しくないわ」
「……でですね」
 亜美が伊織で遊ぶのを無視して説明を続けることにした。
「このドラマに、ここのディレクターが関わっているんですよ。昨日のオーディション
見て竜宮小町に興味を持ってもらったんです。あずささんたちの年齢差がいい具合だし、
ドラマのキャラクターイメージがあずささんたちに近いんですって。ユニットで
共演できれば番組自体の注目度も上がるから利害が一致しますしね」
「3人ひとまとめっていうことですか」
「もちろんオーディションは一人ずつですから確約が取れてるわけじゃないですけど、
話題性もコミで選考してくれるそうですよ」
「でも、ヒロインは4人なんですよね?」
「他の女優さんもエントリーするわけですし、みんなが合格できなければその分他の
人が入ることになります。出演する以上はあくまで一人のタレントとして、って
いうことになりますね」
「相手役の方って、どんな方なのかしら」
「主演男優もオーディションで、まだ決まっていません。ドラマの趣旨から言うと
万人受けする、親しみやすい雰囲気の人になるんじゃないでしょうかね。中学生には
中学生なり、OLさんにはOLなりに『あ、素敵な人だな』って感じる部分がないと
成立しないですから」
 他の情報も引き続いて説明する。深夜枠だが伝統のあるドラマ時間帯であること、
有望な新人女優を発掘する思惑も含む番組のためキャリアのあるライバルはエントリー
してこないこと、脇役が充実しているので主演の4人が不安を持つ必要はないこと、
主題歌のオーディションもあるので、竜宮小町が選考に合格すれば多重アピールの
大チャンスだということ。ディレクターが個人的にあずささんのファンで、実は
けっこう有利だという部分だけは伏せておいた。説明し終え、全員を見回しながら
締めくくった。
「どうかしら?みんな。ステップアップにも繋がるし、割と面白い仕事だと思うわ」
「そうですかあ」
「……なるほどね」
「んー、んんんー」
 みんなが食いついてくる、そう確信して番組収録前に出した話題だったが……どうも
3人の反応が振るわない。
「あれ?なにかお気に召さなかったですか、あずささん」
「そんなことは、ないんですけどぉ」
「伊織は?」
「21世紀のこの世にシンデレラってのもねー」
「こんな時代だからシンデレラストーリーが求められてるのよ。それとも伊織は
悲恋が好み?」
「そうは言わないけど。面白そうだって思ってはいるのよ?だけど、なんだか……
ねえ」
「あ、亜美も亜美もー。メッチャやりたいんだけど、なんかが『ちっくと待って
つかーさい』みたいな」
「なんで土佐弁よ」
 これまでに見たことのない反応だった。
 ユニットを結成して以来、いろいろな営業に対する3人の反応はきっちり二通り
しかない。すなわち『全員乗り気』か『全員乗り気でない』かだ。みんながやろうと
思っているときはもちろん全力攻勢、逆の時は手を尽くして撤退していた。断る余地の
ないこともあったが、そういうときは仕事の後のテンション回復にひどく苦労する。
しかし。
「ふうん、みんながみんな煮え切らないなんて初めてね。断った方がよかったかな」
「あ、待ってくださいプロデューサーさん」
「あずささん?」
「お断りするのも、なにか違う気がするんです」
「ええ?」
「あ、伊織ちゃんや亜美ちゃんが嫌だったら、それでもいいのだけれど」
「……私もそんな感じなのよね」
 あずささんが視線を向けた伊織もこんなことを口にする。隣で亜美もうなずいていた。
「うまく言葉にできないんだけど、何かが足りない気がするの。それが何なのか
わかったら、オーディション受けるにしても断るにしても結論は簡単に出ると思うわ」
「ふうむ。『何か』、ねえ」
 3人の考えていることがつかめない。当人たちも同じ気持ちらしいが。私は腕を
組んで考え込んだ。
「……うん、とりあえず忘れましょう」
「え、プロデューサーさん?」
「ああ、違いますよ、いま決めるんじゃなくて後でもう一度話し合おうっていう
ことです」
 顔はあずささんに向け、全員に説明する。
「私は面白いって思ったし、みんなが乗ってくればこの後の収録も気合いが入るかも
って考えたからこうやって相談したんだけど、かえって悩ませちゃったわね、
ごめんなさい」
「え、そんな」
「だから、まずは歌の録りに集中してね、みんな。この案件はオーディションの
エントリー期限までまだ3日あるから、収録が終わってからごはんでも食べながら
話しましょう」
「こっちこそ悪かったわね、プロデューサー。確かにいつもなら即決してたかも。でも」
 みんなを見回しながら説明すると、伊織がこちらに応じた。
「でもね、なんでかテンションは上がってる気がするわ」
「それは、ありがたいけど」
「あれよね、ついにこの水瀬伊織ちゃんもドラマの主演女優に手が届くところまで
上り詰めたって言うことよね、にっひっひ」
 伊織だけでなく、あずささんも亜美も今の話に煩わされた風ではなく、なんにせよ
それだけはありがたかった。
 と、高笑いする伊織に亜美が笑い声をかぶせた。
「んっふっふー。でも亜美は知ってるのだ。なんでいおりんがテンション上がってるか」
「なによそれ」
「いおりんはオーディションの話より、さっき姉ちゃんが言った『みんなでごはん』に
スイッチ入りまくってるのだ!」
「なっ?」
「あらあら伊織ちゃん、お腹すいてたのねえ」
 伊織の顔がみるみる真っ赤になる。
「そっ、そんなことあるわけないじゃない!これから本番だからダンスのキレが
落ちないように食事を控えめにしてただけよ!」
「姉ちゃんが『ごはん』って言った瞬間、いおりんの顔がハンターになったのだ」
「亜美ーっ!」
「わわ、亜美ちょっとトイレ行ってくるっ」
 伊織が一喝し、亜美が部屋を逃げ出した。
「あの小娘ったら!ムカつくったらありゃしない」
「まあまあ伊織ちゃん。わたしは伊織ちゃんとお食事できるの、楽しみよ?」
 あずささんは笑いながら伊織をなだめている。まあ、これもいつもの流れで、
3人の仲も収録も不安はないだろう。
「あんたたち見てたら私までお腹すいてきちゃったわよ。伊織、お店考えといてね、
ただし収録のあとで」
「ふん!おもいっきり食べてやるんだからね、覚悟しなさいよ?」
「はいはい、お手柔らかにね」
 この後はディレクターと現場の最終打ち合わせだ。さっきのオーディションの
回答も持って行ければなお良かったが、これはみんなで話し合ってから、と今決めた。
資料をかき集めていると、あずささんがすいと立ち上がったのがわかった。
「あれ、あずささん、どちらへ?」
「さっきメールを頂いたのだけれど、最近仲良しになったアイドルの子が隣のスタジオに
来ているんです。ちょっとご挨拶、してきますね」
「大丈夫ですか?このスタジオ初めてですよね」
「通路を挟んだすぐ隣ですよ、いくらわたしだって」
「そうですか……せめて携帯、持って行ってくださいね」
「はい」
「私は打ち合わせ行ってきますから。戻ってくるつもりですけど入り時間間違えないで
くださいね。伊織もよろしく」
「わかってるわ、10分前になってもあずさが戻らなかったら捜索隊を組織すれば
いいのよね?」
「ええ?伊織ちゃんたらぁ」
「言っとくけど私、本気だからね?」
「たはは、あずささんホントお願いしますね」
 そうならないことを割と本心から祈りつつ、ドアを出る。
「じゃ、頼んだわね」
「はいはい」
「いってらっしゃい」
 控え室を出て、打ち合わせ事項を反芻しながら調整室へ向かう。ふと、3人の
さっきの様子が脳裏に蘇った。

 ――何かが足りない気がするの。

 実は、私も感じていた。でも、それが何かがわからない。
 いやいや、まずは打ち合わせ。私は首を振り、通路を歩く速度を速めた。





2.亜美





 トイレ行って、戻る前にスタッフのみんなに挨拶しようって思った。この番組は
初めてだけど、撮影プロダクションとメイクさんたちが何度もお仕事してる事務所で、
仲良しの人もいるのだ。
「おっはよーん!兄ちゃん、姉ちゃん」
「おっ亜美、今日この現場か」
「あら、亜美ちゃんだ、おはよう」
「亜美ちゃんおはよう、今日よろしくな」
 本番直前でスタジオはちょびっしピリピリしてたけど、亜美が挨拶したら元気に
返してくれた。現場ぐるぐる走り回ってみんなと笑いあって、あんまりジャマに
なんないようにちらっとお話して。
「竜宮小町、この番組呼ばれたのか、すごいな」
「すごい?亜美チョーすごい?」
「すごいすごい、ビッグシンガーの仲間入りじゃんか」
「んっふっふー、サインくらい書いてやってもイイゾヨ?」
「真美ちゃんも早く来れるといいな」
「……うん!まかしてっ」
 やべ、ちょっと返しが遅れちゃった。
 今日は真美は、事務所でレッスンしてる。……きっと明日も、たぶんあさっても。
 今あいさつした兄ちゃんは、亜美と真美が代わりばんこで活動してた頃からの友達。
亜美たちのデビューと兄ちゃんの入社が同じ日だったので、『同期』、って呼び合ってる
人。二人で一人だったことも知ってるし、中学生に上がったのをきっかけに亜美が
竜宮小町になって、真美が双海真美でデビューした時もいちばん喜んでくれた。
「ぶるるる、いかんいかんっ!」
 どっちがどんな時もネガらない、って真美と約束してたのを思い出して、慌てて
顔をぶんぶん振る。今は別々のアイドルなんだから、ランキングも仕事も違ってて
アタリマエなのだ。
 スタジオから控え室まで、わざとジグザグに入り組んだ通路を急ぎ足で歩いて、
あちこちで知り合いを見つけて挨拶しながら、あの時のことを思い出した。律ちゃん
……姉ちゃんから、ユニット組まないかって誘われた時のこと。真美と3人で、
応接室で話し合った。
『……亜美は、やりたい?律ちゃんの新ユニット』
『うん、面白そう。でも、真美は?亜美、真美と一緒じゃなきゃ嫌だな』
『亜美、真美、このユニットはね、あずささんと伊織と、……私は、亜美を入れた
3人でやりたいって思ってるんだ』
 姉ちゃんは、すっごく丁寧に説明してくれた。亜美と真美に好き嫌いがあるわけ
じゃなくて、向き不向きがあるんだ、って。
『デビューしたての頃は二人で双海亜美をやってたけど、もう中学生でしょ?ファンの
みんなも、そろそろ気づいてるわ』
『だよねー。真美、ちょっと思うフシあるもん』
『ええ?それマジで?』
 姉ちゃんのブンセキによると亜美は正統派元気っ子で、男の子が一緒にはしゃぎたい
タイプ。真美は、元気の中にほんのりカヨワさを持ってて、男の子が守ってあげたい
タイプ、なんだって。
『言い方は悪いけれど、庇護欲はあずささんと伊織がいれば充分だわ。このユニット
にはもう一人、元気一杯のダイナマイトエンジンが必要なのよ』
『なんか亜美バカだって言われてる気がするー』
『そうじゃないよ。やよいっちやまこちんみたいなムードメーカーってことでしょ、
律ちゃん』
『フォローありがと、真美。私の考えでは、真美は真美でなるべく別のタイプと組む方が
魅力が引き出せると思うのよね』
 他にもいろいろ言われた。姉ちゃんが言うことはわかったけど、亜美はしばらく、
やっぱり真美と別々になるのはイヤで腕組んでうなってたっけ。でも。
『やりなよ亜美!そのユニット』
『……えっ?』
 でも、最後にそう言ったのは、その真美本人だった。
『真美たち、実は双子でしたってプレス発表する予定じゃん。律ちゃんは、それと
新ユニットの発表いっしょにしたいんじゃない?』
『いい勘してるわね真美。正確には少しずらして、あの話題の亜美真美の一人が
新ユニット結成っ!っていうニュースを仕立て上げたいの』
『そっか、その方が学校とかで盛り上がるかも。でさ、そのユニットに入るんなら
やっぱソロで名前使ってた亜美っきゃないよ!』
『そ、そっかなぁ?』
『そんでさ、亜美がばっちりユーメイになったら真美もアピールしやすいし!
ねーねー亜美、これって亜美にも真美にもめちゃんこおトクな話だよー?』
 双子の話題と亜美の名前を両方とも新ユニットで使ったら真美の売り込むネタが
ないじゃん、っていうのはいくら亜美でもわかったけど、真美には真美なりに
なんか思いついたんだなっていうのが感じられて、亜美は言い返すことができなかった。
 それからも何回か相談して、結局、亜美は律ちゃんのユニットに乗ることにした。
その中で、亜美にもできることがありそう、って思ったから。
 律ちゃんプロデュースであずさお姉ちゃんといおりんと組んだら、人気が出ない訳が
ない。だから亜美はそのユニットでいっぱい頑張って、真美がブレイクするチャンスを
作ろうって思った。いつかまた、亜美と真美が一緒にアイドルできるように。
 竜宮小町やってんのは楽しい。今はプロデューサーだから『姉ちゃん』って呼んでる
けど、律ちゃんも、あずさお姉ちゃんも、いおりんも、みんな張り切ってる。765プロ
ではユイイツちゃんと売れてるユニットで、雑誌や芸能ニュースでももっと伸びるって
言われてる。けど。
 けど、なんか足りない。
 さっきのオーディションの時に思ってたのも、それだった。でも、真美と一緒に
やりたいのかなって考えてみたけど、それとも違うみたい。
 駆け抜けかけた通路の脇道にもう一人、知ってる兄ちゃんを見つけて大きな声で
声をかけた。
「あ、兄ちゃんヤッホー!」
「おお、亜美……って、あぶねっ!」
「ふぇ?おわ!」
 どっかーん。
 亜美の進行方向を見て叫んでくれたのはよかったけど、亜美がそのことに気を
取られちゃった。亜美が走っていく方向に、人がいたのに気づけなかった。で、
どっかーん。
「い……ってえ。誰だぁ?大丈夫か?」
「むぎゅー」
 亜美はそのヒト巻き込んで、通路の先にあった段ボールの山に突っ込んじゃった
らしい。どうやら男の人らしいそのヒトがあお向けにはまり込んで、亜美はその上に
頭から突き刺さってるみたい。足の踏ん張り所がなくて体勢を戻せない。目の前が
兄ちゃんの体で真っ暗なまま、とにかくゴメンナサイする。
「ご、ごめんね兄ちゃん、亜美前見てなかったや。だいじょぶ?」
「あ、ああ、俺は平気で……って、え?双海亜美ちゃんか?」
「へーい、ゲンザイゼッサンウリダシチューの竜宮小町の亜美でーっす。ご迷惑
かけてゴメンナサイですー」
 亜美のこと知ってる人だった。あわててそういうヒト向けのセリフを付け加え
ながら、あれ?って思った。
 あれ?この声、どっかで。
 聞いたことのある、なんだか懐かしいような声。最近の知り合いじゃなくて、
もっと前からよく知ってるはずの、でも思い出せない、声。
「あ、カチューシャ」
 亜美がどいてあげなきゃこの人は動けない。頭をひねりながらもぞもぞ動いて
いたらそんな声と、亜美の頭にぽん、っていう感触。
「飛んじゃってたな。ごめんよ亜美ちゃん、こんなふうでいいのかな?」
「あ、ありがと……」
 衣装のカチューシャが外れてたみたい。兄ちゃんはそれを片手で持って、亜美の
頭にぽん、って乗っけてくれたのだ。髪の毛を通して、手のひらのあったかい温度。
なんでか、ちょっとドキドキする。思いついたことがあったから、聞いてみた。
「あのさ、兄ちゃん?」
「うん?なに、亜美ちゃん」
「亜美のこと、ちょっと呼び捨てで呼んでみてくんない?」
「え……亜美、って?」
「……えへへ」
 その声が、どこで聞いた声なのかは、やっぱりわからなかった。でも、こうやって
頭ぽんってしてくれて、『亜美』って呼んでくれると、なんだろ。なんだか、うれしい。
「うわ!亜美ちゃん、大丈夫か」
 自力で起き上がるのをやめて兄ちゃんに寄りかかってニヤニヤしてたら、外から
そんなふうに聞こえた。さっきの、声かけてくれた兄ちゃんが駆けつけてくれたみたい。
「あー兄ちゃん、いろんなことがあったけど亜美は元気でーす。足が浮いちゃって
出られないんだよー」
「あ、そうなのか。よし、足引っ張って助けてもいいか?」
「うん、お願い」
 ちょっとナゴリオシかったけど、考えてみたらどうにも思い出せない兄ちゃんに
いつまでも抱きついてたら向こうが迷惑だと思う。テレビ局って時間のある人いない
し、この兄ちゃんだってなにか用事があってここを通りかかって、亜美が激突
しちゃった筈。両足に手がかかるのを感じて、目の前の胸板を押しやって、ずぽっ。
「よいしょっ!」
「ぷあー、兄ちゃんありがと。あと、中にもう一人兄ちゃんが」
「ああ、そうだな。そっちの人、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ、ちょっと手を貸していただけますか」
 亜美に続いて段ボールの山から出てきた兄ちゃんは……明るいとこで見ても、
やっぱり知らない人だった。
「いやあ、びっくりしたよ。亜美ちゃんはやっぱり超特急なんだな」
「ごめんね兄ちゃん、どっか痛くしなかった?」
「大丈夫だよ。亜美ちゃんこそ」
 そうやって笑う声も、髪を直してくれる手のあったかさも、知ってる筈なのに
知らない人だった。
 なんか、なんだかガッカリして、しょぼんてしながら謝って、ちょっと気づいて
聞いてみた。
「あのさ、兄ちゃんは番組スタッフの人?制作プロダクションとか?」
「ん、俺?ああそうか、はじめましてだもんな」
 兄ちゃんは、亜美の質問にこう応えた。
「俺は──」
 と。
「いた、亜美ちゃん!」
 兄ちゃんを遮って、これまた顔見知りのTKの姉ちゃんが駆け込んできた。
「おひさっ、姉ちゃん……あれ?姉ちゃんこの番組じゃないよね?」
「亜美ちゃんのこと探してたのよ!あずささん、一緒なのよね」
 姉ちゃんはこの局の人で、よく会うけど番組で一緒になることは少ない。その姉
ちゃんがすっごい慌て顔でこう言った。
「うん、竜宮小町のステージだもん。このスタジオでこれから収録」
「やっぱり!道路挟んだF棟に入っていくのが見えたの。あずささんが倉庫棟に用事
あるはずないから、もしやと思って」
「うえええっ?」
 これはヤバい。つまりそれって、あずさお姉ちゃんの『ひっさつわざ:まいご』が
発動してるー!
「なんでそんなトコにー?」
「声かけられる距離じゃなかったし、亜美ちゃんたちが来てるのは知ってたから
こっちに来たの。あずささん、移動するときは携帯持ってるわよね。今のうちに
連絡して」
「そ、そだね、って……おーまいがー」
「ど、どうしたの?」
「亜美、ケータイ部屋に置いてきちった」
「ええっ」
 これはますますヤバい。あずさお姉ちゃんは見つけたときに何とかしないと、
すぐまたどっか行っちゃう。控え室に戻って、姉ちゃんに教えなきゃ。
「亜美、プロデューサーに知らせてくる!」
「わかったわ、お願い。あずささんは……」
「詳しい場所教えてくれ。俺が探してくるから」
 亜美とTKの姉ちゃんとの話に割り込んできたのは、さっきの兄ちゃんだった。
「え?兄ちゃん、いったい」
「今なら俺の体が空いてるんだ。あなたの時間が大丈夫なら案内して欲しいところ
ですが……?」
「あ、ごめんなさい、わたし仕事が」
「ですよね。うん、やはり俺の出番だ」
 姉ちゃんは仕事中に抜け出してきてるみたいだし、これ以上迷惑かけるわけには
行かない。そうとなったら、この際誰だか知らないこの兄ちゃんにも力を貸して
もらっちゃおう。アタマの中でそうひらめいた。
 駆け出す前にそっちに向き直って、足をそろえて、ぴょんっておじぎした。
「んじゃ、兄ちゃん!ありがと、お願いしますっ」
「おし、初仕事だ、まかせとけ!」
「じゃあね兄ちゃん」
「ああ。また後でな亜美」
 くるんってまた向きを変えて、控え室に向かいながら背中で会話した。……あっ。
 えへへ。また、『亜美』って呼んでくれた。
 なんでだろ。他にも呼び捨ての兄ちゃんはいるけど、今の兄ちゃんに『亜美』って
呼ばれると、なんか、じわわんってくる。
 初仕事って言ってたから、この局の新人クンかも。なら、またここに来たら会えるかも。
 ちょっと嬉しくて、ニヤニヤしながら、亜美はスピードを上げて――でも、もう
人にはぶつからないように――控え室に急いだ。





3.あずさ





「……あららら」
 壁の色がどんどん知らない色になってくるので、わたしは胸の内でふくれ上がる
いやな予感を押さえ込むようにして歩いていました。
 お友達としばらくお話をして、じゃあ戻りますね、ってお別れして、行きは3分
だった通路がもう10分ほど歩いているのにわたしたちの控え室が見えてこないのです。
この局は建物を用途ごとに落ち着きのあるパステルカラーで色分けしていて、わたしたちの
いたブロックはきれいなピンク色だったはずで。少なくともこんな緑色ではなかった
はずです。つまり、これは……。
「また、やっちゃった、かな」
 表情こそ笑顔のままですが、胸のうちはすっかり曇り空です。こんなことでは、
またプロデューサーさんや伊織ちゃんに叱られてしまいます。
「これは……でも、うん、そうね」
 しっかり持ってきた携帯電話にちらりと視線をやりましたが、心を決めてポケットに
戻します。
「わたしだってちゃんと自力で戻れる、って証明してみせるチャンスなのね、きっと!」
 きっとこれは天の配剤で、そろそろわたしもみんなの足手まといにはならないと
いうことを見せてあげる時期が来た、ということなのだと思いました。これで何事も
なかったように控え室に戻り、みんなから『あずささん?迷わずに戻ってきたんですか』
『なんだかんだ言ってしっかりしてるじゃない、あずさ』『あずさお姉ちゃん、
やっぱりすごいや!』なんて言われて、明日からのわたしはこれまでとは違う、
頼れるお姉さんとして竜宮小町を引っ張ってゆけることでしょう。
「そうよ、そうでなければならないわ!」
 なんという明確なビジョンでしょうか。これは、間違いなく無事に控え室にたどり
着ける吉兆に違いありません。
 わたしは期待と決意に胸を膨らませ、そこから歩み始めました。竜宮小町の
取りまとめ役の地位を確立させるために。
 ……竜宮小町。それが、今わたしが所属しているユニットの名です。リーダーは
伊織ちゃん、亜美ちゃんとわたしがバックアップ、プロデューサーさんは律子さん。
 結成の時の話し合いを思い出しました。律子さんと、わたしが事務所で二人きりに
なった時の内緒話です。
『あずささんですから本当のことを話しますが……765プロ、けっこう危ないんです』
 初めはなんの冗談だろうと思って聞いていたのですが、律子さんの真剣な表情を
見るうちにことの重大さがわかってきました。
『駆け出しアイドルが13人。他の子たちはともかく、あずささんはご自分のギャラを
ご存じですよね。お給料じゃないですよ、事務所に入る売上金です』
『え、ええ、まあ』
『私たちが今こなしている仕事を全部足しても、会社の運営費が出ないんです』
 偶然なのですが、現在765プロに所属しているタレントは全員同じ時期にデビュー
しています。わたしたちが候補生だった時期には先輩のタレントさんもいたのですが、
みんながデビューする頃には独立したり移籍、引退などが重なってしまいました。
ある意味新会社立ち上げだな、と社長が笑っていたのを憶えています。……ただ、
それはそうですよね、新人アイドルばかりで稼ぎ手がいなければ、わたしたちが
どんなに頑張っても一企業を継続させるほどのお仕事はいただけません。
『これまでも、言ってしまえば先輩タレントの貯金で食べてたようなものです。
このまま私たちの仕事が増えなければ、事務所が危機です』
『でも……そのお仕事はどうやって増やせばいいのかしら』
『今の765プロには芸能ユニットプロデューサーがいません。あずささん、ご存じ
ですか?』
『ええ、知っているわ。よその事務所で聞いたことが』
『社長が営業をして、私たちの仕事を取ってきて、というオーソドックスなやり方
では、どうしてもタレントのランクアップに時間がかかります。ユニットプロデューサーは、
担当する個別ユニットの育成と売り込みを統括して行なって、アイドルのステップアップを
計画的に効率化させる人物です』
 ユニットプロデューサーの存在は他事務所でお会いしたこともあり、興味を持って
いました。マネージャーよりも大きな権限を持ち、番組制作や野球チームのように
アイドルユニットを自分で育成し、ランクアップに通じる仕事を自分で開拓して
売り込んでいく。事務所のほかのタレントには関与しない代わり担当ユニットとは
一蓮托生で、成功の見返りは大きいけれど失敗するとただ働き同然の処遇。言って
みればそのユニット専用の事務所社長です。このシステムを採用する会社は
少しずつ増えていて、効果が上がった例では3ヶ月でミリオンセラーに手が届く
タレントさんもいるという話です。
『私は……アイドルをお休みして、そのプロデューサーをやろうと思うんです』
『えっ』
 びっくりしました。と言いましょうか、びっくりし通しです。
『律子さんは……いま、それこそセルフプロデュースの手法で活動をしていて、
765プロでは一番お仕事をしているわよね。そのことを踏まえて、そう言っているの?』
『だから、です。私なら、プロデューサーに転身をしても、メリットがあるんです』
 今わたしが言った通り、秋月律子さんというタレントは765プロでただ一人、自分で
仕事を取ってこれる人物です。私たちが社長の指示で動くのとは違い、自分で食べて
いける程度の知名度も実力もある人です。その彼女がタレント活動を休止して
プロデューサーになり、新たなアイドルユニットを育成する……とてつもない
背水の陣です。
『この話、実は1ヶ月前から進んでます。ごく親しい何人かには、もういろいろ
伝えてあります』
 彼女自身の人脈と高木社長のパイプ。アイドルとして、今の765プロでは一番の
知名度。このタレントが、セルフプロデュースから専任のプロデューサーに転身する
となれば、おおきな話題になるのは間違いありません。
 律子さんはそのニュースを起爆剤にして、新ユニットを話題に乗せようとして
いました。芸能界は噂話が価値を持つ世界です。律子さんのプロデュースする
アイドルは、それだけで他のタレントとは比べものにならない大きなアドバンテージを
得るに違いありません。
『律子さん……その話を、なぜわたしに?』
『あずささんを、プロデュースさせて欲しいんです』
 正確には質問ではなく、確認でした。
『あずささんだけじゃないです。リーダーを伊織にして、そこに亜美を入れて、
トリオユニットを作りたいんです』
『トリオユニット、ですか』
『765プロはいま、全員がソロユニットです。でも、これだけ個性豊かなソロがいる
事務所も少ないんですよね。だから私はその中で、最強の布陣を組みたいんです』
 アイドルランクのほぼ上から順、というメンバーでした。律子さんの他は正直、
どんぐりの背比べではあるのですが。
『伊織ちゃんはわたしと相性いいものね。わたしに背中を預けてくれるわ。亜美ちゃんも
そうよね』
『……そこなんです、あずささん』
 それに、わたしにもわかることがあります。
『わたしに、あの二人のお母さんをやれっていうことね?』
『イジワルですね、あずささん』
『あら、ごめんなさい』
 この組み合わせであれば、伊織ちゃんのカリスマ性と亜美ちゃんの爆発力を武器に
しない手はありません。それであれば二人がやりすぎた時の抑え役が必要ですが、
プロデューサーである律子さんはステージには上がりません。
 だからあんなふうに言ったのですが、実際普段はわたしのことなんかお構いなしの
二人は、どういうわけかいざと言う時だけはちゃんと話を聞いてくれるのです。
 そして律子さんは、いちばん肝心なことを口にしました。
『あずささんは、どうですか?』
『ええと……わたしは』
 考えました。
 わたしは……。
 わたしは、運命の人に出会うのが目的でアイドルになった人間です。
 これを知る人は多くありませんが、誤解を恐れず言ってしまえば、わたしにとって
アイドル活動は目的ではなく、手段なのです。確かにアイドルを始めてその楽しさを
感じてはいますが、スタート地点が違っていたことは今となっては言い訳できません。
 そんなわたしが律子さんを……事務所のためを思ってこのような提案をしてくる
律子さんを、どうして拒絶できるでしょうか。
『わたしは、律子さんについていきます』
『あずささん……!』
 律子さんは、ほっとしたような顔を見せました。こういう彼女は珍しいです。
『運命の人のこと、話したことあったかしら』
『初めて会った頃、一度』
『その運命の人探しを、わたし、しばらくお休みします』
『え?』
『律子さんがアイドルをお休みするのと一緒よ。今までの活動があまりうまく
いかなかったの、わたしが心のどこかで二足のわらじを履いていたからだと思うわ。
今こうして律子さんのプランに乗る以上は、そんな甘い考えではいけないものね』
『あずささん?でもそれは』
『こんな私を今まで置いてくれた765プロには、わたしも恩があるわ。でも、わたしは
その恩の返し方が思いつかなかった。社長さんが用意してくれる仕事を一生懸命
こなす以外、わたしには何もできずにいたの』
 765プロのタレントの中ではわたしは歌声を評価されているうちの一人ですが、逆を
言えばわたしには歌しかありません。イベントのMCで楽しいパフォーマンスができた
こともありませんし、広報のインタビューで上手いことを言えた記憶もないのです。
でも、この歌を効果的に活用できる人が……プロデューサーさんがいると言うなら、
きっと事情は変わってくるに違いありません。
『律子さん、あなたの考えるありとあらゆるアピールを、わたしは……わたしたちは
必ずやり遂げてみせます。だから、ぜひわたしたちを使って、765プロに恩返し
してください。律子さんだけじゃなく、わたしたちみんなの分も』
『みんなの……分?』
『わたしだけじゃなく、伊織ちゃんも亜美ちゃんも、ほかのみんなも、きっと765プロに
たくさんのものを貰ってきた筈だわ。だからここで律子さんが動くなら、そのみんなの
分もまとめて恩返しを、ぜひ律子さんの手でしてあげて欲しいの』
『ありがとう……ございます。あずささんのお力、必ず役立てます』
 竜宮小町はこのように結成されたのです。わたしたちの名前に水に関する文字が
あったことでユニット名が決まりましたが、「恩返し」が隠されたキーワードの
ひとつになっていたのは言うまでもありません。
 そしてわたしは、ユニット発表の時に髪を切りました。
 これもまた律子さんを驚かせてしまいましたが……これは、わたしなりのけじめです。
「……ところで」
 ふとわたしは、我に返ってつぶやきます。ここは。
「ここは、どこかしら?」
 気づけば壁の色が、無機質な灰色になっていました。ひいき目に見ても事務棟、
もしかすると倉庫ブロックかも知れません。
 さすがに冷や汗が出ました。これで収録に遅刻など、あってはならないことです。
「はあ。仕方ないわね。プロデューサーさんに迎えに来てもらいましょう」
 小さくため息をつき、ポケットから携帯電話を取り出しました。着信履歴を追い
ながらプロデューサーさんの番号を探し始めた、そのときです。
「……ささん、三浦あずささん、こちらにいらっしゃいませんか?」
 どきん、としました。
「は、はいっ、ここです」
「あずささん?よかった、少しだけ動かないでいてください。いま行きますから」
「はいっ」
 この声はどなたでしょう。わたしは不思議な感覚にとらわれていました。
 この声を、わたしはどこかで聞いたことがあるようなのです。でも、それがいつ
だったか、どこでだったのか思い出せません。
「あれ、こっちの道じゃないのか。あずささん、俺、近くにいますよね?」
「はい、すぐそばで聞こえますよ。なんでしたら、わたしが」
「いやいや、待っていてください。俺があなたを迎えに来たんですから」
 言葉を交わしながら考えても、記憶の奥底からその正体が浮かび上がってきません。
なにかの勘違いなのでしょうか。それとも、いま声だけの存在である彼の、その顔を
見たら全てが氷解するのでしょうか。
「あずささん、その辺りに何か目印はありませんか?俺のいる場所は壁に『F-108B』
と書いてあるんですが」
 声が反響して、細い通路越しに近づいているはずの彼の位置がなかなかわかり
ません。ヒントを与えられて周りを見回します。
「ええと……あ、ありました」
 背中側の壁に、言われたのと同じ表示。
「ここはですね、『F-109B』と」
「えっ」
「きゃっ」
 予期せぬ方向から……後ろから突然声が聞こえました。飛び上がって振り返り、
そして。
 その後のわたしの行動は、自分でも上手く説明できません。
 わたしは振り返ると、驚きの声を抑えようと手で口を押さえました。両手を
合わせて、口に当てて、肩と腕を上げて。別段、不自然なポーズをとったわけ
ではありませんが……。
 わたしは、頭の片隅でこう考えていたのです。

 ──髪を切った姿を、この人に見せたくない、と。

「ああ、すいません、驚かせてしまいましたか」
「あっ、いえ、平気です、すみません」
 そのポーズで数瞬。わたしを探しに来てくれた彼の顔をじっと見つめていましたが、
結局彼の正体はわかりませんでした。
「……あの、俺の顔、なんかついてますか?」
「あ、ああっごめんなさい、なんでもないんです。……ちょっと」
「?」
「ちょっと、以前の知り合いに似ていらしたので」
 不意に口を突いて出た言い訳でしたが、言葉にしてみてほっとしたのを感じました。
その言葉は、不思議と彼を表すのに似合いと思えたのです。
「それは光栄だな。ではあずささん、控え室へ戻りましょうか」
「えっ、ああ、迎えに来てくださったんでしたね。お手間おかけします」
「いやいや、亜美ちゃんにも頼まれたことですしね。責任重大です」
「ええ?と、言うことは、わたしがまた迷子になっていたこと……」
「ええっと……今頃はプロデューサーの耳に」
「……あらら~」
 なかなかどうして、自分が変わるというのは難しいみたいです。少ししょんぼり
しましたが、プロとしては収録時間に間に合うことの方が先決だと考え直しました。
「行きましょう、あずささん」
「そうですね」
 彼のことを見失う訳には行かず、それからはほとんど会話もせず二人で並んで歩き
ました。あらためて歩いてみると大きな車道を横切る以外はほとんど一本道で、
我ながらどうして迷子になったのか想像できません。ほどなく探していた壁の色が
見えて来て、わたしにも位置関係が把握できました。
 ほっと一息ついたところで、肝心のことを聞いていなかったことに思い当たり
ました。
 この人は、いったいどこの誰でしょうか。
「おっ、あの部屋ですね、あずささんの控え室」
「ありがとうございました。ほんとうになんとお礼を言えばいいか」
「いいんですって、お役目ですからね」
「あの、そのことなんですけど」
 ドアの前で立ち止まり、お礼を言ってから訊ねました。彼はそのまま首を傾げます。
「はい?」
「あなたは、どなたなんでしょう?こちらのスタッフさんですか?」
「おっと、これはすみません。またやってしまった」
 わたしの質問で、自分が正体を明かしていなかったことにようやく気付いたようです。
少し照れたように笑い、頭をかきました。
「俺はですね、実は──」
 がちゃっ。
 彼の言葉を遮って、控え室のドアが開きました。部屋の中の誰かがノブを回し、
力いっぱいにドアを引いたのです。
「で?どこにいるのよプロデューサー!──えっ」
「あら」
 ドアの向こうから現れたのは、携帯電話を握りしめて大きな声を出している
伊織ちゃん。プロデューサーさんと話をしているところやその様子から、……わたしの
話、よね、きっと。
「プロデューサー、あずさが帰ってきたわ。とりあえずは心配ないから。うん、
ええ、それがいいわね」
「あのう、伊織、ちゃん?」
 電話を切った彼女んに、先手必勝とばかりに謝りました。
「ごめんなさいね、ちょっと迷っちゃったみたい」
「なにがちょっとよっ!」
 彼女はもちろん笑って許すつもりはなく──こういう時、いつも一番心配して
くれるのが伊織ちゃんなのです──文句の一つも言おうと口を開きました。
「あんたはいつもいつも懲りもせずよくもやらかすわね!これだけいつも人を
心配させるならそろそろ対処法の一つも身につけて欲しいわ!」
「でもほら、ちゃんと携帯電話は持っていたわけだしー」
「使わないならたくあんでも持ち歩いた方が役に立つわよ、非常食にもなるしっ!」
「うまいこと言うわね、伊織ちゃん」
「まーまーいおりん、今日はちゃんと余裕持って帰ってこれたしさ」
 部屋の奥から亜美ちゃんも──彼に事情を説明して、ここで待機してくれていた
のでしょう──顔をのぞかせ、取りなしてくれます。
「ここいらでヨシナにトリハカラッテくれたまい」
「むきー、帰ってこれりゃいいって話じゃないのよっ!……ってそういえばあずさ、
あんたよく帰ってこられたわね」
「ああ、亜美ちゃんから事情を聞いてくださって、この方が」
「えっ?」
「ほら言ったじゃんいおりん、ちょうどそこにいた兄ちゃんに助けてもらったって」
 全ての状況を心得ていたわけではなかったようで、亜美ちゃんが大きな身振りで
説明しているのが見えました。
「亜美あんた、関係ない人にあずさの道案内頼んだの?二重遭難しなかったなんて
奇跡じゃない」
「あのね、伊織ちゃん……」
 わたしをここまで連れてきてくれたというのにこんな物言いをされる彼に申し訳
なくて、たまらず声をかけました。伊織ちゃんもそれで、普段のファン向けの
キャラクターを思い出したようです。
「あっああ、そ、そうだったわね」
 くるりと表情を変えて、にこやかなお嬢様の立ち居振る舞いになって、隣で
立ち尽くしていた彼に微笑みかけました。
「こちらの方が?お礼が遅れまして申し訳ありません、このたびは仲間が困って
いたところを……」
「……伊織ちゃん?」
 いつもの聞き慣れた、立て板に水の口上が突然止まりました。びっくりして
彼女を見ると、目を丸くして彼の顔を見ています。
 まるでこの人に、どこかで会ったことでもあるかのように。
「……あの?」
「い、伊織ちゃん?」
 彼とわたしが問いかけるのと、伊織ちゃんが両手で口を覆うのは同時でした。
そして。
「あんた……なんで……今ごろ……っ」
 そう口にして、目から大粒の涙をこぼすのも。
「おっ、おい?」
「伊織ちゃん?どうしたの?」
 なにがなんだかわからずに聞いてみますが、伊織ちゃんは動けずにただ彼を
見つめるばかりです。そのとき、私たちの背後から誰かの足音が聞こえてきました。
軽やかなローヒールの駆け足。
「待ちなさあいっ!」
「えっ?」
「きゃっ」
「まっ」
 聞き覚えのある声。隣の彼は戸惑って小さく、振り向いたわたしは事態を把握して
高く、この先を予想した伊織ちゃんは涙声ながら鋭く、三者三様で叫びました。
「待って律子!これは」
 そう、プロデューサーさんです。さっきの電話でこちらに向かっていた彼女は、
『見知らぬ男性に詰め寄られて泣いている伊織ちゃん』という構図を、ここに見たに
違いないのです。なぜって、彼女は……わたしたちをメッするためにいつも持ち歩いて
いるハリセンを、力一杯振りかぶっていたのですから。
「そこの男!うちのタレントに──」
「ちが──」
「──なにをしたぁっ!」
 すぱあん。
 それはそれは見事な風切り音と共に白扇が振り抜かれ、目標である彼の頬に炸裂
しました。ちょっと見惚れるような放物線を描いて通路の反対側の壁にべしゃりと
ぶつかった彼に、わたしはどれほどたくさん謝ることになるのだろうと一瞬気が重く感じ、
……それから。
 それから、これがきっかけでお近づきになれるかも、と、久しぶりに心が浮き立って
いました。





4.伊織





 候補生からソロのアイドルとしてデビューした頃に、私は続き物のような夢を
見始めた。初めは職業病かノイローゼだと苦笑していたけれど、ある時期1週間連続で
夢を見たとき、少なくとも笑い捨てるのだけはやめようと心に決めた。
 その夢は、私が芸能界で大活躍している夢だったから。
 夢に出てくる私は今の自分とは少し違っていて、例えば私服のコーディネートは
どこか少女趣味だし、なぜかいつも怒っていた。アイドル候補生として765プロに
入るときに変える前のヘアスタイルのままで活動していたし、隣にいるプロデューサーは
律子ではなく、顔こそ見えないものの間違いなく男性だった。
 そしてなにより違うのは、私がそのプロデューサーに……恋をしていることだった。
 社長……高木のおじさまにお願いしてアイドルデビューしたものの、事務所が
駆け出しアイドルのためにとってくる仕事の数は限られていて、みんなで仲良く
やってはいても心の奥に不安や物足りなさを感じている現実世界に比べると、夢で
繰り広げられる『アイドル・水瀬伊織』の活躍譚はそれは楽しそうだった。もちろん
全てがとんとん拍子ではないけれど、成功も失敗も充実感に満ちていた。
 夢の時系列はバラバラで、あるときはデビューしたて、別の晩には私はトップ
アイドルとして振る舞っていた。夢の数が二桁になる頃それらをつなぎ合わせて、
夢の中での私の『設定』がわかった。
 私は――以前の私と同じく――コネを使って事務所に入った人間で、ある時
プロデューサーに見出され、二人三脚で活動を開始したアイドルだった。デビュー曲を
貰う顔合わせで作曲家の先生にビビったり、初任給の安さに癇癪を起こしたり、
恥ずかしい衣装の仕事に腹を立ててドタキャンしたり、人気の出ないうちはひどい
ものだったけれど……その度にそのプロデューサーが私を励まし、勇気づけ、時には
怒りの受け皿になってくれた。
 やがてこのコンビはだんだんと行動の歯車が合ってゆき、活動3ヶ月目あたりから、
劇的な進化を遂げ始めた。指名オファーが増え、オーディションでは負けなくなり、
仕事に悪評がつくことなんかない、正真正銘のビッグアイドルへと成長しつつあった。
これはこれで仕事が忙しくなり、私の不満のタネにもなっていたけど、その頃には
プロデューサーの言葉にいちいち耳を傾ける分別がついていた。
 プロデューサーが夢の中の水瀬伊織にとってかけがえのない人物になってくる
のが感じ取れて、夢を見た朝は決まって頬が熱くなっていた。顔も見えない、
声も聞こえないその彼のことを、夢の私がどれほど大切に想っているかが我が身の
ようにわかって、少女小説でも読んでいるかのような高揚を感じていた。
 ダンスのステップがうまくいかないとき、プロデューサーのなんてことない
アドバイスで一発OKが出せたり。
 一番の親友……うさちゃんの名前をそっと打ち明けた時、笑わずにちゃんと
聞いてくれたり。
 キスというセリフが出てくる収録で『試してみるか?』なんて言われて、
真っ赤になって逃げ出したり。
 CM撮影で私なりの意見を通させてくれた時には『大きくなったな』って不意打ちで
褒められて、その晩眠れなくてベッドでジタバタしていたり。
 そんな、二人の思い出が貯まって行くのを、夢じゃない現実の自分に起きて
いるかのようなリアリズムで見守っていた。
 でも。
 でも、振り返って見る現実の私は、いつまでたっても鳴かず飛ばずの、その他大勢の
ままで。デビューして数ヶ月ならそんなものでもおかしくはないけれど、夢の中の
私が経験しているような仕事が一向に現れなくて、なんとも言えない焦りを感じていた。
 事務所も……765プロ自体も、みんなは明るく仕事しているけれど、どう考えても
経営的にうまく行っていないのは明らかで。社長は『なあに、諸君らがランクアップ
すれば大逆転だ、頑張ってくれたまえよ』と気楽に構えていて、経理書類を作っては
眉間に皺を寄せる小鳥や律子をなだめるばかりだった。後になって、経営トップとして
モチベーション維持に頑張ってくれていたのだとわかったけれど、あの時の私には
もう沈みかけの泥舟にしか見えなかった。
 それで、パパに相談したことを憶えている。ほんの数分の交渉だったけど。
『そんなわけでね、高木のおじさまはパパの大親友なんでしょ?助けてあげて
くれないかしら』
『いいとも、ただし伊織、お前がアイドルを辞めるのが条件だ』
 まあ、聞いた私がバカだったと思う。こうなるのは目に見えていたもの。
 執事の新堂に愚痴をこぼしたとき、一通り聞かされた。パパは、それでは誰一人
救えないと考えていたんだって。
『どういう意味よ。あんなの私に軽いおしおきでもしようって魂胆でしょ?』
『わたくしも、高木社長を存じ上げております。もちろんお父様との浅からぬご縁も』
『なら、今こそ高木のおじさまを』
『お嬢様、お嬢様にも大切なお友達がいらっしゃいますね』
『え……?ええ、そりゃ、一人や二人は』
『例えばそのお友達がお困りになっているとして、まだご本人が頑張っていらっしゃる
のに、お金で済む問題だからとお嬢様が札束をお持ちになったら……お友達は
喜ばれるでしょうか?』
『えっ……』
『わたくしがお話を伺う限り、高木社長はまだ万策尽きたとはお考えでないご様子
です。お嬢様は、いかが思われますか』
 そう言われて、自分が物事を軽く考えていたとわかった。大切な友達と言われて
思い浮かんだのはやよいのことだったけれど、たしかにあの子が困っているときに
お金をあげても、きっと受け取ってくれないだろう。私はそれを、自分の友人では
ないからっていう理由だけで社長とパパの関係で使わせようとしてしまったのだ。
『本当は秘密なのですが、お父様は765プロの実情にちゃんと目を光らせておいで
です。いよいよの時には、どんなことをしてでも高木社長を手助けなさるでしょう。
ですから今は、その時ではないとお考えなのだと思いますよ、お嬢様』
 最後に小声で打ち明けられるのを聞いて、強く感じた。ふたつのことが、私の心に
深く投げ込まれた。
 ひとつは、親友という絆の力強さ。
 そしてもうひとつは、765プロにできることがまだ残されているということ。
そう……つまり、私が見てきた夢が現実になればいいのだ。
 社長の言っていたことはとてもシンプルで、とても正解に近い。このクラスの
芸能事務所は、稼ぎ頭が一人いれば存続できるのだ。ならば、今いるアイドルたちの
誰かがその一人になればいい。
 このときうちのアイドルたちで一番売れていたのは律子で、彼女は社長の営業に
頼らない、自分で営業活動をして仕事を取ってくるスタイルをとっていた。言わば
社内に個人事務所を持ってセルフプロデュースしているようなものだ。仕事量は倍に
なるけれど、自分に合った仕事を自分で探せて、結果的に自分の得意分野をクライアントに
アピールできる頭のいいやりかただ。律子がもう少しステップアップできれば765プロは
少なくともひと息つけるし、律子もそのつもりで頑張っている。……少なくとも、
私にはそう見えていた。
 その律子がある日、こんな話を持ってきた。パパとの交渉が決裂した直後のことだ。
『……ごめんなさい律子、なにか聞き間違ったみたい。もう一度言ってみて』
『伊織を、私がプロデュースしたいの』
『あんた頭おかしいんじゃないの?』
『この顔が冗談言ってるように見えるんなら、私ならあんたの視力の方を疑うわね』
 ケンカ腰に聞こえるけど、彼女とはいつもこんな感じだった。でも、正気じゃないと
思ったのは本当……半分は。
『あんたがプロデューサー?アイドル辞めて?今うちの稼ぎ頭がお金引っ張って
こなくなってどうするのよ!』
『辞めるんじゃなく一時休止。社長にも相談したわ。あと半年は大丈夫』
『なにそれ』
『余裕があるって意味じゃないわよ。あと半年は社長が頑張ってくれるから、その
間に売れっ子を1組作ってくれって言われたの』
 律子の話は、彼女がタレント活動を休んでプロデュースに専念し、765プロの誰かを
メジャーアイドルにするという計画だった。
『あんたがそのまま頑張ればいい話じゃないの?』
『二足のわらじは正直限界なのよ、肉体でも精神でもなく物理的に。私は自分の
仕事を自分でマネジメントしているけれど、それってつまり、自分が仕事中には
編成会議に出席できないっていうことなの。いま手を抜いてるつもりはないとは
言え、これも今の仕事量だからどうにか折り合いがついているっていうだけのこと
だわ。ここより先に進むには、私はタレントかプロデュースか、どっちかを選ばざるを
得ない』
『プロデューサーを雇う余裕のない765プロでは、選択肢はないにひとしいってことね』
 律子も私も、境遇や考え方が似ているからこういうときは話が早い。他の仲間と
違って現実的に、お金の話をできるのも都合が良かった。簡単に言えば、律子が
タレントとしてこれ以上のランクアップをするには専任のプロデューサーが必要で、
今の事務所ではそれは無理だという話だ。
『まあね。アイドルでいるならランキングも今のまま。くやしいけど、今の私一人では
765プロのほかの子たちにまで仕事を回す余裕はない』
『そこで律子のこれまでのプロデューススキルを活かして、新しくアイドルユニットを
作り上げるっていうわけ』
『慈善事業をするつもりじゃないけど、そうすればトータルの人件費は変わらないわ。
私程度の経験でも、駆け出しアイドルを今の私くらいまでに引き上げることはできる』
『それを半年のうちに?』
『失敗したらあとがないわ。長くて3ヶ月ね』
『できるの?……って聞いたらダメなとこね』
『相談相手が伊織でよかったわ、ほんとに』
 お互いの考えがまとまってきて、ここでようやく笑顔が出た。
 律子の作戦は、いま活動しているアイドルから即戦力になるメンバーを集めて、
言わば企画ユニットとして知名度を上げるというものだった。なりふりを構って
いられない今の状況なら一番妥当と言える計画で、先に知名度を上げて、メディアの
露出を増やしてからユニットの実力を認めさせようというものだ。そして、その
リーダーが。
『そのリーダーが伊織、あんたよ』
『……』
『いやって言わないわね』
 詰め将棋みたいなものだ。嫌だなんて言えやしない。
 うぬぼれじゃなく、律子の次に名前が売れているのは私だった。家の事情で
かさ上げされての人気でも、芸能界では実力のうち。少なくとも悪評は立って
いないので、律子の考える作戦にももって来い、ってとこ。
『リーダーってことは、ソロユニットじゃないのね。デュオ?』
『トリオにしたいわ。まだOKはとってないけど』
『誰よ、あとは』
『あずささんと、亜美』
 あずさはアイドルっていうカテゴリでは少し年齢が上だけれど、癒しの笑顔と
歌唱力では定評がある。亜美の方はちょうど中学生になって、実は双子だったと
大々的に発表したばかりで今一番ホットな人物。性格もキャラクターも全然かぶらない
3人、ということになる。
『見事にバラバラじゃないの』
『話題性重視だからこれでいいのよ。伊織、あんたならこの二人を制御できると
思うんだけど?』
『私に対する要望事項ってことね』
『違うわ。達成要求よ』
 律子の計画は、半分は正気の沙汰じゃないって思った。
 でも残りの半分で私は、チャンスが来たと考えていた。少し形は違うけれど、
夢に見ていた関係が……アイドルとプロデューサーでトップに上り詰めるという
絵図面が、このときはっきりと見えたから。
 結局私はそのプランに乗り、あずさと亜美も合流して『秋月律子プロデュース
・竜宮小町』というユニットが活動を開始した。その当時の律子くらい稼げるように
なるまでは2ヵ月で済んだ。そこからさらに時が経ち、今の765プロはこの何年かで
一番の業績を上げている。高木社長は人材探しの名目で役職を降り、社長の従兄弟の
順二朗おじさまが新社長に就任した。双子みたいにそっくりなので社内の雰囲気は
全然変わらず、小鳥によると来社したお客がびっくりするくらいだと言う。
 そして私の見ていた夢は……。
 ……今でも、変わることなく続いていた。
 現実の私の境遇が混じることもなく、相変わらずおでこ全開のストレートヘアで、
ソロユニットで活動していて、プロデューサーは男性のままで、なにかにつけて
その彼に文句を言って、……それでもいつも目は彼を探してる。
 プロデューサーがいないときは仕事をそつなくこなしても明らかに精彩を欠いて
いて、逆に彼がいる時は目を見張るようなポテンシャルを見せて、どうやら夢の中の
私は彼に気があることをいまだに打ち明けていないけれど、周囲のみんなには
まるわかりのようだった。私がこの立場なら恥ずかしさで即死できるレベルだ。
 喋っているのがわかりはしても、どんな声かは聞こえない。
 こちらに笑いかけてはいても、どんな顔かはわからない。
 私は、そんな彼のことが、夢の中の私と同じに、いつしか大好きになっていた。
 どんな顔なのだろう。
 どんな声なのだろう。
 彼はなぜ、今ここにいないのだろう。
 私はどうして、律子と仕事しているんだろう。
 律子と手がけているユニットは大好きだ。自分の努力で上り詰めつつある充実感も
ある。でもその一方で、『竜宮小町の水瀬伊織』には手に入らない、夢の中の人間関係が
どうしても気になってしかたなかった。さっきのオーディションの話ではないけれど、
私はまるでシンデレラのように、まだ見ぬ夢の王子様を現実の人々の中に探し続けていた。
 今、もし。
 もし私が竜宮小町ではなく、他の子みたいにソロユニットのままでいたら、いつか
彼が765プロに来てくれるだろうか。
 あの日律子が私を呼び止めるより前に、彼が765プロに入っていたら、私のパートナーは
変わっていたのだろうか。
 そんなことを考えるようになっていた。

 ……だから。

 だから、そうなってしまったのだ。
 あずさを連れ帰ってくれた人の顔を見た途端、『そう』だって思ってしまったのだ。
 いつもの、一般人向けの笑顔を作ってお礼を言い、彼と視線を合わせた瞬間。
「あんた……なんで……今ごろ……っ」
 顔も声も知らない相手を、この人だって思い込んで。
 そこまで口をついたら、もう胸が詰まって喋れなくて。
 迷子の子供が両親に会えたみたいに、ぼろぼろ泣くしかできなくなって。
 私は、それを誤解した律子が彼を3メートルもぶっ飛ばすのを、ただ見ているしか
なかったのだ。





5.律子





「申し訳ありませんでしたっ!」
 控え室の中で、頬に濡れタオルを当てている彼に、私は90度を大きく超える最敬礼で
謝罪した。
「私の早とちりで大切な恩人を邪な誤解して、怒りに目がくらんで怪我までさせて
しまって、お詫びのしようがありません」
「あー、いやいや、だからいいんですってば」
「わ、私がいけないのよ、人違いで泣いたりしたから」
「あの、わたしが先に気づいていたのですから、わたしがちゃんと止めるべきだったん
ですし」
「ごめんね兄ちゃん、痛かった?」
 伊織たちも続いて頭を下げてくれる。
 早とちり、暴力行為、担当ユニットにまで謝罪させるなんて。こんなの、
プロデューサー失格だ。
 ハリセンはアイドル時代からの私のトレードマークのひとつで、プロデューサーに
なってからも大小さまざまなものを持ち歩いている。もともと悪ふざけが過ぎる3人を
指導するのに便利に使っていて、動きや音が大きい割にダメージが少なく、言って
みればネタ的にも美味しいアイテムだったから。私としてももう使い慣れたもので、
どう扱えばどのくらい痛いか、他人が見ていてギャグで済むのはどのレベルか、
研究も積んでいたし充分に使いこなしていた。ただ、今回は状況が違った。
 あずささんが迷子になった、と聞いて駆け戻り、通路の角を曲がったところで見た
光景は、……おびえて泣く伊織に詰め寄る男。部屋の中にいた亜美は姿が見えず、
あずささんは二人の状況におろおろしていた……私の認識では、そうとしか思えなかった。
 トリオでデビューしたてのころ、心得違いのファンモドキどもに何度か対応した
こともあり、こういう時の覚悟はできていた。3人を守るためなら、自分はどんな
ことでもしよう、と。今回はバッグに入っていた得物を取り出し、一番痛い角度で
相手のアゴに振り抜いたのだ。
 ところが。
「今回のこと、言葉で謝罪しても足りるものではありません。この上は賠償や訴訟沙汰に
なっても致し方ないと考えております」
 ところが相手をぶっ飛ばして一息ついてみれば、亜美を助けてくれ、あずささんを
連れ戻してくれた功労者で、伊織など初対面で誰かと勘違いして泣き出しただけだと
言うではないか。みんなが無傷だったのが幸いだが、自分の失態を拭うにあまりある。
観念して訥々と懇願する。
「ですが、これは全て私の早合点、思い違いによるものです。3人には落ち度は全く
ありません。私は彼女らのプロデューサーでもありますし、責めるのはどうか
私一人にしていただきたく」
「責める気はありませんてば。まあ俺の話も聞いてください」
「!……そうですか」
 にやにやと笑う顔を見つめたら、背骨を冷たいものが流れた。……そうか、
そういう輩だったか。
 弱小アイドルと高をくくった連中を相手に、これまでにもこういう流れになった
ことがある。私にせよ彼女たちにせよ今まではうまく逃げてきたが、こちらに
落ち度がある今回は事情が違う。
 『そういう方面』に話が行くようならせめて私一人で食い止めるしかないと考え、
目の前の相手を睨みつける。
「では、ど、どのようにお詫びを……?」
 声がふるえるのも口惜しい。こういう手合いは涙にまで舌なめずりするようなのも
いるので、そこだけはなんとかこらえた。
「うわ、恐いな、ちょっと待ってくださいよ」
 男は笑顔でいるが、これさえ愉悦の笑みに見えて反吐が出そうだ。
「俺はそんなつもりじゃ」
「じゃあどんなつもりなんですか!」
「あー、その、だからですね」
 なかばやけっぱちで叫ぶように問うと、彼が立ち上がった。さっきは夢中で
気付かなかったが、思ったより背が高い。私の視線も自然に上に上がる。
「今日から同僚なんだから、訴えるだの謝罪だのっていうおっかない話はやめて
くださいってことです」
「……」
 脳が、混乱した。鳩が豆鉄砲をくらったみたいな顔で相手の顔をまじまじと見つめる。
「へっ?」
 視野の隅っこに入る横の3人も同じだ。漫画なら私たちの背後に『きょとん』と
大きく描かれているところだろう。あずささんが私の絶句を引き取った。
「いま……なんと?」
「ですから、同僚」
 同僚とは、私の記憶が確かならば一般的には同じ職場に在籍する従業員を指す
言葉だ。しかし私はこの男性を見たことがない。かえって理解が遠のいて、彼の
言葉をオウム返しにした。
「ど、同、僚?」
「そうです、さっきまで高木社長と会ってたんですよ。あーそうそう、これ紹介状」
 ポケットを探り、私に手渡したのは社長の名刺だった。裏にメモ書きがある。
――この人物は我が社の新しいプロデューサーだ。律子くん、彼をよろしく指導して
やってくれ、期待しているぞ。
 私がメモを読んでいる間、3人もそれを覗き込んできた。筆跡や言葉遣い、日付に
時刻まで書き込むクセ、間違いなく社長のメモだ。つまり。
「今日付けで765プロのプロデューサーとして採用されました、これからよろしく。
ちょうど765プロ一番の売れっ子が仕事中だから、挨拶がてら見学に行ってこいと
社長から言われましてね」
「……」
「え」
「ええっ」
「ええええっ?」
 言葉も出ない私と、トリオらしい素晴らしいコンビネーションで驚きの声を上げる
3人。この息の合いっぷりは彼にはさっそく勉強になったろう、いや違った、そうじゃなく。
 目の前にいるこの彼は765プロに入社した、待ちに待っていた専任プロデューサーで。
 スタジオに挨拶に来るなり走り回る亜美のタックルを受け止め。
 迷子になったあずささんをエスコートして控え室にたどり着き。
 自分自身にはまったく非はないのに顔を見せるなり伊織に泣かれ。
 しかもそれを目撃して怒った私に、渾身のハリセンスマッシュを浴びた、ということか。
 なんという偶然。なんというめぐり合わせ。なんという……運命。
 私は名刺を握り締めたまま硬直し、意識の片隅で壁の時計に視線をやった。そして。

 そして、竜宮小町の収録開始までまだ余裕があることを確認してから……目を回して
ばったりと倒れたのだった。

****

 本当を言えば、アイドルをやっている方が面白かった。
 当初こそ、自分なんかアイドルなんて柄じゃないって考えていて、社長に頼まれて
半ば強制的に活動を開始した仕事だったけれど。それでも、こんな私でも何人かは
ファンがついて、CDショップのイベントやデパートの屋上で歌を歌うと応援してくれる
のを見たら、彼らのために頑張らなければって思うようになった。
 ユニットプロデューサーというシステムのことを耳にしたのもその頃で、調べてみたら
セルフプロデュースをするタレントがいることもわかって、それならばと社長の
営業活動を他のアイドルに振り分けてもらった。手探りのうちは業界の慣習も基本的な
手続ごともわからず、ずいぶん失敗もしたけれど、それが役に立つようになるのも
早かった。
 番組企画の話を聞きつけて、制作会社にコーナー企画を持ち込む。自分の
キャラクターに合った番組を探して、アシスタントや出演枠、テーマソングなどの
オーディションに自分を売り込みに行く。水着を着て笑っているだけの仕事や頭の
悪い振りをする仕事もあったけれど、だんだんと自分の得意分野をアピールできる
仕事を取るコツがつかめてきた。企画会議は面白く、その中で自分の意見が通れば
満足度も高い。そこらのアイドルだと内心バカにしていた制作スタッフが自分を
見直してくれるのは、とても嬉しかった。
 このままセルフプロデュースアイドルとして活動を続けていてもいいかな、そう
思い始めた頃、事務所の存続が危うくなっていて。私は、私が765プロに入社したのは
……タレント活動をし、プロデューサーとしての経験を積んできたのは、まさに
このためだったのではないかと思い当たった。
 幸い、あずささんも伊織も亜美も会社の事情を理解してくれ、レッスンも営業も
うまくこなすことができた。月日が経ち、765プロはまずまずの収益力を持てるように
なり、とりあえず竜宮小町が活躍できている分には当面安泰と言えた。アイドルの
寿命は長くはないので、次のタレントを育成する必要はあったけれど。
 そこで少し前から社長に、プロデューサーをスカウトして欲しいとお願いしていたのだ。
 私が身に付けたプロデュース技術は、蓋を開けてみれば特別な技能ではなかった。
地味な作業を厭わず、タレントとの相性が良い人物が見つかれば一定の確率で成功
する。そんな人材を得て、事務所のアイドルの何人かを担当してもらい、うまく
育ててくれれば会社はずいぶん楽になる筈だ。それを何度か繰り返せば、中堅・大手
事務所の仲間入りだって夢ではない。そんなふうにしていつか765プロが余裕を
持てたら、私は……。
 私はまたセルフプロデュースか、ひょっとしたら誰かプロデューサーをつけて
もらって、もう一度タレントをやってみてもいいかも。
 そんなことを考えていたのだ。

****

「まったく、律子もだらしないわねえ」
「よくそんなことが言えるわね、目の赤みは取れたの?」
「だ、大丈夫だったらっ!」
 10分後、控え室のソファで寝かされていたのに気づいたら、収録時刻が迫って
いた。体を起こして笑顔を見せると安心したのか、3人もスタンバイにかかって
くれた。
「彼、以前は撮影スタジオにいたんですって。時間配分のことも詳しかったし、
教える必要なしね」
「亜美の衣装のすんごい小さなシワとか気づいてくれたんだよ、けっこう使える
兄ちゃんかもー」
「今も現場を見ていただいて、照明の位置を変えてくださったんです。ディレクターさん、
感心してらしたわ」
 みんなは準備万端、聞くと例の新人プロデューサーがいろいろ頑張ってくれたらしい。
同業でなくても現場経験者だと助かることは多い。3人がドアを開けるとちょうど、
その彼が部屋に顔を出した。
「おっ秋月プロデューサー、動いて大丈夫ですか」
「いきなり迷惑かけちゃいましたね、すみません」
 大きな動きで笑いかける。落ち着いて見ると、なんとなく憎めない立ち居振る舞い
で、亜美たちもこういうところを気に入ったのだろう。撮影畑の人たちは職業柄
なのかこんなタイプが多く、被写体である私たちを自然と安心させる才能に長けている。
「謝らないでください、俺が状況把握できてたらこんなことにはならなかったんですから」
「あの、ひとつ、いいですか?」
「うん?なんでしょう」
 休んでいる間に頭の中で考えていたことを、彼に伝えることにした。
「私に、敬語を使わないでください」
「えっ?なんでまた」
「だってあなた、私より年上でしょう?なんだか居心地悪いです」
「しかし、秋月プロデューサーの方がキャリアがあるでしょう」
「タレントなら芸歴で先輩後輩が決まりますけど、プロデューサーというのは技能職
ではなく一般職です。つまり私も今は会社員ですから、キャリアはあまり重要では
ありません」
「そうですか。うん、そういうことなら、そうしましょう」
「違ってますよ」
「……あ。えー、そういうことなら、そうしよう。これでいいかな?」
「オッケーです」
「ん、でも秋月プロデューサー」
「あ、それもナシで」
「ええ?だって」
「肩書きをつけるのはオフィシャルだけで充分ですよ。765プロって、社内はすごく
フランクなんです。事務員さんのことだって下の名前で呼んでる事務所ですし、
私のことも律子でいいです」
「そうか……わかったよ、律子。こうでいいのかな?」
 律子。
 そう呼ばれたら、なぜか頬が熱くなった。親や同級生、アイドル時代のファンたち。
男性から呼び捨てで呼ばれるのは慣れている筈なのに。
 彼の口から律子という名前が出たら、まるで……そう、まるで恋人から呼ばれたか
のように胸が高鳴った。表情に出ていないことを祈りながら、指でマルを作る。
「う、はい、上出来です」
「きみは敬語のままなのか?」
「あなたの方が年上ですから。これはオフィシャルとかプライベートとかじゃなくて、
礼儀です」
「なるほどね、了解」
 そろそろ本番だ。私も寝ているわけには行かない。両足に力を入れて立ち上がる。
「さあみんな、トラブってごめんね。気合入れて行くわよ」
「ねえ律子、その前に」
 3人に呼びかけると、中から伊織が口を開いた。
「どうしたの?」
「さっきの話、オーディションのことなんだけど」
「え?でも決めたでしょ、今は収録を」
「すごいアイデア、思いついちゃったんだよねーん」
 ゆっくり考えればいいと話し合った筈のオーディション。私が言い返そうとすると、
亜美が遮った。
「すごいアイデア?」
「何かが足りないって思う、あのときそう言いましたよね。わたしたち、さっき3人で
話し合ったんです」
 今度はあずささんだ。
「ええ、そうでしたね。足りないもの、なんだかわかったんですか?」
「はい」
「なんだったんですか?」
「わたしたちに足りないのは……律子さんでした」
「……へ?」
 素っ頓狂な声を出すのは、今日何度目だろう。
「そーなんよ。亜美たちには、律ちゃんが足りなかったんだよね」
 亜美のこれは、楽しいことを隠しているときの笑顔。
「新しいプロデューサーさんに会って……わたしたち、同じことを考えたんです。
わたしたちは、やはりアイドルなのだ、と」
 あずささんが言う。
「アイドルはステージで輝いてこそアイドルだわ。それがどんなお仕事であっても、
歌やダンスやお芝居や、ファンのみんなが喜ぶパフォーマンスで会場や視聴者を盛り
上げる。伊織ちゃん、亜美ちゃんだけじゃなく、春香ちゃんや雪歩ちゃん、765プロの
アイドル全員が同じこと」
「そうよね。なにしろ私たちはそれぞれ女神の美貌と天使の歌声、そして妖精の
ステップをその身にまとった歌の化身なんだから。にひひっ」
 伊織が引き継いだ言葉は、さらに亜美へと手渡される。
「それは、律ちゃんも同じことなんだよ?今は亜美たちをプロデュースしてくれてる
けど、それは世を忍ぶ仮の姿!しかしてその実態はっ」
「プロデューサーさんはきっと、私たちではなく765プロの他のアイドルのみんなを
受け持つのでしょう。でも専任のプロデューサーさんが来てくれたことで、事務所
全体のタレント運用には余裕ができる筈よね、律子さん?」
「そっ、それはまあ」
「アイドルというものは、周囲のスタッフさんたちとファンの力で大きく羽ばたく
ものだわ。応援してくれる人、サポートしてくれる人、それがあってのアイドルだと
わたしは思う。そう……シンデレラが美しく姿を変えたのはその真心を見続けていた
ちいさな動物たちがいたから。彼女の恋を手助けする魔法使いさんがいたから」
 あずささんの言っているのは、世界的に有名な例のアニメーション映画の筋書きだ。
民間伝承に始まる灰かぶり娘の物語はそのバリエーションが100を超える。あずささんは
その中で、多分その映画が記憶に刻まれているのだろう……私と同じく。
 アニメ映画のシンデレラは、王宮の舞踏会の前に王子と出会っている。継母たちに
いじめられながらも明るく働く彼女をお忍びで街へ出た王子が見初めたから恋が
始まり、苦しい生活の中で小さな命を大切にする彼女の心根に惹かれたからこそ、
良き魔女がその恋を手助けしようと思ったのだ。孤立無援と思えたシンデレラにも
彼女を応援するサポーターたちがいたから、その彼らが馬車を引く馬になり御者に
なって彼女を宮殿へと運んだのだ。
「私たちはみんな、魔法使いさんを待つシンデレラなの。プロデューサーさんや
ファンのみんなが、私たちをトップアイドルという王宮へいざなってくれる日の
ためにこつこつと準備をしているんだわ」
「それはね、律子もおんなじなのよ」
 朗々と語るあずささんの隣で、伊織が笑った。
「あんたは私たちに魔法をかけてくれた。シンデレラの物語では、魔法使いの出番は
これで終わりよね?今度は、あんたにも魔法をかけてあげなくちゃ」
「ちょ、ちょっと待って!みんないったい、なんの話をしてるの?」
 思考を整理するためにこう言った。とある予感が、胸の底の方でうごめき始めている。
「だからぁ、律ちゃあん」
 亜美がたたみかけるように満面の笑みを浮かべた。まるで『わかってるんでしょ』
とでも言うように。
 ……そこで、気づいた。私を取り囲むように見つめる3つの笑顔が口にする名前に。
「律子」
「律子さん」
「律ちゃんっ」
 嬉しそうに呼びかけるその言葉は『プロデューサー』や『姉ちゃん』ではなく……
アイドル時代の、仲間を呼ぶ名前だった。
 そしてあずささんが……口を、開いた。
「いっしょにオーディション、受けましょ?律子さん」
「えっ?ええええっ?」
 まさか、と思うのと同タイミングで、そのものずばりの誘いを受けた。これ以上
目を見開いたら、きっと私の目玉は外れて落ちるに違いない。
「だって、ドラマの主人公は4人いるっしょ?亜美たちだけじゃ人数足んないじゃん」
「中学生が亜美、高校生が私でOL役をあずさがゲットしても、大学生の役を他の誰かに
任せるなんて中途半端じゃない」
「だから、律子さん。一緒に主役、やっちゃいましょうっ」
「だっ、だっ、だって私、アイドル辞めて」
「一時休止って言ったわよね、あの時」
「ぶ、ブランク長いのに、そんなの」
「選考日まで少しあるから、ちゃんと勘を取り戻せますよ」
「そんな簡単に演技力まで復活するわけ」
「話題性もポイントになるって言ったっしょ?『秋月律子プロデューサーがタレント
活動再開』なんて、超すんごいニュースだよー?」
「それはそうだけど!私まで現場に入ったら全体を見てプロデュースする人がっ」
 次から次へ言い訳をせき止められ、苦し紛れに叫ぼうとしたらとんとん、と肩を
叩かれた。
「……いなくなって……」
「どもー。新人ですけどプロデューサーでーす」
 振り向くと、彼だった。一瞬、もう一度失神しようかと精神が傾く。
 ……だが。だがしかし。
 私は、気を失わなかった。
「そ」
「そ?」
「そんっ」
「そん?」
「そ、そ、そんなに言うならぁ……っ!」
 気絶なんか、してられるもんですか。だって。
「そんなに言うなら、い、いいわよ!やーってやろうじゃないのっ!」
 だってこんなに……こんなに、楽しい話をしてるのに。3人の笑顔が一斉に
花開いた。
「はいはいわかったわよ!ディレクターに言っておくわ、私も含めて4人で
エントリーするって。ただしそのことで他の仕事の手なんか抜こうもんなら、
きっついお説教くらわすから覚悟するのよ?」
「いえー!」
「亜美イエーじゃないっ!それからぷっ、プロデューサー!」
 呼ばれるのには慣れていたが、プロデューサーと人を呼ぶのはかなり新鮮だ。
「俺?」
「オーディションまでに、基本的なこと全部教えます。私の代行をやっていただく
ことになると思いますから、かならずマスターしてくださいね」
「ああ、わかっ……あれ?俺巻き込まれた?」
「なにか不服でも!?」
「コレッパカリモゴザイマセン」
「よろしい」
 一目でわかる。3人のテンションは最高潮だ。今日の収録はいいものができるだろう。
「じゃあみんな、行きましょう!」
「はい!」
 きれいにそろったいい返事。意気揚々と部屋を出る。
 向かってゆくのはスタジオの収録現場だけじゃなく、この道筋の先にある、
遥か輝く遠い果て。
 こうして私たちは……4人のシンデレラと魔法使いは。
 ──魔法使いは見習いだし、シンデレラの一人が魔法使い兼任だが──
 王子の待つ舞踏会への道のりを、力強く歩き始めたのだった。





おわり





※テスト※ by レシP
長文テキストをそのまま表示する『テキストモード』ですと100,000行、200,000バイト
まで表示可能だそうですのでちょっと試してみます。
不都合なければこのままでもいいかも。

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最終更新:2011年08月18日 15:28