Sometimes


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腕時計に目を落として時間を確認する。只今の時刻午前10時半。予定の時間を大幅に過ぎているが未だ待ち人来たらず。
レッスンスタジオの前で待ちぼうけを食らっていたプロデューサーははて、と首を傾げる。
今日ここに来るはずだった雪歩はどれだけ気の進まない仕事であったとしても体調不良以外で休んだことは無いし、
仮に休まなければならない事情があった場合は必ず連絡を入れてきたのだからその疑問は当然でもある。
考えたくはないが連絡の入れられない状況にあるのだろうか、事故にでも会ったのだろうかと不安が頭をよぎり、
何か知っていることはないかと事務所に居る音無小鳥嬢へと電話をかけた。
「すみません小鳥さん。まだ雪歩がこっちに来ないんですが何か連絡は来てませんか?」
「ああそのことでしたら昨日の夜に雪歩ちゃんから電話がありまして」
「ええ」
「今日のレッスンはドタキャンするそうです」
「……はい?」
今しがた耳に入ってきた言葉の意味を理解するまでに少々の時間を要した。その程度には不可思議な言葉を聞いた。
「…………」
「もしもーし。プロデューサーさん?」
「ちょいと聞きたいことがあるんですが」
「はい何でしょう?」
「前日に連絡を入れるのはドタキャンっていうんですかね」
「普通は言いませんねぇ」
「何で今の今まで小鳥さんは教えてくれなかったんですかね」
「それはやっぱり前もって教えたらドタキャンにならないからじゃないですか」
「じゃあドタキャンしたスタジオとトレーナーさんに頭を下げるのは誰のお仕事でしょうかね」
「それはやっぱりプロデューサーさんのお仕事じゃないですか」
「ですよねぇ」
こやつめハハハ。覚えていろよこのぴよ助め。
ひとしきり頭の中で悪態を並べ立てた所で、さて、わざわざ予告までしてドタキャンなぞした当の雪歩は今一体何をしているのだろうかと意味もなく空を見上げた。

で、当の雪歩はといえば奇しくもプロデューサーと同じように空を見上げて深いため息をついていた。
雲一つ無い青空とは裏腹に心の中はどんよりと重たく曇っている。
その胸中を一言で表すならば後ろめたい。こうして歩いていてる最中に知っている誰かと鉢合わせて、
「今何してるの?」
なんて聞かれたらどう答えればいいのかと不安になる。
もし聞かれたとしても今日はオフなのと平気な顔をしていればいいだけなのにそれも出来そうにない。
ああ。なんでこんなことしちゃったんだろう。今すぐ昨日に戻ってやりなおしたい。
そもそも今日のレッスンにしたってどうしても嫌だった訳じゃなくてほんのちょっと魔が差しただけなのに。

再度のため息をついて、ウインドゥに写った自分の服装を確認してみる。
いつもと気分を変えたくて服装もプリントTシャツの上に薄手のブルゾン、下はジーンズとスニーカー。、頭には野球帽といつもはしないような組み合わせだ。
思い切ってしてみた服装だけど動きやすくてこれはこれでありかな。なんて思ったのは小さな収穫だけど。

とりたてて予定は無かったし、家の中に篭っていても気が滅入るだけだから外に出てきたけどそれも間違いだった気がしてきた。
それでも、体を動かしていれば気持ちも変わるかと期待して街をぶらついてみることにした。
最近仕事ばっかりだから服の新作もぜんぜんチェックできていなかったし。なんて無理やり考えた理由を自分に言い聞かせて。

結論からいうと駄目でした。
リップやマニキュアの新色も、お気に入りのブランドの新作も、雑誌も、お茶も、お菓子も、どの店に行っても何を見ても集中しきれない。
まるで楽しんではいけないとでも言いたげに心のどこかでブレーキがかかる。
もう諦めて家に帰ろう。そして明日怒られてまた元の生活に戻ればいい。
そう思って踵を返したところで予想外の声が聞こえてきた。
「やっほー久しぶりじゃないゆっきー」
「えひゃい!」
日高舞である。
雪歩の姿を確認するやいなや一片の遠慮も無く肩に手を回して顔を覗き込んでくる。
「なーによー変な声出してー。そんなに私の事が嫌?」
「いえ……そんな事ないですぅ」
「ふーん」
日常的に顔を会わせている訳ではないが、それでも一目で雪歩の様子がいつもと違う事には感づいたようで、
「ちょっと歩きっぱなしで疲れたから休憩したいんだけど、一人ってのもなんだからつきあって」
返答も聞かずに雪歩の手を引いて歩き出す。

連れて来られた先は落ち着いた雰囲気の日本家屋を改装した喫茶店だった。
店の周りを木に囲まれ都会の喧噪とは隔絶されており、店内の天井も高く席同士も離れているためゆったりと過ごすことが出来る。
都内にこんな場所があったのかと物珍しげにそれとなく店内を見渡す。
「ゆっきーお茶好きだからここにしたんだけどもし気に入らなかったらその時はゴメンなさいね」
「いえっ、そんなこと無いですとっっても素敵なお店です」

テーブルの上に目を落とす。
舞さんの手元には、クリームをたっぷりと添えたシフォンケーキと素焼きのカップの中で湯気を立てているコーヒー。
雪歩の手元には、軽く表面を炙った最中と湯呑みの中で香ばしい香りを立てている煎り番茶。

一口口をつけただけでそれっきり手を伸ばそうとしない雪歩を見て、
「ね、ちょっと当ててみよっか?」
「?」
「ゆっきーが元気無い訳」
雪歩の返答も待たずに推論を並べ始める。
「うーん、誰かと喧嘩したって風でもなさそうだし、周りを気にしてるみたいだから……ひょっとしてドタキャンでもした?」
しかも的確に当ててきた。細かいところまで気にしないようでいてよく見ている。
「はい……その通りですぅ……」
「そ。私の勘もまだまだ捨てたもんじゃ無いわね」
それっきり何か言うわけでもなく、中断していたケーキにまた手を伸ばし始めた。
「あのう……」
「どうしたの? そっちの最中要らないなら私が食べるわよ?」
「いえっ、そうじゃなくて、何も言わないんですか」
「何に?」
「だからその……ドタキャンしちゃったんですけど……」
「やーねぇ私別に765の人間じゃないもの。ファンを蔑ろにでもしない限り何してよーが口出す筋合いじゃないわよ。
今だって知った顔を見つけたからお茶に誘っただけだし……でもね」
「?」
「そうやって俯いてばっかりってのはちょっともったいないかな」
「もったいない……ですか」
「そ。休む事も外に出かける事も、いつもはしないようなその服だって自分で決めてきたんでしょ。だったら折角の空いた時間胸張って楽しまないと損じゃない。それに」
雪歩の髪に手を突っ込んでわしわしとかき回す。

「こんなに天気も良いんだしね」

そのちょっとだけ悪戯を含んだ笑顔はとても快活で魅力的で、ああ、やっぱりこの人は愛ちゃんのお母さんなんだな。なんて思ったりして。
その時になってようやく雪歩はこの日初めて笑って、その顔を見た舞さんは満足げに「よろしい」といって額を近づけてまた笑った。

会計は雪歩が財布を取りだそうとする前に、
「私が誘ったんだしこれぐらいはお姉さんっぽい事するわよ」
といって口を挟む間もなく支払ってしまった。
「じゃ、私は夕食の準備があるからここでお別れね」
スタスタと歩き出す背中に向かって、
「ありがとうございました」
そう言って深く礼をする。
舞さんは振り返る事無く手を振って去っていった。

さて、と気を取り直して振り返り、もう一度歩いてきた道を遡る。
まだ時刻は昼を過ぎたばかりで今日という日ははまだ十分に残っているのだから。

小物入れのつもりでボディバッグを買ってみた。自分のイメージと合わないような気がしてなかなか手が出せなかったけど使ってみれば結構便利だった、
なんといっても両手が自由に使えるのが一番いい。

思い切って偶然見かけた洋食屋さんに入ってみた。興味本位で生姜ご飯のあんかけオムライスを頼んでみたけど凄く優しい味わいで大当たりだった。また今度来よう。

お気に入りのブランドのお店で新作を色々試着させてもらって、スカートを一着だけ買った。どんな上を合わせようか楽しみだ。

歩き疲れて入ったチェーン店のコーヒー屋さんでクリームたっぷりのカプチーノとケーキのセットを食べた。今日ぐらいカロリーは気にしない。
何気に今日はずいぶん食べている気がするけど甘いものは別腹だからいいのだ。それにしても体に悪い食べ物ってなんでこんなにおいしいんだろう。

目的も無く歩く。
気の向くまま行き先も知らず歩く。
歩く行為に没頭する。
心配、後ろめたさ、感謝、楽しさ、頭の中で渦巻いていた様々な感情や言葉が一歩ごとに息を潜めていく。

水の流れる音が聞こえてきて耳を澄ませる。
こんなところに川が流れていたことを今日初めて知った。
立ち止まって水面を見つめる。ようやく思考が活動を再開する。
少し、足がくたびれていた。

舗装されたコンクリートを越えて様々な大きさの石が敷き詰められた川辺に立つ。石の隙間から延びた雑草を踏みしめながら。
足下の石を一つ拾ってみる。
思い切って放り投げてみる。
石は緩やかな放物線を描いた後に僅かな水飛沫を上げて水面に消えていった。

携帯が震えて着信を告げる。
ディスプレイに表示された名前はプロデューサー。
少しだけの逡巡の後、通話ボタンを押す。
「……もしもし」
「あー雪歩か。俺だ」
少しの沈黙。個人の携帯なのだから本人が出るのは当然なのだが、
どうやら向こうもなんと言えばいいのか考えあぐねているようだった。
結局、出てきた言葉は、
「初めてドタキャンしてみてどうだった?」
どう答えるべきだろう。少し考えて、
「あんまり、楽しくはなかったです」
半分の本当と半分の嘘を告げる。
だがプロデューサーは雪歩の言葉には応えずに話し始めた。
「知らなかったかもしれないけどさ、うちの中でドタキャンしたこと無いの雪歩だけだったんだよ。
だから小鳥さんから聞いた時、ちゃんと雪歩もわがまま言えるんだなって少し安心した」
てっきりこういった事からは縁遠いと思っていた他の皆もドタキャンしているのだと、そんな事実を初めて知った。
「最初だから多めに見るけど次からはちゃんと注意するからな。それで、
今度から休みたくなったら前もって言ってくれれば少しぐらいなら融通するから。それじゃあまた明日」

きっと、プロデューサーも雪歩の言葉が嘘だと気づいている。
それでもあっさりと嘘を見抜かれていた事が少しだけ面白くなくて、通話を終えて何も表示していないディスプレイに向かって届くはずのないアカンベーをしてみせた。

少しまだ物足りない気がして、
キョロキョロと周りに人が居ないことを確認してから大きく振り被って足下の小石を蹴りとばしてみる。
石がさっきより高く空に舞い上がって水の中へ落ちていく。
水面に吸い込まれて落ちていく。
波紋が浮かんで消えていく。

これで最後にしよう。
ふう、と、軽く息を吐いてから助走をつけて、不愉快なもの全部蹴り飛ばすつもりで足を振りぬく。
石が高く遠く飛んでいく。
大きな水飛沫が上がって消えていった。